小津安二郎監督の映画「晩春」で、父と結婚式を目前に控えた娘が、旅館の同じ部屋で隣り合わせて布団を並べる場面の話題が新聞に出ていた。わたしも映画を見たときからずっと気になっていた。なんか恥ずかしいようないやな気分なのである。
新聞記事では外国人には理解できないというようなことだったが、考えようによっては、和室に布団を並べるのは、日本人の習慣としては自然なのかもしれない。いまどきは親子で“川の字”になって寝るというのはないだろうが、わたしの子どものときはそれが自然だったように思う。というように、日本人の習慣として当たり前としても、わたしはどうもあの場面に、父と娘の間の精神的な近親相姦を感じてしまう。
「ある女の遠景」を読むと、ひとつには維子と老練な政治家の泉中との、切るに切れない愛欲生活があるんだけど、維子の父、九谷修吉の妹と娘への異常なまでの愛と執着心も大きなテーマであるように思える。修吉は泉中が彼女らを手玉に取っていると感じて憎悪感をつのらせるのだが、その父の心が近親相姦的なのである。
泉中に呼び出されて出かけていた維子だったが、泉中の世話になってアパートで暮らすことになる。そのアパートで心臓発作を起こして、親の言いなりに家へ戻った維子が、男恋しさに結局親を欺いて家出する。未来のない恋の行方なのだけれど、なにか明るい結末なのは、維子が自ら親との縁を切ったからだろう。
和泉式部がいま(1960年ごろ)生きていたらこうではないかと、ひとつの物語を舟橋聖一は書いたのだと思う。いろんな女たちの遠景に和泉式部がいて、いろんな女の生き方があるのだとしみじみした。