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2008年02月 アーカイブ

2008年02月01日

ルイス・スロボドキン「スーザンのかくれんぼ」で、寒い夜をくつろぐ

スーザンのかくれんぼ可愛い表紙を見ているだけで楽しい。大きな木の陰に隠れている女の子と走って探している男の子二人。
開くとそのわけがわかる。お兄ちゃん二人はガラスびんに飼っているクモをスーザンに見せようとしているのだ。スーザンはクモが大嫌い。
自転車に乗ってお母さんにどこかいい隠れ場所はないかと聞くと、大木の陰を教えてくれる。でもそこは隣のおばちゃんに見つかる。そこでおばちゃんに違う場所を教えてもらう。そしたら芝刈りのおじさんに見つかり、芝刈りのおじさんの場所は郵便屋さんに見つかり、郵便屋さんに教えてもらった犬小屋は犬が帰ってくる。
スーザンは枝を低く垂らしている柳の木の下を見つけて隠れる。
みんなが探しにくるのだが、その枝の下に隠れていると誰も気がつかない。みんなの探す声にそっと出てきたスーザンは、どこに隠れていたか教えない。それからは一人でいたいとき、スーザンは垂れ下がる柳の枝の中にいることにした。
こんな話なんだけど、木の葉のみどりと草のみどりに、スーザンの赤いワンピースと自転車がさわやかで、ゆったりとした気持ちになる。
ルイス・スロボドキン(アメリカ ニューヨーク州生まれ、両親はウクライナ出身)の1961年の絵本だが、日本語では1970年に初版が出て2006年に新装版が出ている。(やまぬしとしこ訳 偕成社 1200円+税)

2008年02月02日

伊予柑は春の香り

伊予柑がポランのカタログに載ると春がすぐだと思う。先週注文したのが水曜日に届いたのをミカンの在庫がなくなった今日はじめて食べた。春の香りがする。
明日は節分で明後日が立春、そしてお水取りと季節が進んでいく2月が好き。19日は雨水(うすい)である。雪や氷が溶けて水となるんだって。そしたらすぐに啓蟄(3月5日)やんか。いつだったか、最初のゴキブリを見たのが啓蟄の日だった。猫がいるときだったが。
目に見えて日が長くなるのがうれしい。日が暮れるのが遅くなるのがうれしい。日が延びるとなんとなくゆったりした気分になる。

今年は寒い。去年の1・2月は暖かくて3月になって冷え込んだと覚えている。
今日も寒くて冷え冷えしている。ここんとこ鍋物を食べ過ぎて胃腸に負担がかかっている感じなので、今日はお餅を入れたお粥にした。卵焼きと切り干し大根とジャコおろし、そして伊予柑。

2008年02月03日

レーザー・ディスクで「ニュー・オーダー・ストーリー」

最近になって我が家では New Order 熱が盛り上がった。相方が言い出したからわたしは尻馬に乗ったわけだけど。でも、わたしはその前身の Joy Division のヴォーカル、イアン・カーティスのファンだったから異議なしだった。それで1993年に出たレーザー・ディスクを持っているのを思い出したわけ。内容は全部忘れていた。2・3回は見たかなって思うんだけど、90年代後半になると全然興味を失っていたのだ。
イアン・カーティスは1980年に自殺した。Joy Division のレコード「アンノウン・プレジャーズ」を持っていて、大好きだったからショックだった。当時はまだレコードだったんだ。いまはCDを持っているけどジャケットも大好き。

そんなことで昨日のお昼に見たLD、1面だけ見ようと言ってたのに、3面とも全部通して見てしまった。そしてそれから部屋には New Order のCDが鳴り響いている。
「ニュー・オーダー・ストーリー」の、最初のほうはイアン・カーティスの映像と歌声が響く。異常なまでに腕を振って歌う姿がいまも迫ってくる。目が凄い。彼が亡くなってから残ったメンバー3人で新しいバンドをやっていこうと決意する。キーボードのジリアンが加わったのがいい結果となったと思う。
このLDはイアンが亡くなってから10年以上経ち、新たな成功を収めた音楽と、余裕のあるインタビュ−とで構成した〈物語〉である。語り手にU2のボノがちょくちょく出てくる。最後のほうで「負けないぞ」と言っているのがおかしかった。わたしはどっちかというと、U2のほうが好きと思ったが、こちらのほうが飽きないで聴けるかな。
この映像ではみんな若くてほっそりしてカッコいい。その延長でいま検索したら現在に近い写真があり太った姿にはびっくり。こちらが浦島太郎だわね。

2008年02月04日

今年は早めに申告書ができた

年が明けると気になるのが確定申告だ。夫婦二人の超零細自営業でも書式は同じ。仕事をはじめた翌年から青色申告にしている。わたしが専従者になっているから、一月中に給与の報告書を提出する。これは勤めているときもとてもいやな仕事だった。お正月休みがすんで日にちが少ないのに、提出書類をつくらなきゃいけない。働き始めたころはまだ電卓がなく、ソロバンは得意なはずなのにタテヨコの計算が合わなくて苦労した。いまは自分のだけだからラクだけど、それでも頭を経理アタマにするのはめんどうなものである。
2月になると去年の帳簿をまとめて確定申告書を仕上げる。国税庁のサイトから確定申告のところへいって、書式にのっとって記入していく。計算してくれて書き忘れがあると注意してくれて便利だ。税額表やらなんやら見なくてすむ。生命保険料を記入すると「生命保険控除」に金額が入る。最後までいくとプリントするページになる。e-Tax にすればプリントしなくても税務署に届くのだろう。そろそろ来年あたり手続きするかな。
今年は暖かい日にプリントしたのを持って税務署へ行くつもりである。

