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絵本・児童文学 アーカイブ

2003年12月17日

ナリンダー・ダミ「ベッカムに恋して」

ベッカムの名前が日本中にまん延していたころに上映された映画の原作であるが、これは日本での題名で、ほんとうは「ベッカムのように曲げろ」である。「ベッカムに恋して」ではなんのこっちゃかわからんよね。アホな女の子がサッカーには関係なくベッカムに憧れてるようにとれる。原題「ベッカムのように曲げろ」は、ベッカムの曲がるシュートにあこがれて、練習して実際に打って、アメリカに留学することを獲得した少女の物語である。
ロンドンに住むインド系の高校生ジェスはサッカーが好きで、いつも公園で男の子たちに混じって裸足でサッカーの練習している。ある日、女子サッカーチームのジュールズがジェスを見てチームに誘う。そこで出会ったのがアイルランド系のジョーで、彼はかつてはサッカー選手だったがヒザの故障でやめ、パブでバーテンをしながら女子チームのコーチをしている。彼の指導でめきめき上達するジェスだが、ジョーの存在が気になってしかたがない。ジュールズもジョーが好きらしいので悩む。
ジェスの家はイギリスに住むインド人の典型的な家庭で両親と婚約中の姉がいる。母親が女らしくとうるさく言うが、黙って抜け出したり、だまして出かけたりとジェスはサッカーに打ち込む。友人のトニーがよく助けてくれて、両方の親も2人が婚約することを望んでいるが、彼はゲイであると言う。2人とも親が喜ばない選択をしてわざわざ険しい道を行こうとし、そのお陰で2人は親友になった。
解説によるとイギリスの総人口の4パーセントが南アジア出身者で、その約半数がインド系で、人種差別や偏見と対峙しながら独特の社会を作り上げてきたという。そうした社会状勢を踏まえて書いており、決して甘いだけの作品ではない。
最後はジュールズともどもアメリカからのスカウトの目に止まり留学が決まるし、コーチのジョーとはいい仲になるし、両親ともに理解して送り出してくれる。都合のよいハッピーエンドであるが、そこまでの紆余曲折をすり抜けたり飛び越えたりが、うまく書かれていてとても気持ちが良かった。図書館で借りた。(角川書店 1000円+税)。

2003年12月24日

エロール・ル・カインのカレンダー

今年はだれからもクリスマスプレゼントがないなぁと思っていたら、今朝エロール・ル・カインのカレンダーがやってきた。うれしいな、来年は毎月ル・カインの絵を見ながら暮らせる。エロール・ル・カインの絵本が大好きだ。バーバラ・クーニーとビネッテ・シュレーダーと3人それぞれ違うけど、それぞれが大好き。
いまお風呂に入ったし、あとはこれを書いて寝るだけなので、絵本を出してきた。ル・カイン数冊をちょっとおいて、ルーマー・ゴッデンのお話にバーバラ・クーニーが絵をつけた「クリスマス人形の願い」がやっぱり今夜の本だなぁ。ねがいごととお人形と小さな女の子の物語。読みだしたらこれを書けないよー。もうちょっとここで待ってて。あと少しでブランデーといっしょにあじあうつもりだからね。
ル・カインのカレンダーは12冊の絵本から1枚ずつ取り上げている。わたしの好きなのは「いばら姫」だが、「おどる12人のおひめさま」もいい。「ハーメルンの笛ふき」と「アラジンと不思議なランプ」は知らないなぁ。こんど本屋さんで探そう。
このページを読んでくださっているあなたに、メリークリスマス!

2004年03月12日

マレーク・ベロニカ「ラチとライオン」

堀江のカフェ「チャルカ」で去年何度も幻燈会があったのだが、行けなかったので、上映された作品を絵はがきにしたものを何組か買った。その中で特に気に入っているのが、「ラチとライオン」で、自分だけではもったいなく、プレゼントにもした。
実はその「ラチとライオン」はちゃんと絵本があったのだ。福音館書店から1965年に初版が出ていて、今年第62刷が発行されているのを本屋で見つけた。自分は絵はがきを持っているからもういらないので、友人に送ろうと思って買ったのだが、広げるととても楽しい。古風なところがなんともいえない。絵はがきもいいが、絵本はもっとよい。友人にはまた買ってくるか、それとも送ってから自分用を買おうかと悩んで(?)いるところである。
マレーク・ベロニカはハンガリーの人である。お話は簡単で、ラチというめそめそした男の子が、みんなに相手にされず絵本ばかり見ているのだけれど、絵本のライオンが好きで、こんなライオンがいたらいいなぁと思う。そしたら翌朝ベッドのそばに小さな赤いライオンがいた! ラチとライオンは仲良くなり、いっしょに遊んだり冒険したりする。そしてラチは勇敢な男の子になる。ちょっと小型の本のかたちもよくてステキな絵本です。(福音館書店 1000円+税)

2004年03月18日

木登り猫

今朝の新聞に「木登り猫 6日目の生還」という記事があった。大正区の公園で約15メートルの高さまで木に登ったまま下りられなくなった猫が、消防署員によって救出されたそうである。白猫のゴンタくんは12日昼に飼い主の女性と散歩に来て木に登って下りられなくなり、女性はなすすべなく木の下で待っていた。気がついた人が消防署に連絡したという。
今日の記事には、はしご車から差し出した捕獲網でつかまえた写真がついているが、これがとてもよい。よかったね、ゴンタくん。
久しぶりに新聞の切り抜きをした。わたしは猫の花子がきてから、猫関連の記事があると切り抜いてA4サイズにコピーしてファイルしてある。とてもたくさん、いろんな記事があっておもしろい。花子が死んだいまでもときどき出して読んでいる。
「木登り猫」がテーマの絵本も思い出した。エスター・アベレル作「しょうぼうねこ」である。
ピックルズは黄色に黒い点がぼつぼつとついている大きな猫で、アパートの裏庭の樽に住んでいる。彼の楽しみは小さい猫を追いかけることで、アパートに住むおくさんが自分の部屋に連れて行っても出ていってしまう。ピックルズは小さい猫を追いかけて木に登る。ところが雨が降ってきて下りられなくなり、おくさんは消防署に電話をかける。助けられたピックルズは消防署に住むことにする。消防の訓練をみんなといっしょにやり、仕事を助ける。ある日、小さい猫が木に登って下りられなくなったと電話がかかる。ピックルズは木に登って猫を助け下ろす。おくさんは「わたしはいつかきっとお前が素敵なことをやるだろうと思っていたよ」と言う。お話がよくて絵もよい不朽の名作である。(文化出版局 854円+税)

2004年04月05日

マルシャーク詩 レーベジェフ絵「しましまのおひげちゃん」

「しましまのおひげちゃん」は「幻のロシア絵本1920-30年代展」で手に入れた復刻絵本である。復刻絵本は数冊あったけど、わたしが欲しいと思ったのはこれ1冊だった。展示されている絵本の中で、いちばん欲しかったものなのでうれしい。ネコ絵本のコレクションに1冊加わったこともうれしい。
サムイル・マルシャークは日本で何度も上演されている「森は生きている」の原作者である。俳優座がやった「森は生きている」を見たのは、ずーっとむかーし、千田是也演出、岸輝子主演だったと覚えている。ロシアの民話からとった美しい物語だった。岩波少年文庫から本が出ていたはずだ。
マルシャークという忘れていた名前を、ここで見つけたときはびっくりした。少女がネコを抱いてネコ型のソファに座っている表紙。マルシャークの詩を別に訳してあるのがありがたい。4歳の女の子が子猫をいろいろとかまってやるお話で、わが子のように世話する女の子を裏切ってばかりいる子猫の様子がかわいい。詩はもちろん素敵だけど、淡い色合いとやさしいタッチの絵がすごくいい。モダンで都会的で…。
美術館では「ロシア絵本の幕開け」からはじまって、隆盛を迎え終焉にいたるまでがわかりやすく展示されている。エピローグは「そして誰もいなくなった」というタイトルになっているのが悲しい。1950年代のはじめに、マルシャークとレーベジェフはこの「しましまのおひげちゃん」をリメイクするのだが、マルシャークの詩はそのままなのに、レーベジェフは全体を描き直した。その絵本も展示してあるのだが、それは、いま大量に出版されている絵本と変わらない普通の絵本になってしまっているのだ。上手な絵だけど、ただそれだけの。

2004年07月18日

矢川澄子ぶん 宇野亜喜良え「おみまい」

先月ベルリンブックスで見つけた、とても素敵な絵本を紹介します。このページのトップの写真が表紙と裏表紙です。簡潔な矢川澄子の文と華麗な宇野亜喜良の絵の絵本ですが、きっと綿密な打ち合わせによってできあがったものなのでしょう。
少女はおばさんのお見舞いに行くとき、持って行くものがないので、誰も見ていないのをいいことに、垣根に咲いていた赤い薔薇を1本失敬しました。それを猫が見ていたのです。猫に黙っていてと頼むのだけれど返事がないので、「おまえもおみまいにしてしまうよ」と猫を抱えていきます。おばさんはしゃれた部屋に住んでいて、とてもモダンな人で、きっと矢川さんがもう少し長生きされていたら、こんな感じになられたのではないかと思うのです。少女と猫とおばさんは、いろいろなことをして遊びます。すごく楽しい絵です。
少女のスカートの柄になっているペンギンさんが、シーンによって表情や仕草が変わります。猫がおうちに帰って眠っていると、ペンギンさんはスカートの絵から抜け出してやってきました。それから2人は夜の街をお散歩に出ました。裏表紙の絵をごらんください。(ビリケン出版 1600円+税)

2004年07月20日

マレーク・ベロニカの絵本 JO EJSZAKAT, ANNIPANNI!

暑い暑い。関東地方の観測史上最高(東京39.5度、千葉40度)には及ばず、大阪は35度ちょっとではあるが、今年一番の暑さのように思える。食欲は充分以上にあるが、アタマの働きがにぶくなるのが困りもの。今朝は月曜日のつもりで、プールに行けるときは行っとこうと出かけたら、定休日の火曜だとプールの少し手前で気がついた。ほんとにまあドジな話。
こんな夜はミステリーを読み出してもはかどらない。冷たい水とタオルを手元に置いて絵本をひろげた。日曜日にチャルカで買ったマレーク・ベロニカの絵本、英語ならともかくハンガリー語である(こういうときは英語なら読めそうに書いておく)。タイトルすらなにがなにやらである。アルファベットの上にテンがついているのが3文字もある。多分、主人公の少女の名前と子ネコのことだろうと思う。
物語を絵でたどると、少女とクマが野原にイチゴを摘みに行って泣いている子ネコに会う。家に帰って、少女とクマはイチゴミルク、子ネコはミルクでお腹を満たす。それからお風呂に入って遊ぶ。そのあとは本を読んだりしゃべったり。クマは早くからベッドへ。少女がベッドに入ると、クマの泣き声が聞こえて、子ネコのことを心配しているみたい。少女は探しまわって、居間で伏せた本を屋根にして隠れている子ネコを発見。さあ、どうしましょう。少女は子ネコをベッドルームに連れて行き、自分の赤いスリッパに乗せて寝かす。みんなおとなしくお休み。おしまい。

2004年09月13日

レーベジェフ絵「しましまのおひげちゃん」と「こねこのおひげちゃん」

「幻のロシア絵本1920-30年代展」に行ったとき、とても感心した絵本があり、その復刻版があったので買って帰った。猫と少女がすごく可愛くて、ときどき出して眺めている。その絵本の詳しいことはこのページの4月5日に書いているけど、わたしにはとても考えさせられるところがあった。
うちの近くにある中央図書館は子どもの本がたくさんあって、展示もよく考えられている。1冊ずつ絵本を探す時間がないときは、表紙を展示してあるのをざっと見るのだが、わたしの目に入ったのは「こねこのおひげちゃん」という絵本だった。女の子が黒い猫を抱いている。あれ!レーベジェフ絵「しましまのおひげちゃん」が絵本になっていたんだ、とびっくりして後生大事に借りて帰った。「岩波の子どもの本」の1冊である。(レーベデフ絵となっている、1978年9月初版)
でも雰囲気が違うなと復刻本と比べてみたら、少女の表情も猫の姿も違う。復刻版の表紙はいやがる猫をぎゅっと抑えているが、こちらはおとなしく抱かれている。ユーモラスな椅子が普通の椅子になっている。中もちょっとずつ違う。全体から猫の野性味や少女のイケズっぽさが抜けている。ひたすら甘くなっている。あーあ、先に復刻版を持っていてよかった。(岩波書店 750円)

2004年10月26日

片山健の絵本2冊 「タンゲくん」と「もりのおばけ」

片山健の絵本と言えばなんと言っても「タンゲくん」が一番好きだ。それと片山健をはじめて知った澁澤龍彦訳の「長靴をはいた猫」も大好きで大切にしている。心斎橋の古書店ベルリンブックスで最近買ったのが、片山令子文の「のうさぎのおはなしえほん いえ」(ビリケン出版 2002)と「もりのおばけ」(こどものとも 1997)である。
のうさぎの本はシリーズで「ともだち」「みずうみ」など続刊があるらしい。ピンクの服を来たのうさぎさんは、ドアがうまく閉まらない自分の家が気に入らない。新しい家を紹介するとおおかみくんに言われて待つ間に、汚れた家を掃除するととても明るくきれいになった。きれいな部屋でおおかみくんとお茶して、外の雨音を聞きながら眠る幸せをかみしめる。
「もりのおばけ」はうすっぺらな絵本だけど、「長靴をはいた猫」と同じ系統の絵だったので、手に取った瞬間、わっと叫びそうになった。モノクロの絵本なんだけど、森の木やおばけが丁寧に描かれていて好き。森に弟と行ったぼくは、かけっこしながら森に入るが調子にのって奥まで行ってしまう。「おーい」と叫ぶとおばけが追いかけてくる。恐怖感がおばけの姿いろいろになるが、目をつぶって耐え、しばらくして開けると消えていた。やっと弟が追いついてきていっしょに帰る。

2004年11月26日

ファージョン作・ヴォーグ絵「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」

岩波少年文庫の「リンゴ畑のマーティン・ピピン」や「ムギと王様」で知られたエリナー・ファージョンの文章が、シャーロット・ヴォーグの絵で何倍にも生かされている大型の絵本。表紙は主人公エルシーと妖精の紳士淑女がなわとびをしている。本を開くと扉はなわとびをしながら山道に入っていくエルシーの後ろ姿である。両方とも淡いグリーンでとっても幻想的、これからはじまる物語はどんなかと期待で胸いっぱいになる。
ケーバーン山のふもとにあるグラインド村の貧しい家にエルシー・ピドックは生まれ、パンとバターの他になにもない晩ご飯を食べて育った。3歳のとき母親になわとびをしたいと言うと、まだ早いと言われる。エルシーは夜中にお父さんのズボン吊りでなわとびをする。見つけた父親は「生まれながらのなわとび上手だ」と言って、翌朝なわに木の柄をつけてやる。どんどんどんどん上手になって、6歳になったころは、その州のどの村にも知れわたり、7歳になったころはケーバーン山に住む妖精もエルシーの名前を知っていた。妖精の中でもなわとびの名人アンディが、エルシーのうわさを聞いて連れてくるように言う。そして弟子にして教えたので、ついには月を飛び越えるほどになった。
ということで、なわとびの快楽が楽しい文章になり、それに淡い色彩の絵が加わってとても美しい。しかし、物語はここにきて時間が経って100年後、三人目の領主の時代になっている。領主はケーバーン山に工場を建てる計画である。村人たちは最後になわとび大会をしたいと申し出る。その日、ケーバーン山に集まっ人たちはなわとびをはじめる。そこへ109歳になったエルシーが現れて・・・。
わたしはシャーロット・ヴォーグの絵本が大好きで結構持っている。「ネコのジンジャー」「イソップ物語」その他洋書絵本の、どの本にもネコが出てきてそれがとても可愛い。この本の絵を描くことになってケーバーン山を訪ねた彼女は「すばらしい場所だった。(中略)ここでは、魔法が生きている」と語っている(本書あとがき)。ほんと、この本を拡げると、ケーバーン山の神秘となわとびの悦びが伝わってくる。

2004年12月10日

作/ボー・R・ホルムベルイ 絵/エヴァ・エリクソン「パパはジョニーっていうんだ」

同じエリクソンの絵本「パパが宇宙を見せてくれた」といっしょに図書館で借りたのだけれど、断然こっちが好き。こんなにぐっときた絵本は久しぶりだ。作者と画家はともにスェーデンの人である。
ティムという少年が寒そうに駅のプラットホームに一人立っている。彼はこの秋から母親とこの町に住んでいる。母親は息子を連れて来て、ここに立っているように言って帰ってしまった。やがて列車が入ってきてパパが降りてくる。今日は一日パパと過ごすんだ。ホットドッグを買うとお店のおばさんに「ぼくのパパだよ。ジョニーっていうんだ」と告げる。それから映画に行くと切符を受け取るおじさんにも言い、ピザ屋のお兄さんにも言い、図書館のお姉さんにも告げる。こうして楽しい一日が過ぎていき、夕方別れのときがくる。暗くなったプラットホームに立っているとママが迎えにくる。
これだけのことなんだけど、落ち着いた色調に人間の孤独が浮かび上がる。なぜか別れることになった夫婦の子どもへの愛が浮かび上がる。ティムってほんとにけなげな子だ。「パパはジョニーっていうんだ」とティムが言うたびに涙が出そうになった。

2005年02月01日

ときには絵本を・・・「ロージーのおひっこし」

図書館の棚で「ロージーのおひっこし」(ジュディ・ヒンドレイ ぶん/ヘレン・クレイグ え)が呼んでいた。絵を描いているヘレン・クレイグは「アンジェリーナとおうじょさま」など、アンジェリーナシリーズで知られている人である。淡い色のきれいな表紙の真ん中で手を広げているロージーは5歳くらいの女の子だ。ときは春、かな。見開きページの絵がすてき、小さい花や葉っぱや蝶が飛んでいる。
ロージーが引っ越しをすると宣言して、おもちゃや絵本を乗せた小ちゃなくるまを引いて歩いて行く。後ろから猫がついていく。大きな木の幹の穴を見つけ、掃除をしてクッションを置いていい気分になる。ロージーの様子が可愛くて、猫がいつも側にいて、なにをするんだろうという目で見ているのもいい。海のかなたから友だちがプレゼントを持ってぞろぞろやってくる。ウサギやクマや妖精や道化師や子どもたち。ぬいぐるみたちも加わっての楽しい遊びが終わって、彼らは帰り、ロージーも片付けて家へ帰ると晩ご飯に間に合った。イギリスの田舎の風景が楽しい、ちょっとおしゃまな女の子の物語。疲れたアタマにとってもやさしい。

