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イギリス アーカイブ

2003年12月07日

久守和子/中川僚子編「〈インテリア〉で読むイギリス小説」

昨日この本を借りてきたと書いたんだけど、読みだしてみると、翻訳のあるものはほとんど読んでいるので、そのインテリアからの言及がおもしろくてたまらない。持って歩いて2/3まで読んでしまった。13人のイギリス文学研究家がテーマ毎に作家を取り上げて書いている。いままで読んだところでは、ジェイン・オースティン、ジョージ・エリオット、チャールズ・ディケンズ、ウイリアム・モリス、オスカー・ワイルド、ブロンテ姉妹と18・19世紀の作品をたどりながら、インテリアと主人公と作家についての考察していく。
「高慢と偏見」のエリザベスがダーシーの屋敷を好きである理由もわかったし、ディケンズの荒涼館の二つの館のこともわかった。
中でも、今回勉強になったのは、久守和子さんの『〈インテリア小説〉としての「嵐が丘」』である。バルテュスが「嵐が丘」の挿絵を描いていたのは知っていたが、見たことがなかった。そのペン画15枚のうち6枚が掲載されている。そしてその絵を解読しているのだが、納得できるものだった。でももっと驚いたのは口絵にあるカラー図版「キャシーの化粧」(油絵 1933年)である。挿絵を発展させたもので、登場人物のキャサリン、ヒースクリッフ、召使いのネリーの3人がいるのだが、現代の男女になっている。3人のそれぞれの表情が「嵐が丘」のそれぞれであることがすごい。これを知っただけでもよかった。

2004年01月19日

高橋祐子/高橋達史「ヴィクトリア朝万華鏡」

わたしはヴィクトリア時代の小説や出来事が好きと言っているくせに、ヴィクトリア時代の全体をほとんど知らなかった。正月前に図書館でこの時代を簡単に見渡せる本があったらいいな、と思って探していたらこの本にぶつかった。正月のヒマな数日を、つれづれなるままに読もうと思ったのだが、ヒマがぜんぜんなかったし、「剣客商売」が間に入ったし。でも今日ようやく読み終えた。1993年に新潮社から出た4200円のきれいな本である。
全体に図版が入って読みやすい。写真がない時代、画家は正確な絵を描いていたんですね。さまざまな階級のさまざまなシーンが絵で見られる。上流階級の人たちの服装、習慣、インテリア、遊びが華々しい絵になっている。そして貧困階級の貧困のありさまがリアルに見られる。上・中流家庭から没落した教養ある女性がなる家庭教師の悲哀、屋根裏のお針子、救貧院で入所を待つ人たち、貧困の生活からアメリカなど新天地へ脱出する人たち。そして、停車場、旅の車中、子どもの情景…リアルな絵は百の言葉よりも語りかけてくるものがある。
イギリスの画家の名はターナーとホイッスラーしか知らず、ラファエル前派のことを数年前にかじったくらいだった。こんなにたくさんの画家の仕事があったんだ。

2004年08月23日

Derck Jarman's Garden

「 Derck Jarman's Garden 」(デレク・ジャーマンの庭)という本の名前を知ったのは、1997年に出た前田まゆみ「わたしのリトルガーデン12カ月」でだった。デレク・ジャーマンは1994年にエイズで亡くなった映画監督で、彼が晩年につくった庭を Howard Sooley が撮影した本である。前田さんの文章を読んで、本の表紙の写真を見て、欲しくてしかたなくて洋書店に行ったときは必ず探していたのだが、見つからなかった。いつのまにか諦めていたが、最近、相方のほうから話題が出て、改めて欲しい熱が再発した。翻訳本が出ていたらしいが、その出版社がつぶれたそうだ。もしかしてとアマゾンで検索したら、なんと原書(2,995円)の在庫ありだった。さっそく注文したが、土曜日の夜中に注文したのが今朝届いた。
大喜びで封を開けると、表紙は表側は三つに分かれていて、とても美しいデレク・ジャーマンの上半身(帽子を冠ってブルーのTシャツを着ている)、1本の紫色の花、土と小石の間から出ている植物の芽の写真がありとても静かな印象。裏側は荒れ地のような場所に咲く花々とオブジェ群が立つ。表紙だけで生と死を感じさせる。
庭仕事をしているデレク・ジャーマンの写真が何枚かあるが、膝のところが破れたズボンとか古ぼけた上着などの着こなしがものすごくステキだ。なにげない色づかいがすごくおしゃれ。病気が進行していてやつれているんだけど、気品があり透徹した目はすでにあの世を見据えている感じがする。

2006年03月31日

ジャスパー・フォード「文学刑事サーズデイ・ネクスト1 ジェイン・エアを探せ!」

文学刑事サーズデイ・ネクスト〈1〉ジェイン・エアを探せ! (ヴィレッジブックス) ジャスパー フォードジャスパー・フォード「文学刑事サーズデイ・ネクスト1 ジェイン・エアを探せ!」
去年の夏の終わりにクリスタ長堀の丸善で平積みされていた文庫本が目に入った。へんなイラストの表紙はふざけたSFという感じだ。手にとって中を見てもどしたのだけれど、“ジェイン・エア”の文字が気になって買ってしまった。そのまま置いてあったのをようやく読み出したら、これがおもしろくてたまらない。
読み終わってから検索してみたら、ハードカバーで2003年10月に発行されていたのの文庫化(2005年9月)だとわかった。そして「文学刑事サーズデイ・ネクスト2 さらば大鴉」も出ているのがわかった。へえ、知らぬはわたし一人なりだったのね。イギリス、アメリカでたちまちベストセラーになり、各紙が書評を載せたそうな。
1985年のイギリスが舞台なのだが、物語の世界ではロシア帝国とのクリミア戦争が131年目を迎えている。イングランドは超巨大企業のゴアライアス社に支配されており、ウェールズは共産化して独立している。
主人公サーズデイ・ネクストは36歳の独身女性でクリミヤ戦争に従軍したことがあり、いまは特別捜査機関の文学刑事局に勤務している。元恋人のランデンはサーズデイの兄とクリミヤ戦争でいっしょだったが、兄は戦死しランデンは片足を失った。そのときの状況を知った彼女はランデンを許せずに離れてしまった。転勤でロンドンから故郷のスウィンドンに飛行船で到着する。その地にはランデンが住んでいて再会するが、サーズデイは気持ちとうらはらに冷たい態度で接する。
ジェット機でなくて飛行船というところがおかしい。コンピューターはないけど、タイムトラベルのできる人たちがいるし、クローン技術は発展しているというけったいな社会である。
発明家の伯父マイクロフトが本の中へ入ることのできる装置“文の門”を発明したのを、悪用されて事件が起こる。発見された死体はディケンズの「マーティン・チャズルウィット」の登場人物クウェイヴァリーだった。
それから犯人を追ううちに相手は「ジェイン・エア」の中に逃げ込む。そこでロチェスターさんと協力して犯人と対決とあいなる。その結果、もともとの本と内容が違ってくるのがおかしい。その結果というのが、いま我々が読んでいる「ジェイン・エア」なのである。「ジェイン・エア」にからんで最後の方には中島さんという日本人も出てくる。
作者のジャスパー・フォードは1961年生まれのウェールズの男性で、最初は映画作家を志したが、ヒマを見つけて小説を書き始め6冊目に書いたのが本書だそうだ。
ほんとに文学好きにとってはおもしろくてしかたない作品だが、ふざけていると怒る人もいるかも。こういう本がベストセラーになるというのは、とても成熟した社会だからだと思う。先日読んだ「ジェイン・オースティン読書会」にしても、文学が生活に溶けこんでいるのを感じたが、本書も文学を日常的に愛して暮らしている人たちが多い成熟した国の本という感じだ。(ソニーマガジンズ ヴィレッジブックス 920円+税)

