なんで「春の雪」かというと、夏になると決まって取り出すマルグリット・デュラスの「タルキニアの子馬」を探そうと、本棚の上段の文庫本のところを見たら「春の雪」が見えたから。ふっと気になって取り出し読みかけるととりこになってしまった。小説の醍醐味がぎっしりとつまっている。恋の苦しさ辛さそして嬉しさがぎっしりとつまっている。読んでいるあいだ幸福感に包まれていた。せつなさも幸せのうち。文庫本は字が細かいので図書館で「決定版 三島由紀夫全集」を借りてきた。13巻に「奔馬」といっしょに入っている。
松枝清顕(まつがえきよあき)は松枝侯爵家のひとり息子で十八歳になる。渋谷郊外にある屋敷は14万坪の地所に、和風の母屋、洋風建築の別館、庭の向こうには紅葉山があり池がある。祖父が明治維新に貢献したが、幕末にはまだ卑しかった家柄を恥じて、父は清顕を幼時に公家の家に預けて教育を頼む。公家の家は和歌と蹴鞠の家柄で、その家の令嬢聡子は清顕より二歳年上でよく清顕を可愛がってくれた。公家教育の結果、妃殿下の衣装のお裾持ちをしたときの清顕は十三歳の美少年で大成功、この姿に父は公家的なものと武士的なものの結合を見て喜ぶ。
清顕と聡子は惹かれあっているのに、反発したり気持ちを隠したりしている。ただ一人の友、本多はそういう清顕の危なっかしさを危惧しながら見守っている。
聡子の結婚の世話をするのが義務だと松枝侯爵は考えている。聡子は松枝侯爵家に花見に来た洞院宮家の両殿下に見初められて、第三王子の宮との結婚話が決まる。
清顕と宮家の妃殿下となる女性との禁じられた恋が一気に燃え上がる。聡子の乳母蓼科を脅しての忍び逢い。本多の必死の助けがあっての海辺の一夜。
恋が結婚という世俗のかたちを拒否し、結婚という持続を拒否する以上、結末はこれしかない。聡子は奈良の尼寺で自ら髪を下ろして出家の道を選ぶ。聡子を奈良まで追いかけて会えなかった清顕は帰京後すぐ二十歳で死ぬ。最後の言葉「今、夢を見ていた。又、会ふぜ。きっと会ふ。滝の下で」。
こんなに小説を読んでいてすごいとか幸福とかせつないとか思うことは少ない。すごく論理的に組み立てられた作品なのに情感が溢れている。
それと脇役に血が通っている。乳母蓼科が聡子に教えていた、女がはじめての男に対してのやりかた、女のほうが処女らしくふるまうやりかた。書生の飯沼の今後は「奔馬」で明らかにされる。もちろん副主人公の本多は4冊の「豊饒の海」を、二十歳の学習院生から老残の身をさらすまで生きる。