2005年02月03日

ジョン・バーニンガム「旅するベッド」を読んで考えた

今週に入ってからほんとに寒い日が続いている。でも昨日がピークだったろうか、今日は少しぬくかった。こんな日に出かけて風邪引いたらたいへんと昨日・今日とプールはお休みして、そのぶん仕事と確定申告の準備をしていた。なんとか申告日までにやってしまえるだろう。
部屋を暖かくして温かい飲み物を手に、本を読んでいれば天国である。ピーター・ラヴゼイ「漂う殺人鬼」をまたまた特急で読み終えて、もう一度かみしめているところ。その途中に余裕で絵本を手にしている。「旅するベッド」はジョージーという男の子が主人公、ベッドが小さくなってしまったので、お父さんとショッピングセンターへ買いに行く。途中で古物屋があったので寄ってみると古いベッドをすすめられる。「どこへでもじゆうに旅のできるベッド」だと持って来たおんなの人が言ったという。ジョージーはベッドに入るとベッドに乗っまま遠く旅に出る。
おととい読んだ「ロージーのおひっこし」は女の子が自分の居場所を決めて、そこにいろんな友だちを集めて楽しむお話だった。それは女の子の夢の世界である。こちら男の子は出かけて冒険する夢のお話である。ちょっと考えてしまうなぁ。そして、わたしは女の子の絵本のほうが好き、というか、わたしが小さな女の子だった時代にやったことが象徴的に描かれていると思うのね。

2005年02月10日

アン・ファイン「フラワー・ベイビー」

震災前の数年「ホビットの会」というイギリス児童文学の勉強会に毎月行っていた。毎月指定された一人の作家を読み会合で話し合ったのはとてもよい経験だった。気に食わないと決めて読まなかった作家の作品も読んで、やっぱりアカンとわかったのもよい経験だった(笑)。わたしが参加したときはアラン・ガーナーで、それ以来50人くらいの作家の作品を読んだことになる。すごいなぁ。
いまも児童文学はミステリーと並んでわたしの読書の中心だが、手にするのは好きな作家の再読になってしまう。ガーナーもアリソン・アトリーもすごい作家だれど、そして何度も書いている「小公女」「秘密の花園」「リンバロストの乙女」も離されない本だけれど、新しい風にも吹かれなくては。
アン・ファインがいいと聞いて読んでみたいと思っていたら「フラワー・ベイビー」が図書館にあった。読み出したらいままでの児童文学を追い抜いている人だと気がついた。ホビットの会ではファンタジーが好きな人が多かったが、わたしはリアルに労働者階級の子どもたちを書いたのが好きだった。その系列の作品である。
持て余し者ばかりのクラスが、学年始めのサイエンス・フェアのプロジェクトに、小麦粉の入っている袋を赤ん坊とみなし、世話をするという〈フラワー・ベイビー〉のプロジェクトをやることになってしまった。サイモンはアホらしく思いながら世話をしているうちに、ベイビーが可愛く思うようになる。その過程がおもしろい。そして〈フラワー・ベイビー〉についての日記を書いているうちに、自分を置いて出て行った父親のことを考えるようになる。口笛を吹きながら出て行った父、その口笛はなんの曲を吹いていたんだろう。
最後のシーン。先生が学校の廊下でサイモンを見て、【通りすぎようとする若者の姿に、高くそびえる白い帆船が開かれた世界へと出港していくさまを見て、思わず敬意をはらい、後ろに身を引いたのだった。】これぞ物語!

2005年02月13日

マレーク・ベロニカさんのお話会

マレーク・ベロニカのことを知ったのは、2年くらい前に堀江のカフェチャルカ(雑貨&喫茶&花のショップ)で「ラチとらいおん」の絵はがきを見かけたときだった。8枚セットの絵はがきが気に入って、使うのがもったいないと思いつつ、でも、可愛いやろとジマンもしたくていろんな人に出したものだ。「みにくい女の子」とともにセットをプレゼントしたりした。
その後で絵本の原書を買った。いま持っているのは「ラチとらいおん」「ブルンミとアンニパンニ」で眠る前に開く本のナンバーワンになっている。知り合いの子どもたちにも翻訳本をプレゼントして喜ばれた。「ぼくも弱虫だから、ラチの気持ちがよくわかる」と言ってくれた子がいた。
今日は原作者のベロニカさんがいらっしゃって、チャルカに近い画廊マイナスケイプスでお話の会があった。3時40分から受付というので、20分早く行ったのだが寒いのにけっこう並んで待っている。細い階段を昇った2階がお話会の場所で、後ろだったけど見やすい席がとれてよかった。
司会者が「マレークさーんと呼びましょう、せーのー」というかけ声で、みんなで呼んだのがおかしかった。マレーク・ベロニカさんはゆったりとした黒のセーターでにこやかに出てこられた。子どものときお転婆でソファの上ではねたりするので、紙と鉛筆を持たされたそうだ。早くから絵のある本を書きたいと思っていたが、18歳のときに描いた絵を父が出版社に持って行くように言って、それが第1冊目の絵本になったという。黒板にさっさと絵を描きながらユーモアたっぷりの話は楽しくて、また通訳の青年がうまくて聞きやすかった。
「アンニパンニ」のシリーズは70年代のものだが、そのスタイルがいま受け入れられていて、今度続編を描かれたそうである。わたしもこの本の古風なのに新しいところに惹かれているので、なるほどと思った。
「ラチとらいおん」にサインをもらったのだが、わたしの番になったとき「大阪の人はみんなニコニコしてくれてうれしいわ」と言ってくれた。一言言葉を交わさせてもらったが、内容はナイショです。
あとはまた明日。

2005年02月14日

マレーク・ベロニカの「ラチとらいおん」ディアフィルム幻燈会

昨日の続きです。お話会の後は画廊の1階と2階に展示してある作品を眺めたり、販売品の絵本や小物を手に取って見て、自分へのおみやげにハンガリーの絵本などを買って幻燈会を待った。マロニエの実(栗に似ている)をつないでつくった人形をお話会で見せていただいたが、それを主人公にした絵本(キップコップ)があって楽しかった。
幻燈会も受付順の着席となったが、また運良くいちばん前に座れてゆうゆうと見ることができた。幻燈というのは、ハンガリーの家庭用幻燈機を使った紙芝居(ディアフィルム)のことである。「ラチとらいおん」の絵本が紙芝居のように順番に写し出される。画面の下にハンガリー語の字幕があるが、ここの上映は音楽(トウヤマタケオさん)がつき、可愛い声の男の子の朗読である。素朴だがおしゃれで大満足であった。
わたしたちお客はあこがれの作家に会わせてもらい、楽しませてもらって大満足だったけれど、主催者のみなさんのご苦労は大変だったと思う。ありがとうとチャルカBBSに書きにいかなくっちゃ。

2005年05月24日

マージョリー・フラック ぶん・え「ウイリアムのこねこ」

週に2〜3回のプールと2〜3回の整骨院通いで大忙しである。年をとると健康の維持に時間とお金がかかる。このごろは目的なしに繁華街をぶらぶらするということがほとんどない。1月に神戸へ震災関連で二度行ったが、今年の遠出はこれだけかも(笑)。神戸の友人が「なんばパークス」へ2回行ったというのに、わたしはまだ一度も行ってない。そして「えっ、なにしに行ったん」と聞いて呆れられた。あんなとこだれが用事で行くかいな(笑)。
今日は整骨院に行くのに、往きも帰りも電車がすぐきて(通勤時間を過ぎると天下茶屋と北千里の間は1時間に3本)時間が浮いたので、長堀橋で乗り換えせずに心斎橋まで「クリスタ長堀」の商店街を歩いた。中国茶の店を眺めて、美味しいパン屋さんでお昼のパンを買って、丸善へ寄って絵本を1冊買った。で、これからその本の紹介。久しぶりに買った猫絵本だ。
マージョリー・フラック(1897〜1958)は「アンガスとあひる」で知られるアメリカの絵本作家である。「ウイリアムのこねこ」はウイリアムという4歳の男の子が、迷子の子猫を家に連れて帰るお話で、ほのぼのとした絵が楽しい。1938年に描いたものだから、その時代色がなつかしいようなうれしいような気分で買ってしまった。5月からはじまる12カ月の猫の絵がまた楽しい。5月はチューリップの花の下で気取って、6月はバラの花の下で蝶々にフーッとやっている。(新風舎 1300円+税)

2005年09月21日

「ソビエトの絵本」1920-1930

古書店ベルリンブックスで見つけて3500円うーんと思ったが買ってしまった。1989年スイスのチューリヒで「ソ連子どもの本展」が開催された。本書はその展示の中心となった「1920年代の絵本」を紙上再現を試みたものだそうだ。出版は1991年、リプロポート。編集:ジェームス・フレーザー/島多代。
去年の春に芦屋市立美術博物館で「幻のロシア絵本1920-30年代展」を見てとても感動した。そのときに見た同じ本もあるし、違うのもある。どちらも個人のコレクションである。当時これらの絵本を評価してコレクションしていた人たちに感謝である。
芦屋のカタログよりひと回り大判の本で、見開きになったページが見やすい。科学技術、動物、農業、手仕事、子どもたち、遊び、歌集、昔話、労働者・・・どこを開いても美しい色彩と線で楽しませてくれる。短くも美しく子どもの夢と革命の夢が重ねられた幸せな時代の絵本の数々がある。

2005年11月21日

スーザン・クーパー「妖精の騎士タム・リン」

絵本を読むのは久しぶりだ。お話(再話)がスーザン・クーパーだったので、相方が図書館から借りて来たのを先取りしてしまった。
10数年前に参加していた「ホビットの会」(イギリス児童文学研究会)で取り上げたので、当時翻訳の出ていた「闇の戦い」シリーズ1〜3「灰色の王」「みどりの妖婆」「光の六つのしるし」を読んだ。訳者の浅羽莢子さんがミステリーの翻訳もされているのが話題になり、がちがちの児童文学好きはこの翻訳はよくないと言い、わたしは読みやすくてよいと言った。
それから10年も経って、たまたまシャーロックホームズでウェールズの会とVFC例会がかちあったときに当時の会員と出会った。彼女はウェールズ語を勉強しており、きっかけはホビットの会でスーザン・クーパーを読んだからだと言った。
「妖精の騎士タム・リン」(小学館 1500円+税)は1991年に発表されたのが今年の夏に翻訳された。ちょっと地味っぽい絵本だが、好きな人が読んだらたまらない、スコットランドに古くから伝わる物語の再話である。王女マーガレットはお城のてっぺんで貴族の娘たちと一緒にじっと座ってししゅうをしている。夏の空は青く白い雲が走っている。マーガレットは外に出たくてしかたがないが、幸せにしてくれる男の人がくるまでここに座っているべきだと言われている。ある日マーガレットはスカートの裾をからげて走って森へ行く。そこで出会った青年こそ妖精の騎士にされてしまったタム・リンだった。
若い娘の自由への憧れと恋、そして障害を超えて愛を貫こうとする意志とその勝利の物語である。

2005年12月05日

エルサ・ベスコフ さく ささめやゆき え「おもちゃ屋へいったトムテ」

おもちゃ屋へいったトムテ (世界傑作童話シリーズ) エルサ ベスコフ図書館で目に飛び込んできた絵本「おもちゃ屋へいったトムテ」(福音館書店 1998)。作者エルサ・ベスコフ(1874〜1953)はスウェーデンの人で、絵を描いているのは1960年生まれのささめやゆきさんで、東京生まれの日本人です。なのに物語と絵がぴったりとあっていて北欧の絵本を開いているような気がします。ほんとに素敵な絵本です。これはずっと持っていたいなぁ。まだ手に入るかしら。
田舎の小さい家に住む、人のいいちょっと年のいった娘さん2人が、自分たちでつくった人形を町のおもちゃ屋へ売って暮らしをたてています。その家の床下に住んでいるのがトムテ(妖精)の一家です。お父さんトムテは娘さんたちが遅くまで働いているのが気にくわず、ランプのねじをまわしたり、ろうそくの芯を濡らしたりして明かりを消します。そして娘さんたちが夜が更けているのに気がついて、ベッドへ入ると台所の床下へ帰っていきます。
月が明るい夜、息子のヌッセとニッセが起きだして人形たちと遊びます。トムテ人形があったので、その服をヌッセは気に入ったので着てみます。ニッセがもう帰ろうと言っても、鏡の前でかっこいいのに見とれているヌッセ。娘さんたちが部屋に入ってきてニッセはうまく逃げるけど、ヌッセは逃げ遅れてしまい、人形のふりをして箱の中でじっとしています。あらあら、その箱は町のおもちゃ屋へ届けられるのです。
それから町のおもちゃ屋でのヌッセの活躍がはじまります。ショーウィンドウで動くトムテ人形が話題になって大人気。だけどそれは子どもの前だけの話で、トムテ人形がヌッセだとご主人たちにわかりません。貧しい孤独な子どもを喜ばせたあと、ヌッセは田舎へ帰ることにします。
この本をクリスマスの贈り物にもらったらうれしいだろうなぁ。よく似た絵本でルーマー・ゴッデン作、バーバラ・クーニー絵の「クリスマス人形のねがい」があって大切に持っています。どっちもいいけど、いまのわたしはトムテのほうが好きかな。いやいや、こっちもなかなか捨てがたい、両方ともいいいです。

2005年12月10日

マーサ・ブルックス「ハートレスガール」

ハートレスガール マーサ ブルックス「ゲド戦記」の最後の章を買って以来、絵本は買っているけど、児童文学は買っていない。いまの子ども向きの本がどんなのかを知りたくなると図書館へ行く。
先日借りてきたのは「ハートレスガール」(2005年 さ・え・ら書房)。孤独そうな少女がクルマを運転している表紙に気を惹かれた。それに2002年に書かれた作品を今年5月に翻訳出版という新しさもいい。
マーサ・ブルックスはカナダの作家だが、ジャズシンガーとしてのキャリアのほうが長く、CDも出しているし、ヨーロッパでも活動しているそうだ。カナダのマニトバ州は現在も先住民族が多く住んでいるところで、そこの結核療養所の所長をしていた父と看護士の母に育てられた。本書もその地の物語として書かれている。
広い大平原に大きな湖、道沿いにぽつりと集落があり、数軒で「村」という場所でカフェを開いているリンダは子持ちの独身女性である。閉店しようとしたとき、大雨の中を若い女性がトラックから降りて入ってくる。いわくありげな様子を黙って見過ごそうと思うが、リンダは声をかけた。「話してみれば? あなたの困っていること」。そしてノリーンはリンダの家に泊まることになる。それがとんでもない女の子なのだ。
登場人物それぞれがみんな痛みをもって生きている。リンダもノリーンもノリーンの恋人も、心に傷を負っている。それはしっかりと生きて76歳になるドローレスも同じで、ひとり娘を白血病で亡くした過去がある。リンダを愛する農夫デルも自分が原因で兄が湖で溺死した過去がある。これが児童文学かと思うくらいの暗さだが、生きることへのひたむきさが底に流れて、未来がほの明るく見えてくる。

2005年12月13日

「ゲド戦記」が映画化される

昨夜2時半に窓を開けたら、見上げたところにオリオンとシリウスがあり、双子座も牡牛座も輝いていた。よく晴れて風が吹いて、大阪でこんなに星が見えるんだと感激した。今夜も見えそう。
10日の日記でマーサ・ブルックスの「ハートレスガール」のことを書いたんだけど、最初に「ゲド戦記」についてふれている。内容ではなくて、いちばん最新に買った児童文学ということだったけど。それで、また本を出してきてぱらぱらやって身近に置いていたら、今日ネットニュースにスタジオジブリの新作アニメとして「ゲド戦記」映画化のことが出ていた。ただし宮崎駿監督ではなくて、長男の宮崎吾朗さんが監督するそうだ。3-4巻を中心にするらしい。わたしが好きなのは4巻と5巻だけど、それ以前の物語があっての最終章なのだから納得だ。来年7月公開らしいが見に行く気になるかは別。
「ゲド戦記」は、児童文学という形式の中に、女性の生き方や知恵や愛と性などの大問題を、しなやかに書いているところがすごい。「指輪物語」よりも「ナルニア国物語」よりも好きだ。

2006年02月08日

スーザン・クーリッジ「ケティ物語 その後の巻」

すてきなケティ クーリッジ古い児童文学ならおまかせと思っていたが、題名も知らない本があったんだ、と自慢の鼻が折れました(笑)。その本をYさんがはるばる持ってきてくれ読むことができたのでラッキーでした。読んでから調べたら「すてきなケティ」「すてきなケティの寮生活」「すてきなケティのすてきな妹」「すてきなケティのすてきな旅行」が「ポプラ社文庫 世界の名作文庫」で4冊がいまでも手に入るのがわかりました。
さて、貸していただいたのは、富山房から昭和24年に発行されたものです。定価250円は当時としては高価な本だったんでしょうね。本文の紙は粗末なものの洋書のようなしゃれた装丁です。古本屋専門の我が家では買えなかったのでしょう。
全体がケティという少女の成長物語のようで、貸していただいた「その後の巻」はいま出ている「すてきなケティのすてきな旅行」にあたります。少女時代の最後はヨーロッパ旅行で終わるという、まことにアメリカ人の夢を実現した物語です。ケティの父は医者ですが、ヨーロッパ旅行をするほどの余裕はない階級です。近所に住むアシュ夫人が彼女の人柄に惚れ込んで誘ってくれたのです。アシュ夫人と娘のアミーと3人でボストンから出航し、10日間でリヴァプールに着きます。それからロンドン、パリ、ニース、ローマと旅が続き最後はベニスです。途中でアメリカ海軍の軍艦に乗っているアシュ夫人の若い弟が現れます。彼はやはり旅行中のケティの金持ちの従姉妹リリーに恋していたけど、ケティの善良さと真面目さに惹かれるようになります。
清教徒的なアメリカ思想が充満した物語ですが、うまく楽しく書いてあるので、飽きることなく読めました。若草物語と同時代だそうですが、あんまり有名でないのは普遍性に欠けているからかな。でも、いま読むからこそ、当時のヨーロッパ旅行中のアメリカ人がよくわかっておもしろいという、おまけもあってよかったです。