2008年02月05日

エレナー・エスティス作 ルイス・スロボドキン絵「百まいのドレス」

百まいのドレス先日読んだ「スーザンのかくれんぼ」はルイス・スロボドキンの絵本だった。お話も絵もとてもほのぼのとしていて楽しかった。彼女の描いた柔らかいタッチの表紙や挿絵に飾られた「百まいのドレス」は、貧しいポーランド移民の娘と、同じ学校で学ぶ少女たちのお話である。お話と絵がとてもみごとに調和した魅力ある本だ。

ワンダ・ペトロンスキーという変わった名前の少女は、人が行きたがらない貧しい地域に住み、貧しい身なりで学校へくる。ひとりぼっちのワンダが校庭で遊ぶ子どもたちを眺めていると、少女たちはワンダを取り囲む。まずペギーが「ワンダ、ちょっとお聞きしますけど、あなた、戸だなのなかに、ドレスを何まい、お持ちなんでしたっけ?」と聞くとワンダは「百まい」と答える。絹のもビロードのもあたしの戸だなのなかに並んでいると質問に答え続ける。
ペギーと仲良しのマデラインの家は貧しくて、人からもらった服をお母さんがうまく直したのを着ている。マデラインはペギーがワンダをからかったことで、ワンダの存在が気がかりになる。マデラインはペギーにワンダをからかうのをやめてと手紙を書き出したがこわくなって捨てる。自分もペギーのおさがりを着ているのをからかわれたら困る。ペギーはクラスでいちばんみんなに好かれている子なんだから。
デザイン画のコンクールがあって、優勝者が発表される日、教室にはたくさんの素晴らしいドレスの絵が百まい並んでいた。ワンダの百まいのドレスの絵。ワンダが持っていると言ったドレスはこれだったのだ。
その日、父親からワンダは転校するという手紙が先生にとどく。受賞をしたことを知らずにいなくなったワンダ。マデラインとペギーはワンダに手紙を書く。

差別する子どもたちがいて、差別に気がついても動けない子どもがいて、差別される子どもがいる。そういうことに真っ向から立ち向かって書いてある本である。
本書は2006年に出版されたが、1954年に岩波書店から絵本シリーズの一冊として出版されたものの再販である。戦後民主主義の高らかな気分を感じる。こんな本を買ってもらった子どももいるんだなぁ。

わたしが子どもだったころ、東京から大阪、山梨、また大阪と小学校を転校したため、関東と関西と二つの文化に挟まれて苦労した。本書と同じようにいじめる子、いじめるほうに立たざるを得ない子がいた。わたしの逃げ場は読書と着せ替え人形だった。本は空想に誘ってくれたし、手書きの着せ替え人形は、まったく本書のワンダのように百まいのドレスなのであった。ただ、わたしの絵がヘタクソだったために、才能を見せるところまでいかなかったが(笑)。(石井桃子訳 岩波書店 1600円+税)

2008年02月06日

「その時歴史が動いた」の鬼平さん

さっきテレビで、NHK「その時歴史が動いた」(シリーズ江戸時代の危機② 天明の飢饉(ききん)江戸を脅(おびや)かす ~鬼平・長谷川平蔵の無宿人対策~)を見た。
鬼平さんこと長谷川平蔵は実在したということは「鬼平犯科帳」を読めば書いてあって、物語はフィクションではあるけど、こんなすごい人がいたんだと思いながら読んでいた。
最近は「鬼平犯科帳」を開いていなくて、もっぱら「鬼平料理帳」のやっかいになっているだけなので懐かしかった。池波正太郎を読むのもっぱら「剣客商売」に片寄っているので、また「鬼平犯科帳」を読みたいものだ。でも、読み出したら熱中して全部読むだろうから、これから読む本が積んである状態ではちょっと無理だわ。

この番組では火付盗賊改で有名な長谷川平蔵が、それだけではなく、石川島(いまの中央区佃島公園あたり)に人足寄場をつくり、巷にあふれる無宿人たちを集めて、手に職をつけさせて世の中に送り返した業績を取り上げている。
NHKのサイトに詳しい内容があるので興味があれば読んでみてね。再放送もあるようだ。

2008年02月07日

安倍川餅が美味い

寒くなるとお餅がうまい。お雑煮にするより鍋に入れたり雑炊やお粥に入れて食べるのが好き。焼いてお醤油つけて海苔を巻いて食べるのも好き。
安倍川餅は子どものとき、お正月がすんでからのおやつだった。お正月はそのまま焼いて食べることが多かった。火鉢にはいつも炭が熾っており、五徳の上に焼き網をのせてお餅を焼いた。
安倍川餅のときは、母親がお湯を入れた容器に焼いたお餅を入れて、それからきな粉と砂糖を混ぜたお皿にのせてくれた。そのときは美味しかったけれど、特にどうってこともなかった。うちは貧しかったので手づくりおやつが当たり前だった。
それから長い間、安倍川餅なんてすっかり忘れていたが、数年前からよく食べるようになった。焼くのが面倒なのでお湯に入れて火にかけている。柔らかくなったらきな粉と砂糖をかけて食べるだけである。
これが美味いからやってるだけなので、正統な作り方があるのかと検索したら、いまどきはレンジなんですね。お水を入れた容器に餅を入れてレンジに入れるのだそうだ。うちはレンジがない。レンジ以外ではお餅を焼いてから湯に浸すというのと、お湯だけというのもあった。どれでも美味しかったらええやんね。

