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2004年12月 アーカイブ

2004年12月01日

ウイルキー・コリンズ「白衣の女」続き

上巻の解説によると、「白衣の女」はディケンズの「二都物語」のあとに雑誌に連載され、連載が終わってすぐに三巻本として出版された。イギリスでは初版が発売日に売り切れ、アメリカでもすごい人気だったそうである。そして、もう一人の主人公、マリアン・ハルカム嬢の勇気ある行動と優しい心は、いろいろな人たちに賞賛されたという。ドロシー・L・セイヤーズは、コリンズはめったに不愉快な独身女性を描かなかったこと、自分から積極的に目的に向かって進んでいく、強い、断固とした、知的な女性を描いたこと、それはコリンズがフェミニストであったからだと言ったそうである。なるほど。
女性作家が描いた女性よりも理想化されていると思うが、いまから100年以上も前にこれだけの意志の強い女性を描いたコリンズはすごい。また少数でもイギリスは女性の強さが生かされる社会であったのだろう。オールドミスという生き方が認められていたんだから。
長いとかなんとかモンクを言いながらも、けっこうラブロマンスに引っ張られ、悪人たちの計略との闘いに引きずられた。後半から登場するフォスコ伯爵の魅力にも惹かれた。お正月にもう一度読もうかな。

2004年12月04日

ジョージ・クルーニー初監督作品「コンフェッション」

さっき、テレビでジョージ・クルーニー初監督作品「コンフェッション」を見た。一昨年の作品で当時はずいぶん話題になっていたのだろうが、すっかり忘れてしまっていた。放映前の解説で、クルーニーは脇役でジュリア・ロバーツが出るとか、ブラピがちょっと出るとか言っていたので、それなりに期待したが、期待以上におもしろかった。スタイリッシュな映画と言っていいかな。ジョージ・クルーニーいい感覚している。70年代アメリカのテレビ業界で、超有名な人気者のプロデューサー兼司会者のチャック・バリスの自伝を映画化したもの。
チャック(サム・ロックウェル)は60年代にテレビに目をつけ、テレビ局に番組の企画を売り込むが、下劣すぎると言われて、なかなか採用されない。バーで喧嘩をして憂さを晴らしている彼に目をつけた男(ジョージ・クルーニー)が声をかける。CIAの工作員になれと言い、有無を言わさず殺人の特殊教育を受けさせ、そこを出ると暗殺の旅に行かせる。最初の旅はメキシコシティ。テレビの視聴者参加番組で成功した彼は、テレビ局と殺し屋の二重生活をすることになる。1970年に西ベルリンで捕まってしまうが、KGBの諜報員とトレードされ戻ることができた。
ジュリア・ロバーツが女殺し屋でオシャレに極めていた。なつかしや、ルトガー・ハウアーがやっぱり不気味な役で出ていた。太りはったなぁ。「ヒッチャー」の怖かったこと!見た夜は怖くて眠れなかったっけ。製作総指揮のスティーブン・ソダーバーグは最初の監督作品「セックスと嘘とビデオテープ」が好きで何度も見たっけ。「エリン・ブロコビッチ」もよかった。