2006年02月27日

西条八十「花物語」

「ケティー物語」といっしょに東京からYさんが持ってきて貸してくださった。昭和12年に大日本雄辯会講談社から発行されたもので、Yさんのお母さんにそのお姉さんが贈ったのを、昭和22年にYさんがもらったという歴史のある本なのである。Yさんは「花物語」というタイトルを覚えていて、国書刊行会から吉屋信子の「花物語」が出たとき買ったそうだ。ところが覚えているのと違うので実家に帰られたとき、本書を探し出したという曰くつき。小型で四角く深紅の瀟洒な本である。
親と姉2人兄2人の本が家にあって、少女小説に強いと思っていたわたしだが、西条八十が少女小説を書いているのは知らなかった。気になったので探したら、1978年発行の「薔薇の小部屋」(特集:おもいでの少女小説)に、福岡翼さんの「戦後の少女小説と作家」があった。西条八十は「女学生の友」に「にじの乙女」という富豪の令嬢がふとしたことで旅芸人の一座の歌手になる、連載小説を書いているそうだ。「少女クラブ」にも「青衣の怪人」「幽霊の塔」という探偵小説を連載していたそうで、西条八十ほどの人にしても戦中戦後は詩だけでは食えなかったんだなぁと感慨がわく。
本書もそういうことで書いたものだと思う。吉屋信子の「花物語」がもてはやされていたので、これくらいなら書けるとばかりに書いたような気がする。わたしは一晩で読んでしまったが、途中でやめようなんて思わなかった。ドラマチックでセンチメンタルな友情物語はけっこうおもしろかった。
では、なぜいま吉屋信子の本が復刊されているのに、こちらは忘れられてしまったのか。それはもう簡単な話で、エロティズムの不足なんだと思う。吉屋信子の物語には少女たちのこうとしか生きられない切羽詰まった愛がある。それは友情ではなくて恋情なのである。読者はよく知っていたのだ。自分自身の身代わりに本の中の少女たちが、あやうく生きて(死んで)いくのを。
本書の後ろには本の広告がたくさんあって、見覚えのある文字が並んでいる。「君よ知るや南の国」「海に立つ虹」「あの道この道」「夾竹桃の花咲けば」「紅薔薇白薔薇」「絹糸の草履」「苦心の学友」等々。これらを見るだけでもこの本をお借りした値打ちがあった。

2006年05月15日

「ゲド戦記」と「エウレカセブン」

今月は連休のせいかめちゃくちゃ早く会報の原稿締め切り日がきた。いつも速成で5日間でつくって送る。今月はちょうどその期間に「エウレカセブン」を長時間見ていているものだからできるわけない。でも夜遅くまでかけて作業したので今日できあがり明日送れる。よう頑張ったけどへとへとです。アタマが廻らないので日記のネタも浮かんでこない。読みかけている本(ノーマ・フィールド「へんな子じゃないもん」)の感想を書こうと思ったが無理。
それで今日ちょっと気になったことを覚え書きしておく。
「エウレカセブン」って「ゲド戦記」に似ているように思えるのよね。ゲドは魔法使いと竜が生きている世界のファンタジーで、エウレカは未来SFである。しかし両方とも主人公の成長物語であり、主人公をとりまく人たちと影響を与えあって、共に闘う人生を生きていく。ゲドにたくさんの賢い女性たちや男性たちが影響を与えたように、エウレカとレントンの周囲には逞しく賢い女性男性がいて手を差し伸べる。
「ゲド戦記」は男性(ゲド)が主人公だが、テナーやテハヌーなど優れた女性たちがいて、女たちの物語でもある。でも基本的にはゲドの戦記である。「エウレカセブン」も男性(レントン)が一応主人公で、好きになる女の子がエウレカで、タイトルは「エウレカセブン」である。そこが新しいと思ったのだけれど・・・。えーと、もっとよく考えてみるね。いまは眠い。

2006年12月16日

ジョゼフィーン・プール文 アンジェラ・バレット絵「アンネ・フランク」と「白雪姫」

絵本 アンネ・フランク ジョゼフィーン プールうら若き少女のころ、知り合いの男の子が「労演」でアルバイトをしていたので、よく会場へ遊びにいって芝居中にロビーでおしゃべりしていた。調べたら1957年のことなのだが、劇団民芸「アンネの日記」が産経会館であった。わたしは吉行和子が初舞台のアンネを見たのだが、大阪では吉行和子と三井美奈のダブルキャストだったと思う。評判になったのはアンネに抜擢された三井美奈だった。その日、受付に立っていると目の前をとんでもない美しい少女が通った。つんと顔をあげて姿勢がよいのでよけいに背が高くて、白っぽいコートを着ていた。三井美奈はいまでも覚えているくらいの美少女だった。はい、前置きでした。

ジョゼフィーン・プール文 アンジェラ・バレット絵「アンネ・フランク」の表紙を見たとき、そんな思い出がよぎるのと同時に「この絵見たことある」と思った。本書を読めばわかるが、表紙の3人の少女はユダヤ人である印(Joodと記した星形の黄色いマーク)を胸につけさせられて、映画館のざわめきを後ろにしている。思い出したのは同じ2人の文と絵の「白雪姫」だ。
「アンネの日記」をいまさら読むなんてと思ったが、本書は日記ではなくて「アンネ・フランク」なのだ。客観的に歴史とアンネと家族の身に起こったことが述べられている。ヒトラー軍がオランダに侵入し、ユダヤ人の味方をすると危険だとすぐに悟ったオランダ人たちはユダヤ人排斥をはじめる。一家は父の助手ミープの手を借りて隠れ家で暮らすことになる。可愛がっていた猫との別れ、隠れ家にもう一家族が合流して、少年ペーターとの恋。戦争が終わりに近づくころ報奨金欲しさの通報で一家はつかまってしまう。その夜、訪れたミーナは残された日記を引き出しにしまう。感傷を抑えた文章と絵が素晴らしい絵本だ。
「白雪姫」のほうだけど、この絵本はものすごく好きでよく眺めている。白雪姫も継母も美しくて見飽きないが、もっとすごいのは森である。ヨーロッパの深い森はこんなのかと思う。森の中を駈けて継母から逃げる白雪姫のまわりを動物たちが同行する絵がすごい。(「アンネ・フランク」あすなろ書房 1500円+税 「白雪姫」ブックローン出版 1500円税込))

2006年12月21日

E・B・ホワイト「シャーロットのおくりもの」が映画になった

半月ぐらい前に「シャーロットのおくりもの」の映画の広告を新聞で見た。ジュリア・ロバーツが奇跡をもたらすクモのシャーロットの声で出演している。
わたしはこの物語が大好きだ。少女ファーンが可愛がっている豚のウィルパーがあわやハムにされる運命のとき、友だちのクモのシャーロットが考え抜いて助ける方法を考える。その奇抜な方法が楽しい。おかげでウィルパーは農場で幸せな生活を送ることができるのだ。
わたしが持っている本は法政大学出版会(1973年初版)から出た本で、ずっと大切にしてきた。E・B・ホワイトの本はこれも映画になった「ちびっこスチュアート」(映画は「リトル・スチュアート」)と「白鳥のトランペット」が訳されている。3册とも動物と人間の交流がおもしろい。

サラ・パレツキーの「バースデイ・ブルー」が訳されたとき、献辞をみてうれしくなった。「シャーロットのおくりもの」の最後の一節があったのだ。
【真の友だちであり、すぐれた作家でもある人物にめぐりあえるのは、そうしばしばあることではない】
「ドロシーに」とあるのは「シスターズ・イン・クライム」で共に活動しているドロシイ・ソールズベリ・ディヴィスのこと。
この言葉はウィルパーにとってのシャーロットのことなのだが、サラ・パレツキーはそうしばしばない幸福に恵まれたんだなぁ。

2007年02月04日

エロール・ル・カインの華麗な絵本「まほうつかいのむすめ」

エロール・ル・カインの絵本が好きだ。これでもかとばかりに装飾を加えた色も線も華麗な絵本を広げると夢心地になる。時代も場所もエロール・ル・カインの世界と言うしかない。本書の表紙の奇妙さに、わけがわからんと言う人も多いだろう。ヘンな魔法使いらしき人物がいて、嘆いている黒髪の娘がいて、立派なお城があってお日様が照り、あでやかに咲く薔薇の花、奇麗な水に魚が泳ぎ、鹿の親子が憩っている。
あるお城に魔法使いと娘が二人だけで住んでいる。娘は自分が何者なのか知りたいと思い、父に聞くが相手にしてもらえない。うるさく思った魔法使いは、本を読みたいという娘にたくさんの本を与える。部屋にこもって本を読む娘の姿は「源氏物語」に読みふける姫君の姿のよう。十二単っぽい衣装に黒髪が長く伸びている。読書によって娘は山の向こうにさまざまな国があることを知り、いろいろな人がいることを知る。そして人々は名前で呼ばれていることも知る。自分の名前はどういうのだろう。娘は夢の中で呼ばれた幼いときの名前のことを考える。
魔法使いに問うと、薔薇の花だった、次は水の中の魚だった、鹿だった、という答えがあり、それぞれの姿にしてくれるのだが、娘はそれらではなかったと思う。最後に小鳥に変身させてもらうと、力の限り山の向こうへ飛んで行く。そして母と巡り会い自分の名前を知る。その名はチ・フィ・エンというのだった。
文のアントニア・バーバーはベトナムから迎えた養女のためにこの物語を書いた。その娘の名、チ・フィ・エンをそのまま物語に使っている。
ル・カインの絵は日本、中国、東南アジアの雰囲気を持つ、不思議な東洋的世界を展開していて、何度見ても飽きない。(ほるぷ出版 1500円)

2007年02月13日

「長靴をはいた猫」を3册持っている

シャルル・ペローの「長靴をはいた猫」を3册持っている。
1冊は澁澤龍彦が訳して、片山健が挿絵を描いたもので、雑誌「アンアン」に載ったのを単行本(1973)になると同時に買った。お気に入りでいつも手許に置いている。表紙にも使われている片山健の挿絵は澁澤氏がとても気に入って、「ダヤン将軍のように片目に眼帯をしている」とあとがきに書いている。偉そうな顔をした猫がなぜかダヤン将軍のような眼帯をして長靴をはいている。でも猫だから可愛い。
次は洋書の大型絵本で、文はLincoln Kirstein、絵はAlain Vaes(eの上に横線あり)とある。どちらも知らない人だけど、丸善で表紙に一目惚れして買った。とてもクラシックな絵で、最初のページの見開きのお城の絵に圧倒される。ダーシーさん、ロチェスターさん、「レベッカ」のおうちよりも大きいくらいなお城である。結婚式もイギリス国教会みたいな感じだ(あくまでも私の感じで事実かどうかは別)。後ろのほうの猫は執事みたいに変貌している。結婚式を手落ちはないかとじっと見ているところ、最後のページの部屋の角に立ってネズミに長靴を磨かせているところは有能な執事の立ち姿だ。
3册目はイタリアの若手画家ジュリアーノ・ルネッリのモダンな絵本である。表紙の猫は昔のハリウッド女優みたいにしどけなく、ソフアにクッションを積んで横たわりお茶を飲んでいる。じっとこちらを見つめる瞳に魅せられてしまいめろめろ。赤い長靴がとてもファンタスチック。王女様はピンクのスカートが似合って可愛らしい。若者はひょうきんさも併せ持っていて上品だ。

昨日は19年生活をともにした飼い猫の花子を思い出しながら3冊の本を広げていた。明日はバレンタインデー。うちは花子の命日なんだよね。思い出しやすい日に死ぬなんて、やっぱりうちの猫だわ。今夜は絵本を見ながら「マイファニーバレンタイン」でも聴いて寝るとしよう。

2007年03月08日

アラン・ガーナー「ふくろう模様の皿」を10数年ぶりに読む

昨日「マザーグース合唱団」のことを「ロンドン橋が落ちまする!」からの連想で書いた。そしたら今度はわたしが最初にホビットの会に参加したときに取り上げられた作家が、アラン・ガーナーだったことを思い出した。
他に「ブリジンガメンの魔法の宝石」「エリダー」「ゴムラスの月」の3冊が訳されているので読んだが、「ふくろう模様の皿」(1967)がいちばん心に残っている。それで今日はこの本をと出してきたのだが、読み出したらはじめて読むみたいにおもしろい。半分ほど読んだらようやく思い出してきた。
はじめて読んだときはまだウェールズやスコットランドに想いをはせることがなかった。ホビットの会で読書を重ねるうちに、児童文学を通してアイルランド事情にも目覚めた。わたしのアタマの中は児童文学とミステリーによって出来上がっている(笑)。

アラン・ガーナーは他の作品も神話や伝説を素材にしているが、本書はウェールズの神話・伝説のマビノーギオンを土台にしている。神話があり、一時代前の母親の身に起こった事件があり、そしていま3人の若者の間に同じことが起ころうとしている。
ずっと前からウェールズの谷間にある家でアリスンと母親は休暇を過ごしていたが、今回は新しく家族となったロジャーと父親がいっしょに過ごすことになる。よそからコックとして雇われたのがナンシイと息子のグウィン。ナンシイは上昇志向で息子に教育をつけようとやっきになっている。(イングランドの富裕な人たちがウェールズに昔から建っている家を所有しているのは普通のことなのかな。)
ある日、アリスンの部屋の天井からへんな物音が聞こえ、グウィンが調べると天井裏に皿が置いてあるのを見つける。その1枚を洗うと鮮やかに甦るのが、花のようなフクロウの模様で、アリスンは無意識で紙にその模様を写して切り取る。それを折り曲げて張り合わせるとフクロウになる。アリスンはフクロウをいっぱいつくる。皿は真っ白になっている。
若き日に自分の身に起こったことを人には言えず、ナンシイは恐れと怒りで辞めると言うが、その度にお金で慰留される。その間に3人の若者に悲劇が忍び寄っていく。

見返しにあるフクロウ模様の皿は、ほんとのお皿だということがあとがきを読んだらわかった。アラン・ガーナーの奥さんのお母さんが見せてくれた皿で、奥さんが模様を写し取ってフクロウを作ってくれたという。それは花をフクロウに変えた伝説とそっくりだったそうだ。
というのを読んだので、厚めの紙に拡大コピーして切り取り貼付けたら、ほんとにフクロウになった。感激して何枚も作りホビットの会に持って行ったのだがあまり歓迎されなかった。でも欲しがった人もいてあげた記憶がある。

2007年03月09日

「ホビットの会」へ行ったわけ

ネットやメールが当たり前になる前のこと、ヴィク・ファン・クラブが15周年だから、その3年くらい前かな。わたしはウツボガーデンキャットたちへのご飯配りから足を洗って、レーザーディスクで映画を見ることに専念していた。毎日映画を見られてほんとに幸せな時期だった。集中するとお金もそれだけに使うのは、昔も今も同じで、見たい映画のレーザーディスクをあれこれ買っていた。ヨーロッパ映画が主だったが、いちばんの収穫はフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズのダンス映画だった。RKO時代からはじまってたいていの作品を見た。
そのころのある日、日経新聞夕刊の「同好同志」というようなタイトルのコラムに「ホビットの会」があるのを見つけた。わたしはトールキンの「ホビットの冒険」が大好きだったので、事務所を持つときの名前を物語の主人公ビルボ・バギンズからいただいて「ビルボ」としたくらいなのである。「喜ばせたげよ」とすぐに連絡先の代表者、正置さんにハガキを出した。「わたしはビルボです」とね。もちろん喜んでくださって、一度会にいらっしゃいとのことで、研究会へ出席させてもらった次第である。
ちなみに、3年後くらいに同じ日経新聞の同じ欄にヴィク・ファン・クラブが載った。そのとき連絡してくださったUさんとは長いおつきあいとなっている。

2007年03月23日

マリア=グリーペの本は7年ぶり「夜のパパ」

夜のパパ マリア グリーペスウェーデンの作家マリア=グリーペの1968年の作品で、翻訳が出たのが1980年、それから長らく絶版になっていたが「復刊ドットコム」に熱意が伝わり2004年に復刊されたもの。
マリア=グリーペという名前を覚えていたので日記をさかのぼってみたら、2000年(2000.6.21)に「エレベーターで4階へ」「自分の部屋があったら」「それぞれの世界へ」の3部作を読んでいた。田舎から都会へ、母と二人で出てきた少女ロッテンの物語。銀行家の家に住み込みのお手伝いさんになった母と暮らしながら、その家の娘や学校友だちやボーイフレンドや猫と親しくなっていく。その様子を可愛がってくれた亡きおばあちゃんに出さない手紙を書く。

「夜のパパ」も都会暮らしの母と子の物語だ。看護師の母は夜勤なので、娘のために夜にアパートにきてくれる人を募集する。〈やさしい子守の仕事/仕事をしながら眠れます/眠りながらできるお仕事/電話○○〉。その広告を見た青年は狭い部屋でフクロウのスムッゲルと住んでいる。面接に行くと信頼され、仕事がはじまる。
少女ユリアは彼を「夜のパパ」と呼び、最初は〈じゃましないで〉と貼り紙するが、そのうち〈じゃましてください〉に変わる。そういうことをユリアが書いておこうと発案し、夜のパパもそれではと書くことにし、読者は代わりばんこの手記を読むことになる。少女の微妙な気持ちの揺らぎが二人の手記から読み取れる。
孤独な青年と孤独ないじめられっ子の少女とフクロウが、夜を共に過ごしながら次第に打ち解けて行く。読んだ後に切ない気持ちが残る。

2007年07月21日

きょうだい不和の物語 ポリー・ホーヴァス「サリーおばさんとの一週間」

サリーおばさんとの一週間 ポリー・ホーヴァス毒を薄めたタイトルで(原題は「トロル」)、いんげん豆と赤毛のおばさんと子ども3人の絵の表紙を見てもなにも伝わってこない。だが、読み出すとへんなおばさんのサリーが姪と甥に話す言葉にぐんぐん惹きつけられていく。
両親と子ども(女の子2人と男の子1人)はアメリカ オハイオ州に住んでいるが、両親がパリへ1週間行くことになる。いつものベビーシッターが病気で、他に頼んでも断られる。母がサリー姉さんに頼もうというと、父は困った顔だ。しかたなくサリーに電話するとOKの返事で、両親と入れ替わりにカナダのバンクーバー島からやってきた。
バンクーバー島は寒いカナダにあるが雪が降らない。日本海流がバンクーバー島をあたためるので、冬の間中雨が降り靄が立ちこめる。そこでサリーと2人の男兄弟と末の弟(子どもらの父ロビー)が大家族の中で育った。
それからの1週間はサリーおばさんを中心に楽しい生活となる。祖父や祖母、おじさんやおばさん、近所の人たちの話がおもしろく、子どもたちは夢中になる。

サリーは毎年学校で絵が表彰されていたが、ある年ロビーが一位になり表彰される。サリーはそれを逆恨みし、またロビーが家族に甘やかされていることを恨んでいた。海には恐ろしい伝説の魔物トロルがいると言われている。ハローウィンの夜、上の3人はサリーが中心になってロビーを海辺に置き去りにする。トロルが現れるときに救出したらいい、ロビーのこらしめになるとリクツをつけて。ところがロビーがいなくなって大騒動になりカナダ騎馬警察も出動し、ようやく見つけだす。ロビーは何も言わないが、その日から姉兄から気持ちが離れてしまう。その後、ロビーはオハイオの大学へ行き、そこに住みつく。家族は死んだりどこかへ移り住んだりでバンクーバー島に残っているのはサリーだけになった。

子どもたちが気づくが、いまだに父のロビーは姉の顔を見ないようにしている。妻がサリーのことを言うと話題を変えてしまう。
サリーはロビーの子どもたちのありようが、昔を思い出させるものがあるのに気がつく。サリーとロビーの関係を話すことで、目の前の姪と甥たちに自分たちの姿を気づかせることができた。(偕成社 1400円+税)

2007年07月30日

絵本「ルイーザ・メイとソローさんのフルート」

ルイーザ・メイとソローさんのフルート ジュリー ダンラップジュリー・ダンラップ&メアリベス・ロルビエッキ作、メアリー・アゼアリン絵、長田弘訳の大型絵本。なつかしいような素朴な感じの表紙の絵に惹かれて、次にルイーザ・メイとソローという名前にもしかしてと本を開いたら、「若草物語」のルイーザ・メイ・オルコットと「森の生活」のヘンリー・ディヴィット・ソローの物語なのであった。別々に愛読者で、別々にその生活や性格に惹かれていた二人が知り合いだったなんて!