2008年02月08日

永原康史「日本語のデザイン」

日本語のデザイン (新デザインガイド)ちょっと見ただけでは簡素な表紙の本である。中身を読んでみろと相方が言ったので、いま読む本がいっぱいあるねんとモンクを言いながら受け取った。
ところが、開いてみるとおもしろい。〈はじめに〉の次に折り畳んである全部で10ページになる図版がすごい。[日本語のかたち鳥瞰]というタイトルで、日本語の表現が歴史を追って記されている。紀元前200年頃、大陸から漢字がやってきた。それからずっと漢字の時代が続く。倭語を漢字で書いていったわけだが、「古事記」の筆者太安万侶によって書くためのルールも決まる。そして万葉集も万葉がな(漢字で書かれた倭語)なのだ。その次に〈かな〉。美しい筆で書かれたかな文字、そして江戸時代の印刷物、戦争中の新聞記事、最後にパソコンの文字となって終わっている。
楽しくて何べんでも広げて眺めていた。〈かな〉を発明し発展させたのは女性たちだった。漢字を崩してかなになってしまった、その筆記のスピードが想像を誘う。気持ちのスピードが手より早い、まるでパソコンのキーボードのスピードを越えてしまうキータッチみたいな感覚(笑)。かなを駆使しての和歌や物語の数々に想いをはせる。

読み続けていくと、最後のほうにパソコンのローマ字入力についての一節があった。
ちょっと長いけど引用すると、【たとえばAならAの文字を書く代わりにキーを打つことと自国語ではない文字を打って、自分たちの字を呼び出すという行為はまったく違う。打鍵式のタイプライターであれば、文字を打つ強さが濃淡に現れる。鍵盤を打ちおろす速度(たたく強さ)で音量を変える電子ピアノがあるように、キーを打つ強さで表示濃度を変えるプログラムはさほど難しくはないだろう。しかし、キーと文字が対応せず、文字を呼び出す式の印字方法では、永遠に体と文字は切り離されたままである。発音とも筆勢や筆圧ともかかわりのない筆記方法が標準になりつつあるということだ。】
毎日文字を打っていて考えたこともなかったが、これからパソコンに向かう度に考えてしまうだろう。(美術出版社 2500円+税)

2008年02月09日

ドロシー・L・セイヤーズ「不自然な死」について話そう

不自然な死 (創元推理文庫)
ミクシィの「セイヤーズ読書会」コミュで最後の長編小説である「忙しい蜜月旅行」を取り上げた。紹介文は何度も読んでいるからすぐにできると思ったが、読み出したらやめられない。そして思ってたよりもずっと内容が深いので熱中してしまった。アップしてほっとしているところ。これからコメントが書き込まれるのが楽しみだ。
今日はちょっとばたついたもので日記のテーマが頭に浮かばず、こういうときのミクシィ頼み(笑)。

■「不自然な死」について話そう

買ったときに読んだだけだったので、今回11年ぶりに読むことになってよかったです。セイヤーズの中では好きの順番が低かったのですが、再読したら工夫のある作品だというのがわかりました。

ピーター卿とパーカーがソーホーの料理店で食事しながら話し合っているとき、横にいた青年が口を挟みます。その話に気を惹かれたピーター卿は自宅へ伴って、詳しく事情を聞きます。青年は医者で自分の患者のことで疑念を持っていると言うのです。癌の患者の老婦人が医者の予想以上に早く亡くなったのはなぜか。ピーター卿は調べ始めます。聞きこみ代理人クリンプスンさんをその町に行かせ、うわさ話の蒐集をさせるのです。
ピーター卿はその死に疑いを持って行動をはじめますが、パーカーは「・・・根拠は自信過剰の若い医師の診断と、ばかばかしい噂話しかないじゃないか」と言います。それに対してピーター卿は「証拠を求める役人としての情熱が、そのすばらしい知性を徐々に骨抜きにし、直感を押し潰してしまっている・・・」と言い、賭けをしようと持ちかけます。
クリンプスンさんも聞き込みからはじまって大活躍。そこまでやらずともと思うくらいに尾行したり、最後はどうなるかとはらはらさせられました。

解説の久坂さんが【〈いかに痕跡を残さず自然死に見せかけ殺人を行ったか?〉という〈不自然な死〉を巡るハウダニットである。】と書いておられますが、そのとおり巧妙に計画された殺人、そしてなぜ癌で自然死するであろう人を、何カ月か前に自然死に見せて殺す必要があったということもわかって納得です。(mixi コミュニティ「セイヤーズ読書会」のトピック〈「不自然な死」について話そう 2006.5.17〉より)
(浅羽莢子訳 創元推理文庫 600円)

2008年02月10日

昨日は雪、今日は快晴

昨日は目が覚めたら雪が降っていた。何年ぶりの雪だろう。今年は大阪でもちょっと郊外にいけば、何度か雪が降ったらしい。大阪国際女子マラソンのときだって、長居陸上競技場へ走者が入ってきたときはかなりの雪が舞っていた。
この辺りは全然降らない。天気予報で雪になるかもしれませんと言ってても、もう信用してへんもんね。ところが昨日はけっこう長時間降っていた。積もるほどではなかったが、それでも窓から外を見ると、近くの家屋の屋根や庇が白くなっていた。ちょっと先のビルもかすんで見えていい感じだった。午後遅くにはみぞれになり、雨になって夕方にはやんだ。

今朝はものすごく天気が良くて気分よく目覚めた。やっぱり良い天気だと気持ちがいいな。ベランダに日が当りだすと洗濯物も温かく、鉢植えもうれしそう。でも寒い。今年はいやに寒い日が多い。なんとか風邪を引かないように乗り切りたい。

2008年02月11日

「人という生物は、年月と共に鋭く美しくなる」日野晃のドラムソロ・コンサート

いま武道家として知られる日野晃が25年ぶりにドラムソロをやるということを知ったのは3日前、3年くらい前に書いたブログにトラックバックがついたことからはじまる。それは細野ビルで行われたライブで、久しぶりにジャズライブに行ったわたしは、元気なドラムの音に、日野明(当時は明だった)を思い出すと書いたのだった。久しぶりのライブだったのでオーバーに思っちゃったのね。その一言が検索で出てきて、その方はトラックバックしてくださったのだが、その方のブログを読むと、あと3日で日野晃のドラムソロがあると期待がいっぱいの文章である。
えぇーっと、わたしと相方はうなって、これは聴きに行かずばなるめぇとすぐに予約を入れた。還暦で1時間のドラムソロ!!

