昨日の夕刊に「がんばろう」の作詞者である森田ヤエ子さん死去の記事があった。ずいぶんと丁寧な記事で「がんばろう」ができたいきさつや、“総労働対総資本”と言われた三井三池炭坑の闘争のこと、そして1番の歌詞もあった。
わたしは三井三池のホッパー攻防戦に参加すべく三池まで駆けつけたことがある。うんと若いころで、山登りグループの女性3人で「いこ、いこ」と決めて、家や職場には1週間程アルプスに登ってくると言って出かけたのである。いま考えても、この3人のえらいところは、労働組合や社会党や共産党からの参加でなく、まったく個人的動機だったことだ。若者の正義感でさっさと動くのは、いまでこそ当たり前のことだが、当時はあんまりなかったんじゃないかな。そして大学へいく年令だったけれど、3人とも働いていて、自分のお金で行ったことである。えらいもんや(笑)。
夜行列車で熊本へ行ったのか大牟田へ行ったのか忘れたけど、本部受付みたいなところへ行って登録して滞在費を払ったら、炊事班にまわされてしまった。不満たらたらだったけれど、まあよく風来坊を引き受けてくれたものだ。これも闘争中なればこそね。
1週間のあいだ昼間は主婦の会のもとで炊事の手伝い(じゃま)をし、時間があると労組の人に話しかけ、夜は主婦の会の集会に参加させてもらった。私のアタマでは闘争中のご飯っておにぎりとかお弁当くらいしかなかったが、お刺身を主にいろんなおかずがあるのにびっくりした。たしか“オバケ”というクジラの真っ白な身をはじめて食べた記憶が残っている。わたしの家はほんまの都市プロレタリアで、晩ご飯にお刺身なんて考えもできなかったから、やっぱり大企業の労働者は違うものだと、ひがみました(笑)。
すぐに1週間が経ち、なにごともなくまた夜行列車で家に帰ったが、いまの言葉で言ったら自己責任で行動したってことかな。
「がんばろう」の歌はすでに知っていたが、三池帰りということで、どこかの労組へ歌唱指導(!)に行ったのだからたいした度胸だ(笑)。でも女性の作詞になるものだからこそ、いま歌っても「くろがねの男のこぶしがある」の次に「もえあがる女のこぶしがある」という歌詞にぐっとくるものがある。
最近よく三池闘争がなんであったか、わたしにとってなんであったかを考えるのだが、あれって「ラストサムライ」だったんですね。石炭から石油にエネルギーが代わるのは経済の必然ということをわかっていて、負けるに決まっている闘争をするのは、自分たちの筋を通そうとする武士道だし、わたしの参加のしかたも負けて行くものの最後の美しさへの共感があったのだと思う。