1840年4月、オールコット一家はマサチューセッツ州コンコードの町の近くの小さい家に引っ越してきた。食べ物は自給自足で貧しい暮らしだった。そこの隣人の一人がソローだった。ソローは学校を出て間もない青年で、父の鉛筆製造業を手伝っていた。町の学校の先生をしていたが、体罰が当たり前の教育に嫌気がさし辞めている。オールコット一家が引っ越してきたときは、ソローは兄とともに新しく学校をつくろうとしていた。ソローは自由な時間があると森や野原の散歩を楽しみ、近所の子どもたちといっしょに遠出もした。

ソローは姉のアンナの学校の先生だった。ルーイはソローさんに会ってみたいと思っていたので、ソローが子どもたちを散歩に誘っていると聞くと、たまらずに母に許可をもらう。ソローは最高のイチゴが森のどこにあるか知っていると有名なのだ。子どもの一人がバケツを忘れると、ソローさんはカバの木の皮をむいてカゴを編んでやる。そしてハックルベリーの茂みに到着。競争で採っていると、ソローさんのフルートの音が聞こえてきた。
その後はソローさんの野外観察について行って舟でフルートを聴く。冬になり閉じ込められた生活の中でじっとしているときルーイの言葉も閉じ込められていた。
川の氷が割れる音が聞こえて、春がきた。つららが溶けて、コマドリがさえずる。そしてルーイに言葉が生まれる。そのとき、ルイーザ・メイ・オールコット8歳。
ヘンリー・ディヴィット・ソローは1854年に「森の生活」を出版、1862年結核にて世を去る。(BL出版 1400円+税)

2007年08月01日

エリアセル・カンシーノ「ベラスケスの十字の謎」

ベラスケスの十字の謎 エリアセル カンシーノ図書館の「こども」の棚にあった本。ベラスケスの有名な「侍女たち」の表紙が気になった。赤い十字架を持った子どもと犬がカラーで、王女その他は背景のようにモノクロである。表紙裏にはスペインのミステリアス・ファンタジーと書いてある。なんかわくわくしながら読み出した。

17世紀のイタリア、生まれたときに母を失ったニコラスは父と乳母に育てられたが、ある日突然現れた男にスペインへ船で連れられていく。男は黒人や異形の人間をスペインの宮廷や貴族のもとに送る仕事をしているのだ。船で出会ったのは小人(こびと)のアセドだった。アセドはニコラスにいろいろなことを教える。宮廷につくと教育を受けるように手配され、勉強のほかに礼儀作法も叩き込まれる。賢く誇り高い彼はついにはフェリーペ国王殿下に謁見され言葉をかけてもらうところまでいく。
宮廷画家ベラスケスの信頼を得て側にいられるようになるが、その身辺には謎の男がいて、街の男の住まいに使いに行かされる。男からの伝言を受けたのち、苦しんで描いていた絵がようやく完成する。「侍女たち」である。

「侍女たち」を見ると、鏡に映っている国王夫妻をベラスケスが描いている絵の裏側がある。王女の視線はこちら(親たち)に向いている。右側に小人がいて、その横に子どもと犬がいる。本書の主人公は子どもとして描かれている。そして犬もまた物語の重要な役柄を担っている。
本書の中に絵が示されていて、1から12まで登場人物の解説がある。画家のパロミーノは1724年に描かれたすべての人物の身元を調べて発表した。そのときわからなかった二人の人物については今もわかっていない。そしてベラスケスの胸の赤い十字の紋章は後で描き加えられたものなのだが、誰が描いたか謎である。本書はその不明の二人と十字架の謎についての物語である。(徳間書店 1400円+税)

2007年09月22日

アメリカ南部の子どもの本 ケイト・ディカミロ「きいてほしいの、あたしのこと」

きいてほしいの、あたしのこと—ウィン・ディキシーのいた夏 (ポプラ・ウイング・ブックス) ケイト ディカミロ副題が「ウィン・ディキシーのいた夏」となっているが、原題どおりだとそうなる。
アメリカ南部フロリダ州の小さな町に引っ越してきた10歳の少女オパールが語る物語。父親は牧師でこの地の教会に就任した。教会のことばかり考えている人なので、オパールは心の中ではパパと呼ばずに〈牧師さん〉と呼んでいる。
〈牧師さん〉に頼まれてスーパーへ行くと、野菜がころがっていて、大きな汚い犬がいてオパールににたーっと笑いかけた。店長さんがどなるので、ついオパールは「あたしの犬です」とさけんでしまう。「ウィン・ディキシーおいで」って。その名前はそのスーパーの名前だったんだけど。
その犬と〈牧師さん〉のパパとの暮らし、だんだん親しくなっていくちっちゃい女の子、とても小さなおばあさんの図書館館長ミス・フラニー、魔女と呼ばれているお年寄りのグロリアさんともウィン・ディキシーを介して知り合う。
オパールの母親は3年前に一人で家を出て行ってしまい、父親はまだそのときの傷が癒えていない。子どもが背負っている厳しい現実があって、少しも甘やかさずにいっしょに受け止めようとする大人がいる。
グロリアは目が悪くて本が読めないので、オパールは図書館で本を借りて読んであげようと思う。館長さんは「風と共に去りぬ」をすすめる。そして南北戦争を知っているかと聞く。ありきたりの返事をすると、「そう、どれいと、南北諸州の権力とお金をめぐってね。ひさんな戦争だったんですよ。わたしのひいお祖父さんも、その戦争に行ったの。まだ、ほんの子どもだったのにね」その少年は悲惨な戦争を体験して、ヴァージニアからジョージアまで歩いて帰った。そして発見したのは焼き払われた自分の家だった。母も3人の妹も死んでいた。

オパールがパーティを思いつく。グロリアさんの家の庭に、友だちとこれから友だちになる子、ミス・フラニー、〈牧師さん〉のパパ、ペットショップで働くギターがうまいオティスが集まる。
作者はこの本のことを、子ども時代をすごしたアメリカの「南部と、犬と、友情への賛歌」といっているとあとがきに書いてある。(ポプラ社 1300円)

2007年10月02日

イラスト図解 ジュール・ベルヌ「十五少年漂流記」

イラスト図解 十五少年漂流記 J・ベルヌこの本を見るまで「十五少年漂流記」のことなんか頭の隅っこにさえなかったのに、見た瞬間に小学生のころ、この物語が大好きだったことを思い出した。
うちにあったのは森田思軒訳「十五少年漂流記」で、黒岩涙香訳「巌窟王」とともに日本文学全集みたいな一冊の本に入っていた。「巌窟王」のほうがもちろん主で、メルセデスがお露さんになっている涙香訳がわたしの「モンテ・クリスト伯」の初体験だった。
ジュール・ベルヌの本を読むのもはじめでだったが、作家のことなど気にならず、15人の少年たちの知恵や友情についてを読むのが大好きだった。一度読むとあとは好きなところを何度も読む。最後に助かるところが大好きだった(笑)。

本書は物語のあらすじをたどりながら、時代背景や漂流場所や生活道具、その地に住む動物たち、魚などの図解があって楽しめる。
19世紀リンカーン大統領の時代、ニュージーランドはオークランドの寄宿学校の生徒たち14人と見習い水夫1人と犬1匹が、翌日の回遊旅行に備えて小型船に乗り込んでいた。なぜか係留ロープが解けて外洋の嵐の中をさまようはめになる。嵐にもまれた船は3週間も漂い、ようやく陸地に叩きつけられて停まる。漂着したのはオークランドから約8000キロの南米の南の端の島だった。
15人はその島へ上陸して洞穴を見つけそこで暮らすことになる。少年たちは船に乗せてあった荷物をこの洞穴に運び、自給自足の生活をはじめる。その工夫が図解してあってなるほどである。
梅田紀代志さんの絵がクラシックな色調で、きちんと当時の様子を描き出してしるところに感心した。図書館の児童書は楽しい。(PHP研究所 1800円+税)

2007年10月03日

記憶の画像 森田思軒訳「十五少年漂流記」

昨日は昔読んだ「十五少年漂流記」のことを思い出しつつ、今年の8月に出た丁寧な〈イラスト図解〉と簡単なあらすじのついた絵本を眺めていた。
そのときは汚い全集本の1冊を思い出して、黒岩涙香訳(というより要約の語り)の「巌窟王」のおまけのようにあった「十五少年漂流記」を思い出したのだった。だからそのときは同じ黒岩涙香と勘違いしていた。ふとんに入ってから浮かび上がってきたのが、古びた本のイメージなのである。そしたら文字で覚えていたのではないイメージで〈森田思軒訳「十五少年漂流記」〉の文字が見えてきた。

朝起きて検索してみたらこれがアタリだったので、ほんまや、すごい、と一人で興奮していた。
すぐに松岡正剛さんの「千夜千冊」が見当たり、これでよくわかるだろうと思ったら、さすがだ、手取り足取りして教えてもらった感じ。
森田思軒が英語から重訳したのが1888年、石川湧によってフランス語から訳されたのは60年後なんだって。原題は「二年間の休暇」なんだけど、松岡氏は【ぼくにとっては「十五少年漂流記」でなくてはならないのだ。】と書かれておられる。そうや、その通り。
だけど、松岡さんは「十五少年漂流記」を少年少女向けの本で読んだそうだ。わたしが読んだのはオリジナルの森田思軒訳「十五少年漂流記」なんで、ちょっと勝ち(笑)。
※昨日の日記で黒岩涙香訳と勘違いしていたところは今日訂正しました。

2007年10月11日

ジュール・ヴェルヌ「十五少年漂流記」

絵本『イラスト図解 ジュール・ベルヌ「十五少年漂流記」』を手にしたのは10月2日、森田思軒訳「十五少年漂流記」を思い出したのが翌日3日、それから痛切に読みたくなり図書館で探したら文庫本が見つかった。よく字のつまった厚い本だが、おもしろかったのでどんどん読んですぐに読了。それでも気が済まずにあちこち読み返していた。

1860年3月9日の夜、15人の少年を乗せた百トンのヨット(帆船)サルキー号が嵐の海の上を帆も上げずに走っているところからはじまる。彼らはチェアマン寄宿学校の8歳から14歳までの生徒たちで、フランス人のブリアン兄弟、アメリカ人のゴードン以外はイギリス人である。それに見習い水夫である黒人のモコがいる。そしてファンという犬。
少年たちが無人島に漂流してから、力を合わせて2年間生き延びるさまを微に入り細にわたって書いているのが魅力。生きて行く努力を細かく描写し、また少年たちの正義感、嫉妬心、仲違いと和解、など心の動きも納得できる。何度読んでいても最後はほっとする(笑)。(荒川浩充訳 創元SF文庫 700円)

2007年10月22日

片山 清司・文「お能の絵本シリーズ」を2冊

ここにあるのは第1巻「海女の珠とり」『海士』(岡村 桂三郎・絵)、第3巻「青葉の笛」『敦盛』(大橋 彰・絵)の2冊だが、とてもおしゃれできれいで、子どもは楽しめるかどうかわからないが、大人は楽しめる絵本だ。
両方ともかんじんの能は見たことがなくて残念だが、絵を見て文章を読んでいると、舞台が想像できて楽しんだ。といっても、舞台そのものを絵本にしているのではない。それぞれのシーンがとてもリアルに描かれている。特に「海女の珠とり」の幻想的な海と竜と海女の絵に惹かれた。
物語は長い時代を超えて残ってきたものだから洗練の極致である。しかし為政者の庇護にあった能だから、内容は人間の美しさを描きながらも差別意識が根底にある。それを「海士」の解説で、身分差別、女性差別といったたくさんの禁忌が含まれているとしっかりと書いてある。片山清司氏の能の普及につくそうという熱い気持ちが伝わってくる絵本だ。(アートダイジェスト 1800円+税)

2007年10月27日

エスター・アベリル「JENNY'S BIRTHDAY BOOK」をもらった

わたしはうちに猫がいるとき、猫本を集め出して絵本などたくさん持っていた。その中でいちばん好きなのがエスター・アベリルの「黒ネコジェニーのおはなし」(福音館書店)のシリーズだ。とても可愛くおしゃれな黒ネコのジェニーは、船長さんのうちでだいじにされている。はじめは内気でネコの集まりにも行けなかったが、船長さんにスケート靴をつくってもらって以来、自信をつけて「キャットクラブ」の会員になる。
そのジェニーの楽しいバースディの一日を描いたのが「JENNY'S BIRTHDAY BOOK」で、これは翻訳も出ているが、わたしのは古い原書である。
今日突然とどいたのは、ヴィク・ファン・クラブが16年になるということで、世話人のわたしへの「ご苦労さん」の気持ちを表してくれたもの。新しい版の洋書で、ニューヨーク発「CHILDREN'S COLLECTION」の1冊。わたしが持っているのより一回り小さくて瀟酒な感じ。背中が赤い布でしっかりしているし、とてもおしゃれだ。2冊とも大切に持っていよう。ニューヨークの夜の公園で月の光を浴びながら踊るネコたち。中でも船長さんに編んでもらった赤いマフラーのジェニィが可愛い。

2007年11月09日

シャーロット・ヴォークの絵本「はじめまして ネコのジンジャー」

はじめまして ねこのジンジャー シャーロット ヴォークもう20年くらい前になるかな、洋書の絵本に凝ったことがあった。丸善だけでなくアセンスでも洋書絵本を扱っていたので、いろいろと手に入れたし、自分の好みの絵本作家もわかってきた。
シャーロット・ヴォークはその中でも好きな一人で、いま手もとにあるのは、小型の猫もので「FUR」と「TOM'S CAT」、そして大型の立派なイソップ童話「THE BEST of AESOP'S FABLES」である。もっと持っていたような気がするのだが・・・。
久しぶりに出してきて和んでいるが、やっぱりいい。
先日図書館で借りたのは、「はじめまして ネコのジンジャー」。はじめて見た絵本なんだけど、ジンジャーのことを前から知ってたような気がした。なんでやろね。
ジンジャーは広い庭の隅っこの、狭い草むらに住んでいる、汚れて痩せた子猫である。喉が渇くと水たまりの水を飲み、お腹が空いたらゴミ箱をあさる。ある寒い夜のこと、お腹を空かせてくさむらに戻ると、おいしそうなご飯が置いてある。お腹いっぱいになって幸せに子猫は眠った。翌日もちゃんとご飯はあり、女の子がいて「はじめまして、わたし、テレサよ」と言った。最初は逃げた子猫もだんだん慣れてきてジンジャーと呼ばれる。テレサは家に連れていく。でも家になじめずに逃げて行くジンジャー、テレサが泣いていると戻ってくる。いまでは仲良くおうちで暮らすが、くさむらはいまもジンジャーのお気に入り。
というお話が素敵な絵についている。テレサが可愛い。ジンジャーが可愛い。シャーロット・ヴォークは猫が好きでたまらないんだよね。TOM'S CATなんかもうやることがメチャクチャ。でも可愛がられてる。(小島希里訳 偕成社 1400円+税)

2007年11月12日

シャーロット・ヴォーク「ねこのジンジャー」

ねこのジンジャー シャーロット ヴォーク「はじめまして ネコのジンジャー」では子猫だったジンジャーは、大きくなってテレサの家で可愛がられて暮らしている。テレサの暖かいだっこと、居心地満点のカゴがお気に入り。テレサが抱えるのが大変なほど大きくなって、幸せいっぱいの飼い猫である。カゴの中で丸くなって眠るジンジャーを見ていると、こちらまで幸せになる。かつて、うちにもこういう猫がいたんだけどなぁ。ころんと丸くなって顔に手をのせて眠っていた姿が思い出される。
そこへテレサが子猫を連れてくる。おどろくジンジャーにまとわりつく子猫。どこへでもついてくるし、ジンジャーのご飯も食べてしまう。カゴにも入ってきたので、ジンジャーはキレてしまい家から出て行く。子猫はぶんどったカゴで寝るがおもしろくない。部屋中でワルサをする。ジンジャーがいないのでテレサが外に出て探すと、雨に濡れてしょんぼりしたジンジャーがいた。帰ってから別々のご飯の皿、子猫は段ボール箱をもらって、ジンジャーはカゴでゆったり。でも、テレサがあとからくると、二匹は段ボール箱でいっしょに遊んでいましたとさ。
大人になったジンジャーの分別臭い表情がおもしろい。「なんやねん」「なんでやー」みたいな顔も微笑を誘う。(小島希里訳 偕成社 1400円+税)

2007年11月19日

ミロスラフ・サセック「ジス・イズ・アイルランド」

ジス・イズ・アイルランド ミロスラフ サセック世界各地の様子を美しく的確なイラストで紹介するミロスラフ・サセックによる絵本のシリーズ。この前に見たのは「テキサス」「ニューヨーク」「ロンドン」「イスラエル」「ローマ」の5冊で、それぞれおもしろくてためになったが、今回の「アイルランド」がとりわけ良いと思った。きっと作者もアイルランドが好きなんだと思う。

