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2004年11月 アーカイブ

2004年11月02日

Jedit Xを使ってみて

わたしがいちばんよく使っているマックのソフトは、なんと言ってもJeditである。マックを使いだしてからいろいろなエディタを試してきたが、Jeditはいちばん使い勝手がよいので、バージョンアップを重ねて使用してきた。最初はフリーウエアだったが、途中でシェアウエアになった。バージョンアップは1回2000円くらいだったかな。
先月新たにバージョンアップの知らせがきたのだが、Jedit 4から Jedit 5ではなくJedit Xとなっている。マックOSX(10.3以降)対応なんだと知り、対応している!とうれしくなった。
こういうのってマニュアルを読むこともなく使いだすよね。そしたらどうも勝手が悪い。初期設定したらプレインテキストとリッチテキストというのがある。もちろんプレインテキストにして文字打ちしてみたら、文字が詰まってしまう。リッチテキストにしてみたら文字間はいいけど、行間が詰まってしまう。開いてから設定しなおせばちゃんとなるのだが、これっておかしいよね。
それから調べにかかって、フォントが問題だったことがわかった。いままで日本語のテキストはOsakaを使っていて疑ったことがなかった。JeditXのフォントシステムはヒラギノ書体で第三水準第四水準の漢字もいけると書いてある。それでヒラギノゴシックにしてみたら、プレインテキストでちゃんといけました。ああ、しんどー。
その他、わけのわからん新機能がいっぱいある。【実際できあがってみるとJedit4とJedit5の間にはかなりの隔たりがあり、Jedit4の後継というよりも、別のエディタとして、その名前を「Jedit X」(じぇいえでぃっと・てん)とすることにしました。】と挨拶があるくらいだから。
肝腎なことを書き忘れてた。文字打ちするのと文字が表示されるのがほとんど同時。頭と指とマック画面が直結している感じがすごーく気持ちよい。

2004年11月04日

ピリスの授業

昨日のNHK教育テレビでやった「スーパーレッスン・巨匠に学ぶピアノ」という番組、講師はマリア・ジョアン・ピリスと番組表にあった。これはたいへん、絶対見るぞとご飯もそこそこに終えて、最初から最後までの1時間半をじっと見ていた。
わたしがクラシックを聴いていたのは、はたち過ぎの数年間だが、いわゆる音楽会というものに足しげく通った。外来音楽家の演奏会につぎこんだお金はたいしたものだった。
それからはジャズに好みが変わっていったが、40代のときに相方がクラシックを聴きだしてCDがいつも鳴っている状態だったので、今度は普通の生活をしているときに耳からクラシックが入ってきた。わたしのように行き当たりばったりではなく、ちゃんと本や雑誌で知識を得てCDを買っていた。それでわたしも残っていた知識をアタマから引っ張りだしたりした。
ピリスはそのころ素敵な人だなぁと感心したピアニストである。すごく繊細で透明で論理的なピアノの音に魅せられてよく聴いていた。
これは余談だが、そのころの終わりの時期に秋月こおの「富士見二丁目交響楽団」に出会ったんだよね。指揮者とバイオリニストを目指す男どうしの恋物語なんだけど、音楽についての二人の突っ込みかたが素晴らしくて何度も読んだものだ。
ええっと、昨日の授業風景はもうもう感心したの一言であった。若い日本人男性が教えを受けたのだが、まずピアノを弾かせてみる。こうして巨匠の教えを受けるのだがら、すでに一人前なんだろうけど、ピリスがちょっと弾いてみせるのと音が違うのよね。そしてピリスは何度も言う、「ファンタジーがない」と。「なんでピアノを弾くのか、なにを表現したいのか」と厳しく言う。その言葉に圧倒されてしまう若者ににっこりとしながら、ピアノのテクニック以上の「間」とか「止まる」ことを教えた。笑顔が素敵で淡い色のシンプルなブラウスとスカートの姿が美しかった。

