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絵本・児童文学 アーカイブ

2003年12月17日

ナリンダー・ダミ「ベッカムに恋して」

ベッカムの名前が日本中にまん延していたころに上映された映画の原作であるが、これは日本での題名で、ほんとうは「ベッカムのように曲げろ」である。「ベッカムに恋して」ではなんのこっちゃかわからんよね。アホな女の子がサッカーには関係なくベッカムに憧れてるようにとれる。原題「ベッカムのように曲げろ」は、ベッカムの曲がるシュートにあこがれて、練習して実際に打って、アメリカに留学することを獲得した少女の物語である。
ロンドンに住むインド系の高校生ジェスはサッカーが好きで、いつも公園で男の子たちに混じって裸足でサッカーの練習している。ある日、女子サッカーチームのジュールズがジェスを見てチームに誘う。そこで出会ったのがアイルランド系のジョーで、彼はかつてはサッカー選手だったがヒザの故障でやめ、パブでバーテンをしながら女子チームのコーチをしている。彼の指導でめきめき上達するジェスだが、ジョーの存在が気になってしかたがない。ジュールズもジョーが好きらしいので悩む。
ジェスの家はイギリスに住むインド人の典型的な家庭で両親と婚約中の姉がいる。母親が女らしくとうるさく言うが、黙って抜け出したり、だまして出かけたりとジェスはサッカーに打ち込む。友人のトニーがよく助けてくれて、両方の親も2人が婚約することを望んでいるが、彼はゲイであると言う。2人とも親が喜ばない選択をしてわざわざ険しい道を行こうとし、そのお陰で2人は親友になった。
解説によるとイギリスの総人口の4パーセントが南アジア出身者で、その約半数がインド系で、人種差別や偏見と対峙しながら独特の社会を作り上げてきたという。そうした社会状勢を踏まえて書いており、決して甘いだけの作品ではない。
最後はジュールズともどもアメリカからのスカウトの目に止まり留学が決まるし、コーチのジョーとはいい仲になるし、両親ともに理解して送り出してくれる。都合のよいハッピーエンドであるが、そこまでの紆余曲折をすり抜けたり飛び越えたりが、うまく書かれていてとても気持ちが良かった。図書館で借りた。(角川書店 1000円+税)。

2003年12月24日

エロール・ル・カインのカレンダー

今年はだれからもクリスマスプレゼントがないなぁと思っていたら、今朝エロール・ル・カインのカレンダーがやってきた。うれしいな、来年は毎月ル・カインの絵を見ながら暮らせる。エロール・ル・カインの絵本が大好きだ。バーバラ・クーニーとビネッテ・シュレーダーと3人それぞれ違うけど、それぞれが大好き。
いまお風呂に入ったし、あとはこれを書いて寝るだけなので、絵本を出してきた。ル・カイン数冊をちょっとおいて、ルーマー・ゴッデンのお話にバーバラ・クーニーが絵をつけた「クリスマス人形の願い」がやっぱり今夜の本だなぁ。ねがいごととお人形と小さな女の子の物語。読みだしたらこれを書けないよー。もうちょっとここで待ってて。あと少しでブランデーといっしょにあじあうつもりだからね。
ル・カインのカレンダーは12冊の絵本から1枚ずつ取り上げている。わたしの好きなのは「いばら姫」だが、「おどる12人のおひめさま」もいい。「ハーメルンの笛ふき」と「アラジンと不思議なランプ」は知らないなぁ。こんど本屋さんで探そう。
このページを読んでくださっているあなたに、メリークリスマス!

2004年03月12日

マレーク・ベロニカ「ラチとライオン」

堀江のカフェ「チャルカ」で去年何度も幻燈会があったのだが、行けなかったので、上映された作品を絵はがきにしたものを何組か買った。その中で特に気に入っているのが、「ラチとライオン」で、自分だけではもったいなく、プレゼントにもした。
実はその「ラチとライオン」はちゃんと絵本があったのだ。福音館書店から1965年に初版が出ていて、今年第62刷が発行されているのを本屋で見つけた。自分は絵はがきを持っているからもういらないので、友人に送ろうと思って買ったのだが、広げるととても楽しい。古風なところがなんともいえない。絵はがきもいいが、絵本はもっとよい。友人にはまた買ってくるか、それとも送ってから自分用を買おうかと悩んで(?)いるところである。
マレーク・ベロニカはハンガリーの人である。お話は簡単で、ラチというめそめそした男の子が、みんなに相手にされず絵本ばかり見ているのだけれど、絵本のライオンが好きで、こんなライオンがいたらいいなぁと思う。そしたら翌朝ベッドのそばに小さな赤いライオンがいた! ラチとライオンは仲良くなり、いっしょに遊んだり冒険したりする。そしてラチは勇敢な男の子になる。ちょっと小型の本のかたちもよくてステキな絵本です。(福音館書店 1000円+税)

2004年03月18日

木登り猫

今朝の新聞に「木登り猫 6日目の生還」という記事があった。大正区の公園で約15メートルの高さまで木に登ったまま下りられなくなった猫が、消防署員によって救出されたそうである。白猫のゴンタくんは12日昼に飼い主の女性と散歩に来て木に登って下りられなくなり、女性はなすすべなく木の下で待っていた。気がついた人が消防署に連絡したという。
今日の記事には、はしご車から差し出した捕獲網でつかまえた写真がついているが、これがとてもよい。よかったね、ゴンタくん。
久しぶりに新聞の切り抜きをした。わたしは猫の花子がきてから、猫関連の記事があると切り抜いてA4サイズにコピーしてファイルしてある。とてもたくさん、いろんな記事があっておもしろい。花子が死んだいまでもときどき出して読んでいる。
「木登り猫」がテーマの絵本も思い出した。エスター・アベレル作「しょうぼうねこ」である。
ピックルズは黄色に黒い点がぼつぼつとついている大きな猫で、アパートの裏庭の樽に住んでいる。彼の楽しみは小さい猫を追いかけることで、アパートに住むおくさんが自分の部屋に連れて行っても出ていってしまう。ピックルズは小さい猫を追いかけて木に登る。ところが雨が降ってきて下りられなくなり、おくさんは消防署に電話をかける。助けられたピックルズは消防署に住むことにする。消防の訓練をみんなといっしょにやり、仕事を助ける。ある日、小さい猫が木に登って下りられなくなったと電話がかかる。ピックルズは木に登って猫を助け下ろす。おくさんは「わたしはいつかきっとお前が素敵なことをやるだろうと思っていたよ」と言う。お話がよくて絵もよい不朽の名作である。(文化出版局 854円+税)