2004年12月05日

高津の宮、高津の富亭で桂文太の会

桂文太さんが毎月やっている「Amazing Bunta Club」という落語会に一度行きたいと思っていたが、VFCの例会日と重なるので行ったことがなかった。今月は日にちと会場が変わって今日の午後である。その上、田辺寄席サイトで毎月「演題解説」を書かれている中川桂さんが、ゲストで一席やられるというので行くことにした。
谷町9丁目は20年前には「伽奈泥庵」という茶屋によく行ってたし、10数年前に児童文学研究会「ホビットの会」に行ってたのだが、最近はすっかりご無沙汰している。方向音痴としては、駅を降りてすぐに聞くのが一番と「高津神社」への行き方を聞いたのだが、10人くらいは知らないのであせりました(笑)。結局そこですよと教えてもらって辿り着いた。ほんまにそこやった。
はじめて行った高津さんは落語「高津の富」で有名な神社である。神社の横にある「高津の富亭」は立派な日本座敷で、縁側からは外の景色を眺められる風雅な場所であった。
文太さんの噺は「Y」「Z」のつく演目の順番で「よもぎ餅」「善哉公社」、お楽しみとして「ちはやぶる」。それぞれ達者な芸で楽しめた。「よもぎ餅」は死人を漬け物樽に入れて「福島の羅漢前のどろがめ長屋」から堂島→堺筋→長堀→難波→日本橋→・・・と焼き場への地名を一気に言うのがなんともおかしい。「善哉公社」はぜんさいを食べに入った店が官庁経営で、ハンコがいったり、順番にしないといけなかったりと官僚制度を皮肉っていて笑えた。お正月前だから百人一首から「ちはやぶる」だったのかな。
中川さんの「いらち長屋」は素人ばなれした噺に驚いた。マクラも堂々としていてたいしたもの。長屋のいらちな男が、天王寺さんで人に囲まれた行き倒れの男を見て隣の留五郎だと言う。そして家にいる留五郎を連れて行ってお前の死体だと言い張る。自他ともに許すイラチなわたしとしては、エエカゲンな大阪のイラチのやり取りがおもしろかった。
途中、空が暗くなり時雨が降っているのがわかる座敷で、ゆっくり過ごした優雅な午後、とてもよかったです。

2004年12月06日

谷九を歩いていたら「カナディアン」の山田さんを思い出した

昨日は高津の富亭で文太さんと中川桂さんの落語を楽しみ、帰りは神社の中をちょっとうろうろした。初詣はここにするか、なんて考えたり。
それから坂を下って、千日前通に出る前にひとつ北の道を歩いて谷町筋に出た。なんだここはよく知ってるとこじゃん。伽奈泥庵(カナディアン)に行くとき通っていたやんか、となると、行きしは人に尋ねてだったのが、方向音痴のアタマの中に谷九の地図が立ち上がってきた。20年くらい前にしょっちゅう来て、アジア料理を食べチャイを飲んでいたんだもの。山田さんというかたが経営していた店で、谷町筋から地蔵坂を下る途中のマンションの地下にある。本当の土の土間に荒っぽい木のテーブルと椅子が置いてあった。山田さんは間もなく他へ移られたが、お店はいまもそのままあるらしい。
カナディアンはその前は南森町にあり、仕事でそっちのほうへ行くとよく寄って紅茶を飲んだ。山田さんとはあまりしゃべらなかったし、最後まで顔見知りというだけの間だったが、わたしがピースを出して吸うと(そのころはカッコつけてタバコを吸っていた)、女性で両切りタバコを吸う人は珍しいとほめてくれたことがある。たいして吸わないのに目立とうと思ってやっていたので、効果ありだったわ(笑)。
大正区に新しい茶屋を出されていたようだがわたしは行ったことがない。心斎橋あたりを歩いていて見かけたことがあった。帽子を粋にかぶって細い体にコートを巻き付けるように着ていた。ダンディな人だった。10年くらい前、偶然に会った友人から、先日亡くなりはってんと最後の様子を聞いた。まだ50歳にもなっていなかったんじゃないかな。大阪独特の紅茶の文化をつくられた人だった。
今日の献立
朝:リンゴ、ヨーグルト+メープルシロップ、カボチャスープ(残り)、野菜(タマネギ、エリンギ、ピーマン)と目玉焼き、紅茶、コーヒー。
昼:ピザ風パン、芋パン、ミルク、紅茶、みかん。
晩:焼酎湯割り、ポーチドフィッシュ(鮭)+カイワレ、ご飯、みそ汁(舞茸)、チンゲンサイの辛子マヨネーズ、切り干し大根、納豆、大根浅漬け、焙じ番茶。

