メイン

映像・映画 アーカイブ

2003年12月20日

クリスマスの映画「三十四丁目の奇蹟」をテレビで見た

はじめてこの映画を見たときは子どもだった。それ以来である。何度もテレビでやっていたし、最近再映画化もされているが、ずーっと見ようとは思わなかった。クリスマスの善意ドラマと記憶していてそれがアホらしいと思っていた。
今朝、番組表で主演のモーリン・オハラと子役のナタリー・ウッドの名前を見てびっくりした。彼女らが出ていたことを全然覚えていなかった。えーっ、見なきゃ!
モーリン・オハラはジョン・フォードの作品にジョン・ウェインと出ていることが多く、アイルランド系で気の強い女性役がよく似合う女優で大好きだ。「静かなる男」のアイルランド娘良かったなぁ。
ナタリー・ウッドは子役だったことは知っていたが、こんなにおしゃまな役をうまくこなしているとは! 大きくなってから「理由なき抵抗」でジェームズ・ディーンと、「ウエスト・サイド物語」でジョージ・チャキリスと、「草原の輝き」でウォーレン・ビーティと共演したのは見ている。このころがいちばん輝いていたと思う。
モーリン・オハラはニューヨークのメーシー百貨店で働いていて、折しもクリスマスのパレードの人員点検をしている。サンタクロースが酔っぱらっているところに、サンタ風のヒゲを生やした老人(エドマンド・グウェン)が言葉をかけ代わってサンタになる。
モーリン・オハラの娘がナタリー・ウッドで、母親から徹底的に合理的教育を受けたこまっしゃくれた娘である。この3人の配役だけでもすごい。そこにジョン・ペインが同じアパートに住む弁護士役で登場して、完璧なストーリーになっている。

2004年01月28日

恋のドラマ「マンハッタンの哀愁」

エッセイページに昔書いた映画についての文章を載せているのだけれど、そのタイトルが「恋のドラマに酔いしれる」。こういうのを恥ずかしげもなくというのかも(笑)。
「マンハッタンの哀愁」は1965年製作のフランス映画でマルセル・カルネ監督。当時もそんなに評判にならなかったし、批評家たちは駄作と言っていた。それを見に行って2回続けて見て、何日か後にまた見に行って2回続けて見た。わたしにとっては、素晴らしい恋の映画だった。わたしがもう一度見たいと騒いでいたのを覚えていた知り合いが、数年前にBS放送でやったのをビデオに録ってくれたときはうれしかった。
モーリス・ロネはフランスの映画俳優だが、妻に去られてアメリカに来たものの、ハリウッドで失敗し、ニューヨークでテレビドラマの仕事をしようとしている。アニー・ジラルドは元伯爵夫人だが、ジゴロと駆け落ちして、いまはニューヨークでうらぶれている。深夜のバーで二人は出会い、離れられなくなるというストーリー。
このビデオをもらったときは、一生大切に持っていようと思っていたのだが、今日は冷静に見てしまい「もう見いへんなぁ、ほかそかなぁ」とつぶやいてしまった。さて、どないしょ。
それと40年近く前に見たときは音楽に気がついていなかったんじゃないかしら。ビデオのときは気がついたと思うんだけど忘れていた。何度も繰り返されるテーマ曲がマル・ウォルドロンの「レフト・アローン」なのね。わたしが「レフト・アローン」のLPレコードを買ったのは、1970年代だったかしら。何度でも聴いた曲のナンバー20くらいではなかろうか。あんまり流行ったのでいつの間にか聴かなくなってしまったが。それが40年近く前の恋のドラマに流れていたなんておどろきだ。マル・ウォルドロンはずっとパリで暮らしたジャズミュージシャンで数年前に亡くなった。

2004年01月31日

テレックスというものがあった─テレビの映画「未来は今」

ティム・ロビンスとポール・ニューマンという顔ぶれなので深夜映画をビデオに録っておいた。だれの映画か知らないで見たのだけれど、コーエン兄弟の映画だったんですね。いやらしくおもしろかったはずだ。ティム・ロビンスは「さよならゲーム」でおつむの弱いピッチャー役で出ていたときは、いまのようになるなんて思いもよらなかった。この「未来は今」(1994)でも、同じような感じで出ている。その間に出ている6本の映画を見ていないのでわからないが、最近のように渋くなったのはいつごろかしらと思ったら、同じ1994年に「ショーシャンクの空」があるのだ。これはすぐに見に行ってビデオでもテレビでも見たが、渋い上にすごい演技だったよね。
さて、この映画ではティム・ロビンスが社長室にいると、続々と細い紙に印字されたものが流れ出てくる。あれはテレックスやんか、と昔を思い出した。ファックスが普及する前のこと、30数年前の半年ほどだけど、わたしが最後に働いた会社にあった(それ以来自営業で今日に至る)。そのときテレックスをはじめて見たもので、取り扱いがこわかったものだ。いちばんの得意先の専用で、注文が細い紙に印字されて出てくるようになっていた。注文は少量を小刻みで、こちら側はすぐに倉庫から出して指定された工場へ納品していたようだ。看板方式みたいなもんだったのね。
ソロバンから電卓へそしてコンピュータへ。テレックスが新しかった時代があったのに、すぐにファックスからメールへと進んでいく。めまぐるしい時代を生きてきたのだなぁ。

2004年03月06日

フレッド・アステアの「足ながおじさん」

サンテレビでやっていたので、また「足ながおじさん」(1955)を見てしまった。フランスのバレリーナ、レスリー・キャロンをヒロインのジュディにしようと、出身をフランスの孤児院にして、アステアは仕事でパリに行って偶然の出会いという設定になっている。彼の匿名の援助でアメリカの女子大の寮に入ったジュディは、毎月おじさんに手紙を書くよう言われているが、秘書が読むだけである。でも健気に“ジョン・スミス=足ながおじさん”に手紙をたくさん書く。
2年間に溜まった手紙を秘書と執事に読まされたアステアは、興味を持って大学のパーティに行き、ジュディといっしょに踊り、夢中になってしまう。喜劇的なシーンも数々あってハッピーエンド。
わたしはフレッド・アステアのダンスに一時夢中になっていた。ジンジャー・ロジャースとコンビのRKO時代の作品が特に好きで、レーザーデスクでたいてい揃っている。パソコンが日常化するまではレーザーデスクが日常だった時代の話である。アステアのダンスの相手として、ジンジャー・ロジャースの次に好きなのがシド・チャリシーで、特に「バンドワゴン」(1953)の中の「ガールハントバレエ」は何度見ても素敵だ。いままで何回か「足ながおじさん」を見ているのに、覚えていなかったが、「ガールハントバレエ」と装置も衣装もほとんど同じ踊りがあったのにはびっくりした。「バンドワゴン」そしてシド・チャリシーのほうがずっといい。レスリー・キャロンは可愛くてハードボイルドな役は似合わない。アステアとしっとり踊るところも、ジンジャー・ロジャースを思わせるところがあったが優雅さに欠ける。でもジュディの若さと愛らしさはよく出ていた。なんて書いているけど、50年も前の映画なんですね。

2004年03月11日

馬が出てこなくっちゃ

美しい風景の中に馬がいるとってもきれいなハガキがとどいた。なんと、知り合いが乗馬をはじめたことを知らせるハガキであった。考えられへんことをやりはる、というのがまずわたしの第一印象であった。でも、カッコイイ。うらやましいという気持ちを越えてしまっている。
わたしだって馬は好きなんである。映画に出てくる馬なら(笑)。
別に気にしてはいなかったのだけれど、ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズを読んでいてわかった。スペンサーは西部劇が好きである。それも馬が走らなきゃいけない。そこを読んでわたしもわかったのだ。映画には“馬が出てこなくっちゃ”おもしろくないってことが…。
白馬の騎士のような「ペイルライダー」のクリント・イーストウッド、別れの姿が美しい「シェーン」のアラン・ラッド、「赤い河」のモンゴメリー・クリフトとジョン・ウエインの男伊達。「モンタナの風に抱かれて」は西部劇でなかったけど、馬を愛する伝説のカウボーイになったロバート・レッドフォードがよかったなぁ。

2004年06月20日

1968年東映映画「緋牡丹博徒」

テレビの深夜映画でやったのを録画して見た。この映画は当時の封切りで見ていなかったし、ビデオでもテレビでも見たことがなかったので大収穫であった。1960年代後半から70年代前半にかけて、わたしは東映ヤクザ映画をたくさん見た。なかでも感動したのは「日本暴力団・組長」(1969)で、滅びゆく正統的ヤクザの典型を演じた鶴田浩二にいかれてしまった。当時はどちらかというとこのタイプの、リアリズムという感じの戦後ものが好みだった。もう少しあとになって様式美の「昭和残侠伝」がよくなった。「緋牡丹博徒」を見だしたのも後になるので、シリーズ全8作の後半は見たのだけれど、第1作は見ていなかった。
映画とジャズに夢中な時代で、ヤクザ映画だけでなく、アートシアター系・・・ベイルマンとかブニュエルなんかを眉に皺をよせて見ていたものだ。映画の古典ドイツ表現主義の上映会も追いかけて見ていた。つまりバリバリの映画少女(笑)だった。そしてジャズのライブに行ったり、ジャズ喫茶で長居したりと、仕事はしていたけれども、遊ぶのが忙しかった。いまもたいして変わらんけど・・・。
そんな頃を思い出しながら見た「緋牡丹博徒」は山下耕作監督である。わたしはどっちかというと、加藤泰や鈴木清順よりも山下耕作のほうが好き。きちんとした演出で、けっこう複雑なストーリーが展開される。藤純子の比類なき完璧な美貌がすごい。高倉健のストイックな美しさ、若山富三郎のユーモア、待田京介の愛らしさ、清川虹子のいさぎよさ、みんなよかった。
藤純子の緋牡丹のお竜が、悪いほうのヤクザの親分に「酌をしろ」ととっくりを渡されたのを受け取って、「あたしは酌というものはしたことがなかばい」と親分の顔に酒をぶっかけたときのカッコよさにしびれた。清川虹子もまた大阪堂島の女親分で貫禄十分な上に、情のあるいい女をしっかりと演じていた。

2004年08月16日

「冬のソナタ」はあと1回で終わり

14日(土曜日)の夜中2時から放映された「冬のソナタ」を、明日の朝は早く起きたかったのに、最後まで見てしまった。もう腐れ縁というか、抜かしてならじという気持ちである。もともとメロドラマが好きなんだからしょうがない。1回目だけを見ていなくて2回目からみんな見ている。わたしが「冬ソナずっと見ているでー」と言うと、「ええーっ」と驚かれるんだけどね。
なにがよくて毎週20回も続けて見ているのかと言うと、やっぱり“愛している”という気持ちが、どーんと中心に据えられているからだと思う。そして、ユジンが一直線に“愛している”からこその行動をとっているところに共感する。ドラマの始めのほうで、サンヒョクにチュンサンのことを悪く言われて、「わたしが彼を愛しているの」とはっきりと言い切ったときに、そうでなくっちゃと拍手した。それ以来ファンと公言している。どっちかと言うとユジンファンです。
15回目くらいになると、先が見えているし、引き延ばしているなぁと思えてくるが、愛し合う二人が悩む顔が美しいので、テレビを切るところまでいかなかった。
今週で最後である。二人はきょうだいでないと判明したのだから、再びというか、三たびと言うか。くっつくわけね。しっかりとハッピーエンドの王道を見せてもらわなくっちゃ。
さっき「東京湾景」にサンヒョク役のパク・ヨンハが出ていた。「冬のソナタ」よりずっと若々しくてインテリに見えた。

2004年08月24日

「冬のソナタ」が終わった

結局2回目から全部見てしまった。中だるみはあったがいやにはならずけっこう楽しんでいた。家族で見ている友人が、子どもたちがちゃちゃを入れるので、ゆっくり見ていられないとぼやいていたが、わが家でもなんだかだと言いながら楽しんで見ていた。聞いてみれば、みんな同じことを言うているんやね。(1)マフラーの巻きかたがカッコいい。(2)部屋の中でもコートを着ているのはなんでや。
最後の回はよく考えた結末だったと思う。ハッピーエンドなんだけれど、ひとひねりしてあった。すべてに恵まれていたチュンサンが事故の後遺症で盲目になるということで、ユジンと別れる決心をする。かたやサンヒョクがあくまでもユジンを自分のものにしようとしていたのを、最後に諦める。それならユジンはチュンサンを追ってニューヨークに行くのかと思ったら、パリへ勉強に行ってしまう。どうなってるねん、と思って時計を見たらまだ時間がある(あら、けっこうはまっていたんだ)。
そしたらいっきょに3年後になって、サンヒョクとユジンが子どもを連れているので、えっとなったら、友人の子どもだった(やれやれ)。この一組だけはストレートに結ばれていたのね。
ユジンは前の職場に復帰している。そこへ会社の人が雑誌を持ってきて、ユジンが昔設計した家が載っていると言う。その家こそチュンサンが建てた家である。ということで、ユジンはきっとあそこだと確信して行く。家は留守だったけど、上がって壁にかけられた絵でチュンサンの住まいであることを確信する。そこへ忘れ物した彼が戻ってきて・・・
メロドラマの王道を行きながら、女性の生き方もちゃんと今風。よくできている。

2004年08月26日

ビデオの映画「デブラ・ウィンガーを探して」

この映画を見たいとずっと思ってきたが、ようやくビデオで見ることができた。よかったと言う人と、たいしたことはないと言う人と二つに分かれているようだが、わたしはよかったほうです。
「グラン・ブルー」でジャック・マイヨール(ジャン・マルク=バール、この映画では撮影を担当)の恋人をやったロザンナ・アークエットは一風変わっていてとても魅力があった。
この映画の最初のシーンは、4歳のとき母に連れられて見たイギリスのバレエ映画「赤い靴」。モイラ・シャーラーが演じたバレリーナは、踊ることが人生だったのに、愛する夫に仕事を辞めて家庭に入るよう迫られ、迷いに迷ったあげく、列車に身を投げて死んでしまう。
この映画のショックをずっと引きずってきたロザンナ・アークエットは、自分が40代になり子どもを持ったいま、“生活と自己表現は両立するか”ということを考えあぐね、引退してしまったデブラ・ウィンガーに話を聞いてみたいと思う。そしてデブラ・ウィンガーに会うまでに、たくさんの女優から話を聞く。
わたしの記憶に残ったのは、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、シャーロット・ランプリング、ウービー・ゴールドバーグの50代を超えた女優。そして好きな女優のロビン・ライト・ペン、メラニー・グリフィス、メグ・ライアン。なつかしかったのは昔青春ものに出ていたアリー・シーディ。あらっと思ったのが「ER」でキャロルをやっていたジュリアナ・マーグリーズ。
最後にデブラ・ウィンガーと会って話し合うのだが、庭の外をアムトラックが走っているのが見えると、私たちは列車に飛び込まないと笑って言い合う。うまく「赤い靴」で締めくくった。
たくさんの女優たちはそれぞれに美しく緊張して話し続ける。女優でなくなったジェーン・フォンダとデブラ・ウィンガーは美しくて落ち着いていて、いい話をしていたが緊張がないのだ。女優という仕事をしている女たちが映画の中で輝いていたのは、女優として人生を語る演技をしていたからだろう。引退した二人は、女優という仕事が輝いているものだと反対に教えてくれた。

2004年08月27日

レーザーディスクで「シェルタリング・スカイ」

いまどきレーザーディスクというと、それなんですかと聞かれそうである。「デブラ・ウィンガーを探して」を見たものだから思い出して、デブラ・ウィンガー主演の「シェルタリング・スカイ」を見ようとレーザーディスクを出してきた。マシンはいまのが2台目で、はじまったら最後までいくが、1台目は途中で裏表ひっくり返して見るようになっていた。このマシンが動かなくなったらおしまいで、在庫のソフトは捨てるしかないのかな。映画を自宅で見られるようになったうれしさで、どれだけのお金を使ったか考えたら涙が出そう。
さて、この映画、実はわたしは映画館で見たきりで、レーザーディスクがあっても相方専用であった。好きなベルトルッチ監督といえども、わたしはどうにもいやで二度と見る気が起きなかった。でもかなり年月が経って、どんな映画かもさだかでなくなっているし、見てみようかなというところである。
ジョン・マルコヴィッチとデブラ・ウィンガーのアメリカ人夫婦は、第2次世界大戦が終わって間もない1947年、ニューヨークから北アフリカにやってくる。妻を慕う若者も同行している。妻の不倫と夫の現地の買春がいやらしくも美しく画面に描かれている。そういうことの後に、自転車でひたすら延びる道を走る2人の微妙な夫婦愛にほっとするのだが、2人はそれからもっと砂漠の奥へ旅するのだ。ジョン・マルコヴィッチはとてもいやらしい男を演じることに成功している。デブラ・ウィンガーの虚無にも気をそそられる。でも年月を隔てて2回見て、これは女にはわからん映画だということがわかった。

2004年09月01日

ビデオの映画「デュラス 愛の最終章」

マルグリット・デュラスが81歳で亡くなるまでの16年間をいっしょに暮らした、若い愛人ヤン・アンドレアの存在は新聞や雑誌で読んで知っていた。どんな人なのか、よく知りたい気持ちはあったが、デュラスの本を熱愛した時期が終わっていたこともあってためらいがあった。先日ようやくビデオで「デュラス 愛の最終章」を見て気持ちが落ち着いた。ヤンはとても素敵な人だった。そしたらヤンが書いた本「デュラス、あなたは僕を(本当に)愛していたのですか。」を無性に読みたくなった。この本については先に書いてしまった(8月18日)が、映画のことは涼しくなってから書こうとおいてあった。
「デュラス 愛の最終章」(2001)は、監督ジョゼ・ダヤン、製作総指揮クリスティーヌ・ゴズラン、脚本ジョゼ・ダヤン/ジル・トーラン、撮影カロリーヌ・シャンプティエと女性の名前が多い。彼女らがジャンヌ・モローを中心にして創りあげた美しい映画である。
ジャンヌ・モローはデュラスになりきっていた。写真のデュラスの顔とそっくりだが、そんな些末なことでなく、大作家の誇りと不安に充ちた生活を全身で表現していた。表情も声もデュラスだった。5年間手紙を書き続けてきたヤンに会いに来るように言ったデュラスと、やってきたヤンの出合い。外に出たとき、ちょっと電話すると言ったヤンは相手にアパートを処分してくれと伝える。そしてそのまま二人の愛の生活がはじまる。ヤンはデュラスの口述をタイプし、生活に心を配る。それでもひどいケンカがあり家出があり、でも戻っていっしょに暮らす。いっしょに飲み歌いダンスをする。そしてデュラスは作品を仕上げる。
ヤン自身もすごくいい男だが、ヤンを演じるエーメリック・ドゥマリニーもとても美声年でよかった。ジャンヌ・モローに愛され愛する存在感はたいしたものだ。カフェでヤンがデュークボックスをかけデュラスを誘い踊るときのよかったこと!

2004年09月03日

小林旭の美しさにため息がでた—「関東無宿」

鈴木清順監督の1963年の日活映画。小林旭のむちゃくちゃ奇麗な顔にため息が出た。凛々しい眉に清純な目、頬を横一文字にはしる刀傷、たくましいからだ。すっきりとした着物の着こなし。ヤクザ映画はたくさん見たが、鶴田浩二にも健さんにも池部良にも菅原文太にもない美しさだ。
タイトルに平林たい子原作「地底の歌」とあるのでびっくりした。子どもの頃に家にあった「婦人公論」で、なんだかよく理解できないえげつない小説を読んだ覚えがある。それ以来読んでいないけれど、この感想は失礼なのでなにか読まんとあかんな。
この映画は今日はじめて見た。封切り当時は友人の親が日活の株を持っていて株主招待券をくれたので、女の子2人でよく見に行ったのだが、わたしは小林旭が好きで、裕次郎を見たいという友人を引っ張って、「銀座旋風児」シリーズと「渡り鳥」シリーズに通ったものである。だけど基本的に洋画好きと言っていたので、この映画館通いは見栄でナイショにしていた。せこー。
鈴木清順がすごいということはなんにも知らなかった。シリーズ物でないしヤクザ物だったから行かなかったのだと思う。ヤクザ映画に目覚めたのはずっと後で68年頃に東映映画をむさぼり見たものである。それよりずーっと後に、鈴木清順が超有名になってからのアートっぽい映画を見たが、あれらはわたしにはええとはぜーんぜん思われへんかった。
だけど「関東無宿」はすごい映画だ。小林旭扮する主人公が古風なヤクザ道を通していこうとする生き方は、親分の現実主語とぶつかる。好きな女は女博徒で“おかる”といういかさま賭博をやるヤクザの女房である。最近台頭してきた組との抗争がある。ヤクザが好きと言って売り飛ばされる女学生花子がいる。日本家屋の陰影が画面に陰惨な美しさを出している。暗さが美しい。最後に斬り込んで二人を刀で殺し、一人を拳銃で殺して警察に自首するが、それだけやったことが無駄だったと警察で知るところが哀れ。でも自分は自分の思うようにやったからいいのだという気高い男なのである。鈴木清順ってすごい。小林旭もすごい。取り巻く役者たちもすごい。地底から聞こえるような浪花節のようなうなり声がすごかった。もう〜べた褒めです。

2004年09月21日

「攻殻機動隊」をビデオで見た

押井守監督の作品「MAROKO 麿子」をはじめて見て、そのセンスに好意を持ってしまった。毛嫌いしていたアニメだけど見たらおもしろい。そこへ「イノセンス」がものすごくいいらしいと、ネットでの評判をちらっと相方が言うんだよね。「イノセンス」というかっこいいタイトルに惹かれ、その手に乗ってアマゾンへDVDを注文した。届いたのですぐに見ようとしたら、これは「攻殻機動隊」の続きやから先にきちんと「攻殻機動隊」を見とかな話が通じへんで、とのことでビデオで見ることになった。なんか話が勝手に進んでいくやん。
それで「攻殻機動隊」のビデオのほうを昨日の夜じっくりと見たんだけど、よかったのでびっくりした。いままで食わず嫌いでごめんなさい。画面がすごくきれい。ちょっと「ブレードランナー」を思い起こさせる国籍不明なアジア的風景のところもあるし、ロスアンゼルスみたいな感じのところもある。主人公のバトーはなぜか、わたしにはフィリップ・マーローに似ていると思えた。ちょっと感傷的なところがある。またよく考えればハードボイルド警察小説でもある。
というところまでは、わたしのわかる範囲。ほんとはネット社会や情報というのがメインのテーマなのだが、そのへんのことは一度見ただけでは理解できなかった。漠然と感心しただけである。これから何度でも見てわかってやるぞ。士郎正宗の「攻殻機動隊」も読むぞ。
女主人公の“少佐”と呼ばれている草薙素子は義体(サイボーグ)なんだよね。最後の壮絶な闘いと、その後の合体(?)みないなことやら、次に期待を抱かせて終わった。「イノセンス」が楽しみ。

