昨夜 nu things のバータイムに、ピアニストのMさんと歌手のAmyさんと女3人おしゃべりに花を咲かせていた。お二人は若いし美人だし、それに話の内容が自由で楽しい。笑い声もあがる。そのときずっと視線を感じていたのだけれど、その視線を送っていた若者がやってきた。前にきたとき会ってさっき挨拶したけどなんの用かな。そしたら「今日はお嬢さんたちと来られたんですね」って、これには吹き出した。側にいた相方は苦笑い。そしたらMさんが「私は長女です」と言ったのでまた大笑い。
以前、若い女友だちとアメリカ村で服を買うのを手伝ったことがあった。店員は「お母様」とお金を払うのはわたしとばかりに話かけてくる。「友だちやねん」と避けたが、年齢が違うと親子とか家族としか思えへんのかな。
プルーストの「失われた時を求めて」で年取った「わたし」が、自分では年をとった実感がないのに、他人の視線で「年を取ったこと」を感じさせられる場面があった。わたしもしゃべっているときは年を取っている気持ちはない。【若い頃からの活動性は決してやまない、若者のように考える能力が保持され、老年期になっても老人のように感じない。】(ジーン・シノダ・ボーレン「女はみんな女神」)というアルテミス型なので、よけいにそうだ。でも他人の視線では大人の女性2人の母親(笑)。日本ではまだまだ年齢差のある女性たちの友情や親愛の情は理解されないものなのね。