最初のページはみどり色の濃淡で描かれたアイルランド全体の地図があり、アイルランド共和国についてのおおまかな説明がある。
ページをめくると美しいみどりの山脈、峠、村と続き、その次はバス、店舗、表示物とみどりが多い町中となる。みどり色が続いて建物。それからアイルランドの特徴を持つ品々、そして子どもと妖精等々。ダブリン、70万人のダブリン市民のために700のパブがあるそうな。次はオコンネル通り、街で見かける人々、古くて立派な建物の数々。トリニティカレッジの図書館には「ケルズの書」がある。
それからアイルランドの有名人、ジョージ・バーナード・ショー、オスカー・ワイルドの生家。ジェイムズ・ジョイスが住んでいた家はいまジョイス・ミュージアムになっている。ウィリアム・バトラー・イエイツ(メリングの本にはイエイツの詩の引用がたくさんあったっけ)のお墓。ケネディ家の祖父が住んでいたコテージもある。
たくさんのお城があり、最後は美しい湖のいろいろとアラン諸島の漁師。泥炭をとる図と泥炭が発電所の燃料となっているということ。いちばん西の町コネマラで終わりだけど、最後の1ページは虹と妖精。【アイルランドには妖精が幸運をもたらすという言い伝えがあるのです。】構成が素晴らしい。(松浦弥太郎訳 ブルース・インターアクションズ 1800円+税)

2007年12月09日

アンジェラ・バレット「スノーグース」

スノーグース ポール・ギャリコバーバラ・クーニー亡きあと、いちばん好きな絵本画家がアンジェラ・バレットだ。「白雪姫」のお姫様や継母の美しさが素晴らしい。神秘な森も素晴らしい。王子様がこれまた美しくてしびれる。なんでこんなに美しく描けるのかしら。真っ正面から美しいんだから。「アンネ・フランク」もアンネという個性的な少女をよくとらえて、悲劇的な美しさである。

「スノーグース」はポール・ギャリコが1940年に発表した短編小説に、アンジェラ・バレットが絵をつけて2007年に発行された絵本である。少女が傷ついたスノーグースを抱いている表紙を見ただけで暗そうな物語とわかる。すこしたじろいだが、少女の意志の強いまなざしに惹きつけられて読み出した。

イギリス東南部のエセックス沿岸にある大湿地は、渡り鳥が餌を探し、住む人はいないが牡蠣を採りにくる人がいる。古い防波堤も灯台も役目を終えている。この灯台に背中に醜いこぶがある青年がやってきて住むことに決め、まわりの湿地とともに買い取る。彼は野鳥や風物を描いている画家である。まわりの冷たい目がいやで、2週間に一度村へ買い物に行くほかは一人閉じこもって暮らしている。
そんな彼のところへ一人の少女が怪我をしたスノーグースを抱いてくる。きっと彼が治してくれると信じて。それから画家と少女の交流がはじまるが、スノーグースの飛来に合わせて来たり、途絶えたりして何年かが経つ。金髪の少女は成長していく。
第二次大戦がはじまり村で戦況を知った画家は、ボートで自分のできること(戦火のダンケルクの浜にいる兵たちを浜へ近づけない輸送船へ乗せるため)をしにダンケルクへ行くことにし、彼女に別れを告げる。哀しい結末を告げようとにスノーグースが飛んでくる。(片岡しのぶ訳 あすなろ書房 1500円+税)

2007年12月17日

スーザン・ヒル 文 アンジェラ・バレット 絵「キッチンの窓から」

開いた窓からキッチンへすがすがしい風が通っていくのを感じる表紙。イギリスの田舎の家のキッチンの四季を描いた絵本である。本を開くとカーテンが風で舞い上がっていて、調理台の上にはレタスやニワトコの花が見える。

冬からはじまって季節ごとのキッチンの様子と料理の説明がある。冬のキッチンの主役はシチュー鍋、脇役は土のついた根菜、遠い国からやってきた果物類が鮮やかな色を添える。ティータイムやクリスマスの料理がいろいろ。
春は大掃除をして食器棚の整理もする。イースターがやってきて卵料理のいろいろ。ニワトコの花はローションになり、花のリキュールになり、ジュースやアイスにも使う。
夏になるとドアも窓も開けてお料理、キッチンには果物の甘い香りが漂う。スグリのジュース、ラズベリーのアイスクリーム、そして外に出てピクニック。
秋がきたら、あらゆる木の実でゼリーやチャツネづくり、プラム酒もつくって冬の楽しみに。カボチャ、キノコもいっぱい。そして貯蔵庫には並んだ瓶詰めが宝物のよう。地下室には根菜がぎっしりとつまって、いつ冬がきても大丈夫だ。

溜め息のでる絵本だ。アンジェラ・バレットの絵はすべてを描ききっている。カーテンの柄、壁紙の模様、花を生けた焼き物の花瓶の模様は花を生かしてすてき。野菜の絵も皿に盛られた料理の絵もすてき。何度見てもすてき。
アンジェラ・バレットはロンドン在住のイラストレーター。彼女が描いた「秘密の花園」が欲しい。(ウィルヘルム菊江訳 西村書店 1854円)

2008年01月01日

マリア・グリーペ「夜のパパとユリアのひみつ」

夜のパパとユリアのひみつ マリア グリーペ本書は去年の3月に読んだマリア・グリーペ「夜のパパ」の続きの物語である。
夜勤が多い母と二人暮らしのユリアには、募集に応募してきたペーテルという「夜のパパ」がいる。最初はぎくしゃくしていた仲がだんだん和やかになって、フクロウのスムッゲルと三人組の生活が楽しくなるところが良かった。

今回は貧乏だったペーテルが石の研究でお金を稼げるようになったことと、ユリアが成長したので、もう夜のパパはいらないんじゃないかと母や周囲がいう時期になっている。前と同じように、二人が代わりばんこに手記を書いているのだけれど、微妙にユリアが子どもだった前作と違っている。ユリアの気遣い、それを尊重しながらどう対処しようかと考えるペーテルの心の揺れ。
そこへユリアの住んでいる家の取り壊し騒動が起こる。建物の持ち主は市で、代わりに市内のアパートを世話してくれる。母は仕方がないと言うが、古くて住みにくくはあるが、素敵な建物はおいておくべきだとユリアとペーテルは考える。二人は取り壊しに反対しようと行動する。
共に闘うことで二人の絆が強まっていく。次作があるとすれば、二人の恋物語になるだろうと予感させる淡い恋心の描写が素敵。(ハラルド・グリーペ絵 大久保貞子訳 ブッキング 1800円+税)

2008年01月22日

ヨークシャーの少年たち ウィリアム・メイン「砂」

sand.jpg70年代に児童文学が好きになってたくさん読んだ。旭屋の児童文学書の売り場へ行ってはなにかないかと探したものだ。いちばんのヒットは「ホビットの冒険」だ。自営業になるとき、この本の主人公〈ビルボ〉の名前をもらった。
80年代後半に縁あってイギリス児童文学研究会「ホビットの会」に入った。数年間毎月または何カ月かかけて一人の作家の全翻訳作品を読んで話し合うというきついことを続けた。入ったときは10年経っていた会なので、たくさんの作家が終わっていたわけだけど。それだけ訳書が出ていたんだからすごいなぁと思う。
ウィリアム・メインの「砂」(1964)は、好きで読んでいた時代に読んだ。他の作品も読んだのだけど、内容を忘れている。「りんご園のある土地」が好きだった。素敵な絵本「パッチワークキャット」の文章を書いている人なんだよね。

なぜいま「砂」かというと、相方のブログを読んでいたら「砂」のことが書いてあったのね。【イギリス、ヨークシャー州の海岸沿いの小さな町が舞台】とある。あれま、ヨークシャーだって。レジナルド・ヒルやんか。しかも「薔薇は死を夢見る」と「武器と女たち」に出てくる別荘は北海に面した海岸にある。
というわけであわてて読み出した。そうやったと何十年も経っているのによく覚えていた。北海に面した小さな町に住む少年エインズリーは姉のアリスと仲が悪い。姉は優等生型で弟はやんちゃ坊主である。アリスがエインズリーにぼろくそ言っても母は優しい。
一家四人で日曜日に教会へ行くが、砂が海風に運ばれていてその教会は埋没しそうである。町全体があと何十年かしたら砂に埋もれるだろうと言われている。
レジナルド・ヒルの作品でも、海岸の別荘を買うとき、海がどんどん迫ってきているが、まあ何十年くらいは大丈夫でしょうと言われて格安で買うのだ。

エインズリーと仲間たちは海岸で大きなワニと思われる骨を掘り出し、苦労の末に廃車になっていたトロッコを使って町へ運ぶ。細かい描写で発見から運ぶところまで飽きずに読ませる。海と砂と少年たちと寒さとたき火と。ようやく女学校の校庭に夜のうちに運び込む。専門家が見ると。その骨はワニの化石ではなく100年くらい前のマッコウクジラなのだった。
愉快な事件ということで新聞とテレビの取材を受け、彼らは校長先生の叱責を逃れることができた。目的の女学生たちとも話をしたいというのもかなえられた。(林克己訳 岩波少年文庫)

2008年02月01日

ルイス・スロボドキン「スーザンのかくれんぼ」で、寒い夜をくつろぐ

スーザンのかくれんぼ可愛い表紙を見ているだけで楽しい。大きな木の陰に隠れている女の子と走って探している男の子二人。
開くとそのわけがわかる。お兄ちゃん二人はガラスびんに飼っているクモをスーザンに見せようとしているのだ。スーザンはクモが大嫌い。
自転車に乗ってお母さんにどこかいい隠れ場所はないかと聞くと、大木の陰を教えてくれる。でもそこは隣のおばちゃんに見つかる。そこでおばちゃんに違う場所を教えてもらう。そしたら芝刈りのおじさんに見つかり、芝刈りのおじさんの場所は郵便屋さんに見つかり、郵便屋さんに教えてもらった犬小屋は犬が帰ってくる。
スーザンは枝を低く垂らしている柳の木の下を見つけて隠れる。
みんなが探しにくるのだが、その枝の下に隠れていると誰も気がつかない。みんなの探す声にそっと出てきたスーザンは、どこに隠れていたか教えない。それからは一人でいたいとき、スーザンは垂れ下がる柳の枝の中にいることにした。
こんな話なんだけど、木の葉のみどりと草のみどりに、スーザンの赤いワンピースと自転車がさわやかで、ゆったりとした気持ちになる。
ルイス・スロボドキン(アメリカ ニューヨーク州生まれ、両親はウクライナ出身)の1961年の絵本だが、日本語では1970年に初版が出て2006年に新装版が出ている。(やまぬしとしこ訳 偕成社 1200円+税)

2008年02月05日

エレナー・エスティス作 ルイス・スロボドキン絵「百まいのドレス」

百まいのドレス先日読んだ「スーザンのかくれんぼ」はルイス・スロボドキンの絵本だった。お話も絵もとてもほのぼのとしていて楽しかった。彼女の描いた柔らかいタッチの表紙や挿絵に飾られた「百まいのドレス」は、貧しいポーランド移民の娘と、同じ学校で学ぶ少女たちのお話である。お話と絵がとてもみごとに調和した魅力ある本だ。

ワンダ・ペトロンスキーという変わった名前の少女は、人が行きたがらない貧しい地域に住み、貧しい身なりで学校へくる。ひとりぼっちのワンダが校庭で遊ぶ子どもたちを眺めていると、少女たちはワンダを取り囲む。まずペギーが「ワンダ、ちょっとお聞きしますけど、あなた、戸だなのなかに、ドレスを何まい、お持ちなんでしたっけ?」と聞くとワンダは「百まい」と答える。絹のもビロードのもあたしの戸だなのなかに並んでいると質問に答え続ける。
ペギーと仲良しのマデラインの家は貧しくて、人からもらった服をお母さんがうまく直したのを着ている。マデラインはペギーがワンダをからかったことで、ワンダの存在が気がかりになる。マデラインはペギーにワンダをからかうのをやめてと手紙を書き出したがこわくなって捨てる。自分もペギーのおさがりを着ているのをからかわれたら困る。ペギーはクラスでいちばんみんなに好かれている子なんだから。
デザイン画のコンクールがあって、優勝者が発表される日、教室にはたくさんの素晴らしいドレスの絵が百まい並んでいた。ワンダの百まいのドレスの絵。ワンダが持っていると言ったドレスはこれだったのだ。
その日、父親からワンダは転校するという手紙が先生にとどく。受賞をしたことを知らずにいなくなったワンダ。マデラインとペギーはワンダに手紙を書く。

差別する子どもたちがいて、差別に気がついても動けない子どもがいて、差別される子どもがいる。そういうことに真っ向から立ち向かって書いてある本である。
本書は2006年に出版されたが、1954年に岩波書店から絵本シリーズの一冊として出版されたものの再販である。戦後民主主義の高らかな気分を感じる。こんな本を買ってもらった子どももいるんだなぁ。

わたしが子どもだったころ、東京から大阪、山梨、また大阪と小学校を転校したため、関東と関西と二つの文化に挟まれて苦労した。本書と同じようにいじめる子、いじめるほうに立たざるを得ない子がいた。わたしの逃げ場は読書と着せ替え人形だった。本は空想に誘ってくれたし、手書きの着せ替え人形は、まったく本書のワンダのように百まいのドレスなのであった。ただ、わたしの絵がヘタクソだったために、才能を見せるところまでいかなかったが(笑)。(石井桃子訳 岩波書店 1600円+税)

2008年02月27日

ニキ・ダリー〈アフリカのあかずきんちゃん〉「かわいいサルマ」

かわいいサルマ—アフリカのあかずきんちゃん

アフリカの少女がさっそうと歩いている表紙を見て、ボツワナの女性探偵マ・プレシャス・ラモツエ(アレグザンダー・マコール・スミス「No.1 レディーズ探偵社」シリーズ)を思い出した。作者紹介を見ると作者ニキ・ダリーは南アフリカのケープタウンに生まれ育ち、いろんな職業を経て現在は絵本作家として活躍している人だ。南アフリカはボツワナの隣国である。
「赤ずきんちゃん」を下敷きにした物語だけど、少女やおばあさんやおじいさん、そして道路や市場などの背景は色彩が豊かで、まさにアフリカって感じ。

サルマという少女がおばあさんに頼まれて買い物に行くんだけど、支度する姿がおしゃれで、マ・ラモツエの少女時代もこんなんだったかなと思う。スカーフをかぶって、ンタマ(巻きスカート)を腰に巻き、ビーズのネックレスをかけ、黄色いサンダルを履いて、頭にザルのようなカゴを乗せて出発する。無事に買い物をすませて帰り道、暑いので近道をして怪し気なところ(下町の盛り場みたい)を通る。そしたら犬が話しかけてきた。
助けるようなことを言いながら、荷物もサンダルもンタマも盗られてしまう。サルマはおじいちゃんが、クモのアナシンのかっこうをして昔話を語っているところへ行き、事情を話す。おばあちゃんが危ないと急いで帰ると、サルマに化けた犬が目の悪いおばあちゃんをだまして危ない目にあわすところだった。

とても明るい素敵な絵本で何度もめくっては楽しんでいる。今年1月に出たばかり。(さくまゆみこ訳 光村教育図書 1500円+税)

2008年04月19日

ラッセル・E・エリクソン作 ローレンス・ディ・フィオリ絵「ヒキガエルとんだ大冒険シリーズ」を2冊

火曜日のごちそうはヒキガエル (評論社の児童図書館・文学の部屋 ヒキガエルとんだ大冒険 1)本書は1974年にアメリカで出版された子ども向けの本で、1982年に同じ評論社から出版されたものの改訳新版で広告を見ると7冊出る予定のようだ。
そんなに古い本ではないのになんとなく古風な感じがする表紙をめくると、挿し絵もなんとなくイギリスの古い童話風で、わたしにはちょうど良い。

(1)「火曜日のごちそうはヒキガエル」
ヒキガエルのウォートンとモートンはきょうだいで、ウォートンは掃除好き、モートンは料理好き。いまは冬のまっただ中で二匹は土の中の居心地の良い家に住んでいる。晩ごはんにカブトムシの砂糖菓子をデザートに食べたウォートンは、これをおばさんに食べさせてあげたいと思う。こんなに寒いのに無理だというモートンを説得して、まずスキーを作り、たくさん着込みリュックにお土産とお弁当を入れて出発する。途中でシロアシネズミを助けると、お礼にスカーフをくれて、これからややこしいことになったら、このスカーフを見て、仲間が助けてくれるという。ウォートンはミミズクに捕まってしまい、誕生日の火曜日に食べられることになる。

(2)「消えたモートンとんだ大そうさく」
春の終わりごろ、ハイキングに出かけたウォートンとモートンは、テントで気持ちよく眠っているうちに雨が降りだして川に流されてしまう。なんとか地面に上がったウォートンはマスクラットに助けてもらう。一方、モートンはビーバーに助けてもらい、料理嫌いのお母さんに料理を教えている。マスクラットはビーバーが上流のダムから放流するので家が水浸しになり困っている。

のほほんとしておもしろい物語だ。二匹のヒキガエルはそれぞれの個性で他の動物たちとつきあう。食べられるとわかっているのに、部屋が汚いと掃除してしまうウォートンにミミズクも感じるところがある。行動的なウォートンにモートンがしぶしぶという感じで従うところがおもしろい。
ご馳走は、タンポポのソースをかけたシロアリのフライ、コオロギの足はかりっとしているけど汁気がたっぷり、アブラムシのマフィン、すりつぶして肉汁をかけたイモムシ。(佐藤涼子訳 評論社 (1)1100円+税、(2)1200円+税)

2008年04月29日

ジェイムズ・メイヒュー「エラと『眠れる森の美女』」

エラは小さなバレリーナ エラと『眠れる森の美女』「エラは小さなバレリーナ」シリーズの1册らしい今年の3月に出た本だ。「エラのモデルになってくれたエロイーズに」と献辞がある。バレエスクールに通うまだ小さな少女エラが主人公だ。

エラはバレエスクールに通っている。バレエのレッスンは楽しい。ローザ先生のオルゴールの曲に合わせて踊るのが大好きだ。
あるときローザ先生は『眠れる森の美女』のオルゴールを流してくれ、みんなは妖精になって踊る。先生はオーロラ姫の話の最初のところを話してくれるが、時間だから今日はおしまいと言う。
エラはこっそり残ってオルゴールのふたを開ける。と、オルゴールから薄紫色の光が出て妖精が現れる。そしてオーロラ姫の16歳の誕生会に行こうと言う。妖精とエラは『眠れる森の美女』の物語に入り込んで王女と王子を会わせる。そして結婚式の様子も二人で見てから、妖精はエラに手伝ってくれてありがとうと言って去っていった。
エラはオルゴールのフタを閉じて、迎えにきたお母さんといっしょに踊りながら帰る。

エラも妖精も、オーロラ姫も王子もお城の人たちもみんなバレエシュースである。エラを中心にバレエの名場面を描き、劇中劇として組みこんでいる。おなじみの場面の絵がとてもきれいに描かれている。むらさきがかった薔薇の花の絵がすてき。(灰島かり訳 小学館 1500円+税)