わたしが1970年代を思い出すときはまずジャズである。昼間は仕事をして、夜はジャズ喫茶で過ごす日が多かった。読書、ジャズ、映画、そしてジャズ喫茶の友だちとのつきあいで日々は過ぎていった。
そういうときに出会ったのが日野明だった。彼のドラムの力強さとスピードに魅了されて聴き続けた。京大西部講堂での演奏は何度も聴いたが力強かったなぁ。
10年くらい聴き続けていたけれど、日野明は83年でそういう生活を終えたのだった。多分最後の演奏だったと思うが、島之内教会でのソロはすごかった。いっしょにいた空手の先生がもう止めさせなければ体を壊すと言ったのを覚えている。

それからの彼は武道に生きる道に進み、わたしたちとはだんだん疎遠になっていった。ウィリアム・フォーサイスの招きを受けたという話を知ったり、テレビに出たという話を知ると、彼の努力が実を結びつつあるなと思っていた。

その日野晃がドラムソロコンサートを開くという。彼との赤い糸が切れなかったのか、見知らぬ人のブログの縁で今日大阪ビジネスパーク円形ホールにいた。800人も入るというホールに果たして人は来るのだろうかとヘンな心配までしたが、信奉者が多いのかどんどん人が集まってきた。スタッフが気持ちよい青年男女で武道家日野晃の魅力が推し量れる。
真っ暗な場内、さくらさくらの大合唱の中で打ち込まれた第一音が日野晃の健在を告げていた。とてもダイナミックで力強い音。昔は力技で叩いていたが、いまは技で叩いている。スピードは変わらない。1時間を怒濤のドラムの中にいた。いろいろと思い出して思わず目が潤んできた。
その後のピアノ田中武久、ベース宮野友巴との共演がとても楽しそうで、こういう余裕ももてるようになったのね。

挨拶して帰ろうと思ったら打ち上げに誘われ、ビジネスパークのレストランで昔と変わらぬヤンチャな会話を交わした。
日野晃の言葉「人という生物は、年月と共に鋭く美しくなる」

2008年02月12日

昨日の続き「La Fiesta 134」

昨日のコンサートは「La Fiesta 134」と題されていた。「134」は日野さん60歳、共演されたピアニスト田中さん74歳を足した数字で、そのお祭りって意味なんだって。
昨日書き忘れてたのを書いておこうと思ったのは、衣装のこと。日野さんの着ていた赤いスーツは皆川明さんに作っていただいたそうだ。皆川さんのブランド名はminä perhonen(ミナ ペルホネン)である。血のような赤色のスーツは日野さんにすごく似合っていた。
また和子夫人は黒のパンツスーツだったが、下に着ていたタートルネックのセーターが深紅だった。二人で還暦を祝っているのだなと感心した。

今日は疲れが抜けきらなくて肩が凝ってかなわんのだけど、ヴィク・ファン・クラブの会報の原稿がたくさんあるので1/4くらい片付けた。今日はこれくらいでお風呂に入ろう。

2008年02月13日

ドラム好き

石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」の「おいらはドラマー(中略)おいらが叩けば嵐を呼ぶぜ」という歌に惹かれたわけではないけれど(映画は見たけどまさかね)、なぜかドラムの音が好きなのだ。幼少のころジーン・クルーパというドラマーが来日して、父親が本場のドラマーだと騒いでいた。新聞や雑誌で見ただけだけど、豪快にスティックを振り上げていた。カッコええと思った。
そういう素地があるところへ、アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズが来日した。これは絶対行かなきゃとお金を工面して、フェスティバルホールの前から10番目くらいのキップを手に入れた。ノリにのって興奮したのをいまもよく覚えている。
いま図書館で借りた平岡正明の「毒血と薔薇」(国書刊行会)を開いたら、しょっぱなに出ているのが、アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズを1961年に招いたのが、〈呼び屋〉の神彰だったことと、このコンサートが日本にモダンジャズ・ブームを起こしたと書いている。わたしはモダンジャズの洗礼を受けた第一期生みたいなもんなんだといまごろわかった。

その次はレコードで聴いたマックス・ローチだ。音もすごかったけど、彼とアビー・リンカーンのカップルが理想だったときがあった(笑)。それからたくさんの来日バンドのコンサートへ行った。

そして日野晃がいた。70年代のはじめ心斎橋のジャズ喫茶で聴いて以来のファンだった。彼のドラムは激しくてスピードがあって巧かった。
その後はパンクバンドでもなんでも、リズムを刻んでいれば体を揺するくらいのことで過ぎてきた。最近はまたジャズライブに行くことが多くなり、いくらかドラム好きもむくわれてけたけど、一昨日は格別だった。

2008年02月14日

80〜90年代は猫だった

猫の花子が2000年のバレンタインデーに死んでから8年になる。19年生きた子だから我が家に来たのは1981年ということか。
先日、ミクシィ日記のほうで、わたしの音楽の歴史をカンタンにわけると、60年代はモダンジャズ、70年代はフリージャズ、80年代はパンク・ニューウェーブだったと書いて、90年代はとなるとマックだとなってしまった。もっと厳密に考えると、パンク・ニューウェーブは80年代前半に熱中して後半は醒めていた。マックと出合いはしたけど、夢中になった音楽がなかったなんてと自分でも信じられなかったが、理由が今日わかった。猫だ。
うちの花子だけでなく、うつぼ公園のガーデンキャットの世話も3年間した。人間が奏でる音楽でなく猫の鳴き声が音楽だったのね。なっとく。