2004年04月05日

マルシャーク詩 レーベジェフ絵「しましまのおひげちゃん」

「しましまのおひげちゃん」は「幻のロシア絵本1920-30年代展」で手に入れた復刻絵本である。復刻絵本は数冊あったけど、わたしが欲しいと思ったのはこれ1冊だった。展示されている絵本の中で、いちばん欲しかったものなのでうれしい。ネコ絵本のコレクションに1冊加わったこともうれしい。
サムイル・マルシャークは日本で何度も上演されている「森は生きている」の原作者である。俳優座がやった「森は生きている」を見たのは、ずーっとむかーし、千田是也演出、岸輝子主演だったと覚えている。ロシアの民話からとった美しい物語だった。岩波少年文庫から本が出ていたはずだ。
マルシャークという忘れていた名前を、ここで見つけたときはびっくりした。少女がネコを抱いてネコ型のソファに座っている表紙。マルシャークの詩を別に訳してあるのがありがたい。4歳の女の子が子猫をいろいろとかまってやるお話で、わが子のように世話する女の子を裏切ってばかりいる子猫の様子がかわいい。詩はもちろん素敵だけど、淡い色合いとやさしいタッチの絵がすごくいい。モダンで都会的で…。
美術館では「ロシア絵本の幕開け」からはじまって、隆盛を迎え終焉にいたるまでがわかりやすく展示されている。エピローグは「そして誰もいなくなった」というタイトルになっているのが悲しい。1950年代のはじめに、マルシャークとレーベジェフはこの「しましまのおひげちゃん」をリメイクするのだが、マルシャークの詩はそのままなのに、レーベジェフは全体を描き直した。その絵本も展示してあるのだが、それは、いま大量に出版されている絵本と変わらない普通の絵本になってしまっているのだ。上手な絵だけど、ただそれだけの。

2004年07月18日

矢川澄子ぶん 宇野亜喜良え「おみまい」

先月ベルリンブックスで見つけた、とても素敵な絵本を紹介します。このページのトップの写真が表紙と裏表紙です。簡潔な矢川澄子の文と華麗な宇野亜喜良の絵の絵本ですが、きっと綿密な打ち合わせによってできあがったものなのでしょう。
少女はおばさんのお見舞いに行くとき、持って行くものがないので、誰も見ていないのをいいことに、垣根に咲いていた赤い薔薇を1本失敬しました。それを猫が見ていたのです。猫に黙っていてと頼むのだけれど返事がないので、「おまえもおみまいにしてしまうよ」と猫を抱えていきます。おばさんはしゃれた部屋に住んでいて、とてもモダンな人で、きっと矢川さんがもう少し長生きされていたら、こんな感じになられたのではないかと思うのです。少女と猫とおばさんは、いろいろなことをして遊びます。すごく楽しい絵です。
少女のスカートの柄になっているペンギンさんが、シーンによって表情や仕草が変わります。猫がおうちに帰って眠っていると、ペンギンさんはスカートの絵から抜け出してやってきました。それから2人は夜の街をお散歩に出ました。裏表紙の絵をごらんください。(ビリケン出版 1600円+税)

2004年07月20日

マレーク・ベロニカの絵本 JO EJSZAKAT, ANNIPANNI!

暑い暑い。関東地方の観測史上最高(東京39.5度、千葉40度)には及ばず、大阪は35度ちょっとではあるが、今年一番の暑さのように思える。食欲は充分以上にあるが、アタマの働きがにぶくなるのが困りもの。今朝は月曜日のつもりで、プールに行けるときは行っとこうと出かけたら、定休日の火曜だとプールの少し手前で気がついた。ほんとにまあドジな話。
こんな夜はミステリーを読み出してもはかどらない。冷たい水とタオルを手元に置いて絵本をひろげた。日曜日にチャルカで買ったマレーク・ベロニカの絵本、英語ならともかくハンガリー語である(こういうときは英語なら読めそうに書いておく)。タイトルすらなにがなにやらである。アルファベットの上にテンがついているのが3文字もある。多分、主人公の少女の名前と子ネコのことだろうと思う。
物語を絵でたどると、少女とクマが野原にイチゴを摘みに行って泣いている子ネコに会う。家に帰って、少女とクマはイチゴミルク、子ネコはミルクでお腹を満たす。それからお風呂に入って遊ぶ。そのあとは本を読んだりしゃべったり。クマは早くからベッドへ。少女がベッドに入ると、クマの泣き声が聞こえて、子ネコのことを心配しているみたい。少女は探しまわって、居間で伏せた本を屋根にして隠れている子ネコを発見。さあ、どうしましょう。少女は子ネコをベッドルームに連れて行き、自分の赤いスリッパに乗せて寝かす。みんなおとなしくお休み。おしまい。

2004年09月13日

レーベジェフ絵「しましまのおひげちゃん」と「こねこのおひげちゃん」

「幻のロシア絵本1920-30年代展」に行ったとき、とても感心した絵本があり、その復刻版があったので買って帰った。猫と少女がすごく可愛くて、ときどき出して眺めている。その絵本の詳しいことはこのページの4月5日に書いているけど、わたしにはとても考えさせられるところがあった。
うちの近くにある中央図書館は子どもの本がたくさんあって、展示もよく考えられている。1冊ずつ絵本を探す時間がないときは、表紙を展示してあるのをざっと見るのだが、わたしの目に入ったのは「こねこのおひげちゃん」という絵本だった。女の子が黒い猫を抱いている。あれ!レーベジェフ絵「しましまのおひげちゃん」が絵本になっていたんだ、とびっくりして後生大事に借りて帰った。「岩波の子どもの本」の1冊である。(レーベデフ絵となっている、1978年9月初版)
でも雰囲気が違うなと復刻本と比べてみたら、少女の表情も猫の姿も違う。復刻版の表紙はいやがる猫をぎゅっと抑えているが、こちらはおとなしく抱かれている。ユーモラスな椅子が普通の椅子になっている。中もちょっとずつ違う。全体から猫の野性味や少女のイケズっぽさが抜けている。ひたすら甘くなっている。あーあ、先に復刻版を持っていてよかった。(岩波書店 750円)

