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377回田辺寄席(2005年7月17日)

去年から続いた30周年記念の〈春之輔師匠の「もう半分」を聞く会〉に2月に行って、3月の〈鶴瓶師匠の「らくだ」を聞く会〉を休んでから、ずっと休みっぱなしだった。今日は文太さんが二席やるから行かなくちゃと、お昼ご飯を早めに食べて出かけた。はじまる15分前に着き5列目くらいに座れたんだけど、前にでかい人が座っていて見にくい。中入後に隅っこの一番前が空いているのに気づき席替えした。ほとんど横から見たという感じ。
演目は、「開口0番・出囃子」桂文太、「手水廻し」林家染太、「越の海勇蔵」旭堂南青、「寝床」桂文太、〈中入り〉「ちしゃ医者」笑福亭仁昇、「袈裟茶屋」桂文太。
「出囃子」では下座の太鼓に合わせて文太さんが笛を吹き、いろいろな師匠の出囃子を実演した。出囃子は上方で古くからあったが、大正時代の後半に東西交流があり、東京が取り入れたそうである。
「手水廻し」は大阪者が田舎の旅館に泊まって、手水を廻してくれ(洗面道具を持ってきて)と言ったのを、長い頭を廻すと誤解する噺。
「越の海勇蔵」は大横綱谷風時代、柏戸が地方巡業の折りに頼まれて相撲志望の勇蔵を預かる。越の海のしこ名も付けたが、あまりにも小さいので雑用係のまま。谷風が稽古をつける日に、偶然相手にしてもらい、力を認められる。越の海は小さいながら関脇まで出世したという。南青さんはまっ黄色の着物でとても男前。
「寝床」はご存知義太夫好きのダンナのためにみんなが迷惑する噺。「そこはわたしの寝床です」と小僧さんが言うオチの言葉を、大家族のわが家ではよく使って笑ったものだ。
「ちしゃ医者」はヤブ医者を呼びに行くと、カゴに乗って行くと言う。底が抜けたカゴに棒を渡して乗っていくと、途中でもう医者はいらなくなり、もどろうとすると、肥汲み屋がやったきた。肥といっしょにカゴに乗るはめになった医者がはちゃめちゃになる噺。
「袈裟茶屋」は松島の女郎屋に遊びに行くのに、よその町内の趣向を知って、負けじと考えたのが、錦のふんどしをして乗り込むこと。さてどうしたものかとキーやんが嫁さんに相談すると、おサキさんは坊さんの袈裟を借りたらよいと言う。袈裟をふんどしにして松島で大もてのキーやん。
今日は文太さんが3回も出てきはってまんぞく。

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2005年07月17日 17:38に投稿されたエントリーのページです。

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