2004年11月07日

音のシャワーを浴びた夜

【DJ AGI Yuzuruが楽しみながらラフに選曲する一晩だけの特別な夜】にお誘いを受けて、昨夜は阿木譲さんのDJを楽しむために「nu jazz」へ行った。このところ二人とも体調がよくないので、始まる時間の9時に行って12時頃で失礼しようと言っていたのだが、あまりの気持ちよさに結局3時過ぎまでいることになってしまった。体は疲れたけれど心はすごく元気になった。真夜中に大音響で音楽を聴くってなんと贅沢なことだろう。そしてその音楽が最新のヨーロッパのジャズであり、それをDJするのが、わたしがずっと敬愛してきた阿木さんなのだからうれしいわけである。音の大シャワーを浴びて幸せいっぱい。壁に映し出される映像もよかった。
ヨーロッパ最新のジャズのレコードを取り替えながらの、DJの演奏を長時間目の前で見聞きして、ようやくDJとはなにかということがわかったような気がする。DJ自身がどんなレコードを選ぶか、そのレコードをどう聴かせるかという編集力がものを言うこともわかった。わたしとては、なんかすごーく発展的な夜だった。
お客は若者、それも賢そうな若者たちでカップルも多かった。12時過ぎてから階段を下りて入ってくる客を見ていると、大阪も都会になったと思う。わたしたちは歩いて行って歩いて帰ったが、最近音楽を聴きにでかける細野ビルにせよチャルカにせよ歩いていける。ミナミまでも行かないで近場でこういう夜が送れるなんてなんて幸せなことだろう。

2004年11月09日

森茉莉「貧乏サヴァラン」

「贅沢貧乏」と「戀人たちの森」は初版の単行本が目につくところに置いてある。この2冊はなんか手放せないのよね。最近ちょっと読みたいと思って探した文庫の「貧乏サヴァラン」(ちくま文庫 1998)が見当たらなくていらいらしたが、図書館で見つけて読むことができた。読んでいると、たまたまKAZUMIさんのサイトに「Cigar(葉巻)とワインの関係」という文章がアップされ、シガーの似合う人という書き込みがBBSのほうにあった。わたしもいっちょかみして、シガーの似合う男、そりゃ森鴎外(そしてゲバラ)でっせ、とちょうど読んでいた「貧乏サヴァラン」の一行を引用して書いた。
考えたら森茉莉のように育った人が言えば、“贅沢貧乏”や“貧乏サヴァラン”は成立するけど、ほんまもんの貧乏人のわたしが言ったら負け惜しみやな。でも小気味よく気取った人やカッコつけている人を批判する文章を読んでいるといまでもスカッとする。

2004年11月10日

サラ・パレツキー「ブラック・リスト」が2004年ゴールド・ダガー賞を受賞

9月末に翻訳が出たばかりのサラ・パレツキー「ブラック・リスト」が、英国推理作家協会(Crime Writers' Association =CWA)の2004年ゴールド・ダガー賞を受賞したと、昨夜遅く木村二郎さんからお知らせをいただきました。
他の5人の作家とともにゴールド・ダガー賞の候補になっていることを、先日「海外ミステリ通信」号外で知って、サラ・パレツキーになりますようにと祈っておりましたが、受賞が決まってほんとうにすごくうれしいです。
わたしは他の候補作品を読んでいないので比べることはできませんが、「ブラック・リスト」はゴールド・ダガー賞にふさわしい内容の素晴らしい作品だと思います。このページの10月7日に簡単な読後感を書きましたが、ハードボイルド私立探偵小説として、ハメットを継ぐのはサラ・パレツキーであると確信を深めました。
英国推理作家協会(CWA)はミステリ関係の著書がある者を正会員とし、賛助会員も出版業界関係者などのプロに限っている権威ある会です。毎年発表されるミステリー作品から選ばれるゴールド・ダガー賞(Gold Dagger)、シルバー・ダガー賞(Silver Dagger)があります。
サラ・パレツキーは1995年に「ダウンタウン・シスター」でシルバー・ダガー賞を受賞しています。今回は2002年の「カルティエ・ダイアモンド・ダガー賞」に続き三度目の受賞です。トップページにもいれましたから見てくださいね。
ダガー賞についての詳細はCWAのサイトをごらんください。