2007年04月05日

A・S・バイアット「抱擁」を何度も読む

抱擁〈1〉 A.S. バイアット抱擁〈2〉 A.S. バイアット久しぶりに〈文学〉を読んだとという気持ちになった。とっかかりはレンタルビデオの「8人の女たち」だった。予告編にグイネス・パルトロウ主演の「抱擁」があった。好みのラブロマンスだと思って次に借りてきたのだが、それが実に複雑な二つのラブストーリーが絡み合っており、結局二度見て理解してこれは原作を読まなくっちゃとなった。

ローランド・ミッチェルはブラックアダー博士のもとで、ビクトリア時代の大詩人ランドルフ・ヘンリー・アッシュを研究し、「アッシュ全集」編集の研究助手を務めている。ロンドン図書館での蔵書を調べていると、たくさんのメモがはさんであるのが見つかり、その中に2枚の便箋があった。内容は女性に宛てた手紙の下書きのようで、アッシュの直筆らしい。ローランドは他のは元に戻し、その便箋だけを係員の目を盗んで持って帰る。宛先はだれかと当時の文献を調べて女性詩人のクリスタベル・ラモットと見当をつける。いまラモットはレズビアンの詩人としてフェミニズムの人たちに興味を持たれる存在である。リンカーン大学のモード・ベイリー博士が詳しいと聞き会いに行く。
「冷たさで男の血を凍らせる女」と評されたモードは“上”から見下すような態度だが、話を聞くと協力してくれ自宅に泊めてくれる。二人は手紙を解読し、詩人たちの恋を確信するようになる。ラモットが晩年暮らしていた館が現存しているというので行き、詩から発想した場所に手紙の束をみつけて調べさせてもらう。こうして現代の二人が19世紀の詩人の恋文によって出会った。二人は詩人たちが旅したヨークシャーへ行く。そこは4週間と期限を切って19世紀の二人が恋心を全うしたしたところだった。男には妻がおり女には女性の恋人がいた。
その間にラモットの恋人ブラーンチはテムズ河に身を投げて死んでしまう。アッシュは家庭に戻り、ラモットはプルターニュの親戚の家に行ったようだ。現代の二人はプルターニュへ向かい、ラモットになにがあったかを探る。
一方、狂信的なアッシュ研究家やフェミニストの研究家もやってきて騒ぎが大きくなる。最後のまとめ方は推理小説そこのけ、怪奇小説そこのけのおもしろさである。最後には氷のような美女モードもようやく誠実な青年の手で愛に目覚める。

19世紀と20世紀の二組の男女の物語が錯綜して、目くるめく大恋愛小説である。古い方は詩や手紙で現されるが、なにかが乗り移ったようなたくさんの詩と手紙がまるで、ほんとうにアッシュやラモットがいたようである。アッシュのモデルはブラウニングだそうだ。わたしは19世紀のイギリスの詩人などてんでわからなくて、ブラウニングといえば「時は春、日はあした・・・」くらいしか知らないから、ほんとに勉強になった。女性のほうの詩はエミリー・ディキンスンを繰り返し読んだと著者が巻末の「選択—『抱擁』の創作過程」で書いてある。ラモットの詩のはっきりした物言いはディキンソンを噛み締めたものだったのだ。
ラモットという人の恋を終わらせてからの強さには恐れ入った。ただ強いのではなく、“弱いから強い”のだが。ここまでできたのかと思ってしまう。
現代の二人の関係はもっと複雑だ。ローランドには大学に入った頃から同居している女性ヴァルがおり、モードには元恋人がおり、言いよる女性がいる。だから物語は二組とはいえ、四人でなく多数男女の物語となる。
モードといっしょに旅しているうちにローランドは孤独を味わう。モードは上流階級の人で彼は都市の中産下層階級の出身である。階級制度は今も曖昧な形で彼を束縛しているからだ。ローランドは論文が認められてイギリス以外の三つの大学から誘いがきているのを受けようと思う。アムステルダムならそう遠くない。男の自立を図るのね。

2007年06月18日

ヨークシャー

久しぶりにレジナルド・ヒルの本「社交好きの女」を読んだら、もう1冊くらい読みたくなって「秘められた感情」を出してきて読んだ。パスコー部長刑事がのちに妻となるエリーと大学時代の友人の家を訪ねたら、旧友3人の死体があり、招待主は行方不明になっていたという事件の物語である。その捜査中のある日、パスコーはエリーと食事をして骨董店に入る。ぶらぶら見ていると、「これ、すてき」とエリーが小さい白い石で作ったペンダントやブローチを眺めている。どの石にも〈本物のヨークシャー石〉と書いてある。あ、あれじゃん。
思い出したのは、A・S・バイアット「抱擁」で、19世紀の恋人たちがヨークシャーへ旅して、石のアクセサリーを買うシーンがあり、その二人の恋を追いかけてヨークシャーへ行った現代の学者モードとローランドが、これだと骨董店でその石と同じものを手にする。モードは偶然に自宅に昔からあった石のブローチをしていたが、それも同じ石で、店の人に素晴らしい品ですねと言われる。
パスコーはエリーがいちばん心ををひかれているらしい、緑に赤い点々のついた石のペンダントを買う。けっこう高いものだが、エリーの笑顔を見てこれだけ払う価値があったと思う。

