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菊池成孔+大谷能生「東京大学のアルバート・アイラー—東大ジャズ講義録・歴史編」

東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編2005年に出た本だが、書店の棚で見るたびに厭なタイトルだなぁと思って手に取ることもなかった。先日、平岡正明の「毒血と薔薇」を読んだら、その菊池成孔さんの「平岡先生、お言葉ですが、先生は寺島先生をぶっ壊す事は出来ません。何故ならば」という長いタイトルのエッセイが解説として最後にあり、タイトルに惹かれて読んでみたら、寺島靖国というジャズ評論家をおちょくっていてとてもおもしろかった。ちょうど図書館にあったので読んでみようと思ったわけ。
本書はほんとうに東大で2004年の4月から7月までジャズについて講義した記録である。講義といっしょにいろんなミュージシャンの音を聴かせている。アルバート・アイラーはその中の一人だが、手術台の上にミシンとコウモリ傘の代わりに東大とアイラーを乗せるような趣味はあまり好きではない。それなら読まずにすませばいいものを、図書館にあったら借りてくる(笑)。
内容は目次の第一章「十二音平均率→バークリー・メソッド→MIDIを経由する近・現代商業音楽史」で一目瞭然だが、西洋音楽とはどういうものかからはじまり、モダンジャズからフリー・ジャズへの歴史、最後の「MIDIとモダニズムの終焉」に至る。話言葉だからとてもわかりやすい。ジャズの歴史の勉強ができる。

フリー・ジャズについてちょっと長い引用
【「フリー・ジャズ」って一言で言っても、実はその中には今日聴いたようにさまざまなベクトルがあった。本当、一人一人違っていたと言っても過言ではないんですが、それがある歴史的な前進力の中で、何というか、一つの様式として、一緒くたにされてしまう。努力の果てに鈴に辿り着いたコルトレーンと、始めから鈴だったアイラーが同じ括りに入れられてしまうっていうのも(笑)いま思えばひどい話ですが、(中略)ソングからのフリー、定型リズムからのフリー、機能和声からのフリー、歴史からのフリー、正気からのフリー(笑)、みたいに、それぞれのミュージシャンが何から自由になりたかったのか。】
フリー・ジャズと同時代を生きてきた者としては、すでにこうして歴史になってしもたのかと感慨深いものがある。(メディア総合研究所 1600円+税)

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2008年03月12日 01:23に投稿されたエントリーのページです。

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