2004年11月12日

ノスタルジックな夜「マルセル・デュシャン展」とギムレット

美術館で長期やっている催しはそのうちと思っているうちに終わってしまうことが多い。今回は前売り券を買ったし早めに行こうと思っていたが、突然これから行こうということになった。毎日10時から17時までだが、金曜日だけは19時までとわかったので。
ぱっと出たのが5時半、タクシーが中之島の通りに出たら地下鉄工事で道が狭くてなかなか進まない。6時に着いたが、これなら阿弥陀池筋の住友病院付近で降りて歩いたほうが早かった。新しい美術館は地上が線のオブジェになっていて、会場は地下である。写真で見た感じでは広場にオブジェがあると思ったのだが、なんて狭いところにあるのとびっくり。さすが大阪、ビンボくさい。エスカレーターで降りて行くと常設の会場があり、また降りて行って廊下を歩いていくとデュシャン展の会場である。
マルセル・デュシャン、懐かしい名前である。若いころ、滝口修造の本で読んで憧れていた人、写真や図版でしか見たことのない作品に出会えたわけだ。すでにこういうところで展示されることで、デュシャンは権威になっていることはわかっていたけど、ほんとに実際見たらこんなもんかいなという感じだった。
だいたいがポスター、チラシ、地下鉄の中吊り広告で「泉=便器」が氾濫しているのだからどうしようもない。デュシャンが展覧会に便器を出したときはセンセーショナルだったからといって、いまさらなににでも使うというセンスがいやらしい。芸がないよ。でも、箱入りの作品の数点は欲しいくらい好きだし、「階段を降りる裸体」もいいと思った。マン・レイが写した写真もすごくオトコマエでよかった。
マルセル・デュシャン以後という展示で荒川修作の文字を並べた作品がよかったのが収穫。そしてシルヴィ・ブロシェールの10枚ほどの小さい絵とオブジェの展示がよかった。絵はみな同じ大きさで、素材は茶色い包装紙で、その上に描いたり、ハンコを押したりしてあるやつ。
藤本由起夫作のデュシャンの声が音楽にかぶさって聞こえる装置もあり、ビデオもありだったが、いちばんよかったことは空いていたこと。会社帰りのような一人で来ている人が多くて静かだった。国際美術館は金曜日の5時以降が狙い目!とにかく広くてゆったりと展示されていた。座るところがビデオの前しかなかったので、ベンチが一つくらい欲しかったな。足が疲れた。
なんやかんや言いながらも楽しい1時間を過ごした。
ここまで懐かしさを味わったから、今日はとことん懐かしくと、帰りには久しぶりに京町堀のブルースバー「メジャーカップ」で飲むことにした。時間が早くてまだお客がいなかったので、帽子をかぶった粋なマスターとジャズの話に花を咲かせた。LPレコードでマイルスの曲を聴きながら、ブルースからモダンジャズまでたくさんのジャズプレーヤーの話が出た。アート・ブレーキーとジャズメッセンジャーズの中に若き日のリー・モーガンとウェイン・ショーターがいたとか、コルトレーンとマイルスのこととか、クリント・イーストウッドのジャズ映画のこととか・・・。わたしは今夜はこれと思ってギムレットを頼んだ。目の前でつくってくれたギムレットは、生のライムを切ってしぼってくれたが、ローズのライムジュースでなくて少し残念。

2004年11月14日

イアン・ランキン「血に問えば」

10月の末に買った本をようやく読み終わった。いままでイアン・ランキンの本は7冊訳されているが、すべてハヤカワポケットミステリで、単行本になったのは今回がはじめてである。だからちょっと違う感じがしたのか、この本の内容がいままでと調子が違うのか、体調がよくなかったのとぶつかったせいか、夢中になって読み進められなかった。
リーバスは両手にひどい火傷をしている。シボーン・クラーク部長刑事にストーカー行為をしていた男が不審火で焼死したのだが、リーバスがその少し前にその家を訪ねたのを目撃されていたため、疑いがかかってしまう。上司からの厳しい質問をかわしながら、リーバスは私立校での銃の乱射事件の捜査にのめりこむ。殺された少年二人のうち一人はリーバスの親類だった。スコットランド議会議員のベルの息子は重傷を負っている。犯人はその場で自殺したが、その男は学校となにも関わりがない。その謎を追って、リーバスは火傷の上に革手袋をはめ、シボーン・クラーク部長刑事の手を借りて捜査を続ける。
あんなに好きだったリーバス警部のやり方に、今回はちょっと批判的になってしまったのだけれど、考えてみれば、リーバス警部はものすごいストレスを負っているのだから・・・なんて、ハタで聞いていたらわけがわからんね。言うても無駄かもしれないけど、お酒と煙草をもっと控えてほしいなぁ。そんなひどい火傷するなんて、心配するやんか。
でも、振り返って考えると、やっぱりランキンの書くエジンバラの街や人間の描写はすごい。もう一度読み直さなきゃ。うん、最後にシボーンが殺されたかと思って走るところがよかった。生きていたシボーンに目をつぶって長いキスをしたリーバス。次作では二人の関係がどうなるのか楽しみ。(早川書房 2000円+税)