あらまあ、ヨークシャーつながりだわと喜んで、あまりの厚さ(ポケミスで652ページ28ミリ)で敬遠していたヒルの「死の笑話集」を読むことにした。いつまでかかるかな。読み出したらおもしろいのですぐ読み終わるかも。

ブロンテ姉妹もヨークシャーだし、バーネットの「秘密の花園」もインドからヨークシャーへ移り住んだ少女の物語だ。わたしがイギリスでいちばん好きな場所はヨークシャーかもしれない。どこへも行ったことはないけど(笑)。

2007年10月29日

ハニフ・クレイシ「ぼくは静かに揺れ動く」

7年も前に出ていた本をいまごろ図書館で発見した。手にとってあとがきを読むと、訳者は中川五郎さんで、翻訳作業をしているとき、作者と一心同体になっているかのような不思議な感覚を何度も味わったと書いておられる。中川五郎さんは60年代後半から70年代にかけて大阪でフォークソングを歌ってた人だよね。続けて読んでいくとハニフ・クレイシは「マイ・ビューティフル・ランドレット」の脚本を書いた人だったとわかった。パキスタン系移民(本書ではインド人となっている)の父とイギリス人の母との間に1954年ケント州で生まれた。

知り合ってから10年、結婚はしていないが一緒に暮らして6年になる妻スーザンと5歳と3歳の息子を置いて、明日家を出て行こうと決意した男の独り言である。出て行く先はとりあえず友人のアパートに決めている。妻も子どももなにも知らずに普通の一日である。
スーザンは会社に出勤し〈ぼく〉は別に持っている仕事場へ行く。作者と同じように作家であり、映画の脚本を書いてハリウッドに招かれたこともある。夜は家に帰っていつもと同じように子どもの世話をする。その間、ずっとなぜこの家を出て行くのかを語り続けているわけだ。生まれたときからのこと、父母のこと、スーザンと知り合ってからのこと、恋人たちのこと。
スーザンは慎重で思慮深く頭がよく仕事ができる。真面目で行儀よい人間に育てられた多くの若い女性と同じである。〈ぼく〉によると、だから若い女性は最近の仕事社会にぴったりなのだ。

スーザンと息子たちが寝静まったあと、つきあっていたニーナがクラブにいると聞いて出かけ、ニーナは見つからなかったが、探しているとき殴られてしまう。夜中に家に帰るとスーザンが起きてきて、傷をいたわりお風呂に入れて洗ってくれる。そしてベッドへ連れて行き、背中合わせに寝る。

ほんとに出て行くのかなと思いながら読んでいた。その朝、スーザンは「夕食のときにね」と大声で言って自転車で仕事に出かける。部屋にクリーニングをとりに行ってとメモがある。クリーニング屋に行き、それから自分のメモを書く。
イギリス文学はとても幅が広い。カズオ・イシグロを思い出した。(中川五郎訳 発行所:アーティストハウス 発売元:角川書店 1000円+税)

2007年10月30日

ハニフ・クレイシ「ミッドナイト・オールデイ」

昨日書いた「ぼくは静かに揺れ動く」は長編小説だった。次に読んだ「ミッドナイト・オールデイ」は短編集だが、同じように揺れ動く男や女の心と行動が描かれている。
ハニフ・クレイシの作品って、生まれと育ちは下層階級だけど、頭が良くて運も良くて中産階級の一員となり、中産階級出身の女性と結婚している人が、その生活から逃れようとしている話が多い。だけど一人になるのでなくて、他の女性といっしょになることが多い。そして幼い子どもがいる。
「会うときは他人」の、俳優である〈ぼく〉はサウス・ロンドンで育ったが、幼なじみはみんな手ごわくて自分たちの無知やぞんざいさを自慢にし、学校を出るとごろつきや泥棒になった。20代になって子どもができると、建設現場等の仕事につきサッカーの試合に足を運び続け、酔っぱらい、10代の頃の憧れや理想を追い求めることをやめず、それに雁字搦めになっている。彼らには役者になった〈ぼく〉を理解できず〈ぼく〉は彼らから離れた存在になった。こういうことはイギリス映画やミステリーを思い出してわかるような気がする。
「砂を噛む」の主人公マーシャは作家志望の学校教師である。彼女の書いた戯曲が地元の劇団に認められて上演される。演出家は彼女にナショナルシアターに送るべきだと言うが、彼女が40歳であることを忘れていた。有名作家のオーリーリアの出版社に自分の作品の一部を送ると、ハガキがきて家に来るようにとあった。有頂天になって出かけるとオーリーリアは愛想がいい。パーティにも誘われるが、結局次の作品に学校のことを書くためだとわかり、マーシャは書いたものを一切焼き捨てる。

イギリスにはいろんな民族が住んでいること、労働時間が日本よりゆっくりしていること、従って私生活が豊か、などの差はあるけれど、同時代の感覚を感じる作品集だった。彼が脚本を書いた「マイ・ビューティフル・ランドレット」の感覚が甦った。ちょっと男性に甘く女性に辛いところがあるけれど。(中川五郎訳 発行所:アーティストハウス 発売元:角川書店 1000円+税)

2007年11月18日

ハニフ・クレイシ「パパは家出中」

パパは家出中 ハニフ クレイシハニフ・クレイシの「ぼくは静かに揺れ動く」(2000)は長編小説で、次に読んだ「ミッドナイト・オールデイ」(2001)は短編集だったが、両方とも中年になった男の生きづらさが伝わってきた。こういう小説を書く人かとわかったような気になっていた。ところが「パパは家出中」(2001)は心優しい少年が主人公で、ほろっとさせてハッピーエンド。気持ちよく読み終えた。

