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エドマンド・ホワイト / ジャン・ジュネ アーカイブ

2004年02月03日

エドモンド・ホワイト「ジュネ伝」を買った

ここのところ本は図書館で借りてばかり、買うとなれば文庫本ばっかりだったが、ついにどかんと高い買い物をした。エドモンド・ホワイト「ジュネ伝」(河出書房新社)上下で9,450円。正月ごろの新聞広告の端っこで見つけて切り取り、パソコンの横に貼っておいたのだが、「今月は忙しかったからご褒美だ」と独り言を言って、アマゾンに注文した。そしたら次の日に届いたのでびっくり。買いに行ったら時間と電車賃がかかるところを送料なしで翌日届くなんてすごい。
本は大判で厚くて2段組で、それが2冊。いつまでかかって読めるかわからないけど、とにかく当分これ一本槍でいく。読みだしたらおもしろいので大丈夫最後までいけそう。
ジャン・ジュネと出会ったのはずっと昔で、サルトルの「聖ジュネ」を読んで興味をもったからだ。さきにサルトルの言ったことを信じて読んだので、目に曇りがあったような気がする。それ以来のジュネである。この本を読み終わったら改めて読み直そう。
何度もこのページに書いたけれど、数年前にテレビの番組(BBC放送の制作になるもので、他にもダリやデュシャンなどのシリーズになっていた)で見たのが、パリの歩道を歩くエドモンド・ホワイトだった。その姿に見惚れて、ゲイ文学に詳しい友人に話したら、それはエドモンド・ホワイトでしかないと断言されて、彼の作品を探しまくって読んだ。去年はプルーストの伝記「プルースト」を読んだ。ジュネ伝を書いているのを知って、待ち続けていたのをようやく手にしてうれしくてしかたがない。

2004年02月21日

エドモンド・ホワイト「ジュネ伝」(上)

ジュネ伝〈上〉 エドマンド ホワイトわたしがはじめてジュネの本を読んだときは、まったく内容を理解できていなかった。これはすごい本だとは思ったが、読み直すこともせずにいまに至ってしまったのが残念でしかたがない。この伝記を読み終わったらすぐにジュネの本にとりかかろう。
エドモンド・ホワイトは優れた作家である上に、ジュネと同じく同性愛者であり、伝記を書くのにこれ以上に適した人はいない。
先日、ローラン・プティがテレビで「ストリートダンサーではいけない。ABCから練習してこそプロの踊り手だ。基礎がきちんとできているからこそ、自分の言うことをダンサーがすぐに理解でき踊れる」というようなことを語っていた。(ついでに、この本の最後のほうに、ジュネの台本によるバレエ「マダム・ミロワール」について書かれているのだが、成功を収めた公演について、ジュネはローラン・プティの踊りを嫌ったと書いてある。なにかイミシン。)
そういう見方で言えばジュネはストリートダンサーなのだけれど、文学はありがたいことに独学できる。ジュネは子どものときから読書家だったが、刑務所で本を読んで学び書くことに目覚め、自分の才能を信じてつき進んだ人である。わたしが共感するのは、わたしもまたストリートで育ったからだ。わたしの図書室は阪神電車の中だった。10代のわたしは通勤のときはもちろん、仕事で出かけたときに降りるべき駅で降りず、本を読み続けていた。刑務所と電車の差が、ジュネとわたしの差だわ(笑)。
ジュネは生後30週目にして母親に児童養護施設の遺棄窓口に連れて行かれた。そして貧しいフランスの田舎に里子に出されて大きくなった。村を離れてからは感化院や軍隊で過ごし、脱走し逮捕されることを繰り返した。上巻はその生い立ちからはじまって、感化院での生活、軍隊生活、盗みと逮捕と裁判と刑務所の詳しい記述が延々と続く。最後のほうになってようやくジャン・コクトーの知遇を得、パリの上流階級やインテリとつき合い、しかし泥棒を続けて捕まる生活が描かれる。
第二次大戦後フランス文化がいっせいに日本に入ってきた時期に、輝いていたフランス知識人や俳優の名前がいっぱい出てくる。わたしがせいいっぱい背伸びして、兄や姉の話を聞きかじり、映画雑誌をむさぼり読んでいた時期である。ジャン・コクトーの恋人ジャン・マレー、サルトルとボーヴォワール、ジャン・ジューヴェ、香水のゲラン、それらの人たちがジュネとどうかかわったかを知った。