2004年11月16日

45歳で初産の友

東京在住の友人から電話がかかった。「久しぶりー」といつもの挨拶だったが、その後が「わたしねぇ、1週間前に子ども産んでんよ」である。この前に電話があったのが春ごろで、たしかワインと中国土産のクコを送ってくれたのだった。それの礼を言って以来である。
「ちょっと、××いくつやったっけ?」とめったにしない質問をしてしまった。「45歳で高年初産、そやけど軽かってんよ、母が病院へ駆けつけたときはもう産まれていて、受付で、お産がむちゃくちゃ軽かった人ですねと言われたんやて」
彼女と知り合ったのは25年前、ロックマガジン主催の催しが八幡筋のディスコであったときだ。ド派手な装いに度肝を抜かれて眺めていたら、なぜかいっしょに帰るとよりそってきたのがはじまりだった。まるで子猫がなつくみたいに、そのままわが家へ来てご飯を食べて、それ以来いっしょにあちこち遊びまわった。そのときはビニールなんかでオブジェをつくる前衛美術家だった。ときには破れたTシャツに安全ピンを留めていたり、ときにはどぎついピンクのフリフリだったり、いまならこんな服装はざらに街で見かけるけれど、当時は歩く人が振り返って見ていた。アパートに行くとオブジェや服が散乱していた。頭が良くてたくさんうちの本を読んでいたが、ミステリだけはダメだった。
そんな暮らしが2年くらい続いたのだが、ある日東京へ行ってしまった。たまに電話があり、たまに大阪へ帰ってきたりしていたが、新宿でバーをはじめたと聞いたときはびっくりした。そしたら次は結婚である。39歳で結婚して6年後に子どもを産んだわけだ。

2004年11月17日

蜂蜜に凝ってみたいけど

このページに検索でこられてメールをくださるかたがたまーにいる。たいていは何度かのメールのやりとりで終わってしまうが、半年に一度くらい近況を知らせてくれるかたや、ずっとメールのやり取りが途絶えないかたもいる。Mさんは最初、乙女雑誌「薔薇の小部屋」のことを書いたときにメールをくださった。「薔薇の小部屋」全2冊を捨てずにとってあったので、主要なところをコピーして差し上げたのがはじまりである。人が欲しがっているのがわかったら手放せない(笑)。それからメールでおつきあいいただいているが、これがまた楽しい。打てば響くって感じがうれしい。
今日いただいたメールは蜂蜜に関してであった。個人メールではもったいない(笑)ので、今日はこちらで雑談します。Mさんは蜂蜜がお好きでとてもくわしい。わたしはお金がないから、蜂蜜ならなんでもいいやであるが、蜂蜜のことでおもしろい会話をしたことを思い出した。
先日、父親の葬式のあと横浜に帰る妹夫婦と息子らを見送って新大阪駅まで行ったのだが、時間待ちに喫茶店に入った。チョコレートパフェをみんなで食べたのだが、妹の夫のケンちゃん(こう書いてるけど、もう定年退職した人)だけはコーヒーだった。先にコーヒーがくると、ケンちゃんはやおらカバンから小瓶を取り出してコーヒーに注いだ。「なにそれ」「蜂蜜」ゆうゆうと注いで「うまーい」と飲んでいる。実はケンちゃんの実家は山梨県で養蜂をしていて、ケンちゃんは蜂蜜で育ったんだって。彼が言うには日本のミツバチは、いろんな花の蜜を吸っているから特別おいしかったんだそうだ。あれだけおいしい蜂蜜はもうこの世にはないんだって。じゃ、いまコーヒーに入れたのはどういうの?って聞いたら、安物の中国製だって。あの蜂蜜の味でなければ、なんでもいいそうである。
ケンちゃんは妹と結婚したときは東京で営業マンをしていたが、大阪へ転勤になったときに会ったら、「大阪はセミまでうるさい」とわたしにイヤミを言った。大阪弁相手の営業がほんまにいやだったみたい。それ以来毎年、わたしは笑い話にしてきたが、学術的にも大阪のセミはうるさいらしい。このページの7月12日をお読みになればわかります。

