ジュンク堂で友だちに贈ろうと、嶽本野ばらの最初の本「それいぬ」を探したのだが見当たらなかった。1998年の本だからもう廃盤ってことか。その代わりになにかないかと探したら、「カフェー小品集」という短編集があった。タイトルに惹かれて本をめくると、12の短編小説には作品名の下に実在のカフェーの名前が入っている。わたしが行ったことがあるのは、京都の「フランソワ」と小樽の「光」だけだが、両方とも何度も行っている。「フランソワ」はまた行くことがあるだろうけど、「光」にはもう行くことはないだろう。
今夜は「光」の思い出話でもいたしましょう。と言ってもラブストーリーがあるわけじゃない。たまたま失業しているときに、小樽に住む連れ合いの母親が倒れて入院したので、1カ月の予定で介護に行っただけのことである。もう25年前くらい前になるけど、誕生日を小樽で迎えたので覚えているのだが、9月のことだった。入院しているのは小樽の大きな病院だったが当時は付添人が必要だった。それで毎夜病院の付添いベッドで眠り、お昼前に義妹と交代する。家で昼食を食べるとすぐに散歩に出た。ここで気がついたのだが、わたしってネオンが見えないと生きていられない人種なのだ。白樺が植えてある広い公園や港が見える丘へも行ったが、たいていは都通りという商店街へ出て喫茶店に入るのだった。気に入った店がそのときでさえ古ぼけた「光」で、コーヒーを頼むと一切れのカステラがついていた。そこでゆっくりと本を読みながら、交代時間まで時間をつぶすのだった。
いろいろとあって結局1カ月もたずに2週間くらいで帰ってしまったのだが、小樽の商店街だけはもっと滞在してぶらつきたかった。昔は流行っただろう閉められたダンスホールの入り口や壁なんか、すごく淋しげでうらぶれた感じがよかった。そしてそのころは商店街といえども8時頃には電気が消えてしまう。いつもがらんとしている通りが、電気が消えたらもひとつ淋しくなるのだった。