わたしが最初に三池に行ったのは登山グループの女性2人とだったが、大阪へもどってから人にしゃべりまくったので、いろんな人とのつながりが新しくできていった。また三池で知り合った人からは手紙をもらっていたから、なにか大阪で自分ができることで支援したいと思っていた。
たまたま組合員の娘さんたちが、労組どうしの支援ということで、大阪で就職しているのだが、彼女たちが元気でいるか会ってもらえるだろうかという手紙をもらった。彼女たちはわたしの家のそばに本社がある阪急バスで車掌をしているという。当時のバスには女性の車掌が乗っていて、停車駅を告げ、ドアの開閉と料金の徴収をしていた。それで阪急バスの労組に連絡して、彼女たちに会い家によんでお茶しながらしゃべったり、本を貸してあげたりした。わたしは阪急電車で通勤していたけど、回り道になるバスに切り替えて、バスの中で出会うのが楽しかった。その他にも娘さんを雇いたいというお店に紹介したりした。
そんなことで半年ほど経ち、三池がいまどうなっているかも知りたいということで、もう一度、今度は一人で行った。そのときはもう大闘争は終結していたのだろうか。これは調べないと記憶にない。主婦の会のメーンバーの家に泊めてもらって話し合ったのだけど、なにを話したんだったか覚えていない。ものすごく厚い布団をかけてもらって、暑いほどだったことはよく覚えているのに(笑)。
ある日、労組の事務所にいると(なにしに行ったんだか)、灰原書記長が入ってこられた。だれかがすぐ紹介してくれたのだが、なんと、握手をしてくださった。「あなたのことはよく聞いていますよ。お世話になってます」とチンピラ娘に灰原さんは言ってくれた。生涯の感激!!!ここに極まれり、である。だって、密かにあこがれていた人だったんだから。それから何十年も経ち、数年前の新聞で灰原さんが亡くなられたことを知った。住まいは東京になっていた。