2004年03月06日

シモーヌ・ド・ボーヴォワールとネルソン・アルグレン

「ジュネ伝」を読んでいると、目が眩むような第2次大戦後のヨーロッパ文化人たちの名前が出てくる。中でも「聖ジュネ」を書いたサルトルはたくさん出てくるし、ボーヴォワールもよく出てくる。
わたしはサルトルとボーヴォワールが60年代後半に来日したとき、わざわざ東京での講演会に行ったくらいに、このカップルが好きだった。それはボーヴォワールの「娘時代」「女ざかり」などの自伝的な本を読んだからだが、当時はめちゃくちゃカッコいいカップルなのだった。サルトルにはたくさんの女性がまわりにいたけれど、ボーヴォワールは別格の同志であり生涯の伴侶だった。そのきづなが羨ましかった。
ボーヴォワールのほうはサルトル以外の恋人はフランスではあんまりいなかったようで、ようやくできた感じの恋人が、アメリカの作家ネルソン・アルグレンだった。「女さがり」に書かれた二人の愛の日々は素晴らしかった、というか、素晴らしく思えて羨ましかった。
アルグレンの本はだいぶ後になって「荒野を歩く」や「シカゴ、シカゴ」などが翻訳されたし、来日したという雑誌の記事を読んだように思う。映画「黄金の腕」(1956年オットー・プレミンジャー監督、フランク・シナトラ主演)の原作者でもある。
アメリカからアルグレンがやってきたのをサルトルに紹介しているところなど、女冥利に尽きるって感じだったなぁ。ジュネの伝記を読んでこんなことを思い出してしまった。

2004年03月09日

マリア・カザレスに憧れて

「ジュネ伝」を読んでいると、知った名前がたくさん出てくる。その人についてあれこれと思い出すのが、この本を読む楽しみのひとつになった。いま読んでいるのは、ジュネがロンドンに行ったところで、ローリングストーンズについての考えや、デヴィット・ボウイと待ち合わせたときのケッサクな話があっておもしろい。
そんな中でもマリア・カザレスの名前が出てきたときはときめいた。わたしがマリア・カザレスの映画をはじめて見たのは「オルフェ」(1949)だった。ジャン・マレー扮するオルフェを支配する死の女神みたいな役で、冷徹な美貌はそれまでの知識では例えるものがなかった。もっともその映画を見たときのわたしは中学生だったんじゃないかしら。
そのだいぶ後で「パルムの僧院」(1947)を見たのだが、またまた大ショックだった。パルムのサンセヴェリナ公爵夫人(カザレス)はナポリから帰ってきた美貌の甥ファブリス(ジェラール・フィリップ)を秘かに愛してしまう。ファブリスは無鉄砲に人を殺して捕らえられる。刑務所長の娘クレリアが獄中のファブリスに恋する。政治と恋がからんで複雑な物語なんだけど、私はひたすらマリア・カザレスの姿を眺めていた。こんなに美しい大人の女性っているのかと思った。最後にファブリスを助けるために、パルマ公国のえらいさんに身をまかせることを決心する複雑な表情に惚れ惚れした。鏡に映る自分を見ている表情のすごかったこと! 若くて美人のクレリアなんか小娘だと思った。
「ジュネ伝」のカザレスはジュネの芝居「屏風」に出演することになるのだけれど、稽古中にいきづまり、ジュネと会って話し合う。そして役を生きることをつかむのだ。なんかすごく感動してうれしくなった。

2004年04月10日

エドモンド・ホワイト「ジュネ伝」下

ジュネ伝〈下〉 エドマンド ホワイト1ヵ月も前に読み終えたのだけれど、他の本を読みつつ、日常生活を続けつつ、ずっとジュネのことを考えていた。プルーストに次ぎ、セリーヌと並び20世紀の大作家として認められたと言えるジュネの生涯を、いまいちばんジュネを語るにふさわしい作家の筆で読めて幸せだった。とにかく詳しくジュネの生涯を辿った本なので、ジュネについて知りたい人には読んでもらうしかない。客観的な歴史でなくて、ジュネという希有な作家の歩みと20世紀の歴史が重なる。
作家であると同時に、政治にも関与したジュネは、アメリカに行きブラックパンサーと共闘する。1970年には友人の住む日本に来て労働者と全学連のデモに参加している。またパレスチナに行きアラファトとも会っている。左へ左へと傾斜していくジュネの心の動き、そして行動に移すところが納得できる。いろんな人との出会いが興味深い。話したいエピソードがいっぱいある。読んだ人と話をしたい。ジュネってすごくおもしろい人なんだもの。
ジュネが死んだのはパリで、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの死の翌日だった。ボーヴォワールは盛大な葬儀で見送られたが、彼の遺体は静かにモロッコのララシュに送られ埋葬された。飛行機から降ろされたとき、麻の袋に包まれた棺には「移民労働者」という札が貼られていた。
わたしがジュネに親近感をもったのは、性格に似ているところがあるからだ。若いときに読んだフロイトかなんかの本にあったのだけれど、“幼年時代を孤独に育った人は、大人になると好きな人に溢れるような愛を注ぐようになる。だが突然なにかの理由でいやになると、おそろしく冷たくあしらう”そうである。わたしはそれを読んで、わたしのことだと思った。ジュネにもそういうところがあって、自分の思いこみで入れあげ、いやになると冷たくなる。わたしとジュネとでは入れあげかたにも、冷たくするにもおっそろしく規模が違う。それは幼年時代の孤独の差かもしれない。三女という環境からきたわたしの孤独は、母親に捨てられたジュネの孤独に遠く及ばないのだと思う。(河出書房新社 4500円+税)