主人公は15歳の少年ガブリエル。ガブリエルのパパは元ミュージシャンで、レスター・ジョーンズ(ディヴィッド・ボウイのイメージとあとがきに書いてある)のバンドでいっしょにやっていたという華やかな過去がある。いまは働いてないから、ママと喧嘩ばかり。金を稼げをはじめとして無理な注文の数々に、パパは家を出て行く。ママはオシャレなバーのウェイトレスになる。そして東欧圏からやってきたハナという太った女を雇う。ガブリエルはハナの監視のもとに学校へ行く毎日。パパから電話があってアパートへ行くと、これ以下はないというアパートで借金取りに脅されている。
いろいろあって、レスター・ジョーンズのところへ行くと、レスターはガブリエルに絵を描いてくれる。その絵をよこせとママとパパがいうので、一計を案じるのがおかしい。ガブリエルは映画作家を目指しているし、絵も描くという才能ある少年で、しかも心根の優しい子なのだ。パパはレスターの絵をレストラン経営者に売り、借金を返したり服を買ったりする。その絵はガブリエルが考えたあげくに模写したものなので、どうしようかと揺れ動く少年の心が切ない。
そんなダメなパパだけど音楽の腕は一流なので、映画プロデューサーの息子に音楽を教える仕事を紹介される。誰にも心を開かなかった少年がパパには一目おくようになる。
ようやくパパはママに跪いて求婚し結婚する。自分の両親の結婚式に出られるなんてすごいと、親友はうらやましさに身悶えする。(中川五郎訳 発行所:アーティストハウス 発売元:角川書店 1800円+税)

2007年12月16日

阿部公彦編「しみじみ読むイギリス・アイルランド文学」

しみじみ読むイギリス・アイルランド文学 (現代文学短編作品集) ベリル・ベインブリッジ今年の6月に出た本である。図書館にもう一冊あって「しみじみ読むアメリカ文学」というのだが、若い人向けの文学入門書なんだろうか。12編の短編小説と詩が集められていて、長めの親切な解説がついている。とりあえず興味のあるアイルランドが入っているほうを借りてきた。
知っている作家はエドナ・オブラエンとカズオ・イシグロだけだが、それぞれ読みやすくてすぐに読了できた。ちょっとかなわんところもあった。作品ごとに目次に〈思春期しみじみ〉〈母親の苦労しみじみ〉とか入っているのである。
作品はそれぞれ現代のイギリスとアイルランドが表現されていておもしろかった。

ヒューゴー・ハミルトン「ホームシック産業」は、アイルランド関係の製品を作り国内用と輸出用の両方を扱っている会社の配送部長の〈わたし〉の屈折した気持ちが述べられている。〈わたし〉の仕事は、アイルランドの物産(伝統音楽、アイルランド教材、アランセーターなど)を世界中に届けることだ。ある日社長がやってきて、表に停まっているトラックに荷物を載せてしまわないと、いつまでも道を占領しているわけにはいかないので、自分といっしょに運んでほしいと頼む。自分の仕事ではないと断ると論争になる。この論争がアイルランド的というのかおもしろい。結局さきに仕事をはじめた社長といっしょに働くのだが、社長は負けた〈わたし〉にとどめを刺したりしないで、「埋め合わせはするよ」と電話で言う。しばらくして〈わたし〉の誕生日に社長からとどいたのはアランセーターだった。〈わたし〉はそのセーターをどこかへ出て行くセーターといっしょにする。何日かしたらマドリッドのどこかの宛先へに届くはずだ。
解説者の説明に【アイルランド性の拡散が、アイルランド性の回帰に結びついてしまうのを、このように苦く滑稽なアイロニーで描くのがこれまたなんともアイルランド的というほかない。】とあって納得した。(松柏社 2000円+税)

2008年01月28日

アントニア・ホワイト「五月の霜」

五月の霜図書館のヤングアダルトの棚に、気難しそうなみすず書房の白いカバーの「五月の霜」があった。イギリスの作家アントニア・ホワイト(1899〜1980)の長編小説のはじめての邦訳だという。ロンドンで生まれたホワイトは、パブリックスクールの教師でプロテスタントからカトリックに改宗した父の方針で、ロンドン郊外の女子修道院付属の寄宿学校で9歳から15歳までを過ごした。本書はホワイトのそのときの体験をもとに書かれた作品である。

学校の規則は厳しいものだが、改宗者に対する教育は特別に厳しい。主人公ナンダは父の命令にもよるが自分でも真のカトリック教徒であろうと必死である。責任者のマザー・ラドクリフは長年にわたって少女たちを見守ってきたから、ナンダの性質(文学少女)を見抜いて、改めるように導こうとする。
一人の修道女が言う「あなたは頑固で、独立心が強い。九歳の子どもの精神に誇りがあるとすれば、その誇りこそがあなたの一番の悪です。・・・」ちゃんと見抜いている。
祈りと勉強の日々で友だちもできる。ナンダが仲良くなった彼女たちは、休暇中はヨーロッパの貴族社会で過ごしていて、すでに退廃的な雰囲気を身につけている。その一人レオニーは言う。「今から二十年後にはナンダは筋金入りの、誰が見ても間違いようのない合理主義者になっていて、わたしはといえば、模範的なカトリックの母親になっている。・・・」ちゃんとわかっている。
麻疹が流行したとき、仲良し四人組はしっかりと罹って同じ病室に入る。そのときの会話で、みんなの未来を語るのだが、三人の未来ははっきりしているけど「ナンダは未知数」とレオニーは宣言する。
病室で書いた小説がマザー・ラドクリフに見つかり、両親が呼び出される。父親に捨てられたナンダは学校からも追放される。最後に「わかりました。マザー」と言うと、マザーは「そうです、その調子、人生は十四歳で終わりではないのですよ」。ナンダにはもうもとのよういはなれないのがわかる。

訳者あとがきによると、アントニア・ホワイトは女子校を卒業してから、父のすすめるケンブリッジへは行かず、コピーライターとなり短編小説を書き始める。さまざまな職業について結婚・離婚を三回経験している。(北條文緒訳 みすず書房 2800円+税)

2008年01月29日

アントニア・ホワイト「五月の霜」続き

五月の霜昨日は本の紹介を書いたが、今日は読み終わった感想です。
こういう物語を読むと「主人公は私だ」と思う人はわたしだけではないばずだ。普通の少女と違うものを心に持っているために、普通の生き方ができない。わたしのようなはぐれ者なら食うや食わずでも、てか食えなくても当たり前の世界を生きていける。それにまったく他の道がない。ところがお嬢様だと話がややこしくなる。
わたしは40歳代から50歳代のとき、ナンダのようにお嬢様の友人が親密に側にいる経験をした。彼女らは賢くて美しくて辛辣で、家族から独立しようと懸命だった。100年近く前のカトリックの寄宿学校の生徒たちと違って、まだ親や伝統が決める結婚を蹴飛ばしやすい時代になったけれど、実際はそうでもなかったのだ。
結局、彼女たちは素直にではなく、屈折したあげくに家族制度に帰っていった。わたしを見ていたら、先々こんな生活できるかと思うようになるわな。最初は憧れてくださったけれども(笑)。彼女たちはいまごろどうしているだろう。レオニーのように「模範的なカトリックの母親になっている」からカトリックを除けて「模範的な母親になっている」のあろう。

