久しぶりに海野弘氏の本を買った。著書の「プルーストの部屋」と訳書の「ハリウッド・バビロン」の2冊は大切にしているが、読んでいる割りに持っている本が少ないのは、読んだあとは古本屋行きが多いからだ。今回も最初はおもしろかったのだけれど、3/4くらいまできたら読んでしまえばもういいやと思うようになった。それに表紙がね、買うのをやめようと思ったくらい。いかにもホモセクシャルは軟弱みたいなイメージで内容ともそぐわない。
最初は世界史に疎いので、ホモセクシャルの歴史とともに世界史でもあるのがありがたく興味深く読んだ。そして、ああ、あの王もそうかなんて余裕をもって読んでいたわけ。いざ20世紀になって、ハリウッドのとこらへんまできたら、いちばん興味があるはずなのに、だんだんどうでもええやんかと思うようになった。なぜかと考えたら、こういうことに外側から興味を持ってもしゃあないんやね。それよかプルーストを、ジャン・ジュネを、コクトーを、エドマンド・ホワイトを、読むべきなのだ。ボールドウィンの「もう一つの国」100ページを開いて、パリの街を歩く男がやがて恋人になる男に声をかけるシーンを読んだらいいのだ。そして難しそうだからって敬遠してきたミシェル・フーコーの「性の歴史」を読まなきゃ。
わたしってディレッタントまがいみたいなところがあってヘンにこういう本を読みたいときがある。いやいや、あったと言い換えよう。この本を読了して、時代もわたしも変わったと実感した。解説はいらない。読みたいのは、本人(当事者)の言葉。インターネットがあるんやから。(文芸春秋 3200円+税)