私は水村美苗さんの「續明暗」が出たときに読んでファンになって以来、書かれているもの全部を読もうと努めてきた。女性誌等に書かれたものも切り取って持っている。いまの日本の作家でわたしがこれほど打ち込んだ人はいない。この日記でもずっとそのように書いてきた。
今日は見落としていたのを人に教えてもらったので、図書館に行き「新潮」1月号に掲載されている「もう遅すぎますか? —初めての韓国旅行」を読みコピーもとってきた。これを読んで初めて水村さんが書いていることに違和感を覚えた。
水村さんだけだったら、ふーんと読み通してしまうところだったのだが、数日前に新聞で違和感を覚えたのと似ているなと思ったのがきっかけになった。
8月19日の朝日新聞夕刊の文化欄に、季村敏夫さんが「あふれる戦時下の記憶」というタイトルで、山形裕子さんの歌集「ぼっかぶっり」を紹介していた。短歌数首を紹介して解説を書いているのだが、それはまあよしとしよう。最後のほうに【どの歌にも、高齢の方の作品とはおもえないみずみずしい情感があふれている。】とあった。一般高齢者はみずみずしくないんかいな?季村さん。わたしは彼の詩集「日々の、すみか」を買って持っていて、尊敬してたけど、もうヤンピだ(笑)。
そういうことがあったもんだから、水村さんの韓国旅行記で、彼女がソウルの高級ホテルのバーで感じたことを読んで「やっぱりなぁ」と思ってしまったのだ。若いときにパリの安ホテルに泊まって幸せだったことの追憶で、通りがかりに高級ホテルの窓に熟年の夫婦が見え、彼女はその姿を一瞬いやだと思い、すぐに彼らの存在を忘れてしまった。若い水村さんにとって、年寄りは存在していない人間だったのだ。30年後に水村さんは自分自身が存在しない人間として、ソウルの街の高級ホテルのバーにいる、と書いている。
そこでわたしが思ったのは、季村さん、水村さん、お二人とも功成り名を遂げはって、お金持ちみたいな気分になってはるんやなぁ、ってこと。わたしなら、もしパリに行ったとしても(行かないが)安ホテルに泊まる。そしたら若者のなかで存在しない年寄りどころか目立ってみせる(爆)。
ここでふと思ったのだが、季村さんの言葉は新聞に載って普通に通用しているのだし、水村さんの言われるような熟年女性は普通にいるわけだし、わたしだけが普通でないだけかも(笑)。しかし、作家や詩人が普通の人だったらおもしろくないんじゃないの。