猫を亡くした哀しみはいつまでも心の奥にあって、相当にええかげんなわたしだが、悲哀が底にある人になっているような気がする。

2008年02月15日

ミケランジェロ・アントニオーニ「ある女の存在証明」

ミケランジェロ・アントニオーニの映画は日本での公開のときに見たあと、ビデオとレーザーディスクで何度も見直している「情事」(1960)「夜」(1961)「太陽はひとりぼっち」(1962)以外はあまり覚えていなかった。そうそう「女ともだち」(1956)はチェザーレ・パヴェーゼの原作が好きなのでわりと見ている。だから好きなのはこの4本ということになるが、今夜DVDで見た「ある女の存在証明」(1982)も加わった。その後に、最近気になって見た「さすらいの二人」がくる。

映画監督ニコロ(トマス・ミリアン)はローマの自宅に帰ってくるが、離婚したあとの家は空虚である。彼は新しい映画のために、女優の顔写真をたくさん壁に貼ってイメージを探っているが、なかなか新たに踏み出せないでいる。
姉が大きな病院の産科医で、たまたま居合わせたとき問い合わせ電話に出たニコロは、電話の相手マーヴィ(ダニエラ・シルヴェリオ)とつき合うようになる。マーヴィは貴族階級出身で奔放な振る舞いで彼を魅了するが、謎めいた存在である。つき合いをやめるように脅迫を受け、つき合いを続けると姉をクビにする政治力までかかってくる。
そこまでの仲になったのだが、マーヴィは去って行く。次につき合ったのが演劇女優のイーダ(クリスティーヌ・ボワッソン)だが、彼女はニコロを愛し、マーヴィが心にあるニコロのために機転を利かして居場所を探す。マーヴィを訪ねたニコロだがもう二人の間は終わっていた。
ニコロとイーダはヴェネチアへ旅して、潟を船で行き気持ちが通い合う。しかしホテルにもどると電話があり、イーダは前につき合っていた若者の子どもを妊娠しているのがわかる。ニコロは一人でローマに帰る。そして新しい映画のイメージがふくらんでいくのだが、それは宇宙を描くSF映画だった。

ニコロは身勝手な男である。二人の女は道は誤るかもしれないが、嘘のない人生を歩もうとしている。見ていて大丈夫かと心配になるほど、繊細な二人の女性が、ニコロを愛するのに、ニコロはその愛がわからない。
マーヴィとイーダは「情事」「夜」「太陽はひとりぼっち」「女ともだち」の主人公と同じタイプだと気がついた。女性の愛と孤独、そして繊細な心を描いている映画だ。

2008年02月16日

バイロン卿の娘エイダ

図書館でマーク・フローエンフェルダーの著作「THE COMPUTER」という大型本を借りてきた。コンピュータの歴史や人物に関する本だけど、最初は計算ということからはじまっている。世界最古の集計システムはチェコで発見された骨で、人為的に刻まれた数に関する痕跡の一番古いものだとか。
それからいろいろな人の肖像画と実績が記されているが、知っている名前はパスカルくらいだ。
めくっていくと美しい女性の肖像画に出くわす。詩人バイロンの娘、エイダ・バイロン・ラブレイス(1815〜1852)である。バイロンは有名な与謝野鉄幹の歌「ああ、われ、ダンテの奇才なく、バイロン、ハイネの熱なくも・・・」のバイロンである。その娘さんがなんでコンピュータの本にあるのか。

エイダは一歳のとき母に連れられて家を出た。エイダがバイロン卿に影響を受けて詩人になるのを恐れたためだ。母は自分の妹に頼んでエイダに数学と科学を教え込ませる。成長したエイダはイタリアの数学者の論文を英訳し、それに彼女自身が長い注釈を書いて発表した。この注釈のために彼女は「世界最初のプログラマ」という栄誉を受けているそうな。彼女はバベッジ(数学者で発明家)の装置が完成した暁には、コンピュータが家電品と同様に一般家庭の必須品となることが当然であると予見していた。プログラム用語の一つ、Ade(エイダ)は彼女にちなんだものなんだって。ひぇーっ。(ハント・ヴェルク訳 トランスワールドジャパン 6500円+税)

2008年02月17日

細野ビルで個展「memento」とパーティ

日曜日の昼下がり、寒いけどいいお天気だ。することはたくさんあるけど、置いとくことにして細野ビルへ行った。地下の画廊で megumi さんの個展「memento」を見て、4時からパーティがあるとミクシィの告知で知ったので顔を出すつもり。

megumi さんのメッセージには、「memento mori」はもともとがラテン語で、中世ヨーロッパなどでは「死を想え」という言葉であったらしいとあって、限りある時間だからこそ大切に生きていたい、というようなことが書いてある。
先に展示を見せてもらって、それから彼女自身の言葉を聞き、最後にフライヤーのメッセージを読んで、彼女が表現したいものがわかったような気がした。
若ぶっていてもヒザを悪くして以来、棺桶に片足突っ込んでるなぁという感慨ひとしおのわたしとしては、観念でこいうことを考える若さをいいなぁと思ったようなわけ。
足下に何個もある照明にレースを被せているのも神秘性を高めていたし、協力者の若き男性 Jum & Ume さんによる、地下室を生かした展示の工夫が生きていた。

一階にもどってお茶とお菓子で若い人たちとおしゃべり、その後は megumi さんの誕生パーティということで、近田さんのパーカッション演奏とエレクトロニックなサウンドによるダンスミュージックがあり、Ichiroさんによるギターと歌があった。
なかなか楽しい午後から夕方を過ごしてまんぞく。帰ってから熱燗でチヌの鍋がうまかった。

2008年02月18日

金盞花の花

キンセンカが目につくと買う。前月は1束(3本)300円だったが、昨日は1束(2本)100円だった。10本くらい買ってがばっと大きな花瓶に入れたいところだが、つましい生活者なので1束である。先日買ったカーネーションと石竹がまだあることだし。うちの花はガラス瓶にそれぞれ単体で入れてあちこちに置いている。
しっかりと開いたキンセンカは花びらがたくさん重なって可愛い。オレンジ色が寒さの中で温かい空間をつくっている。これが机の上にあるだけで春みたい。