そんなことで、本書を読んでいるといろいろなことが頭に浮かんで、つらい読書になった。それで、今日は口直しにバーネット女史の「小公女」を最初から最後まで読んだ。つらい仕事で疲れても食べ物をろくろくもらえず、屋根裏の宴会も見つかって叱られ、泣き寝入りする。暖炉の火がぱちぱちとはじける音で目が覚めると、おいしそうな食べ物があり、暖かいふとんがありというところで慰められた(笑)。

2008年05月05日

イアン・マキューアン「アムステルダム」

アムステルダム (新潮文庫)映画のメルマガを読んで見たいと思った「つぐない」はイアン・マキューアンの「贖罪」の映画化と知った。まだ読んだことのないイギリスの作家である。本屋にいって「贖罪」を買うつもりだったが、まずいちばん薄い「アムステルダム」から読むことにした。

最初のシーンは火葬場である。イギリスを代表する高名な作曲家クライヴと、大新聞の編集長ヴァーノンがマイナス11度という寒さの中を外で待っている。会話は「かわいそうなモリー」の繰り返しである。モリーは大金持ちで陰気で所有欲の強いジョージの妻で、レストラン評論家、写真家、陶芸家として一世を風靡し、四十六歳にして完璧な腕立て回転ができたファッショナブルな女性だった。それがあるときから肉体のコントロールがきかなくなり、やがて痴ほう状態に入っていった。ジョージはモリーを独り占めにして看病する。
モリーの愛人だった二人の他に外務大臣ガーモニーがおり、おもしろくない会話を交わす。ガーモニーはクライヴに政府から2000年交響曲の依頼がいったのは、自分が推したからだと強調する。

その元愛人三人の生活がモリーの火葬を契機にして変わって行く。クライヴは曲の最後の仕上げのために苦心する。ヴァーノンは新聞の一面に外務大臣ガーモニーの私的写真を載せるはめになる。その結果、彼らは苦境に立たされ、お互いの行為がまた相手を苦境に立たすことになってしまう。

とても緻密に描かれた作品である。世間で成功した芸術家、ジャーナリスト、政治家の姿と内面が浮かびあがる。だから彼らへの批判であるのだが、それだけないことに読後気がついた。青年時代の想いを売り渡して、有名になったり地位を獲得している彼らを描いているのだけれど、実際は青年時代に持ったこころを忘れていまの地位にある人全体への批判なのだ。
最後にジョージがモリーの追悼式をしようと思い立つ。かつての愛人たちが目くばせしあうこともなくなったから。モリーは夫に独占されて本当に死ぬ。(小山太一訳 新潮文庫 476円+税)

2008年05月31日

「ヴィクトリア朝短編恋愛小説選」にヘンリー・ジェイムズが入っていた

「テヘランでロリータを読む」で取り上げている作品は「ロリータ」だけでなく、第2章「ギャツビー」、第3章「ジェイムズ」、第4章「オースティン」である。「ロリータ」を読んでからこの本を読もうと思ったくらいだから「ロリータ」は読んでいる。フィッツジェラルドは好きでないが、「ギャツビー」は読んだし映画も見た。オースティンは「高慢と偏見」を20回くらい読んでいるし、その他の作品も読んでいるから話についていける。
残るはヘンリー・ジェイムズだ。昔「デイジー・ミラー」を読んだことがあるが、ころっと忘れている。「ねじの回転」を読もうと思ってから長いがまだ読んでいない。これを機会に読もうと思っていたら、その前に短編をひとつ読むことができた。ちょうど図書館で借りていた「ヴィクトリア朝短編恋愛小説選」に入っていたのだ。

「申し分のない日々」という気持ちの良い作品である。
アデラは三大都市の最上流社交界に通じた25歳の女性で、人生の門口に立った若い娘を待ち受けている冒険のほとんどを経験済みだ。それに気品のある美貌の持ち主で、才媛でありウィットがあり資産もある。世間も人間の本性もすっかり見尽くしたと思った彼女は、やもめ暮らしをしている学者の兄の家事をとりしきるために田舎へやってきた。
取り巻きの道楽者たちがついてくるのではないかと、漠然と心配していた兄だが、アデラは静かな暮らしを楽しんでいた。
ある日、兄が学会に出るために一日留守にしたときに訪問客がある。
トマス・ラドロウは28歳の青年で、下品でたくましい「庶民」という多数派に属しているが、庶民レベルではハンサムと言っていい。兄に頼み事があってきたのだが、挨拶の言葉を交わしているうちに二人とも好感を抱く。二人は話しながら野山を散歩する。トマスはニューヨークで生まれてからのことを話す。これからドイツに行くのだが、もしアデラが望むなら列車と船に乗ることをやめると言う。アデラの答えは「・・・仮にそうお願いしたらイエスとおっしゃるかどうかですの」である。そして最後は「ごきげんよう」である。最後にトマスは「・・・この人はおれが出会ったどんな女性とも違っている。こんなふうに彼女に出会ったことだけで、おれには十分だ!」と自分に言い聞かせて飛ぶように走り去る。

その他、ウィリアム・モリス、クリスティナ・ロセッティ、W・S・ギルバート、アーネスト・ダウソン、シャーロット・ミュー、R・L・スティヴンソンが入っていてそれぞれおもしろかった。特にシャーロット・ミューの「いろいろな愛し方」がよかった。会話をひとつだけ引用すると「わたくしだちふたりとも目の前のものから逃げ出したり、敵に陰気な顔を見せたりするようにはできていないのです。」ヴィクトリア時代の誇り高い女性の言葉が、若い恋人を惹きつけて離さない。(冨士川和男監訳 鷹書房弓プレス 2500円+税)

2008年07月23日

濃密な愛の場面 サラ・ウォーターズ「夜愁」

夜愁 上 (1) (創元推理文庫 M ウ 14-4)夜愁 (下) (創元推理文庫 (Mウ14-5))去年読みたいなと思ったのだが、長いので敬遠したらそのまま買わず読まずで過ぎてしまった。それがディケンズに次ぐ古本放出第2弾でいただけることになった。さっそく読んだらおもしろくて。ありがたくて東の方へ足を向けて寝られません。

