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2008年01月 アーカイブ

2008年01月01日

マリア・グリーペ「夜のパパとユリアのひみつ」

夜のパパとユリアのひみつ マリア グリーペ本書は去年の3月に読んだマリア・グリーペ「夜のパパ」の続きの物語である。
夜勤が多い母と二人暮らしのユリアには、募集に応募してきたペーテルという「夜のパパ」がいる。最初はぎくしゃくしていた仲がだんだん和やかになって、フクロウのスムッゲルと三人組の生活が楽しくなるところが良かった。

今回は貧乏だったペーテルが石の研究でお金を稼げるようになったことと、ユリアが成長したので、もう夜のパパはいらないんじゃないかと母や周囲がいう時期になっている。前と同じように、二人が代わりばんこに手記を書いているのだけれど、微妙にユリアが子どもだった前作と違っている。ユリアの気遣い、それを尊重しながらどう対処しようかと考えるペーテルの心の揺れ。
そこへユリアの住んでいる家の取り壊し騒動が起こる。建物の持ち主は市で、代わりに市内のアパートを世話してくれる。母は仕方がないと言うが、古くて住みにくくはあるが、素敵な建物はおいておくべきだとユリアとペーテルは考える。二人は取り壊しに反対しようと行動する。
共に闘うことで二人の絆が強まっていく。次作があるとすれば、二人の恋物語になるだろうと予感させる淡い恋心の描写が素敵。(ハラルド・グリーペ絵 大久保貞子訳 ブッキング 1800円+税)

2008年01月02日

心斎橋からアメリカ村を散歩

暮れは近所へ買い物に行っただけだし、昨日はどこへも出ずに我が家としたらご馳走を食べた。体重が気になる。それに何日も街中に出ないと気持ちが淋しい。映画「Freestyle」で気に入った bahamadia のCDがあったらなということで、相方と心斎橋からアメリカ村へと散歩に行った。
行きは地下鉄で心斎橋へ出たのだが、道路に上がるとクルマがどっさり、人がぎっしりでびっくり。北口から南に向かって御堂筋を歩いたのだが、向こうからくる人たちはみんな紙袋を持っている。ブランドものが多いので「福袋」とは書いてなくて、おしゃれなリボンがついていたり、色も柄も多彩なもの。オーパの前ではエスカレーターがいっぱいなので、こちらの階段からと誘導していた。
アップルストアも満員なので外から賑わいを眺めて立ち去った(笑)。周防町通りを曲がってアメリカ村に入ったが、こちらもひと、ひと、ひと。お店によってはずらりと外に並んでいるところもある。

久しぶりに中古レコード店のキングコングへ。思っていたのがなかったので、うろうろしてからヴィレッジバンガードへ行った。あちこち眺めてから、CD「JAZZMATAZZ」と、ヒップホップのところにあった本「ブラック・デトロイト」、その他プレゼント用のネコ本を買った。あとは歩いて帰っただけだが、人ごみの中を歩いたので満足した。
晩ご飯は頂き物のフカヒレスープがうまかった。めったに食べることのない牛肉の頂き物(ワイン煮)もうまかった。送ってくださった人に感謝。

2008年01月03日

おせち料理を食べました

食べるものもふだんの生活+アルファくらいの我が家だけど、今日は姉の家でおせち料理を食べてきた。久しぶりに姪の家族(夫婦と男女大学生)もいっしょだった。
若者のために食べるものを買って来てと言われたので、大丸地下でサラダやハム類、シュウマイを買って行った。開店前にもう並んでいる人がいたみたいで、10時5分くらいに着いたら、ちょうどそのしっぽについていった感じだった。でも食料品売り場では最初の客で、「いらっしゃいませ」の声の中で品物を選ぶのはちょっと気恥ずかしいものだ。

姪夫婦は1時間かけて歩いて来たし帰りも歩くという。クルマばかり乗っていた連中だが最近健康に目覚めたみたい。娘と息子は自転車である。
一日食べてしゃべっていたが、いまの楽しみをいとおしむという気持ちがあってか、ことさら賑やかだった。
海老、かずのこ、さごしと鯛の酢〆、かまぼこ、伊達巻き、昆布巻き、煮しめ、黒豆、焼き肉が出て大満腹。

2008年01月04日

フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのダンス映画「ブロードウェイのバークレー夫妻 」

正月の夜にレーザーディスクを点検して、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの最後のダンス映画「ブロードウェイのバークレー夫妻 」(1949年 監督チャールズ・ウォルターズ)を見ることにした。粋なダンスとラブコメディ風のストーリーにコメディアンがからむRKO映画と、ずいぶん違うMGMの本格ミュージカル映画である。
RKOで9本の映画に主演した後、ジンジャー・ロジャースは演技派女優として成功した。わたしはロジャースがアカデミー賞を獲得した「恋愛手帖」が大好きだ。レンタルビデオと、テレビでやったのを見たが、数年前に500円DVDを見つけて買って持っている。

「ブロードウェイのバークレー夫妻 」は彼らの実話を元にストーリーをつくったみたいな映画だ。夫婦で踊って人気があり、お互いに愛し合ってはいるものの、どっちも自分のほうがエラいと思っている二人。一触即発で離婚に発展しそうで、関係者はロジャースのほうに代役を立てることにする。そんなときに彼女が出会ったのが若手の演劇監督で、彼女には演劇女優の才能があると言う。サラ・ベルナールの若き日を描いた芝居に出演することになるが、うまくのっていけなくて悪戦苦闘する。それを知ったアステアは演劇監督の声を真似て助言と励ましの電話をする。彼は一人で踊って舞台をしのいでいるが、彼女を忘れられない。最後は電話はだれかがわかって家にもどり和解して、豪華な舞台での二人のダンスで終わる。
RKOのときとはかなり年を取った二人、アステアはダンス一筋だから変わらぬ身軽さだが、ロジャースのほうは少ししんどそうなところを芸でしのいでいる感じだ。

2008年01月05日

「西脇順三郎コレクション 6 随筆集」

西脇順三郎コレクション 6 随筆集 (6)年末に図書館の新刊書のところで、2007年11月発行の美しい本を手にしてうれしくなった。西脇順三郎(1894〜1982)の詩を読んだのはだいぶ昔のことだが、雑草の名前がたくさん出てくるところが好きで、いまも文庫本だが詩集を持っていてときどき開く。
随筆集だからきっと読みやすいと思ったが、言葉はやさしくても内容は深くて全部理解できたかわからない。けれどもたいへん幸福な読書だった。
最初のほうは生い立ちから若き日の回想で、ずいぶん恵まれた環境の人だったのがわかった。語学に興味を持ち、考えたり、感じたりすることを外国語でできたらよいなと思っていつも祈っていたとある。そしてヨーロッパの文学に親しみヨーロッパへ行き、考え方がヨーロッパ的になっていく。わたしは外国語がひとつもできないから比べられないけれど、長い間に翻訳小説が好きで読んでいるうちに、考え方がヨーロッパ的になっているのを感じている。だからすごく親近感を持った。

