この本を読んでいる間にも、読み終わってからも、わたしは大阪で暮らしていてよかったとつくづく思った。東京という本流から外れた大阪で、幼年時代からスウィングジャズを聴いて育ち、モダンジャズに目覚めてアート・ブレーキーとジャズメッセンジャースにしびれ、フリー・ジャズにいってアルバート・アイラーに熱中し、大阪と京都で阿部薫のおっかけをし、強烈なドラマー日野明(晃)と知り合った。そして70年代の終わりにジャズから去っていったのが、その動きは本書に書かれている東京のジャズ史とものすごく重なっている。本書を読み終わるまで、わたしは自分がそんな普遍的な存在だと思いもしなかった。そしていま、大阪にいてよかったとつくづく思う。
【ところが、一九八〇年代に入ると、もはやジャズは〈同時代の音楽〉として認識されなくなり、ジャズを〈消費する〉ことはきわめて容易となった反面、ジャズは文化的想像力の源泉という役割をほとんどなくし、〈抵抗〉や〈破壊〉などの美学も日本のジャズ言説のなかの死語と化していった。】と第6章の終わりに書いてある。東京でジャズを聴いていた人たちはどこへ行ったのかしら。大阪のジャズ喫茶で知り会ってともにジャズを聴いていた人たちはほとんどが就職した。それから30年以上経ったが、いまは安穏な生活をされているようだと風の便りで聞いている。
その後はパンク・ニューウェーブに夢中になって、わたしの青春(?)は続いてきた。来日バンドのコンサートに行き、B-52で踊りEP-4のギグに夢中になった。その後は音楽から離れることはあったが、気持ちは変わってない。最近またいろんなところでジャズを聴くようになった。足の調子はイマイチだが、まだまだ続けるつもりでいる。相方は今夜もクラブで踊っているし(笑)。
本書の〈著者紹介〉によると、マイク・モラスキーは1956年にアメリカ セントルイスで生まれ、専攻は現代日本文学で70年代から10数年にわたって日本に滞在している。ジャズピアニストとして東京のジャズ・クラブなどに出演することもあり、CDも出しているという人だ。
〈はじめに〉で、本書はジャズから見た戦後文化史の試論であると書いている。そして映画、文学などに使われているジャズ、そしてジャズ喫茶について詳しく述べているのだが、終戦直後から現在に至るまでの日本におけるジャズのありようがすごくよくわかった。こういう客観的ジャズ史を考えたことがなかったから目からウロコが落ちた。
それともうひとつ大事なこと。本書では日本のジャズの世界における女性蔑視を大きな問題として取り上げている。めちゃくちゃうなづけることである。その世界をわたしは名誉男性になることで乗り切ってきた。その反省をサラ・パレツキーを読んで考えることで果たした。(青土社 2400円+税)