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吉屋信子 アーカイブ

2003年06月17日

吉屋信子「暁の聖歌」

国書刊行会から雑誌「ひまわり」復刻版のセットが出たときに予約して買ったおかげで、いまだに乙女ものが出版されると案内がとどく。いつもはすぐ捨ててしまう新刊案内がまだ手許にあるのは、淳一の絵がちりばめられているから。ときどき出して眺めている。本のほうは雑誌復刊はもうよくて、「吉屋信子乙女小説コレクション」のほうはずっと前に全集などで手に入れているから、装幀がいいので欲しいけどがまん。
昨日図書館で返却本の棚から呼んでいたのが「暁の聖歌」(ゆまに書房)であった。この本は出ているのも知らなかったし読んだこともなかった。昭和3年「少女の友」に連載されたものだという。帰ってすぐに読みだして寝る前には読み終わっていた。このスピードは吉屋信子の本にそぐわないけど、おもしろくてずんずん進んだのでと弁解。しかし、堅い出版社がなんで吉屋信子なんだろう。
北海道で農園を営む家で、祖母と叔父に可愛がられて育ったちえ子のところに、美しい叔母という人が東京からやってくるがすぐに帰っていく。彼女は不幸な結婚で生まれた子どもを実家において再婚していたのだ。孤独なちえ子はアイヌの少女ミナと仲良くなる。ミナが授業のときにアイヌの民話を語るところ、また春になって雪が溶けるころ、地面に両手をついて片頬を大地につけ「雪が逃げる!」と叫ぶところなど、北海道で育った吉屋信子ならではのリアリティがある。
S市の女学校へ行くと姉と慕う人ができるといういつものパターンだが、この人が卒業してちえ子の叔父さんと結婚して、本当の叔母さんになるという、これはちょっとびっくりのストーリー。農園では洋館を建てて待ち、すごい荷物を持ってお輿入れをする。それからちえ子の嫉妬心やら病気やらがあって、最後は東京から母が来て真実を話す。病院のベッドに横たわるちえ子の唇に母が口づけする。思わず、えっとのけぞった。まったく信子はすごーい。

2003年06月27日

吉屋信子「あの道この道」

先日の新聞にこれからの図書館についての識者の意見が載っていた。「図書館は無料貸本屋であってはならない」のだそうだが、いまのわたしには無料貸本屋で充分ありがたい。もともと図書館に行きだしてから5年くらいなのである。ずっと読みたい本は自分で買う主義だった。
最近は本を買うお金に制限があり、本を置く場所に制限があり、そして肝腎なこと、図書館が住まいのすぐ近くにあるので図書館に行く。しかもパソコンで検索して予約できるので、以前から読みたかった本を借りられてうれしい。ずっと読みたかったエドモンド・ホワイトの「美しい部屋は空っぽ」を予約して借りたところである。
また、返還されたばかりの本を置いたワゴンにけっこう読みたい本がある。吉屋信子の「あの道この道」もそこににあった。1930年代に「少女倶楽部」に連載された小説で映画化もされている。名前だけ知っていた作品に出会えて幸せであった。内容は「花物語」「暁の聖歌」「屋根裏の二処女」よりもドラマチックだけどお説教くささが強い。でも、軍国主義にのめり込んでいく時代に合わせて書いているけれど、本質は“乙女の心”なのである。

2003年09月10日

吉屋信子「返らぬ日」

6月に吉屋信子の「暁の聖歌」について書いたのを、ゆまに書房の編集者が読者の反応を調べようと検索して読んだとメールをくださった。わたしが堅い出版社がなぜ吉屋信子なのかと書いたことにも返事をしてくださった。編集部にファンがいらっしゃるからだそうである。そのファンというのはきっとメールをくださった人なのでしょう。
続いて出版される本を“図書館で借りて”読んでほしいとのことで、今日は「返らぬ日」を図書館で探してまいりました。続いて出る「紅雀」はちゃんと買いますので…。
わたしが吉屋信子の本で好きなのは、一番が「紅雀」、二番が「屋根裏の二処女」である。「紅雀」は新書版の本をずいぶん前に買って持っているのだが、ゆまに社から中原淳一装幀のきれいな本が出たら買って大切に持っていたいと思う。
「返らぬ日」を読んだのははじめてである。彌生とかつみ、二人の処女(おとめ)の愛の物語である。大商人の妾腹の娘として生まれた彌生と、上海生まれのかつみはカソリック系の女学校の寄宿舎で出会う。この時代はたいていの少女は女学校を出ると嫁にいくことになる。それで女学校の卒業式は涙、涙なのだそうだ。だからこそ、二人の愛は燃え上がる。めちゃくちゃ“耽美”で、いま流行りの“やおい”よりもすごくて圧倒された。なんかもう、文章がすごい美文でね。解説ではそれをバロック(語源=ゆがんだ真珠)と表現している。
表紙と挟み込まれた中原淳一の絵がすてきで、やっぱり買って持っていようかな。