2008年06月13日

久しぶりに読んだジーン・ポーター「リンバロストの乙女」

長いこと貸し出し中だったジーン・ポーター「リンバロストの乙女」がもどってきた。なければ読まなくて済んでいるが、戻ってきたらそのまま本棚にもどせない。好きなところを読んでいたのだが、それでは済まなくなり結局全部読み通した。わたしはヒマさえあれば本を読んでいるが、寝る前には柔らかめな本を読まないと夢を見るし寝言を言う(らしい)。それで5日ほどこの本を眠りの前の本にしたらよく効いて安眠できた。

リンバロストの森近くに住むエルノラは幼いときに父を沼で失ったが快活な美しい少女。夫を亡くした母は悲しさを頑な性格に変えていた。
街の学校へ着ていく服もなく教科書もないエルノラは、森の蛾の標本や森に残る先住民族の遺物を買い取る「鳥のおばさん」の存在を貼り紙で知り、持っていた蛾の標本を売って学費を自分で工面する。隣りの農場のシントン夫妻が着るものの世話を焼いてくれるがそれも自分で払うと言う。夫妻は買ってきた布で服を縫い人並みの姿にしてくれる。
友だちもでき学校でもより抜きの生徒になったエルノラだが、母は全然理解しないままだ。卒業式の日のドレスを頼んだのに母は古い服を用意している。泣きながら「鳥のおばさん」のところで卒業式に出ないというと、おばさんは自分の持っているものを工夫してぴったりの着付けをしてくれ、晴れの卒業式となる。ここのところが好きで好きでたまらない。細かい説明がいいのだ。知り合いが置いていった箱から白い服を選び出し、うまくエルノラのからだにあわしてピンでとめ、おばさんの新しい白絹のスカートに広い帯を結びという具合。

わたしのプレ少女時代の宝物、本書と「小公女」と「乙女の港」は、いまだにわたしの心によく効く。

2008年06月15日

アストリッド・リンドグレーン 文 マリット・テルングヴィスト 絵「夕あかりの国」

夕あかりの国リンドグレーンの本はずいぶん読んでいる。子どものときでなく大人になってから岩波の子どもの本や少年文庫で読んだ。特に「長くつ下のピッピ」が好きだったが執着するほどでもなかった。子どものときに読んだらどう思ったろうと思うときがある。

本書「夕あかりの国」は岩波書店の「リンドグレーン作品集」(1974)に収められている「うすあかりの国」とおなじもので、1994年に絵本としてスウェーデンで発表されたものだそうだ。
マリット・テルングヴィストは1964年生まれ、父がスウェーデン人で母はオランダ人。スウェーデンで生まれ5歳からオランダで育った。わたしは本書ではじめて彼女の絵を見たが、幻想的な物語を絵本にするのにぴったりな人だと思った。彼女がこの物語の絵を描いたらぴったりだと考えた編集者がいたのでしょうね。夢のようなとっても素敵な絵だ。

ぼくは足が悪くてもう1年間ベッドで過ごしている。歩けるようにはならないと母が父に話しているのを聞いた。昼間は本を読んだり絵を描いたりして過ごすが、夕方になると、母さんが「灯りをつけようか、それともこのままにしておくの」と聞く。ぼくはそのままにしておいてと言い、じっとしていると窓から「夕あかりの国」のリリョンクバストさんがやってくる。ぼくはいっしょに夕あかりの国へ行く。
夕あかりの国はとても不思議な国で、足が悪くても歩けるし電車やバスを運転して遠いところにも行ける。はじめてのときに王様に会い子グマやヘラジカに会った。それからは毎日リリョンクバストさんがきていっしょに夕あかりの国へ行く。そっと部屋にもどると母さんがきて灯りをつける。(石井登志子訳 徳間書店 1600円+税)

2008年07月04日

ルーシー・M・ボストン「グリーン・ノウの子どもたち」

グリーン・ノウの子どもたち (グリーン・ノウ物語 1)わたしの70年代はジャズ喫茶に入り浸っていたような気がしていたけど、児童文学にもはまっていたようだ。今年の5月に改訂新訳が出た「グリーン・ノウ物語」シリーズの一冊目「グリーン・ノウの子どもたち」が出たのは1972年だ。それから6冊出ているのを、たしか4冊目まで買って読んだ。
そのころは「ホビットの冒険」「ナルニア国物語」「ながくつしたのピッピ」「ツバメ号とアマゾン号」など、小学校上級向けがちょうどよいとわかって、旭屋書店の児童文学コーナーで時間をつぶしたのを思い出した。
その後、80年代終わりごろから「イギリス児童文学研究会 ホビットの会」に参加して、数年間イギリス児童文学を真面目に勉強した。

「グリーン・ノウの子どもたち」はシリーズでこれ一冊だけ残っていて、ときどき読んでいたが、新しい本は訳と挿し絵は前と同じなのだが。洗練された装丁で楽しく読めた。

物語はトーリーという小さな少年がイギリスの田舎のグリーン・ノウという屋敷に行くところからはじまる。汽車が村へ着くと洪水で水浸しである。迎えのタクシーで行けるところまで行くとボートの出迎えがある。城のような屋敷はノアの箱船のように見える。迎えたのはひいおばあさんで「とうとう帰ってきたのね」と言う。二人は仲良しになる。トーリーの母は死んで、父は新しい妻とビルマ(ミャンマー)にいる。寄宿学校に預けられていたトーリーはここに居場所を見出す。
屋敷のあちこちに昔のものがあり、ついにトーリーは三百年前にここに住んでいた少年少女と仲良くなる。(亀井俊介訳 評論社 1500円+税)

2008年07月12日

ラッセル・E・エリクソン作 ローレンス・ディ・フィオリ絵「ヒキガエルとんだ大冒険シリーズ」3冊目

ウォートンのとんだクリスマス・イブ (評論社の児童図書館・文学の部屋 ヒキガエルとんだ大冒険 3)シリーズ1・2冊目を4月に読んで感想を書いたが、とてもほんわかした気分になった。ばたばたしているとき読むとふっと脱力できてありがたい。今日は3冊目を図書館で借りてきた。暑い暑いとぼやきながら、うちわをばたばたしながら、ふふっと笑って読んだ。気分が涼しくなる。クリスマスの物語だもん。

ヒキガエルのウォートンとモートンはきょうだいで、ウォートンは活発で外へ出るのが好き、モートンは料理が好きで家にいるのが好き。
いまは冬で森の中は夜が長くなった。クリスマス・イブの前の晩、ウォートンはツリーの用意をし、モートンは料理をしている。モートンは明日もクリスマスの料理づくりで忙しい予定だ。用事のないウォートンは明日はスケートに行くと言い出す。クルミの殻をスケートの形に切って紙ヤスリで尖らし靴にしばりつけてスケート靴が完成。
翌朝出かけたウォートンはモグラと出会い、冒険の末にクマの穴に落ち込む。眠っていたクマが起き出してうるさいと言う。クマも巻き込んだ冒険はようやくモートンの捜索隊と出会う。最後はクリスマスのご馳走。雪の上に大きな赤いテーブル掛けを広げて、特大ロースト・ザリガニ、うらごしハムシ、コナジラムのパイ、ニワトコのお茶。クマにはこぼれるほど盛りつけて。
帰り道でかすかに聞こえる「メリー・メリー・リンゴベリー」という歌はクマの声のようだ。(佐藤涼子訳 評論社 1300円+税)

2008年07月24日

さく / ケイト・バンクス え / G・ハレンスレーベン「青い大きな家」

青い大きな家毎日、今日の暑さは最高だと思う。今日もそうだ、この夏最高。昼間はついにクーラーをつけた。夕食後はクーラーをとめて窓を開け風を入れている。その風が暑い。水ばかり飲んで汗をかいている。涼し気なことがなにかないかいなと思ったら、図書館で借りてきた絵本があった。しばし読書(「荒涼館」と佐々木俊尚の「フラット革命」)を休んで、きれいな青い色で和む。

見たことのある絵だと思ったら、ゲオルグ・ハレンスレーベンは人気の「リサとガスパール」の人だった。表紙いっぱいの青い大きな家の絵が涼し気だ。見返しは青い空に白い雲が浮かんでいる。夏の空だけど涼し気。田舎に青い大きな家がある。後ろは林で前は野原で小川が流れている。
青い家は子どもたちがいっぱいいてにぎやかだ。夜になると蛍が飛ぶ。だんだん日が短くなり、子どもたちが引き上げて行く。残ったのはネズミとクモと野良猫と鳥、それぞれの場所で落ち着く。
雨が降ると春が来て樹々が芽吹く。鳥は部屋の中に巣を作る。ベッドでは猫がぐっすり眠ている。
それから夏になってまた子どもたちがやってきた。ひねりがなくて楽しい絵本。(今江祥智訳 BL出版 1500円+税)

2008年07月30日

ラッセル・E・エリクソン作 ローレンス・ディ・フィオリ絵「ヒキガエルとんだ大冒険シリーズ」4冊目

SOS!あやうし空の王さま号 (評論社の児童図書館・文学の部屋—ヒキガエルとんだ大冒険)シリーズ1作目「火曜日のごちそうはヒキガエル」は冬のまっただ中、2作目「消えたモートンとんだ大そうさく」は春の終わり頃、3作目は「ウォートンのとんだクリスマス・イブ」でクリスマスだった。ヒキガエルのきょうだいウォートンとモートンの物語の4作目「SOS!あやうし空の王さま号」は真夏で、いま読むのにぴったり。

モートンは料理に精を出している。ウォートンは外に干してあった敷物を背中に背負って帰ると、ぬれタオルを頭にまいたモートンが、天井の岩からしめったコケを通してしたたり落ちてくる冷たいしずくを水差しに受けていて、「しぼりたてのハックルベリーのジュースがあるよ」と言う。ウォートンはたらいで行水しながらジュースを飲む。モートンは揺り椅子に座って飲みながら、赤い崖にいるタカのように飛べたらいいなと言う。ウォートンはそれからずっと「ふうーん」と言って考えていたが、思いついた様子で外に出て行く。モートンをタカのように空中を飛ばしてやろうと考えたのだ。
乾いたヘビの皮をぐるっと巻いたのを木のたらいにしばりつけて、飛行船「空の王さま号」が出来上がり、モートンを呼びに行く。

「空の王さま号」で空中にあがって楽しんだモートン、次はウォートンの番になったが、強い風が吹いて下でロープを持っていたモートンも巻き上げられる。
それからあとがたいへん、根性悪のイタチたちに捕まり大苦労。イタチたちにチェッカーを教えたりして、最後は送ってもらう。今回もおもしろかった。(佐藤涼子訳 評論社 1300円+税)

2008年08月08日

ラッセル・E・エリクソン作 ローレンス・ディ・フィオリ絵「ヒキガエルとんだ大冒険シリーズ」5冊目

ウォートンとモリネズミの取引屋 (評論社の児童図書館・文学の部屋 ヒキガエルとんだ大冒険 5)夏が終わりかけ森に秋がやってきたと思える時期、ウォートンは掃除や住まいの修繕などやることがいっぱい。それが終わってもう一つの用事のため、コーデュロイのズボンと金ボタンが四つついたセーターを着てハイキング用の靴を履く。トゥリアおばさんのとこへいく支度ができたと言うと、モートンは台所でおばさんへのお土産の瓶詰めをつくっている。カの甘辛煮、アオムシのトウガラシ味、塩漬けトンボ、カタツムリの甘酢漬け。いつもこれらを持って行き、帰りには、グズベリーのマーマレード、ブドウのソース、ルバームのジャム、ガの卵のピリカラ味をもらうことになっている。

今回はモートンの登場はこれだけで、あとはウォートンの大冒険である。「ウォートンとモリネズミの取引屋」というタイトルどおりモリネズミに出会い、ヤマネコに恐い目にあわされ、トゥリアおばさんが家にいないので探しまわる。トゥリアおばさんは鹿の子どもを助けてご飯を与えようと頑張るが、なんせヒキガエルだから持つ量はしれている。ウォートンも協力するがラチがあかない。

それで知り合ったモリネズミのところへ行くのだが、モリネズミの取引屋くんときたら、食べものでもなんでも取引なのだ。セーターの金ボタンをちぎって渡して食事を手に入れるはめになる。でも、みんなで協力してヤマネコをやっつけ、子どもを捜している親鹿を見つけ、トゥリアおばさんの家に帰る。(佐藤涼子訳 評論社 1300円+税)

2008年08月15日

大島弓子「グーグーだって猫である」

グーグーだって猫である大島弓子のマンガを好きになったのはもう30年くらい前になる。「さよなら女たち」が大好きで何回読んだことか。それからずっと20年くらい少女マンガ雑誌を買っていた。「マーガレット」とか「少女コミック」とか。

「グーグーだって猫である」は「本の旅人」に連載されていた。これは本屋へ行けばタダでもらえるので、日にちを見計らって本屋へ行ったものだ。10年くらい前のことかなぁ。最近映画化されたせいか平積みしてあるのを見たので、姉へのお土産に買ってきて、渡す前に読んでいる次第だ。初版が平成12年だから息が長い。
大島さんが飼っていた前の猫の〈サバ〉は雑誌連載中に読んでいて、切り取ったのがどこかにあるはずだ。とても詩的な猫だったように覚えている。

グーグーはサバが他界してからペットショップで買った猫である。サバのときと違って猫の飼い方、育て方、可愛がり方の実用書みたいなところがある。私小説のようなマンガなのだ。
大島さんが病気になって入院するところも実際的な話をきちんと書いてある。もし手術中に命を落としたら、このまま二匹の猫(途中からビーという猫もいる)を育ててほしい、マンションごとさしあげますからと、遺言状も書いておいたのである。
退院して帰ったときの猫たちの反応がおもしろい。ビーはだだっと出てきたが、グーグーはすねていて、いつものグーグーになったのは小一時間もあとだった。

わたしにはもう猫と暮らす時間がないが、たまに猫の本を読むのは気持ちがいい。明日は姉の猫に触ってこよう。(角川書店 1100円+税)

2008年08月17日

さく / ケイト・バンクス え / G・ハレンスレーベン「ねこくん、わが家をめざす」

ねこくん、わが家をめざす7月24日に書いた「青い大きな家」と同じ文章と絵のコンビによる絵本。
主人公の猫は飼い主のおばあさんがが亡くなって、海辺の家からおばあさんが生まれた北の町の家に運ばれる。そこではだれも耳をかいてくれないし、そのうち存在を忘れられてしまう。そして猫は野良猫になってしまい田舎をさまよっていく。それから何週間が過ぎて疲れきったけど、しょっぱい味のする海の風に誘われて歩いていく。海辺に着いた猫はやせ細っていた。そしてついに猫は海辺の石づくりの家にたどりついた。開けっ放しの玄関を入り、暖かいところに陣取って眠ってしまう。
話し声で目が覚めると、男の子と女の子が「どこからきたんだろう? 迷い猫じゃないの?」と話し合っている。そして山盛りのご飯と水を出してくれた。うちへ帰ってきたんだ、と猫はからだじゅうでわかった。
裏表紙の地図によると、ルーアンからパリを通ってモン・ブランを経てサン・トロペに至っている。

たまに新聞に旅した猫の話が載っていることがあり、切り取ってファイルしてあるけど、飼い主を追いかけたとかその猫が旅したという証拠がある。だけど、この本のようにだれにも知られずに元の家にもどっている猫もいるのだろう。なんかせつない。絵もいいけど、この本は物語に心を揺すられた。(今江祥智訳 BL出版 1500円+税)

2008年08月22日

ジョン・バーニンガム「ずどんと いっぱつ すていぬシンプだいかつやく」

ジョン・バーニンガムの絵本はよく見ているほうだが、わたしの好みとしては「うーん」という感じ。おもしろいのだが好きとまで言えない。でも本書はコワイ猫が描いてある見開きページを見ただけでおーけー。
シンプは醜い雌の子犬。ちっぽけで、ふとっちょで、シッポは切れて根元だけ。飼い主のおじさんは、だれかに拾われたらいいなと思って、町外れのゴミ捨て場に捨てる。町をさまよって人にじゃれてみたがだれも相手にしてくれない。ゴミ缶置き場に行くと猫がゴミ缶をあさっていて、その一匹に追いかけられる。
「それは おれの ごみかんだ!」
この猫の絵ほど迫力のある猫の絵は見たことがない。でっかくてむちゃくちゃコワイ。
それからいろいろあってサーカスで大活躍する。大砲からずどんと打ち出されたシンプはピエロのおじさんの持つ紙の輪を突き破って、ドラムの上にすとんと乗る。クビになる寸前だったピエロのおじさんとシンプはサーカスの人気者になる。1966年の作品で翻訳は1995年発行。(わたなべしげお訳 童話館 1200円)

2008年08月23日

さく / ケイト・バンクス え / G・ハレンスレーベン「目をつむるのよ、ぼうや」

目をつむるのよ、ぼうやケイト・バンクスとG・ハレンスレーベンのコンビによる絵本を図書館で借りるのは何冊目かな。ハレンスレーベンの絵に惹かれて見ているのだけれど、その絵の力を引き出すためのケイト・バンクスの発想がいいんだと気がついた。絵の力を感じさせるための単純な物語を書こうと知恵をしぼっている。

しげみに寝転がっている虎の子どもがいて、お母さん虎は目をつむらそうと苦心している。子虎はまだ眠くなくて、目をつむったら空が見えないもん、木が見えなくなるもん、鳥が見えなくなるもん、と思いついたことを言う。お母さんは目をつむったら鳥と飛べるかもというので、子どもは落ちたらどうするの、次は迷子になったらどうするのと聞く。いちいち優しく返事していた母親は、ついに子どもに寄り添って横になる。目をつむってお休みと言うとようやく子どもは眠りに落ちていく。
子どもの虎が可愛いし、お母さん虎のいとおし気な表情がなんとも言えない。表紙の子ども虎の表情がまたせつなくてぐっとくる。裏表紙の後ろ向きもよい。(今江祥智訳 BL出版 1500円+税)

2008年08月25日

ラッセル・E・エリクソン作 ローレンス・ディ・フィオリ絵「ヒキガエルとんだ大冒険シリーズ」6冊目

ウォートンとモートンの大ひょうりゅう (評論社の児童図書館・文学の部屋 ヒキガエルとんだ大冒険 6)三日のあいだ森に大雨が降り続いているが、きょうだいは家の中で快適に過ごしている。炊事担当のモートンがハチミツパンを焼くつもりだったのにハチミツがないと言う。そうそうハチミツはモートンがいないときに、知り合いが家族がインフルエンザにかかったので、ハチミツで咳止めシロップをつくると言って借りていったんだけど、報告するのを忘れてたとウォートン。しかたがないから他のパンを焼くというのだが、モートンはハチミツパンが大好物なのだ。ひとっ走りして森でハチミツをとってくるとウォートン。結局二人で出かけるのだが、いろいろあって「ウォートンとモートンの大ひょうりゅう」がはじまる。