2004年12月08日

パトリシア・コーンウェル「切り裂きジャック」

「白衣の女」を読み終わって、ビクトリア時代続きで読もうと思ったのだが当てが外れた。これは現代ものだった。そもそもミステリファンの姪が送ってくれなければ読むことはなかった本である。なんで読んだのか忘れたが、コーンウェルが大金を投じて(本書の「訳者あとがき」によると7億円にのぼるという)「切り裂きジャック」に挑むという記事があって、なんでそんなことをするのだろうと思ったものだ。この本を読み終わったあともその思いがある。ロンドンの闇夜に電気をこうこうとつけて照らし出したような感じ。わたしが「切り裂きジャック」に興味があるのは、ビクトリア時代後期の暗いロンドンの街と犯罪の物語だからである。
とは言え、さまざまな分野の専門家をイギリスに送って、DNA鑑定、紙の鑑定、コンピュータによる画像処理など、現代最先端の技術を駆使して調査した結果、画家のウォルター・シッカートを犯人と指名するにいたる。その決断には感心した。すごく詳しく「切り裂きジャック」と画家ウォルター・シッカートについて書いてある本です。

2004年12月10日

作/ボー・R・ホルムベルイ 絵/エヴァ・エリクソン「パパはジョニーっていうんだ」

同じエリクソンの絵本「パパが宇宙を見せてくれた」といっしょに図書館で借りたのだけれど、断然こっちが好き。こんなにぐっときた絵本は久しぶりだ。作者と画家はともにスェーデンの人である。
ティムという少年が寒そうに駅のプラットホームに一人立っている。彼はこの秋から母親とこの町に住んでいる。母親は息子を連れて来て、ここに立っているように言って帰ってしまった。やがて列車が入ってきてパパが降りてくる。今日は一日パパと過ごすんだ。ホットドッグを買うとお店のおばさんに「ぼくのパパだよ。ジョニーっていうんだ」と告げる。それから映画に行くと切符を受け取るおじさんにも言い、ピザ屋のお兄さんにも言い、図書館のお姉さんにも告げる。こうして楽しい一日が過ぎていき、夕方別れのときがくる。暗くなったプラットホームに立っているとママが迎えにくる。
これだけのことなんだけど、落ち着いた色調に人間の孤独が浮かび上がる。なぜか別れることになった夫婦の子どもへの愛が浮かび上がる。ティムってほんとにけなげな子だ。「パパはジョニーっていうんだ」とティムが言うたびに涙が出そうになった。

2004年12月11日

ひよこ豆の朝食

ひよこ豆(ガルバンゾー)が好きでよく食べる。おいしくて姿がよい。たいてい水煮の袋入りか缶詰を買っていた。袋入りはちょうどよい量でカレーでもスープでもすぐ使えて便利だが、値段が高い(1袋290円くらい)。缶詰は袋の2倍は入ったのが奉仕品で200円だったのでたくさん買ってあった。先日それが切れたので、買いに行ったら両方ともなくて、仕方なしに乾物を買った。あれ、いくらだったっけ? 安いなぁと言っていたっけね。
水につけておくのが面倒くさくてなかなか使わなかったが、明日の朝はひよこ豆のカレースープにしようと決めて昨夜水につけておいた。考えたら(考えるほどのこともないが)簡単なことである。300グラム入りの半分を使ったら水を吸って、たいした量になっていた。その半分をカレースープに使い、残りを袋に印刷してある食べ方「ひよこ豆とホウレン草のオリーブオイル煮」にしてみた。
水に一晩つけた豆を茹でて水を切っておく。ホウレン草はさっと茹でて5センチに切る。両方を鍋に入れ、オリーブオイルとレモン汁を入れて10分ほど蒸し煮にする。塩とこしょうで味付けして出来上がり。作るのがカンタンでおいしくて申し分ない朝食となった。
今日の献立
朝:リンゴ、ヨーグルト+蜂蜜、カレースープ(ひよこ豆、ニンニク、タマネギ、ニンジン、セロリ、エリンギ、スープストック)、ひよこ豆とホウレン草のオリーブオイル煮、紅茶、コーヒー。
昼:黒豆入り餅、焙じ番茶。
おやつ:上菓子、煎茶。
晩:麻婆豆腐丼、レタス+コールスロー、糸コンニャクのピリ辛炒め、焙じ番茶、もなか、みかん。