先週からのヴィク・ファン・クラブの会報づくりでかなり疲れている。やりはじめるとメドがつくまで気分がよいので頑張ってやってしまう。あとで疲れが出てくる。昨日は遊びにいったから一日延びてしまったので、今日は最後を頑張った。
単純なもので関係ない人が見れば、なんやこんなものと言われるかもしれないが、会員の人生がびっしりと詰まっている会報はわたしには価値あるものだ。明日送れるようにした。目が疲れてる。

2008年02月19日

平岡正明「昭和ジャズ喫茶伝説」

昭和ジャズ喫茶伝説最近ジャズを聴く機会が増えている。実は明日もライブに行く。それで少しジャズについて知っておこうと、平岡正明「毒血と薔薇」(国書刊行会)と「昭和ジャズ喫茶伝説」を読みかけている。
わたしは自分がいかに長いことジャズを聴いてきたかを自慢するとき、「アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズ」からはじまったと言うのだが、ほんまに彼らの来日が日本のモダンジャズブームのはじまりだったと知って鼻高々なのである。とはいえ、あっちへうろうろ、こっちへうろうろとジャズ一直線とはいかなかった。

平岡正明の文章は明快で強い芯が一本通っている。それを嫌う人も多いだろうが、100冊以上も本を出しているということだからファンも多いのだと思う。つい先頃まで読んだことがなかったが食わず嫌いだったのね。おもしろいです。
「昭和ジャズ喫茶伝説」は東京を中心に関東地方のジャズ喫茶について語りながら、ジャズと自分自身のことを語っている。最初の横浜中華街ミントンハウスについてのところで、生演奏はときどき演奏するやつが邪魔、部屋で聴くと自分が邪魔とあり、ジャズはジャズ喫茶で聴くものだと結論づけている。それに続いてクリフォード・ブラウンとマックス・ローチの「デリラ」について重く語っている。そして「サムソンとデリラ」の物語について丁寧な解説。この曲は「デライラ」といまは言うけど、俺は「デリラ」と言うのを変えない理由が書かれている。わたしは平岡さんに悪いけど、ジャズ喫茶ではなくわが家の iTunes から探して聴いた。懐かしい旋律が聞こえてきた。(平凡社 1800円+税)

2008年02月20日

日野皓正を迎えて西山満&G.S.Bのジャズコンサート

先月ジャズスポットSUBへ行ったとき西山さんに誘われた、日野皓正と西山満&G.S.Bのワールドジャズキャラバン公演に行った。わたしはいままで日野皓正の生演奏を聴いたことがなかった。あまりにも有名な人なので敬遠していたというか。
本町のホテルヴィアーレ大阪のホールでの2時間は熱っぽく楽しかった。
最初の日野皓正(Tp)西山満(B)竹田一彦(G)生田幸子(P)和丸(Ds)は、大人(日野さん、西山さん、竹田さん)のジャズに、生田さんのピアノがつき合い、ドラムの和丸さんは16歳とか。次は若者たちの演奏。その後の生田さんのピアノと日野さんのトランペットのデュオ。緊張感に溢れた二人のフリーな演奏にしびれた。日野さんってこういう音楽をする人だったのか。
最後は若者8人が登場。ドラムの樋口広大さんほか、若者たち(トランペット、アルトサックス2人、ベース2人、ピアノ、ギター)が日野さんを中心にして盛り上がった。とっても素敵な演奏で気持ちよかった。7年ほどかけて西山さんが指導してきた人たちとのこと。去年はよくなかったらしいが、今夜はすごくのった演奏で、最後に日野さんが「おれ負けた」と叫んだのだからたいしたもの。
70年代の若者と比べると大人しくて真面目で清潔。だけどイケメンばかりで目のほうも楽しめました(笑)。

西山さんにお礼を言って、アルトサックスの早川惟雅さんを励まして、余韻を楽しみながら歩いて帰った。帰り道の辛いもんやギロチンに寄り、飲んで食ってしゃべって帰宅。

2008年02月21日

春のような日

土曜日にだいじなお客さまが来られるので掃除しておこうと思う。今日は台所とトイレをやった。よく体が動くので元気やなぁと思ったら、暖かさのせいなのね。明日も暖かいそうだからあとの掃除もしっかりしよう。あれだけ寒かった後だから10℃を越えると暖かく感じるのよね。だけどその後、週末から一転また寒くなるそうだから春はまだみたい。関西はお水取りがすまないと春はこない、とバカの一つ覚えで言っております。
日が長くなってうれしいね、と昨日ギロチンのmihoさんと話していたんだけど、ほんまに日が長くなってすこし気分がゆったりしてきたような気がする。
さて、明日はもちょっと掃除して、明後日のランチのメニューを検討して買い物に行く。美容院にも行って白髪を染めなくっちゃ。

2008年02月22日

「ポラロイド、インスタントフィルムの生産終了」というニュース

【日本ポラロイドは2月21日、インスタントフィルムの生産を2008年夏までに終了すると発表した。カメラのデジタル化が進み、フィルム需要が減少したため終了を決めた。】という文章からはじまるニュースがあった。

さっきそれを読み上げて「うちにもあったよね、ポラロイド、なつかしいなぁ、2回買うたよね」と言い合った。写したのがすぐにぺろっと出てくるのが、せからしいわたしにぴったりだった。フィルムが高かったけど現像に出さなくてすむ。
最初のを買ってうれしくて持ち歩いていて、父親が欲しがったから売ったのを覚えている。1万円くらいの安いのだった。2台目はもう少しいいのを買った。子猫のときの花子の写真があるから、27年くらい前かな。いつの間にか使わなくなったなぁ。
そう言えば、当時うちで働いていた女性が、結婚するので独身時代のヌード写真を撮っておきたい、ということで貸してあげたことがある。お母さんが撮るというので写し方を教えてあげた。ポラロイドの使い方ってこんなんがあるんやと感心したっけ。
わたしはヌード写真など撮っていません、念のため(笑)。

