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十の罪業 アーカイブ

2009年02月03日

エド・マクベイン「憎悪」(エド・マクベイン編「十の罪業 Red」より)

十の罪業 REDエド・マクベイン編集の中編小説10作(Redに5作、Blackに5作)が掲載されている分厚い文庫本2冊は、エド・マクベインの呼びかけに応じて人気作家たちが書いた力作が揃っている。本書にはマクベインの序文があり、それぞれの作品の前にはマクベインによる解説がついている。
マクベインとドナルド・E・ウェストレイクを訳された木村二郎さんから本書をいただいた。それぞれ力作なので1作を読むごとに感想を書いていきます。

最初の作品はエド・マクベイン「憎悪」で、なんとこの作品が「87分署シリーズ」の最後となってしまった。
わたしは「警官嫌い」(1956)から読んでいた読者だが、60年代後半ごろにミステリから足を洗ったので、途中が抜けている。しかも復活してからはハードボイルド私立探偵小説ばかり読むようになったので、警官ものはなかなか読まなかった。読んだのは「凍った街」(1983)、晩課(1990)、「ラスト・ダンス」(2000)なんだけど、あまり覚えてなくて、「キングの身代金」(1959)「クレアが死んでいる」(1961)「たとえば、愛」(1952)、「10プラス1」(1963)のほうがよく覚えている。
なかでも「10プラス1」がいちばん好きだ。映画の「刑事キャレラ 10+1の追撃」のせいである。キャレラ刑事はジャン・ルイ・トランティニャンしかないといまも思っている。最後にバッジを捨てるところをよく覚えている。腕を伸ばして銃を撃つ姿も良かった。

途中抜けているにしても、最初と最後の作品を同時代に読んだということを自分でもすごいことだと思う。そして本書もスティーブ・キャレラとマイヤー・マイヤー刑事がいっしょに事件に当っているのに感動した。キャレラはほっそりとした長身と書かれているのが、よけいに若き日のトランティニャンを思い出させる。

事件は9.11以後のアメリカの都市で起こる。殺されたタクシー運転手はイスラム教徒である。タクシーのフロントガラスにスプレー・ペイントで青いダビテの星のようなものが描かれている。ユダヤ人のマイヤーにはいやな事件だが、彼は冷静に捜査にあたる。続けて同じ星が描かれたタクシー運転手殺人があり4人のイスラム教徒の運転手が殺される。地味な聞き込みを続け、会話の矛盾点を発見して追跡する二人の刑事。

最後のシーンがすっごくいい。
【刑事たちは——十二歳のとき以来教会へ行ったことのないカトリック教徒と、毎年のクリスマスごとにツリーを飾るユダヤ教徒は——警察署の裏口から出てきてその日の朝早くそれぞれの車をとめたところまで歩いた。明るく晴れた午後だった。】
(木村二郎訳 創元推理文庫 1600円+税)

2009年02月04日

ドナルド・E・ウェストレイク「金(かね)は金(かね)なり」(エド・マクベイン編「十の罪業 Red」より)

十の罪業 RED「十の罪業 Red」の二つ目はドナルド・E・ウェストレイク「金(かね)は金(かね)なり」。泥棒ジョン・ドートマンダーのシリーズである。
わたしがウェストレイクをはじめて読んだのは、リチャード・スターク名義の「悪党パーカー」シリーズで、マクベインと同じく父親と弟に強引にすすめられて読んだ。
次に読んだのはポケミスで出ていたタッカー・コウ名義の「刑事(でか)くずれ」のシリーズの3冊で、これは独自に見つけて読んだらウェストレイクだとわかってうれしかった。元刑事のミッチ・トピンのちょっとうじうじしているところが好きだった。
ドートマンダーはわりと最近(といっても15年くらいは経っているけど)読み出した。気軽に読める。
ウェストレイクの中でいちばんすごいと思うのは「斧」

さて、「金(かね)は金(かね)なり」では、ドートマンダーと仲間のケルプがはじめて会うムショ帰りのクワークとニューヨークの公園で話している。水音で話が人に聞かれないよい場所だ。クワークはムショで印刷技術を学んでいまは印刷工場で働いているという。だがコンピュータになったので技術は役に立たなくてフォークリフトに乗っている。工場での仕事をいっしょにやることになり3人は田舎へ行くのだが・・・