こんな一節があった。【この二十年間は文芸の上で何を読んでたのしんだかというと三十年以後のイギリスの小説ばかりであった。特に女の書いた小説ばかり。すばらしいものがある。現代イギリスの小説の実力は女であるということは恐らくまだ一般には気づかれない。またD・H・ロレンスもようやく、今日英国では初めて注目されつつある。この男の世界も女の世界である。】いまであればなんかわかるような気がする。

「自然の憧れ」という章には、自然の中にいるとかえって自然への憧れを失う、の後に【不幸にして都会の真中に貧乏生活をしている場合は自然に対して風情を強く感じる】とある。これってわたしのことね。
「故園の情」という章では、中学生のとき、松林のある小山の下のおおきな池にいっぱいに密生しているジュンサイの中に飛び込んで泳ぐ。【からだにジュンサイの精を感じ、頭からジュンサイのドビュスィーの音楽を浴びた。】という一節にしびれた。
同じ章に【昔は「キンセンカ」がきらいであったが、オーガスタス・ヂオンという画家が「キンセンカを持った少年の肖像」を描いたのをみてから、また法隆寺の仏像の前に花の頭だけ切って茶わんに沢山さしてあるのを見てから、心境の変化をみた】とある。これでまたものすごく親近感を持った。なぜならわたしはドロシー・L・セイヤーズの「学寮祭の夜」の中で、ピーター卿がテーブルの上の花瓶に生けられたキンセンカを好もし気に見た、という一節を読んでからキンセンカが好きになったから。しかも今日スーパーへ行ったら花売り場にキンセンカがあったのだ。なんという縁だろうと大喜びでテーブルに飾ったのである。

東京の中の田舎をよく歩き、さまざまな雑草の名前が書かれているところも好き。柳田國男や折口信夫の名前も出てきて読書の喜びは尽きない。持っていたい本だ。(慶応義塾大学出版会 4800円+税)

2008年01月06日

新倉俊一「西脇順三郎 絵画的旅」

西脇順三郎絵画的旅
「西脇順三郎コレクション 全6巻」の編集者 新倉俊一さんによる西脇順三郎についての本。「プロローグ」によると、3年ほど前に「評伝 西脇順三郎」を書き上げたとき、ある人に今度は詩について語るべきだと言われたとのことで、本書は「絵画」というキーワードで西脇順三郎の詩について語っている。
「あとがき」に、本書の内容は朝日カルチャーセンター立川の講座のために話されたものと書いてある。そのせいか読みやすい。
わたしは密かに詩を愛読していただけだったのに、図書館で見つけた本「西脇順三郎コレクション」であれっと思い、こうして研究書を読むにいたってしまった。偶然こういうことになってわたしは運がいい。

西脇順三郎は最初は画家になろうと思っていたが、生活のことを考えて画家になることを諦めたそうだ。そのために詩に絵画的要素があるんだって。だから絵画から影響を受けていて、本書のはじめにはそれらの絵の写真版がつけられている。
萩原朔太郎と西脇順三郎を二代潮流とされているが、こんなことは考えたこともなかったので勉強になった。わたしの中では二人はそれぞれ別に存在している人だった。萩原朔太郎は立派すぎて仰ぎ見ていた。西脇順三郎のほうはすごく親しみを持っていたが、そんな大詩人とは思っていなかったというのが本音である。
詩の引用がたくさんあって、覚えているのは懐かしく、知らない詩についての言及も納得いき、今年は最初から縁起がいい。(慶応義塾大学出版会 2800円+税)

2008年01月07日

船場汁で温まる

暮れに買った塩サバの半分を焼いて食べた残りで船場汁にしたのは先日のこと。久しぶりの味がすごく美味しかった。なぜか忘れていて数年間食べていなかったなぁ。あのころは塩サバよりもしめ鯖の残りでやっていた。わたしはちょっと酢の味がするところが好きなのだ。最近はしめ鯖は高価だから残すほど買わない。それに本来の船場汁は塩サバでつくるものだ。
ということで、自己流というか、昔読んだ料理本に出ていたのを覚えている作り方。
塩サバ半身を1センチくらいに切る。大根はいちょう切り。鍋に昆布のダシをつくり、サバと大根を入れて、沸いてきたら味をみながら醤油で味付け。アクをとって少し煮る。容器に入れて刻みネギと針ショウガをたっぷり入れて食べる。酒の肴によし、ご飯のおかずによし。温まります。
あんまり美味しかったので、また食べるべく今日は塩サバを半身買ってきた。先日は半身を焼いて食べたのだが、トシのせいか焼いて食べるよりも汁のほうがあっさりして美味しいと思うようになった。とはいえ、塩サバといえども少しマシなのは高価になったものだ。

2008年01月08日

「ワイト島1970—懐かしきロックの残像—」

1970年にイギリスのワイト島で行われた、60万人が参加したロックコンサートの記録映画である。「ワイト島1970—懐かしきロックの残像— 1・2巻」(1996)。島の農場を借りてのコンサートで、みんな船に乗っての参加である。これだけの人間が集まったのだからたいへんだ。お金を払わない人は入れないと塀をめぐらし、たくさんの警官が犬を連れて警護にあたる。しかし彼らは塀を壊そうとして暴れて、警官もお手上げ状態になる。主催者は再三警告するがへこたれない。最後は大赤字を抱えることになるがもういいだろう、入ってくれと主催者が言う。そして、ここにこれだけの人が集まったことへの感激の挨拶となった。

ジミ・ヘンドリックス、ザ・ドアーズ、ザ・フー、マイルス・デイヴィス、ジョニ・ミッチェル、エマーソン・レイク&ファーマー、クリス・クリストファーソン、ジョーン・バエズ等々が続々演奏するシーンと、主催者とタダで入ろうとする人たちとの抗争が延々と続く。ジョニ・ミッチェルのときは舞台に上がってきた男もいて、ジョニ・ミッチェルが集中できないとこぼす場面もあった。
70年ごろのわたしはフリージャズ一辺倒だったから、ほんとにこのへんのアーティストのことは知らない。ラジオで声を聴いただけの人とか、「ウッドストック」のビデオを見た人とか、ふーんという感じで見ていた。
ジョニ.ミッチェルを知ったのはザ・バンドが解散するときの映画「ラストワルツ」だったというくらいなんで(笑)。
ザ・フーのピート・タウンゼントは名前だけ知っていたが、こういう演奏をしていた人かとわかってよかった。
マイルス・デイヴィスを期待していたのだが時間が短かった。でもカッコよかったからいいか。実はこの時代はマイルスが好きでなかった。このときから37年経ったいま、マイルスは亡くなったけれど、音楽は残っていて聴かせていただいている。