この記事の最後は【今夏「インク不要で出力できるプリンタ内蔵型デジタルカメラ」を米国市場に投入する予定だ。】となっている。

2008年02月23日

来客と例会

今日は20年ぶりくらいの友人Y氏を迎えてお昼ご飯をいっしょに食べた。Y氏は九州の大学の先生をしており、大阪へは講演に来られたのだが、時間をつくって顔を見に来てくださったのだ。お土産は去年ベトナムに行かれたときに買っておいてくださった銀のネックレスと本粒ウニ。
一昨日から考えていた献立(講演前だからお酒はなし)。
田舎パン、野菜たっぷりスープ、明石タコのカルパッチョ、ジャガイモとセロリのブレイズ。デザートは和菓子と玉露。とてもおいしかったと言ってもらえた。
お互いの20年間を語り、お互いに全然変わっていないことを確認し、これからはネットで親密につきあっていくことを約束した。

夕方からヴィク・ファン・クラブの例会に行くのに、早めに出て紀伊国屋と成城石井に寄って買い物した。その後、阪急から阪神の横へ出て丸ビルの前を行ったのだが、すごい風で震え上がった。今日でいちばん寒かった。
シャーロック・ホームズに入ると心身ともに温まっていい気分。新会員のMさんとギネスを飲んでおおいにしゃべった。衰退するかと思うと新人が加わり、またやって行こうという気になる。
帰り道で雪が降ってきた。今夜から明日は猛烈に寒そう。暖かくして寝よう。

2008年02月24日

クレイグ・ライス「スイート・ホーム殺人事件」を読むのは百回目(笑)

最初に読んでから50年にもなる「スイート・ホーム殺人事件」だが、読むたびにおもしろい。最初に読んだのは「別冊宝石」だった。ミステリー雑誌「宝石」の別冊で海外ミステリーを翻訳紹介をしており、家族揃ってものすごく恩恵を受けた。ディクソン・カーもレイモンド・チャンドラーも、カボチャ型の帽子をかぶった女性が出てくるウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)「幻の女」も、と数えあげたらきりがない。全体に挿絵がモダンで、いまだに「黒衣の花嫁」のストラップレスのドレス姿を覚えている。
きょうだい全員が読んで、オコダカマカリキ(「スイート・ホーム殺人事件」の子どもたちの造語の日本語版)と叫んでいたわが家である。
文庫本で2回目に買ったのがいま手許にあるが、これも汚れているので、今度はきれいな本で読みたいと思っている。山本やよいさん訳で出してほしいなぁ。ほんとにおもしろい本なのだ。

ダイナ(14歳)、エープリル(12歳)、アーチー(10歳)のカーステアズ家の子どもたちが、母(探偵作家)のマリアンのために、近所で起こった殺人事件を解決しようとする物語。マリアンはずっと新聞記者だったが、いまは読物作家として何人かの名前を使って毎日タイプライタに向かっている。事件の捜査にあたるのはビル・スミス警部(孤独なホテル暮らし)とオヘーヤ巡査部長(九人の子どもを手塩にかけたが口癖)である。子どもたちはマリアンが事件を解決したことにした上で、ビル・スミスをマリアンの夫にしようと大活躍する。
事件のほうもよくできた作品なのだが、まず目を見張ったのが日々の暮らしである。三人の子どもたちは母が仕事中は邪魔しないように気を使っており、食事の支度も学校へ行くのも自分たちできちんとやっている。母の日の薔薇を近所にもらいに行ってもきちんと応対する。
ルークの店というのがあってコカコーラやルートビアやクリームソーダを飲ませる。最初に読んだときはコカコーラを知らなかったのであこがれたものだ。
それよりも家でつくるお菓子の数々が垂涎の的だった。スコーンやレモンパイやジンジャーブレッドや見たことがないものが多かった(いまは知っているが)。
要するにアメリカ民主主義の洗礼を受けて染まってしまったのね。「小公女」と「ジェイン・エア」の後に「スイート・ホーム殺人事件」がきて、その後にセイヤーズの「大学祭の夜」(「学寮祭の夜」)だもん。リクツっぽいと言われても、ねぇ。(長谷川修二訳 ハヤカワ文庫 580円)

2008年02月25日

こんなに寒い日

昨日は今年の冬で、というよりもここ10年くらいの冬でいちばん寒かった。土曜日の夜は11時頃帰ったんだけど、四ツ橋で降りて歩いていると雪が散らついていた。入れ替わりに相方が自転車でクラブへ出発。どんどん冷え込んでくるので、2時頃読書をやめてお風呂に入り温まって寝た。
明け方、帰って来た相方が雪が積もっているというので、外を見たらもうやんでいた。道はただ濡れているだけ。積もっているというのは止めてあるクルマの上とか屋根のことであった。
それから寝てお昼過ぎに起きたのだが寒い一日だった。昨夜の帰りにスーパー(1時まで営業している)に寄って食料品を買ったので、買い物も行かず終日読書で過ごした。

今日は10日ほど休んでいた整骨院へ行った。ちょっと長く休むと目がしょぼつくし、寒さのせいもあるがヒザがちょっと固くなっている。休むと整骨院の値打ちがわかる(笑)。
治療しながらの会話で、日本ハムの中田選手を「重なるのは中西太さんだな」と野村監督が言ってたと言うと、中西太さんの名前は知ってるけどとのこと。ああ、そうかと三原監督時代の〈西鉄〉の解説をしたのだけれど、いつのまのか古い野球ファンになってるんやなぁ。でもさぁ、古いことも知っているけど、いま田中投手のファンであることもすごいやん(笑)。