2004年10月26日

片山健の絵本2冊 「タンゲくん」と「もりのおばけ」

片山健の絵本と言えばなんと言っても「タンゲくん」が一番好きだ。それと片山健をはじめて知った澁澤龍彦訳の「長靴をはいた猫」も大好きで大切にしている。心斎橋の古書店ベルリンブックスで最近買ったのが、片山令子文の「のうさぎのおはなしえほん いえ」(ビリケン出版 2002)と「もりのおばけ」(こどものとも 1997)である。
のうさぎの本はシリーズで「ともだち」「みずうみ」など続刊があるらしい。ピンクの服を来たのうさぎさんは、ドアがうまく閉まらない自分の家が気に入らない。新しい家を紹介するとおおかみくんに言われて待つ間に、汚れた家を掃除するととても明るくきれいになった。きれいな部屋でおおかみくんとお茶して、外の雨音を聞きながら眠る幸せをかみしめる。
「もりのおばけ」はうすっぺらな絵本だけど、「長靴をはいた猫」と同じ系統の絵だったので、手に取った瞬間、わっと叫びそうになった。モノクロの絵本なんだけど、森の木やおばけが丁寧に描かれていて好き。森に弟と行ったぼくは、かけっこしながら森に入るが調子にのって奥まで行ってしまう。「おーい」と叫ぶとおばけが追いかけてくる。恐怖感がおばけの姿いろいろになるが、目をつぶって耐え、しばらくして開けると消えていた。やっと弟が追いついてきていっしょに帰る。

2004年11月26日

ファージョン作・ヴォーグ絵「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」

岩波少年文庫の「リンゴ畑のマーティン・ピピン」や「ムギと王様」で知られたエリナー・ファージョンの文章が、シャーロット・ヴォーグの絵で何倍にも生かされている大型の絵本。表紙は主人公エルシーと妖精の紳士淑女がなわとびをしている。本を開くと扉はなわとびをしながら山道に入っていくエルシーの後ろ姿である。両方とも淡いグリーンでとっても幻想的、これからはじまる物語はどんなかと期待で胸いっぱいになる。
ケーバーン山のふもとにあるグラインド村の貧しい家にエルシー・ピドックは生まれ、パンとバターの他になにもない晩ご飯を食べて育った。3歳のとき母親になわとびをしたいと言うと、まだ早いと言われる。エルシーは夜中にお父さんのズボン吊りでなわとびをする。見つけた父親は「生まれながらのなわとび上手だ」と言って、翌朝なわに木の柄をつけてやる。どんどんどんどん上手になって、6歳になったころは、その州のどの村にも知れわたり、7歳になったころはケーバーン山に住む妖精もエルシーの名前を知っていた。妖精の中でもなわとびの名人アンディが、エルシーのうわさを聞いて連れてくるように言う。そして弟子にして教えたので、ついには月を飛び越えるほどになった。
ということで、なわとびの快楽が楽しい文章になり、それに淡い色彩の絵が加わってとても美しい。しかし、物語はここにきて時間が経って100年後、三人目の領主の時代になっている。領主はケーバーン山に工場を建てる計画である。村人たちは最後になわとび大会をしたいと申し出る。その日、ケーバーン山に集まっ人たちはなわとびをはじめる。そこへ109歳になったエルシーが現れて・・・。
わたしはシャーロット・ヴォーグの絵本が大好きで結構持っている。「ネコのジンジャー」「イソップ物語」その他洋書絵本の、どの本にもネコが出てきてそれがとても可愛い。この本の絵を描くことになってケーバーン山を訪ねた彼女は「すばらしい場所だった。(中略)ここでは、魔法が生きている」と語っている(本書あとがき)。ほんと、この本を拡げると、ケーバーン山の神秘となわとびの悦びが伝わってくる。

2004年12月10日

作/ボー・R・ホルムベルイ 絵/エヴァ・エリクソン「パパはジョニーっていうんだ」

同じエリクソンの絵本「パパが宇宙を見せてくれた」といっしょに図書館で借りたのだけれど、断然こっちが好き。こんなにぐっときた絵本は久しぶりだ。作者と画家はともにスェーデンの人である。
ティムという少年が寒そうに駅のプラットホームに一人立っている。彼はこの秋から母親とこの町に住んでいる。母親は息子を連れて来て、ここに立っているように言って帰ってしまった。やがて列車が入ってきてパパが降りてくる。今日は一日パパと過ごすんだ。ホットドッグを買うとお店のおばさんに「ぼくのパパだよ。ジョニーっていうんだ」と告げる。それから映画に行くと切符を受け取るおじさんにも言い、ピザ屋のお兄さんにも言い、図書館のお姉さんにも告げる。こうして楽しい一日が過ぎていき、夕方別れのときがくる。暗くなったプラットホームに立っているとママが迎えにくる。
これだけのことなんだけど、落ち着いた色調に人間の孤独が浮かび上がる。なぜか別れることになった夫婦の子どもへの愛が浮かび上がる。ティムってほんとにけなげな子だ。「パパはジョニーっていうんだ」とティムが言うたびに涙が出そうになった。

2005年02月01日

ときには絵本を・・・「ロージーのおひっこし」

図書館の棚で「ロージーのおひっこし」(ジュディ・ヒンドレイ ぶん/ヘレン・クレイグ え)が呼んでいた。絵を描いているヘレン・クレイグは「アンジェリーナとおうじょさま」など、アンジェリーナシリーズで知られている人である。淡い色のきれいな表紙の真ん中で手を広げているロージーは5歳くらいの女の子だ。ときは春、かな。見開きページの絵がすてき、小さい花や葉っぱや蝶が飛んでいる。
ロージーが引っ越しをすると宣言して、おもちゃや絵本を乗せた小ちゃなくるまを引いて歩いて行く。後ろから猫がついていく。大きな木の幹の穴を見つけ、掃除をしてクッションを置いていい気分になる。ロージーの様子が可愛くて、猫がいつも側にいて、なにをするんだろうという目で見ているのもいい。海のかなたから友だちがプレゼントを持ってぞろぞろやってくる。ウサギやクマや妖精や道化師や子どもたち。ぬいぐるみたちも加わっての楽しい遊びが終わって、彼らは帰り、ロージーも片付けて家へ帰ると晩ご飯に間に合った。イギリスの田舎の風景が楽しい、ちょっとおしゃまな女の子の物語。疲れたアタマにとってもやさしい。

2005年02月03日

ジョン・バーニンガム「旅するベッド」を読んで考えた

今週に入ってからほんとに寒い日が続いている。でも昨日がピークだったろうか、今日は少しぬくかった。こんな日に出かけて風邪引いたらたいへんと昨日・今日とプールはお休みして、そのぶん仕事と確定申告の準備をしていた。なんとか申告日までにやってしまえるだろう。
部屋を暖かくして温かい飲み物を手に、本を読んでいれば天国である。ピーター・ラヴゼイ「漂う殺人鬼」をまたまた特急で読み終えて、もう一度かみしめているところ。その途中に余裕で絵本を手にしている。「旅するベッド」はジョージーという男の子が主人公、ベッドが小さくなってしまったので、お父さんとショッピングセンターへ買いに行く。途中で古物屋があったので寄ってみると古いベッドをすすめられる。「どこへでもじゆうに旅のできるベッド」だと持って来たおんなの人が言ったという。ジョージーはベッドに入るとベッドに乗っまま遠く旅に出る。
おととい読んだ「ロージーのおひっこし」は女の子が自分の居場所を決めて、そこにいろんな友だちを集めて楽しむお話だった。それは女の子の夢の世界である。こちら男の子は出かけて冒険する夢のお話である。ちょっと考えてしまうなぁ。そして、わたしは女の子の絵本のほうが好き、というか、わたしが小さな女の子だった時代にやったことが象徴的に描かれていると思うのね。