2008年01月09日

わが家の加湿器(笑)

去年風邪をひいたときに、部屋が乾燥しているのが風邪ひきの元だと理解して、それ以来、部屋に濡れタオルをぶら下げている。加湿器を買わなくてもこれでじゅうぶん。
タオルを濡らして絞ってハンガーにかけて部屋にぶら下げておくと、翌日の夜には乾いている。これで朝起きたときの唇の渇きがなくなったからすごい。
先日ころっと忘れて寝てしまい、忘れてたーと目が覚めて起きたのはいいが、寝ぼけてタオルを濡らしたままだった。すぐに眠ってしまったのだが、ぽたっぽたっと落ちる水の音で目が覚めた。ははは、タオルから水がしたたっていたのね。
そんな話を知人にしたら、彼のとこも加湿器がないそうで、おくさんが洗濯物を部屋にぶら下げているという。部屋の間の鴨居にぶら下げてあるので、通るときに落としては怒られるんだそうだ。うちとどっこいどっこいの人がいるので安心した。

2008年01月10日

すっきりきれいになったので外食に

暮れの最後が寒かったので夜出かけるのが億劫で、家で鍋か汁の温まるご飯で過ごしていた。年が明けてからはなんとなく外出していなかった。1カ月ちょっと美容院の間が空いて頭のてっぺんに白髪が目立っていたしね。
今日は美容院へ行きすっきりきれいになったので、どっかへメシ食いに行こうと積極的になった(笑)。で、いちばん近い辛いもんやギロチンに行って、食べて飲んできた。店に入ったら細野ビルのお茶会で知り合い、ミクシィ友だちになったAさんが友だちといた。実は一人で飲みに行ける店ということで、ここを紹介していたのだ。
夜遅くなるとだんだん混んでくるお店で、12時近くまでいたが賑やかなもの。これからもっと賑やかになるのだが、お腹いっぱい、ほろ酔い加減で帰ってきた。
辛いもんを食べて汗をかくほどだったが、足下は冷えてたみたいで、帰ってからストーブの前で足を暖めながらビデオを見た。
「ヒストリー・オブ・ロックンロール —MTVが生んだスターたち—」。デヴィット・ボウイ、ブライアン・イーノ、ボウイ・ジョージ等かつてのスターたちが年とってインタビューに応じている。U2のボノはインタビューに何度も出てきたし舞台場面もあった。なによりもヒップホップが出てきたころのことが納得できてよかった。

2008年01月11日

掃除機と亜麻仁油を買いに梅田へ

おととい掃除機を使用中に突然へんな音がしてゴミを吸い込まなくなってしまった。もう20年も使っているからしかたないけど、あっけなかったなぁ。
ホーキとチリトリはあるけれど、パソコンと周辺機器とコードだらけの部屋には掃除機が必要だ。今日の午後に梅田のヨドバシへ買いに行った。ちょうどよい在庫品があったので配達を頼んだら明後日になるという。明後日の午後まで掃除はお預けだ。

ヨドバシから阪急三番街に出て紀伊国屋で鳩居堂の絵はがきを物色し、おひな様と春の花のをいろいろ買った。図書券を2000円分暮れにもらったので、レジナルド・ヒルの未読の本を1冊買った。
それから成城石井へ行って食品と亜麻仁油を買い、ぶらぶらしてお気に入りの色の湯上がりタオルが安かったので買った。亜麻仁油はアトピーにいいとヴィク・ファン・クラブ会員のMさんに教えてもらっていた。たしか成城石井にあったはずと行ったのがアタリだった。明日からサラダに使うか、そのままスプーンに1杯飲むかしてみよう。背中のしつこく痒いアトピーとさよならしたいものだ。
両手いっぱいに荷物を持って夕方帰宅。地下鉄御堂筋線は通勤電車みたいに混んでいた。たまに満員電車に乗ると疲れるわ(笑)。

2008年01月12日

ネットがつながらなかった一日

お昼ご飯を食べたあと、いつものようにメールとミクシィを見ようかなとパソコンの前に座った。まずメールの〈受信〉がうまくいかない。ブラウザを開くと〈インターネットと繋がっていません〉と出る。たまに繋がらないときにする〈リセット機能〉をやってみたが全然ダメだ。
相方が原因究明をやり出したら、機器やコードはほこりがいっぱい。掃除しながら点検していった。ネットで調べられないのが困る(笑)。
結局、パソコン1台なら繋がるが、そこから5台が繋がるためのルータがやられていることがわかった。毎日24時間働いてくれてたもんなぁ。
ここまでやったついでに、すべての機器とコードを点検。電話機、ファックス機のコードなども点検。暮れに大掃除をしなかったぶん、今日の午後に大掃除をするはめになった。
明日は午前中にルータを買いに行って、それでようやくいつも通りに復帰する予定。いまはわたしのマックに繋いでいるので、早くアップして交代しなきゃ。

2008年01月13日

レジナルド・ヒル「甦った女」再読

甦った女—ダルジール警視シリーズ (ハヤカワ・ミステリ) レジナルド ヒルレジナルド・ヒルのダルジールシリーズ長編12作目(うち2作は未訳)で、わたしはかなり前に読んでいる。今回は二度目になるが読み出したらおもしろくて、いいとこどりで読むつもりだったのに結局全部読んだ。

1963年、ケネディ大統領が暗殺された年、イギリスでは元外交官がソ連のスパイであることが発覚し、大臣が辞職する結果になったプロヒューモ事件があった。その時代にヨークシャーの貴族の館でのパーティで招待客の女性が殺され、邸宅の主ミックルドア卿と愛人とされたシシーが逮捕され、裁判の結果、ミックルドア卿は絞首刑となり、シシーは終身刑となった。当時ダルジールは血気盛んな若い刑事だった。
27年後経ったいま、シシーの容疑に疑問があるのがわかりシシーは出所する。
当時の責任者タランティア警視の捜査について調査するため、ロンドンから調査チームがやってくる。そのチームのリーダーがダルジールが嫌いな副警察長に出世したヒラーである。目をかけてくれた上司タランティアを擁護しようと、ダルジールはヒラーの裏をかいて捜査をはじめる。いやいやながら加わったパスコー主任警部も熱を入れ始める。
この事件の真相を探るためにダルジールがアメリカに行くところが本書の目玉だ。飛行機から降りてすぐに美術品の密輸業者を警察に引き渡すし、その夜にはホテルで襲われたのを逆に捕まえ、アメリカの新聞に「クロコダイル・ダルジール」と書かれる。