2005年03月26日

エドマンド・ホワイト「パリでいっしょに」

パリでいっしょに エドマンド ホワイト先日ちらりとエドマンド・ホワイトの新刊「パリ 遊歩者のまなざし」の新聞広告を見たので、アマゾンで調べたらまだ入ってなかった。なんだーと思って眺めていたら98年に出た「パリでいっしょに」があり、いままで見つからなかった本なのですぐに注文した。それをいま読み終えたところである。
何度も書いているけれど、エドマンド・ホワイトのことをなんにも知らないときに、NHKテレビ(イギリスBBC制作のもの)でパリを歩く彼を見たのだった。そのときのときめきを当時会員のSさんに話すと、それはエドマンド・ホワイトに違いないと言う。あわてて図書館で数冊の本を借りて読み、Sさんが貸してくれた「燃える図書館」を読んだ。そしていまや大作「ジュネ伝」を読むところまできた。
本書は「ジュネ伝」を書いているときのパリ暮らしも出てくるが、そしてパリに住む人たちのさまざまな生き方が書かれている本であるが、底に流れているのはエイズによって早世した恋人ユベール・ソランへの思いである。建築家からイラストレーターへと仕事を替えたユベール・ソランは、死を覚悟してホワイトといっしょに本を創ることを提案した。そしてイラストを描くことで病苦を乗り越え、ホワイトとの愛を昇華させた。「はじめに」は、ユベールが息を引き取ってから2時間後に、ユベールが使っていたアートペンを使って、マラケシュで書いたものである。これほど愛と芸術について格調高く書いた文章を、わたしは他に読んだことがない。
1990年にホワイトはアメリカにもどりニューヨークで暮らしているそうである。
「パリ 遊歩者のまなざし」も数日後に買うことができた。わたしが最初にテレビで見たホワイトがパリの歩道を歩くシーンが、文章になっているのだと思う。早く読もう。(白水社 1700円+税)

2005年04月07日

エドマンド・ホワイト「パリ 遊歩者のまなざし」

パリ 遊歩者のまなざし エドマンド ホワイト同じエドマンド・ホワイトの「パリでいっしょに」のことを書いたのは3月26日だった。ちょうどその日にパリから帰った札幌のSさんが読まれて「ご縁があるんだわ」とメールをくださった。わたしはパリに行ったことがないが、パリのことは「モンテ・クリスト伯」の時代からよく知っている(笑)。サガンの主人公とパリの街をさまよったし、ボーヴォワールが行ったカフェのこともよく知っている。一生行くことはないと思うが、わたしにはパリは親しい街である。
本書はそんな読むだけの旅行者に向いた本である。訳者(柿沼瑛子さん)のあとがきには、一回目のパリではなく、三回目のパリにふさわしいパリのガイドと書いてあるが、パリのこと、パリに住む人のことを知る喜びを知っている人に向けた本だと思う。
「パリでいっしょに」はパリで暮らしているホワイトと恋人ユベール・ソランの生活と人付き合いが主に書かれていて楽しかった。ほんとはエイズに侵されたユベールを看とっているホワイトの苦しみがあるわけだが、この本では極力パリの暮らしを明るく書いてあった。
ホワイトがパリを最初に訪れたときは、まずまず若く見える部類の四十三歳で、パリを去るときは白髪まじりで二重あごの六十男となっていたと書いてあるが、20年近くをパリで過ごしたホワイトが書いた本だから、単なるガイドではない。フランスはアメリカに比べてゲイに寛容だったから、運動の指導者がいなくてエイズへの対応が遅れたことをわたしははじめて知った。またユダヤ人問題への言及も深い。宗教問題にも鋭く触れている。
わたしがいちばん楽しかったのはギュスターヴ・モロー美術館のことを書いているところだ。シニカルにいまのモロー美術館の姿を描きだしている。
最後がいいので引用します。【橋の下で誰かがサックスを吹いているセーヌの寒々とした無人の河岸—すべては値がつけられないほど貴重ではあるが、遊歩者になれば誰でもただで手に入れることができる思い出なのである。】(DHC 1400円+税)

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