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時空を超えて

亡父の四十九日ということで千里の兄の家に行った。地下鉄の千里中央で降りて北改札口を出ると広い階段がある。下の方の数段分が左右に広がっているので、わたしはいつものように手すりを持とうと左へ寄ろうとした。そのとき階段の三段目くらいに立っている男の人の姿が見えた。あれっ、おやじにそっくりな人がおるやんと目を凝らした。茶色いジャンパーにベージュのズボンで茶色いベレーを冠っている。父の30年くらい前のスタイルだ。よく似ているなぁ、だれか待っているのかなぁと思いつつ、左に寄ったので視界から消えた。階段の広がったところからまっすぐなところまで上がって、見上げたらその人は消えていた。
あれっと思って階段を昇りつつ目を配ったが、降りていってはいないし、昇りきって辺りを見回したがいない。相方が地下鉄に乗っている間に読んでいた本の話をしていたのだが、わたしがうわの空なので、なにをキョロキョロしてるんやと聞いた。「オヤジがあそこに立っとった、迎えに来てたんかな」。そういえば、30年くらい前に千里に引っ越した当時、わたしが遊びに行くと、駅まで迎えに来てホームを見下ろしていたっけ。
千里の道はわたしにとっては数少ない自然と接する場所である。トネリコの並木はもう落葉していた。ナナカマドの実がなっている庭があった。カラスがたくさんいた。
四十九日の集まりは和やかだった。父にとって子ども孫ひ孫に当たる人間たちが、飲んで食べてしゃべって笑っていた。柴藤のお弁当がおいしかった。
兄から太平洋戦争のときの話が出た。大阪西区新町に住んでいたが、大阪大空襲のとき、焼夷弾で家を焼かれて命からがら逃げ、白髪橋(しらがばし)のたもとで一夜を明かしたそうである。翌朝、東のほうは火の手が見えないので末吉橋まで行って、そこから北へ向かい十三(じゅうそう)の橋を越えて、三国の橋を越えて、父の勤務先の寮がある豊中まで歩いた話は何度も聞いていたが、今日はじめてその詳細を聞いた。父は東京に住んでいるときに関東大震災にあい、大阪へ来て大阪大空襲にあい、食うや食わずの戦後の時代に7人の子どもが成人した。最後の45年間は兄の家で安泰に暮らし107歳で死んだ。

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2004年12月12日 11:07に投稿されたエントリーのページです。

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