2004年12月12日

時空を超えて

亡父の四十九日ということで千里の兄の家に行った。地下鉄の千里中央で降りて北改札口を出ると広い階段がある。下の方の数段分が左右に広がっているので、わたしはいつものように手すりを持とうと左へ寄ろうとした。そのとき階段の三段目くらいに立っている男の人の姿が見えた。あれっ、おやじにそっくりな人がおるやんと目を凝らした。茶色いジャンパーにベージュのズボンで茶色いベレーを冠っている。父の30年くらい前のスタイルだ。よく似ているなぁ、だれか待っているのかなぁと思いつつ、左に寄ったので視界から消えた。階段の広がったところからまっすぐなところまで上がって、見上げたらその人は消えていた。
あれっと思って階段を昇りつつ目を配ったが、降りていってはいないし、昇りきって辺りを見回したがいない。相方が地下鉄に乗っている間に読んでいた本の話をしていたのだが、わたしがうわの空なので、なにをキョロキョロしてるんやと聞いた。「オヤジがあそこに立っとった、迎えに来てたんかな」。そういえば、30年くらい前に千里に引っ越した当時、わたしが遊びに行くと、駅まで迎えに来てホームを見下ろしていたっけ。
千里の道はわたしにとっては数少ない自然と接する場所である。トネリコの並木はもう落葉していた。ナナカマドの実がなっている庭があった。カラスがたくさんいた。
四十九日の集まりは和やかだった。父にとって子ども孫ひ孫に当たる人間たちが、飲んで食べてしゃべって笑っていた。柴藤のお弁当がおいしかった。
兄から太平洋戦争のときの話が出た。大阪西区新町に住んでいたが、大阪大空襲のとき、焼夷弾で家を焼かれて命からがら逃げ、白髪橋(しらがばし)のたもとで一夜を明かしたそうである。翌朝、東のほうは火の手が見えないので末吉橋まで行って、そこから北へ向かい十三(じゅうそう)の橋を越えて、三国の橋を越えて、父の勤務先の寮がある豊中まで歩いた話は何度も聞いていたが、今日はじめてその詳細を聞いた。父は東京に住んでいるときに関東大震災にあい、大阪へ来て大阪大空襲にあい、食うや食わずの戦後の時代に7人の子どもが成人した。最後の45年間は兄の家で安泰に暮らし107歳で死んだ。

2004年12月13日

阪急百貨店のショーウィンドウ

昨日の帰りは雨が降る中、いただきものが入った紙袋を提げながら梅田で地下鉄で降りた。ヨドバシカメラでパソコンの消耗品とネット雑誌を買った。いつも混んでいるけど、昨日はまた格段の混みようだった。屋外コンサートで大雑踏の中、傘をさして阪急百貨店のほうへ渡って、ショーウィンドウの「リサとガスパール」(撮った写真をトップに載せました)を見た。
この絵本はだいぶ前から可愛いなと思っていたが、自分で持つには子どもっぽすぎるように思えて、本屋へ行くといつも立ち読みしている。いかにもフランスという感じのあか抜けた絵本である。ショーウィンドウは8ページの絵本という構成になっていて、絵本と同じ色合いの背景と小物と登場人物に感心した。
絵本が立体になっていて動く仕掛けがおもしろいので、毎年ではないけど、けっこう見に来ている。数年前に女装の男性と知り合ってお茶したことがあって、彼女に引っ張られてここにきた。彼女がピーターラビットかなんかに夢中になっているのを、通る人がいぶかしげに見ていた。最後までつきあってくれる人はあまりいないと感謝されたっけ。
梅田は広い。阪急から大阪駅前第一ビルまでは遠い。地下の商店街を通って行ったが、いろんなお店があるもんだ。シャーロックホームズに辿りつき椅子に倒れこんでほっとした。あとはギネスで疲労回復。今日はプールに行って体調を整えた。
今日の献立
朝:バナナ、ヨーグルト、キャベツのミルク煮、ハムと野菜(ジャガイモ、タマネギ、エリンギ)炒め、フランスパン+蜂蜜、紅茶、コーヒー。
昼:フレンチトースト、紅茶、柿。
晩:焼酎湯割り、鯖の煮付け、ほうれん草のお浸し、ご飯、みそ汁(なめこ)、糸コンニャク(残り)、奈良漬け、梅干し、焙じ番茶、お饅頭。

2004年12月15日

「田辺寄席世話人会」事務局、放火火災にて焼失!!