ダルジールもパスコーも貴族階級の人間と話す機会があるのだが、レジナルド・ヒルの冴えた皮肉な書きっぷりが楽しい。【イギリス上流階級に属するかどうかの本当の基準はその血統にあるのではなく、じつはその皮肉の辛辣さにある。ウェストロップの辛辣さは永久凍土なみだった。】【王族の一員であるジェームズ・ウェストロップ以外ならだれが犯人にされようとかまわないと考えていたからですよ。】

エリーは父がアルツハイマー病にかかっており、介護する母も様子がおかしいと母の家にローズを連れて行っている。パスコーとエリーの間に冷たい風が吹いて、パスコーは悩む。(嵯峨静江訳 ハヤカワポケットミステリ 1500円+税)

2008年01月14日

三連休が終わり

自営業だから休みは仕事のないときだとひねくれてるけど、決まったお休み日はなんとなくうれしい。
長年使っていた掃除機がパーになって休みの前日にヨドバシへ買いに行った。その翌日のお休み第一日目にネットが繋がらなくなった。その日は午後から夜まで原因追及と機器類の掃除に精を出して終わった。二日目は相方が午前中にルータとハブをヨドバシへ買いに行き、午後に復旧したところへ新掃除機が到着して掃除。やれやれと晩ご飯。さてとヴィク・ファン・クラブの会報づくりをはじめた。今日はできたところからコピーをとって、次のページづくりにいそしんでいた。明日中にできたらよいなぁ。無理やろなぁ。明日は整骨院へも行きたいし。
アトピーに効くと聞いた亜麻仁油は今日で三日目だけど、なんとなく効きそうな感じ。でもお酒を飲んでないし、寒暖の差があることはしてないし、まだはっきりわからない。
読書はまだレジナルド・ヒルにこだわっていて、「甦った女」が読み終わるとすぐに「殺人のすすめ」を読み出している。「ブラック・デトロイト」は持ち歩き用にしているのでまだ半分しか読めてない。

2008年01月15日

「ヴィク・ファン・クラブ・ニュース」1月号がほとんどできた

ヴィク・ファン・クラブは16年を超えて前進中だ。ふと、あとどのくらいできるかなぁと弱気になるときがある。でも、おおむね楽観的でまだまだイケルと思っている。
今月号も楽しいお便りが満載の会報ができあがりつつある。生き生きと生活を語るお便りが多く、こういうのが嫌いな人はいやだろうが、楽しいと思う人にはたまらないおもしろさなのである。おもしろいと思う人がもっといたらいいんだけどね。[会員募集中です。]

大半のメンバーが入れ替わっているので、3カ月前から〈過去の会報から〉という1ページを設けている。最初のころは「 V.I 」という季刊誌を出していた。今回は「 V.I 」3号から「V.I. Cooking」という1ページを載せた。1993年にTさんが愛機クラシックマックを駆使して作った1ページである。サラ・パレツキー「ガーディアン・エンジェル」の中で、ミスタ・コントレーラスがヴィクにスペアリブをすすめるシーンがあり、それを彼女が自分なりにつくった報告である。キッドピックスでイラストを描き、ページメーカーでレイアウトした労作。

今日はレイアウトが全部できあがった。明日はあと少しをコピーして綴じ、明後日送るつもり。

2008年01月16日

寒いけど元気

さっき窓を開けたらものすごく光った月が見えた。ぴかぴかですごくきれい。風が吹き出したからよけいに寒くなってきた。当分この寒波が居座ると天気予報で言っていたが、先週暖かかったからよけいに寒さがこたえる。
でも、わたしは元気だ。自分でも元気だなぁとつくづく思う(笑)。今日は仕事をけっこうして、その上にヴィク・ファン・クラブの会報を綴じて封筒入れして明日送れるところまでやった。おっと・・・1時過ぎている。
年末の寒いときに厚手のタイツを買った。おかげで太ももとふくらはぎの冷えが違う。腰も暖かくてだるさがなくなった。わたしの健康法は冷やさないのひとことだわ。

読み終わったレジナルド・ヒル「殺人のすすめ」の感想を書こうと思ったが、それをするには遅すぎる。ということでカンタン日記でした。

2008年01月17日

また未読本がでてきた レジナルド・ヒル「殺人のすすめ」

レジナルド・ヒルの「殺人のすすめ」 を紀伊国屋書店で見つけたのだが、お蔵入りしていたのが出てきたみたいなメモが表紙の裏についていた。奥付けには1980初版で2003年4版となっている。初版時はいうまでもなく、2003年でもあんまり熱心な読者でなかったもんなぁ。あとがきによると日本で最初の翻訳のようだ。

うれしくてさっそく読みはじめた。仕事やら用事の合間にちょこっと読むのにぴったりである。20年くらい後のダルジール警視、パスコー主任警部が出てくるのを何度もじっくりと読んでいて、知り合いみたいな気持ちなのだ。
もう太っているダルジールだけど若さがある。パスコーのほうは独身である。しかも本書でエリーと大学卒業以来久しぶりに出会うのである。彼は警察官、彼女は大学講師として。
事件は大学の校庭で起きた。新しく校舎を建築するために校庭の彫像を移転する工事で、ショベルカーが台座を動かしたときに人の骨が見つかったのだ。任務についたダルジールとパスコーは大学に泊まりこんで捜査をはじめる。死体は女性で、5年前にスキーに行って霧の中で事故死し、遺体が見つからなかった前学長ガーリングということがわかる。なんでオーストリアで死んだはずの彼女の死体がここにあるのか。次に女子学生の死体が見つかる。
学生自治会長フラニー・ルートは金髪の美青年で、頭がよくニヒルである。そう、このルートこそ「死者との対話」「死の笑話集」でパスコーを悩ます存在になるのだ。

大学の事件で思い出すのはロバート・B・パーカーの「ゴッドウルフの行方」だ。サラ・パレツキーの「サマータイム・ブルース」も大学が出てきたよね。60年代、70年代のアメリカの大学と学生の様子がよくわかる。今回は70年代のイギリスの大学生の生態が描かれていておもしろい。
大学に行ってないダルジールは学長に皮肉を言うし、大学で社会学を学んだパスコーに対してもぐじゃぐじゃ言う。事件を解決して大学構内の車道をゆっくりと行くとき、ダルジールは言う。「すると、これがおれが大学教育を受けないで味わいそこなったものというわけだ」。わたしも大学教育を受けてないから、ダルジールの気持ちよくわかる。(秋津知子訳 ハヤカワポケットミステリ 1200円+税)