2004年09月27日

DVDで押井守監督「イノセンス」

先日「攻殻機動隊」をビデオで先に見たので「イノセンス」の世界にすぐ入っていけた。「攻殻機動隊」の続きで、押井守の脚本・監督である。
2032年、人間とサイボーグが共存する世界。「攻殻機動隊」で活躍した政府直属の公安九課の刑事バトー(強くて心優しきサイボーグ)とトグサ(妻子のいる人間)は、ロクス・ソルス社製の愛玩用少女ロボットが暴走して起こした殺人事件の捜査を担当することになる。いっしょに捜査に行くがバトーは問答無用で銃を撃ちまくる。まるでクリント・イーストウッドのハリー・キャラハン刑事である。バトーが家に帰ると愛犬が迎える。このあたりは「リーサル・ウエポン」を思い出す。しかし画面は美しくシュールで、ハンス・ベルメールやルネ・マグリットやダリを思い起こさす。ロクス・ソルス社の建物に入っていくときの美しい画面は「去年マリエンバードで」を思い出させる。
草薙素子はネットワークの中に意識があるだけの存在だが、バトーの危機のときには意識で援護する。人形の中に入って裸形で出てきたとき、バトーが上着を着せかけると「あなたって変わらないのね」と言うのがおかしい。
捜査中に出会った検死官ハラウェイは、パトリシア・コーンウェルの検屍官を思い出させるクールな女性でかっこいい。この人もサイボーグであるが、今回の人間と人形の事件について意見を述べる。見ているときは、なるほどと思ったのだが忘れてしまった。もう一度見ないと・・・。
もうもう、すごいセリフがいっぱいで、一度見たぐらいじゃわかりゃしません。画面はあくまでも美しく、バトーとトグサのコンビは楽しいが・・・。最後のシーンは笑ったが、人形の瞳は謎を秘めていた。

2004年10月08日

テレビで青春ドラマを2本

「g : mt グリニッジ・ミーン・タイム」(1999)はイギリスの青春ドラマ。4人の仲間の高校卒業の4年後を描く。父親の遺産を相続した青年はプロデューサーとなって、友人たちのバンドを成功させようと奔走する。売り出すにはボーカルがいると言われて妥協するが、天才的なトランぺッターは去って行き、麻薬の売人になってしまう。カメラマン志望の青年はオートバイ事故で脊椎をやられる。一人バンドに残った青年はボーカルの女性といっしょに音楽をやっていく。悲惨な運命が待ち受けていたわけだが、前向きであろうとする気持ちのほうが強く訴えかける映画。
「タップ・ドッグス」(2000)はオーストラリア/アメリカ映画。シドニーオリンピック入場式のとき、すごく精力的なタップダンスがあって驚いたものだが、この映画はそのタップグループ「ブーツメン」の誕生物語である。鉄鋼の町に育ったショーンは鉄鋼労働者になるのを嫌い、父の反対を押し切ってタップダンサーになろうとしている。兄はトラックを買って自営業者になろうとして、車を盗み部品を売ってお金を貯めている。兄が喧嘩で死んで一時は踊ることから逃げるが、工場が閉鎖されるとき、ショーンは労働者のためにとタップダンスショーを工場跡で公演することにする。タップシューズは労働者の安全靴に金具を補強したもの。グラインダーの火花が散る鉄板の上で蹴り跳ぶ。迫力あり。
2本ともできてから4〜5年経っているけれど、新しい映画を見ていないわたしには新しい映画だった。2〜3年映画から遠ざかっていたので、これからは映画館までは行けないけど、せっかくのテレビ映画は見るようにしよう。

2004年11月18日

クリント・イーストウッドの「ピアノ・ブルース」

アメリカでブルースが誕生して100年目になる2003年に、マーティン・スコセッシが製作総指揮し「THE BLUES Movie Project」として7作品が、それぞれの監督によってつくられた。他の6作品は映画館で上映されたが、クリント・イーストウッド監督の「ピアノ・ブルース」だけはテレビのみということである。運良くビデオで見ることができた。
イーストウッドとレイ・チャールズがピアノの前に並んで座っているところからはじまる。イーストウッドは白のポロシャツにチノパンでスニーカー、何度も洗濯した服と履き古した靴を身につけた姿がすがすがしい。二人のブルースへの気持ちを語るところからはじまって、話題に出たミュージシャンが画面に出る。古い貴重なフィルムが現れる。
インタビューの相手、そしてイーストウッドのスタジオで演奏したのは、レイ・チャールズ、デイブ・ブルーベック、ドクター・ジョー・モートン、マーシャ・ポール、パイントップ・パーキンス、ジェイ・マクシャー、ピート・ジョリー。
フィルムで紹介されたミュージシャンは、デューク・エリントン、ビッグ・ジョー・ターナー、ジェイ・マクシャン、チャールス・ブラウン、アート・テイタム、オスカー・ピーターソン、ナット・キング・コール、ファッツ・ドミノ、オーティス・スパン、フェイマス・ニュートン・ジュニア、カウント・ベイシー、セロニアス・モンク、パイントップ・パーキンス、アンドレ・プレヴィン。
ブルースをはじめて聴いたときのこと、だれに最初の手ほどきをしてもらったか、ブルースとジャズのこと、誰の演奏が良いかなど、それぞれと愛をこめて語り合う。イーストウッドの眼差しの優しさ、はにかむような口もと。ほんとうにブルースを愛しているからこその柔らかい表情に感動した。
もちろん、ブルース! なんでこんなにこころも体も熱くなるのだろう。

2004年11月20日

シエナの蜂蜜 ベルナルド・ベルトルッチ「魅せられて」

17日に蜂蜜の話を書いたのだが、このページを愛読してくださっているというSさんから、おいしい蜂蜜についてのメールをいただいた。
この春旅行したシチリアでビスタチオの蜂蜜に出会ってから、蜂蜜に興味を持たれたそうである。そして最近のヒットはソバの蜂蜜で黒パンにつけて食べるとおいしいんだって。
さきに蜂蜜の話をしてくださったMさんは、ラベンダーのハチミツ、ウイスコンシン州の野草(ワイルドフラワー)のハチミツ、都内で唯一の養蜂専門店の桜の花みつ(皇居・千鳥が淵の桜の花から採取さらたみつが多いんだそう)をオートミールにかけた朝ご飯なんだって。
わーお、お二人ともおっしゃれやなぁ。わたしも蜂蜜に凝ろうかなぁ。とりあえず「ポラン」でマヌカ蜜でも買ってみるか。
それで思い出したんだけど、ベルトルッチ監督の「魅せられて」はイタリアのトスカーナにあるシエナが舞台だったように覚えているが、田園地帯にある彫刻家の家でミツバチを飼っていた。最後のほうでヒロインのリブ・タイラーが刺されて、そばにいた青年が池に連れて行き、刺された箇所に泥を塗ってやるところがあった。すごくエロチック&ロマンチックだった。

2004年12月04日

ジョージ・クルーニー初監督作品「コンフェッション」

さっき、テレビでジョージ・クルーニー初監督作品「コンフェッション」を見た。一昨年の作品で当時はずいぶん話題になっていたのだろうが、すっかり忘れてしまっていた。放映前の解説で、クルーニーは脇役でジュリア・ロバーツが出るとか、ブラピがちょっと出るとか言っていたので、それなりに期待したが、期待以上におもしろかった。スタイリッシュな映画と言っていいかな。ジョージ・クルーニーいい感覚している。70年代アメリカのテレビ業界で、超有名な人気者のプロデューサー兼司会者のチャック・バリスの自伝を映画化したもの。
チャック(サム・ロックウェル)は60年代にテレビに目をつけ、テレビ局に番組の企画を売り込むが、下劣すぎると言われて、なかなか採用されない。バーで喧嘩をして憂さを晴らしている彼に目をつけた男(ジョージ・クルーニー)が声をかける。CIAの工作員になれと言い、有無を言わさず殺人の特殊教育を受けさせ、そこを出ると暗殺の旅に行かせる。最初の旅はメキシコシティ。テレビの視聴者参加番組で成功した彼は、テレビ局と殺し屋の二重生活をすることになる。1970年に西ベルリンで捕まってしまうが、KGBの諜報員とトレードされ戻ることができた。
ジュリア・ロバーツが女殺し屋でオシャレに極めていた。なつかしや、ルトガー・ハウアーがやっぱり不気味な役で出ていた。太りはったなぁ。「ヒッチャー」の怖かったこと!見た夜は怖くて眠れなかったっけ。製作総指揮のスティーブン・ソダーバーグは最初の監督作品「セックスと嘘とビデオテープ」が好きで何度も見たっけ。「エリン・ブロコビッチ」もよかった。

2004年12月23日

文学少女の生き方「めぐりあう時間たち」

ヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」を主題に、三人の女性の生き方を描いたマイケル・カニンガムの「 The Hours 」(映画の原題も)の映画化である。もちろんテレビで見たのだけれど、すごくよかったし考えさせられることがたくさんあった。
ヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)が夫に遺書を残して入水自殺をするシーンからはじまる。そして次は1951年のロサンゼルスの主婦ローラ(ジュリアン・ムーア)が「ダロウェイ夫人」」を読んでいる。子どもが一人おり、もう一人を身ごもっている。第二次大戦からもどった夫は妻をいたわっているが、妻の孤独感は深まるばかり。そして現代のニューヨーク。クラリッサ(メリル・ストリープ)は出版社で編集の仕事をしており、サリーという女性と人口受精して産んだ娘と暮らしている。この日、クラリッサの昔の恋人で、ずっと世話をしているゲイでエイズにかかっている詩人・作家のリチャード(エド・ハリス)が文学賞をもらったので、パーティを開こうとしている。リチャードはクラリッサをミセス・ダロウェイと呼んでいる。
この生きている時代が違う三人の行動が一致するとき映画のシーンが切り変わる。ヴァージニアは訪ねて来た姉に長いキスをし、ローラも訪ねてきた友人に度を超えたキスをする。そしてクラリッサはサリーと愛のキスをする。ヴァージニア・ウルフは男性と結婚していたがレズビアンでもあった。そのことをふまえているわけだ。
わたしはこの映画のいちばんのテーマは“文学少女の生き方”だと思う。ヴァージニアは執筆にかかると自分と作品の登場人物と二つの人生を生きることになる。そのために主婦の役目がこなせず女中を怖がっている。ローラは二人目の子どもを産んだあとすべてを捨てて家を出た。クラリッサの住まいに登場した老年のローラは「ほかに方法がなかった。あの暮らしは死だった。私は生を選んだ」と言う。クラリッサの場合は彼女ではなくリチャードが文学少女なのであった。
音楽がとてもよかったので、最後のタイトルに目を凝らしていたらフィリップ・グラスだった。

2004年12月31日

「細雪」の映画

ここのところ毎日「細雪」のことを書いている。読み出したら引きずりこまれて、今日は忙しいのに最後までいってしまった。この前に読んだと思っていたが震災前だった。震災から10年経ったから10年以上読んでいなかったことになる。
覚えていると思っていたが、それは映画を見たからだろうか。市川崑監督の「細雪」(1983)では、四人姉妹はたしか幸子に佐久間良子がなっていたと思うがあとは覚えていない。そこへ吉永小百合が雪子だったとSさんがメールで教えてくださった。Sさんも吉永は健康的過ぎたと書いてはったが、わたしも雪子を演る柄ではないと思う。船場のいとはんで、洋画が好きで白葡萄酒をたしなむ雪子と全然違う人やった。そう言えば貞之助を演っていた石坂浩二もへんやった。「細雪」のパロディみたいな映画やったなぁ。絢爛たる桜ではじまるところだけがよかったけど。この時代に「細雪」を映画化したらこうなるのか。
子どものときに見た白黒映画はよかった。花井蘭子の鶴子、轟夕紀子の幸子、山根壽子の雪子、高峰秀子の妙子、と覚えているところが我ながらすごい。それでちょっと調べたら、1950年製作で監督が阿部豊で脚本が八住利雄だった。「細雪」に書かれているのは、太平洋戦争前の戦争の足音が聞こえる時代である。ひとときの平和な良き時代を生きる四姉妹の姿が華やぐ。それから日本は戦争に突入し敗北した。その数年後に製作された映画だから、滅びゆく階級への感傷のようなものがあった。大阪船場の黒光りした家に別れを告げる花井蘭子の鶴子の古風な物腰、華やかな芦屋マダムの轟夕紀子の幸子、山根壽子の雪子は地味だが存在感があった。高峰秀子の妙子が生き生きしていたのは、製作された戦後の時代を象徴していたからだろう。
雪子の絢爛たる花嫁衣装が飾られた部屋へ、妙子はひっそりとバーテンの三好のところへ持って行く荷物を引き取りに行く。しかし、雪子のそれからの暮らしが順風満帆ではないのを観客は知っている。そういうことを踏まえた脚本だったのが子どもの心にも感動を与えたのだろう。

2005年01月05日

寒いので家でビデオ「まぼろし」

一仕事片付いたので夜出かけるつもりだったが、天気予報で今夜は寒くなると言ったのでやめにして家でゆっくりすることになった。年寄りっぽいな。昨日のおでんに具を足して食べて、だいぶ前に録ってあったビデオ「まぼろし」を見た。
才気あふれるフランソワ・オゾンの脚本監督作品。シャーロット・ランプリングが海で亡くなった夫のまぼろしを追う女性マリーを、圧倒的な美しさと演技で魅せる。彼女ほどの女優を使いこなすオゾン監督の腕のすごさに感心。フランスのインテリ階層の生活やインテリアやファッションも羨ましく見た。マリーは大学の教師をしていて、教室でヴァージニア・ウルフの「波」を朗読している。そして新しく紹介されてインテリ男に、ウルフが夫に宛てた最後の手紙を暗唱してみせる。「波」と川へ入り自殺したウルフと、海でいなくなった夫が重なりあう。(またヴァージニア・ウルフに出会ってしまった。)
また、マリーと夫の母との会話のすさまじさに、たじたじとなった自分を笑ってしまった。日本の嫁姑ならもっと表面は同情し合うふりをして、陰にこもった会話になるところだ。
シャーロット・ランプリングの映画は1969年の「地獄に堕ちた勇者ども」から見ているが、年齢を重ねた美しさがひかり輝いていてうれしいかぎり。「さらば愛しき人よ」「美しさと哀しみと」をまた見たくなった。

2005年03月24日

「高慢と偏見」のDVD

何日もかかってようやく「高慢と偏見」のDVDを見終わった。おまけのメイキングとコリン・ファースのインタビューも見た。最初は数年前にテレビ放映をビデオに録ったものを見せてもらい、その次はテレビ放映されたのを見たのだった。そのときはわが家のビデオは録画するところが壊れていたので、見たっきりになっていた。先日「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだときに「聖杯」という言葉を調べていてイギリス映画のところを読んでいたら、コリン・ファースがあった。なつかしいなと見ていたら、もう2年も前に「高慢と偏見」のDVDが出ているではありませんか。また調べたら22%引き(8026円)というのがあったので買ってしまった。
元は1995年にテレビ放映(BBC)されたもので、放映時間中はマジで通りから人が消えたと、そのときイギリスに滞在していた人が書いている。ほんとによくできた作品で、何十回も原作を読んでいるわたしだって飽きないで見られるのである。そしてハッピーエンドに決まっているのに、ダーシーさんとエリザベスの間がきしむと心配してどきどきしてしまうのである。コリン・ファースはインタビューの中で、エリザベスは最初からダーシーが気になっていたと言っている。ダーシーもそうだけど、気になっているから相手を無視できないのよね。ははは、なにを言うているやら(笑)。
今回すごく勉強になったのは、資本主義の基礎になっていくイギリスの階級社会と考えかた。お金がものを言い、契約というものがある。娘の持参金があっけらかんと人の口に出る。いまライブドアの堀江さんのことをマネーゲームとか金でなんでも買う気だとか言ってる人がいるが、資本主義の制度に則った行為に対して、封建時代のような道徳的批判をしているのがおかしい。お金を無視した風を装ったり軽んじたらいけないと、大恋愛ドラマを見ながら考えた。ま、わたしはお金を持っていないから言うても軽いが(笑)。

2005年04月21日

あこがれだったデルフィーヌ・セイリグ

たまっているビデオを見てしまおうとフランソワ・トリュフォー監督の「夜霧の恋人たち」(1968)を出した。見てから処分しようと思ったのだが、やっぱりいいんで保存版である。この映画はジャン・ピエール・レオが主演するアントワーヌ・ドワネルシリーズの3作目。ドジだが憎めない若者アントワーヌは志願した兵役をクビになって女友だちの家を訪ねる。そこで紹介されたホテルの夜勤の仕事をクビになり、クビの原因になった私立探偵に誘われて探偵事務所で働く。尾行仕事に失敗したあとに、依頼人の靴屋の店に表向き店員として通う。店主夫人がデルフィーヌ・セイリグで、アントワーヌはめろめろになる。いま見ればおとぎ話やなと笑えるが、はじめて見たときはフランスの大人の女ってすごいと思った。デルフィーヌ・セイリグでなければほんとにいやみな役だ。
彼女の映画をはじめて見たのはアラン・レネの「去年マリエンバードで」(1960)である。美しいことこの上なく、天上の女という感じ。「ロバと王女」に出ているが、これはカトリーヌ・ドヌーブが王女で、王子の母の女王役だったのだろう。シャルル・ペローのおとぎ話の中でいちばん好きな話なので見に行ったんだけど。「ジャッカルの日」(1973)は上品できれいな夫人役だったけど、ジャッカルに殺されてしまう。
それくらいしか見ていないなと調べたら、マルグリット・デュラスが監督している「インデァ・ソング」(1974)にフランス大使夫人として出演している。普通の映画館で公開されなかったらしいが、DVDがあって去年11月から今年の5月までの短期発売なのである。あわてて注文した。

2005年04月23日

映画「赤い靴」の感動はいまだに

1948年製作のイギリス映画「赤い靴」はいま見てもすばらしい。最初に見たのは中之島中央公会堂での1回だけの上映会だった。それまでに姉からどんなに素晴らしいかを聞かされてばかりだったので、どきどきしながら見にくい席に座っていた。そのあともう一度名画祭みたいなので見て、それから何十年経ってレーザーデスクを買った。
最初に見たときは少女時代だったので、バレエ団を主催するレルモントフが憎らしかったが、次に見たときは夫の作曲家に怒りを覚えた。そして運命の赤い靴を履いてしまったモイラ・シアラーの踊りに感情移入したりした。
レーザーデスクで何度も見ているうちに、レルモントフのモデルとなったディアギレフに興味を持ち、ニジンスキーの伝記なんぞを読むといっそうこの映画を見るのが楽しくなった。レオニード・マシーンやロバート・ヘルプマンを見られることに感動。
最近はちょっとご無沙汰していたが、昨夜DVDでじっくりと見て、やっぱりええなぁ、買ってよかったとしみじみ思った。レーザーデスクは解説だけをコピーして捨てたけど、役割は果たしてくれた。
この映画のテーマである“結婚と仕事”はもう時代遅れなんでかったるいけど、「赤い靴」というバレエのテーマ、死ぬまで靴を脱げずに踊り続ける少女とだぶってうまい終わらせかたである。
赤毛の若きバレリーナ、モイラ・シアラーはとっても赤い靴が似合って美しい。わたしが夢中になっているとき、だれかに「イギリスでは彼女は駆け出しで、本当のプリマはマーゴット・フォンテーンだ」と言われた。わたしがマーゴット・フォンテーンが踊る姿を映画やレーザーデスクで見たり、写真集を手に入れたのはずっと後のことである。モイラ・シアラーはその後どんなバレエ人生を送ったのだろう。

2005年05月01日

モンゴメリー・クリフトが見たくて「赤い河」のDVDを買った

何回も見た映画のナンバーワン「赤い河」のDVDを、シャーロックホームズの斜め前に開店したDVD&CDの店で見つけた。新品なのに値段は半値以下だったので迷わすに買った。ずっと輸入版のレーザーディスクで見ていたが、これからは字幕入りになって善し悪しである。字を読んでいると、愛するモンティ(モンゴメリー・クリフト)の表情を見損なう可能性有り(笑)。
この映画がきたときは、二度続けて見て、また上映中に何度か見に行って、映画館が変わってからも見に行ったという熱中ぶりであった。そして輸入版のレーザーディスクを何度も見ている。最近はさすがに遠ざかっていたが、これでまた何度も見ることになるだろう。
ハワード・ホークス製作・監督、モンゴメリー・クリフトとジョン・ウェインとジョーン・ドルー、それにウォルター・ブレナン、ジョン・アイランドが出演している。テキサスで育てた牛を東部へ運ぼうと艱難辛苦の旅を敢行するダンソン(ジョン・ウェイン)とマシュー(モンゴメリー・クリフト)の物語。マシューはダンソンに子どものとき助けられて親子のように暮らしてきた。マシューは拳銃の腕は優れているが、気持ちが優しくてそれが命取りになると言われている。旅の途中で意固地になる一方のダンソンを捨てて、マシューは仲間と牛を運ぶ。町について大歓迎されるが、ダンソンが復讐しようと追ってくる。
あどけない笑顔、鼻に指をもっていく仕草、細い腰につるした拳銃を抜く手も見せずに撃つ、ものすごくかっこよいのだ。

2005年05月16日

1940年の映画「恋愛手帖」

名画のDVDが税込み500円で発売されたので買い込んだ中の1枚。かなり以前、40年代のハリウッド映画を見たいと思っていたころ、深夜映画で見ることができすごくうれしかった。また出合えて手元に置いておけるなんて、ほんとにしあわせ。
主演のジンジャー・ロジャースはフレッド・アステアと組んでRKOでダンス映画に続けて出演してきたが、きっと演技派になりたかったのだろう。この映画で主人公のキティ・フォール(原題)でひたむきに生きる働く女性を演じてアカデミー主演女優賞を獲得した。
フィアデルフィアの下町で育ったアイルランド娘キティが、就職した出版社の経営者で上流階級出身のウィンと恋仲になる。その後、ニューヨークに出てデパートで働き、貧乏だが真面目な医者のマークと知り合う。二人の男性の間で揺れるキティの思いが描かれる。フィアデルフィアのウィンの家で家族に紹介され、結婚するならこれから1年間は家風に合うように教育が必要と言われて、しっかりと断るところなんか演じるのはジンジャー・ロジャースも気持ちよかったろう。
製作スタッフの名前を眺めていたら、脚本がダルトン・トランボなんですね。彼はハリウッドの赤刈りで証言を拒否した「ハリウッド・テン」の一人で、逮捕され禁固刑に服した人だ。本名で仕事できず「ローマの休日」の脚本を偽名で書いたがのちに彼の作と公表されたということなども思い出した。名作「ジョニーは戦場に行った」は監督・原作・脚本である。「恋愛手帖」の脚本は若い時の仕事だが、主人公の生き方や迷い、働く女性の気持ちを描いていてさすがだ。

