年末に図書館の新刊書のところで、2007年11月発行の美しい本を手にしてうれしくなった。西脇順三郎(1894〜1982)の詩を読んだのはだいぶ昔のことだが、雑草の名前がたくさん出てくるところが好きで、いまも文庫本だが詩集を持っていてときどき開く。
随筆集だからきっと読みやすいと思ったが、言葉はやさしくても内容は深くて全部理解できたかわからない。けれどもたいへん幸福な読書だった。
最初のほうは生い立ちから若き日の回想で、ずいぶん恵まれた環境の人だったのがわかった。語学に興味を持ち、考えたり、感じたりすることを外国語でできたらよいなと思っていつも祈っていたとある。そしてヨーロッパの文学に親しみヨーロッパへ行き、考え方がヨーロッパ的になっていく。わたしは外国語がひとつもできないから比べられないけれど、長い間に翻訳小説が好きで読んでいるうちに、考え方がヨーロッパ的になっているのを感じている。だからすごく親近感を持った。
こんな一節があった。【この二十年間は文芸の上で何を読んでたのしんだかというと三十年以後のイギリスの小説ばかりであった。特に女の書いた小説ばかり。すばらしいものがある。現代イギリスの小説の実力は女であるということは恐らくまだ一般には気づかれない。またD・H・ロレンスもようやく、今日英国では初めて注目されつつある。この男の世界も女の世界である。】いまであればなんかわかるような気がする。
「自然の憧れ」という章には、自然の中にいるとかえって自然への憧れを失う、の後に【不幸にして都会の真中に貧乏生活をしている場合は自然に対して風情を強く感じる】とある。これってわたしのことね。
「故園の情」という章では、中学生のとき、松林のある小山の下のおおきな池にいっぱいに密生しているジュンサイの中に飛び込んで泳ぐ。【からだにジュンサイの精を感じ、頭からジュンサイのドビュスィーの音楽を浴びた。】という一節にしびれた。
同じ章に【昔は「キンセンカ」がきらいであったが、オーガスタス・ヂオンという画家が「キンセンカを持った少年の肖像」を描いたのをみてから、また法隆寺の仏像の前に花の頭だけ切って茶わんに沢山さしてあるのを見てから、心境の変化をみた】とある。これでまたものすごく親近感を持った。なぜならわたしはドロシー・L・セイヤーズの「学寮祭の夜」の中で、ピーター卿がテーブルの上の花瓶に生けられたキンセンカを好もし気に見た、という一節を読んでからキンセンカが好きになったから。しかも今日スーパーへ行ったら花売り場にキンセンカがあったのだ。なんという縁だろうと大喜びでテーブルに飾ったのである。
東京の中の田舎をよく歩き、さまざまな雑草の名前が書かれているところも好き。柳田國男や折口信夫の名前も出てきて読書の喜びは尽きない。持っていたい本だ。(慶応義塾大学出版会 4800円+税)