2004年11月18日

クリント・イーストウッドの「ピアノ・ブルース」

アメリカでブルースが誕生して100年目になる2003年に、マーティン・スコセッシが製作総指揮し「THE BLUES Movie Project」として7作品が、それぞれの監督によってつくられた。他の6作品は映画館で上映されたが、クリント・イーストウッド監督の「ピアノ・ブルース」だけはテレビのみということである。運良くビデオで見ることができた。
イーストウッドとレイ・チャールズがピアノの前に並んで座っているところからはじまる。イーストウッドは白のポロシャツにチノパンでスニーカー、何度も洗濯した服と履き古した靴を身につけた姿がすがすがしい。二人のブルースへの気持ちを語るところからはじまって、話題に出たミュージシャンが画面に出る。古い貴重なフィルムが現れる。
インタビューの相手、そしてイーストウッドのスタジオで演奏したのは、レイ・チャールズ、デイブ・ブルーベック、ドクター・ジョー・モートン、マーシャ・ポール、パイントップ・パーキンス、ジェイ・マクシャー、ピート・ジョリー。
フィルムで紹介されたミュージシャンは、デューク・エリントン、ビッグ・ジョー・ターナー、ジェイ・マクシャン、チャールス・ブラウン、アート・テイタム、オスカー・ピーターソン、ナット・キング・コール、ファッツ・ドミノ、オーティス・スパン、フェイマス・ニュートン・ジュニア、カウント・ベイシー、セロニアス・モンク、パイントップ・パーキンス、アンドレ・プレヴィン。
ブルースをはじめて聴いたときのこと、だれに最初の手ほどきをしてもらったか、ブルースとジャズのこと、誰の演奏が良いかなど、それぞれと愛をこめて語り合う。イーストウッドの眼差しの優しさ、はにかむような口もと。ほんとうにブルースを愛しているからこその柔らかい表情に感動した。
もちろん、ブルース! なんでこんなにこころも体も熱くなるのだろう。

2004年11月20日

シエナの蜂蜜 ベルナルド・ベルトルッチ「魅せられて」

17日に蜂蜜の話を書いたのだが、このページを愛読してくださっているというSさんから、おいしい蜂蜜についてのメールをいただいた。
この春旅行したシチリアでビスタチオの蜂蜜に出会ってから、蜂蜜に興味を持たれたそうである。そして最近のヒットはソバの蜂蜜で黒パンにつけて食べるとおいしいんだって。
さきに蜂蜜の話をしてくださったMさんは、ラベンダーのハチミツ、ウイスコンシン州の野草(ワイルドフラワー)のハチミツ、都内で唯一の養蜂専門店の桜の花みつ(皇居・千鳥が淵の桜の花から採取さらたみつが多いんだそう)をオートミールにかけた朝ご飯なんだって。
わーお、お二人ともおっしゃれやなぁ。わたしも蜂蜜に凝ろうかなぁ。とりあえず「ポラン」でマヌカ蜜でも買ってみるか。
それで思い出したんだけど、ベルトルッチ監督の「魅せられて」はイタリアのトスカーナにあるシエナが舞台だったように覚えているが、田園地帯にある彫刻家の家でミツバチを飼っていた。最後のほうでヒロインのリブ・タイラーが刺されて、そばにいた青年が池に連れて行き、刺された箇所に泥を塗ってやるところがあった。すごくエロチック&ロマンチックだった。

2004年11月21日

桂春団治さんの印象

今日は桂春団治を聴きにいくんだから寝過ごしたらあかんと、目覚ましをかけて起きたという気の入れようであった。朝ご飯をたっぷりと時間をかけて食べて出発。1時10分開演なのに12時過ぎには着いていた。ロビーで少々待っていたら受付となり、20人くらいの待ち人が席に着いた。わたしはもちろん、前から2番目の中央左寄り。あとは文庫本を読みながら待つだけだ。
田辺寄席全体については明日書くことにして、春団治さんの印象と考えさせられたことを書いておこう。
ほっそりとした春団治さんは、藤色の着物と羽織、羽織の紐と花菱の紋が鮮やかな赤という華やかな姿だった。羽織を脱いだとき、長い赤い紐がゆらめいてとっても優美。マクラがいつも同じ挨拶と聞いていたが、今日は田辺寄席30周年の祝いの言葉を述べられた。そして26年前に一度出たことがあって、今日は二度目になるそうである。
語り口や仕草になんとも言えない色気がただよう。これはもう若い者にも中年の者にも絶対ない絶妙な色気である。年を取るって素晴らしいなぁとしみじみ思わされた。単に年を取っているのではない、積極的に年を取っているから出てくる色気である。老年をこれから生きようとしている者にとって、希望の星であるが、そこへの登り道は険しい。

