« New Orderのコンサートの話から | メイン | ピーター・トレメイン「自分の殺害を予言した占星術師」 »

アメリカへのあこがれ ジューン・アリスン

朝の新聞でジューン・アリスンが亡くなったことを知った。88歳だった。彼女は50年も前にわが家のアイドルだった。戦争が終わってアメリカ映画が見られるようになり、父親と姉2人兄2人はよく映画を見に行った。わたしもひっついて連れて行ってもらった。しょっちゅう語られていたのは、父親が戦前に見た「駅馬車」と「暗黒街の顔役」だったが、この2本を見るまでにはだいぶ年月がかかった。とにかく近くで上映される映画をなんでも見に行った。
ジューン・アリスン主演の「姉妹と水兵」(1944)こそ戦後の貧しいわが家に、大手を広げて受け入れられた映画なのだ。ジューン・アリスンという健気な感じのする女優と、大衆的なジャズというかハリー・ジェームスとザヴィア・クガートの演奏、「鼻」のジミー・デュランテの芸、ホセ・イトゥルビの達者なピアノも大受けした。とにかくアメリカ文化にひたったわが家だった。ずっと後になってテレビで見たがたいしたことなかったけど、それでもいまもいろんなシーンを思い出す。繰り返し語られ思い出されてきたからだろう。芸人の姉妹が水兵さんたちと結びつく単純な話なのだが。
「若草物語」(1949)は見ていないのに、雑誌「ひまわり」によって増殖されて脳に埋め込まれた感じだった。見たのはけっこう後になってからだが、写真でみんな知っていたので2回目に見た気分だった。物語は早くから読んでいて、わたしのバックボーンになっている。いまだにわたしが青臭いのはニューイングランド地方の清教徒教育を受けたおかげなのだ(笑)。「若草物語」のジョーになったときはジューン・アリスンは32歳だったという。それが10代のジョーそのものだったからすごい女優だ。顔に似合わない低い声がよかった。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://dp31082594.lolipop.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/64

About

2006年07月12日 14:59に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「New Orderのコンサートの話から」です。

次の投稿は「ピーター・トレメイン「自分の殺害を予言した占星術師」」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。