その前にドートマンダーの住まいで3人が会うところがあり、そこへ仕事からメイが帰ってくる。黒髪に白髪が混じり始めているとあって、なんか寂しくなった。わたしのほうは混じり始めでなくて、白髪(染めているが)そのものなのにね(笑)。メイはドートマンダーが大きいヤマで大儲けするまでスーパーでレジ係をしている。だからドートマンダーは不運な泥棒なのね。
(木村二郎訳 創元推理文庫 1600円+税)

2009年02月05日

ジョン・ファリス「ランサムの女たち」(エド・マクベイン編「十の罪業 Red」より)

十の罪業 RED「十の罪業 Red」の三つ目はジョン・ファリスの「ランサムの女たち」。いままで知らなかった作家だ。解説によると複数の名義でホラー、サスペンス作品を発表しているが、日本では「フューリー」などホラー作品が紹介されているそうだ。「フューリー」はブライアン・デ・パルマで映画化されたのを見ている。

「ランサムの女たち」の物語はランサムという天才画家が、ニューヨークに住む美術館員のエコーにモデルになってほしいと頼むところからはじまる。自分のアトリエで一年間にわたって共に暮らしてくれたら礼として家をくれると言う。エコーの恋人で警察官のピーターは悩みつつランサムについて調べる。ランサムは莫大な遺産を相続している上に、その絵には大層な値段がつけられている。
いままでもランサムは同じように何人もの美しいモデルを使って描いてきた。ピーターがその女たちを訪ねていくと、彼女たちはモデルを終えた後に顔を切られるなどして、二目と見られぬ容貌になっている。
エコーは素晴らしいアトリエで召使いつきの暮らしをしつつ、孤独なランサムに惹かれていく。エコーはランサムを知ったときから黒衣の女につけられているのを感じていた。謎の黒衣の女はなにをしようとしているのか。サスペンスとホラーの作家らしい書き方で一気に読ませる。
(中川聖訳 創元推理文庫 1600円+税)

2009年02月06日

シャーリン・マクラム「復活」(エド・マクベイン編「十の罪業 Red」より)

十の罪業 RED「十の罪業 Red」の四つ目はシャーリン・マクラム「復活」。はじめて読む作家だがミステリアス・プレス文庫で郡保安官アローウッド・シリーズが出ているそうだ。
エド・マクベインによる著者紹介にシャーリン・マクラムのアパラアチア文学への貢献が記されている。本編を読む前に〈アパラチア〉とはどこなのかをウィキペディアで勉強。
【1200万人以上の人々がアパラチアに住んでいる。イギリスと大体同じ大きさのエリアで、ほとんど山に覆われている。南はミシシッピ州とアラバマ州の境界から、北はペンシルバニア州とニューヨーク州の境界まで、しばしば孤立したエリアになっている。】

「復活」は十九世紀半ばのアメリカ南部の医科大学を舞台にしている。医学部で解剖する人体を調達するために墓地に埋葬された遺体を掘り出す。法律では遺体の解剖は禁止されているので深夜ひっそりと行わねばならない。そのために教授は遠くの町まで出かけて奴隷市場でふさわしい黒人男性を物色する。
自由民になっている黒人もいるという時代に、グラディソンは自由民になる必要性を考えずに、チャールストンで独身の老婦人の召使いをしていた。彼女が長患いして現金が必要になったため売られることになる。競売台の上に立ったグラディソンを教授は七百ドルで買い取る。
表向きは大学の用務員として働き、おぞましい秘密の仕事をやっていくが、南北戦争が起きる。南北戦争中は遺体には困らない。彼は病院で献身的に働き周囲に認められる。
戦後は再建政府に〈裁判長〉という職を与えられるが、【それはいんちき商売であり、自分や同胞たちに名誉を与えるためではなく、敗北した反乱軍兵士たちを侮辱するためのものだった。彼は偽りの尊敬の下で憎しみを燃やすよそ者連中から見つめられることに飽き飽きするようになっていった。】【白人たちのゲームにおいて、自分はただその駒にすぎず、どちらからも尊敬されていないのだと。】
彼は自分の仕事が評価されていた大学へ、以前は奴隷だったが、今度は自由民としてもどろうと思う。