2004年11月22日

田辺寄席30周年記念落語会 〜三代目春団治師匠を聞く会〜

早めに行って本を読んでいたら、同じ思いの人ですぐに前のほうの椅子はいっぱいになった。そこへ舞台の入り口から顔を出した文太さんから「みなさん早いでんなぁ、もうちょっと待ってくんなはれ、まだ着替えもしえてぇへんがな」と一声あった。
今日の演目は、「開口0番・三題噺」桂文太、「チリトテチン」桂春菜、「八五郎坊主」桂春雨、「一文笛」桂春若、「無妙沢」桂文太、「高尾」桂春団治。
「三題噺」は三笑亭可楽からはじまったとされ、「弁慶、辻君、狐」が記録として残っているそうである。三題噺の落語は「芝浜の皮財布」(酔っぱらい、芝浜、財布)、「鰍沢」(夫婦、卵酒、膏薬)、「大仏餅」(大仏餅、新米の乞食、袴儀の祝い)などがあるとのこと、あわてて手帳に書きつけた。
「チリトテチン」は、豆腐の腐ったのにいろいろ混ぜて、町内のイヤミなやつに食べさすおなじみの噺。春菜さんはマクラのおふくろネタがおもしろかった。
「八五郎坊主」の春雨さんはひょうひょうとしていていい感じ。主人公の八五郎は「考えてみたらわたいほどつまらんもんおまへんで。親はなし、兄弟はなし、嫁はんはなし、子どもはなし、家はなし、仕事はなし、またそれをどうしょうという知恵はなし。もうこの上はいっそのこと坊主にでもなって・・・」ということで甚兵衛さんに紹介してもらって、下寺町のお寺の世話になる。自分の法名を忘れてしまって大騒ぎ。
「一文笛」はスリの名人の噺。駄菓子屋で仲間はずれにされた子がいたので、店から一文笛を盗んで子どもの懐に入れてやる。その子は笛を持っているのが見つかって叱られ、井戸に身を投げるが危うく命を取り留める。医者は助かる可能性はあるがお金がかかると言う。そのお金を調達するのにスリがしたことは・・・。実直な感じの春若さん。
「無妙沢」(元の噺は「鰍沢」、舞台を身延山から能勢の妙見山に)は、はじめて田辺寄席にきたときに聴いて、文太さんが演じる「おくま」にほれぼれした。今日は「三題噺」を伏線にしたこと、黒紋付で出てきはったことから、なみなみならぬ文太さんの意気込みを感じた。でもはじめて聴いたときのほうが良かった。ちょっと緊張してはったみたい。
「高尾」の春団治さんは自然体で優美。でも出だしはイロケのない長屋の独り者が、一人でおならをしてもつまらないって・・・大声で笑ったのはわたし一人だったが・・・。隣家の坊さんが夜中に読経しているのがうるさくてモンクを言う。坊さんは自分は元は武士で吉原の遊女高尾といい仲になったが、上役に知られて追放され、片や高尾は殿様の言いなりにならずに斬り殺された。僧になった男は高尾から贈られた香を焚くと高尾の姿が現れる。そのええ女ぶりを見た男は、自分も三年前に死んだ女房が出て来てほしいと・・・。
隣に座ったトルコ人(阪大で勉強中)のカップルがよく笑っていた。イルハンみたいなオトコマエと情熱的な美女のカップル、またここで会いましょうと言って別れた。