2005年02月10日

アン・ファイン「フラワー・ベイビー」

震災前の数年「ホビットの会」というイギリス児童文学の勉強会に毎月行っていた。毎月指定された一人の作家を読み会合で話し合ったのはとてもよい経験だった。気に食わないと決めて読まなかった作家の作品も読んで、やっぱりアカンとわかったのもよい経験だった(笑)。わたしが参加したときはアラン・ガーナーで、それ以来50人くらいの作家の作品を読んだことになる。すごいなぁ。
いまも児童文学はミステリーと並んでわたしの読書の中心だが、手にするのは好きな作家の再読になってしまう。ガーナーもアリソン・アトリーもすごい作家だれど、そして何度も書いている「小公女」「秘密の花園」「リンバロストの乙女」も離されない本だけれど、新しい風にも吹かれなくては。
アン・ファインがいいと聞いて読んでみたいと思っていたら「フラワー・ベイビー」が図書館にあった。読み出したらいままでの児童文学を追い抜いている人だと気がついた。ホビットの会ではファンタジーが好きな人が多かったが、わたしはリアルに労働者階級の子どもたちを書いたのが好きだった。その系列の作品である。
持て余し者ばかりのクラスが、学年始めのサイエンス・フェアのプロジェクトに、小麦粉の入っている袋を赤ん坊とみなし、世話をするという〈フラワー・ベイビー〉のプロジェクトをやることになってしまった。サイモンはアホらしく思いながら世話をしているうちに、ベイビーが可愛く思うようになる。その過程がおもしろい。そして〈フラワー・ベイビー〉についての日記を書いているうちに、自分を置いて出て行った父親のことを考えるようになる。口笛を吹きながら出て行った父、その口笛はなんの曲を吹いていたんだろう。
最後のシーン。先生が学校の廊下でサイモンを見て、【通りすぎようとする若者の姿に、高くそびえる白い帆船が開かれた世界へと出港していくさまを見て、思わず敬意をはらい、後ろに身を引いたのだった。】これぞ物語!

2005年02月13日

マレーク・ベロニカさんのお話会

マレーク・ベロニカのことを知ったのは、2年くらい前に堀江のカフェチャルカ(雑貨&喫茶&花のショップ)で「ラチとらいおん」の絵はがきを見かけたときだった。8枚セットの絵はがきが気に入って、使うのがもったいないと思いつつ、でも、可愛いやろとジマンもしたくていろんな人に出したものだ。「みにくい女の子」とともにセットをプレゼントしたりした。
その後で絵本の原書を買った。いま持っているのは「ラチとらいおん」「ブルンミとアンニパンニ」で眠る前に開く本のナンバーワンになっている。知り合いの子どもたちにも翻訳本をプレゼントして喜ばれた。「ぼくも弱虫だから、ラチの気持ちがよくわかる」と言ってくれた子がいた。
今日は原作者のベロニカさんがいらっしゃって、チャルカに近い画廊マイナスケイプスでお話の会があった。3時40分から受付というので、20分早く行ったのだが寒いのにけっこう並んで待っている。細い階段を昇った2階がお話会の場所で、後ろだったけど見やすい席がとれてよかった。
司会者が「マレークさーんと呼びましょう、せーのー」というかけ声で、みんなで呼んだのがおかしかった。マレーク・ベロニカさんはゆったりとした黒のセーターでにこやかに出てこられた。子どものときお転婆でソファの上ではねたりするので、紙と鉛筆を持たされたそうだ。早くから絵のある本を書きたいと思っていたが、18歳のときに描いた絵を父が出版社に持って行くように言って、それが第1冊目の絵本になったという。黒板にさっさと絵を描きながらユーモアたっぷりの話は楽しくて、また通訳の青年がうまくて聞きやすかった。
「アンニパンニ」のシリーズは70年代のものだが、そのスタイルがいま受け入れられていて、今度続編を描かれたそうである。わたしもこの本の古風なのに新しいところに惹かれているので、なるほどと思った。
「ラチとらいおん」にサインをもらったのだが、わたしの番になったとき「大阪の人はみんなニコニコしてくれてうれしいわ」と言ってくれた。一言言葉を交わさせてもらったが、内容はナイショです。
あとはまた明日。

2005年02月14日

マレーク・ベロニカの「ラチとらいおん」ディアフィルム幻燈会

昨日の続きです。お話会の後は画廊の1階と2階に展示してある作品を眺めたり、販売品の絵本や小物を手に取って見て、自分へのおみやげにハンガリーの絵本などを買って幻燈会を待った。マロニエの実(栗に似ている)をつないでつくった人形をお話会で見せていただいたが、それを主人公にした絵本(キップコップ)があって楽しかった。
幻燈会も受付順の着席となったが、また運良くいちばん前に座れてゆうゆうと見ることができた。幻燈というのは、ハンガリーの家庭用幻燈機を使った紙芝居(ディアフィルム)のことである。「ラチとらいおん」の絵本が紙芝居のように順番に写し出される。画面の下にハンガリー語の字幕があるが、ここの上映は音楽(トウヤマタケオさん)がつき、可愛い声の男の子の朗読である。素朴だがおしゃれで大満足であった。
わたしたちお客はあこがれの作家に会わせてもらい、楽しませてもらって大満足だったけれど、主催者のみなさんのご苦労は大変だったと思う。ありがとうとチャルカBBSに書きにいかなくっちゃ。

2005年05月24日

マージョリー・フラック ぶん・え「ウイリアムのこねこ」

週に2〜3回のプールと2〜3回の整骨院通いで大忙しである。年をとると健康の維持に時間とお金がかかる。このごろは目的なしに繁華街をぶらぶらするということがほとんどない。1月に神戸へ震災関連で二度行ったが、今年の遠出はこれだけかも(笑)。神戸の友人が「なんばパークス」へ2回行ったというのに、わたしはまだ一度も行ってない。そして「えっ、なにしに行ったん」と聞いて呆れられた。あんなとこだれが用事で行くかいな(笑)。
今日は整骨院に行くのに、往きも帰りも電車がすぐきて(通勤時間を過ぎると天下茶屋と北千里の間は1時間に3本)時間が浮いたので、長堀橋で乗り換えせずに心斎橋まで「クリスタ長堀」の商店街を歩いた。中国茶の店を眺めて、美味しいパン屋さんでお昼のパンを買って、丸善へ寄って絵本を1冊買った。で、これからその本の紹介。久しぶりに買った猫絵本だ。
マージョリー・フラック(1897〜1958)は「アンガスとあひる」で知られるアメリカの絵本作家である。「ウイリアムのこねこ」はウイリアムという4歳の男の子が、迷子の子猫を家に連れて帰るお話で、ほのぼのとした絵が楽しい。1938年に描いたものだから、その時代色がなつかしいようなうれしいような気分で買ってしまった。5月からはじまる12カ月の猫の絵がまた楽しい。5月はチューリップの花の下で気取って、6月はバラの花の下で蝶々にフーッとやっている。(新風舎 1300円+税)