サラ・ウォーターズはレズビアンの作家である。本書の主要な登場人物は一組の異性愛者と三人のレズビアンの女性で、愛の場面の濃密さが良かったー。

物語のはじまりがロンドンの1947年。ヘレンは結婚相談所で働いていて、同僚のヴィヴィアンとはうまくいっているが、ヴィヴのほうはなにか隠している。ヘレンは作家のジュリアと愛し合って暮らしているが、ジュリアは名前が売れてきて外に出ることが多くなりヘレンは不安である。ヴィヴは結婚しているレニーとつき合っていて人に言えない。ヴィヴの弟ダンカンは刑務所から出てから、叔父さんだと世間には言ってマンディ氏と暮らしている。ケイはスピリチュアル・カウンセリング治療をしているレオナード氏の建物の屋根裏に住んでいる男装の女性である。マンディ氏とダンカンは週に一度通ってくる患者だが、窓から見て顔を見合わす間柄だ。

こうして1947年のいまが語られのだが、その次は、その後ではなく1944年に遡る。第二次大戦中のダンカンは刑務所に入っており父と姉のヴィヴが面会に行く。帰りに残業だと父に別れてレニーに会いにホテルへ行くヴィヴ。ケイは救急車に乗っている。隊長のピンキーと同僚のミッキーと三人で空爆下へ出動する。きつい仕事の後ケイはヘレンの待つ部屋へ帰る。ケイとヘレンの仲が切ない。そのヘレンとジュリアが空爆中のロンドンの街で愛し合うようになるところが圧巻。ケイは出血しているヴィヴを助ける。

そして1941年、ヴィヴとレニーの出会い、ダンカンが刑務所に入れられた理由、瓦礫の中のヘレンとケイが出会う。
ここを読んだら、また1944年にもどって広がった物語に中にそれぞれの登場人物を見て納得し、1947年のそれぞれの顛末を再び知って溜め息をつく。(中村有希訳 創元推理文庫 上下とも840円+税)

2008年12月02日

サラ・ウォーターズ「茨の城」

荊[いばら]の城 上 (創元推理文庫) 荊[いばら]の城 下 (創元推理文庫)

暑いときに読んだ「夜愁」がよかったので、本書を図書館で見かけてすぐに読んでしまった。ディケンズを彷彿させるロンドンの貧民街が舞台である。そしてタイトルになっている「茨の城」がもう一つの舞台で、波瀾万丈の物語を展開する。

表稼業は錠前屋で裏稼業は持ち込まれた盗品を買い取り処分しているイップス親方の家。サクスビー夫人に育てられた掏摸のスウがいて、孤児のジョンと泣き虫のデインティも同居している。銀器等が持ち込まれるとすぐに溶かしてしまう用心深さである。
〈紳士〉と呼ばれている詐欺師が、田舎の城の娘モードの絵の教師をしているが、彼女をたぶらかして結婚し財産を奪う計画を立て、スウにも割り前を渡すと持ちかける。スウはモードの召使いになるために田舎の城へ行く。
モードは城に伯父と住んでいて、あとは召使いばかりである。伯父はモードに本を読ませる。客がいて一緒に聞く場会もある。その本はエロ本でレズビアンものだったりする。
スウは〈紳士〉とモードを結婚するようにすすめるが、〈紳士〉とモードは自分たちの都合のためにスウを陥れる計画を練り始める。

波瀾万丈の物語であっと言う間に読めてしまった。田舎の城で暮らす人の目にはお姫様のモードと、ロンドンに住む気の強い掏摸の小娘の人生が交差する。憎み合い愛し合う二人は「茨の城」で再会する。(中村有希訳 創元推理文庫 上下とも940円+税)

2009年06月03日

ヘンリー・ジェイムズ「ねじの回転」

ねじの回転デイジー・ミラー (岩波文庫)ずっと昔に「デイジー・ミラー」、わりと最近に「申し分のない日々」(「ヴィクトリア朝短編恋愛小説選」に入っていた)を読んだだけだったが、ようやく「ねじの回転」を手にした。なんの本か忘れたが、列車で前に座った上品な女性が「ねじの回転」を読んでいたとあった。また、「ねじの回転」を愛読していそうな女、という文章に出くわしたことがあった。そんなしょうもないことを覚えているくらいに、なにか気持ちにひっかかるものがあった。
いま読み終わった。

ヘンリー・ジェイムズ(1843−1916)はニューヨークに生まれて長期間のヨーロッパ滞在の後、1915年にイギリスに帰化しその翌年亡くなった。イギリス人でないぶん、もっとイギリス的な作品を書いたんだと納得した。
「ねじの回転」の物語は家庭教師の女性の手記のかたちをとっている。ダグラスがその手記を書いた女性(妹の家庭教師)から預かったのは事件の30年後、それから20年くらい経って友人たちに読んできかせる。

家庭教師は貧しい子だくさんの田舎牧師の末娘で、住み込み家庭教師の職を得ようと広告に応募しハンプシャーからロンドンに出てきた。雇い主は独身の紳士でハンサムで大胆で愛想がよく裕福で、ロンドンの邸宅はすばらしかったが、仕事は一族の住むエセックスにある本邸だった。そこにいる親を亡くした甥と姪の家庭教師を頼みたい、彼らについてすべてを任せると言う。

そこで美しい少年と少女の家庭教師として働くことになるのだが、ある日、外に男の姿を見て雇い主と勘違いするが、それは元ここで働いていて死んだ下男だった。またある日、若い女性を見かけるが、前任の家庭教師でここを辞めたあとに病死している。
イギリスの田舎の大邸宅、敷地に森や湖があって、豪華な部屋には暖炉で火が燃え、燭台の蠟燭が揺らめく。幽霊が出ても不思議ではないが、若い娘が妄想の虜になっても不思議ではない。

幽霊談として読むか、手記を書いている家庭教師の妄想と読むかで、論争があるそうだが、わたしは家庭教師の妄想説のほうだと思いつつ読んだ。
(「ねじの回転」「デイジー・ミラー」行方昭夫訳 岩波文庫 700円+税)

2009年06月04日

ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー」

ねじの回転デイジー・ミラー (岩波文庫)読んだのはずっと昔でタイトルを覚えていたが内容は全然覚えていなかった。可愛らしい名前と悲しい最後だったから覚えていたのだのだろう。そして作者がヘンリー・ジェイムズだったことは、去年「ヴィクトリア朝短編恋愛小説選」を読むまで忘れていた。