このショッキングなお知らせを、今日「田辺寄席サイト」にアップしました。
13日の「毎日新聞」夕刊に「徹夜の善意“実る”」という記事が大きく載ったので、知っているかたもいらしゃるでしょう。記事の内容は、放火により大久保書店が半焼したことと、田辺大根フェスタのイベント用の品物を近所に住むスタッフたちが焼け跡から持ち出して乾かし、一夜明けた日曜日にはイベントが無事開催できたというものでした。
しかし、商品である本は1冊も助けられませんでした。
わたしは12日の夜、外出から帰ってすぐに電話でこのことを聞き、返事のしようもありませんでした。知り合いが経営している店が放火されたなんて、ほんとにもうなんと言ったらいいのでしょう。ただサイトに出している連絡先を変更しただけでした。
そして今日はトップページに「田辺寄席世話人会」事務局、放火火災にて焼失!!という文章をアップしました。
「田辺寄席世話人会」の事務局があった大久保書店は、創業70年の老舗古書店です。近鉄今川駅前にあって、わたしは二度行ったことがあります。古びた店に本がびっしりとありました。そして大久保さんが座っているまわりには、田辺寄席関連の資料が詰まっていました。古書店には子どものころから出入りしているわたしですが、あれだけぎっしりと本がある店はそんなにありません。あの本たちが焼けたり水をかぶって読めなくなったと思うと・・・なんと言ったらいいかわかりません。

2004年12月17日

柴田文彦「 Macintosh Museum 」

先日ヨドバシカメラの書籍売り場で見かけて衝動買いしてしまった。いちばん最初からいままでのマックが、順番に整理されて写真つきで載っている。写真の下には詳細なスペックがあって、あのとき買ったマックはいくらしたっけ、というときにも便利だ。これ買ったとか、これが欲しかったけど買えなかったとか郷愁を誘う。わたしがいま使っている iMac は「最初で最後? 半球形の本体を採用したマシン」というタイトルである。
いちばん最初にあるのは「 Macintosh 128k 」で、これからはじめたという人をわたしは一人知っている。残念ながらわが家は2番目の「 Macintosh plus 」から始まっている。「 System 1.0〜6.0」(1984〜1991)という項目があり、「OS」の前は「 System 」と言っていたっけと思い出した。その説明のあとが、すべてのパーソナルコンピュータの原点「 Alto 」(1973)である。おもちゃ箱のような「 Apple I 」(1976)はアップルの出発点である。そしてかかわった人たちのことが詳しくわかるページになり、章を変えて「 Power PC 搭載期」となる。最後は現在の OS X になり、そのあとに PowerBook シリーズの説明がある。
とてもきれいな本でページをめくるのが楽しい。だれがこんな本を書いたのかと思って表紙を見たら、小さい文字で「柴田文彦 著」とある。あれ、この人知っている。「VFC Search 」で調べたらすぐに出てきたのでリンクしておきます。2003年3月6日に「 Mac OS 進化の系譜」という本を紹介していたのだ。(アスキー 2,800円+税)