2005年09月21日

「ソビエトの絵本」1920-1930

古書店ベルリンブックスで見つけて3500円うーんと思ったが買ってしまった。1989年スイスのチューリヒで「ソ連子どもの本展」が開催された。本書はその展示の中心となった「1920年代の絵本」を紙上再現を試みたものだそうだ。出版は1991年、リプロポート。編集:ジェームス・フレーザー/島多代。
去年の春に芦屋市立美術博物館で「幻のロシア絵本1920-30年代展」を見てとても感動した。そのときに見た同じ本もあるし、違うのもある。どちらも個人のコレクションである。当時これらの絵本を評価してコレクションしていた人たちに感謝である。
芦屋のカタログよりひと回り大判の本で、見開きになったページが見やすい。科学技術、動物、農業、手仕事、子どもたち、遊び、歌集、昔話、労働者・・・どこを開いても美しい色彩と線で楽しませてくれる。短くも美しく子どもの夢と革命の夢が重ねられた幸せな時代の絵本の数々がある。

2005年11月21日

スーザン・クーパー「妖精の騎士タム・リン」

絵本を読むのは久しぶりだ。お話(再話)がスーザン・クーパーだったので、相方が図書館から借りて来たのを先取りしてしまった。
10数年前に参加していた「ホビットの会」(イギリス児童文学研究会)で取り上げたので、当時翻訳の出ていた「闇の戦い」シリーズ1〜3「灰色の王」「みどりの妖婆」「光の六つのしるし」を読んだ。訳者の浅羽莢子さんがミステリーの翻訳もされているのが話題になり、がちがちの児童文学好きはこの翻訳はよくないと言い、わたしは読みやすくてよいと言った。
それから10年も経って、たまたまシャーロックホームズでウェールズの会とVFC例会がかちあったときに当時の会員と出会った。彼女はウェールズ語を勉強しており、きっかけはホビットの会でスーザン・クーパーを読んだからだと言った。
「妖精の騎士タム・リン」(小学館 1500円+税)は1991年に発表されたのが今年の夏に翻訳された。ちょっと地味っぽい絵本だが、好きな人が読んだらたまらない、スコットランドに古くから伝わる物語の再話である。王女マーガレットはお城のてっぺんで貴族の娘たちと一緒にじっと座ってししゅうをしている。夏の空は青く白い雲が走っている。マーガレットは外に出たくてしかたがないが、幸せにしてくれる男の人がくるまでここに座っているべきだと言われている。ある日マーガレットはスカートの裾をからげて走って森へ行く。そこで出会った青年こそ妖精の騎士にされてしまったタム・リンだった。
若い娘の自由への憧れと恋、そして障害を超えて愛を貫こうとする意志とその勝利の物語である。

2005年12月05日

エルサ・ベスコフ さく ささめやゆき え「おもちゃ屋へいったトムテ」

おもちゃ屋へいったトムテ (世界傑作童話シリーズ) エルサ ベスコフ図書館で目に飛び込んできた絵本「おもちゃ屋へいったトムテ」(福音館書店 1998)。作者エルサ・ベスコフ(1874〜1953)はスウェーデンの人で、絵を描いているのは1960年生まれのささめやゆきさんで、東京生まれの日本人です。なのに物語と絵がぴったりとあっていて北欧の絵本を開いているような気がします。ほんとに素敵な絵本です。これはずっと持っていたいなぁ。まだ手に入るかしら。
田舎の小さい家に住む、人のいいちょっと年のいった娘さん2人が、自分たちでつくった人形を町のおもちゃ屋へ売って暮らしをたてています。その家の床下に住んでいるのがトムテ(妖精)の一家です。お父さんトムテは娘さんたちが遅くまで働いているのが気にくわず、ランプのねじをまわしたり、ろうそくの芯を濡らしたりして明かりを消します。そして娘さんたちが夜が更けているのに気がついて、ベッドへ入ると台所の床下へ帰っていきます。
月が明るい夜、息子のヌッセとニッセが起きだして人形たちと遊びます。トムテ人形があったので、その服をヌッセは気に入ったので着てみます。ニッセがもう帰ろうと言っても、鏡の前でかっこいいのに見とれているヌッセ。娘さんたちが部屋に入ってきてニッセはうまく逃げるけど、ヌッセは逃げ遅れてしまい、人形のふりをして箱の中でじっとしています。あらあら、その箱は町のおもちゃ屋へ届けられるのです。
それから町のおもちゃ屋でのヌッセの活躍がはじまります。ショーウィンドウで動くトムテ人形が話題になって大人気。だけどそれは子どもの前だけの話で、トムテ人形がヌッセだとご主人たちにわかりません。貧しい孤独な子どもを喜ばせたあと、ヌッセは田舎へ帰ることにします。
この本をクリスマスの贈り物にもらったらうれしいだろうなぁ。よく似た絵本でルーマー・ゴッデン作、バーバラ・クーニー絵の「クリスマス人形のねがい」があって大切に持っています。どっちもいいけど、いまのわたしはトムテのほうが好きかな。いやいや、こっちもなかなか捨てがたい、両方ともいいいです。

2005年12月10日

マーサ・ブルックス「ハートレスガール」

ハートレスガール マーサ ブルックス「ゲド戦記」の最後の章を買って以来、絵本は買っているけど、児童文学は買っていない。いまの子ども向きの本がどんなのかを知りたくなると図書館へ行く。
先日借りてきたのは「ハートレスガール」(2005年 さ・え・ら書房)。孤独そうな少女がクルマを運転している表紙に気を惹かれた。それに2002年に書かれた作品を今年5月に翻訳出版という新しさもいい。
マーサ・ブルックスはカナダの作家だが、ジャズシンガーとしてのキャリアのほうが長く、CDも出しているし、ヨーロッパでも活動しているそうだ。カナダのマニトバ州は現在も先住民族が多く住んでいるところで、そこの結核療養所の所長をしていた父と看護士の母に育てられた。本書もその地の物語として書かれている。
広い大平原に大きな湖、道沿いにぽつりと集落があり、数軒で「村」という場所でカフェを開いているリンダは子持ちの独身女性である。閉店しようとしたとき、大雨の中を若い女性がトラックから降りて入ってくる。いわくありげな様子を黙って見過ごそうと思うが、リンダは声をかけた。「話してみれば? あなたの困っていること」。そしてノリーンはリンダの家に泊まることになる。それがとんでもない女の子なのだ。
登場人物それぞれがみんな痛みをもって生きている。リンダもノリーンもノリーンの恋人も、心に傷を負っている。それはしっかりと生きて76歳になるドローレスも同じで、ひとり娘を白血病で亡くした過去がある。リンダを愛する農夫デルも自分が原因で兄が湖で溺死した過去がある。これが児童文学かと思うくらいの暗さだが、生きることへのひたむきさが底に流れて、未来がほの明るく見えてくる。

