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中村真一郎「木村蒹葭堂のサロン」読了

木村蒹葭堂のサロン 中村 真一郎わたしが若いころ、中村真一郎は福永武彦と加藤周一との3人組で、文学というより軽井沢というキーワードで知っている人だった。堀辰雄と立原道造の導きを受けた人たちとして憧れがあった。その反面恵まれた環境に反発もしていた。3人の作品はけっこう読んでいたが、加藤周一の小説はつまらなくて、中村真一郎は情熱的すぎて、福永武彦の小説が好きだったが、それもいまになっては忘れてしまっている。
本書を読むことになったのは、江戸時代に大阪市西区北堀江に住んでいた木村蒹葭堂の碑を中央図書館前で見て気になっていたことからはじまる。そして2003年12月に図書館内ギャラリーで開かれた木村蒹葭堂展で興味がもっと強まった。そのとき手に入れた、大阪歴史博物館編の没後200年記念の「なにわ 知の巨人 木村蒹葭堂」(2003 思文閣出版)がとても勉強になった。中央図書館では2年後にまた展示があって、また興味深いものを見せてもらったら、もっと蒹葭堂について知りたくなり本書にたどりついた。
木村蒹葭堂のことを中村真一郎が書いている!とびっくりしたが、1995年1月から1998年3月まで「新潮」に連載されたとあるので、こちらが無知なだけだった。
去年の年末に図書館で借りてきて読み出し、貸し出し延長して、返してからすぐ借りてまた貸し出し延長し、2カ月にわたって大切に読んできた。当日記でも読む途中に何度か思ったことを書いてきた。蒹葭堂のことだけでなく、江戸時代の人々についてとてもたくさんの知識を得たので、そのときどきに思ったことや得た知識について書いておきたかったからだ。ほんとに素敵な読書であった。中村真一郎は本書を書き上げて亡くなった。「新潮」に連載されたものに遺稿として残された完成原稿を加えて編集したとある。
最後の章は木村蒹葭堂が亡くなったあとのことについて書いてある。蒹葭堂の死を待っていたように幕府は膨大な書物を没収し江戸に送った。【一代の膨大な学術的コレクションは、幕府の意向によって図らずも、江戸の知識人たちに公開されるという、学問上の思いがけない好結果をもたらしたので、寧ろ生前の蒹葭堂の意向に添ったものと言えよう。】と記してある。たかが大坂の商人の道楽だと、江戸の武士層からは故なく軽く思われていただろうから、このコレクションを知って正当に敬意を払われるようになっただろうとのこと。そして木村蒹葭堂は誰にでも知識を分け与えた人だったので、江戸の人たちに見せることになったのは結果的によかったとのこと。それでわたしも安らかに読書を終えた。明日返しに行く。

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コメント (2)

鬼蔵:

昔の人の知識欲には驚愕するものがありますね。無から千を知ろうというのだから、今の人には考えも及ばない努力があるはず。
なことはさておき、Kumikoさんの知識欲も驚くばかり。好き、とはこういうことを言うんですね。

kumiko:

木村蒹葭堂さんの日記からは9万人の名前が出てきたそうです。
まさにネット的なお人です。
ネットがあるのに、ちまちました自分が情けない(笑)。

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2007年02月28日 00:54に投稿されたエントリーのページです。

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