浅羽莢子さんが乳がんで亡くなられたことを、昨夜遅くミクシィのサイバーガムシューさんの書き込みで知った。創元推理文庫のドロシー・L・セイヤーズの作品はすべて浅羽さんの訳である。読みやすくユーモアがある訳文はセイヤーズの英語って日本語で読めばこんな感じだと、英語のできないわたしは思っていた。それほど自然に読めていた。
浅羽さんと個人的にお会いしたことはないけれど、親しみを感じていたし教えられてもいた。古いところでは「別冊宝島105 ミステリーの友」(1987)に浅羽さんが書かれた「セイヤーズに学ぶ女性の自立」がとても素敵な文章だった。セイヤーズ長編の全訳(最後の1冊はされていないが)をされたのはそれからだいぶ経ってからのことだ。
1991年にはサラ・パレツキーが「ウーマンズ・アイ」(ハヤカワ文庫 1992)序文でセイヤーズ批判を展開している。サラ・パレツキーはそれを言わなければ前に進めなかったと思うが、それにしても1920〜30年代だったんですよとセイヤーズの味方をしたい気持ちである。
セイヤーズと浅羽さんはわたしの中では結びついているが、他にもいろいろ翻訳の仕事をされていた。ずっと昔にイギリス児童文学研究会に入っていたころ、浅羽さん訳の本を取り上げたことがあった。メンバーの一人が訳に愛がないと言ったのをよく覚えている。いわゆる児童文学的な訳でなかったからだろうが、知らない名前のせいだとわたしは判断して、ミステリーの訳をたくさんしてはるエラい人だと言ったら、その意見は引っ込められた。
さっき浅羽さんのブログ「浅羽莢子のFine Peace!」を見にいったら、8月5日まで書かれていた。