阪神大震災から12年経った。当時はインターネットがまだ広がっていなくて、わたしもパソコン通信でメールしてたし、ニフティの会議室に入って発言していた。機械オンチのわたしには最初のころはニフティにつなげるだけでも大変だった。所定の数字やアルファベットを打ち込むと、なんとも言えない破壊的な音がしてつながったものだ。
震災当初は大阪ににいてできることをと、文字打ちやレイアウトやカンパ集めのボランティアをしていたが、1年後には神戸へ行って週末ボランティア(週ボラ)の仮設住宅訪問活動に参加しだした。
そののころには、すでにインターネットをISDNでつないでいて、週ボラサイトの掲示板に書き込みをはじめた。あら、もう11年前になるんだ。
週ボラ代表の東條さんに、ファックスボックスに情報を入れるように頼まれたのはこんな時期だった。たしか名称を「こうのとり」と称していたと思う。わたしがインターネットで震災ボランティア情報を探してプリントする。それをファックス機を操作して所定の私書箱みたいなのに入れるのだ。情報を見たい人は番号を打ち込めばいつでもその情報をファックスで取り出すことができる。インターネットが普及するまでの過渡期の情報伝達手段だった。
おかげでまだインターネットを見ることに不慣れだったのが、情報を探すことで見慣れたし、プリントしたのを読みやすくレイアウトしたり編集したりすることも覚えた。あんまり実用の役に立たなかったけど、わたしには大いに役立った。
その仕事は1年くらいで「ご苦労様でした」と中止になったけど、ネット普及するまではいろんな手段で情報を送ろうと考えたのだし、こんなこと普通に暮らしていたらわからへんから、わたしとしてはいい体験だったと思っている。