シャーリン・マクラムの名前を知ることができてよかった。しかも翻訳が何冊か出ているという。うれしいな。
(中川聖訳 創元推理文庫 1600円+税)

2009年02月07日

ローレンス・ブロック「ケラーの適応能力」(エド・マクベイン編「十の罪業 Red」より)

十の罪業 RED「十の罪業 Red」の五つ目はローレンス・ブロック「ケラーの適応能力」。ローレンス・ブロックは「八百万の死にざま」からのマット・スカダーのファンだったが、ここ数年は読んでいない。殺し屋ネイサン・ケラーのシリーズは短編をひとつ読んでいるだけだ。アン・ベリー編著「ホロスコープは死を招く」に入っていた「ケラーのホロスコープ」で、これはよかった。

「ケラーの適応能力」では、ケラーは仕事は確実に片付けはするものの日々空想にふけることが多くなっている。仕事先へ飛行機はやめて車で行くのだけれど、それは9.11以後に飛行機に乗るのがややこしくなったからだ。搭乗前の取り調べがきつくなった上に、機内に持ち込む手荷物の中に【キーホルダーに爪切りなどついていた日にはもう、あとは神の慈悲にすがるしかなくなる。】という具合。
その日は仕事で遠方に行っておりニュースをテレビで見ていたのだが、その帰りの車では数時間おきに吐き気がした。帰ってからはグラウンド・ゼロの現場へ行き、桟橋からボートに乗って停泊している船の中でシェフが作った料理を、崩壊現場で救助活動をする人たちに配るボランティアを毎晩しにいく。
そんなとき、仕事のコーディネイトをするドットから次の仕事はマイアミだと言われる。出かけた先で不動産会社の女性とつきあうが、その家に住むかどうかはわからないと言うと、彼女は「だけど、話してしまえば、わたしを殺さなくちゃならなくなる。そういうことなら話さないで」と言う。仕事をはじめたケラーの雰囲気がわかる。
そこでの仕事が終って帰り道で足を洗おうかと思い、ドットに打ち明けてみるが・・・。
アメリカの社会と殺し屋ケラーの揺れる心を描いてやるせない。
(田口俊樹訳 創元推理文庫 1600円+税)

2009年03月02日

ジェフリー・ディーヴァー「永遠」(エド・マクベイン編「十の罪業 Black」より)

十の罪業 BLACKジェフリー・ディーヴァーの本は読んだことがなかった。読書が片寄っているのを反省しつつエド・マクベインによる著者紹介を読むとこう書いてある。
【ニューヨークで暮らし働く女性ルーンを主人公にした一連の作品がある。ルーンの目を通して描かれる都会の景色はじつに魅惑的で、ときに恐ろしくもある。】
巻末にある著者紹介によると「汚れた街のシンデレラ」にはじまるルーン三部作があるんだって。また読みたい本が増えた。というのは今回の中編小説「永遠」がよかったから。

ニューヨーク州ウェストブルック郡は住民の多数が南のマンハッタンに通勤して生計をたてている土地である。ここの保安官事務所の刑事部のドアに〈刑事タルボット・シムズ〉〈金融犯罪/統計担当〉と二つの表示がある。もう一つの大きな部屋は〈重大犯罪および戦術担当〉つまり〈現実犯罪部門〉で、タルと支援担当者は〈非現実犯罪部門〉とからかわれている。タルは数学を学んだが警察官の道を選んだ青年で、同僚たちは陰で〈アインシュタイン〉と呼んでいる。

その日、老夫婦が殺されたと情報が入り刑事たちが行って調べたところ、二人は自殺とみられた。タルは犯罪について統計をとっており、刑事たちにアンケートをとっている。タルはアンケートの統計が老年期の自殺を理解し救う一助になるはずだと思っているので、現場へ出かける。
彼は自殺で処理されるはずの老夫婦の死を統計で考え、死が不審なものであるという〈2124〉宣言をし、ベテラン刑事のラトゥーアと組んではじめて現場に出る。続いて同じような事件が起こる。二人はだんだん打ち解けていく。そして犯人を追いつめて手錠をかける。
その後、車に乗ってもすぐにエンジンをかけずにラトゥーアは言う。
【「事件ていうのはな、解決してないときよりしたときのほうが重いことがある。そんなことはアカデミーでは教えない。でもおまえは義務を果たしたのさ。おまえがそれをやったことで、生き延びる人間もいるんだ」】
ラトゥーアはタルは射撃ができないと思い込んでおり、タルが最後に撃った銃弾が当ったことをいぶかる。あり得ないというラトゥーアに数式で説明するタル。「この野郎。かついだのか」。ラストが楽しいです。
(土屋晃訳 創元推理文庫 1600円+税)