2008年01月18日

SUBのライブでいい気分

今週は忙しかった。元気だとなぁと自分で感心してとばしてきたけど、今日になって疲れが出てきた。
今夜は遊ぼうと、晩ご飯を食べてから谷町9丁目のSUBへ行った。毎週金曜日は西山満さんのベースと竹田一彦さんのギター演奏がある。去年11月エディ・ヘンダーソンのライブのとき、ヘンダーソン夫人に竹田さんを紹介してもらって、すぐにマイミクにもなってもらった。そのとき毎週金曜日にやってるから来てねと言われたのを、今夜ようやく行けた。休憩時には西山さんから人類の先祖の話と戦争中の話を聞かせてもらった。受け答えが上手なせいか(?)、えらく気に入られて兄妹のようだと言ってくださいました(笑)。
マイクなしの演奏ってすごく気持ちよい。西山さんの275年前のものというベースの音がほんとによく響く。竹田さんのギターがきちっとしっかりと響く。西山さんが目立つタイプで、竹田さんは地味なタイプで、よく合っているのかしら。最後の2曲は若きギタリスト高山さんが入っていい演奏を聴かせた。
体が勝手に動く。頭の中の芯までが楽しさで溢れる。ナマの音楽はええわ。

SUBは西山さんがやっておられて今年で38年になるお店だ。ずっと名前だけは知っていたが行ったことがなかった。一昨年エディ・ヘンダーソンが来たときに行ったのが最初だ。そのときもまた来ると言いながら、行ったときは休みの日だったりした。
今日のお客はお店いっぱいで中年カップルが多かった。暖かい雰囲気だったなぁ。うちからは地下鉄で4つ目の駅で、しかも外に出なくてもいいところにある。また行くべし。

2008年01月19日

ラブコメディで疲労回復 「メラニーは行く」

メラニーは行く! 特別版 アンディ・テナント今年になってからなにかと忙しかったが、昨日の午後からゆっくりできそうということで、相方が借りてきてくれたのは、リース・ウィザースプーン主演の「メラニーは行く」(アンディ・テナント監督 2003)で、原題が「SWEET HOME ALABAMA」。金曜日だというのに昼ご飯の後に見た。仕事をさぼって映画館へ行ってる気分。笑って疲労回復した。

南部アラバマからニューヨークにきて7年のファッションデザイナーのメラニーは、ショーに成功し新進デザイナーとして注目されるし、市長(なつかしのキャンデス・バーゲン)の息子から求婚される。メラニーは若いときに一度結婚してまだ離婚できていなかったので、アラバマへ離婚届のサインをもらうために帰る。子どものころから結婚を誓った元夫はサインに応じない。いろんな手を思いついてはやってみるがダメ。町を行くと昔の知り合いとたくさん出会う。その会話の中で彼女が過激なくらいにおもしろい女だったかがわかってくる。彼女の両親は相変わらずで、父はなにかの記念日に南北戦争の模擬戦に出場。これが大掛かりでおもしろい。人々の会話にも行為にもいまだに南北戦争が尾を引いていることがわかる。友人の邸宅はスカーレット・オハラが出てきそうだ。ようやくサインをもらえてほっとして書類を弁護士に送る。そこへ婚約者がニューヨークからやってくる。そしてこの地で結婚式をあげることになる。最後は本当に自分が愛している相手を選ぶメラニー。
最初はニューヨークを振りかざして大きな顔をするメラニーだが、故郷の人たちの暖かい日常がじわじわとしみ込んできて、言動も変わってくる。

リース・ウィザースプーンってはじめて見たがきれいな人だ。検索したら2005年に「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」でアカデミー主演賞を受賞している。ジョニー・キャッシュの伝記映画で、彼女はキャッシュに憧れられる女性歌手役で吹き替えなしで歌っているそうだ。祖先はアメリカの独立宣言に署名したジョン・ウィザースプーンなんだって。

2008年01月20日

ジョセフ・ロージー監督「エヴァの匂い」

01.jpgジャンヌ・モローの「エヴァの匂い」(1962)を見逃したまま見たことがなかった。当時の評判はあまり良くなかったように覚えている。でもジャンヌ・モローの映画はできるだけおさえておきたいということで見始め、タイトルを眺めていたらジョセフ・ロージー監督ではありませんか。ジョセフ・ロージー・・・えーっ、知ってる、見てる、だけどタイトルが浮かんでこない。あとで検索やな。

エヴァはローマから男とヴェネチアへやってきて、ボートに乗っていると雨が降り出したので陸へ上がって、そこにある家の窓ガラスを破って勝手に入り込む。立派な家である。エヴァは勝手に持ってきたレコードをかける。この映画の間中鳴り響く歌声はビリー・ホリディ。その家の主の作家が帰ってきてエヴァに一目惚れ。連れてきた男を追い出してしまう。
作家は恋人をほったらかしてエヴァを追いかけてローマへ。彼はウェールズ人で炭坑労働者だった。作品は彼の兄が書いたもので、兄は自分は炭坑労働者だと言い、作家として生きる気はなく弟に原稿をくれたのだ。作品は映画化され彼は莫大なお金を手にした。
結局捨てられた作家は、恋人とよりをもどして結婚するのだが、直後に妻の留守の間にエヴァを求めて賭場へ行く。酔いつぶれていっしょに帰ってきたものの相手にされず、それなのに、そこへ妻がもどってくる。妻は絶望の余り走ってボートに独りで乗り水死する。その後もエヴァに執着する心を断てない彼。
ジャンヌ・モローの悪女ぶりが当時の男性たちには受け入れられなかったのだろうと思う。徹底している。めちゃくちゃ美しくて惚れ惚れした。

ジョセフ・ロージー(1909〜1984)は、50年代始めにハリウッドの赤狩りにひっかかって英国へ亡命し、戻ることはなかった。
わたしの見た映画は「コンクリート・ジャングル」(1960)「唇からナイフ」(1966)「夕なぎ」(1968)「秘密の儀式」(1968)「暗殺者のメロディ」(1972)「恋」(1971)
梅田コマ劇場の地下の小さい映画館で見た、エリザベス・テーラーの「秘密の儀式」がいまも心に残っている。

2008年01月21日

亜麻仁油を飲んで思い出した 落語「もう半分」

亜麻仁油がアトピーにいいということで、毎晩大スプーンに一杯を飲んでいる。見た目はちょっと濃いめのオリーブオイルだが、わずかにせよ油をそのまま飲むのははじめてだ。唇も歯茎もべとつくのが困ったところ。すぐに熱い白湯を飲むことにしている。それから夜の歯磨きにかかる。