2004年01月10日

吉屋信子「紅雀」

紅雀—吉屋信子少女小説選〈3〉 (吉屋信子少女小説選 (3)) 吉屋 信子数ある吉屋信子の作品の中でもいちばん好きなのが「紅雀」だ。小学校1年のときに家にあった姉の本を読んで以来のお気に入りである。わたしがいま持っているのは、1977年にポプラ社から出版された新書版である。もうぼろぼろ。内容は同じと思っても、最近ゆまに書房から出た新刊本を読むと楽しい。これは買うつもりだったのだが、装画が松本かつぢなので図書館で借りた。松本かつぢも嫌いではないが、ちょっと違う。中原淳一だったらなぁ。
辻男爵家の家庭教師、純子は故郷から東京行きの列車に乗る。同じ列車にまゆみ、章一のきょうだいと母親が乗っているが、母親が車中で衰弱死してしまう。純子は2人をほおっておけず男爵未亡人に頼んで引き取る。その家には兄の珠彦と妹の綾子がいて優しく接するが、珠彦と結婚をたくらむ金持ちの娘の利栄子は意地悪である。まゆみは自立心の強い少女で、養われる生活に耐えられない。利栄子の意地悪が過ぎた日、まゆみは家出する。
それからのまゆみの苦難の生活と、男爵家のほうでまゆみの身元が立派な家柄とわかるのが並行して書かれ、最後は大団円なのだが、ただの幸運ではなく、努力して報われる幸運に書いてあるところがうまい。
「屋根裏の二処女」と「紅雀」の2冊がわたしのおすすめ吉屋信子本です。

2004年01月12日

「紅雀」も「高慢と偏見」の仲間

つい数日前、何十回目にもなる「紅雀」を読み終え、いままで気にしていなかったことに気がついた。いままでなにを読んでいたんだろう。ヒロインまゆみの魅力にばかり気をとられていた。
若き男爵、辻珠彦はなにもかも揃った青年である。お金持ちで最高の教育を受け、その上容姿端麗で、家を守り母と妹に対する責任感も強い。周りの女性たちは当然ご機嫌取りする人ばかりである。そこへ現れたのが列車で行き倒れた女の娘、まゆみである。居候の身になってもおべっかを使わず自分の意見を持っている。珠彦はそういうまゆみにだんだん惹かれていくが、なんやかやあった後、まゆみは家出してしまう。
そして、まゆみの身を心配する母や家庭教師の純子が遠慮しているときに言う。みんなが自分に意識して妙に改まって接してくるのに、「彼女は僕の前で昂然と自分の誇りを保って無用のお世辞もおべっかも使わなかったんです」と。そして積極的にまゆみを探すことになる。
最後はまゆみがいる場所が見つかり、彼女の高貴な身元がわかるということになるのだが、それ以前に貧しい孤児のまゆみの値打ちに気がついていたというのが大切なところ。
しかし、イギリスの小説と違って“貴種流離譯”にしたところが、第二次大戦前の日本の少女小説の限界なのであろう。

2004年07月14日

吉屋信子「毬子」と「三つの花」

「剣客商売」を読み出してから一度も行ってなかった図書館に日曜日久しぶりに行った。あまり時間がなく、外国の本と子どもの本をさっと見ただけだが、ゆまに書房の「吉屋信子少女小説選」があったので2冊借りて帰った。2冊とも30年くらい前に出た新書版で持っているはずなのだが、ハードカバーできれいな表紙なので、久しぶりに読むならこちらにしようと思った。
夜遅く用事が終わってから、BBSのチェックをして返信を書いて、kumikoページを書いてアップするとけっこうな時間になる。そして最後のメールチェックをするのだが、なにもないか、楽しいメールならいいのだが、楽しくないのもたまにある。反応が早いのが自慢(?)のわたしとしては、言うべきことは言ってしまおうと返信を書く。そしたら、アタマが冴えてしまって寝付きが悪い。
そういうときに読むのにいちばん適した本が、読み慣れたドロシー・L・セイヤーズやクレイグ・ライスのユーモアあふれるミステリー、情緒たっぷりの日本の少女小説と翻訳少女小説である。でもいまや読みすぎてマンネリ気味である。借りて来た吉屋信子の2冊は今週ちょうどよかった。
幸せな少女たちが、突然襲ってきた不幸にめげず困難に立ち向かい、最後には幸せになるというパターンなのだが、巧みな環境描写、細かい心理表現で、個々の物語が仕上がっている。この選集は昔のままの挿絵がついているのもよい。そして何度も読んだ本だから、どこでも開いて読めるからいい。今夜もお風呂から上がったら、梅酒のコップを片手に静かな時間を過ごそう。その前に、NHKテレビで大相撲番組を見なくちゃ。栃東が朝青龍に勝ったところをね。