先にウォートンを捕まえたアライグマのロイドが食べる前にウォートンを川で洗っていると、モートンがやってきて危機一髪のところを逃げる。桑の木を登って見つけた家には、二匹のおばあさんアマガエルのヘスターとコーラが住んでいる。面倒にまきこまれたくないと言いながら、ウォートンとモートンを家に入れると面倒ばっかり。ロイドが家をかぎつけて四匹とも食べてしまおうと待ち構える。雨はどんどん降ってきて家がある木が倒れる。二人のおばあさんは身勝手に生きているけど根は優しいところがあった。(佐藤涼子訳 評論社 1300円+税)

2008年10月10日

ラッセル・E・エリクソン作 ローレンス・ディ・フィオリ絵「ヒキガエルとんだ大冒険シリーズ」7冊目

ウォートンとカラスのコンテスト (評論社の児童図書館・文学の部屋?ヒキガエルとんだ大冒険)シリーズ7作目「ウォートンとカラスのコンテスト」の本書で、「ヒキガエルとんだ大冒険シリーズ」はおしまい。6作ともそれぞれおもしろかったけど、今回がいちばんおもしろかった。7作ともなにごとかあってウォートンが(ときどきモートンもいっしょに)出かけるはめになるか、ただ外へ出たくなって出かけるかだ。そして事件に巻き込まれて冒険となる。
いろんな動物たちに出会い、助けたり助けられり、食われそうになったり捕まったり、そして最後は危機一髪を逃れるとパターンは決まっている。でも、その度に出てくる動物たちがおもしろくて最後まで一気に楽しむ。

今回はおじいちゃんが大事にしている磁石付き金時計を、まぎれこんできたハリネズミのネヴィルが善意で水で洗ってしまう。モートンとウォートンがこれはえらいこっちゃと、日に当てて乾かしているとカラスがくわえて飛んで行く。さあ大変。
モートンが作ってくれたサンドイッチ(コオロギの蒸し焼きと、アブラムシのみじん切り入り)を持って、カラスの寝場所に向かうウォートンとおじいちゃんとネヴィル。途中で目の見えないアオカケスに出会って仲良くなる。
最後は4人(?)で協力してカラスから金時計を取り返し家路につく。その活躍がくわしく書かれていてめちゃおもしろい。
いままで書かなかったけど、ローレンス・ディ・フィオリの挿し絵が精密で楽しい。本書ではヒキガエルたちは愛嬌があり、ハリネズミのネヴィルは可愛いく、カラスはリアルでおそろしい。(佐藤涼子訳 評論社 1300円+税)

2008年10月17日

ジャクリーヌ・K・オグバンさく マージョリー.プライスマンえ「ケーキやさんのゆうれい」

ケーキやさんのゆうれいタッチが軽快なケーキ屋さんとその前を歩く黒猫に惹かれて開くと、ケーキづくりに励むおばあさんがいるが、お客はみんなケーキばかり見ている。ほんとにおいしそうなケーキで、長いことケーキを食べてないので即食べたくなった。ちょうどいただいたメールの返信にケーキが食べたいと書いたら、関東の人なのに堂島ロールを食べたとこだって。それから3日経ったけどまだケーキ食べてない。

絵本のほうは店主が亡くなって、ケーキ屋を開く人がいるんだけど、ゆうれいが出るのでみんなすぐに閉めてしまう。そこへ客船でケーキを作っていたアニーがやってきて、ゆうれいなんぼのもんじゃと店を開く。案の定ゆうれいが出るが、いろいろあった後にゆうれいにバースデイケーキをつくってやり、お店の名前は自分とゆうれいの名前を組み合わせる。いろんな場面にとら猫がいてポーズが可愛い。ああ、ケーキが食べたい。(福本友美子訳 フレーベル館 1300円+税)

2008年10月24日

エスター・アベリル作・絵「黒猫ジェニーのおはなし」(1)

昨日美容室へ行ったら、いつも出迎えてくれる名犬シェルくんがいない。「あの子、今日は学校へ行ってるから留守やねん」とのこと。しつけとかのお勉強をしてくるんだって。そんな話をミクシィ日記に書いていたら、ネコの学校の絵本があるのを思い出した。持っているネコの本の中でいちばん好きな本だ。その中に「ジェニーがネコの学校へいくはなし」という章がある。

遠くの田舎にネコの寄宿学校があって、たいていは都会のネコたちがやってくる。うちの人が留守になるのでその間とか、お行儀を習うためにやってくるネコもいる。生徒のひとりがニューヨークの消防署に住んでいるピックルズ。夏は暑いからと、田舎の空気を吸わせてやろうという気持ちと、お行儀がよくなるだろうと消防署の人は思ったらしい。ピックルズは消防署ネコなのではしご車を持ってきている。ヒナギクの野原を走らせ、小さなネコを追いかけるのが大好き。
そこへ入学してきたのが黒ネコのジェニー・リンスキーでこわごわ学校へ着く。そこで起こったピックルズのイジメのようないたづら。さて、ジェニーはどうする?

最初の話は「ジェニーがキャット・クラブにはいるはなし」、みっつめは「ジェニーがはじめてパーティーに出るはなし」、どれも楽しい。(松岡享子/張替恵子訳 福音館書店 1130円)

2008年11月02日

ジェニファー・L・ホルム「ペニー・フロム・ヘブン」はおもしろくてせつない

ペニー・フロム・ヘブン第二次大戦が終わって間もない1953年のニュージャージー。11歳のペニーはイタリア系の父が亡くなって母とその両親と4人暮らしである。ペニーには父親の親戚がたくさんいて、おじさんの一人が経営する肉屋へ配達のバイトに従兄弟のフランキーといっしょに行っている。そこには庭に置いた自動車で寝起きするドミニクおじさんがいて「姫」と言って可愛がってくれている。

家で祖母がつくる料理はすごく不味いが、日曜日ごとに行くおじさんの家の食事はうまい。お昼過ぎから始まって夕方まで続く料理のメニューは、スープ、パスタ(マカロニ)、肉料理(仔牛肉のステーキ、ブラチョーラに野菜とジャガイモを添えたもの)、サラダ(レタスにオリーブオイルと酢をかけたもの)、休憩をはさんで、コーヒーとナッツと果実に甘いお酒が出て、そのあと軽食をとることがある。
もう一人のおじさんは衣類の工場と店を持っていて、ペニーに合った服をプレゼントしてくれる。
ドミニクおじさんの誕生日のプレゼントはブルックリン球場の最高席だった。ペニーはブルックリンドジャーズの大ファンなのだ。ニューヨークへ自動車で行くときの興奮した気持ちが伝わってくる。

フランキーの切羽詰まっての盗みやペニーの怪我などを通じて、楽し気なイタリア系の家族の苦悩も明らかになっていく。ドミニクおじさんが普通に暮らせなくなった原因、ペニーの父の死に謎がだんだんわかっていく。アメリカ人にとって第二次大戦ではイタリアは日本、ドイツと並んで敵国だった。イタリア系の人たちは差別されて苦しんだ。

母に新しく恋人ができてペニーは反発しひどいことを言ったりするが、相手の愛のある対応にほぐれていく。気落ちよいハッピーエンド。(もりうちすみこ訳 ほるぷ出版 1400円+税)

2008年11月16日

「北欧民話」より / 文・木村由利子 / 絵・スズキコージ「はらぺこねこ」

はらぺこねこ (世界名作おはなし絵本)全24巻出ている「世界名作おはなし絵本」の23番目なのだが、他の本はほとんどが名作として知っている。シンデレラとかマッチ売りの少女とか。本書はそれらと違う。北欧民話を木村由利子さんが日本語に訳して、大胆な絵で知られるスズキコージさんが素晴らしい絵を描いている。表紙も中身もものすごい迫力である。

あるところにお百姓さんがいて猫を一匹飼っていた。この猫はびっくりするほど大きくて、どうしようもなく大食らいなので、お百姓さんは飼うのがいやになる。最後の食事を食べさせて、首に石をくくりつけて川に沈めてしまおうと思って、猫にお粥を食べさす。「もうごはんはすんだかい」と聞かれた猫は「おかゆちょっぴりではまだ腹ぺこです。あんたもいただきますよ」と言ってお百姓さんを飲み込んでしまう。それから出会った人や動物をどんどん飲み込む。結婚式やお葬式の人も集団を飲み込む。お月さんやお日様まで飲み込む。
ものすごくでっかい猫に対抗したのは、角を振り立てた牡山羊だった。

というお話。神宮輝夫さんの解説には、宇宙猫を打ち負かして、お腹から世界をとりもどすという北欧の昔話の根には、世界はどのようにして生まれたのかという神話があるように思うと書かれている。なるほどなぁ。
民話が芯にあって迫力ある絵がいきいきしていて、子どもにはもちろんいいけど、大人にもいい絵本だ。猫好きには?(小学館 1000円+税)

2008年11月26日

スズキコージ「ガブリシ」

ガブリシ最近スズキコージの絵本が気に入っている。大胆でユーモアがあって不思議。いま見入っているのが今年の7月発行の「ガブリシ」で、すごいカラフルでわけのわからん子どもみたいな生物が歩いている表紙。明るいけどしぶい色調に魅せられている。
開くと見返しがこれまたすごい。なんじゃーっという感じである。
「ガブリシ」というのは、ポーランドの詩人で児童文学者ユリアン・トゥーヴィムの詩のタイトルで、スズキコージさんが「僕なりにふくらめて料理しました!どうぞお召し上がりください」とあとがきに書いている。
開いたページに一行ずつ言葉があって、1〜2ページには「よくあるところに ガブリシ という こぞうがいた どんなやつだったか しってるかい?」とある。それからはガブリシがしたヘンな行動が愉快な絵とともに連なる。(ブッキング 1600円+税)

2009年02月16日

村岡恵理「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」

わたしのいちばん好きな少女小説「リンバロストの乙女 上下」と「そばかす」(両方とも角川文庫)の翻訳者である村岡花子の伝記をお孫さんが書いている。
村岡花子で有名なのはもちろんモンゴメリの「赤毛のアン」のシリーズの紹介と翻訳である。
わたしが「赤毛のアン」を読んだのは大人になってからだから、熱中するには峠を越えていた。だから、みんなの「赤毛のアン」熱についていけない。幼少時に読んだらいまごろはアンについて一席ぶっていたであろう。
そんなことで自分では読む気が起こらなかった村岡さんの伝記をSさんが貸してくださった。読み出すとおもしろくてどんどん進む。

物語は太平洋戦争末期の東京、戦火の中で「赤毛のアン」を訳す村岡花子の姿から始まる。空襲になると原稿と本を持って夫と防空壕へ逃げる。そして敗戦。1952年「赤毛のアン」が出版されはじめる。
1893年生まれの花子は10歳のとき、父に手を引かれてカナダ人宣教師によって創立された東洋英和女学校に入学する。父はキリスト教のつきあいを通じて娘を「給費生」としてこの学校に入れることができた。猛勉強し英語ができるようになり、図書室の本を読みふけり、会話と翻訳ができるようになる。また富有階級の子女たちと知り合いになるが、その中でも当時の新聞ダネになった柳原伯爵令嬢燁子との友情をはぐぐむ。燁子はのちの柳原白蓮である。またアイルランド文学にくわしい片山広子からたくさんのことを学ぶ。戦争が激しくなり、敵国人とされたカナダ人宣教師が自国へ帰る際に「赤毛のアン」の原作を渡してくれる。

村岡花子というと少女物の翻訳家というほかに、なんとなく常識人みたいな印象があったが、女性解放運動と接点があったとは知らなかった。婦人参政権運動にも動き、当時の女性作家たちともつき合いがあった。
読みすすむにつれ、日本の歴史を知ることができ、そこでせいいっぱい生きてきた女性たちの姿も知ることができた。
(マガジンハウス 1900円+税)

2009年02月24日

エッツ&ラバスティダ作「クリスマスまであと九日」

Nine Days to Christmas (Picture Puffins)季節はずれだが手に取ったら楽しい本だったので記録しておく。サブタイトルが「セシのポサダの日」、マリー・ホール・エッツとアウロラ・ラバスティダ作で、絵がマリー・ホール・エッツ。メキシコの少女セシの物語である。1959年の本。
メキシコは全人口のほとんどがカトリック教徒だが、先住民のインディオが残した文化と征服者スペインの文化が混じり合い独特の文化となっているそうだ。

メキシコではクリスマスの9日前からポサダをする。ポサダとはクリスマスの特別なパーティで毎晩違う家ですることになっている。セシがこんなに大きくなったから、いちばんはじめのポサダをうちでしましょうと母が言い、いっしょにピニャタを買いに行く。ピニャタは中に粘度の壺が入っている紙でできたもので人形や動物の形に作ってある。セシが選んだのは金色に輝く星の形のピニャタ。
セシは大好きな人形のガビナになんでも話すし抱っこして買い物にも連れて行く。おうちにはお父さんと兄さんとお手伝いのマリアがいる。
お母さんとマリアがお菓子をいっぱい作ってくれたのでセシはピニャタに詰める。お父さんと兄さんがそれを中庭の木にロープを張ってつるす。お客さんがやってきて賑やかにピニャタを叩くとお菓子がぱっと広がり、みんな争って拾う。セシはそれを割っちゃいやと叫ぶがおかまいなし。
セシはガビナを抱いて木に寄り添い星を眺める。木の上の小さな星が「わたしはいまほんとの星になったのよ」とささやいて空にとんでいった。
とっても可愛い絵本、メキシコの裕福な家庭や幼稚園、ピニャタを買いに行く昔ながらのマーケットのあれこれ、街中の様子が楽しい。
(たなべいすず訳 富山房 1400円)

2009年06月09日

J・L・コンリー「ほとばしる夏」

ほとばしる夏 (世界傑作童話シリーズ)少女シャーナの〈ほとばしる夏〉の記憶が鮮明に激しく描かれている。
シャーナと弟のコーディーの父は家を出てニュ−ヨークへ行ってしまった。母の仕事の都合もあって3人で田舎の家から町(メリーランド州ラグレード)へ出るが、町暮らしはなじめない。夏休みに知り合いの山小屋を借りて住むことになり2人は息を吹き返す。母はここから車で通勤する。姉と弟は小屋を片付け暮らせるようにし、釣りをしたり畑を作ったりする。猫も出てくる。
探検していると老人とカヌーに出会う。森林管理官と名乗る口やかましい老人は森や川の生き物を守っていると言う。そのうちに打ち解けはしないが必要なことは話すようになり、自称森林管理官ヘンリー老人はコーディーにカヌーを教える。
シャーナは父に帰ってもらいたく手紙を出したり電話したりするが、母の気持ちは決まっていて、新しい相手を紹介しようとする。受け付けないシャーナと野球に連れて行ってもらうコーディー。
ヘンリーが倒れて、必死でカヌーを漕ぎ知らせに行く2人。ひと夏の間にたくましくなっている。ヘンリーは遺言状を書いていて小屋を2人に遺すとあった。

アメリカの長い夏休みの間の出来事が淡々と描かれていて、書き手の少女シャーナの父への愛、夢見がちな夫に見切りをつけた母親が頑張って昇進試験を受ける姿が描かれる。
夏休みが終わったとき、弟は元の田舎の叔父の家で暮らすことにする。作家になるべく奨学金を受けて大学へ行こうと思うシャーナは母とラグレードへもどる。父はヨーロッパへ行ってしまった。

すごくよかったんだけど、なにか足りないものがあるという印象だ。考えたら恋愛シーンがなかった!
町へ買い物に行って母に本を買ってもらう。その1冊がディケンズの「荒涼館」。
(尾崎愛子訳 福音館書店 1800円+税)

2009年06月14日

J・L・コンリー「プラネット・キッドで待ってて」

プラネット・キッドで待ってて (世界傑作童話シリーズ)先日感想を書いた「ほとばしる夏」は2008年7月の発行で、「プラネット・キッドで待ってて」は2006年4月発行だ。その前に「クレイジー・レディー!」が出ているそうなので発表順をさかのぼって読むことになる。
「ほとばしる夏」もよかったが、わたしは「プラネット・キッドで待ってて」のほうが夢中で読めた。両方とも少女のひと夏の物語である。アメリカは夏休みが長い。物語ができるだけの長さがあるんだ。

ワシントンから田舎に住むことになった少女の物語だが、両親(母は画家で父は美術関係のビジネスマン)は仲が良い。母が手術をするので、長女のドーンは両親を亡くした母を育てた母の叔母のところへ預けられる。弟と妹は小さい子がいる別の親戚に預けられる。
ドーンは近所の農家の娘シャーロットと仲良くなって夏中いっしょに過ごすのだが、そのうちにシャーロットの家の様子が見えてくる。暴力をふるう父親が妻と3人の兄たちと弟とシャーロットに常にひどい傷を負わせている。
家族は外にDVの実態が漏れないように、自分が負った怪我として耐えている。明るいシャーロットも暗い陰を持っている。

台所の叔母さんのラジオからエルヴィス、エヴァリー・ブラザーズ、バディー・ホリーが流れている時代。ドーンは毎日のように壁に向かってピッチング練習をする。ピッチング練習をセネターズの看板ピッチャー、カミロ・パスカルが通りかかって目に留めるという夢を見ている。

ワシントンへ帰る日、ドーンは蒐集していた野球カードを売ってお金を作ることを考える。そのお金をシャーロットのお母さんに送れば、暴力から逃げる交通費になる。父は黙ってお金を足してくれる。母は思うようにはならないかもしれないと言いながら止めることはしない。
今回は淡い恋があるのでよかったのかな(笑)。
(尾崎愛子訳 福音館書店 1700円+税)

2009年06月16日

「あしながおじさん」で和む

ヴィク・ファン・クラブの会報ができあがって明日送れる。10日〆で今日出来上がり。ほんまにお疲れさまと自分に言う。今月も参加者多数で充実していると自画自賛。
昨日ほとんどコピーし終わったのを眺めていたら、ムカデの話にちょっとイラスト(英語の絵文字フォントでトカゲみたいのがあった)を入れたんだけど、これおかしいと気がついた。ムカデは爬虫類とちがう、虫や〜
コピーもしおわったページなので「あとがき」で謝りを入れた。そして思い出したのが「あしながおじさん」だ。大学の寄宿舎にムカデが出てくるシーンがあった。本を探して、ムカデの絵をコピーしてプラスした。

そしたら何年ぶりかで出してきたこの本、おもしろい! 著者が描いたヘタなイラストが楽しい。
今夜は報道ステーションを見ながら綴じて、それから封筒に入れて出すようにしたら、1時過ぎてしまった。お腹は減るし、目は疲れているし、難しい本は読めない。ということで、残りの「あしながおじさん」を読んで和んでから寝る。