さっき亜麻仁油を飲んでいたら、油を飲む落語があったよなと思い出した。もしかして「もう半分」じゃないかと、このブログを検索したら、2005年5月に桂春之輔師匠の「もう半分」の感想があった。
大阪、四ツ橋の近くにある居酒屋にじいさんが入ってきて酒を飲む。もう帰らなきゃと「もう半分だけ」と頼むのだが、飲んでしまうと、また「もう半分」と飲み続ける。夫婦はじいさんが置き忘れたお金をネコババする。それは娘が身売りしたお金だった。絶望したじいさんは西長堀川に身投げする。酒屋は繁昌して子どもが産まれて万々歳だが、生まれた子どもはじいさんそっくり。夜中にその赤ん坊が行灯の油を飲み、夫婦のほうをじろりと見て「もう半分」。桂春之輔師匠の噺は絶品だった。陰惨な噺に息をのんだ。

2008年01月22日

ヨークシャーの少年たち ウィリアム・メイン「砂」

sand.jpg70年代に児童文学が好きになってたくさん読んだ。旭屋の児童文学書の売り場へ行ってはなにかないかと探したものだ。いちばんのヒットは「ホビットの冒険」だ。自営業になるとき、この本の主人公〈ビルボ〉の名前をもらった。
80年代後半に縁あってイギリス児童文学研究会「ホビットの会」に入った。数年間毎月または何カ月かかけて一人の作家の全翻訳作品を読んで話し合うというきついことを続けた。入ったときは10年経っていた会なので、たくさんの作家が終わっていたわけだけど。それだけ訳書が出ていたんだからすごいなぁと思う。
ウィリアム・メインの「砂」(1964)は、好きで読んでいた時代に読んだ。他の作品も読んだのだけど、内容を忘れている。「りんご園のある土地」が好きだった。素敵な絵本「パッチワークキャット」の文章を書いている人なんだよね。

なぜいま「砂」かというと、相方のブログを読んでいたら「砂」のことが書いてあったのね。【イギリス、ヨークシャー州の海岸沿いの小さな町が舞台】とある。あれま、ヨークシャーだって。レジナルド・ヒルやんか。しかも「薔薇は死を夢見る」と「武器と女たち」に出てくる別荘は北海に面した海岸にある。
というわけであわてて読み出した。そうやったと何十年も経っているのによく覚えていた。北海に面した小さな町に住む少年エインズリーは姉のアリスと仲が悪い。姉は優等生型で弟はやんちゃ坊主である。アリスがエインズリーにぼろくそ言っても母は優しい。
一家四人で日曜日に教会へ行くが、砂が海風に運ばれていてその教会は埋没しそうである。町全体があと何十年かしたら砂に埋もれるだろうと言われている。
レジナルド・ヒルの作品でも、海岸の別荘を買うとき、海がどんどん迫ってきているが、まあ何十年くらいは大丈夫でしょうと言われて格安で買うのだ。

エインズリーと仲間たちは海岸で大きなワニと思われる骨を掘り出し、苦労の末に廃車になっていたトロッコを使って町へ運ぶ。細かい描写で発見から運ぶところまで飽きずに読ませる。海と砂と少年たちと寒さとたき火と。ようやく女学校の校庭に夜のうちに運び込む。専門家が見ると。その骨はワニの化石ではなく100年くらい前のマッコウクジラなのだった。
愉快な事件ということで新聞とテレビの取材を受け、彼らは校長先生の叱責を逃れることができた。目的の女学生たちとも話をしたいというのもかなえられた。(林克己訳 岩波少年文庫)

2008年01月23日

ドロシー・L・セイヤーズ 長編小説第1作目の「誰の死体?」を語ろう

誰の死体? (創元推理文庫) ドロシー・L. セイヤーズ晩ご飯を食べてから今日はなにを書こうかと考えていたんだけど、どうにも思いつかない。家にある本でまだ書いてない本はあるのだけれど、書くにはまた読まねばならぬ。いま読んでいてもう少しで読み終わる本は明日書く予定。

それから読むのがこの本です(かなり勿体ぶってます-笑)
山本義隆「磁力と重力の発見」全3巻(みすず書房)
姉に頼まれてアマゾンで買ったのだが、先に読ませてくれるとのこと。これからありがたく読ませてもらうところ。
この本を読んでいる間は本の紹介が減ると思うので、思いついてミクシィの「セイヤーズ読書会」のトピックに自分が書いたのをこちらに引っ張ってくることにした。けっこうおもしろいです(自分だけかも)。


■長編小説第1作目の「誰の死体?」を語ろう

長編小説第1作目の「誰の死体?」ですけど、この本でピーター卿の魅力につかまってしまった人も多いかと思います。
私が最初に読んだのは「大学祭の夜」(「学寮祭の夜」)ですが、次に「パターシイ殺人事件」(「誰の死体?」芸術社から昭和31年に発行されたもの)を読んで、ピーター卿の人となりを知りました。
本書ではすでにデンヴァー先代公妃、マーヴィン・バンター、チャールズ・パーカーと主役クラスの人たちも出そろって、それぞれの魅力を発揮しています。ピーター卿の家庭環境、戦争体験(第一次大戦)、バンターとの間柄も語られています。

ものすごくさっさとストーリーが始まっていくところが好きです。古書の競売に行く途中のタクシーで忘れ物を思い出し、家にもどると母のデンヴァー先代公妃から電話がかかっており、知り合いの家の浴場に死体が置かれているとのこと。競売のほうはバンターにまかせて、死体が発見された建築家シップスの家に向かいます。
死体は50がらみの長身でがっしりした男で、裸にもかかわらず金縁の鼻眼鏡をのせています。これで読者は興味しんしんとなりますよね。
(mixi コミュニティ「セイヤーズ読書会」のトピック〈長編小説第1作目の「誰の死体?」を語ろう 2006.4.9〉より)

2008年01月24日

エステルハージ・ペーテル「黄金のブダペスト」

黄金のブダペスト エステルハージ・ペーテルウィーンとベルリンをテーマに編集されたミステリーを読んで、ミステリアスなヨーロッパの都市とそこに住む人たちの魅力をを少しだけ味わった。図書館で他の都市のものを読みたいと思って見つけたのが2000年に翻訳されたエステルハージ・ペーテル「黄金のブダペスト」、ブダペストの街やドナウ川の写真に飾られた美しい本である。
ペーテルが名前でエステルハージが苗字かな。ハンガリーは名前が先で苗字が後にくるのかな。たしかバルトークもそうでバルトーク・ベラだった。検索したら、「ヨーロッパ風にベラ・バルトークやベーラ・バルトークと表記されることもある」とあった。

