そこまでは紀行文かと思って読んでいた。菜摘の里の旧家を辞したあと、同行の津村が〈初音の鼓〉にこだわった話を続け、あの鼓を見ると自分の親に遇ったような思いがすると言う。
津村は「私」と東京の一高の同窓で親しくしていたが、大学へ入る時に両親が亡くなったこともあり大阪島之内の生家へ帰り、家業は番頭まかせの若旦那になっていた。それ以来ゆっくりと話したことがなかったが、今回の旅でゆっくりと津村の話を聞くことになった。
津村の話が具体的に展開するのだが、この津村という青年の気持ちと行動に託して、谷崎潤一郎は、自分の母恋いの気持ちを作品に仕上げたと思う。
【自分のこの心持は大阪人でないと、また自分のように早く父母を失って、親の顔を知らない人間でないと、(——と、津村がいうのである。)到底理解されないかと思う。君もご承知の通り、大阪には、浄瑠璃と、生田流の箏曲と、地唄と、この三つの固有な音楽がある。】
とはじまる津村の話は、大和の国吉野郡国柄村から大阪新町へ売られた娘が、一旦然るべき人の養女になってから津村の家へ輿入れしたらしいと続く。母の故郷を知りたいと調べていまは親戚付き合いにまでなっている。
国柄は紙すきの村である。津村ははじめて訪れたときに見かけた紙すき作業をしていた娘に母の面影を見た。
「私」は途中から別行動で案内人を雇い奥深くまで行く。谷底の岩を指して「あれは『御前申す』という岩です」というところがあるのだが、自天王に関わりのある土地について興味ある話が続く。
「私」が書こうと思った歴史小説は形にならなかったが、母を恋う津村の気持ちに託して谷崎潤一郎は母恋いの物語を纏綿と書き綴った。そしてその背景には吉野、国柄、信太の森の狐の子別れの伝説が綴られている。歴史小説よりも「吉野葛」になってよかった。
(「吉野葛・葦刈」 岩波文庫 460円+税)