木村蒹葭(けんか)堂という人がいた
このページの上の写真(※)見てくれはった? けんか堂さんの横でちょっと緊張しているのはわたしです(笑)。場所は大阪中央図書館のギャラリーの入り口です。江戸時代、堀江に木村蒹葭(けんか)堂という人が住んでいました。堀江はわたしの住んでいる西区新町の隣りの町です。けんか堂さんは近世大阪の趣味人として知られている人で、本名は坪井屋吉右衛門。蒹葭は芦の根という意味で、庭で井戸掘りをしていて偶然、芦の根を掘り出し「これは古来有名な浪華の芦に違いない」ということで書斎の名前としました。
わたしをエスコートしてくれているかのような立像(?)は、今回の展示をするにあたり、主催者が谷文晁の描いた肖像画(重要文化財)を元に、背丈を割り出して作ったものだそうです。
今年は没後200年ということで、大阪歴史博物館で1月に大がかりな展示があったのですが、わたしは行きませんでした。単なる偉い人だと思っていたからです。ところがですね、いま図書館で展示されている絵や書を見、説明を読んで、これは単に偉い人ではないと知ったのです。運よく歴史博物館発行のカタログを売っていたので買っていま読みかけています。
けんか堂さんはものすごく幅の広いインテリなんですね。「蒹葭堂日記」は44歳(1779年)から書き始めて亡くなるまで24年間続きましたが、そのうち20年分が残っています。その日記には交流した9万人の有名無名の名前がしるされているそうです。(後日に続く)
※プロフィールの写真です。