2005年06月20日

くちなしの花

ちょっと用事で出たときに公園の中を通ったら白いくちなしの花が咲いていた。とたんに20年前の思い出が甦った。
昨夜ビデオで『見出された時〜「失われた時を求めて」より』(監督ラウル・ルイス)を見たせいか。この映画では老いたプルーストが、ものや香りや会話や場所に触発されて過去を思い出していく。いまの場面がすぐに過去に変わるが、わたしは「失われた時を求めて」は三度目は挫折中だが二度読んでいるから、全体がつかめて興味深く見た。社交界の会話の中で「私たちも老けた」と相手に「たち」と言われてたじろぐところ、老いについての考察を映画の中でうまく表現していた。
20年前の今日、連れ合いが胃潰瘍で吐血して救急車で運ばれたのだが、そんなに毎年思い出さないのになんでだろう。プルーストとくちなしのおかげか。
その年に阪神が優勝したので何年前のことか思い出すのが便利なのである。とにかく暑くて雨が降らずかんかん照りの日が続いていた。ところが1か月の入院がはじまると雨が降り出し、病院に行くとき通った松島公園に白いくちなしの花がたくさん咲いていた。毎日傘をさして病院に行き、洗濯物が乾かずアイロンをかけていた。病院の夕ご飯は早くて、夏場所は千代の富士が横綱だったが、その一つ前の取り組みでご飯が来るのだった。
その年から2年後にMacがあった。世の中の進むのは早い。失われた時を早く見ださなくっちゃ。

2005年07月07日

アヌーク・エーメが好き

昨日ミクシィのSさんの日記にアヌーク・エーメの名前を見つけた。シャルロット・ゲンズブール主演のフレンチなしあわせのみつけ方」にシャルロットの義母役で出演していたそうである。
わたしがはじめてアヌーク・エーメの名前を知ったのは、戦後間もなく子どものときに、家にあった映画雑誌「スクリーン」で「火の接吻」(1949)の写真を見たときだ。透明な美しさが素晴らしく、いまもその姿が目に浮かぶ。「ロメオとジュリエット」の物語を下敷きにしたもので、共演がこれも好きな俳優セルジュ・レジアニだということまで覚えている。ストーリーを何度も読んで楽しんだ。インタビュー記事もあったと思う。実はこの映画見ていないのだけど。
その後はフェリーニの「甘い生活」「8 1/2」を封切りで見て、その後の「男と女」はずっと後でテレビで見た。それだけしか見ていないのに、なぜか好きな女優のベスト5に入れる。
さて何年くらい前のことか、女性誌で日本に来た彼女の写真とインタビューを見つけた。なんと、「ブリキの太鼓」に出ていたダニエル・オリブルフスキーが、日本で仕事しているので会いに来たということだった。お似合いだなぁと感心したものだ。

2005年07月26日

ヒッチコック初期の名作「レベッカ」をDVDで

税込み500円で名画が手に入る有難い時代になった。ドーチカの旭屋にぶらっと入って目についたので「レベッカ」を買った。その前に大阪駅前第1ビルを通ったのだが、地下1階にクラシック&ジャズの大きなCD店ができていたので驚いた。店員がみんなよくわかった人ばかりのような印象を受けた。ひと回りして出たら、他にも中古のビデオ店が2店開店しているし、以前からの店もあり、このフロアは音楽や映画好きの人が寄ってくる場所になりそうだ。
さて、土曜日の夜、VFC例会のあとは一人の夜になったので、用事をすませてMacの前に座った。「レベッカ」を映画館で見たのはいつのことだろう。ダフネ・デュ・モーリアの原作もそのとき読んだ。その後はテレビの深夜映画で見たがかなり前のことである。その割に覚えている場面は多いのは、原作と混じりあっているせいだろう。
リゾート地モンテカルロでマキシム(ローレンス・オリヴィエ)とマリアン(ジョーン・フォンテイン)が出会う。マキシムはイギリスはコーンウォール地方の大邸宅マンダレーの当主である。マリアンは金持ちの付き人としてやってきた地味な女性。結婚した二人はマンダレーに帰る。門を入ってから邸宅まで延々と続く道路が、この映画でいちばん印象的なところである。迎える奉公人たちがまた不気味。その中で若いマリアンは悩みつつ自分の位置を確立しようとする。
ドロシー・L・セイヤーズの「忙しい蜜月旅行」で、ピーター卿がハリエットを自分が育った屋敷に連れて行くところがある。同じように門があって門番がいて、そこから延々と車を乗り入れると、こちらのほうは、あたたかい母親が待っていて、手持ち無沙汰にならないよう気を使ってくれる。「ロチェスターさん」とハリエットがピーターを冗談で呼ぶけど、「ジェーン・エア」も大邸宅だったなぁ。

2005年08月21日

マルグリット・デュラス監督・原作・脚本「インディア・ソング」(1974)

4月21日にフランソワ・トリュフォー監督の「夜霧の恋人たち」の感想を書いた。主人公が惚れ込む大人の女性デルフィーヌ・セイリグがすごく美しく描かれていて、他になにかないかと探したんだった。そしたら「インディア・ソング」があってDVDが5月までの短期発売とある。あわてて買ったんだけど、なんか深刻そうでなかなか見る気にならなかった。買って安心してしまったのね。ようやく今夜見たんだけど、やっぱり深刻な映画だった。
原作は「ラホールの副領事」なんだろうと思うが、これを読んだのはもう何十年も前のことで、題名以外は全然覚えていない。デュラスの本をまとめて読んだときで、好きな「タルキニアの子馬」「破壊しに、と彼女は言う」「モデラート・カンタービレ」などは何度も読んでよく覚えているんだけど。持っているはずなので再読しよう。
1937年のカルカッタ、アンヌ・マリー(デルフィーヌ・セイリグ)はフランス大使夫人で、数人の男たちをはべらせて女神のような存在である。長い脚の美しい男たちは彼女を中心に毎日をけだるく流刑地にいるように暮らしている。そこへ元ラホール副領事が左遷されてやってくる。彼は鏡の中の自身を撃ち、また外に向かって発砲したのだ。彼は彼女に一目惚れし、パーティの後に彼女の許に残りたいと叫ぶ。叫びは止まずいつまでも続く。翌日、彼女は取り巻きを引き連れて島のホテルへ行く。そこに彼も来ていた。
120分全体が倦怠感にあふれていて、デルフィーヌ・セイリグも美形の男たちも緩慢な動きがなんともいい感じである。植民地で生活するヨーロッパ人の、そこにいるだけで罪である存在を、退廃的な男女を通じて表現している。夜の赤いドレス、昼の白いワンピース姿のデルフィーヌ・セイリグの美しいことったらない。そしてそうするしかない結末に向かう。

2005年09月10日

「マンハッタン花物語」をDVDで

誕生日にもらった花束を3日後に解体して、終わった花は除き、あとは3つのガラス瓶とコップに分けて挿していたが、それも紫色の蘭を残して終わった。楽しい食卓の1週間だった。
25年くらい前に猫がきてからひっくり返されたらいけないので、花はおかないことにしていた。いただいたりしたのは留守のときや寝るときには台所に持っていってた。それが習慣になってしまって、うちの花は鉢植えか、そこらで採ってきた雑草ばかりである。今回はほんとに楽しんだので、これからは切り花をめでることにしよう。
「マンハッタン花物語」のDVDを見た。
花屋のクリスチャン・スレーターは深夜の散歩をしていて、ふと見上げたビルの窓に泣いている女(メアリー・スチュアート・マスターソン)の顔を見る。そして翌日彼女をつけて会社を確かめ、美しい花を贈る。もらった彼女は2人しかいない知り合いに確かめるが、2人ともノー。それから花屋を見つけ、彼を見つけてつきあうようになる。彼女の部屋へ好きだと言った紫がかったピンクのバラを届くのだが、それが半端でないのだ。ニューヨーク中の同じバラが集められ彼女の部屋へ届けられる。心に傷を負った二人のナイーブな恋に胸がしめつけらる。これから何度も見るだろうな。

2005年09月11日

ビデオで「鶴八鶴次郎」を見る

成瀬巳喜男の映画は子どものころ晩年の作品を封切りで見て、あとはテレビやビデオで見ただけだが、溝口健二と同じように好きで、小津安二郎よりもずっと好き。
「鶴八鶴次郎」(1938)を今日ビデオではじめて見た。原作は川口松太郎で、第1回直木賞を受賞した作品である。川口松太郎の作品は小島政二郎とともに、子どものころ家にあった古雑誌「スタイル」なんかでけっこう読んだ。なんのことかよくわからなかったけど。
「鶴八鶴次郎」は新派を見に行った者がいたせいで、家でもよく話題になっていたように思うが、わたしは男性2人の名前だと思っていた。父親に芸者や芸人にはよくあると教えてもらったときに、新内という音楽(?)があることも知った。漱石の「三四郎」を読むと学生が娘義太夫に熱をあげるくだりがあるが、そんな感じで新内も人気があったのだろう。この映画でも新内の次の出演者が娘義太夫のようだった。
新内の人気コンビ鶴八(山田五十鈴)と鶴次郎(長谷川一夫)は鶴八の母親のもとで兄妹のように育った。語りの鶴次郎は気が短く、舞台が終わるとできが悪かった所を指摘すると、三味線の鶴八も黙っていず喧嘩になってしまう。本当はお互いに好きなのを確認し結婚しようとなるのだが、また喧嘩になり、鶴八は望まれていた金持ちの商家へ嫁いでしまう。小さな演芸場から田舎まわりへと転落していく鶴次郎に、後援者が手を差し伸べる。鶴八も夫の承諾を得て名人会に出演するが、そのことが鶴八の芸人魂を引き出し、離婚してでも芸に生きる気持ちになる。最後はまたも鶴次郎が鶴八の三味線を下手だと言い出し、鶴八が怒って出て行くのを黙って見送る。付き人がいさめると鶴次郎は芸人の末路は哀れだから、彼女は夫のもとに帰ったほうが幸せだと言う。さびれた居酒屋で酒を飲むところで終わり。
情感あふれる素晴らしい映画だった。竹久夢二の絵のような山田五十鈴の着物の着方がすてき。成瀬巳喜男の映画が好きと言えるほどたくさん見ていないのが残念。これからぼつぼつ見て行こう。

2005年10月14日

「ロバと王女」が35年ぶりに

東京の友人からのメールで、「ロバと王女」(1971 ジャック・ドゥミ監督)がデジタルニューマスター版で今月末から上映されることを知った。カトリーヌ・ドヌーヴがいちばん輝いていたころの映画である。そのころのわたしはドヌーヴがとても好きだった。重いのも軽いのもたくさん上映され、たいてい見に行った。「昼顔」「哀しみのトリスターナ」「リスボン特急」「海辺のホテルにて」「恋のマノン」それぞれのシーンが目に浮かぶ。
「ロバと王女」の原作はシャルル・ペローの「驢馬の皮」で、お妃を亡くした王様が年頃になった娘に恋して、結婚を強要するというおそろしい物語である。王女は妖精に教わって、服をつくってくれたら結婚すると王様に言う。空の青の服、輝かしい月のような服、太陽のように輝く服がつくられる。妖精の指示に従い、王女はその服を持って驢馬の皮をかぶり逃げ出す。苦難の連続だが最後は王子様が現れる。
わたしはこの物語がペローの物語の中で一番好き。子どものころ家にきれいな絵本があったのだが、いつかなくしてしまい、ずーっと気になっていたところに澁澤龍彦訳の「長靴をはいた猫」(1973)の中にあるのを発見。大切に持っている。
驢馬の皮をドヌーヴが演じるということ、また、大好きなデルフィーヌ・セイリグ(妖精)とミシュリーヌ・プレール(たしか王子の母)が出ていることもうれしかった。子どものころのわたしの王子様ジャン・マレーは悪い父親(最後は改心する)役である。
いま見たいかというと、お金を払ってまで見たくない、かな。テレビでやれば見る。物語のほうはしょっちゅう読んでいるけど。

2005年11月06日

「赤ちゃん教育」最高!

赤ちゃん教育 ハワード・ホークス先日4枚買ったDVDの最後に見た、ハワード・ホークス監督の「赤ちゃん教育」(1938)は大当たりだった。ホークスはわたしの映画ベストテン上位に入る「赤い河」(1948)の監督である。でも好き嫌いがあって、ビデオが発売された当時おもしろいと評判だった「ヒズ・ガール・フライデー」(1940)は、さっそく買ったのだがどうもアカンかった。父親がずっと良いと言い続けてきて耳にタコができていた「暗黒街の顔役」(1932)は、レーザーデスク初期に買って、期待が大きすぎてこんなんかと失望した。
「赤ちゃん教育」は「ヒズ・ガール・フライデー」と似ているんじゃないかと、キャサリン・ヘップバーンを見たいのにお店でDVDを見ても二の足を踏んでいた。先日ヨドバシで1本税込み500円の「水野晴郎のDVDで観る世界名作映画」の中にあったのを買ったものの、つまらなかったら困るなぁと最後に残しておいたのだが、いちばんおもしろかった。こんなに笑ったのは久しぶりだ。RKOの映画はフレッド・アステアのダンス映画でおなじみである。アステアとジンジャー・ロジャースのダンスは最高だけど、その他にお笑いの要素があり、お馴染みさんたちのやり取りもまたたいしたものなのである。そんな伝統があるせいか知らないけれども、それらを思い出すシーンがあって笑いに笑った。
ケイリー・グラントの超まじめ学者とキャサリン・ヘップバーンの超身勝手娘が繰り広げるコメディは、嫌みがなくスピードがあって会話がおもしろい。犬と豹も芸達者だ。お笑いを美男美女がこれでもかとやるところがいい。「赤ちゃん教育」というけったいな日本名にだまされたらあきません。とってもおしゃれな映画なのだ。

2005年11月16日

DVDで「マルタの鷹」と「三つ数えろ」

「マルタの鷹」(1941 ジョン・ヒューストン監督)と「三つ数えろ」(1946 ハワード・ホークス監督)が「水野晴郎のDVDで観る世界名作映画」の中にあった。両方ともずっと前にテレビの深夜映画で見たことがあるだけだったのでうれしい。この手の映画のポスターを集めた洋書を持っていて、ときどき眺めているが、好きなときに見られるDVDが手に入ってご機嫌である。
「マルタの鷹」はダシール・ハメット、「三つ数えろ」はレイモンド・チャンドラーと、ハードボイルドの古典の映画化で、私立探偵サム・スペードとフィリップ・マーロー役をしているのがハンフリー・ボガートなのである。
「マルタの鷹」はヒューストン初監督作品であり、ボガート初主演作である。傍役たちの不気味さとメリー・アスターの妖しい悪女ぶり、そして非情な探偵サム・スペード。タイトな語り口でぐんぐん進んでいくストーリーはハメットの作品そのままだ。
「三つ数えろ」はスターになってからのボガートとローレン・バコールである。二人ともスターらしい自信にあふれて主演している。原作はチャンドラーの「大いなる眠り」だが、邦題の「三つ数えろ」も悪くない題名だと思う。ハリウッド映画らしい豪華なハードボイルド作品で、ちょっと感傷的なところがあるチャンドラーをうまく映画化している。
「三つ数えろ」のほうが見ているときは楽しめたが、あとまで残るのは「マルタの鷹」である。原作と映画と同じ感想なのがおかしい。

2005年11月17日

「若草物語」あれこれ

「若草物語」(1949 マーヴィン・ルロイ監督)をDVDで見て思ったんだけど、この映画は映画館で見たのか、少女雑誌のグラビアで見ただけだったんだろうか。もしかして後々テレビで見ただけなのかもしれない。この本は家になかったので雑誌の抄訳で読んで、大人になってから岩波少年文庫のを買った。
わたしのきょうだいは女4人男3人がごちゃまぜだから「若草物語」とはとうてい言えない。4人だけの写真が1枚残っていて、それを撮るときに「若草物語」やなぁと笑ったことを覚えている。物語になぞらえるなら、わたしは3人目でベスなのね。長女はメグっぽいところはあった。次女は結婚するまではジョーのようだった。わたしと妹はあてはまらない。
「若草物語」の映画は1933年のキャサリン・ヘップバーンのを一度見たいものだ。彼女ならジョーにぴったりだろう。
南北戦争で父親が北軍に従軍している留守を、しっかりした母親とともに4人の姉妹は守っている。隣の屋敷に頑固な老人が住んでいるが、そこに孫のローリー少年が同居することになり、ジョーがきっかけをつくり、家族で仲良くなる。近所の貧乏な家族を助けたり、うるさい伯母さんと揉めたり、ニューイングランドの生活がジョーの目を通して描かれる。ジョー役のジューン・アリスンは当時とても人気のある女優だったらしい。顔は可愛らしい系の平凡な感じだけど、ハスキーな低い声で生き生きしている。エリザベス・テイラーはエイミーそのもので、少女時代からものすごい美人だったのだ。メグのジャネット・リーは後年ヒチコックの作品でシャワーを浴びるシーンで有名になった。ベスのマーガレット・オブラエンは名子役だったけど、大人の女優にはなれなかった。演技をやり過ぎて鼻につくところがある。
ウィノナ・ライダーがジョーになり、スーザン・サランドンが母親になった1994年の「若草物語」は映画館にかけつけたけど、つまらない映画だった。いかにスーザン・サランドンでも賢母の役ではいたしかたなし。ウィノナ・ライダーは美人過ぎ。
「若草物語」ってピューリタンの思想につらぬかれた、アメリカの良心を表す物語で、日本で言えば「忠臣蔵」みたいな映画なんだなぁ。

2006年01月02日

村上弘明の荒木又右衛門にうっとり

だいぶ前から番組紹介を見て楽しみにしていた、テレビ大阪の新春ワイド時代劇「天下騒乱」が今日あった。わたしのお目当ては村上弘明の荒木又右衛門である。だから最初から見ないで、第3部「妻子と離別…義の仇討ち!鍵屋の辻」だけにしたが、これだけでも8時55分から11時55分の3時間だった。
何年か前に「忠臣蔵」をやったときは中村吉右衛門と黒木瞳が大石内蔵助夫妻で、このときは1日がかりで最初から全部見た。わたしは「忠臣蔵」が大好き。今日は「徳川三代の陰謀」というのがかなわんので、荒木又右衛門だけにしぼったというわけ。村上弘明の力演を眺めているだけでも楽しめた。
子どものとき、2人の兄が読んでいた剣豪ものを横取りしてたくさん読んだ。荒木又右衛門、田宮坊太郎、塚原卜伝、後藤又兵衛など、もう内容は忘れてしまったが卜伝が鍋の蓋で刀を受けたシーンとか、印象に残っていることもたくさんある。荒木又右衛門は「鍵屋の辻」という場所の名前しか覚えていない。村上さんを見ることと、仇討ちの物語を知ることと、3時間が短かった。
三代将軍徳川家光の時代になって、武士の世の中から官僚の世の中に変わっていく時代に、人間らしく生きることを選んで、仇討ちの助太刀をした荒木又右衛門は世の人気者になる。しかし、その生き方は為政者にとって困った存在になる。
村上弘明は去年、NHKの時代劇で柳生十兵衛をやった。すごくスタイリッシュで剣の使い方がカッコよかった。今日は中村獅童が十兵衛役だったけど村上さんの十兵衛のほうが良かった。今日も荒木又右衛門のほうが断然カッコよかった。

2006年01月13日

二度目の「イノセンス」

20インチシネマディスプレイを買ってから仕事やらなんやら忙しくDVDを見る暇がない。たまに見ても古いビデオを見るのと変わらない白黒映画(「市民ケーン」「レベッカ」など)なので、このディスプレイで見る意味がないのよね。
今夜はこれなら20インチの値打ちがあるはずと「イノセンス」を見ることにした。このDVDを買ったのは一昨年の9月だ。最初見たときは理解不能なところがたくさんあったので、ネットで調べて一応のことはわかったつもりになった。その知識の上で、これから何度も見ようと思っていたのだが、まだ見ていなかった。2004年9月27日の日記を読むと、我ながらうまく内容の説明をしている。今日も同じようなことに感心した。ただ、ディスプレイが前に見た17インチと20インチでは質的に違う。青い空にたくさんの白い鳥が舞うところや、広大な屋敷の光景、東洋的な人形の数々のぬめっとして気味悪い美しさが、とてもクリアな画面にくり広がられて満足できた。スピーカーのせいでセリフが重厚に聞こえるし、音楽が東洋的ですごくよかった。
舞台は近未来だが、物語はハードボイルド警察ものである。そしてハードボイルド小説の主人公の特徴である“へらず口”は、孔子など過去の偉大な人の言葉になっていて、それぞれのシーンにぴたりとはまっている。主人公のバトーの行動と思考はほんまにハードボイルド小説の主人公そのものだ。そういう面からも心憎い作品だ。
草薙素子の存在は“魂”として作品全体を支配しているように思える。この作品のヒーローはバトーとともに草薙素子であることは言うまでもない。人間であるトグサの存在が、二人の崇高さと哀しさを浮き上がらせている。

2006年02月17日

コミック「交響詩編エウレカセブン」

交響詩篇エウレカセブン (1) DVD付限定版 片岡 人生わたしはアニメが苦手であるとずっと思ってきた。宮崎作品も見たことがない。1年ちょっと前にようやく押井監督の映画「攻殻機動隊」で目覚めたところで、これはテレビのほうも見るようになった。いまはしっかりと草薙素子ファンである。
いつだったか相方が熱心にテレビアニメを見ているのを横から眺めていたら、やたらと可愛い男の子がスケボーのようなことを空中でしている。へーっおもしろそうじゃん、といっしょに見るようになった。アニメ「交響詩編エウレカセブン」である。ずっと見ているにもかかわらず、ストーリーが全然わからないのだ。でも、男の子レントンと美少女エウレカが愛らしく、リーダーのホランドとパートナーのタルホがカッコよく、他のキャラクターもそれぞれ個性的で、わからないなりにおもしろくて飽きない。
先日コミックのほうを1〜3巻買ってきて読んだら、ようやくストーリーがわかってきたのだけれど、まだわからない部分があったのを紹介サイトを読んで理解した。
人類が故郷の星を追われてから、気の遠くなるくらいの年月が流れ、辿り着いた「約束の地」を開拓し「塔州政府」が建国されて、それからまた数世紀の時が流れて・・・という超未来の物語なのである。
空中を滑空するスポーツ「リフ」が唯一の趣味であるレントンにとって、祖父との生活は平和過ぎてイライラするものだった。憧れのリフライダーで若者たちのカリスマであるホランドのようになりたいとレントンは願う。そして家を出たレントンはエウレカに会う。(角川書店1〜3 各540円+税)

2006年03月13日

いまごろDVD借りて「ブリジット・ジョーンズの日記」

ブリジット・ジョーンズの日記 シャロン・マグワイアずっと前、NHKで深夜放映されたテレビドラマ「高慢と偏見」のコリン・ファースがカッコいいと盛り上がっていたころ、ヘレン・フィールディングの原作を若い友人が貸してくれた。作品中にコリン・ファースが出てきたのだが、わたしは全然おもしろさを理解できずに途中まで読んで返してしまった。
だから映画も見る気がなかったのだが、この映画でコリン・ファースファンになった人もいると知って、昨日道頓堀のTSUTAYAで借りてきた。実はなにか借りようと思っていったのだが、大量のDVDとビデオを前にして借りる映画が見当たらない。真面目なのも大作も笑えるのも見る気が起こらない。ようやくデレク・ジャーマンの「ガーデン」とこれを借りた。
さっき見たのだが、いやまあ実におもしろかった。これだけ笑えればええわ。
「高慢と偏見」が物語の下敷きになっている。はっきりとコリン・ファースの役はマーク・ダーシーという高慢な弁護士だ。もちろん偏見に満ちたヒロインがレニー・ゼルウィガーで、いい感じの女優さんである。恋敵がヒュ−・グラントで楽しんでやっている。ちょっとドタバタが過ぎる感じではあるが、ここまでやったほうが勧善懲悪みたいなラブストーリーでイヤミになるとこころだ。
コリン・ファースはイギリスではとても人気があるらしいけど、日本では未公開の映画が多かった。「アナザー・カントリー」からのファンであるわたしとしては、いま脚光を浴びているのはうれしいような、ちょっと淋しいような気持ちである。

2006年03月22日

デレク・ジャーマン「ザ・ガーデン」

ザ・ガーデン ダレク・ジャーマン10日ほど前なにか映画を見たいなとTSUTAYAの店内をめぐっていて見つけた。すぐに見る気にならず、1週間後の返却寸前に見ることになった。見たらやっぱりいまの気分には重すぎる映画だった。しんどかったけれども日にちが経つにつれてしみじみと考えさせられている。「エドワードII」(1991)、「ブルー」(1993)の前になる。死去したのは1994年。
本の「Derek Jarman's Garden」は大切に持っている。1987年頃、デレク・ジャーマンはイギリスのドーバー海峡沿いのダンジェネスという土地に移り住んだ。原子力発電所が近くにある荒涼としたところで、可憐な草花を育み、小さなオブジェを置き、虫と親しむ生活である。死を前にしたデレク・ジャーマンの生きることへの気持ちが伝わる本だ。庭仕事をする彼の表情がとても美しくて切ない。
その庭で1990年に撮られた映画で、ゲイのカップルが権力に虐待され、キリストと同じように十字架に晒されるさまが描かれている。デレク・ジャーマンにとっては、ゲイの青年たちはキリストと同じように殉教者なのだ。そのあいだに挟まれる映像が美しいのや滑稽なのや、さすがデレク・ジャーマンやなと思わせるが、わたしは全体の雰囲気にルイス・ブニュエルの「黄金時代」を思い出していた。チルダ・スウィントンの美しいこと!