2008年02月26日

今度はふとん乾燥機だ

よく母が「今年は古い物の弱い年や」と嘆いていたのを覚えている。うちがいまそうなっているのがおかしい。去年夏の冷蔵庫、今年になってすぐの掃除機、その後にすぐルータが壊れた。今度はふとん乾燥機だ。細かいものばかりで助かったとは言える(笑)。

さっきまでふとん乾燥機を使ってふとんを温めていた。いつもわたしのほうが寒がりでないのでさきに使い、寒がりの相方は後にして終わってからの時間が短くなるようにしている。わたしのがすんで外したときまでは動いていた。ところが相方のほうへセットしようとしたら動かない。あちこち触ってみたがうんともすんとも答えがない。悪いけど、わたしは今夜もぬくぬくおふとんで眠れる(笑)。
これからふとんを温めるのは湯たんぽにしよう、東急ハンズにいろいろ売ってるしね。でもふとん乾燥機は梅雨時なんかにいるし、そのうち買いに行かなければ。これって20年は使っているけど、いまもあるのかなと検索したら、あるある・・・5000円くらいからあるので安心した。

2008年02月27日

ニキ・ダリー〈アフリカのあかずきんちゃん〉「かわいいサルマ」

かわいいサルマ—アフリカのあかずきんちゃん

アフリカの少女がさっそうと歩いている表紙を見て、ボツワナの女性探偵マ・プレシャス・ラモツエ(アレグザンダー・マコール・スミス「No.1 レディーズ探偵社」シリーズ)を思い出した。作者紹介を見ると作者ニキ・ダリーは南アフリカのケープタウンに生まれ育ち、いろんな職業を経て現在は絵本作家として活躍している人だ。南アフリカはボツワナの隣国である。
「赤ずきんちゃん」を下敷きにした物語だけど、少女やおばあさんやおじいさん、そして道路や市場などの背景は色彩が豊かで、まさにアフリカって感じ。

サルマという少女がおばあさんに頼まれて買い物に行くんだけど、支度する姿がおしゃれで、マ・ラモツエの少女時代もこんなんだったかなと思う。スカーフをかぶって、ンタマ(巻きスカート)を腰に巻き、ビーズのネックレスをかけ、黄色いサンダルを履いて、頭にザルのようなカゴを乗せて出発する。無事に買い物をすませて帰り道、暑いので近道をして怪し気なところ(下町の盛り場みたい)を通る。そしたら犬が話しかけてきた。
助けるようなことを言いながら、荷物もサンダルもンタマも盗られてしまう。サルマはおじいちゃんが、クモのアナシンのかっこうをして昔話を語っているところへ行き、事情を話す。おばあちゃんが危ないと急いで帰ると、サルマに化けた犬が目の悪いおばあちゃんをだまして危ない目にあわすところだった。

とても明るい素敵な絵本で何度もめくっては楽しんでいる。今年1月に出たばかり。(さくまゆみこ訳 光村教育図書 1500円+税)

2008年02月28日

「聖ヴァレンタインデーの大虐殺」と「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」

2月が明日で終わる。今年のヴァレンタインデーはどうだったんだろう。チョコレートはたくさん売れたのだろうか。わたしに関しては、その1週間前に飲み屋で「だんなさんにチョコレートあげはった?」と聞かれただけだ。「えっ、ヴァレンタインなんかしたことないよ」と答えたのだが、聞いた30歳前の男女は両親がやりとりしていると言う。「そんなー、ちゃんとせなあきませんよ」と言われたけれど、わたしには馬の耳に念仏やな(笑)。

幼いころからわたしにとってヴァレンタインデーは、1929年、シカゴでアル・カポネが対立する一味を一斉射撃で皆殺しにした事件の日であった。まだチョコレートをプレゼントする日になってないころから、わたしは「聖ヴァレンタインデーの大虐殺」の日として知っていた。父親が何度も話して聞かせたからである。いまは猫の花子の命日として覚えている日だ。

それだけの話なんだけど、先日からちょこちょこ読んでいる、平岡正明「昭和ジャズ喫茶伝説」にこんなことが書いてあった。〈新宿二幸裏「DIG」—新宿ジャズシーン〉の一節、「DIG」で、チェット・ベーカーの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を聴いたとき、チェットを聴いたのははじめてだったが、その場で「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」はカポネ一味の事件を歌ったものだと「解説」して、それ以来平岡さんのまわりでは定説になったそうだ。
チェットのは持ってないから、マイルス・デイヴィスの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を聴いてから寝るとしょう。

2008年02月29日

女性探偵華やかなりしころ

ミクシィでわたしが管理人をしている「私立女性探偵たち」コミュニティのトップページには、参加メンバーの手によってたくさんの女性探偵や女性警官の名前が並んでいる。そこを見て読書する人もいて、最近ナンシー・ベイカー・ジェイコブスの「楔の青」と「復讐の赤」を読んだとコメントがあった。実はわたしが推薦したのだけれど、良かったというだけで内容を忘れている。2冊とも1994年の発行だからずいぶん日にちが経っていると言い訳しているが、ほんまに忘れるもんやなぁ。子どものときに読んだほうが覚えているような気がするが、それは何度も反芻しているからだろう。
それでいま「楔の青」を再読しているが、ところどころしか覚えていない。このころは翻訳の女性探偵ものが大流行りだった。うしろのページにある広告を見ても、サラ・パレツキーとスー・グラフトンとリリアン・J・ブラウンは各5冊の他、ナンシー・ピカードやアネット・ルーム、リンダ・バーンズがある。
このブログに先立つヴィク・ファン・クラブサイトにある日記を書き出したのは1998年9月だから、そろそろ10年になるのだけれど、女性探偵隆盛の時代は過ぎていたようで、取り上げているのは少ないと思う。思い立って読みかけたときもあるのだが、挫折しているのでこれを機会にぼちぼち読み返えそう。いまある本だけでも大変なのにできるかな?

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