ブダペストを〈ブタペスト〉と思っていた子どものころ、なんの本か映画かで知ったか覚えていないけど、エキゾチックな街だと思っていた。社会主義国になってからのハンガリーについて、なにかの学習会で大学の先生に質問したことがある。東欧のことはわからないというのが返事だった。いま考えたらそこらの女の子に一口で語れるものじゃないよね。それだけのことで忘れてしまっていたけど。

本書はブダペストについてのエステルハージ・ペーテルの作品が集められている。読む前にネットでヨーロッパ、ハンガリー、ブダペストと順番に地図を見ていった。それを頭に入れて読んだのですごくおもしろかった。
最初の「見えない都市」にこれ以上ないブダペストへの賛辞がある。全部を引用したいほどだけど一節だけ。
【底意地の悪いブダペストがございます。快楽に淫しているブダペストがございます。権力欲まるだしのブダペスト、お調子者のブダペスト、深刻ぶったブダペスト、深遠なブダペスト、機知縦横のブダペスト、くそったれのブダペスト、嘘つきのブダペスト、卑劣なブダペスト、紳士のブダペスト、形のないブダペスト(プラスチック)、三文文士と経済学者の都市、極度の傲慢と極度の卑屈からなる都市・・・】
こう書ける作家の幸せというものを感じる。
彼の作品はハンガリーでも難解と言われているそうである。ここに集められた作品たちはブダペストについてのものだからなんとか追いついて読んだ。

訳者あとがきによるとエステルハージ・ペーテルは1950年生まれ、翌年6月、一家は「人民の敵」として強制居住地に移住させられた。彼の一族は十七世紀前半に副王としてハンガリー史に登場する大土地所有の大貴族だった。中央ヨーロッパの名門貴族の家系である。社会主義体制崩壊後に、エステルハージ・ペーテルにも土地返還の申し出があったが断ったそうだ。(ハンガリー文芸クラブ編/訳 未知谷 2000円+税)

2008年01月25日

寒中見舞いを書いて、部屋の整理もして

今年は21日が大寒だった。そのころに寒中見舞いを出そうと思っていたがずるずる延びて、今日ようやく書いて明日ポストに入れる。この間よそでちょこっと聞いたラジオで寒中見舞いは立春の前日までに相手方に届けばいいと言っていた。間に合ったーという感じ(笑)。

この間から部屋の整理をちょこちょこしている。先日はレーザープリンタをしっかりした台の上に置き換えて見栄えもよくなった。次に今日インクジェットプリンタを処分したら、わたしの机の横がすっきりした。すぐに写真立てやガラス瓶、1994年に買ったノートパソコン(PowerBook 520)を置物として置いてにっこり。
それから物入れの整理をして本の入った箱を積み上げた。まだまだ積んである本があるので、当分本の整理をしないといけない。捨てる本がないかと箱を開くが、ぎりぎり置いておこうと箱に入れたのだから捨てるものはない。新本を買わないで古い本を順繰りに読むのもいいかも。

2008年01月26日

はじめて見た ジャン・ユスターシュ監督の「ぼくの小さな恋人たち」

夭折の天才監督ジャン・ユスターシュ(1938〜1981)の名前を知らなかった。ゴダールに発見され、最後のヌーヴェルヴァーグ作家と言われていたというのも知らなかった。
今夜ビデオで「ぼくの小さな恋人たち」(1974)を見て、ショックというか、すごく心を打たれた。

13歳のダニエル(マルタン・ロエブ)はフランス南部の田舎に祖母と暮らしている。祖母は優しく世話してくれてるし、村へ来たサーカスを見に行ったり、森で友だちと遊んだり牧歌的な日々である。そこへ離婚していた母が息子を引き取りにくる。ナルボンヌの街で母親の新しい男との生活がはじまる。高校へ行くつもりだったのに、お金がないから働くようにとオートバイの修理屋へ行かされる。
働きながら世間を知っていく少年の哀しさがたまらない。最近こんな映画あったかなぁ。アラン・ドロンの「若者のすべて」(1960)はイタリアの田舎からミラノへやってくるが、働くのが当たり前の時代だったし、きょうだいが多くて助け合っていた。だいぶんに違う。
清潔な田舎出の少年は煙草を覚え、ため口をたたくことも覚えたが、女性に対しては純情だ。
内容は哀しいのにプツンとシーンが切れて次のシーンへ行くのが歯切れ良い。
マルタン・ロエブは哀愁あふれる美少年。

2008年01月27日

女子マラソンと大相撲と

そうや〜大阪国際女子マラソンがあったんやーと気がついたときは2時過ぎていた。テレビをつけたら福士が失速しはじめていた。35キロ手前でヤマウチが抜き去り力強い走りでゴール。2位は森本だった。
マーラ・ヤマウチはイギリス外務省の一等書記官だが、マラソンのために休職中で、日本人の夫はイギリスでの仕事を辞めいっしょに日本で暮らしている。表彰台のインタビューでは流暢な日本語で喜びを語っていた。とても温和で感じがよい人だ。
長居競技場には雪が降っていた。

それからなんとまぁこの寒さのなか、ベランダの大掃除をした。おおむね言い出しっぺの相方がやったけど、やっぱり最後の詰めはこちらだ。気持ちよく片付いてやれやれ。

買い物から帰るとありゃ5時だ。千秋楽を忘れていたわ。あわててテレビをつけたら前の取組みが終わったところだった。賞金が48本だったかしら、いつまでも続く。場内どよめいてたいへんな雰囲気。白鵬と朝青龍のぶつかりあいがすごかった。最後は白鵬が勝ったが朝青龍はよくやったと思う。

晩ご飯はスケソウダラの鍋。小さい白子もあっておいしかった。二匹セットのを買ったので明日は煮付けにする。

2008年01月28日

アントニア・ホワイト「五月の霜」

五月の霜図書館のヤングアダルトの棚に、気難しそうなみすず書房の白いカバーの「五月の霜」があった。イギリスの作家アントニア・ホワイト(1899〜1980)の長編小説のはじめての邦訳だという。ロンドンで生まれたホワイトは、パブリックスクールの教師でプロテスタントからカトリックに改宗した父の方針で、ロンドン郊外の女子修道院付属の寄宿学校で9歳から15歳までを過ごした。本書はホワイトのそのときの体験をもとに書かれた作品である。