2006年03月27日

いまさらですが、「アメリ」を見たので

アメリ ジャン=ピエール・ジュネようやく「アメリ」(2001)をレンタルDVDで見た。ずいぶんと評判だったけど、映画を見る気力が衰えていていまごろになった。ずいぶんと評判になっていたし、オリーブ少女が喜びそうな内容とは女性誌なども読んで知っていたが、こんなにもおもしろいとは思わなかった。
ジャン=ピエール・ジュネ監督の作品を見るのははじめてだが、フランス映画の伝統を受け継いでいるのに感心した。アメリがサンマルタン運河で水切りするところはフランソワ・トリュフォーの「突然炎のごとく」を思い出した。アメリの部屋のインテリアから、ジャン=ジャック・ベネックスの「ディーバ」を思い出した。けれどもまったく新しい感覚の映画なのである。フランス映画の滔々たる流れの中に新しく名乗りをあげたって感じかな。
アメリのオドレイ・トトゥは黒髪と大きな黒い瞳が印象的な奇妙な美少女。相手役のマチュ−・カソヴィッツの不器用で誠実な感じが良い。孤独なお父さんがドワーフを庭にある亡き妻の祭壇に置いているのを、アメリが持って行ってなにをするかと思うと、ほんとに旅をさせてしまい、旅先からドワーフが写った写真が届けられる。この他にいっぱいアメリが考えついた善意と善意から発した悪意の行為が次々に繰り出されて、まわりの人々が振りまわされる。
先天的な病気で骨がガラスのように脆く、外出したことがない孤独な隣りのアパートの住人と仲良くなり、最後は彼の一言でアメリは走り出す。そして孤独な少女は孤独な青年と向き合う。パリはモンマルトルのカフェを舞台に、現代の青春を描いたおしゃれで気が利いた映画。

2006年03月29日

成瀬巳喜男監督「歌行燈」

泉鏡花の作品の中でも「歌行燈」は好きだ。物語はいやが上にもドラマチックで、論理を超えた情が心を揺する。その神秘とも言えるような物語を人間が出てきて演じた映画「歌行燈」(1943)が、60年以上経っても心に響くのだからすごい。
時は明治のはじめ頃か、恩地源三郎は能楽師で鼓方の弟と息子の喜多八(花柳章太郎)と東京から関西にきている。伊勢の古市に盲目の老人で名人がいると聞いて喜多八が行くと、出てきたのが娘のお袖(山田五十鈴)である。喜多八は若気の至りで老人に謡わせて恥をかかせる。そのあと老人は自殺してしまう。それを知った源三郎は息子を勘当する。
それまで芸の他は何不自由なく暮らしていた喜多八は門付となって街をさまよい、世話好きな友人ができてなんとかやっていけるようになる。そしてお袖のほうは継母に売られて芸者になっている。
その二人が巡り会い、お袖が不器用で三味線もひけないのを、たった一つ仕舞を教えて喜多八は去る。
最後は月が冴える桑名の宿で、源三郎らが芸者を呼ぶとお袖がきて、芸ができないけど舞なら一つだけ舞えると言って舞うと喜多八が教えたとすぐにわかる。鼓の音が遠くまで聞こえて喜多八がやってきて、勘当を許される。
新派の芝居は見たことがないからはっきりわからないけど、この映画は新派の俳優が主になっていて独特の世界を展開しているように思う。泉鏡花の芝居を新派で一度見ておきたかったなぁ。滝の白糸、日本橋、湯島の白梅・・・
それにしても、こんな美しい映画があったんだ。成瀬巳喜男の映画は戦前、戦中のほうが戦後のよりずっと好きだ。

2006年04月02日

「攻殻機動隊」漬け

押井守監督の映画を見たのが最初で、次はテレビドラマである。毎週金曜日の夜「攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG」を見続けていた。それが一昨日で終わったので、今日はまだ見ていなかった前編「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」1枚目のDVDをTSUTAYAで借りてきて見た。めちゃくちゃおもしろい。
その前にようやく原作を読まなきゃという気持ちになり、コミックのほうを読み始めたところである。この本はずっと前からわが家にあったのだけれど、わたしは背表紙の文字〈攻殻機動隊 士郎正宗〉しか見ていなかった。SFがどうも苦手でコミックも苦手だったから。なのに今日は読み出すとはまってしまった。あわてて読むともったいないから数日かけて楽しもうと思う。登場人物や周辺機器(?)はもうおなじみだからすいすいと理解できている。
愛嬌のあるブルーのタチコマ(どう書いていいかわからないので検索したら、アームスーツ、思考戦車とあった。原作のほうはデザインが違っていてフチコマとなっている。)が活躍するのがおもしろいし、義体の草薙素子に惚れ惚れしている。

2006年04月21日

留守番には「高慢と偏見」

高慢と偏見 大枚はたいて買った「高慢と偏見」のDVDだけど、まだ数回くらいしか見ていない。うちは狭いから一人でテレビやDVDを楽しめないのだ。iTunesから出る音を聴くのにイヤホンがいるねと言ってるくらいである。イヤホンまでしたくないから、たいていの場合は相方の好みにまかせている。最近マイルス・デイビスばかりかかっているので、いないときにU2なんぞをかけて折り合いをつけている。
今夜は相方が長時間のお出かけなので、もちろん「高慢と偏見」であるが、その前にメールの返信、ミクシィのコメント、掲示板の返事をして、ようやく見始めた。後半、エリザベスが伯母夫婦と旅をして、ダーシーさんが留守のペンバリーの屋敷を見学するのに立ち寄るところ。そのころの貴族や大金持ちの屋敷は公けのものみたいなものだったのね。そこへ留守のはずのダーシーさんが帰ってくる。エリザベスに結婚を断られたが忘れられず、乗り越えるぞと心に誓って庭にある池に飛び込んで、あがったところで鉢合わせとなる。礼儀正しい冷静なダーシーさんが、「ご両親はお元気ですか」と2回も聞いちゃう初々しい場面である。そこのところからもうちょっと見て、今日は満足。あとはまた今度だ。コリン・ファースは超かっこいい。

2006年04月23日

アリダ・ヴァリ

今朝の新聞にアリダ・ヴァリの訃報があった。子どものころから憧れていた人がまたこの世を去っていった。アリダ・ヴァリのことを格別に美しい人だと長い間思っていたが、いま調べてみたら彼女の映画ってあんまり見ていなのだ。子どものころ家にあった「スクリーン」など、洋画雑誌の写真を見すぎたせいかもしれない。ハリウッドへ行ったときはプロデューサーが神秘的に見せようと「アリダ・ヴァリ」を「ヴァリ」として売り出そうとしたなんて記事を覚えているが、これはほんまだったのかどうかも定かでない。
好きなのは「夏の嵐」(ルキノ・ヴィスコンティ 1954)、よかったのは「書くも長き不在」(アンリ・コルビ 1960)、しっかりと覚えているのは「第三の男」(キャロル・リード 1949)の最後のシーンで並木を歩いているところ。
「アポロンの地獄」「ルナ」は映画はよかったが、どんな役で出ていたか覚えていない。「われら女性」(1953)は4人の監督による4人の女優のオムにパス映画だが、誰がどの女優の監督だったか覚えていない。ただアリダ・ヴァリがマッサージを受けながらしゃべっているシーンのみ覚えている。
こんなぐあいで他の好きな女優とは違った感じで好な女優なのだ。「第三の男」でジョゼフ・コットンを無視して歩いていく姿、「夏の嵐」でさまよい歩く姿はずっと忘れられないだろう。

2006年05月13日

「交響詩篇エウレカセブン」第1話から29話まで

去年の夏ごろだったか、相方が見ていたテレビアニメの「エウレカセブン」を覗き見してとりこになった。それ以来毎週見ることにしたが、途中からだし夕方7時からという時間だから見逃すこともあるし、ストーリーをつかめないままで、ひたすら主人公の少年少女の可愛らしさを愛でていた。日曜日の朝7時から毎日放送でやっていたらしいが、朝はとうてい無理だから、後からはじまったケーブルテレビである。最後の週を見逃したのが残念でたまらない。どう終わったかもわからないし、本が出ているのに気づいて買ったら3巻までで、テレビのほうが物語は先にいっていた。
今回見たのは、USEN GyaOで5月1日から14日まで無料配信されるもので、いっきょ1話から29話までという。
最初は2話くらい見ていたが、14日までだからラチがあかない。一挙に7話は見ることにして、今日は残ったのを全部見た。ああしんど。信じられない、アニメ嫌いなわたしが3日間アニメどっぷりの生活をしたのだ。
物語は未来の世界、「トラパー」という粒子が大気中にある地球に似た星。サーフボードみたいな「リフボード」で、大気中のトラパーを利用して波乗りのように空中を飛ぶのが大好きな少年レントンは、メカニックの祖父と二人暮らし。退屈な日常を嫌っていつかここから抜け出したいと思っている。ある日「LFO」(特殊人型重機)の「ニルヴァーシュ」が落ちてきて中から不思議な美少女エウレカが降りてくる。追ってきた軍用LFOからエウレカを守るためにレントンは立ち上がる。エウレカが属しているのは、レントンが憧れているゲリラ活動をしながら、各地のリフスポットで波に乗るホランドが仲間とともに居住している「ゲッコーステート」だった。個性的な乗組員たちとの生活がはじまる。
とにかく複雑なストーリー展開と登場人物のユニークさと、謎の美少女エウレカの正体はなんだ(29話で明らかにされた)とか、レントンの父とホランドや軍の指導者の関係とか、だんだんわかっていく。ゲッコーステートを家出したレントンを可愛がり我が子にしたかった夫婦の話が哀しい。
この壮大な物語は少年の成長物語だと29話まで見てわかった。全部で40話ある。

2006年05月28日

近未来ポリスアクション「攻殻機動隊 S. A. C. 2nd GIG Individual Eleven」

9時から約3時間、映画「攻殻機動隊 S. A. C. 2nd GIG Individual Eleven」をケーブルテレビのアニマックスで見た。テレビでは何話にもなっていたのを編集して映画にしたものだ。テレビのほうも全部見ていたので余裕を持って見られた。
近未来の日本を舞台にしたアニメで「公安9課」のメンバーたちの活動を描いたもの。荒巻課長のもと、“少佐”草薙素子、バトー、トグサ、イシカワなど少数精鋭のメンバーが活躍する。普通の人間と義体化した人間と、アンドロイドならぬ○○ロイドもいたりして、ややこしい。そこにブルーの可愛らしいクモ型多脚戦車“タチコマ”も活躍する。タチコマのAIは人口衛星にあるので、人が乗らなくても自由に動きまわれる。数台がそれぞれ行動するときがあるし、いっしょに考えて議論するときもある。女性の声で「バトーさん、バトーさん」とやるのがおかしい。
見ているうちに、これは「鬼警部アイアンサイド」といっしょやんと気がついた。有能なリーダーのもとで、それぞれの警官が自分の得意な分野で活躍する。かたや1960年代のサンフランシスコであり、かたや2020年代(だったと思う)の東京だが、悪に対する正義感は同じように激しい。そして細部の描き方のこだわりが正義感をいやがうえにも高める。

2006年06月04日

映画「バード」をビデオで

バード クリント・イーストウッド1955年バード(チャーリー・パーカー)はニューヨークのパノニカ男爵夫人の家で亡くなった。その前に妻のチャンに電話で穏やかに話をしたが、帰って欲しいと言われたのに、ボストンへ仕事に行くと言い、疲れた体で雨の中をパノニカの家までたどりつき倒れたのだ。34歳だった。ジャズ仲間のレッド・ロドニーが麻薬におぼれているとき、そんなことでは40歳まで生きられないぞと諭したが、自分はどうなんだと言われて寂しそうだった。もう長くはないと思っていたのだろう。
製作年が1988年だから、映画館でわたしが見たのはその翌々年くらいだろうか。そのときは、もひとつやなぁと思った。わかっていなかったんやなぁ。それ以来である。今日は昼間からカーテンを閉めて見た。相方に誘われて見ることにしただけだったから期待していなかった。それが大間違い、すごい映画をクリント・イーストウッドは作ったものだ。
出だし、演奏を終えたバードが自宅へ帰ってきて、薄暗い部屋で妻のチャンにまだ起きていたのかと言う。所帯やつれした感じのチャンとの苛立つ会話のやり取りの後、バードはバスルームで自殺を図る。病院で命は取りとめるが、示された治療方法を彼は芸術家だからと、チャンは拒否していっしょに家に帰る。
それだけの間に回想がいろいろと挿入され、ダンサーのチャンとの馴れ初めも思い出される。輝く彼女を手に入れるため、彼女の家の窓の下で仲間に演奏させ、自分は白馬にまたがって現れる。サックスを質に入れての思い切った求婚にチャンもほだされる、など回想に次ぐ回想で話は進んでいく。
若き日のチャンがニューヨークの街を小粋に歩くシーンがよかった。それと夫婦喧嘩がリアルだ。激高する夫と冷たく振り切る妻、ケンカする男と女の心理の真実を描いてすごい。前に見たときはわからなかった。
バード役のフォレスト・ウィッテカーはよくやっていた。ほんとのバードはもっといい男だったらしいけど、バードはこう生きたんだと納得できた。それよりもすごかったのはチャンのダイアン・ヴェノーラ。彼女は前に見たときも好感を持ったが、今回はもっとよいと思った。

2006年06月05日

「バード」昨日の続き

10数年前にこの映画を見たときなんでつまらなかったんだろう。バード=チャーリー・パーカーへの思い入れが、映画「バード」のリアルさに耐えられなかったのかもしれない。
仕事を終えて帰ってきた家の暗さと妻の暗さ。小さな娘を亡くした夫婦ともども相手を思いやれない辛さ。そのシーンは晩年に近いのが重層する回想シーンでわかっていく。妻のチャンは裕福な家庭に育った開けた女性だった。名をなしてきたバードのことを人に聞くと「君が惚れそうな男だ」という返事が返ってくる。言われたとおり彼の演奏を聴いて惚れ込んでしまうが、誘う彼に対してなかなか素直になれないでいる。ある日、バードが言葉通りの白馬の騎士をやってのけてベッドを共にするが、彼女は妊娠していて子どもの親は誰かわからないと言う。思わぬ発言にバードが罵声を浴びせると、彼女の返事がすごい。「男が子どもが産むようになってたら、あんたは何人も子どもがいるはずよ」だって。バードは女癖が悪かったらしいから名言だ。うん、今日はこのことを書き留めておこうと思ってね。
いま気がついたが、クリント・イーストウッドはチャンに寄り添った映画を作ったのだ。

2006年07月12日

アメリカへのあこがれ ジューン・アリスン

朝の新聞でジューン・アリスンが亡くなったことを知った。88歳だった。彼女は50年も前にわが家のアイドルだった。戦争が終わってアメリカ映画が見られるようになり、父親と姉2人兄2人はよく映画を見に行った。わたしもひっついて連れて行ってもらった。しょっちゅう語られていたのは、父親が戦前に見た「駅馬車」と「暗黒街の顔役」だったが、この2本を見るまでにはだいぶ年月がかかった。とにかく近くで上映される映画をなんでも見に行った。
ジューン・アリスン主演の「姉妹と水兵」(1944)こそ戦後の貧しいわが家に、大手を広げて受け入れられた映画なのだ。ジューン・アリスンという健気な感じのする女優と、大衆的なジャズというかハリー・ジェームスとザヴィア・クガートの演奏、「鼻」のジミー・デュランテの芸、ホセ・イトゥルビの達者なピアノも大受けした。とにかくアメリカ文化にひたったわが家だった。ずっと後になってテレビで見たがたいしたことなかったけど、それでもいまもいろんなシーンを思い出す。繰り返し語られ思い出されてきたからだろう。芸人の姉妹が水兵さんたちと結びつく単純な話なのだが。
「若草物語」(1949)は見ていないのに、雑誌「ひまわり」によって増殖されて脳に埋め込まれた感じだった。見たのはけっこう後になってからだが、写真でみんな知っていたので2回目に見た気分だった。物語は早くから読んでいて、わたしのバックボーンになっている。いまだにわたしが青臭いのはニューイングランド地方の清教徒教育を受けたおかげなのだ(笑)。「若草物語」のジョーになったときはジューン・アリスンは32歳だったという。それが10代のジョーそのものだったからすごい女優だ。顔に似合わない低い声がよかった。

2006年07月30日

真っすぐで気持ちよい映画「ガールファイト」

ガールファイト カリン・クサマ2000年のサンダンス映画祭でグランプリと最優秀監督賞をとった映画だというので、はじめだけでも見ようかとテレビをつけたが、おもしろくて最後まで見てしまった。監督・脚本がこれがはじめての映画のカリン・クサマという日系の女性である。製作総指揮がジョン・セイルズで、この人の「セコーカス・セブン」(1980)を昔は大好きで、レーザーディスクで何度見たことか。
子どものころに母親を自殺で失ったブルックリンに住む17歳の少女ダイアナ(ミシェル・ロドリゲス)は、学校で気に食わないクラスメートを叩きのめして教師に叱られる。家に帰ると高圧的な父親がいていらつく。おとなしい弟はボクシングを習わされているが、彼女は女だからとはねつけられる。ジムでトレーナーに頼むとお金を払ったら教えると言われて、家の金をくすねて払い、次は母の形見のロケットを売ってまかなう。最初は単に怒りを体で表すことしかなかったが、だんだん体を鍛えることに興味を持ち、トレーナーの言葉に従ってランニングもする。弟は自分が習うのをやめてお金を姉にまわしてくれる。
学校の体育テストでは、片手腕立てふせを何度もやってのけるし、鉄棒も走るのも抜群である。ジムの先輩のエイドリアンと愛し合うが、その仲を父親に知られ、くすねたお金でボクシングをやっていることも知られてしまう。それをなじられると父親を暴力でやっつけてしまう。
トレーナーはダイアナを指導しアマチュア試合に出す。ダイアナも期待を裏切らない。この師弟関係がいい感じだ。この時期にボクシング志望の女性が現れはじめていて、ダイアナはその中で勝ち進むし、相手が急に出られなくなった試合に男性相手で出て、反則勝ちする。最後はなんとニューヨーク市のアマチュアボクシング大会で、恋人のエイドリアンと対戦することになる。「女を殴るなんて」と言っていたエイドリアンだが、試合はともに本気で戦い、その結果ダイアナが勝つ。
エイドリアンにはファンの女の子がいて、嫉妬に苦しんだダイアナだが、最後は彼から「もう俺をすてるだろ?」と言われ「そうなるかも」なんて言って近づき抱き合う。いいラストだった。

2006年08月08日

コリン・ファースのフェルメール「真珠の耳飾りの少女」

真珠の耳飾りの少女 通常版 ピーター・ウェーバーわたしはフェルメールにあんまり興味を持っていなかった。この映画だってコリン・ファースが出てなければ見なかったろう。今夜テレビで見て、コリン・ファースに三回目のラブコールだ。一回目は「アナザー・カントリー」、二回目は「高慢と偏見」、そして三回目が「真珠の耳飾りの少女」。
「アナザー・カントリー」は1983年だからもう23年も前の映画だ。封切りで一回見ただけなのに、いまだにコリン・ファース演じるジャドの顔と声が忘れられない。それからテレビドラマ「高慢と偏見」のダーシーさんだ。これはついにDVDで手に入れて何度も見ている。ダーシーという理想的な男性を人間化したのが彼。何度見ても素敵だ。そして今夜、フェルメールに扮した彼が現れると画面が生きてくる。召使いの少女グリード役のスカーレット・ヨハンソンも静謐な存在感がよかったが、コリン・ファースは難しい役をうまく演じていた。
17世紀のオランダの画家の一家の暮らしが細かく描かれている。運河を舟で行く交通、洗濯や炊事や掃除などの女性の労働、買い物に行く様子など当時を思い浮かべられる。北欧だからほんとに寒さが身に染む。画家が少女の耳たぶにピアスの穴をあけるシーンはエロティクだった。