ニューヨークからヨーロッパへ来ている裕福なアメリカ人たち。その一人である青年ウィンターボーンはジュネーヴに長期間滞在していたが、伯母を訪ねてきたヴェヴェーのホテルで美しい娘と出会う。ジュネーヴでは未婚の若い女性にこちらから話しかけるのは、礼儀上めったに許されることではない。でもここではかまわないのではないかと話しかけるとデイジーは話好きだった。弟が側にいて父親はニューヨーク州の工業都市で大きな会社を経営しているお金持ちだと言う。

ウィンターボーンは話をしながらデイジーが〈ただ遊び好きな可愛いアメリカ娘に過ぎない〉と結論づけて、伯母に紹介すると言う。
伯母は財産のある未亡人で社交界に地位がある。伯母の口調からデイジー一家はニューヨーク社交界で地位が低いのがわかり、紹介はできなかった。
そこで思い出したのがイーディス・ウォートンの「エイジ・オブ・イノセンス」だ。ニューヨーク社交界はヨーロッパの社交界より閉鎖的であるように思えた。うるさいご夫人たちに陰口を叩かれても気がつかないふうでデイジーは出歩く。

デイジー一家もウィンターボーンもローマへ行く。デイジーはイタリアの伊達男といつも連れ立っていて、ますます顰蹙をかっている。ウォーカー夫人はデイジーが身を滅ぼすのを黙ってみていられないと世話をやくが無視される。そのときの夫人の言葉は状況はどうでもいいことだけど、言葉に感心したので書き留めておく。
【「こういう場合には、わたくし賢明なやり方はしたくありません。真面目でさえあればよいのです」と夫人は言った。】

コロセウムの夜の瞑想は詩人のすすめるものであっても、医者の非難するもので、悪性の毒気がある。月光の中でひときわ美しいデイジーはとても奇麗だから一晩中いたと言う。そして彼女は熱病にかかって死んでしまう。
ヘンリー・ジェイムズ35歳の作品。「ねじの回転」は55歳の作品。
(「ねじの回転」「デイジー・ミラー」行方昭夫訳 岩波文庫 700円+税)

2009年08月08日

スウィンバーンの著作

昨日のサラ・スチュアート・テイラー「狡猾なる死神よ」の感想の中に、墓石に刻まれている詩がスウィンバーンを思い起こさすとあったと書いた。そのときは名前だけ知ってるアルジャーノン・チャールズ・スウィンバーンのような詩が墓石に彫ってあるとしか思ってなかったのだが、検索していて、待てよ、スウィンバーンの本を1冊読んでいたぞと思い出した。

中学生のころに、姉の友人がイギリス文学をたくさん貸してくれた。家には本はたくさんあったが、翻訳ミステリが多くて〈イギリス文学〉はなかった。そのとき読んでいまも愛読しているのが「ジェイン・エア」である。この本にはもひとつ思い出がある。夏休み前に女性教師にそっと呼ばれて「この本を貸してあげる」と「ジェイン・エア」を出されたときはすでに読んでいた。

その本の中にスウィンバーンが1冊あったのだ。多分、【『悦楽の花園(フロッシー)』、藤井純逍訳、三楽書房、1951年。】だと思う。すごくよくはないがなにか気になった。姉には「あんたにはまだ早い」と言われた。
いま読もうと思えばある。【『フロッシー』(晶文社アフロディーテ双書)、江藤潔訳、晶文社、2003年6月 】

2009年08月14日

エドウィン・ミュア「スコットランド紀行」(1)

スコットランド紀行 (岩波文庫)スコットランドが大好きと言いながら、知っているのはメアリー・スチュワートとエディンバラの警官(イアン・ランキンのリーバス警部)とグラスゴーの警官(ウィリアム・マッキルヴァニーのレイドロウ警部)ぐらいだ。図書館で本書を見つけて、少し勉強しようと思った。

本書の著者エドウィン・ミュア(1887-1959)はスコットランドの北端にあるオークニー諸島に生まれた。昔は北欧バイキングの土地だったところで、ミュアは自分はスコットランド人ではなくオークニー人あるいはスカンジナビア人だと言っている。
父は借地農だったが強欲な地主に追われて貧窮し、ミュアが14歳のときにグラスゴーに移住した。その後の5年間に両親と2人の兄を失い、さまざまな職業を経験し、1919年にロンドンへ移住。「ニュー・エイジ」編集助手となるころから文学の世界に入っていった。

1930年代の経済恐慌の時代の社会相をレポートする企画を出版社がたてたうちの1冊が本書である。1934年スコットランドで初めての国際ペンクラブの大会がエディンバラで開かれ、ミュアは司会をつとめた。終了後、知人に古い自動車を借りてスコットランド旅行に出発する。
今日はこれまで。
(橋本槙矩訳 岩波文庫 660円+税)

2009年08月15日

エドウィン・ミュア「スコットランド紀行」(2)

スコットランド紀行 (岩波文庫)旅の出発地、エディンバラの印象は岩の織りなす荘厳さで、岩の上に作られ、岩に守られている都市であるという言葉になんとなくエディンバラが想像できた。本書(1930年代に書かれた本)には、住民たちはイギリス人ではなく、スコットランド人であることもやめてしまっている、と書かれている。そして活力あるロンドンへの一局集中はスコットランドをますます空洞化している、100年前にはスコットランド独自の生活があったがいまは僻地にしかないとなれば、いまの時代に書かれたものと言われてもそうかと思うだろう。

ミュアは7月の晴れた日にエディンバラを南部に向けて出発。友人が貸してくれた1921年製の乗用車はエンジンがかかりさえすればなんとか走れるしろもので、ガソリンスタンドで停まるたびに感心された。時速30マイルで走れば快適である。
「アニー・ローリー」の丘は無趣味な公営住宅に覆われて、センチメンタルな歌のみスコットランドを代表するものとしてあることへの批判は、ここだけのことではないのを痛感する。
村や町を通過している間も、ホテルで食事し泊まっている間もさまざまなことを考える。スコットランド人は詩的で、イギリス人は散文的ということへの考察がおもしろい。

そして、あらゆる点でその時代のスコットランドの最も重要な都市、美徳と悪徳の縮図であるグラスゴーへ到着する。
グラスゴーは現代文明が生んだ都市だ。スラムについて、ゴミについて、スラムの住人について、飢えについて語っている。そしてミュアがいたころのまだ仕事があったときと比較して、失業者について、失業手当について、ローザ・ルクセンブルグの言葉「休暇をもらった死者」である失業者について述べている。
グラスゴーの上流階級はイコール金持ちで、急速に富を蓄えた都市なのだそうだ。富と無趣味の結びつきの点ではグラスゴーの金持ちとアメリカ人はそっくりだと言っている。