2006年10月19日

こんな本を持っていた 吉屋信子「紅雀」

紅雀—吉屋信子少女小説選〈3〉 (吉屋信子少女小説選 (3)) 吉屋 信子外へ行くときに持って出て読み進めているのはドロシー・L・セイヤーズ「ナイン・テイラーズ」(3回目の読書)で、これは基本的に外出用にしている。家では平岡正明の「チャーリー・パーカーの芸術」を読み終えて「マイルス・デイヴィスの芸術」にかかったところだが、そこでちょっとストップである。平岡さんは男性味が強すぎるような気がするのだ。平均をとるために女性味の強い本を読みたくなって吉屋信子を出してきた。いちばん好きな「紅雀」である。小学校のころにはじめて読んで泣いたのだが、姉の本なのでそのまま思い出だけが残っていた。1977年にポプラ社から出た新書判の本を見つけたときはうれしかった。なんと泉北団地の駅前の書店にあったのだ。
東海道線に乗った純子は列車内で上品な3人の親子を見かける。車内で母親が急死したのを世話したあとに、身寄りのない少女まゆみと弟を連れて自分が働いている辻家へ連れて帰る。純子はそこで家庭教師をしている。お屋敷には未亡人と年頃の息子珠彦と女学生の娘がいる。まゆみは女学校に行かせてもらうが、お定まりの意地悪な同級生利栄子にいじめられる。その一方で気位の高い賢いまゆみをしたう少女もいる。夏休みにでかけた別荘で、珠彦はまゆみに惹かれていく。珠彦と結婚するつもりの利栄子は危機感を感じていじめるので、まゆみは身を引こうと家出する。
貧しい一家に救われてその一家のために苦労しながら暮らしているうちに、辻家のほうではまゆみの家系がわかり、立派な家柄の出ということもわかる。最後は見つけられて、そこの長男と婚約する。一種の貴種流離譚なのだわ。何度も読んでいるので気に入ったところを開いて読む。

2008年03月23日

吉屋信子「紅雀」について教えてもらった

ミクシィの「昔 素敵な少女雑誌があった」というコミュは、管理人さんがものすごい量の資料を持っていらっしゃって、私が子ども時代に読みかじった雑誌や小説の原本の写真をアップしてくださっている。その量たるやたいしたもので、半分以上は知らないものだ。生半可な知識がほんとに恥ずかしくなる。夢のように覚えていた雑誌の表紙や口絵がアップされて、これはほんまやったんやと思うこともしばしば。

今回「吉屋信子の仕事」というトピックが立って、いろいろと語り合ってきたのだが、ついに「紅雀」の登場となった。
私は吉屋信子の作品のなかでは「紅雀」と「屋根裏の二処女」が好きだ。特に「紅雀」は当ブログにも何度も登場している。でも、それは私の気持ちを書いているだけで、発表時のことなど知る由もなく考えたこともなかった。

「紅雀」は雑誌「少女の友」に昭和5年の1月号から12月号まで連載され、連載がはじまると同時に圧倒的な反響があったという。それを具体例をあげて説明してくださっている。昭和5年にこういう作品を少女たちが熱狂的に受け入れたことに感動した。
自分でも調べてみると(ポプラ社版の解説を読んだだけだが)、吉屋信子と吉屋千代さんは昭和3年9月から翌4年9月までフランスを訪れている。帰ってからすぐに連載を始めたのが「紅雀」なのだ。フランスで自由な空気を吸った信子の気持ちが投影された作品だと改めて納得した。
それから太平洋戦争に突入するまでの15年ほどは、吉屋信子にとっても少女たちにとっても良い時代だった。少女たちはその後どう生きていったのだろうか。

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