嶽本野ばらの「エミリー」には短編があと二つ入っている。土曜日に返すつもりなのであわてて読んだ。あわててと言っても、読みだしたら彼の世界にどっぷりとはまってしまって、用事をしていても夢心地(すこしオーバーか)。
「レディメイド」は、いつもは口が過ぎるほどなのに、貴方の前では言葉を失ってしまうという女性の独白。同じ会社で働く彼を、クールで知的でミステリアスで可愛げがなく母性本能が疼かないと同僚は評するが、そんな彼に惹かれる「私」は彼の関心を惹くために、美術館でMoMA展があることを話しかける。突き放なされたような気分になった「私」だが、帰りにジャケットの内ポケットにMoMA展のチケットが入った封筒を発見する。土曜日の午後1時、デュシャンの「処女から花嫁への移行」の前で会おうというメモつき。
「コルセット」、時代遅れのイラストを描いている「僕」は、偶然入った骨董店で店番の女性と友だちになる。30歳になった彼女はこれから帰ったらお互いに自殺しましょうと言い、本当に自殺してしまう。死にきれない「僕」は精神科で治療を受けながらも死ぬことを考えている。医院の受付の女性に声をかけて一度だけつき合ってほしいと頼み、「身体の夢─ファッション OR 見えないコルセット」という展覧会に行くが…。
「エミリー」を含めて一人称で、それぞれの主人公は自分のことを、とるに足らない人間というふうに述べている。それが相手からは、それぞれがおしゃれで気高いと思われているのがわかる描写なのである。書き手が自分のことを卑下して話すのは「フジミシリーズ」を含む“やおい”の特徴であった。ただし“やおい”の場合は、相手の男性はオトコマエで背が高くて金持ちで自信たっぷりと決まっていた。
嶽本野ばらの場合はそこが違う。“やおい”ではないのだから、そういう“決まり”に関わりないのは当然のことだけど、読み物を超えられない“やおい”の作品とは違う力がある。アートの力と言ったらよいかな。