新ハムレット上演実行委員会(劇団G:フォレスタ)の主催による〈西洋かぶれver11.5 太宰治「新ハムレット」〉を見に行った。芝居を見るのは久しぶりだ。最後に見たのは「維新派」が「日本維新派」といっていたころからだからずいぶん昔の話である。それまでは能、歌舞伎(前進座も)、文楽、バレエ、新劇、アヴァンギャルトと見まくっていた。あるときから映画とジャズになり、最近は映画も見なくなって、いまに至る。
今日も積極的に見ようとしたのでなく、実は細野さんにご招待を受けたのだ。細野ビルがすぐ近くだし、細野ビルの特殊性をどう芝居に活かすか見るのも興味があった。
さて、行ってみるとけっこうな人たちが集まっている。部屋の真ん中の空間が舞台になる。両脇に2列椅子席がぎっしりと並び、その前の1列は座布団が敷いてある。真ん前でまずシェイクスピアのオフィリアのような衣装の女性のダンスからはじまった。そして俳優たちが台本を手にして登場。最初ははてなと思ったが、その意図が見えてきて納得できた。ほんとに大上段からの大真面目な芝居なので、そのままやると新派大悲劇になってしまう。台本を見ながらセリフを言うことで客観的になって、批評性が加わり現在の演劇となる。
感心したのは衣装で、女物の着物をうまくアレンジしてある。紋付の羽織をぎゅっと着て太いベルトをしめたハムレット、黒の裾模様をガウンのように着た王(元叔父)のパンツは羽織の裏を使ったみたいだ。王妃の華やかで複雑なもすその布の流れ、オフィリアは白地の着物で腰からは何重にも白い布が花のようだ。
舞台は口上役が「・・・の間」と言うと、赤いカーペットの上が王宮の王座の前になったり廊下になったりする。対話するのに片や向こう向き、片やこちら向きで向き合わなかったり。扇子をだして切るカッコをすると短剣で切られている。うまい工夫である。2時間飽きずに見た。