やがてハイランドを通過していくが、自動車が動かなくなったりしながらインヴァネスを通り、西海岸のアラプールへ。ここでアブの大群に襲われるがハンパでなく、体全身と車体全部がアブに埋まるのだからすさまじい。ようやくオークニーへ辿り着く。
(橋本槙矩訳 岩波文庫 660円+税)

2009年08月18日

エドウィン・ミュア「スコットランド紀行」とアリソン・アトリー「時の旅人」

1册の文庫本がいろんなことを考えさせてくれるんだから読書は楽しい。
わたしはなんとなくスコットランドが好きと思っていたが、ひとつの回答にいきあたった。
【スコットランド人の共有する詩の想像力は、弱点や不運でいっそう強まるヒロイズム、美と優雅に働きかけることを好む。スコットランドが国として上り調子の初期の時代には、困難を克服するヒロイズムが伝説のテーマとなる。スコットランドの国力が衰退したり消滅するときには、その想像力は失われた大義の不運や悲劇を美しく飾り立てることに使われる。これらの伝説は、見かけよりも意義深い。主人公はウォレスかブルース、あるいはメアリ・スチュワートやプリンス・チャーリーであるとしても、彼らを主題として選んだのは国民の気分である。】

わたしの好みは不運や悲劇のほうである。メアリ・スチュワートが実際にどういう人物であったかを横において、不運の女王に入れこんでいる。アリソン・アトリーの「時の旅人」は、イングランドはダービシャーの片田舎にあるサッカーズ農場に滞在している少女ペネロピーの物語だが、300年前にタイムスリップしてメアリ・スチュワートを救出しようとする人たちと出会う。哀しい物語である。背景に「グリーン・スリーブス」が流れる。
そういう気分をかもし出す基礎にあるのが、スコットランド人の想像力なのねぇ。
(橋本槙矩訳 岩波文庫 660円+税)
(「時の旅人」 松野正子訳 岩波少年文庫 882円)

2009年08月21日

マルカム・D・ウェルシュマン「ポール先生のゆかいな動物病院」

訳者の山本やよいさんが送ってくださった新刊本。ミステリと違うのでちょっと戸惑ったが、読み出してみるとタイトルどうりのゆかいな動物病院のお話だ。
獣医の学校を出たばかりの25歳のポール・ミッチェルは、ロンドンから80キロほど離れたリゾート地の動物病院プロスペクト・ハウスへ面接に行く。両方の耳にピアス、茶色い髪は襟元まで伸ばしている。
受付にいるのはペリル。モップをかけていた見習い看護師のルーシーが院長が留守のためエリックを呼びに行く。クリスタル・シャープが院長で夫のエリックは獣医である。この動物病院はみんな苗字でなく名前を呼びあう。もう一人がベテラン看護師マンディで、新米獣医にとってはおそろしい存在である。

それからは毎日病院へ押し掛けるペットとその飼い主とのイギリスらしいユーモア溢れる物語が展開する。ずいぶん厚い文庫本だが、次から次へと犬、猫、鳥、馬、豚、爬虫類・・・と現れる怪我や病気や奇癖や出産のエピソードの連続を楽しく読んでいった。

新客が来てテレビに出ていた人というので、みんなどよめくが、BBCのコスチューム・プレイに出ていた人とペリルがいうと、すぐに「〈高慢と偏見〉?」「男の人がスボンをずぶ濡れにして湖から出てくるやつ?」という返事があるのには笑った。「高慢と偏見」はイギリスで評判なドラマだったんだ。

仕事を通じてポールとルーシーはいっしょに暮らすようになるが、ルーシーは可哀想な動物を見ると放っておけない性格で、家は動物でいっぱい。その上に仕事ではマンディがきつく、いき違いが重なり二人の仲は険悪になっていく。
もちろん、最後はクリスマスの当番を二人がまかされ、クリスマスらしい動物の事故の診療にルーシーが自信をもって当ったことで解けて行く。

作者のマルカム・D・ウェルシュマンは元獣医で仕事の体験をもとにして書いたのが本書である。わたしの猫は健康で事故もなく動物病院へ行ったことがなかった。いまちょっとだけ一度ぐらい動物病院へ行っておけばよかったと思った。
(山本やよい訳 ヴィレッジブックス 840円+税)

2010年03月06日

幸せになるシーンが好き 「小公女」と「ジェイン・エア」

いくつになっても何度読んでも幸せになるシーンが好き。なかでも「小公女」と「ジェイン・エア」が好き。

「小公女」では、主人公のセーラは父の死と破産のため、豪華な寄宿生生活から屋根裏の女中部屋に追い込まれ、雑用と子どもクラスの教師としてこき使われている。
同情した元の同級生たちと密かにパーティをはじめたとき、密告を聞いて上がってきたミンチン先生がぶちこわす。お腹が減ったまま冷たいベッドに横たわったセーラが、暖炉のぱちぱちいう音で目が覚めると、部屋は暖かく汚いテーブルには布がかけられご馳走がいっぱいのっている。ここが好き。

「ジェイン・エア」では、ロチェスターさんとの結婚話が複雑な問題が持ちあ上がって壊れ、ジェインは一人で出て行く。危うく餓死+凍死するところを3人の家族(兄シン・ジンと妹ダイアナとメリー)に助けられる。彼らの尽力で仕事をするようになり信頼されるようになる。ある日シン・ジンが彼女がジェイン・エア(エリオットと名乗っていたので)と知ると伯父の遺産が手に入ると言う。実は彼らはジェインのいとこだったのだ。お金よりもいとこが3人もいたことがわかって喜ぶジェイン。そしてお金は四等分する。
よそへ家庭教師に行っているダイアナとメリーが仕事を辞めて帰る日に合わせて、ジェインは女中と二人で家を掃除して家具を加える。彼女らが戻ってきて喜ぶ。ここが好き。

貧しさが極まった人たちに思わぬ援助や遺産が舞い降りる。現実にないから憧れる。読んでいるだけで幸せになれる魔術のような本がここにある。
(「小公女」 吉田勝江訳 岩波少年文庫 / 「ジェイン・エア」 吉田健一訳 集英社文庫)

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