本多は七十六歳になっている。妻の梨枝は死に、やもめになった本多はよく旅をするようになった。たまたま三保の松原で海岸に佇みたくて歩いているとき、異様に高いコンクリートの基底をもった建物の前に立つ。その小屋は通信社の清水港事務所だった。本多はこれで帰ってしまうが、それからは事務所で働く凍ったような青白い美しい顔をした透少年の物語となる。透はそこで望遠鏡で入港船の確認する仕事をしている。またの日、慶子とともに同じところに行った本多はその事務所の階段を上っていき、透のランニングシャツ姿の脇の切れ込んだところに黒子があるのを見る。
本多は透を養子にして中卒で働いていたのを高校へ入れ、家庭教師をつけて東大へ入学させる。それまで大人しくしていた透は二十歳になると本多を脅かすようになる。
長い交際の末に、はじめて本多は慶子に清顕、勲、ジン・ジャンの三人が二十歳で死んで転生した話をする。慶子はクリスマスパーティと言って透だけを招き、透の虚栄心を打ち砕いて真実を告げる。そしてあなたは偽物だから二十歳では死なないと言ってのける。これを知った本多は慶子と決別する。
透は自殺を図るが命は助かり盲目となる。二十歳の誕生日が過ぎても死ぬ気配はなく、点字を学び本を読むようになった。昔からつきまとっていた醜女でありながら美女と信じている狂った絹代と結婚するというのを本多は許す。衰亡はおもむろに進み、終末はしずかに兆している。
本多は六十年ぶりに清顕が恋した聡子に会いに奈良の月修寺へ行く。対面すると紫の衣に身を包んだ門跡の聡子は美しい。しかし話をしても清顕を覚えていないし、本多のことも知らないと言う。「それも心々(こころごころ)ですさかい」と門跡の返事。
第一巻「春の雪」第二巻「奔馬」を読み終わったときの緊張感に比べて、「暁の寺」と「天人五衰」は、ちょっとはぐらかされたような感じがした。作品の細部まで気配りがあり、タイでの日本の商社の姿やインド旅行の詳細や、戦後の世相やら、興味深くて読み飛ばしができない。だけど真っすぐに一本通ったものがなく緊張がない。本多の意識していない堕落、意識した堕落がある。清顕と勲が転生したと本多が思ったジン・ジャンは必然性がないような気がするが、戦中戦後の日本の状況では主人公になる人間が見つからなかったのかもしれない。
老醜をさらさずに死んでしまった三島だからこそ、本多の老醜をこれでもかと書くことができたのかもしれない。本多と慶子が二人して若者を批判するところがおもしろい。慶子は同性愛者だが、世間の同性愛の二人暮らしを徹底的に批判する。それは同時に三島の〈狭いながらも楽しい我が家〉みたいな貧しい庶民の夫婦生活への批判でもあろう。そういう暮らしをしていても、そういう暮らしでない道を選んでいる人もいるんだけどね。
本多は車に乗って高層ビルの間を通り抜けるとき、自分が死んだらこれらも滅亡するのだと思う。わたしはそのときジャック・デリダの「そのたびごとにただ一つ、世界の終焉」というタイトルの本を思い出していた。
最後に死がせまっていることを自覚した本多が奈良の月修寺へ行くところは圧巻。「暁の寺」「天人五衰」の生々しいいやらしさみたいなのが、すっと消え失せる。この美しいシーンのために細部にわたっていやらしいく書いてきたのかもしれない。