2005年12月13日

「ゲド戦記」が映画化される

昨夜2時半に窓を開けたら、見上げたところにオリオンとシリウスがあり、双子座も牡牛座も輝いていた。よく晴れて風が吹いて、大阪でこんなに星が見えるんだと感激した。今夜も見えそう。
10日の日記でマーサ・ブルックスの「ハートレスガール」のことを書いたんだけど、最初に「ゲド戦記」についてふれている。内容ではなくて、いちばん最新に買った児童文学ということだったけど。それで、また本を出してきてぱらぱらやって身近に置いていたら、今日ネットニュースにスタジオジブリの新作アニメとして「ゲド戦記」映画化のことが出ていた。ただし宮崎駿監督ではなくて、長男の宮崎吾朗さんが監督するそうだ。3-4巻を中心にするらしい。わたしが好きなのは4巻と5巻だけど、それ以前の物語があっての最終章なのだから納得だ。来年7月公開らしいが見に行く気になるかは別。
「ゲド戦記」は、児童文学という形式の中に、女性の生き方や知恵や愛と性などの大問題を、しなやかに書いているところがすごい。「指輪物語」よりも「ナルニア国物語」よりも好きだ。

2006年02月08日

スーザン・クーリッジ「ケティ物語 その後の巻」

すてきなケティ クーリッジ古い児童文学ならおまかせと思っていたが、題名も知らない本があったんだ、と自慢の鼻が折れました(笑)。その本をYさんがはるばる持ってきてくれ読むことができたのでラッキーでした。読んでから調べたら「すてきなケティ」「すてきなケティの寮生活」「すてきなケティのすてきな妹」「すてきなケティのすてきな旅行」が「ポプラ社文庫 世界の名作文庫」で4冊がいまでも手に入るのがわかりました。
さて、貸していただいたのは、富山房から昭和24年に発行されたものです。定価250円は当時としては高価な本だったんでしょうね。本文の紙は粗末なものの洋書のようなしゃれた装丁です。古本屋専門の我が家では買えなかったのでしょう。
全体がケティという少女の成長物語のようで、貸していただいた「その後の巻」はいま出ている「すてきなケティのすてきな旅行」にあたります。少女時代の最後はヨーロッパ旅行で終わるという、まことにアメリカ人の夢を実現した物語です。ケティの父は医者ですが、ヨーロッパ旅行をするほどの余裕はない階級です。近所に住むアシュ夫人が彼女の人柄に惚れ込んで誘ってくれたのです。アシュ夫人と娘のアミーと3人でボストンから出航し、10日間でリヴァプールに着きます。それからロンドン、パリ、ニース、ローマと旅が続き最後はベニスです。途中でアメリカ海軍の軍艦に乗っているアシュ夫人の若い弟が現れます。彼はやはり旅行中のケティの金持ちの従姉妹リリーに恋していたけど、ケティの善良さと真面目さに惹かれるようになります。
清教徒的なアメリカ思想が充満した物語ですが、うまく楽しく書いてあるので、飽きることなく読めました。若草物語と同時代だそうですが、あんまり有名でないのは普遍性に欠けているからかな。でも、いま読むからこそ、当時のヨーロッパ旅行中のアメリカ人がよくわかっておもしろいという、おまけもあってよかったです。

2006年02月27日

西条八十「花物語」

「ケティー物語」といっしょに東京からYさんが持ってきて貸してくださった。昭和12年に大日本雄辯会講談社から発行されたもので、Yさんのお母さんにそのお姉さんが贈ったのを、昭和22年にYさんがもらったという歴史のある本なのである。Yさんは「花物語」というタイトルを覚えていて、国書刊行会から吉屋信子の「花物語」が出たとき買ったそうだ。ところが覚えているのと違うので実家に帰られたとき、本書を探し出したという曰くつき。小型で四角く深紅の瀟洒な本である。
親と姉2人兄2人の本が家にあって、少女小説に強いと思っていたわたしだが、西条八十が少女小説を書いているのは知らなかった。気になったので探したら、1978年発行の「薔薇の小部屋」(特集:おもいでの少女小説)に、福岡翼さんの「戦後の少女小説と作家」があった。西条八十は「女学生の友」に「にじの乙女」という富豪の令嬢がふとしたことで旅芸人の一座の歌手になる、連載小説を書いているそうだ。「少女クラブ」にも「青衣の怪人」「幽霊の塔」という探偵小説を連載していたそうで、西条八十ほどの人にしても戦中戦後は詩だけでは食えなかったんだなぁと感慨がわく。
本書もそういうことで書いたものだと思う。吉屋信子の「花物語」がもてはやされていたので、これくらいなら書けるとばかりに書いたような気がする。わたしは一晩で読んでしまったが、途中でやめようなんて思わなかった。ドラマチックでセンチメンタルな友情物語はけっこうおもしろかった。
では、なぜいま吉屋信子の本が復刊されているのに、こちらは忘れられてしまったのか。それはもう簡単な話で、エロティズムの不足なんだと思う。吉屋信子の物語には少女たちのこうとしか生きられない切羽詰まった愛がある。それは友情ではなくて恋情なのである。読者はよく知っていたのだ。自分自身の身代わりに本の中の少女たちが、あやうく生きて(死んで)いくのを。
本書の後ろには本の広告がたくさんあって、見覚えのある文字が並んでいる。「君よ知るや南の国」「海に立つ虹」「あの道この道」「夾竹桃の花咲けば」「紅薔薇白薔薇」「絹糸の草履」「苦心の学友」等々。これらを見るだけでもこの本をお借りした値打ちがあった。