2006年08月26日

クリント・イーストウッド製作 監督 主演「ブラッド・ワーク」

ブラッド・ワーク<特別版> クリント・イーストウッド昨日書いたマイクル・コナリー「天使と罪の街」は、八リー・ボッシュに夫テリー・マッケイレブの死の真相を調べてほしいと頼みにきたグラシエラの登場から話がはじまる。この物語とつながる「わが心臓の痛み」が、クリント・イーストウッドによって映画化されているのが「天使と罪の街」で何度も言及されているので、これは見ておかなくっちゃとDVD「ブラッド・ワーク」を借りてきた。
マッケイレブは連続殺人犯を追いかけていて心臓に痛みを覚え倒れながらも、犯人が振り向いたときに拳銃を出して撃つ。犯人は逃げおおせるが犯行はそこでストップする。マッケイレブは2年後に心臓移植を受け、静かに船で暮らす日々である。そこへグラシエラ登場。犯罪に巻き込まれて死んだグラシエラの妹の心臓がマッケイレブに移植されているはずで、特殊な血液型で死亡と移植が同じ日だと言う。マッケイレブは心臓移植の担当医に怒られながらも、犯行を調査し読み取っていく。2年前に取り押さえられなかった連続殺人犯の姿が浮かんでくる。
クリント・イーストウッドはFBIの心理分析官というよりハリー・キャラハンを思わせる刑事風。渋さからいってハリー・キャラハンより「タイトロープ」の刑事に近いかな。よく鍛えた体で20歳くらい若い役をやっていても不自然でないのがすごい。アカデミー賞をもらった「ミリオンダラー・ベビー」よりずっと好き。「ガントレット」「タイトロープ」「ダーティーハリー」に続く好きな作品だ。医師で出演のアンジェリカ・ヒューストンがいい感じだった。

2006年08月31日

溝口健二の映画を数本

溝口没後50年ということでテレビでやっている特集を見ている。今日までに「祇園の姉妹」(1936)「歌麿をめぐる五人の女」(1946)「雪夫人絵図」(1950)「雨月物語」(1953)「祇園囃子」(1953)「近松物語」(1954)「山椒大夫」(1954)「新・平家物語」(1955)と8本見た。
これ以外ではビデオも持っていて何度でも見ている「元禄忠臣蔵」〈前後篇〉(1941-42)とテレビで何度か見た「西鶴一代女」(1952)が見たことのある作品。
この際に溝口映画をしっかりと見ておこうと思い、ついでにネット検索をしてわかったのは、彼が女性をテーマに女性の肩を持った映画を撮ったことの意味だ。彼の父は生活力のない人で、母が苦労したあげくに彼が17歳のときに亡くなってしまい、姉が芸妓になって2人の弟を養った。その姉の苦労が溝口の映画の女性たちに投影されている。
今回見た中では唯一戦前の作品である「祇園の姉妹」は、映画史などで読んで山田五十鈴の新しいタイプの芸者が良いらしいので楽しみにしていた。ほんと、瑞々しい山田五十鈴はよかったけれど、最後のセリフはよけいだと思った。プロパガンダみたい。
あとの作品は戦後すぐから10年くらいの間のものである。時代劇にも敗戦と民主主義、古いものから新しいものへの時代の移り変わりが投影されている。「歌麿をめぐる五人の女」は、敗戦後すぐに映画をつくるにあたり、芸術至上主義をテーマにしたような気がする。
わたしは「雨月物語」と「近松物語」が好き。「雨月物語」は、古い屋敷に京マチ子が能面のような顔に能衣装のような優雅な衣装で出てきたところが最高。「近松物語」では、最後のシーン、不義密通で捕らえられたおさんと茂兵衛がくくられて馬に乗せられ、町を引き回しになるところ。「あれほど幸せそうなおさんさまを見たことがない、茂兵衛さんも幸せそう」と店の女たちがいうところ。
まだあと何本か見られるので楽しみ。今度の企画にはなかったけれど、漱石の「虞美人草」、泉鏡花の「日本橋」「滝の白糸」もいつか見たいものだ。

2006年09月01日

溝口健二「残菊物語」に涙

残菊物語 昨日に引き続いて溝口の映画「残菊物語」(1939)を見た。村松梢風の原作を映画化したもので、五代目尾上菊五郎の息子(養子)の尾上菊之助の若き日を描いている。「近松物語」と「雨月物語」がいちばん好きだと昨日書いたところだけど、それを訂正する。「残菊物語」が最高だ。
原作は実録ということだが、菊之助は六代目を継いだのだろうか。だったら名優六代目尾上菊五郎の若き日のことなのか。そして映画の中で「寺島さん」と呼ばれていたけど、寺島しのぶの何代か前の先祖になるのだろうか。
慢心している菊之助(花柳章太郎)には演技への悪評が耳に入らず、女中のお徳(森赫子)から本当のことを聞かされる。お徳は勉強するように勧め、はじめてお世辞でない言葉を聞いた菊之助はお徳を頼りにするようになる。周囲にその仲を知られてお徳は家に戻され、菊之助は探しまわるが、結局親の意見に逆らって家を出て大阪の舞台に立つことになり、その後を追いかけてお徳が大阪へ来て同棲生活が始まる。1年後には大阪で親身になってくれた役者が死に、その後は旅回りに出るようになり、4年ばかりの後はそれもうまくいかなくなる。たまたま名古屋で手にした新聞広告で、昔の友人の中村福助(高田浩吉)が加わる一座が公演することを知り、お徳は菊之助を舞台にあげるように頼み自分は身を引くと福助に約束する。名古屋の舞台は大成功をおさめ、東京へ帰るがお徳は反対に大阪へ行ってしまう。
東京の舞台も成功して今度は大阪へ乗り込むことになる。片やお徳は昔世話になった下宿で死の床についている。華やかな道頓堀の船乗りこみだが、訪ねてきた下宿のおやじの言葉を聞いた父の菊五郎は、妻のところへ行ってこいと言う。死の床にいるお徳は妻であることを喜びつつ、船乗りこみに行くようにと言う。道頓堀を行く豪勢な船の先に立つ菊之助、そのざわめきの中で死んで行くお徳の姿があって終わり。
華やかな大阪道頓堀の風景に思わず涙しそうになった。たくさんの芝居小屋と芝居茶屋が並び、堀を行く役者のにぎにぎしい船がたくさん。私の少女時代には道頓堀にはまだ芝居小屋はあり、いちばん東にある朝日座にモスクワ芸術座がきて「かもめ」と「桜の園」を見たことを思い出した。
俳優に新派の人が多く彼らの姿や演技が素晴らしい。新派の芝居はテレビでしか見たことがないが、泉鏡花の戯曲は新派のためにあるような感じがする。こうして古い新派俳優のフィルムが残っていて見られてしあわせ。
この映画を見て、成瀬巳喜男監督の「歌行燈」と「鶴八鶴二郎」を思い出した。ともに芸道ものである。芸と恋の極限を描くことで人間の真実が見えてくる。「残菊物語」の自然さを見てしまうと、「近松物語」の感動は脚本の巧さにのせられたような気がしてきた。

2006年09月06日

ジョン・キューザックの若いとき

いまジム・トンプスンの「グリフターズ」を読んでいるのだが、おもしろいだけではない、なんとも言えないため息の出る小説である。
読んでいるうちに主人公ロイがジョン・キューザックの姿とかぶってきた。映画「グリフターズ/詐欺師たち」の内容はほとんど忘れてしまったけど、ジョン・キューザックの顔は忘れていない。この映画の原作がジム・トンプスンであることも、ジム・トンプスンという名も当時は知らなかった。いま復刊された文庫本で知って記憶をたどっても、なんかけったいな映画だったとしか思い出せないのである。だから今度DVDを借りてきて見なきゃいけない。
ところで、この映画よりもジョン・キューザックが印象に残っているのが「セイ・エニシング」である。つまらない青春映画だったが、彼の笑顔と白いTシャツの上にレインコートを引っ掛けた姿が忘れられない。こちらはそんなことをしても似合わない年齢というのに真似したりした。そして後生大事にジョン・キューザックという名前を覚えていた。スターになってたくさん映画があるのがうれしい。

2006年09月11日

映画「グリフターズ/詐欺師たち」

グリフターズ スティーブン・フリアーズジム・トンプスンの原作を読んでいてジョン・キューザックの顔だけは思い出せたんだけど、あとは全然覚えていないのに愕然とした。製作のひとりがマーティン・スコセッシ、脚本がドナルド・E・ウェストレイク(1990)だというのも知ってたのかどうか覚えていなかった。それでDVDを借りてきて見たのだが、最初の画面が3つに分割されるところは覚えていた。青年ロイと母親リリイと愛人マイラがさっそうと歩いているかっこいい画面。これで悲劇的結末を忘れさせられていたのかも。
原作のとおりに物語は進む。気が弱そうなくせにずうずうしく人につけこむ詐欺師のロイにキューザックはぴったり。ものすごく無垢な顔をするときもあり気持ち悪さがただよう。ひとり営業の詐欺師が似合っているから、マイラが組もうと誘うこと自体が間違っていた。ロイを14歳で産んだにしては老け気味だが、シルバーブロンドでタイトな服をぴったりと着こなしたアンジェリカ・ヒューストンの貫禄がすごい。アネット・ベニングのマイラは巧すぎて上等過ぎる感じ。ロイを巡って二人の女の心に嫉妬と葛藤がうずまく。ロイがマイラに惹かれること自体が近親相姦的だ。
男の弱さと惨めさがしらっとしたキューザックで現され、女の強さと意地汚さが美しく装ったアンジェリカ・ヒューストンとアネット・ベニングに現されている。

2006年09月13日

こんな本を持っていた 「 CASSAVETES' STREAMS 」

本書「カサヴェテス・ストリームス」(1993 フィルムアート社)を買ったころは、まだそんなにジョン・カサヴェテスの映画を見ていなかった。この本を読んでからビデオで追いかけはじめたのだ。
彼の映画を最初に見たのは「グロリア」(1980)で、女性が活躍するアクションものということで見にいったのだった。いまでもよく覚えているが、ウンガロのスーツを着たジーナ・ローランズがかっこよくて、なんでこの女優をいままで知らなかったのかと思った。けっこう太っているし顔のしわもあらわなのに、ピンク系のスーツが似合いハイヒールがぴったり。そしてその度胸。女はこうでなくっちゃって感じ。
1980年というと、まだサラ・パレツキーのV・I・ウォーショースキー(ヴィク)シリーズは出ていない。「サマータイム・ブルース」が現れたのは1982年である。だけどヴィクが生まれるのを待つ時代の空気がこんなところにもあったのだ。アメリカで、少し遅れて日本でヴィクが受け入れられる下地があったのだと感じる。
本書を読んでから「アメリカの影」「フェイシズ」「こわれゆく女」「チャイニーズ・ブッキーを殺した男」「オープニング・ナイト」「ラヴ・ストリームス」「私の中のもうひとりの私」をビデオで見た。ジーナ・ローランズといっしょに苦労して映画づくりをしてきたのがわかる。若いときのジーナから年とっていくジーナを見て、カサヴェテスが亡くなってから息子のニック・カサヴェテスの映画「ミルドレッド」「シーズ・ソー・ラヴリー」を見て、素晴らしい女の一生だなぁと感嘆しきり。

2006年10月08日

自分の好み、相手の好み

毎日読みに行っている掲示板に知り合いが書いていたのを相方に読んで聞かせた。テレビ番組でも彼女は穏やかなのが好きなのに、お連れ合いはバイオレンスものがお好きだそうだ。うちはいっしょに見るからその点はええなと言ったら、そうなるにはだいぶかかったとの返事。相方は芸術青年(?)で映画だってヴィスコンティやフェリーニなんかばかり見ていたそうだ。たまに石原裕次郎の映画を見たが、それは2本立てでもう1本の今村昌平とかを見に行ってたからだそうだ。
わたしとつきあうようになって、ハリー・キャラハンをはじめとする刑事物を見るわ、ヤクザ映画は見るわ、暗黒ものは見るわ、で、すっかり感化されたそうである。そういや、わたしは裕次郎より小林旭の「渡り鳥シリーズ」が好きだったっけ。この間も「グリフターズ」のDVDを強制的に見せて、原作者のジム・トンプスンについて一席ぶったが、これはあんまり感心されなかった。
共通で好きでないのはホラーとサスペンスかな。それとあまりにも残酷なやつ。「羊たちの沈黙」は二人ともあかんかった。「セブン」はオーケーだった。

2006年10月12日

見そこなっていた映画「空中ぶらんこ」を見た

テレビで「空中ぶらんこ」(1956)があるというので、これは見なきゃと野球中継から切り替えた。なぜか見そこなっていた映画で見るのはほんまにはじめてである。キャロル・リードの映画は「逢びき」からはじまってたくさん見ているが、この映画の監督とは知らなかった。お目当てはバート・ランカスターである。はじめて見たのは「成功の甘き香り」(1957)だっただろうか。西部劇の「OK牧場の決斗」(1957)も好きだ。それよりもルキノ・ヴィスコンティ監督の「山猫」(1963)と「家族の肖像」(1974)でのランカスターにおどろいた。アメリカ人でありどっちかといえば肉体派のランカスターが、なぜヨーロッパの貴族にぴったりなのかと思った。ずっと昔の映画雑誌の解説にサーカス芸人あがりと書いてあったのが頭に残っていたのだ。それでスタントマンをほとんど使わずにブランコのシーンを演じているという「空中ぶらんこ」が気持ちにひっかかっていた。
映画は単純なストーリーだけど、ほとんどが豪華なサーカス劇場の舞台や楽屋でのことで、これまたヨーロッパの伝統をいやでも感じさせる。サーカスの楽しさ、豪華さ、危うさがよく描かれている。サーカス芸人とさまざまな動物たちと動物を扱う人たちがすごい。
バート・ランカスターは一流のブランコ乗りだが、ブランコから落ちて足を怪我し杖を放せないようになり、サーカス団の裏方の仕事をしている。そこへ若いトニー・カーティスがやってきて才能を見せる。ランカスターは“受け”にまわって、カーティスが三回転しようということになる。そこに割り込むのがジーナ・ロロブリジータ。お定まりの三角関係となるが、最後は三回転にいどみ成功する。ランカスターは哀愁があってほんとにステキ。苦労人の女が惚れ込むのは無理もない。

2006年10月14日

ゆうべの夢は上原謙が・・・

成瀬巳喜男監督の「妻」(1953)に出ていたそのままの上原謙が夢に出てきた。どこで出会ったのかわからないがうちへは帰らずに、わたしと同じくミーハーな友人宅へ同伴した。友人は喜んでくれたが、それははじめのうちだった。なんせ上原謙は「妻」のときと同様にぐーたらしており、わたしらとの話を適当に切り上げ、座敷で座布団を二つ折りして枕にしごろんと横になってしまった。なにか掛けてあげてよとわたしが言い、友人が機嫌を悪くしているので、このままでは困るなあと思ったところで目が覚めた。
なんでこんな夢を見たのかというと、先日「妻」を見たからだとしか言えないのだが、どうってことのない映画なのにアタマに残っているのだ。ええかげんなサラリーマンで、戦争で焼け残った家があって、玄関脇(ここだけ洋間なので元書斎か応接間か)と2階を間貸ししている。妻は編み物の内職をしている。会社のタイピスト(丹阿弥谷津子)が未亡人でよく気が利く人である。彼女と名曲喫茶に行ったり美術展に行く。元々インテリなのでそういうことが楽しい。彼女が会社を辞めて大阪へ帰ると、出張のとき会いに行って旅館に泊まる。翌朝ぐずぐずと彼女の子どもと部屋で自動車のおもちゃで遊んでいる彼の頼りなさったらない。
上原謙と高峰三枝子という大スター2人が、結婚10年の倦怠期の夫婦役である。出演作を見ていくと30年代から活躍し、渋い中年となり演技に磨きのかかった50年代最初のころまでが最盛期のようだ。「妻」以後の「晩菊」「山の音」「夜の河」の3作がいいのは確かだが、夢にまで出てくる「妻」における上原謙はなんなんだろう。まだこだわっている。

2006年10月18日

人種問題とスポーツと 映画「エッジ・オブ・アメリカ」

高校教師として先住民族居住地域にやってきたアフリカ系アメリカ人ウイリアムズ(ジェームズ・マクダニエル)は、赴任してきて住まいはここだと古いトレーラーに案内されておどろく。ハイスクールの生徒たちも無気力である。
気を取り直して授業に取り組み、万年最下位の女子バスケットボールのコーチをすることになる。ひたすら毎日練習に明け暮れる日々である。無気力なネイティブアメリカン(インディアン)の少女たちを叱咤激励するが、それぞれ事情がありなかなか受け入れてもらえない。ひたすら練習させて負けてばかりのチームが得点するようになるが、試合をすると審判(白人)は相手チーム(白人)のファールは認めないで、こちらのチームのファールをとる。それでもだんだん勝てるようになっていくが、試合のことばかり考えて生徒たちの事情を考慮しないで浮いてしまう。
ある日一人の少女の母親に吐き捨てるようになにか言われる。横にいるネイティブの女性教師に聞くと「白人」と言ったのよと教えられる。それから反省して地元に溶け込むようになり、生徒や父兄からも信頼されるようになる。最後は州代表を決める試合にソルトレークまで行くところまになる。
監督クリス・エア、2003年製作。先日テレビで見た。
単純な映画で最初からこうなるとわかっているんだけど、ネイティブの少女たちを応援して最後まで見てしまった。

2006年11月04日

「カイエ・デュ・シネマ」編集長の監督作品「唇によだれ」

唇によだれ ジャック・ドニオル・ヴァルクローズ今年の始めにヨドバシカメラのDVD売り場で見たときは興奮して買ったのに、そのときは忙しくて落ち着いてから見ようと思ってしまい込みころっと忘れていた。昔からタイトルだけ知っていて見たくてたまらなかった映画で、3900円もしたのに。このDVDがはじめての日本紹介だと思う。それを1年近く見ないで置いてあったのだからアホやわ。
「唇(くち)によだれ」(1959)はフランスのヌーヴェル・ヴァーグの映画評論家で、映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」編集長のジャック・ドニオル・ヴァルクローズがはじめて監督した作品である。むずかしい映画かと思ったら一種の恋愛映画(それもコメディ)だったのにはびっくり。
南フランスの古いお屋敷の主が亡くなり、遺言状を相続人の前で読み上げるということで、お屋敷にいる孫娘のほかの2人がパリから呼び寄せられる。家族間の諍いがあって、パリの二人は赤ん坊のときからここへは来たことがなかった。
イギリスのお屋敷もすごいが、このフランスのお屋敷もすごい。お城みたいな建物の中にパイプオルガンがあり夜中に鳴り響く。このお城を借りられたことが映画づくりの第一歩だったと思う。撮るのが楽しかったろうな。
古いお屋敷だが暮らしている娘は美しく装ってピアノに向かえばジャズを弾く。当時の高価なレコードプレーヤーが見られるのももうけもの。若くてハンサムな公証人と、兄の代わりに恋人とやってきた妹はこれまた美しくてエキセントリック。そして、従僕は女好きで新しく雇ったセクシーな召使い(ベルナデット・ラフォン)を追いかける。妹の恋人を兄と勘違いしての屋敷の娘とその男、妹と公証人、雇い人どうしの、3組の恋の一夜。翌日は本当の兄の訪れとなる。
音楽がアラン・ゴラゲールとセルジュ・ゲンズブールで、ジャズを取り入れた軽快な曲が流れる。

2006年11月09日

クリント・イーストウッド監督・主演「ガントレット」

ガントレット クリント・イーストウッドクリント・イーストウッドの映画はかなり見ている。ハリー・キャラハン シリーズは大好き。「バード」「ホワイトハンター ブラックハート」「ピアノ・ブルース」となると尊敬。「ペイルライダー」は笑うしかないが好意の笑いである。最も好きなのが「タイトロープ」と今日テレビで見た「ガントレット」(1977)だ。
何度も見ているが何度見てもおもしろい。出だしからして好き。ジャズの調べにのってショックリー刑事(イーストウッド)がフェニックス警察署の前で車から降りる。手にしたジャックダニエルのポケット瓶を落として瓶が割れる。やる気をなくした刑事のだらしない様子だ。元相棒だった刑事が内勤になっていて出迎える。本部長が呼んでいるというのだ。用件はラスベガスから証人を護送する仕事である。ラスベガスへ着くと証人マレー(ソンドラ・ロック)は女性でありしかも売春婦だった。実は本部長はマレーに犯罪の証拠を握られており、彼女を消すのにショックリーを使って二人とも殺すつもりだったのだ。拘置所を出ると殺されると言うマレーの言葉を真面目に取り上げなかったが、酒場では死ぬほうに賭ける倍率がどんどん上がっている。
車で、オートバイで、列車で、最後は改造したバスで、銃撃と向かいあいながらショックリーとマレーはフェニックスへ向かう。敵対していた二人が行動するうちに愛し合うようになる。最後の計画を立ててからモーテルで食事をして、彼は彼女に薔薇の花束を贈る。彼女は母親に結婚相手が決まったと電話したあと、賭け屋に倍率を聞くと100倍になっている。貯めていた5000ドルをすべて賭けて、バスの乗っ取りに取りかかる。彼女はその箱をずっと持ち歩いて、ずたずたのバスから降りてくるときも大事に抱えている姿が素敵。クリント・イーストウッドとソンドラ・ロックの息がぴたりとあっている。

2006年11月14日

エミネムに目覚めた 映画「8 Mile」

8Mile カーティス・ハンソン日曜日の夜、細野ビルのジャズライブから帰って用事をあれこれしていると、「すごい映画やから見たら」と声がかかった。わけがわからずに(5分ほど見逃し)見始めると、白人の青年ラビット(エミネム)がラップバトルで黒人ラッパーにコケにされ、マイクを持ったまま立ち往生しているところ。友人は黒人ばかりだが仲間として結束している。バトルの司会者は彼の〈詩〉を認めている。寝床にしていたボロ車を別れた彼女にやってしまって、寝る所もない彼は母親(キム・ベイシンガー)のトレーラーハウスに行く。母親は若い男(ハイスクールの上級生)といる。
デトロイトの工場で働きながら、いつも紙を持っていて詩を書き続け、ラップで身を立てようとするラビットだが、仲間とともに出かけては出口のないケンカやレイプ事件のあった廃屋に放火したりと荒れる。工場に兄を訪ねてきたモデル志望のアレックスと仲良くなる。しかしラジオ局にコネがあるというウィンクに会いに局に行くと、彼はアレックスと抱き合っているところだった。ラビットは彼を殴りつけデビューの話はそれで終わってしまう。その上、夜ウィンク一派から妹の目の前で襲撃される。
いよいよ自主制作しかないと決意し、週末も工場で働き夜勤も引き受ける。働いていると友人がやってきたので夜勤だというが、アレックスの姿が見えると、仕事を2時間交代してくれるように頼み、決然とクラブへ出かけて行く。
ラップバトルというのは、2人のラッパーが向かい合って勝負することで、観衆の拍手が勝者を決める。2回を勝って決勝に進む。最初は後攻だったが決勝は先攻である。前回の勝者の黒人に対して、ラビットは自分の現状を述べ始める。トレーラーハウスからさえ追い立てをくらう貧しさ、男に逃げられた母親、情けない状況の仲間、自分は殴られてぼろぼろ。そして相手の黒人の裕福さをつく〈詩〉が湧き出てくる。相手は言葉が出て来ず立ち往生となる。この映画を見ていると、いまや問題は白人対黒人という構図でなく金持ち対貧乏なんだと実感できる。
エミネムという名前は知っていたが、ラップがこんなにすごいものだと思っていなかった。今日は2枚目のアルバム「ザ・マーシャル・マザーズ LP」3枚目の「ザ・エミネム・ショウ」を聴いたのだけれど、歌詞がねぇ。CDについている細かい文字の翻訳を虫眼鏡で読むのもねぇ。ということで、感じでつかむことにする(笑)。
映画の中のエミネムは姿がカッコよくて表情が繊細で左手で詩を書くところなんか惚れ惚れした。テレビでもう一度あるそうなので楽しみだ。