2004年12月19日

今日も元気で田辺寄席

事務局が火事にあっても寄席はやるという姿勢がうれしいし、また高座ではその話はしなという配慮があって、いつも通りの楽しい寄席だった。
1時間ほど早く行って、自分で決めている椅子に座った。うしろに座った夫婦が前に大きな人がいたら見えへんから、小柄な人の後ろがよいと言っている。あまり前過ぎるのもいやなのだろう。わたしが後ろを向いて「わたしの後ろなら大丈夫ですやろ」と言ったら「そうですねん」と答えがあった。そこから話がほぐれて、「事務局が放火で大変でしたなぁ、メールで火事見舞いを出しましてん」と言うので、名前を聞いたら火事の後すぐにメールがきた人だった(田辺寄席宛のメールはわたしが受取人)。「えっ、おたくがすぎやさん?」ということで話がはずんだ。露の五郎師匠のことを「芝居噺の名人だっせ」と言い、今日の演題「中村仲蔵」の詳しい解説もしてくれた。
中入りには庭で田辺大根の汁が大鍋で振る舞われた。うまいし温まるし、気持も温まった。
帰りに大根汁の音頭をとっていたTさんに「ごちそうさま、おいしかったわ」と礼を言ったら、「よっぽどお腹が空いてはったんやなぁ」と返された。すぐに「いつも粗食やさかい・・・」と返したがちょっとはずれてるなぁ。この勝負、わたしの負けやな。「一食助かりましたわ」と言うたらよかったかな。
大阪で暮らす幸せを実感した一日でありました。肝腎の落語の話は明日書きます。

2004年12月20日

田辺寄席30周年記念落語会 〜五郎師匠の「中村仲蔵」を聞く会〜

露の五郎師匠の噺はテレビでさえ聴いたことがないので、どんなかと楽しみで早くから出かけた。今日は文太さんのお嬢さん(中2)がお茶子さんとなって、めくりをめくったり座布団を裏返したりの動きがういういしく可愛かった。
今日の演目は、「開口0番・笑福亭代々」桂文太、「商売根問」露の吉次、「へっつい盗人」露の団六、「厩火事」桂文太、「小噺と百面相」露の団四郎、「中村仲蔵」露の五郎。
「笑福亭」の由来の話などの後に、松鶴を継ぐのはだれか名前をあげるから、これと思う人に拍手をという趣向。わたしは他の人を知らんので鶴瓶さんにしておいたけど、少なかったような。
「商売根問」は怠け者が説教される会話がおもしろかった。若い吉次さんが元気な声で「今お前はどこに居てるんや」「あんたの前に座ってますやないか」というような調子で延々と続く。
「へっつい盗人」は、アホな二人の男が宿替えの祝いにへっついを贈ることになったが、当然のことながらお金がないので盗みに行く。
文太さんの「厩火事」はすごくよかった。あちこちの家を廻り髪を結う仕事のおさきさんが、知り合いの旦那の所に行って、家にいる年下の亭主のグチを言う。旦那はモロコシの国の孔子の例をひいて説教をする。厩が火事になり孔子が大事にしていた白馬が死んだというのが、タイトル「厩火事」の元になっている。なんだかだと言っても結局亭主に惚れているおさきさんは家に帰る。素直に笑っておしまいにならないこわい噺。
中入りがあって、「小噺と百面相」は「向こうから坊さんがきた」「そう」という単純な小噺をたくさんしたあと、ちょっとした小道具を出して、大黒さん、えべっさん、宇宙人、中国娘などになってみせる。笑いまくった。
最後はお目当ての露の五郎師匠「中村仲蔵」である。仲蔵は歌舞伎役者で努力の甲斐あり名題に出世するが、その一回目の役が「忠臣蔵」五段目の斧定九郎に決まる。それまでの定九郎は山賊のような風体に決まっていたのでがっかりする。ある日、雨宿りに入ったそば屋で浪人者を見かけて、これとばかりにそのスタイルを取り入れ定九郎を演じて成功するという噺。五郎師匠は前置きなしですぐに噺に入り、斧定九郎という役柄そのままに暗い感じで演じきった。夏だからというんで裏をはがした黒紋付、破れた傘をさしていたがために濡れた着物の裾や袂をしぼるかたち、酒の飲み方、金の払い方。そば屋に入ってきた浪人者の描写がすごかった。終わったときはいつまでも続く拍手がなりやまなかった。