2006年05月15日

「ゲド戦記」と「エウレカセブン」

今月は連休のせいかめちゃくちゃ早く会報の原稿締め切り日がきた。いつも速成で5日間でつくって送る。今月はちょうどその期間に「エウレカセブン」を長時間見ていているものだからできるわけない。でも夜遅くまでかけて作業したので今日できあがり明日送れる。よう頑張ったけどへとへとです。アタマが廻らないので日記のネタも浮かんでこない。読みかけている本(ノーマ・フィールド「へんな子じゃないもん」)の感想を書こうと思ったが無理。
それで今日ちょっと気になったことを覚え書きしておく。
「エウレカセブン」って「ゲド戦記」に似ているように思えるのよね。ゲドは魔法使いと竜が生きている世界のファンタジーで、エウレカは未来SFである。しかし両方とも主人公の成長物語であり、主人公をとりまく人たちと影響を与えあって、共に闘う人生を生きていく。ゲドにたくさんの賢い女性たちや男性たちが影響を与えたように、エウレカとレントンの周囲には逞しく賢い女性男性がいて手を差し伸べる。
「ゲド戦記」は男性(ゲド)が主人公だが、テナーやテハヌーなど優れた女性たちがいて、女たちの物語でもある。でも基本的にはゲドの戦記である。「エウレカセブン」も男性(レントン)が一応主人公で、好きになる女の子がエウレカで、タイトルは「エウレカセブン」である。そこが新しいと思ったのだけれど・・・。えーと、もっとよく考えてみるね。いまは眠い。

2006年12月16日

ジョゼフィーン・プール文 アンジェラ・バレット絵「アンネ・フランク」と「白雪姫」

絵本 アンネ・フランク ジョゼフィーン プールうら若き少女のころ、知り合いの男の子が「労演」でアルバイトをしていたので、よく会場へ遊びにいって芝居中にロビーでおしゃべりしていた。調べたら1957年のことなのだが、劇団民芸「アンネの日記」が産経会館であった。わたしは吉行和子が初舞台のアンネを見たのだが、大阪では吉行和子と三井美奈のダブルキャストだったと思う。評判になったのはアンネに抜擢された三井美奈だった。その日、受付に立っていると目の前をとんでもない美しい少女が通った。つんと顔をあげて姿勢がよいのでよけいに背が高くて、白っぽいコートを着ていた。三井美奈はいまでも覚えているくらいの美少女だった。はい、前置きでした。

ジョゼフィーン・プール文 アンジェラ・バレット絵「アンネ・フランク」の表紙を見たとき、そんな思い出がよぎるのと同時に「この絵見たことある」と思った。本書を読めばわかるが、表紙の3人の少女はユダヤ人である印(Joodと記した星形の黄色いマーク)を胸につけさせられて、映画館のざわめきを後ろにしている。思い出したのは同じ2人の文と絵の「白雪姫」だ。
「アンネの日記」をいまさら読むなんてと思ったが、本書は日記ではなくて「アンネ・フランク」なのだ。客観的に歴史とアンネと家族の身に起こったことが述べられている。ヒトラー軍がオランダに侵入し、ユダヤ人の味方をすると危険だとすぐに悟ったオランダ人たちはユダヤ人排斥をはじめる。一家は父の助手ミープの手を借りて隠れ家で暮らすことになる。可愛がっていた猫との別れ、隠れ家にもう一家族が合流して、少年ペーターとの恋。戦争が終わりに近づくころ報奨金欲しさの通報で一家はつかまってしまう。その夜、訪れたミーナは残された日記を引き出しにしまう。感傷を抑えた文章と絵が素晴らしい絵本だ。
「白雪姫」のほうだけど、この絵本はものすごく好きでよく眺めている。白雪姫も継母も美しくて見飽きないが、もっとすごいのは森である。ヨーロッパの深い森はこんなのかと思う。森の中を駈けて継母から逃げる白雪姫のまわりを動物たちが同行する絵がすごい。(「アンネ・フランク」あすなろ書房 1500円+税 「白雪姫」ブックローン出版 1500円税込))

2006年12月21日

E・B・ホワイト「シャーロットのおくりもの」が映画になった

半月ぐらい前に「シャーロットのおくりもの」の映画の広告を新聞で見た。ジュリア・ロバーツが奇跡をもたらすクモのシャーロットの声で出演している。
わたしはこの物語が大好きだ。少女ファーンが可愛がっている豚のウィルパーがあわやハムにされる運命のとき、友だちのクモのシャーロットが考え抜いて助ける方法を考える。その奇抜な方法が楽しい。おかげでウィルパーは農場で幸せな生活を送ることができるのだ。
わたしが持っている本は法政大学出版会(1973年初版)から出た本で、ずっと大切にしてきた。E・B・ホワイトの本はこれも映画になった「ちびっこスチュアート」(映画は「リトル・スチュアート」)と「白鳥のトランペット」が訳されている。3册とも動物と人間の交流がおもしろい。

サラ・パレツキーの「バースデイ・ブルー」が訳されたとき、献辞をみてうれしくなった。「シャーロットのおくりもの」の最後の一節があったのだ。
【真の友だちであり、すぐれた作家でもある人物にめぐりあえるのは、そうしばしばあることではない】
「ドロシーに」とあるのは「シスターズ・イン・クライム」で共に活動しているドロシイ・ソールズベリ・ディヴィスのこと。
この言葉はウィルパーにとってのシャーロットのことなのだが、サラ・パレツキーはそうしばしばない幸福に恵まれたんだなぁ。

2007年02月04日

エロール・ル・カインの華麗な絵本「まほうつかいのむすめ」

エロール・ル・カインの絵本が好きだ。これでもかとばかりに装飾を加えた色も線も華麗な絵本を広げると夢心地になる。時代も場所もエロール・ル・カインの世界と言うしかない。本書の表紙の奇妙さに、わけがわからんと言う人も多いだろう。ヘンな魔法使いらしき人物がいて、嘆いている黒髪の娘がいて、立派なお城があってお日様が照り、あでやかに咲く薔薇の花、奇麗な水に魚が泳ぎ、鹿の親子が憩っている。
あるお城に魔法使いと娘が二人だけで住んでいる。娘は自分が何者なのか知りたいと思い、父に聞くが相手にしてもらえない。うるさく思った魔法使いは、本を読みたいという娘にたくさんの本を与える。部屋にこもって本を読む娘の姿は「源氏物語」に読みふける姫君の姿のよう。十二単っぽい衣装に黒髪が長く伸びている。読書によって娘は山の向こうにさまざまな国があることを知り、いろいろな人がいることを知る。そして人々は名前で呼ばれていることも知る。自分の名前はどういうのだろう。娘は夢の中で呼ばれた幼いときの名前のことを考える。
魔法使いに問うと、薔薇の花だった、次は水の中の魚だった、鹿だった、という答えがあり、それぞれの姿にしてくれるのだが、娘はそれらではなかったと思う。最後に小鳥に変身させてもらうと、力の限り山の向こうへ飛んで行く。そして母と巡り会い自分の名前を知る。その名はチ・フィ・エンというのだった。
文のアントニア・バーバーはベトナムから迎えた養女のためにこの物語を書いた。その娘の名、チ・フィ・エンをそのまま物語に使っている。
ル・カインの絵は日本、中国、東南アジアの雰囲気を持つ、不思議な東洋的世界を展開していて、何度見ても飽きない。(ほるぷ出版 1500円)

