
久しぶりに〈文学〉を読んだとという気持ちになった。とっかかりはレンタルビデオの「8人の女たち」だった。予告編にグイネス・パルトロウ主演の「抱擁」があった。好みのラブロマンスだと思って次に借りてきたのだが、それが実に複雑な二つのラブストーリーが絡み合っており、結局二度見て理解してこれは原作を読まなくっちゃとなった。
ローランド・ミッチェルはブラックアダー博士のもとで、ビクトリア時代の大詩人ランドルフ・ヘンリー・アッシュを研究し、「アッシュ全集」編集の研究助手を務めている。ロンドン図書館での蔵書を調べていると、たくさんのメモがはさんであるのが見つかり、その中に2枚の便箋があった。内容は女性に宛てた手紙の下書きのようで、アッシュの直筆らしい。ローランドは他のは元に戻し、その便箋だけを係員の目を盗んで持って帰る。宛先はだれかと当時の文献を調べて女性詩人のクリスタベル・ラモットと見当をつける。いまラモットはレズビアンの詩人としてフェミニズムの人たちに興味を持たれる存在である。リンカーン大学のモード・ベイリー博士が詳しいと聞き会いに行く。
「冷たさで男の血を凍らせる女」と評されたモードは“上”から見下すような態度だが、話を聞くと協力してくれ自宅に泊めてくれる。二人は手紙を解読し、詩人たちの恋を確信するようになる。ラモットが晩年暮らしていた館が現存しているというので行き、詩から発想した場所に手紙の束をみつけて調べさせてもらう。こうして現代の二人が19世紀の詩人の恋文によって出会った。二人は詩人たちが旅したヨークシャーへ行く。そこは4週間と期限を切って19世紀の二人が恋心を全うしたしたところだった。男には妻がおり女には女性の恋人がいた。
その間にラモットの恋人ブラーンチはテムズ河に身を投げて死んでしまう。アッシュは家庭に戻り、ラモットはプルターニュの親戚の家に行ったようだ。現代の二人はプルターニュへ向かい、ラモットになにがあったかを探る。
一方、狂信的なアッシュ研究家やフェミニストの研究家もやってきて騒ぎが大きくなる。最後のまとめ方は推理小説そこのけ、怪奇小説そこのけのおもしろさである。最後には氷のような美女モードもようやく誠実な青年の手で愛に目覚める。
19世紀と20世紀の二組の男女の物語が錯綜して、目くるめく大恋愛小説である。古い方は詩や手紙で現されるが、なにかが乗り移ったようなたくさんの詩と手紙がまるで、ほんとうにアッシュやラモットがいたようである。アッシュのモデルはブラウニングだそうだ。わたしは19世紀のイギリスの詩人などてんでわからなくて、ブラウニングといえば「時は春、日はあした・・・」くらいしか知らないから、ほんとに勉強になった。女性のほうの詩はエミリー・ディキンスンを繰り返し読んだと著者が巻末の「選択—『抱擁』の創作過程」で書いてある。ラモットの詩のはっきりした物言いはディキンソンを噛み締めたものだったのだ。
ラモットという人の恋を終わらせてからの強さには恐れ入った。ただ強いのではなく、“弱いから強い”のだが。ここまでできたのかと思ってしまう。
現代の二人の関係はもっと複雑だ。ローランドには大学に入った頃から同居している女性ヴァルがおり、モードには元恋人がおり、言いよる女性がいる。だから物語は二組とはいえ、四人でなく多数男女の物語となる。
モードといっしょに旅しているうちにローランドは孤独を味わう。モードは上流階級の人で彼は都市の中産下層階級の出身である。階級制度は今も曖昧な形で彼を束縛しているからだ。ローランドは論文が認められてイギリス以外の三つの大学から誘いがきているのを受けようと思う。アムステルダムならそう遠くない。男の自立を図るのね。