2004年12月22日

おさるのニルちゃんがやってきた

わが家では「薔薇の小部屋さん」と呼んでいるMさんは、雑誌「薔薇の小部屋」を検索してこのページに来られ、それ以来楽しいメールが行き来する間柄になった。東京散歩のメールが特に楽しい。玄米レストランや雑貨店や文具店や美術館など、わたし好みの場所ばかりなのである。そしてある時代の匂いを知っている者どうしとして、「文化屋雑貨店」がまだあるとか聞くのも楽しい。映画の好みも似ている。メールだけでなくレターセットじまんの手紙も出し合っちゃったりして。
今日は美容室シュリットに行くため下に降りて郵便受けを開けると、Mさんからの太った事務封筒が郵便受けに入っていた。手触りが柔らかい。そのまま持ってお店に行った。これちょっと開けるからと封を開けると、おさるさんのぬいぐるみが入っていた。「長靴下のピッピ」で、ピッピが連れていたさるのニルソン氏にそっくり。さっそくニルちゃんと名前をつけてやり、雑誌を置く台に座らせてやった。Iちゃんは長い手足をつないで背負って、このままどこかへ行ってみようかなんて言う。師走の一日、おおいに皆さんを楽しませた。今夜から抱いて寝てあげよう。
今日はシュリットに新人がいた。パンク!って感じの髪型と服装の男の子で「ボクのこと見て引きませんか」と聞く。「パンクの男の子ならいっぱい知ってたよ」と返事したら喜んで話がはずんだ。クラッシュのジョー・ストラマーやセックスピストルズのシド・ビシャスが同時代だったということをすごく羨ましがられてしまった。びっくりー!いま、彼のいちばん好きなのはイギー・ポップなんだそうだ。

2004年12月23日

文学少女の生き方「めぐりあう時間たち」

ヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」を主題に、三人の女性の生き方を描いたマイケル・カニンガムの「 The Hours 」(映画の原題も)の映画化である。もちろんテレビで見たのだけれど、すごくよかったし考えさせられることがたくさんあった。
ヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)が夫に遺書を残して入水自殺をするシーンからはじまる。そして次は1951年のロサンゼルスの主婦ローラ(ジュリアン・ムーア)が「ダロウェイ夫人」」を読んでいる。子どもが一人おり、もう一人を身ごもっている。第二次大戦からもどった夫は妻をいたわっているが、妻の孤独感は深まるばかり。そして現代のニューヨーク。クラリッサ(メリル・ストリープ)は出版社で編集の仕事をしており、サリーという女性と人口受精して産んだ娘と暮らしている。この日、クラリッサの昔の恋人で、ずっと世話をしているゲイでエイズにかかっている詩人・作家のリチャード(エド・ハリス)が文学賞をもらったので、パーティを開こうとしている。リチャードはクラリッサをミセス・ダロウェイと呼んでいる。
この生きている時代が違う三人の行動が一致するとき映画のシーンが切り変わる。ヴァージニアは訪ねて来た姉に長いキスをし、ローラも訪ねてきた友人に度を超えたキスをする。そしてクラリッサはサリーと愛のキスをする。ヴァージニア・ウルフは男性と結婚していたがレズビアンでもあった。そのことをふまえているわけだ。
わたしはこの映画のいちばんのテーマは“文学少女の生き方”だと思う。ヴァージニアは執筆にかかると自分と作品の登場人物と二つの人生を生きることになる。そのために主婦の役目がこなせず女中を怖がっている。ローラは二人目の子どもを産んだあとすべてを捨てて家を出た。クラリッサの住まいに登場した老年のローラは「ほかに方法がなかった。あの暮らしは死だった。私は生を選んだ」と言う。クラリッサの場合は彼女ではなくリチャードが文学少女なのであった。
音楽がとてもよかったので、最後のタイトルに目を凝らしていたらフィリップ・グラスだった。