2006年11月27日

ルキノ・ヴィスコンティ「若者のすべて」

若者のすべて ヴィスコンティは大好きなのに「若者のすべて」(1960)はなぜか見たことがなかった。これは絶対見なくてはと、今夜は他に予定があったのだが8時から3時間テレビに釘付けになっていた。
父を亡くしてイタリア南部からミラノにいる長男を頼って列車でやってきたのは、母親と息子たち4人。長男は婚約した相手の家にいるが、大家族がやってきたので、結婚も反対される。ようやく一家が住むことができた部屋は暖房もない。雪が降ると雪かきの仕事があると喜び、職安に出かける一家である。次男シモーネがプロボクサーにと目を付けられ、三男の心優しきロッコ(アラン・ドロン)もボクシングのトレーニングにつきあう。四男は工場で働きながら夜学で勉強する。五男はまだ子どもである。そんな生活に現れたのが娼婦のナディア(アニー・ジラルド)で、シモーネとつきあう。シモーネはロッコの職場のクリーニング店の店主の宝石を盗み出しナディアに贈る。ナディアは返してつきあうのをやめる。
ロッコは兵役につき、兄と別れて2年経ったナディアと偶然会う。愛し合ってまともに暮らすことにしたのに、シモーネと取り巻き連中が二人を襲い、シモーネはロッコの前でナディアをレイプする。その後の兄弟の必死の殴り合いがすごい。
この後は哀しいことばかり。兄にはナディアが必要だとロッコは身を引き、ナディアはその絶望からまた娼婦にもどる。ロッコは兄の賭博などの借金を返すために、プロボクサーになって長期間の契約をする。
最後の哀切なこと。四男は末弟に、ロッコは故郷に帰りたがっているが彼は帰れないだろうと話す。その後で末弟が歩きがらさわるのは、新聞売り場に何枚も貼ってある、ロッコの写真がトップを飾っている新聞。ロッコがこの世の人でなくなって神になったように見える。
アラン・ドロンがめっちゃ美しい。殴られたらその顔がまた美しい。少し知能が足りなそうな融通が利かなそうな顔が美しい。天上の美しさだ。それに比べるとアニー・ジラルドは地上の美しさである。だからよけいにアラン・ドロンが美しく見える。
アニー・ジラルドは長いキャリアの女優だ。ちょっと調べたら1957年に始まって2005年にも出演作がある。わたしが見たのは案外少なくて、「マンハッタンの哀愁」(1965)、「パリのめぐり逢い」(1967)、「あの愛をふたたび」(1970)、「愛のために死す」(1970)くらいだけど、強い印象が残っている。「マンハッタンの哀愁」でマンハッタンを歩く彼女が好き。「愛のために死す」の教え子と恋におちる教師役がよかった。

2006年11月29日

ハリウッド映画の「高慢と偏見」

高慢と偏見 知り合いがレンタルで「高慢と偏見」を見たという。私はBBC Classic Dramaの、コリン・ファースがダーシーさんをやっているのしか頭になく、その人の感想が素っ気ないのをおかしいなと思ったら、こんな映画があったのだ。
検索したらどなたかのブログで「高慢と偏見」ならおさえておかなければと、500円DVDで見つけたので買ったとあった。気持ちは同じである。それは半年以上前のことで、それから本屋やレコード店へ行ったときは気にしていたのを、ようやく先日ジュンク堂で見つけた。「水野晴郎のDVDで観る世界名作映画」に入っていた。1940年の作品である。
さっそく見たのだが、これはなに?って感じだ。衣装が「風とともに去りぬ」みたいにウエストをぎゅっとしめてスカートが広がっている。5人姉妹は「若草物語」みたいだ。お母さんのしゃべり方がBBCの人とそっくりなのは、後のほうが参考にしたのかも。ダーシーさんのローレンス・オリヴィエはさすがに貫禄ある二枚目だ。コリン・ファースとよく似ているということは、こういう顔がイギリスの貴族の顔の典型なのかな。エリザベス役のグリア・ガーソンはハイミスという感じで、ミスキャストじゃないかな。この人は「心の旅路」その他で好きなんだけど。
BBCのほうは302分あるのだから、物語にそってゆったりと話が進んでいくが、映画のほうは118分だから、ストーリーをはしょって言葉で説明する部分が多い。念願の映画を見られてよかった。もうお腹いっぱいという気持ちもあるのだが、そのうち「プライドと偏見」を見ることにしよう。

2006年12月30日

カッコいい夫婦の映画「フレンチなしあわせのみつけ方」

イヴァン・アタル監督と言われても知らなかったわたしだが、テレビで「フレンチなしあわせのみつけ方」(2004)を見終わったいまはファンだ。実生活でもパートナーであるシャルロット・ゲンズブールと夫婦の役で出演もしていてなかなかいい感じなのだ。
夫は自動車販売会社のサラリーマンで、妻は不動産会社で働き、子どもにはベビーシッターを頼んでいる。お茶目な夫婦で楽しい生活だ。夫の友人には独身貴族や妻がフェミニストで困っている男がいる。
そんな夫婦なのだが、夫がジムで働く女性を愛してしまう。妻はなにかを感じつつどうしたらいいか迷う。子どもを連れてバカンスに行くが、そこで他の男に目を付けられても言葉を交わすだけで遊びまでいかない。
妻の悩みが深刻なのだけれど、スケッチ風に描かれているので気楽に見ていられる。イヴァン・アタル扮する夫は憎めない男だしね。
妻がCD店で試聴していると、隣にきたカッコいい男(ジョニー・デップ)が同じ曲を聴きだす。もやもやしてしまう彼女。気がつくと男が出ていくので追いかけるが、深追いせずそこで終わり。かと思ったが、最後のほうで妻が不動産を紹介することになる男が彼だった。エレベーターで上がっていくうちに二人は抱き合う。彼女の妄想なんだけど、それで夫とおあいこみたいな気がしてくる。
ネットでオフィシャルサイトを読んでいたら、アヌーク・エーメがレストランで食事をしているところがあるらしい。気がつかなかった。アヌーク・エーメの映画は昔から好きでかなり見ている。ビデオを録ってあるからまた見よう。

2007年01月18日

楽しく笑えた「ベスト・フレンズ・ウェディング」

ベスト・フレンズ・ウェディング P.J.ホーガンジュリア・ロバーツの映画を映画館で見たのは「エリン・ブロコヴィッチ」だけだ。テレビでは数本見ているがわりと好き。大口開けて笑うところがよい。今夜は「ベスト・フレンズ・ウェディング」(1997)をテレビでやるので、途中までと思って見出したら、笑えたし、シカゴが舞台というのもあって最後まで見てしまった。
ジュリア・ロバーツはニューヨークで仕事しているが、昔の恋人から結婚するという電話があってぶったまげる。その上結婚式の付き添いを頼まれてしまう。シカゴへ乗り込んだ彼女は元彼を奪還すべくいろいろと細工するが・・・。
仕事上の付き合いのルパート・エヴェレットはゲイで、彼女に好意を持っていて、なんでも相談できる間柄。その彼を呼んで恋人に見せかけて嫉妬心をあおって取り返そうとするが、結局、彼氏は新しい恋人(キャメロン・ディアス)と結婚するというストーリー。
感じが良かったのがルパート・エヴェレットだ。「アナザー・カントリー」(1983)ではじめて見たときは、どっちかというとコリン.ファースのほうが好みだったし、いまもそうだけど、今回のルパート・エヴェレットはなかなか良かった。ハラが立つのは「2番目に幸せなこと 」(2000)を映画館で見たこと。映画がつまらない上に、彼もマドンナもよくなかったから全然だった。しかも梅雨時のがら空きの映画館で足を冷やしてしまってえらい目にあった。それ以来映画館に行ってないのだ。

2007年01月25日

キャサリン・ヘップバーンが大好き

さっきテレビでハワード・ヒューズの生涯を描いたマーティン・スコセッシ監督「アビエイター」を見た。ハワード・ヒューズは映画製作者で、たくさんの女優とつきあっていたことは知っていたが、航空産業のことはなんにも知らなかったのでえらく勉強になった。
わたしの父親は戦前に「暗黒街の顔役」(1932)を見て、どんなにすごい映画かを言い続けていたため、わたしはレーザーディスクが出たとき即買った。そのとき80歳くらいの父親に見せようと思って聞いたら、そんな映画があったなぁみたいな反応でがっかりだった。「暗黒街の顔役」は膨らんだ期待には応えてくれなかったが、製作者ハワード・ヒューズと監督ハワード・ホークスという名前を記憶した。
そしてハワード・ホークスにはキャサリン・ヘップバーン主演の「赤ちゃん教育」(1938)がある。DVDを買ったのだが、めちゃくちゃ楽しい映画でこれが500円なんて、高いお金を出してレーザーディスクを買っていたころに比べて天国だ。

さてと、「アビエイター」でゴルフをしているケイト・ブランシェット演じるキャサリン・ヘップバーンを見て、頬骨の高いところも、しぐさや話し方などもそっくりだとおどろいた。それからのつきあいで、二人で飛行機に乗ると彼女に操縦をまかせるシーンが、いかにもこのカップルらしくてよかった。彼女のボストンの実家の進歩的文化人たちが、いかにもという感じでおもしろかった。
キャサリン・ヘップバーンはスペンサー・トレーシーと恋をしてヒューズの許から去って行く。トレーシーには妻がいたから、密会を写真に撮られて命取りになるところを、ヒューズが莫大な株式を渡して握りつぶす。
昔、深夜映画で見た、飛行機乗りの女性役のキャサリン・ヘップバーンがすごくよかった。たしか妻のいる男性を愛して、最後は墜ちるつもりで飛行機に乗り飛んで行く。そして「赤ちゃん教育」は何度見ても笑える傑作で、この映画のキャサリン・ヘップバーンのすごさったらない。
これもだいぶ昔のことだが「MORE FABULOUS FACES」という5人のハリウッド大女優の写真集を買った。その一人がキャサリン・ヘップバーンで、映画の1シーンやブロマイドや雑誌に載った写真、私生活のもあってお気に入りである。

2007年01月26日

「MORE FABULOUS FACES」を見ながらハリウッド女優に溜め息

昨日「アビエーター」を見てキャサリン・ヘップバーンの写真がたくさんある本書を思い出して見ていた。今日はその続きであと4人のも眺めている。1979年にニューヨークで出た本で、どこで買ったんだかとても高かった。
キャサリン・ヘップバーンの他にベティ・デイヴィス、マーナ・ロイ、キャロル・ロンバート、ドロレス・デル・リオの4人だが、キャロル・ロンバートはクラーク・ゲーブルの愛妻だったことしか知らず、ドロレス・デル・リオはフレッド・アステアの映画に出ている1本しか見たことがない。マーナ・ロイはウィリアム・パウエルと共演したダシール・ハメット原作の「影なき男」シリーズで知っている。「我等の生涯の最良の年」(1946)は、姉たちが騒いでいたことだけ覚えている。
ベティ・デイヴィス、この人のことはよく知っていると言いたくなる。10歳上の姉が好きで子どものわたしを洗脳していたから。上唇が富士山になってへんとか、冷たいところがええとか、服の着こなしが抜群とか。映画館について行って見た映画で、ベティ・デイヴィスが双子の姉妹になるのがあった。二人で行った海で婚約者のいる妹が死ぬのだが、姉は自分が死んだと偽って妹になりすまし結婚しようとする。顔は似ているけど、明るい妹と地味な姉で違うので、婚約者が混乱するというストーリーだったような。そんなことで、アカデミー女優賞をもらった映画よりも、プログラムピクチャーを見たい。
本書の5人はものすごく奇麗で神々しいくらいだ。モノクロ写真でライトのあて方がうまいのだと思う。キャサリン・ヘップバーンとベティ・デイヴィスの場合はキャリアが長いから、若いときから老年までさまざまな写真がある。髪型で分けたり、手の表情で分けたり、夫(デイヴィス)で分けたり、相手役(ヘップバーン)で分けたり、とても楽しい。

2007年01月30日

若いアラン・ドロン「生きる歓び」

長いことビデオに録ったままだった「生きる歓び」を見た。びっくりするくらい笑えておもしろい映画だった。ずっと昔に見た覚えがあるが、こんなにおもしろかったとは・・・。孤児院育ちの青年が大都会に放り出されて、勝手に生きていくように言われる。時は第一次大戦と第二次大戦の間でファシズムが台頭しはじめている。行き当たりばったりでファシストの事務所へ行くと、お金をくれて左翼のビラの出所を探すように言われる。行き当たった印刷所には可愛い娘がいて、そこに居残ろうと必死のハッタリ。結局そのアナーキストの巣窟に住み込む。なにかあるとアナーキストたちは一斉検挙されて留置されるようになっている。拘置所には連絡手段も脱出手段もあり、それを利用して娘との大冒険。娘がメロンの包みを爆弾と信じて疑わないのがおかしい。
1960年にアラン・ドロンの映画は3本あって、「若者のすべて」はルキノ・ヴィスコンティ監督、「太陽がいっぱい」と「生きる歓び」がルネ・クレマン監督である。3本ともめちゃくちゃ美しいアラン・ドロンで、見るたびに溜め息ついたり嘆声をあげたり。
当時はそんなにファンでもなくそんなに美しいとも思わなかった。「太陽がいっぱい」があまりにも人気が出過ぎたからかもしれない。
「太陽はひとりぼっち」(1962)「山猫(1963)が好きで、その後は「リスボン特急」(1972)が渋くて良い。「スワンの恋」(1983)も良いなぁ。
なんとか言うても、ただひたすら、若いアラン・ドロンは美しくて溜め息がでる。

2007年01月31日

ルネ・クレマンの映画はけっこう見ている

昨日「生きる歓び」のことを書いていたら、ルネ・クレマンの映画をたくさん見ているのに気がついた。思い出して整理しよう。
「海の牙」(1946)はどこで見たのだろう。潜水艦内の緊張感がすごかった。ちょっとだけ出てくる女優がよかったのだが、名前を忘れている。
「鉄路の闘い」(1945)は大阪駅構内のステーションシネマで見た。石原裕次郎の「錆びたナイフ」と2本立てだった。鉄道労働者のレジスタンス映画は若いわたしを刺激した。捕まって処刑されるとき、すぐ側の壁にとまった虫を見つめるシーンがあった。そして銃声が轟いた。
「ガラスの城」(1950)は人気俳優2人(ジャン・マレーとミシェル・モルガン)の恋愛映画。ガラスでできた城のような危うい恋の感情が描かれて好きだった。ガラスの城の置物を前にした2人の表情を覚えている。恋に憧れていた。
「鉄格子の彼方」(1950)「禁じられた遊び」(1951)は評判になった。「禁じられた遊び」の主題歌は好き。
「居酒屋」(1956)はエミール・ゾラ原作で、マリア・シェルが貧しい女を演じて好評だったが、あまりにも巧過ぎると思った。「太陽がいっぱい」と「生きる歓び」が1960年。オールスターキャストの「パリは燃えているか」は1966年。
それからわたしの愛してやまない「狼は天使の匂い 」である。ロバート・ライアンとジャン=ルイ・トランティニアンの男の友情がすてき。最初からいいんだけど、特に最後のシーンが素晴らしい。
そして最後に「危険なめぐりあい」(1975)である。評判はよくなかったように思うが、わたしは大好きだ。マリア・シュナイダーがベビーシッターのアルバイトをしている学生役で、とてもよかった。彼女の映画では「ラストタンゴ・イン・パリ」(1972)「さすらいの二人」(1974)の2本がものすごく良かった。年を取ってからの「ジェイン・エア」(1996)ではロチェスターさんの狂った奥さんをやっていたが、狂った中に美しさがあってよかった。
ルネ・クレマンは1996年に亡くなった。「危険なめぐりあい」を最後に、20年も映画製作から離れてなにをなさってたのかな。わたしもそのころはヌーベルバーグに夢中になっていたっけ。

2007年02月10日

出てきてよかった バスキアの映画「DOWNTOWN81」

「DOWNTOWN81」(1981)についてなんの前知識もなく、ビデオに録ってあるのを見ようということになって見出したら、なんとジャン=ミッシェル・バスキアが主演の映画だった。えっ、バスキアってあのウォーホルの・・・と思ったけど、すぐに画面にひきつけられた。
バスキアが病院でベッドに横たわっていて、医者にもう大丈夫だと言われる。そのあたりでは近未来ものかなと思った。病院を出てニューヨークの街を歩いていくと、美女がダウンタウンに行くのでしょうと言って乗せてくれる。アパートに帰ると家賃が不払いだと追い出され、紙袋と絵を持って街をさまようことになる。おっ、現実味をおびてきたぞと興味しんしん。
このころ、ニューヨークはパンク&ニューウェイブ真っ盛りである。ジェイムズ・ホワイト(チャンス)が延々と歌いサックスを吹いている。なつかしいなぁ。わたしは当時いろんなライブへ行ったけれど、四ツ橋のカフェ「パームス」でミュージックビデオを見ていた時間も長かったから、そのときの感覚を思い出した。
バスキアは街を歩きながら壁にペインティングしていく。ほとんど文字。街中に知り合いがいて声をかけたりかけられたり。だんだん疲れてきてどうするのか心配になってきた。彷徨うのも汚い路地裏だ。めちゃくちゃ汚いホームレスの婆さんがキスをしてくれと言う。汚いふとんに横たわる婆さんにバスキアが近づいてキスすると、ぱっと華やかなデボラ・ハリーが立っている。そしてゴミの山には現金入りのトランクが・・・。

バスキアはこの映画のときは19歳。1983年にアンディ・ウォーホルと知り合い、共同制作するようになる。ウォーホルが亡くなる87年まで関係は続いたが、その翌年、薬物中毒により27歳で世を去った。
ネットで調べたら、この映画は長く行方不明になっていたが、発見されて2000年のカンヌ映画祭でプレミア上映されたそうである。出てきてよかった。

2007年02月21日

ああ、日活青春映画

ケーブルテレビで日本映画の古いのをやっているのを知って、今日は古い日活映画を1本見た。和田浩二主演の「疾風小僧」(1960)で、出演者のタイトルに吉永小百合(新人)とあった。
若かりし私はこの手の日活青春映画が大好きだった。最初は友人の親が日活映画の株を持っていて招待券があるので行ったのだが、小林旭の「銀座旋風児」でとりこになった。石原裕次郎のも行ったが、小林旭のほうが好きで、友人をおだてたりすかしたりしてタダ見したもんだ。「銀座旋風児」のシリーズのわざとらしさも好きだし、「渡り鳥」シリーズのばかばかしさも好きだ。
いまは昔の映画もカンタンに見られるいい時代になり、一時は記憶にしかなかった映画が見られる。それですごくうれしいときがあり、なんだーとがっかりする場合あり。
今日の和田浩二は名前は知っているが顔が思い出せないので見たのだが、なんだ、よく小林旭の映画の二番手に出ていた若者だ。1944年生まれで1986年に亡くなっている。出演した映画の本数はすごい。数えたら60年代に58本もあった。
オトコマエではあるがピカッとしたものがなく、裕次郎とアキラの模倣に終わってしまった感じだ。この映画もせっかく北海道旭川まで長期ロケをした大作で、キャバレーのセットも豪華なのだがスター性が足りない。
わたしの育った家は都市の貧困階級だったが、なぜか洋画と翻訳小説を愛好する父親と生真面目な母親のおかげで清教徒的家庭だった。わたしの日活青春映画と東映やくざ映画への傾倒は「この子は品が悪い」となって、いまだに家族からバカにされっぱなしなのである。

2007年02月23日

ギャング映画の傑作「ミラーズ・クロッシング」

ミラーズ・クロッシング スペシャル・エディション ジョエル&イーサン・コーエン1991年の映画をいまごろ見て熱くなってしまった。一応カッコつけてコーエン兄弟の映画やから、なんて言うているが、実はそんなに見ていない。「ビッグ・リボウスキ」(1998)「ファーゴ」(1996)の2本は見て、さすがコーエン兄弟と言われるはずだと思った。「ミラーズ・クロッシング」は、「赤ちゃん泥棒」(1987)のすぐ後の映画なのだが、最後まで一所懸命見てしまった。いまさらながらだがギャング映画の傑作だと思う。
1929年のアメリカ東部の町では暗黒街を制した者が町を制する。いまはアイルランド人のレオが市長と警察署長を抑えているが、イタリア人のキャスパーが取って代わろうと虎視眈々と狙っている。レオの右腕のトムは頭が良い切れ者だが博打好き。目下なにに賭けても負けて借金を背負い込んでいるが、レオが貸すと言っても受け取らない。レオはクラブで働くヴァーンと結婚しようと思っているが、トムは昨夜ヴァーンが自分の部屋に居たことをレオにばらしてしまい怒りを買う。
なんやかや抗争があった末、キャスターが町を制するようになる。レオは家にいるとき襲撃されるが、家を焼かれはしたが反対に相手を倒す。トムはキャスパーに取り入って、うまく立ち回り、抜群の頭の回転の早さと口の巧さで乗り切る。ヴァーンの弟がからむが、トムは非情に彼を使ってキャスターを殺す。
最後はトムに絶望したヴァーンがレオに結婚を申し込む。レオはトムの働きで町の支配を取り戻す。弟の埋葬のあと一人で車に乗り込むヴァーンの後ろ姿が淋しい。その後姿を見ながらレオが戻るようにいうが、トムは断って去って行く。おー、ハードボイルド!
トムに扮したガブリエル・バーンがすごくよかった。オトコマエだし服の着こなしがよくて演技もよい。で、調べたらあまり見た映画がないのだが「若草物語」のウィノナ・ライダーの次に名前があった。ジョーがニューヨークで出合った恋人がそうだったのかな。そういや感じの良いオトコマエだった。
レオをやったのは、「土曜の夜と日曜の朝」(1960)で旋盤工をやっていたアルバート・フィーニーだと知った。いやー、わたしの映画歴も長いわ。

2007年03月10日

ラウル・ルイス監督「見出された時『失われた時を求めて』より」

プルーストの部屋〈上〉—『失われた時を求めて』を読む 海野 弘プルーストの部屋〈下〉—『失われた時を求めて』を読む 海野 弘気になっていたままだったラウル・ルイス監督「見出された時『失われた時を求めて』より」をビデオで見たが、話がわからないところがあった。本を読み直すのはしんどいので、海野弘の「プルーストの部屋」でにわか勉強してから、再度ビデオを借りてきて昨夜じっくりと見た。

マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」はだいぶ昔に全巻を10年くらい空けて2度読んだが、数年前に3度目を読み出して挫折したままだ。最初に読んだときは10代で「スワンの恋」を読み切れなかった。30代になってようやく読み通すことができ、40代になって読んだときはプルーストを読んだという満足感にひたることができた。
そして1989年から雑誌「マリ・クレール」に連載された海野弘の「プルーストの部屋」を愛読し、終わってから単行本を買ったというわけだ。
好きな本はと聞かれたら、いろいろあるけど、なんといっても「失われた時を求めて」と答えるだろう。

サナトリウムからパリへもどってきたマルセルは、病床で女中のセレストに口述筆記をさせている。口述に疲れた彼は引き出しから写真を持ってくるように言う。その写真を見て一枚一枚名前を挙げているうちに思い出がわきあがってくる。物語に出てくる主要な人物像が浮かび上がる。
ゲネマント大公邸でのパーティへ出かけると、社交界の人たちが老いた姿で現れる。夫の死後、財産にものを言わせて二度の結婚により成り上がったヴェルデュラン夫人。金持ちのアメリカ女性がフランス貴族と結婚して貴族夫人として紹介されるなど新しい社交界が形作られていくのも見る。そこへオデット(カトリーヌ・ドヌーブ)が登場する。スワンとオデットの娘ジルベルトもいる。
目まぐるしい場面転換で、第1章の「スワンの恋」の1シーンが出てきて、オデットとスワンの部屋に子どものマルセルが行ったシーンもある。母に読んでもらった「本」をめぐるエピソードも3時代にまたがって現れる。
この映画の中心になるのはシャルリュス男爵である。マルセルが街をさまよっていると怪しげなホテルがあり、出て行く人がサン=ルーに似ていると思いホテルに入ると、そこはホモセクシュアルの客が男を買う場所であった。そこでシャルリュス男爵は若い男に鞭打たれている。
最後のほうで病みやつれたシャルリュス男爵と会うシーンが圧巻だ。シャルリュスは道ばたの広告を見て言う。このポスターは同じだと。画面が変わって子どものマルセルが海辺にいる。そこに貼ってある広告も同じココアのものだった。

ジョン・マルコヴィッチのシャルリュス男爵が圧巻だった。この映画の製作者でもあるらしい。この役をどんなにやりたかったかと想像してしまうと微笑ましい。ラウル・ルイス監督の作品を見るのははじめてだが、すごい人がいたものだ。次にマルコヴィッチと組んで、画家クリムトの生涯を描いた映画があるらしい。機会があれば見たい。監督と共にこのややこしい小説を脚色したのがジル・トランと聞いてなんとなく納得した。「海辺のホテルにて」(アンドレ・テシネ監督)は好きだったなぁ。カトリーヌ・ドヌーブが良かった。また見たい。
お屋敷が出てきて、宝石や衣装がみごとで、インテリアや食器が凝っていて、馬車が走っている。好きなものがいっぱい。楽しかった。

2007年03月12日

「8人の女たち」にダニエル・ダリューが出ている

8人の女たち デラックス版 フランソワ・オゾンフランソワ・オゾン監督の映画を何本かまとめて見たら「8人の女たち」(2002年)をまた見たくなりビデオを借りてきた。
前見たときは気がつかなかったが、車椅子に座っている祖母がダニエル・ダリューなのだ。それも途中から立ち上がる元気な老女である。色香があり美しい。しかも歌も歌うのにはおどろいた。いやー、こういう立派な先輩がいると、年を取っても大丈夫と思えてくるわ。それだけの努力はしなくちゃいけないだろうけど。
ダニエル・ダリューと言えば透き通った美貌の持ち主で、美しい女の代名詞のような女優だったのではなかろうか。わたしの姉たちが騒いでいたのは「暁に帰る」(1938)だった。戦前のことだったと思う。姉たちも幼くして見たようだ。戦後になってからは「うたかたの恋」(1936)で騒いでいた。わたしは小学校のとき「背信」(1938)に連れていってもらった。貧しい学生のダリューが、幼いときに娘がいなくなった(さらわれたのかな)金持ちの家へ行って、自分がその娘だと言って住み込む。親とうまくいって裕福な暮らしをさせてもらうが、良心の呵責に耐えかねて告白すると、親はわかっていたと言ってこのまま娘になってくれというストーリーだった。いつばれるかとばらばらして見ていた。それ以来のダリューファンだ。

「8人の女たち」はオゾン監督の才気がほとばしる素敵な映画だった。毛皮のコートが似合うゴージャスな女主人にカトリーヌ・ドヌーブ。召使いスタイルがセクシーなエマニュエル・ベアール。二人の娘の才気煥発な会話とカジュアル&可愛い服。そこへやってきた夫の妹ファニー・アルダンは、かつてキャバレーのダンサーだったという真っ赤なセクシーなドレス+黒い長手袋。
一家の主がナイフで刺されているのが発見されて、電話線が切られている。8人の女たちの動揺と猜疑心がさまざまなかたちで現される。それがときたま歌とダンスになる。
圧巻はカトリーヌ・ドヌーブとファニー・アルダンが取っ組み合いをしているうちにあえぎだすところ。フランスを代表する大女優さんになにをさせてくれるんや、オゾンさん、って思ってしまいました(笑)。きっと撮影中は和気あいあいで楽しくやってたと思う。

2007年03月17日

グウィネス・パルトロウとジェニファー・エールの「抱擁」

抱擁 ニール・ラビュート「8人の女たち」を見たときの予告編が良さそうだったのでDVDを借りて数日前に見た。内容が現代とビクトリア時代を行き来するので、わかりにくいところがあると2日続けて見たのだが、結局は恋愛ドラマが好きだからの2度見(笑)。ニール・ラビュート監督の映画を見るのははじめて。原作はA・S・バイアットの「抱擁」(新潮社)で、わたしはこれから読むところ。

グウィネス・パルトロウは「セブン」でブラット・ピットの奥さん役を見たときから好きだった。ある会でパルトロウが好きと言ったら「あんな貧乏臭い女」と一蹴されたことがある。あの人たち、いまのパルトロウを見たらなんというやら。
ロンドンの博物館でビクトリア時代の高名な詩人アッシュの大掛かりな展示をしている。ローランド(アーロン・エッカート)はアメリカ人のアッシュの研究家だが、ある日図書館のアッシュの蔵書から書きかけの手紙を見つけて、その手紙をそっと自分のノートにはさむ。アッシュは妻以外の女性がいないはずなのだが、その手紙の相手はレズビアンの詩人ラモットである。
そこで、ラモットの研究家を紹介してもらったのがモード(グウィネス・パルトロウ)で、彼女のいるリンカーンシャーへ訪ねる。モードは自分はラモットの親戚筋に当ると言い、ラモットの住んだお屋敷へ案内する。そこで見つけた手紙によって確信を深め、アッシュとラモットが二人で訪れたヨークシャーへ行くことになる。ヨークシャーの自然の美しいこと、滝や海の風景が素晴らしい。
モードは自己防御が強い女性であり、ローランドは女性にこりごりな心境の男性なので、二人の間はもやもやしつつも緊張状態が続いている。
現代の二人がヨークシャーへ行くのと並行して、アッシュ(ジェレミー・ノーザム)とラモット(ジェニファー・エール)の恋の道行きが描かれる。ラモットを一目見て、この人知ってると思った。微笑むと唇の両端がめくれて・・・ああ、エリザベスやん、「高慢と偏見」のエリザベスが演じるラモットは、恋する女の情感があって素晴らしい。
燃え上がる4週間の恋が終わり、ラモットと暮らしていた女性画家が入水自殺し、ラモットはひとりフランスへ行く。
なんやかやの末、現代の二人は遺品を手に入れることができ、教授から博物館に収めるより前に見てもいいと言われる。ようやく愛に目覚めた現代の二人も素敵。

金髪をひっつめにして学者らしい上品な服装のパルトロウは貫禄も出てきた。アーロン・エッカートはちょっと顔が長めだが、好感のもてる俳優だ。「エリン・ブロコビッチ」でジュリア・ロバーツの相手役をしていた人。先に書いたけどジェニファー・エールがビクトリア時代の詩人でレズビアンでという役。時代劇女優としてこれからも活躍しそう。

2007年03月29日

ガイ・リッチー監督「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」

ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ ガイ・リッチーおもしろそうだぞと相方が言うのでつきあって見たら、わたし好みのすごくおもしろい映画だった。タイトルでガイ・リッチーという名前が見えたので、これは知ってる名前だと後で調べたらマドンナのダンナさんだったわ。

ロンドンの下町、若者4人組が盗品を売りさばいている。そこへ警官が来たのであわてて逃げる。良いときも悪いときもしっかりいっしょの4人組である。エディはカードゲームに強い。エディの父親はかつてカードで勝って手に入れたバーを経営している。そのとき負けたハリーは今回エディと大金を賭けた勝負をいかさまで勝ち、その金を払わないと親父のバーを取ると言う。
あとの3人と金策の相談をするができるはずがない。父親はバーを手放さないと言う。そこで考えたのが、隣人の大麻を横取りすることである。隣人は大麻を栽培して加工し大金を手にしている。それを狙うのだが、ギャングたちとぶつかっての大騒動。という他にもギャングの抗争があり、値打ちもの古い散弾銃があっちこっちしたりと話が複雑。
最後まではらはらさせて、最後にもう一発はらはらさせてくれて終わる。うまいわぁ。
スティングがバーを経営する父親役で出てきて貫禄あり。出資する代わりに出演させろと言ったとか。製作 マシュー・ボーン、スティング夫人のトルーディ・スタイラーが製作総指揮にあたっている。

ロンドン下町に巣くうギャングたちが、みんな二流な感じのやつばかりでおもしろい。イアン・ランキンの作品に出てくるエディンバラのギャングたちに似ている。
とてもおしゃれでスタイリッシュな映画なのだ。今度は余裕を持って楽しみたい。

2007年04月01日

フランソワ・オゾン監督「スイミング・プール」はすごい

スイミング・プール 無修正版 フランソワ・オゾンDVDで見たのだが、1回目では理解しきれず2回見て納得、すごい映画だ。
ロンドンの電車でいかにもミステリファンらしい人の良さそうな女性が、前に座ったシャルロット・ランプリング扮する作家に、本の表紙の写真と見比べながら、「サラ・モートンさんでしょ」と問いかける。うるさそうに「人違いです」と答えて出口のほうへ行くサラ。いかにもイギリスの女流ミステリ作家らしい一筋縄ではいかない感じが巧い。
カフェで「お早うございます」と挨拶されて注文したのはウィスキー。それから出版社へ行って社長はいるかと聞く。出てきたのは社長のジョンと男性の新進作家である。紹介されると、新進作家は「母があなたのファンです」と言う。別れしなにはまた「母が次の作品を楽しみに待ってます」と言う。こりゃハラが立つわ。サラはこの言葉を最後までちゃんと覚えている。こうでなくっちゃ。
サラの作風は事件があって警察が出てきてという古典的なものらしい。いま次作を書きあぐねているということで、ジョンは自分のフランスの別荘で書くようにすすめる。
サラはフランスの洒落た別荘に落ち着きノートパソコンを開く。そこへやってきたのがジョンの娘ジュリー(リュディヴィーヌ・サニエ)だ。彼女は毎夜、男を誰となく連れ込みプールや居間でマリファナを吸い、大音響のロックの中でいちゃついている。耳栓をするサラ。
緊張状態の中から休戦状態に入り、いっしょに食事にも行く。そのかたわらサラはジュリーのノートを盗み読む。
これ以上書くとネタバレと怒られるからストーリーはここまで。そうそう、ストーリーとは関係ないけど、別荘のある村の隣村にサド公爵の城があるとカフェの男に教えられて、廃墟でしょと言いながらも行くところがある。意味深だ。
徹底的にかわいげのない英国作家を演技したシャルロット・ランプリングがすごい。
そしてね、最後がね、すごいんだわー。この映画を見た人としゃべりたいです。

2007年04月02日

スタンリー・キューブリック「現金(げんなま)に体を張れ」はさすがだった

現金に体を張れ [MGMライオン・キャンペーン] スタンリー・キューブリック今夜テレビで見たのだけれど、日本での封切りはいつだったのかしら。1956年製作なので、1955年のジュールス・ダッシン「男の争い」と同じころだったと思うが、「男の争い」のほうはかなり覚えているのに、こちらは覚えていなかった。見ながら、こういう場面があったなぁと思い出していた。当時はジュールス・ダッシンのほうに思い入れがあったようだ。「現金(げんなま)に手を出すな」と混同してしまったところもあるかもしれない。監督がキューブリックだと気がついたのは後々のことだ。そして最近、ジム・トンプソンの作品を意識して読むようになり、彼がこの映画の〈追加台詞〉を担当していると知ってDVDを買おうかと思っていたところだった。

ムショ帰りでまたもや強盗を企むジョニー(スターリング・ヘイドン)には服役中の5年間を待っていた恋人(コーリン・グレイ)がいる。競馬場のバーで働く病気の妻がいる男、借金を抱える警官ら仲間を集めて、競馬場の売上金強奪計画を話す。競馬場窓口で働くジョージは妻シェリー(マリー・ウィンザー)を引き止めるために、金が入ることを話してしまう。シェリーは浮気相手のバルにすぐに伝える。
第7レースが始まったら本命の馬を射殺するように射撃場で見つけた男に依頼し、バーで騒いで警官を集める仕事をケンカ強い男に依頼し、すべてが整う。当日は予定通りに強奪は成功する。任務が終わってジョニー以外のメンバーが集まったところに、バルが襲撃し撃ち合いになり、室内は死体だらけになる。ジョージは重傷を負いながらも家に帰り、家出の支度をしているシェリーを撃って自分も倒れる。
ジョニーはスーツケースに札を詰めて恋人と高飛びを図るが、手荷物には大き過ぎて荷物扱いにせざるを得ない。荷物を空港で運ぶときに子犬が迷い込み、避けようとした運搬車から荷物が落ちる。お札が空を飛ぶ。それを見ていてバックした二人を警官が見つける。飛行場のドアから二人の警官がこっちへくるところで終わり。

だいじにしまってある本「CRIME SCENES」(犯罪映画のポスター集)を出してきて探したら、「THE KILLING」がありました。とてもおしゃれなポスターが3枚。スターリング・ヘイドンと仲間の写真の組み合わせ、女性はマリー・ウィンザー。そりゃ清純派のコーリン・グレイでなく、悪女役のマリー・ウィンザーだわね。
セリフがとてもよくて、これはジム・トンプソンのセンスやなとわかった。
スターリング・ヘイドンは人が良さそうなところが、どうも強盗を最後までやり通せない感じがした。「赤い谷」でもコーリン・グレイと出ている。たしか姉が見て良かったと言っていた。「大砂塵」は亡き姉の思い出のためにレーザーディスクを買ったのだが、あまりにもアホらしい映画だった。ペギー・リーの「ジョニー・ギター」が最初に流れていた。

2007年04月10日

「ダンシング・ハバナ」原題は「Dirty Dancing 2」

ダンシング・ハバナ ガイ・ファーランドガイ・ファーランド監督のダンス映画(2004年)。ずっと前に見たパトリック・スウェイジ主演の「ダーティ・ダンシング」(1987)の(2)ということだが、続きではなく別な話で、時代は1958年に遡る。場所はキューバ革命直前の日々からパティスタ政権が倒れるその日までのハバナでのキューバ少年とアメリカ少女の物語である。
「ダーティ・ダンシング」は避暑地にきた一家の娘とダンス教師パトリック・スウェイジの物語で、わたしはパトリック・スウェイジを一目見て気に入ってしまった。そんなにオトコマエでもないし、どっちかと言えば品も良くない。でも善意があり前に進む気概がある。今回も主演級かと思っていたら、ダンス教師の役で脇を固めていた。相変わらずダンスを教えるところがカッコよかった。

キューバは独立国というもののアメリカの傀儡政権パティスタが支配し、現地の人たちは差別されている。アメリカ企業社員のお嬢さんケイティは秀才で名門ヴァッサー大学を目指している。レストランで白人仲間がコップを割ったとき、給仕のバヴィエルは黙って片付けるが、ケイティは謝りにいく。お互いを意識しあって、やがて現地のクラブでダンスをするようになる二人。
バヴィエルの父親は革命派で殺されており、兄はその後を継ごうとしており、貧乏でハバナでの生活に明日はない。そこへ大晦日に勝者が決まるダンス競技があり、大金の賞金がもらえるとあって、その金でバヴィエルはアメリカへ移住しようと思う。必死で練習する二人。
決勝までこぎつけた大晦日、ダンスの途中に会場のホテルにバヴィエルの兄の撃った銃声が轟く。それに驚きみんな逃げ出すが、それだけでなくパティスタ大統領の国外逃亡が告げられる。
ケイティの一家はアメリカへ帰ることになるが、バヴィエルはもうアメリカへ行く理由はないと言う。海辺で一夜を過ごした二人はまた会える日を信じて別れる。

あまりにうまいというか、都合が良いというか、ものすごい脚本だと思ったら、この話は振付師ジョアン・ジャンセンの実話にもとづいているんだって。事実は小説よりも奇なりとはよくいったものだ。こういう歴史的事実の日に、自分の人生の進む道を決められたという、ほんとにすごい話なのだ。

2007年04月14日

モンゴメリー・クリフトが神父役 アルフレッド・ヒチコック「私は告白する」

私は告白する 特別版 アルフレッド・ヒッチコックいまだにいちばん好きな俳優はモンゴメリー・クリフトと言ってるわたし。でもそんなにたくさん見ているわけじゃない。「赤い河」1本で大満足しているのだ。
先日、偶然午後のテレビにモンゴメリー・クリフトの顔があった。カトリック神父の姿である。若いときだなと思った。調べたらアルフレッド・ヒチコック「私は告白する」(1953年、クリフト6作目)だった。これは見ていないわと途中からだけど座り直して画面に見入った。美しいモノクロ映画である。

男が殺され、立ち去った男は神父の姿をしている。その男は妻とともに教会で働いているケラーだった。ケラーはローガン神父(クリフト)に殺人を告白するのだが、神父は懺悔の内容を漏らせない。ケラーの画策と偶然が重なって神父に殺人の疑いがかかる。
昔つきあっていたルース(アン・バクスター)が証言するが、かえって殺人の理由を証明するような結果となる。法廷場面になって丁々発止の証言シーンがあり、ケラー夫人アルマは夫が殺したことを知っているので苦悩する。評決は証拠不十分で無罪となる。裁判所を出た神父は群衆にリンチされる雰囲気の中を顔を上げて進んでいく。アルマが耐えかねて神父のほうへ走り、ケラーはアルマに向かって撃つ。アルマは許しを乞いつつ死亡。ケラーはホテルに逃げ込み、神父は銃に向かって歩いていく。最後ケラーは警察に撃たれ、神父に許しを乞いつつ死ぬ。

神父姿のモンゴメリー・クリフトの苦悩の表情が良かった。また「赤い河」を見たくなった。細い腰に吊るした拳銃を抜くときのカッコいい姿は何度見てもステキ。ハワード・ホークス監督がニュ−ヨークの舞台を見に来て、彼に出演を請うたそうだが、ほんとにぴったりと演じている。

2007年04月16日

アンドレ・テシネ監督「かげろう」をDVDで

かげろう アンドレ・テシネアンドレ・テシネ監督の名前を知ったのは、ずっと前にサンケイホールで見た「海辺のホテルにて」(1981)だ。タイトルに惹かれたのとカトリーヌ・ドヌーブが好きだったので、多分一日だけの上映に行ったのだと思う。とてもメランコリックでよかった。もう一度見て感傷にひたりたい。
次に見たのは「ブロンテ姉妹」(1978)で、これも映画館でなく朝日アリーナの上映会で見た。一人で見て感激して帰りは肥後橋から歩いて帰ったのを覚えている。イザベル・アジャーニ演じるエミリ・ブロンテがヒースの丘をショールを巻いて歩くところがよかった。最後のほうで、シャーロット・ブロンテが都会へ招待されて芝居を見に行くところ、松明で照らされた劇場の外と、劇場内の蠟燭のシャンデリアが美しくて好きなシーンだ。ビデオを買って持っているが、わたしの好きな映画の10本に入るだろう。そのわりに見ていない監督なのはなぜかしら。これから気をつけてビデオを借りよう。

たまたま相方が良さそうだと借りてきたのが「かげろう」である。見始めたらアンドレ・テシネの文字が読めてうれしくなった。しかもすごく良かった。
第二次大戦でフランスはドイツにやられている。1940年、夫を戦争で亡くした教師のオディール(エマニュエル・ベアール)は13歳の息子と7歳の娘を連れて、ナチスの侵攻から逃れようと車で国道を行くが、あらゆる種類の自動車、馬車などと徒歩の人たちとがぞろぞろと続いている。空爆が繰り返され、ついにオディールの車もやられてしまう。必死で逃げて脇道にそれたとき、若い男イヴァン(ギャスパー・ウリエル)が声をかける。どうしようもないまま彼といっしょに森を抜けて村に入ると、村人は避難して誰もいない。イヴァンは無人の家にガラスを割って入り、3人はついていく。久しぶりにベッドで寝て風呂に入り、ワインを開けて固くなったパンを食べる。
それからはイヴァンがウサギや魚をとってきて食料を確保する生活になる。息子とイヴァンはいろいろあるものの友情を結ぶし、娘もなついていく。イヴァンが字を読めないことを知り、オディールは教えはじめる。つかの間の安穏と先行き不安の中、オディールとイヴァンは野外で結ばれる。
翌日イヴァンは他の農家に行って官憲につかまり、彼が感化院を脱走していたことをオディールは知る。その後、一家は施設に収容されるが、イヴァンについて訊ねにきた官憲に彼女はなにも知らないと答える。そして彼はいまどうなっているかと聞く。
エマニュエル・べアールは最初から最後まで緊張した演技で通し、ギャスパー・ウリエルは感化院から脱走して中流の一家に出会った青年をエキセントリックに演じている。息子も娘もものすごくうまい。
17歳の感化院脱走少年にジャン・ジュネを重ねてしまった。同じ年頃ではなかろうか。
たった60年ほど前のことである。大阪もアメリカ軍に空襲されて、我が家は一家離散状態だった。
こういうかたちで戦争を描くことも可能なのだと目が覚めた。

2007年04月22日

はじめて見たジャン=ピエール・リモザン監督の映画「NOVO」

最近フランス映画をDVDでよく見ている。今回も相方が選んだレンタルDVDである。子どものときからずっと映画ファンだったのに、ここ数年ほど映画を見ていないことはなかった。DVDにしろ映画を見るのが復活できてうれしい。

