今年もまた大阪西区にあったわが家が、空襲で焼かれた日が近づいてきた。1945年3月13日の深夜から14日の明け方にかけ、B29の攻撃を受けて家は焼け落ち、わたしの家族は命からがら逃げた。それからもう61年経つ。
その空襲で助かった上の兄から、朝日新聞社主催の大空襲の講演会に2人分申し込んだから行こうと誘いがあった。わざわざ申し込んでまで出かける気はなかったけど、券があるなら興味はなくもない。場所はまだ行ったことのない森ノ宮の「ピースおおさか(大阪国際平和センター)」である。ぞくぞくと会場に入っていくのは、ほとんどが戦争の体験者と見受けられた。
東京大空襲については早乙女勝元さん、大阪大空襲については小山仁示さんの話があり、休憩をはさんでお二人の対談と聴衆からの発言があった。
東京には空襲被害に関しての公的機関がないそうで、早乙女さんが館長を務めている「東京大空襲・戦災資料センター」は募金で活動を開始した民間のものである。お話はそこで製作されたビデオを中にはさんで行われた。ビデオの中心は今井正監督の最後の映画「戦争と青春」(1991)の空襲シーンである。原作が早乙女さんで、工藤夕貴が主演。東京大空襲のありさまがすごい迫力で再現されているものだ。
大阪もビデオが中心で、占領軍が空襲の1年後に撮った記録フィルムである。大阪の中心部が焼け跡になっている風景がずーっと映し出されていく。御堂筋のガスビルは目立たないように黒く塗ってあり空襲から逃れている。ここの地下室にわたしの姉は逃げこんで命拾いしたのだ。
お二人の対談の合間に「大阪大空襲を語る会」代表の女性が話された。当時15歳で、土佐堀川と堂島川に沢山の遺体を見たそうだ。満潮時には中之島のあたりまで見えたそうだ。また木津川には色とりどりの着物が浮かんでいたのだが、よく見ると松島遊郭の遊女の遺体だったそうだ。また、話すと後が疲れてと言いながら、目の前で両親が焼夷弾を受けて死亡し、自分も障害を負った女性は、語り継がねばという思いにかられて語り出したという。
そういう言葉を受けて、早乙女さんと小山さんは去年くらいから運動が盛り上がってきたことを受け、「語るしかテがない」「追体験をなしうるか」「経験者は語る義務があり、知らない者は語られることを聞く義務がある」等、説得力のあるお話をされた。
小山さんは旧知の人である。数年前に東住吉区で行われた疑似原爆の講演会に行って、何十年ぶりの挨拶をした。今日は少し足腰が弱っているような印象を受けたが、言葉は明晰だしユーモアがあったし説得力があった。つまらないことを言った人を小言幸兵衛さんみたいにたしなめたのには笑った。いつまでも元気で頑張ってほしいです。
その後は梅田へ出て阪神百貨店で買い物。相方とシャーロックホームズで待ち合わせ、ギネスを飲んで晩ご飯を食べ、難波へ出てツタヤでビデオを借りて帰った。わたしとしては長い外出だったので疲れた。