2007年7月に出た平岡正明「毒血と薔薇」を図書館で二度借りた。最初に読んだときにマイク・モラスキーについて知り、彼の著書「戦後日本のジャズ文化—映画・文学・アングラ」を図書館で探してきて読んだ。それからまた本書を借りてきた。
マイク・モラスキーが書いているジャズにおけるジェンダーの問題について、もう一度平岡さんの態度を読んでおきたいと思ったわけだ。
季刊誌「ジャズ批評」は1967年の創刊号から買っていた。5号ぐらいまで買っていたかな。平岡さんの有名な文章も読んだのだけれど、肌に合わなかったのでそれ以来読んだことがなかった。なんで肌が合わないかも考えたこともなかった。東京方面の左翼文化人って感じだった。
それが去年から何冊か読んで、平岡正明カッコええやんと思えるようになったのだが、でも違和感があった。マイク・モラスキーの本を読んで「毒血と薔薇」を読むと見えてきたのは、女性差別か女性嫌いか女性を問題にしてないなってこと。
最初にあるエッセイ「毒血と薔薇 コルトレーンに捧ぐ」は素晴らしいコルトレーン論で、「オーレ」について書いてあるところなど、すぐに「オーレ」をiTunesで探して聴いたほどである。ところが最後にのほうでコルトレーンが妻のアリスを舞台に上げるなと書いたあとに、【アルバート・アイラーもそうだ。死の四ヶ月前にアイラー・チームがフランスで行ったラスト・コンサートの舞台に、彼はマリー・マリアという自分の恋人を上げて、俺はシラけたことがある。】と書いている。アリス・コルトレーンについてはもっともだと思うわたしだが、マリー・マリアの声は好きだ。あのコンサートはマリー・マリアが出ているから好きなのだ。アイラーが死ぬ前に素敵な恋人を持ててよかったと思っている。
しかし、そんなことで怒ってはもったいないジャズ論が展開されているので読んでよかった。(国書刊行会 2000円+税)