学校の規則は厳しいものだが、改宗者に対する教育は特別に厳しい。主人公ナンダは父の命令にもよるが自分でも真のカトリック教徒であろうと必死である。責任者のマザー・ラドクリフは長年にわたって少女たちを見守ってきたから、ナンダの性質(文学少女)を見抜いて、改めるように導こうとする。
一人の修道女が言う「あなたは頑固で、独立心が強い。九歳の子どもの精神に誇りがあるとすれば、その誇りこそがあなたの一番の悪です。・・・」ちゃんと見抜いている。
祈りと勉強の日々で友だちもできる。ナンダが仲良くなった彼女たちは、休暇中はヨーロッパの貴族社会で過ごしていて、すでに退廃的な雰囲気を身につけている。その一人レオニーは言う。「今から二十年後にはナンダは筋金入りの、誰が見ても間違いようのない合理主義者になっていて、わたしはといえば、模範的なカトリックの母親になっている。・・・」ちゃんとわかっている。
麻疹が流行したとき、仲良し四人組はしっかりと罹って同じ病室に入る。そのときの会話で、みんなの未来を語るのだが、三人の未来ははっきりしているけど「ナンダは未知数」とレオニーは宣言する。
病室で書いた小説がマザー・ラドクリフに見つかり、両親が呼び出される。父親に捨てられたナンダは学校からも追放される。最後に「わかりました。マザー」と言うと、マザーは「そうです、その調子、人生は十四歳で終わりではないのですよ」。ナンダにはもうもとのよういはなれないのがわかる。

訳者あとがきによると、アントニア・ホワイトは女子校を卒業してから、父のすすめるケンブリッジへは行かず、コピーライターとなり短編小説を書き始める。さまざまな職業について結婚・離婚を三回経験している。(北條文緒訳 みすず書房 2800円+税)

2008年01月29日

アントニア・ホワイト「五月の霜」続き

五月の霜昨日は本の紹介を書いたが、今日は読み終わった感想です。
こういう物語を読むと「主人公は私だ」と思う人はわたしだけではないばずだ。普通の少女と違うものを心に持っているために、普通の生き方ができない。わたしのようなはぐれ者なら食うや食わずでも、てか食えなくても当たり前の世界を生きていける。それにまったく他の道がない。ところがお嬢様だと話がややこしくなる。
わたしは40歳代から50歳代のとき、ナンダのようにお嬢様の友人が親密に側にいる経験をした。彼女らは賢くて美しくて辛辣で、家族から独立しようと懸命だった。100年近く前のカトリックの寄宿学校の生徒たちと違って、まだ親や伝統が決める結婚を蹴飛ばしやすい時代になったけれど、実際はそうでもなかったのだ。
結局、彼女たちは素直にではなく、屈折したあげくに家族制度に帰っていった。わたしを見ていたら、先々こんな生活できるかと思うようになるわな。最初は憧れてくださったけれども(笑)。彼女たちはいまごろどうしているだろう。レオニーのように「模範的なカトリックの母親になっている」からカトリックを除けて「模範的な母親になっている」のあろう。

そんなことで、本書を読んでいるといろいろなことが頭に浮かんで、つらい読書になった。それで、今日は口直しにバーネット女史の「小公女」を最初から最後まで読んだ。つらい仕事で疲れても食べ物をろくろくもらえず、屋根裏の宴会も見つかって叱られ、泣き寝入りする。暖炉の火がぱちぱちとはじける音で目が覚めると、おいしそうな食べ物があり、暖かいふとんがありというところで慰められた(笑)。

2008年01月30日

腰痛で反省

一昨日は整骨院の帰りにアメリカ村を通って、アップルストアを見学して、大丸地下へ行き、そごう12階書籍売り場までエスカレーターで昇りつつ各階をちらりと眺めて、東急ハンズへ行った。はぁ、けっこう歩いたなぁ。
晩ご飯のあと2時間ほどパソコンの前に座っていて、立ったら腰がアイタタタで体がまっすぐにならない。しばらくすると治るのだが、また座って立つといっしょ。ベッドに入ってもなかなか上を向いて寝られなくて寝返りを打ってばかり。朝方に目が覚めてしまい、いつになく、これから暮らしていけるのかしらなんて心配をしてしまった(笑)。
そんなことを昨夜ミクシィ日記に書いたらたくさんいたわりのコメントをいただいた。持つべきものは友である。
昨日も腰痛は去らず、外に出て行く元気がなかったが、寝る前にゆっくりと熱いお風呂で温まって自立訓練法をやったら熟睡できた。ほっ。

今日は昨日よりもだいぶマシになった上に、整骨院で治療してもらったので晴れ晴れである。先生がいま腰痛の患者さんが多いと言うてはった。冷えるからでしょうねとのこと。冷やしたらアカンといつも思っているのに、絶好調が続いていたもので、ついうっかりしてしもた。
滅多に百貨店なんて行かないから、つい腰に負担をかけるまでぶらついてしまったのね。反省。

2008年01月31日

ミシェル・ファイファーが元気、ジョナサン・カプラン監督「ラブ・フィールド」

ジョナサン・カプラン監督「ラブ・フィールド」(1992)は、ミシェル・ファイファーがアカデミー賞にノミネートされたというのに、ビデオ発売しかされていない。
わたしはミシェル・ファイファーがずっと好きでなかった。大ヒットした「恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」(1989)はわざとらしいと思ったし、大好きなダニエル・デイ=ルイスが恋いこがれる「エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事」(1993)の貴族夫人は、違う女優にやってほしかった。
それが、ジョージ・クルーニーを見に行った「素晴らしき日」(1996)では、クルーニーと丁々発止とやり合う建築家の役がぴったりで、いままでの偏見を捨てて好意を持った。彼女の映画はこの3本しか見ていないけど、今回「ラブ・フィールド」を見て、こういう役がぴったりだなと思った。

ダラスに住む平凡な主婦ルリーンはケネディ夫妻の熱烈なファンで、ダラスに来た夫妻を一目見たいと空港へ行く。その帰りにテレビニュースで夫妻暗殺を知り、葬儀に行こうと決心する。夫に言っても相手にされず、夜中に一人抜け出して長距離バスに乗る。バスは前に白人、後ろは黒人とまだ決まっていた時代である。白人席のいちばん後ろに座ったので、すぐ後ろの少女を連れた黒人男性と言葉を交わすようになる。
バスが休憩中に少女を白人トイレに連れていったルリーンは少女の体の傷に気づき、男性を誘拐犯と勘違いしてFBIに誘拐犯がいると電話してしまう。実は施設に預けてあった娘を北部へ連れて帰る途中だったのだが、ひょんなことから3人はFBIに追われる立場に。その後モーテルまで来た夫に殴られて逃げ出し、車を盗んでの逃避行。結局は逮捕されて3人はばらばらになる。
最後は一年後、離婚成立してすっきりした彼女が娘の施設にやってくる。父親が引き取りにくる日だ。彼と出会ってキスを交わして別れたものの、彼女の車がリターンしてくるところで終わり。

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