2009年06月26日

クリスティーナ・ディーグマン「フローラのにわ」

フローラのにわ (世界傑作絵本シリーズ・スウェーデンの絵本)とてもきれいな絵本なので誰の絵か気になったが初めての人だった。クリスティーナ・ディーグマンはスウェーデンで生まれでデンマークで学んだ現在活躍中の絵本作家。彼女が絵を担当した絵本が日本でも何冊か出版されている。

フローラという小鳥と同じくらいのちっちゃな女の子が、青い門の向こうにひとりで暮らしている。草や花でいっぱいの庭には大きな木が1本ある。青いドレスのフローラはノイチゴやブルーベリーの実を食べ、カエルやハリネズミとお話する。テントウ虫くんもアリさんもお友だち。ツグミは歌を歌ってくれるので、フローラはお返しにおるす番をしてあげる。
外へ出て帰ってきたとき、門のところにちっちゃいピンクのドレスのリネアが待っていた。ふたりは大きな木に登り枝に座る。風が枝の間を吹き抜けて行く。最後のページのふたりの少女と動物たちの食卓がすごく楽しい。

装丁・デザインの一人がセキユリヲさん、このかたがアートデレクションしている「夢二デザイン」という本を大切にしているので、お名前を見てうれしくなった。
(世界傑作絵本シリーズ・スウェーデンの絵本 ひしきあきらこ訳 福音館書店 1200円+税)

2009年06月28日

ぶん マーガレット・ワイズ・ブラウン、え レナード・ワイスガード「よるとひる」

昼がこよなく好きな白い猫と、夜がこよなく好きな黒い猫の話。
昼のぬくもりとざわめきの中、白い猫が日だまりにまるくなっている。暖かな日射しとかすかな風の中にいると幸せ。黒い猫は夜のしじまの中を歩くのが好き。黒い猫は孤独なので夜いっしょに過ごそうよと白い猫を誘うと、昼間をいっしょに過ごしてと白い猫は言う。
昼間の生活、コツコツと道を歩く靴の音。野原には花と蝶、台所にはおいしそうな匂いがただよい、町の家々のポーチには編み物をする女性たち。ご飯もわくるない。そして夜になって白い猫は怖がるが黒い猫が励まして夜を見せに出る。子どもはベッドに入り、大人たちはホールで踊っている。水際まで降りていくと漁師が残しておいた魚があるので食べる。そこへキーキーというネズミの声がする。
【「よるは、お気にめしましたか?」くろいねこが たずねました。「ええ、とてもね」しろいねこが こたえました。「それに、ねずみにも、気をそそられるわ」】
そして、白い猫も夜がこよなく好きになって昼には眠るようになった。そして夜ごと夜のしじまの中を歩きまわるようになった。

マーガレット・ワイズ・ブラウンさんて夜が好きな人なのかな。猫は夜の動物だけど、こんなにはっきり白い猫が夜派に変わるなんてね。レナード・ワイスガードさんの絵がとてもしゃれているし、懐かしい感じがする。使っている色が白と黒と黄色のみで、白地に黒で絵を描き、黄色を明かりや服の色やアクセントに使っている。2匹の猫がむちゃくちゃカワイイ。1942年の絵本を今年2009年1月に日本で発行。
(ほしかわ なつよ訳 童話館出版 1600円+税)

2009年08月18日

エドウィン・ミュア「スコットランド紀行」とアリソン・アトリー「時の旅人」

1册の文庫本がいろんなことを考えさせてくれるんだから読書は楽しい。
わたしはなんとなくスコットランドが好きと思っていたが、ひとつの回答にいきあたった。
【スコットランド人の共有する詩の想像力は、弱点や不運でいっそう強まるヒロイズム、美と優雅に働きかけることを好む。スコットランドが国として上り調子の初期の時代には、困難を克服するヒロイズムが伝説のテーマとなる。スコットランドの国力が衰退したり消滅するときには、その想像力は失われた大義の不運や悲劇を美しく飾り立てることに使われる。これらの伝説は、見かけよりも意義深い。主人公はウォレスかブルース、あるいはメアリ・スチュワートやプリンス・チャーリーであるとしても、彼らを主題として選んだのは国民の気分である。】

わたしの好みは不運や悲劇のほうである。メアリ・スチュワートが実際にどういう人物であったかを横において、不運の女王に入れこんでいる。アリソン・アトリーの「時の旅人」は、イングランドはダービシャーの片田舎にあるサッカーズ農場に滞在している少女ペネロピーの物語だが、300年前にタイムスリップしてメアリ・スチュワートを救出しようとする人たちと出会う。哀しい物語である。背景に「グリーン・スリーブス」が流れる。
そういう気分をかもし出す基礎にあるのが、スコットランド人の想像力なのねぇ。
(橋本槙矩訳 岩波文庫 660円+税)
(「時の旅人」 松野正子訳 岩波少年文庫 882円)

2009年09月25日

トーマス&アンナ-クララ・ティードホルムさく「森の中のふたり—ロビンとマリアン」

森のなかのふたり―ロビンとマリアントーマスとアンナ-クララはスウェーデンの人気絵本作家コンビで、たくさんの作品を発表している。翻訳されているものもけっこうあって、それぞれにほのぼのとした絵がいい。
本書の表紙とタイトルを見たら、かのロビン・フッドとマリアンのことだとわかったけど、絵を見ると現代もののよう。おもしろそうだ。

町に住むマリアンの父は警察官で、母と弟がいる暖かい家庭。マリアンはいつもロビンのことを考えている。ロビンはひとりぼっちで森に住んでいて髪も洗ってない。町へ出てきては泥棒して盗んだお金は貧しい人たちに分けてしまう。公害の元の工場の大きな煙突にフタをしたのもロビン。
マリアンの父はロビンを捕まえようとかんかんになっていて、ついに捕らえ風呂場に閉じ込める。深夜、マリアンはロビンと森へ逃げていっしょに暮らす。寒くなったころ、平服の父がマリアンの手袋やセーターを入れた袋を持ってきた。「さむくてこごえないように。マリアンのパパより」というメモを貼る。
有名なロビンとマリアンの物語を現代のスウェーデンの物語にしている。無理な話が自然にすっと入ってくるところがすごい。絵がほんとに可愛くて好き。1989年発表、日本では1996年発行。
(ひしき あきらこ訳 ホルプ出版 1450円)

2009年10月05日

トーマス・ティードホルム / 作 アンナ-クララ・ティードホルム / 絵「サーカスなんてやーめた」

先日書いた「森の中のふたり—ロビンとマリアン」がよかったので図書館で借りてきた。夫のトーマスさんが文で、妻のアンナ-クララさんが絵を描く人と訳者が「作者について」に書いている。

主人公のヤッコは小さなサーカスで働く犬で、輪をくぐったり、一本足で立ってさかさにしたビール瓶を鼻に乗せたりする芸がある。いちばんの友だちは年老いたライオンのルシフェル。ヤッコの相方の手品師アリは女の客を消す呪文を唱える途中でつかえてしまい、自分が消えてしまう。残ったステッキが宙を舞っている。
アリがいないと芸当をして拍手をもらっても少しもうれしくない。ついに「ふつうの犬になろう」と決心してサーカスから逃げ出す。サーカスのクセでうしろ足だけで歩いて笑われたりしながら、職業紹介所に行っていろんな職業を紹介してもらう。いろんなところで働くがうまく行かず、ぐったりとよその家の納屋で寝ているとルシフェルがきた。ルシフェルはヤッコの真似をして散歩に出たのだ。外がうるさいなと思ったら消防隊が出ている。ライオンが檻から出たと大騒動になったのだ。ヤッコは長い棒に小麦の袋をゆわいつけて「こうさん、こうさん」とルシフェルと出ていってサーカスにもどる。
もどってからアイスダンスの踊り子と組んでのつなわたりが評判になる。

表紙や全体の雰囲気が垢抜けしてなくて、作者名で探さなければ見つからなかったと思うような絵本だが、物語も絵も暖かくて楽しい。ほっこりする絵本だ。続けてこの夫妻の本を探して読もう。1987年発表、日本では1988年発行
(菱木晃子訳 岩崎書店〈あたらしい世界の童話 18〉1100円)

2009年10月06日

トーマス・ティードホルム ぶん アンナ-クララ・ティードホルム え「おじいちゃんをさがしに」

おじいちゃんをさがしに昨日に続いてティードホルム夫妻の文と絵によるスウェーデンのロングセラー絵本。軽いタッチの絵なので、楽しい絵本だと思い込んで読み出したら、物語は最初から哲学的なのである。主人公たちは祖父を捜して北へ北へといくのだが、地獄の遍歴を経て黄泉の国へ辿り着く、という感じの旅。

ヒンケンとミュランの兄妹と犬のストルントは、家の外にも内にもいないおじいちゃんのヨンテを探している。いつも座っていた椅子もベッドもからっぽ。ママもパパもなにも言わない。おじいちゃんはきっと誘拐されてどこかで働かされているんだとふたりは思う。ふたりと一匹はサッカーのゴールよりももっと北の方へ旅に出る。
【どうしてって、くろくてとおくにあるものは、きたにあるのです。】

季節は秋で手袋がほしい。おじいちゃんは暗い森の中で迷子になったのだろう。足跡を見つけてたどっていくが、雪が降ってきて冬になり足跡を見失う。いろんな場所を通り抜けて、世界の反対側に旅をする。
【せかいのはんたいがわには、なにもありません。〈む〉があるだけです。】

ついに〈けむりがまっすぐたちのぼるむら〉に着く。〈む〉の真ん中でヒンケンとミュランはおじいちゃんのスリッパのあとを見つける。一番小さな煙が真っすぐに立ち登る家におじいちゃんとおばあちゃんがいた。
1987年発表、日本では1995年発行
(とやままり訳 ほるぷ出版〈海外秀作絵本〉 1300円)

2009年10月08日

シーリア・ウィルキンズ「湖のほとりの小さな町」

ちょっと読書に熱中できていないのを気遣って、Sさんがのんびり読めるからと貸してくださった。彼女との間には「リンバロストの乙女」という本への熱狂が共通している。その「リンバロストの乙女」の主人公エルノラが卒業式に着るドレスのはなしが本書と共通だとのこと。楽しみにして読みはじめた。

帯に〈大草原の小さな家」でローラが好きだったかあさん、キャロラインが主人公の「クワイナー一家の物語」。ミルウォーキーの女子大に通った日々を描く第6作です。〉とある。わたしは「大草原の小さな家」という言葉は知っているけど、人気の高かった本もテレビドラマも関係なく過ごしたので、貸していただかないと読む機会はなかった。キャロラインはローラのお母さんで、ミクシィのわたしの日記へのコメントによると、ローラよりも好きと言う人がいた。

ミルウォーキーへ着いた馬車から降り立ったキャロラインが、ボストンバッグを提げてブルーのドレスで立っている表紙は西部劇で見慣れた風景である。顔が名子役のマーガレット・オブラエンそっくり。
コンコードという田舎からぎゅうぎゅう詰めの馬車でミルウォーキーへ着いたキャロラインは、イライシャおじさんとジェーンおばさんの家に寄宿して女子大に通う。
おじさんは印刷所と新聞社を経営している進歩的な人である。印刷所で植字工として働くマーガレットおばさんは結婚しないで働く道を選んだ人である。キャロラインは結婚して子どもを持って、そして働いていたいと思う。

家には1階の台所から2階へご飯を運べる戸棚型のエレベーターがあるし、お風呂にバケツでお湯を運ばなくてもいいように配管もしてある。
アイルランド人のメイドのノラがいて陽気に働いている。レストランに行くとドイツ人が多いところだし、いとこのウィリアムの奥さんのアリスはフィンランド生まれである。

ときは1855年、旅の交通手段は馬車か船で鉄道はもう少しあとである(娘のローラは汽車の旅をしている)。独立から80年しか経っていないアメリカは、南部では大規模農場で黒人奴隷を働かせ、北部では商工業が発達し、ヨーロッパから移民がつぎつぎにやってきている。
おじさんたちは奴隷解放運動に参加している。Bleeding Kansas(血を流すカンザス)という言葉を、サラ・パレツキーの「ブラッディ・カンザス」で知ったが、本書と同時代なのである。キャロラインはおじさんたちと「奴隷制度廃止集会」に参加する。
(土屋京子訳 福音館書店 世界傑作童話シリーズ「クワイナー一家の物語」6 1700円+税)

2009年10月10日

シーリア・ウィルキンズ「湖のほとりの小さな町」続き

ミルウォーキー女子大学に入学したキャロラインは真面目に勉強する。大学では勉強のほかに美容体操という時間があって、体操着に着替えてしっかりと体操するし、お昼は簡素ながらおいしい食事が出る。同じ席になった3人のうちミリーと仲良しになる。
ジルファは大金持ちの娘で、友人をお茶の会によんでドレスを見せびらかす。キャロラインは母が作ってくれた3枚のドレスしか持ってないのでさびしくなるが、その気落ちを打ち消す。ジルファの兄のジェームズはイライシャおじさんの新聞を読んでおり、「血まみれのカンザス」について話し合う。

イライシャおじさんとジェーンおばさんはキャロラインをいろんな場所に連れ歩いてくれ、都会の楽しみを教えてくれた。いとこのウィリアムとアリスは、コンサートなど夜の行事に連れ出してくれた。おばさんは冬の舞踏会に誘ってくれ、そのためのドレスを作ろうと仕立屋に連れていこうとするが、キャロラインにはそんなお金の余裕はない。おばさんはプレゼントさせてくれと言い、キャロラインはそのお礼にノラのクリスマス休暇のときに料理を担当することになる。
ドレス用の布地を2枚分と手袋、靴を買って仕立屋にまわり、生まれてはじめて仕立屋でドレスの注文をする。仮縫いに何度も通い、ダンスの練習をして、ようやく舞踏会の夜となる。

ノラが衣装をつけてくれるが、その当時の女たちはコルセットでウエストを締め付けていた。若い娘のウエストサイズは歳の数と同じでなきゃいけないそうだ。
会場に着くとまばゆい光と音、ミリーとキャロラインはお互いにきれいよと言い合う。ジェームズは「きみは宣言どおりに集会にもダンスにも参加するわけだね」と話しかけてダンスに誘う。

学校は冬休みとなりクリスマスがやってくる。春になると1年の在学期間が終わって卒業式。生徒全員がそれぞれに与えられたテーマの文章を書いて提出した中で選ばれたのはキャロラインだった。みんなの前で作文を読んで拍手につつまれ大学生活は終わる。

ジーン・ポーターの「リンバロストの乙女」は少女エルノラの学校生活を描いているが、似通っているところがけっこうある。貧しい乙女が晴れの日に着るものがないさびしさがいちばん共通しているところだ。その彼女らが周囲の好意で美しく装うところに読者はときめく。
(土屋京子訳 福音館書店 世界傑作童話シリーズ「クワイナー一家の物語」6 1700円+税)

2009年10月15日

トーマス・ティードホルム ぶん アンナ-クララ・ティードホルム え「トゥーレとびゅんびゅんかぜ」「トゥーレのたねまき」

こういう小型の子ども向けの本がはじめて出版されたのはいつごろだったろう。姉の子どもたちに買ってやったような気がするが、彼女らもすでに40代後半だからずいぶん昔だったんだ。福音館か岩波だったと思うが、わたしも幼いときにこんな本を買ってほしかったと思ったものだ。
ティードホルム夫妻(トーマス文とアンナ-クララ絵)による楽しい絵本2冊を見ているとほんとに和む。(2冊とも1995年発行、日本訳1996年)

「トゥーレとびゅんびゅんかぜ」
トゥーレは男の子で小さな家に住んでいる。ヘイはトゥーレの犬で、彼らは雲の中の散歩に行く。風に飛ばされてどんどん飛んで・・・ステキな絵が続く。星にとどきそうになったとき、風がやんで落ちるがそこは家の前だった。

「トゥーレのたねまき」
トゥーレとヘイは朝起きてご飯を食べて、種まきに出かける。種をまいたらヘイは眠くなって寝てしまう。起こされたとき種はどんどん伸びている。あらマンゴーがなったよ。いっぱいなったけど高くてとれない。突然マンゴーがいっぱい落ちてきた。トゥーレは5つ、ヘイは1つ持って家に帰りマンゴースープを作って食べる。ああ、うまかった、マンゴースープは最高。

着想が楽しくて、絵が可愛くて、素晴らしい絵本だ。
(ひしき あきらこ訳 ほるぷ出版 1000円)

2009年12月31日

モンゴメリ「丘の家のジェーン」

モンゴメリは「赤毛のアン」を書いた人だが、わたしは大人になって読んだせいか熱狂的なファンにはならなかった。
先月、友人に送ってもらった「青い城」を読んで長い感想を書いたときに、別のモンゴメリファンの友人が若いときの愛読書を送ってくださった。茶色く変色した文庫本の文字はあまりにも小さく、新しい読書用メガネになるまで読めなかった(笑)。と言いつつ忙しさの中で二度読んで楽しんだ。

ジェーンはトロントの立派な家で暮らしているが、祖母が絶対の権力を持ちすべてを支配している。ジェーンの母ロビンは華々しい恋をしてアンドルーと結婚しジェーンを産んだが、家にもどったいまはトロントの社交界の花である。ジェーンは小さくなって暮らしているが、孤児の友だちと深い友情で結ばれている。

ある夏、父のアンドルーからジェーンに一夏をこちらで過ごすように言ってくる。ジェーンはためらったが決められたことなのでプリンス・エドワード島に行く。待っていたアイリーン伯母さんは優しそうだがくせ者。この伯母さんにジェーンは最初から違和感をもつが、父は姉を愛し敬っている。
ジェーンの観察によると【アイリーン伯母さんはこちらが好きなことや、考えることや、することをくだらないものという気持ちにさせるこつを心得ていた。(中略)母が父のところにいたときも、アイリーン伯母さんはこんな振る舞いをしたのだろうか】という人なのである。トロントの祖母は相手をみじめにさせるこつを心得ていたが、その祖母でさえ負けるとジェーンは分析する。

父とはすごく気が合って毎日が楽しい。島の人たち全員と仲良くなり、父がジェーンと相談して買った丘の家はジェーンの考えたインテリアで輝いている。しかし夏休みが終わると帰らなければならない。父と母とはもう一度やり直せないだろうか。伯母さんは昔から自分の気に入っている女性を弟と結婚させたがっていた。
トロントにもどったジェーンは伯母からの手紙に父の再婚話があるのでショックを受ける。阻止しなければと家出してプリンス・エドワード島に辿り着いたジェーンは熱を出して寝込む。目覚めると母と父が立っていた。
(村岡花子訳 新潮文庫)

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