つい数日前、何十回目にもなる「紅雀」を読み終え、いままで気にしていなかったことに気がついた。いままでなにを読んでいたんだろう。ヒロインまゆみの魅力にばかり気をとられていた。
若き男爵、辻珠彦はなにもかも揃った青年である。お金持ちで最高の教育を受け、その上容姿端麗で、家を守り母と妹に対する責任感も強い。周りの女性たちは当然ご機嫌取りする人ばかりである。そこへ現れたのが列車で行き倒れた女の娘、まゆみである。居候の身になってもおべっかを使わず自分の意見を持っている。珠彦はそういうまゆみにだんだん惹かれていくが、なんやかやあった後、まゆみは家出してしまう。
そして、まゆみの身を心配する母や家庭教師の純子が遠慮しているときに言う。みんなが自分に意識して妙に改まって接してくるのに、「彼女は僕の前で昂然と自分の誇りを保って無用のお世辞もおべっかも使わなかったんです」と。そして積極的にまゆみを探すことになる。
最後はまゆみがいる場所が見つかり、彼女の高貴な身元がわかるということになるのだが、それ以前に貧しい孤児のまゆみの値打ちに気がついていたというのが大切なところ。
しかし、イギリスの小説と違って“貴種流離譯”にしたところが、第二次大戦前の日本の少女小説の限界なのであろう。