2004年11月23日

町内会

先月に続いて細野ビルヂングのジャズライブは、ドラム 岩本ヒロユキ、ベース 中島教秀、ギター 箕作元総、ソプラノサックス 平田葉子、ボーカル 東雲マリというメンバーではじまった。ホールいっぱいの客が入って元気なライブだった。今年は生演奏を聴く機会に恵まれている。音楽はやっぱり生でなくっちゃ。目の前で演奏される音を浴びて、とってもシアワセな気分になった。平田さんのソプラノサックスの音が先月聴いたのよりずーっと進化していたのがたのもしい。
細野ビルヂングのホームページを作っている関係もあって、ミュージシャンたちとも親しく話すようになった。当掲示板にも書き込みしてくださった人もいるし、新しい関係が広まってきた。堀江に住んでいるミュージシャンのお連れ合いが町内会みたいだと掲示板に書いてくださったが、ほんとにそうなるかも。今日は町内の美容院シュリットのお二人が、細野ビルの内部を見たいのと半々で参加されたが、来てよかった、とてもよかったと言ってくれたのがうれしかった。
その二人とライブが終わってから堀江に飲みに行った。Sさんの行きつけのバー「アブサン」はチャルカのすぐ近くで、客はほとんど外国人である。ボジョレ・ヌーヴォーを1本頼んで話しだしたら、二人のよくしゃべること、しゃべること。しゃべる、笑う、しゃべる、笑う・・・である。先日このページに書いた45歳で初産の話は大受けで、30歳になったばかりの彼女らにとっては、希望の星であるらしい。本人に伝えなくっちゃ。
みんな近くの住人なので時間を気にせずにいたら、たちまち3時間近い時間が過ぎた。若い女性がシガーをくゆらせていたのがかっこよかったなぁ。シガーを吸う女性を映画では見たことがあるけど、生で見たのははじめて。

2004年11月25日

マックが増えているらしい

サイトへのアクセスレポートをときどき見ている。どこからうちのサイトを見に来てくだっているかがわかって興味深い。その他に「訪問者のマシンとOS情報」という項目があるのだが、マックが37パーセント、その他がウィンドウズ各種である。あんまり気にしていなかったので、この項目を見たのは久しぶりなのだが、前に見たときは10パーセントくらいだった。そのときでもやっぱりうちはマックが多いと思っていたのだが、なんと今回は4割近くなのである。
それと関連があるのかわからないが、今朝の朝日新聞に「マック、大学の支持着々」という記事があった。東大などが導入していて、研究作業の効率化に一役買っているという。人気の理由は「Mac OSX」がUNIX環境で作動するからだそうだ。それに操作がわかりやすいこともあるらしい。
わたしはiMacでOSX10.3を使っているけど、その前にはずいぶん古いのを使っていた。だから半年経ったいまでも早さに感動しているくらいだ。愛機(hanako)の前で毎日快適なマック生活を送っているのがうれしい。ただ、いちばん愛用しているソフトのページメーカーがOSXに対応してなくて、クラシック環境で使っているのが残念。早くバージョンアップしてほしい。
相方はいまマック2台とウィンドウズ機1台を使っているが、OSXを手にする前には、次はウィンドウズと考えていたらしい。ところがOSXがUNIXであることから、もうマックで行くと言ってUNIXの世界にのめりこんでいる。
1987年11月に「可愛いからこれ」と決めてから丸17年、何台使ってきたかわからないくらいだが、マックあってのわたしの人生(笑)。

