突然、水村美苗の「本格小説」を読みたくなった。やっぱりよかった。何度も読んでいるのに引き込まれてしまうのはなぜだろうと考えたら、水村節子「高台にある家」を読みたくなった。千野帽子「文藝ガーリッシュ」に紹介されていて、そのときから読もうと思っていた本だ。節子さんは美苗さんの母上である。
図書館に行ったら「み」のところにお二人の本が並んでいた。帰ってからすぐに読み出したのだが、作品の世界にはまってしまって、用事はほったらかし。夢を見ているようなと言えば大げさだけど、はまりこんでいた。
水村節子は80歳に近くなってデビューした素晴らしい人だ。本書は昭和3年からの20年を描いた自伝小説である。
伯母の住む高台の家にあこがれ続けている〈私〉は、芸者あがりの母に育てられている。24歳年下の〈父〉との間の子どもで〈庶子〉として届けられているが、その背景が成長するにつれて明らかになっていく。
宝塚歌劇にあこがれ、ピアノやベッドにあこがれ、本を読む少女は恋にもあこがれる。世間的には差別されているのだが、他の女と結婚した父親に甘え、親戚に甘えるすべも知っている。
叔父から、お前は谷崎潤一郎の「痴人の愛」のナオミに似ていると言われて、のちのちその本を読んだ〈私〉は得意になる。そういう少女が結婚するのだが、伯母のすすめる相手を断って、自分で決めた相手である。だが、華やかな新婚旅行から帰った〈私〉は、迎えた家族の冷たさにおののく。
戦争のせいで夫の職場が移転し郊外に別居してからは、物資の欠乏と戦いの毎日である。そこで〈私〉の生命力が力を発揮する。そして敗戦、夫とは心が通じなくなっている。
最後がすごい。
昭和のはじめの家族制度について考えさせられた。なんと妾と芸者が生んだ子どもが多いのだろう。そして兄弟姉妹が多く、上に生まれたら下の者の面倒をみるのが当然だし、食い詰めて親戚の家に転がりこむことも多かったようだ。
大部分の舞台が大阪の下町であの辺りかとわかるし、会話が大阪弁であることも入り込みやすかったと思うが、複雑な人間関係を剛直に書いている文章の力に感心した。(角川春樹事務所 2000円+税)