1月23日に神戸で行われたシンポジウム「多元的な記憶を伝えるために」で提言された、「体験を〈分有〉すること、そして体験の記憶を他者にゆだねること」、また「記憶を他者にゆだねるということは、自らを差し出す弱者の立場に立つことだ」ということを考え続けている。
昨日の夜、教育テレビの音楽番組をつけたら五嶋みどりのインタビューをやっていた。つけた途端だったのでメモをし遅れたのだが、現代音楽を子どもたちのために弾き、その演奏を子どもたちが受けとめてくれたこと、そのことによって、五嶋みどりは子どもたちと気持ちを分かち合えたと言っていた。そうなんだ、五嶋みどりは伝えたんじゃなくて、分かち合えたと感じたのだとわかった。
こういうことで、わたしの〈分有〉ということに理解も深まっていくみたいだ。震災にかかわる人たちと音楽家と、偶然のようだけど「いま」の空気を吸って活動している人の「いま」の感覚なんだよね。
また、「自らを差し出す弱者の立場に立つ」ことは、弱い立場に立つからこそ強くなれるのではないかと考える。「弱いから好き」(「あの人、弱いからきれい」「あの人、弱いから好き」「あの人、弱いからセクシー」〈当ページ2004年10月〉)と長沢節さんは書き残されたが、弱い立場からものを言う人こそ強いとわたしは思う。