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エドモンド・ホワイト「ジュネ伝」下

ジュネ伝〈下〉 エドマンド ホワイト1ヵ月も前に読み終えたのだけれど、他の本を読みつつ、日常生活を続けつつ、ずっとジュネのことを考えていた。プルーストに次ぎ、セリーヌと並び20世紀の大作家として認められたと言えるジュネの生涯を、いまいちばんジュネを語るにふさわしい作家の筆で読めて幸せだった。とにかく詳しくジュネの生涯を辿った本なので、ジュネについて知りたい人には読んでもらうしかない。客観的な歴史でなくて、ジュネという希有な作家の歩みと20世紀の歴史が重なる。
作家であると同時に、政治にも関与したジュネは、アメリカに行きブラックパンサーと共闘する。1970年には友人の住む日本に来て労働者と全学連のデモに参加している。またパレスチナに行きアラファトとも会っている。左へ左へと傾斜していくジュネの心の動き、そして行動に移すところが納得できる。いろんな人との出会いが興味深い。話したいエピソードがいっぱいある。読んだ人と話をしたい。ジュネってすごくおもしろい人なんだもの。
ジュネが死んだのはパリで、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの死の翌日だった。ボーヴォワールは盛大な葬儀で見送られたが、彼の遺体は静かにモロッコのララシュに送られ埋葬された。飛行機から降ろされたとき、麻の袋に包まれた棺には「移民労働者」という札が貼られていた。
わたしがジュネに親近感をもったのは、性格に似ているところがあるからだ。若いときに読んだフロイトかなんかの本にあったのだけれど、“幼年時代を孤独に育った人は、大人になると好きな人に溢れるような愛を注ぐようになる。だが突然なにかの理由でいやになると、おそろしく冷たくあしらう”そうである。わたしはそれを読んで、わたしのことだと思った。ジュネにもそういうところがあって、自分の思いこみで入れあげ、いやになると冷たくなる。わたしとジュネとでは入れあげかたにも、冷たくするにもおっそろしく規模が違う。それは幼年時代の孤独の差かもしれない。三女という環境からきたわたしの孤独は、母親に捨てられたジュネの孤独に遠く及ばないのだと思う。(河出書房新社 4500円+税)

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2004年04月10日 18:05に投稿されたエントリーのページです。

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