2004年12月28日

「人生は“勝ち負け”じゃない」と田辺聖子が言った

ちょっと前(12月21日)の朝日新聞の広告(酒井順子「負け犬の遠吠え」講談社)についていた田辺聖子さんと酒井順子さんの対談がおもしろかった。田辺さん曰く「負け犬は百人おれば百態あるんだけれど、勝ち犬の生態は一つだけなのね。子どもを見せびらかしたりして」。これって、トルストイかだれかが言っていた「不幸な家庭はさまざまだが、幸福な家庭はそれぞれよく似ている」といっしょやん。また「私はこれでええねん、ほっといてんか」これが言えるかどうかだとも言うてはる。田辺さんは「負け犬の遠吠え」を読んで笑い通しだとおっしゃってるが、わたしはこの対談を読んで笑い通しだった。「小説って、せっけんやタオルのように人生でざぶざぶ使うものよ」という言葉もとても新鮮だった。人生の達人やな。
わたしもこの分類でいくとどうやら負け犬らしいけど、つまらないことを考えたり怒ったりしたら損やもん、わたしはわたし。楽しんだほうが勝ち。

2004年12月29日

三人の作家

谷崎潤一郎「細雪」を開くと、四人姉妹(鶴子、幸子、雪子、妙子)を中心に、幸子の娘の悦子、女中の春、美容院経営者の井谷と、さまざまな女性たちが作品の中に生きていて動き出す。ものの言い方、着物の着こなし方などの細かい描写が素晴らしい。お上品でありながら下卑たところもある、慎ましやかなのにあけっぴろげであり計算高くもある女たちの姿が見えてくる。
「あっ、この感じは」と思い出した。舟橋聖一「ある女の遠景」だ。そして川端康成の「山の音」だ。なんでこの三人が好きなんだろう。
その他には、そうそう「蜻蛉の日記遺文」の室生犀星がいるがちょっと違う。堀辰雄もちょっと違う。夏目漱石は時代は古いのにもっと近代的な感じがする。
「細雪」を読み終えたら考えよう。いま下巻の真ん中へんです。

2004年12月31日

「細雪」の映画

ここのところ毎日「細雪」のことを書いている。読み出したら引きずりこまれて、今日は忙しいのに最後までいってしまった。この前に読んだと思っていたが震災前だった。震災から10年経ったから10年以上読んでいなかったことになる。
覚えていると思っていたが、それは映画を見たからだろうか。市川崑監督の「細雪」(1983)では、四人姉妹はたしか幸子に佐久間良子がなっていたと思うがあとは覚えていない。そこへ吉永小百合が雪子だったとSさんがメールで教えてくださった。Sさんも吉永は健康的過ぎたと書いてはったが、わたしも雪子を演る柄ではないと思う。船場のいとはんで、洋画が好きで白葡萄酒をたしなむ雪子と全然違う人やった。そう言えば貞之助を演っていた石坂浩二もへんやった。「細雪」のパロディみたいな映画やったなぁ。絢爛たる桜ではじまるところだけがよかったけど。この時代に「細雪」を映画化したらこうなるのか。
子どものときに見た白黒映画はよかった。花井蘭子の鶴子、轟夕紀子の幸子、山根壽子の雪子、高峰秀子の妙子、と覚えているところが我ながらすごい。それでちょっと調べたら、1950年製作で監督が阿部豊で脚本が八住利雄だった。「細雪」に書かれているのは、太平洋戦争前の戦争の足音が聞こえる時代である。ひとときの平和な良き時代を生きる四姉妹の姿が華やぐ。それから日本は戦争に突入し敗北した。その数年後に製作された映画だから、滅びゆく階級への感傷のようなものがあった。大阪船場の黒光りした家に別れを告げる花井蘭子の鶴子の古風な物腰、華やかな芦屋マダムの轟夕紀子の幸子、山根壽子の雪子は地味だが存在感があった。高峰秀子の妙子が生き生きしていたのは、製作された戦後の時代を象徴していたからだろう。
雪子の絢爛たる花嫁衣装が飾られた部屋へ、妙子はひっそりとバーテンの三好のところへ持って行く荷物を引き取りに行く。しかし、雪子のそれからの暮らしが順風満帆ではないのを観客は知っている。そういうことを踏まえた脚本だったのが子どもの心にも感動を与えたのだろう。

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