2009年03月03日

スティーヴン・キング「彼らが残したもの」(エド・マクベイン編「十の罪業 Black」より)

十の罪業 BLACKわたしは怖い本が苦手でスティーヴン・キングの作品は出始めたころに読んだだけだ。知り合いから「ドロレス・クレイボーン」のハードカバーをいただいたときも、読まないで他の知り合いにあげてしまった。タイトルは好きだったけど読む気が起こらなくて。

「彼らが残したもの」はこの中編集の中でいちばん短い作品である。主人公スコット・ステイリーはニューヨークに住み、セントラルパークの高層ビルにある保険会社で働いていた。9月11日の朝、目覚めると《よぉ、きょうは病欠にしなよ、な!》と心に声がかかった。その声は子どものときから聴こえてくるものだった。続いての声にうながされて仕事をさぼる。その日、9.11事件が起こり、スコットの仕事仲間は還ってこなかった。

ある日、家に帰るとテーブルの上に見覚えのある物がある。ロリータ・サングラス、ルーサイトキューブ、パンチ人形・・・。そして品物はどんどん増える。ベッドに横たわると品物たちがしゃべる声が聴こえる。亡くなった人たちの会話も聴こえる。
2002年にニューヨークで精神分析医にかかろうと思うと番号札をもらって行列に並ぶよりほかはない。同じアパートに住む女性のエアコンを直した縁で、彼女に話を聞いてもらい、ルーサイトキューブを預かってもらう。三日後に彼女は恐ろしい表情で返しにきた。

あの事件をスティーヴン・キングが真面目に捉えて書いた作品。キングらしいどろっとした怖さがあるのだけれど、それ以上に、残された私たちはどう生きていったらよいのか、という問題を考えさせる作品だ。
(白石朗訳 創元推理文庫 1600円+税)

2009年03月04日

ジョイス・キャロル・オーツ「玉蜀黍の乙女——ある愛の物語」(エド・マクベイン編「十の罪業 Black」より)

十の罪業 BLACK「玉蜀黍の乙女」にはコーンメイデンとふりがなあり。
ジョイス・キャロル・オーツも読んでいない作家の一人だ。サラ・パレツキーの「手に負えない女たち」が入っている本「ファミリー・ポートレート」(早川書房)にある「事実、幻影、謎——我が父、フレデリック・オーツ」を読んだのが最初である。その他は「ミステリマガジン」に掲載された短編小説をいくつか読んだだけだ。今回読む機会に恵まれてよかった。

「玉蜀黍の乙女——ある愛の物語」は〈暗闇のジュード〉の独白からはじまる。夜コンピュータをかちかちクリックして銀河を散歩していたら、誕生日にマスター・オブ・アイが願いをかなえてくれ、〈暗闇のジュード〉という名前をつけてくれた。「あたしとマスターはサイバースペース上の双子だ」と独白する少女ジュード。
ジュードは遠足で自然博物館へ行ったとき、クラスのおつむの足りない連中から離れてオニガラ族の展示を見る。陳列ケースの中に玉蜀黍の乙女(コーンメイデン)がいた。その姿が胸に突き刺さった。
ジュードの家は古い歴史的建造物(トラハーン屋敷)で、祖母と暮らしている。彼女は同級生の幼なげな少女マリサに愛想よく近づき、マリサをコーンメイデンとして自分のものにしようとする。
ジュードには手下の少女2人とコーンメイデンを連れて、誰にも見つからずに屋敷の裏口から地下室へ入る。

シングルマザーのリアは仕事から帰ると娘のマリサがいない。大騒動になるが行方はわからない。目撃したという少女の証言によって学校教師のミカールが容疑者とされる。リアは私生活をあばかれ、マリサの写真は町中に貼られる。
神秘思想に凝り固まった少女によって引き起こされた事件で、誘拐された少女の母親と容疑者にされた若い教師の生活が変わる。
最後がしっとりとしてとてもよかった。
(圷香織訳 創元推理文庫 1600円+税)