2004年11月26日

ファージョン作・ヴォーグ絵「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」

岩波少年文庫の「リンゴ畑のマーティン・ピピン」や「ムギと王様」で知られたエリナー・ファージョンの文章が、シャーロット・ヴォーグの絵で何倍にも生かされている大型の絵本。表紙は主人公エルシーと妖精の紳士淑女がなわとびをしている。本を開くと扉はなわとびをしながら山道に入っていくエルシーの後ろ姿である。両方とも淡いグリーンでとっても幻想的、これからはじまる物語はどんなかと期待で胸いっぱいになる。
ケーバーン山のふもとにあるグラインド村の貧しい家にエルシー・ピドックは生まれ、パンとバターの他になにもない晩ご飯を食べて育った。3歳のとき母親になわとびをしたいと言うと、まだ早いと言われる。エルシーは夜中にお父さんのズボン吊りでなわとびをする。見つけた父親は「生まれながらのなわとび上手だ」と言って、翌朝なわに木の柄をつけてやる。どんどんどんどん上手になって、6歳になったころは、その州のどの村にも知れわたり、7歳になったころはケーバーン山に住む妖精もエルシーの名前を知っていた。妖精の中でもなわとびの名人アンディが、エルシーのうわさを聞いて連れてくるように言う。そして弟子にして教えたので、ついには月を飛び越えるほどになった。
ということで、なわとびの快楽が楽しい文章になり、それに淡い色彩の絵が加わってとても美しい。しかし、物語はここにきて時間が経って100年後、三人目の領主の時代になっている。領主はケーバーン山に工場を建てる計画である。村人たちは最後になわとび大会をしたいと申し出る。その日、ケーバーン山に集まっ人たちはなわとびをはじめる。そこへ109歳になったエルシーが現れて・・・。
わたしはシャーロット・ヴォーグの絵本が大好きで結構持っている。「ネコのジンジャー」「イソップ物語」その他洋書絵本の、どの本にもネコが出てきてそれがとても可愛い。この本の絵を描くことになってケーバーン山を訪ねた彼女は「すばらしい場所だった。(中略)ここでは、魔法が生きている」と語っている(本書あとがき)。ほんと、この本を拡げると、ケーバーン山の神秘となわとびの悦びが伝わってくる。

2004年11月30日

ウイルキー・コリンズ「白衣の女」

分厚い本で上下2巻!よく読んだものだ。はじまりは今年のはじめにいただいたメールだった。当サイトを読んでくださったかたから、ミステリーは不案内だけど、自分の専門のビクトリア時代のウイルキー・コリンズ「白衣の女」は読んだとのこと。あら、まあ、わたしはウイルキー・コリンズは「ムーンストーン」(「月長石」という訳だった)しか読んでいない。しかも子どものときで多分抄訳だったはずだ。わたしの幼児期の記憶を掘り起こすと、コリンズ「月長石」とガストン・ルルー「黄色い部屋」が並んだ背表紙が目に浮かぶ。
今年中には「白衣の女」を読もうと決心したのだが、買おうかなと本屋で探したら2冊で5000円である。こりゃあかんわと図書館で借りたのが10月。なかなか読めなくて期間延長したが、まだ読めなくて返しに行ってまた借りて、期間延長してようやく読み終わった。ふーぅ!2カ月。明日は返却に行こう。
ウイルキー・コリンズ(1824〜1889)はディケンズと同時代の人で、二人はいっしょに旅をしたりしてとても親密だったそうだ。そして「ムーンストーン」は「最初にして最長、最良の探偵小説」とT・S・エリオットが書いていると本書解説にある。その割には忘れられた作家みたいなところがあるように思うんだけど、どうなのかしら。
わたしが知っている小説や映画では「ジェイン・エア」とか「フランス中尉の女」など女性が家庭教師になるのばかりだった。ここでは貧しい男性のウォールター・ハートライトが絵画の家庭教師となって、ロンドンからカンバーランドのリマリッジ屋敷へおもむく。その途中で出会ったのが白衣の女性で、精神病院から脱走してロンドンへ行こうとしている。よい出だしだ。屋敷に着くと主人は病身で傲慢な男だが、ウォールターを気に入って娘の教師として雇う。屋敷には二人の娘がいた。姉のマリアンは死んだ母親の最初の夫の子で醜くいし遺産もないが、頭脳明晰で性格がよくて、妹のことを心から思っている。ウォールターは美しい妹フェアリー嬢と相思相愛になってしまうわけだが、もちろん階級の壁があるのでただ思っているだけである。娘に縁談があったときに彼は屋敷を去ってロンドンに戻る。
さてそれから・・・その結婚相手が悪いやつで、またその陰には輪をかけて悪いやつがついている。フェアリー嬢は死んだことにされて精神病院に入れられ、財産は悪人の手に渡る。マリアンは病院から妹を救い出して、ウォルターとともに妹の夫とその黒幕を叩きのめすべく調査をはじめる。フェアリー嬢の死体とされたのは、最初に出てきた白衣の女性だとわかる。
という具合に、探偵とか警察でなく被害者が危険をおかして証拠を集めにかけずりまわる。暗いロンドンの街や田舎の教会や、以前に縁のあった人などへ聞き込みに回るが、尾行がついてたいへんである。
その一切がこまごまといろいろな人の手記として語られるのだが、いやー長かったです。

About 2004年11月

2004年11月にブログ「kumiko 日記」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

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