2007年02月13日

「長靴をはいた猫」を3册持っている

シャルル・ペローの「長靴をはいた猫」を3册持っている。
1冊は澁澤龍彦が訳して、片山健が挿絵を描いたもので、雑誌「アンアン」に載ったのを単行本(1973)になると同時に買った。お気に入りでいつも手許に置いている。表紙にも使われている片山健の挿絵は澁澤氏がとても気に入って、「ダヤン将軍のように片目に眼帯をしている」とあとがきに書いている。偉そうな顔をした猫がなぜかダヤン将軍のような眼帯をして長靴をはいている。でも猫だから可愛い。
次は洋書の大型絵本で、文はLincoln Kirstein、絵はAlain Vaes(eの上に横線あり)とある。どちらも知らない人だけど、丸善で表紙に一目惚れして買った。とてもクラシックな絵で、最初のページの見開きのお城の絵に圧倒される。ダーシーさん、ロチェスターさん、「レベッカ」のおうちよりも大きいくらいなお城である。結婚式もイギリス国教会みたいな感じだ(あくまでも私の感じで事実かどうかは別)。後ろのほうの猫は執事みたいに変貌している。結婚式を手落ちはないかとじっと見ているところ、最後のページの部屋の角に立ってネズミに長靴を磨かせているところは有能な執事の立ち姿だ。
3册目はイタリアの若手画家ジュリアーノ・ルネッリのモダンな絵本である。表紙の猫は昔のハリウッド女優みたいにしどけなく、ソフアにクッションを積んで横たわりお茶を飲んでいる。じっとこちらを見つめる瞳に魅せられてしまいめろめろ。赤い長靴がとてもファンタスチック。王女様はピンクのスカートが似合って可愛らしい。若者はひょうきんさも併せ持っていて上品だ。

昨日は19年生活をともにした飼い猫の花子を思い出しながら3冊の本を広げていた。明日はバレンタインデー。うちは花子の命日なんだよね。思い出しやすい日に死ぬなんて、やっぱりうちの猫だわ。今夜は絵本を見ながら「マイファニーバレンタイン」でも聴いて寝るとしよう。

2007年03月08日

アラン・ガーナー「ふくろう模様の皿」を10数年ぶりに読む

昨日「マザーグース合唱団」のことを「ロンドン橋が落ちまする!」からの連想で書いた。そしたら今度はわたしが最初にホビットの会に参加したときに取り上げられた作家が、アラン・ガーナーだったことを思い出した。
他に「ブリジンガメンの魔法の宝石」「エリダー」「ゴムラスの月」の3冊が訳されているので読んだが、「ふくろう模様の皿」(1967)がいちばん心に残っている。それで今日はこの本をと出してきたのだが、読み出したらはじめて読むみたいにおもしろい。半分ほど読んだらようやく思い出してきた。
はじめて読んだときはまだウェールズやスコットランドに想いをはせることがなかった。ホビットの会で読書を重ねるうちに、児童文学を通してアイルランド事情にも目覚めた。わたしのアタマの中は児童文学とミステリーによって出来上がっている(笑)。

アラン・ガーナーは他の作品も神話や伝説を素材にしているが、本書はウェールズの神話・伝説のマビノーギオンを土台にしている。神話があり、一時代前の母親の身に起こった事件があり、そしていま3人の若者の間に同じことが起ころうとしている。
ずっと前からウェールズの谷間にある家でアリスンと母親は休暇を過ごしていたが、今回は新しく家族となったロジャーと父親がいっしょに過ごすことになる。よそからコックとして雇われたのがナンシイと息子のグウィン。ナンシイは上昇志向で息子に教育をつけようとやっきになっている。(イングランドの富裕な人たちがウェールズに昔から建っている家を所有しているのは普通のことなのかな。)
ある日、アリスンの部屋の天井からへんな物音が聞こえ、グウィンが調べると天井裏に皿が置いてあるのを見つける。その1枚を洗うと鮮やかに甦るのが、花のようなフクロウの模様で、アリスンは無意識で紙にその模様を写して切り取る。それを折り曲げて張り合わせるとフクロウになる。アリスンはフクロウをいっぱいつくる。皿は真っ白になっている。
若き日に自分の身に起こったことを人には言えず、ナンシイは恐れと怒りで辞めると言うが、その度にお金で慰留される。その間に3人の若者に悲劇が忍び寄っていく。

見返しにあるフクロウ模様の皿は、ほんとのお皿だということがあとがきを読んだらわかった。アラン・ガーナーの奥さんのお母さんが見せてくれた皿で、奥さんが模様を写し取ってフクロウを作ってくれたという。それは花をフクロウに変えた伝説とそっくりだったそうだ。
というのを読んだので、厚めの紙に拡大コピーして切り取り貼付けたら、ほんとにフクロウになった。感激して何枚も作りホビットの会に持って行ったのだがあまり歓迎されなかった。でも欲しがった人もいてあげた記憶がある。

2007年03月09日

「ホビットの会」へ行ったわけ

ネットやメールが当たり前になる前のこと、ヴィク・ファン・クラブが15周年だから、その3年くらい前かな。わたしはウツボガーデンキャットたちへのご飯配りから足を洗って、レーザーディスクで映画を見ることに専念していた。毎日映画を見られてほんとに幸せな時期だった。集中するとお金もそれだけに使うのは、昔も今も同じで、見たい映画のレーザーディスクをあれこれ買っていた。ヨーロッパ映画が主だったが、いちばんの収穫はフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズのダンス映画だった。RKO時代からはじまってたいていの作品を見た。
そのころのある日、日経新聞夕刊の「同好同志」というようなタイトルのコラムに「ホビットの会」があるのを見つけた。わたしはトールキンの「ホビットの冒険」が大好きだったので、事務所を持つときの名前を物語の主人公ビルボ・バギンズからいただいて「ビルボ」としたくらいなのである。「喜ばせたげよ」とすぐに連絡先の代表者、正置さんにハガキを出した。「わたしはビルボです」とね。もちろん喜んでくださって、一度会にいらっしゃいとのことで、研究会へ出席させてもらった次第である。
ちなみに、3年後くらいに同じ日経新聞の同じ欄にヴィク・ファン・クラブが載った。そのとき連絡してくださったUさんとは長いおつきあいとなっている。

2007年03月23日

マリア=グリーペの本は7年ぶり「夜のパパ」