2009年03月05日

ウォルター・モズリイ「アーチボルド——線上を歩く者」(エド・マクベイン編「十の罪業 Black」より)

十の罪業 BLACKウォルター・モズリイの作品では、アフリカ系の私立探偵イージー・ローリンズが活躍するシリーズの「ブルードレスの女」「赤い罠」「ブラック・ベティ」を読んでいる。だいぶ前に読んだので忘れてしまっているけど、独特の魅力があった。本書を読んだらまた読みたくなった。

南部で育ったフィリックスは21歳、故郷で弁護士をしている父の影響から逃れ、ニューヨークに出てきて仕事を探している。父と母は色合いでいうとカフェオーレ、彼と姉はそれより薄い。
〈代書人〉を求める広告を〈ウォールストリートジャーナル〉と〈ニューヨークタイムズ〉ともう1紙で見たフィリックスは留守電に広告を見たと伝言を残すと、真夜中に電話がかかり早朝に来るように言われる。マンハッタンのビルを訪ねるとA・ローレスがいた。壁にある写真を見ていると「バクーニンだ」。自己紹介では「アーチボルド・ローレス、野放しのアナーキスト」と言う。「あなたの仕事は?」と問うと「混沌と人の間にできた線を歩く」。そしてその夜のうちにフィリックスの身の上を調べ上げている。

いま、もう一度読んでいるのだが混沌としていて要約がむずかしい。田舎から出てきた真っすぐな青年と、彼を見込んだ海千山千の都会のアナーキスト、アーチボルドが混沌と人の間にできた線の上を歩いていくとしか書きようがない。
不思議な魅力が漂う作品だ。めちゃくちゃ惹かれている。どうしたらこんな魅力のある小説を書けるのだろう。
(土屋晃訳 創元推理文庫 1600円+税)

2009年03月06日

アン・ペリー「人質」(エド・マクベイン編「十の罪業 Black」より)

十の罪業 BLACK北アイルランドの指導者コナー・オマリーの妻ブリジットは、ベルファーストから離れた北海岸へ保養に行くための荷造りをしている。コナーはスラックスばかり入れずにスカートにしろという。プロテスタント強硬派の指導者であり聖職者の妻にふさわしくない服装だと言われない場所に行くということは滅多にないことなのに。
1年ちょっと前に結婚した娘のロージーが手伝いにきて、コナーにもっと穏健になるようにと頼む。このままだとお互い永久に戦い続けるしかなくなる。どこかで譲らないと、という娘にコナーは冷たく答える。「私はここから一歩たりと動かない」。

夫妻と息子は自動車で出発し、ボディガード2人が別の車で続く。砂浜にぽつんと建つコテージに着くと、ボディガードたちはテントを張って護衛の態勢に入る。
食事を届けにテントへ行くと二人がいない。村のパブへ行ったのかとコナーは怒る。明け方、3人の男がドアを叩く。ボディガードたちは殺されていた。

3人の男たちは彼らを人質にする。襲ったのはIRAかしらと思ったが違っていた。監禁生活の中でブリジットは生活の知恵を働かせる。そして自分の意志で動き決定するようになる。
最後に怪我をしたコナーがそばについているように命令するのに対して「でも、それはわたしの意志ですることよ。あなたの意志でなくて」と言えるようになっていた。

最近、モラル・ハラスメント(モラハラ)という言葉を知った。解説書やサイトを読んでミクシィのほうで書いたのだけれど、コメントやメールをいただいてモラハラに悩んでいる人が多いのを知った。その勉強からコナーの言動はモラハラそのものなのだとわかった。ブリジットはモラハラから解放される第一歩を踏み出したと思う。

アン・ペリーの作品は、ヴィクトリア時代を舞台にしたビット警部シリーズを2作とモンク警部のシリーズを1冊読んでいる。彼女の短編も入っているアンソロジー「ホロスコープは死を招く」の編著者であり、この本で彼女が映画「乙女の祈り」の親友のモデルであると名乗り出たということも知った。
(田口俊樹訳 創元推理文庫 1600円+税)

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