なんの先入観もなく見始めたが、スピードのある映像にすぐに引き込まれていった。ものすごく純な表情の青年グラアム(エドゥアルド・ノリエガ)は、行動がすこしおかしい。謎めいた男フレッドがいつもつけていて行動を助ける。コピー取り係をしている職場での経営者の女性も意味ありげだ。
朝、仕事に行くとき少年と出会う。靴を履いてない少年に「なにかしてあげられる?」と声をかけると「ボクはアントワーヌ」と立ち去りがたい表情で言う。
派遣会社からきたイレーヌ(アナ・ムグラリス)を案内するようにと言われて、職場の各部屋を案内した後で屋上へ連れて行く。宙に向かって深呼吸し、ブラジャーのホックが外れたのを直してというイレーヌ。
このあたりでグラアムが記憶喪失症なのだということがわかっていく。いつも人の名前や地図を手帳に記入して行動している。イレーヌは彼を自分の家に誘い、その日からベッドを共にし朝もいっしょに仕事に行くようになる。
毎週火曜日は診察の日である。グラアムは妻が職場に訪ねてきてもわからない。何度か会っているアントワーヌは息子だった。
イレーヌはグラアムのことで会社をクビになると、ケータイのGPSで居場所を確認するようになる。あるときフレッドはグラアムの手首に結びつけてあった手帳を内緒で切り取る。手帳がないと動きがとれないグアラムは、ぼーっとしているときに声をかけられた女たちと出かけるが、子どものようだと海岸に置き去りにされてしまう。アントワーヌはイレーヌにケータイを借りて居場所を突き止め家に戻る。
こうやって筋を追っていてもしゃあないね。ユーモアがあってセックス描写が美しくて、なによりグラアムになったエドゥアルド・ノリエガの無垢な感じが良い。イレーヌ役のアナ・ムグラリスも現代的な美女で感じが良い。この二人がいて、この映画が成り立っている。
ビリー・ホリディの歌が流れていた。とてもおしゃれで終わり方のよい映画だ。きっとこれから何度も見るだろう。ジャン=ピエール・リモザン監督の映画をもっと見たい。

2007年04月23日

男前豆腐じゃないよ、ほんとの男前の話だよ

先日発行したヴィク・ファン・クラブ会報4月号に「私の愛する男優ベスト10」を発表した。

○一目見てぼーっとなったひと
ジャン・ルイ・バロウ / 「しのび泣き」
モンゴメリー・クリフト / 「赤い河」
ジャン・マレー / 「美女と野獣」「オルフェ」「双頭の鷲」
ジャン=ルイ・トランティニャン / 「刑事キャレラ/10+1の追撃」「暗殺の森」
ピエール・クレマンティ / 「昼顔」

○どことなく好き
モーリス・ロネ / 「鬼火」「死刑台のエレベーター」
コリン・ファース / 「アナザーカントリ−」「高慢と偏見」
ポール・ニューマン / 「ハスラー」「動く標的」「明日に向かって撃て」
ジャン・ポール・ベルモンド / 「勝手にしやがれ」

○好き+尊敬
クリント・イーストウッド / 「ガントレット」「タイトロープ」「ペイルライダー」「ホワイトハンター ブラックハート」「バード」

○まだまだいる
ロバート・レッドフォード / 「ナチュラル」「モンタナの風に抱かれて」
バート・ランカスター / 「山猫」「OK牧場の決闘」「空中ブランコ」
フレッド・アステア / 「トップハット」「踊らん哉」「バンド・ワゴン」「絹の靴下」

※あとで思い出したが一目惚れには、リバー・フェニックス、ミッキー・ロークがいた。まだまだ思い出すかも。

で、ただいま現在の男前の話である。
昨日書いたジャン=ピエール・リモザン監督の「NOVO」のエドゥアルド・ノリエガにめろめろ。そしてそのうち感想を書くつもりだが、フィリップ・ガレル監督の「白と黒の恋人たち」のメディ・ベラ・カセムに惚れ惚れ。
エドゥアルド・ノリエガはスペインのトップスターだそうだ。フランス映画で記憶障害の男を演じるにあたり、外国語で取り組むもどかしさ、自由のないところが重なり、記憶障害という病気の役がうまく演じられたという。わたしはなによりも彼の純粋無垢の表情にぼーっとなった。
メディ・ベラ・カセムは1973年チュニジア人の父とフランス人の母の間に生まれた。17歳で小説を出版してフランス文学界にデビュー。一方で雑誌「purple」にモデルとして登場という人。映画監督の役なんだけど、知的で男前、いうことなし。

2007年04月28日

ジャン・リュック・ゴダール「女は女である」のDVDを見て雑感

女は女である ジャン・リュック・ゴダールゴダールの初期の映画はかなり見ていて、「女は女である」も見たつもりだったが、今回DVDで見てはじめてだとわかった。見て良かった。
ゴダールというとまず「勝手にしやがれ」を封切りで見ているが、これは最近見てもよかった。ところが当時すごいと思った「気狂いピエロ」が全然すごくない、なんでやろ? 「中国女」は60年代後半に京都まで見に行ったのだが、数年前にビデオを買ったら懐かしく楽しめた。「彼女について私が知っている二、三の事柄」「アルファヴィル」「男と女のいる舗道」「ウィークエンド」「軽蔑」「男性・女性」は封切りで見たときはそれぞれ楽しめたけど、最近見てないのでどうこう言えない。
「東風」は映画館で見ているうちに眠ってしまった。あんなに退屈な映画はないと当時思ったが、いま見たらどうだろう。それ以後の作品は見ていない。検索したらたくさんあるのでおどろいた。見たほうがいいのだろうか。

「女は女である」(1961)はアンナ・カリーナとジャン・クロード・ブリアリがいっしょに住んでおり、そこにジャン・ポール・ベルモンドがからむ。アンナ・カリーナは無造作に美しくて、不器用にブリアリを愛している。こまごまとした日常生活を描いてリアリティがあるのに、二人の日常生活そのものは非日常的なのだ。若い監督と若い俳優たちが寄り集まった幸せな映画だと思った。

パン(アンシェンポール)を食べるとき、薄切りにしたりしないで、大きなパンをちぎって食べていたのが印象に残った。「尼僧ヨアンナ」では、旅する修道僧が腰に下げた袋から固いパンを取り出してナイフで薄切りしていたのもついでに思い出した。

2007年05月01日

フィリップ・ガレル監督の映画を2本「秘密の子供」と「白と黒の恋人たち」

秘密の子供 フィリップ・ガレル白と黒の恋人たち フィリップ・ガレルフランス映画にはずっとご無沙汰していて、フィリップ・ガレルがゴダールの再来と呼ばれていると聞いても、ゴダールの前半の作品しか見ていないのでピンとこなかった。連続して2本の映画をDVDで見てようやく納得。2本とも描かれているのは「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ」で知られるニコである。ガレルはニコと10年間生活を共にしたが、離婚後の1988年にニコは自転車の事故で死んだ。

「秘密の子供」(1979)ではニコ主演で企画されたそうだが、そうはならなくてアンヌ・ヴァアゼムスキーがニコの役を演じている。アンヌ・ヴァアゼムスキーはゴダールの「中国女」で圧倒的な存在感を示した女優だ。ゴダールの映画ではジーン・セバークについで好きな人である。最初なにも気にしないで見ていて、すごい女優やなぁ、あれ、この人知ってるとなって、後で調べたらアンヌ・ヴァアゼムスキーだった。
ニコとガレルの生活が繊細に描かれる。こんなに繊細な人たちがうまく日常生活を送れるはずがなく、ニコは麻薬におぼれていく。モノクロ映画なのだが淡い色彩を感じた。

「白と黒の恋人たち」(2001)もモノクロ映画。映画監督フランソワ(メディ・ベラ・カセム)は別れた恋人ニコのことを題材に映画を作りたいと奔走する。資金を集めるのに苦労して、人の紹介で会った男が出してくれることになるが条件がつく。たまたま道で出会った女優志願のリュシーに目をつけて、恋と映画製作の幸せな生活になるが、撮影の進行とともに神経が尖っていく。金を出した男からも代償を要求される。
麻薬に溺れていくヒロインを演じているうちに、リュシー自身がそばにいる麻薬常習者の女性に誘われて手を出すようになる。そこへリュシーの昔の恋人が訪ねてきて、彼もいっしょに溺れていく。悲劇は突然訪れる。

2007年05月04日

メロドラマの王道「ステラ・ダラス」

今日もミクシィからの話題です。「昔 素敵な少女雑誌があった」というコミュニティに参加しているのだけれど、管理人のJさんが昔の少女雑誌からの画像をどんどん載せてくださる。中原淳一や松本かつぢはもちろんのこと、忘れていた画家の絵がどんどんアップされて楽しいったらない。以前も書いたが、雑誌「白鳥」の長沢節さんの挿絵ページがアップされたのには驚喜した。古いものを捨てずにきて、現在こうしてネット上で愛好者たちを喜ばしてくれるのだからありがたい。

先日から佐藤紅緑の少年少女小説の話で盛り上がっていたのだが、話は吉屋信子の大人向け小説に発展。Jさんは婦人雑誌に吉屋信子の「母の曲」(アメリカの大衆小説「ステラ・ダラス」の翻案)が連載されて、それが映画化されたのを幼年時代に母に連れられて見に行ったという記憶が甦った。しかも原節子が奇麗だったということも。
そこからわたしが思い出したのは、映画は知らないけれど、子どものころ大衆文学の文庫本(春陽堂文庫?)で「ステラ・ダラス」を読んだこと。労働者階級出身のステラは上流階級の男性と愛し合って結婚し子どもができたのだが、階級差で生活がうまくいかなくなり離婚する、夫は上流階級の女性と再婚するとき、ステラと娘の縁を切らしてお嬢様として育てることにする。最後のシーンが窓の外から娘をじっと見るステラの描写で終わり。子ども心にもあまりにもお涙頂戴だと思ったものだ。そのお嬢さまを若き日の原節子が演じていたのだ。

検索したらもっといろんなことがわかった。アメリカで3回、日本で2回映画化(1937と戦後)されていること。普通「ステラ・ダラス」というと、2回目のバーバラ・スタンウィック主演(1937)のものをいうこと。3回目はペッド・ミドラー主演の「ステラ」(1991)であること。
しかも野沢公子さんの「メロドラマ・女性・イデオロギー」というサイトから、メロドラマについて、メロドラマの代表である「ステラ・ダラス」についていろいろと学ぶことができた。
思いもかけない記憶が甦り、学問的解釈にまで発展してしまったのだからすごい。それも今日一日パソコンに向かっていただけで!

2007年05月08日

ダニー・ボイル監督「トレインスポッティング」をようやく見た

トレインスポッティング【廉価2500円版】 ダニー・ボイル長い映画歴を誇るわたしだが、ここ数年は一生でいちばん映画を見ていない時期だった。この「トレインスポッティング」(1996)だって、上映されるとなればすぐに映画館に走るはずの映画なのに。

先日、同じ監督の「ストランペット」を見た。2002年のイギリステレビドラマである。街の詩人とパンクっぽい少女の恋物語だった。汚いアパートで暮らす詩人が、街で見かけた少女を助けて連れて帰り風呂へ入れてやる。そしておもちゃのギターを渡すと少女はギターを弾き歌を歌う。それならと本物のギターを渡して二人で歌いまくり、詩人は壁に言葉を連ねる。それを聴いていた男がこれはモノになるとロンドンへ連れて行く。テレビドラマらしい都合のよいストーリーだったが、おもしろかった。それじゃ「トレインスポッティング」見なきゃあね。

「トレインスポッティング」は思っていたとおり、スコットランドの若者たちの出口なし状態を描いて切ない映画だった。しかし、その描き方がまれに見る汚さ(笑)。主人公のレントンはスコットランドでいちばん汚いトイレの浄化槽の中に吸い込まれてしまう。また仲間の一人は酔っぱらって女の子の家に泊まってシーツをウンコだらけにして、そのシーツを母親と洗濯すると取り合いして部屋中に飛び散る。そこまでやるか。
麻薬常習者3人と麻薬はやらないがすぐにだれとでも喧嘩する仲間の張りつめた画面が続く。麻薬よりはとディスコへ行って女の子をあさっていると、ものすごい美女が目をかけてくれる。彼女の家へ行ってベッドルームでセックスのあと、部屋から出てソファで寝るように言われる。翌朝、両親といっしょの朝ご飯で、彼女はしらっとしている。あとで聞くと中学生だった。
レントンは大変な苦労の末に麻薬を断って、ロンドンで不動産業に就職して真っ当に働くが、仲間2人に居着かれて職を失い、結局故郷に帰る。その後、麻薬取引の話があり、レントンはせっかくの預金を全部出すはめになる。4人はヘロインを抱えてロンドンへ行き、取引はうまくいくが、喧嘩好きな仲間がバーで大喧嘩、その夜みんなが寝ているところを、レントンはすべて持って逃げる。一人には分け前が手に入るように手配しておく。

こんな映画だった。10年前の映画におどろいとったらあかんね。いまのイギリスの青春映画が見たいなぁ。

2007年05月12日

クリス・エア監督デビュー作「スモーク・シグナルズ」

「スモーク・シグナルズ」(1996)のクリス・エア監督は、シャイエン族とアラパホー族の血を引き継ぐアメリカの映画監督である。実はさっき気がついたのだけれど、去年の10月に見た「エッジ・オブ・アメリカ」が彼のもう1本の映画なのだ。ミクシィに軽くこの映画のことを書いたら、「マイノリティや人種モノを扱った映画が気になっている」とのコメントがあった。あら、それなら同じようにアメリカ原住民が主役の映画があるよと返事したのだが、感想を書いているからそれも読んでもらおうと、ブログを調べたら同じクリス・エア監督の作品だとわかった(ケガの功名?)。

インディアン居住地に暮らすアメリカ先住民の青年ビクターは、12歳のとき飲んだくれの父親が出て行ったあと、母と二人暮らしである。親友のトーマスは生まれた年の大火事で両親を失い祖母と暮らしている。
そしていま、22歳になったビクターに父が死んだという電話があった。行くと言ってしまったがお金もないしと悩んでいると、トーマスがお金を入れた瓶を持っていっしょに行くと言う。トーマスは火事のときのビクターの父に救ってもらったのでお返しをする気持ちである。2人は生まれてはじめて居留地を出て長距離バスに乗り、アイダホからアリゾナまでの旅をする。
トーマスは髪を三つ編みにしていつもスーツを着ている青年。ひどいおしゃべりに旅の間悩まされながらも、いっしょに白人に差別されたりしながら、父の住んでいたトレーラーハウスに到着。電話をかけてきた女性がいて、父のことを父のように愛していたと話してくれる。そして父は火事を出したのは自分の責任だと家族を捨て家を出たと言う。長い髪を父のナイフで切って喪に服すビクター。
父の遺灰の入った壺とバスケットボールを手に、父が家を出たときの車での帰り道、白人一家との事故で保安官につかまったりと大変。ビクターは母が、トーマスは祖母が待ちかねていた。ビクターはスポーケン川に遺灰をまきにいく。

バスの中で白人に席を取られて、口論はするものの結局うしろの座席に座る。ビクターはトーマスに「ダンス・ウィズ・ウルブス」を「200回見たやろ」と冷やかす。そのあとで歌をうたって気持ちを取り戻す2人の若さと哀愁がよかった。

2007年05月24日

クロード・シャプロル監督「気のいい女たち」

テレビでフランソワ・トリュフォーの特集をやっているのをありがたく見せてもらっている。かなりの映画を昔見ているが、いま見てもよかった映画、つまらなかったのがいま見たらよかった映画がありおもしろい。
ヌーベル・ヴァーグというとゴダールとトリュフォーばかり思い出すけど、クロード・シャプロルもいたってことで、「気のいい女たち」(1960 未公開)をビデオで見た。わたしにはシャブロルはぴたっとこない監督だ。「いとこ同志」(1959)もあんまり好きでないけど、「気のいい女たち」はビデオケースの女たちの写真がいいので、これはいけるかなと思った。

パリの電気店で9時から7時まで働く若い4人の女たち。仕事が終わると、1人はさっさと別れてクラブ歌手という二重生活をしている。1人は結婚相手がいる。あとの2人は帰りかねて、ナンパしにきた男たちと飲みにいくが、片方は積極的で片方はおとなしい。
50年代・60年代のパリの女たち、それも電気店の店員という零細企業の女たちの生き方が、冷静というか意地が悪いというか、これでもかとばかりに描き出される。そしておとなしい女性の後をつけまわしていた男が、たちの悪い男たちにつきまとわる女性を助ける。その後デートでオートバイに二人乗りして郊外へ出かける。楽しく食事して幸福の絶頂にさせてからの、あっとおどろく残虐さ。

ずっと昔のことだが、わたしは零細企業の事務員をしていたことがあり、そこの社員たちが若い女のわたしがちょっとスキを見せるとすり寄ってくるのを経験している。通勤電車ではしょっちゅう痴漢に出くわした。そういうことを思い出すと、最後の残虐さを除いてはリアリズムなんだなー。
夢のいっこもない映画だけど、うなずけるところはあったヘンな映画だった。アンリ・ドカエ撮影によるパリの街の夜の風景がよかった。

2007年05月25日

アルテミス型の女 フランソワ・トリュフォー監督「黒衣の花嫁」

トリュフォーの映画の中ではよくないほうの映画で、わたしは封切りで見ているのだが、終わったときがっかりした記憶がある。最近ヌーベルヴァーグの見直しをしているが、好きだった映画がつまらなく、なーんだと思った映画がおもしろかったりする。「黒衣の花嫁」(1968)はいま見ておもしろい映画だ。テレビでやるとわかったとき思い出したんだけど、ジャンヌ・モローが画家のモデルとして、狩猟と月の女神アルテミス(ディアーナ)そのものになるのを思い出し興味しんしんだった。

「幻の女」(ウィリアム・アイリッシュ名義、カボチャ型の帽子をかぶった女が出てくるのを覚えている)を読んで、次くらいに「黒衣の花嫁」を読んでいる。両方とも「別冊宝石」という雑誌だった。挿絵がとてもよかった。ストラップレスのドレスという言葉をはじめて知った。

自殺しようとするのを止められ、探さないようにと言いおいて家を出て行った女性(ジャンヌ・モロー)は、次々に男を殺していく。結婚式で教会から出てきたときに腕を組んでいた夫が銃で撃たれたのだ。向こう側のビルの一室で5人の遊び人の男たちが、誤って実弾のこもった銃を撃ってしまい、殺人に気がついてそれぞれ逃げおおせる。(こんな古い作品だから最後まで書いてもいいでしょう。ダメなら以下を読まないで。)
ベランダから突き落とし、毒薬を酒に入れて飲ませ、もの入れに閉じ込め、3人を殺す。4人目が画家で、モデルになるとディアーナになれと言われる。白いチュニックを着て矢入れを肩に弓をかまえるスタイル。そして弓で殺す。5人目は刑務所にいるので、ここでわざと捕まり、いままでのを告白するが、何故やったかは言わない。そして刑務所内で第5の殺人は叫び声で終わり。

ヒロインがこれだけまともにアルテミス型なんだからすごい。本人にとって5人を殺していくことは公正なことなのである。だって、私と彼の幸せな人生を潰したんだもの、そして犯人たちは逃げおおせて幸福な生活を送っているのは許せない。こうなったときアルテミスだから自分自身の目標に精神を集中して迷いがない。そして、無慈悲な犯行に及ぶ。

この映画はトリュフォーがジャンヌ・モローに捧げた作品だそうだ。そして衣装のピエール・カルダンは恋人だ。美しい衣装をとっかえひきかえ着替える。彼女はこのとき40歳くらいだそうで、ちょっと老けたところは感じられたが、走ったり早足のときの動きが速くて(これもアルテミスの特徴)若々しい。

2007年05月29日

フランソワ・トリュフォー監督「恋のエチュード」

恋のエチュード〔フランソワ・トリュフォー監督傑作選10〕 フランソワ・トリュフォー「恋のエチュード」(1971)を見たのは70年代前半だったと思うが、道頓堀の映画館はがら空きだった。トリュフォーの映画だからという思い込みがあったので、なんだこれは文芸映画やんかとがっかりしたのを記憶している。それ以来なのだが、今回はとても考えさせられるいい映画だった。
今回、タイトルを見て気がついたのだが、原作がアンリ・ピエール・ロシェなのね。ジャンヌ・モローがめちゃカッコよかった「突然炎のごとく」(「ジュールとジム」)と同じ人である。「突然炎のごとく」は男性2人(親友)と女性1人、「恋のエチュード」は女性2人(姉妹)と男性1人の物語である。どちらもフランス人と異国の人との恋を描いている。

20世紀初頭のパリに母と二人で暮らすクロード(ジャン=ピエール・レオ)の家に、イギリスから母の友だちの娘(アン)が立ち寄る。彫刻を勉強しておりロダンが好きと言い、ぜひ妹(ミュリエル)に会わせたいと言う。クロードはイギリスを訪ねる。ミュリエルが目が悪く病弱だが、だんだん二人は惹かれあって結婚しようとなる。クロードの母が反対のためにやってくる。結局、一年後に二人の愛が変わらなければ結婚と話は決まり、クロードは母とフランスへ帰る。
美術評論家となったクロードは画家の女性とつきあったりして華やかな生活を送るようになり、ミュリエルに別れの手紙を書き母に見せる。ミュリエルからは承知したと返事が来るが、彼女はクロードに固執している。
パリへ出てきたアンとクロードは仲良くなるが、アンは他の男と旅に出る。その後、アンはミュリエルを連れてパリへ来るがミュリエルはクロードとアンの関係を知って苦しみ、クロードに別れの手紙を書く。
姉妹の二人を愛したクロードは二人から去られ、苦しみの中で小説を書きあげる。ミュリエルがブリュッセルへ教師として行くときにカレーに立ち寄るのを知り、二人はホテルで抱き合う。出会ってから7年目である。ミュリエルは立ち去る。それから15年、ミュリエルは教師と結婚し子どもがいる。
アンと行ったロダン美術館の前にイギリスの子どもたちが見学に来ている。ミュリエルの娘がいないかと思うクロードは、タクシーの窓に映った自分の顔を見て、これが僕か、まるで老人だと独り言を言って立ち去る。

思い出しつつストーリーを書いた。2時間10分もある長い映画だが退屈しなかった。
ミュリエルとクロードの恋を見ていて嫉妬したと、クロードと愛し合うようになってからアンは語る。アンはイギリスへ帰り結核で亡くなる。
ミュリエルはクロードに真剣な恋をして最後に自分が決着をつける。その後は穏やかな日々を送れただろうか。
映画を見ながら、まるでブロンテ姉妹の作品を読んでいるような気がしていた。ミュリエルはエミリ・ブロンテによく似ている。

2007年06月07日

映画「赤い靴」はいろんな人の心に残っているんだなぁ

赤い靴 マイケル・パウエルこの間ビデオにとってあったベルトラン・タヴェルニエ監督の「ラウンド・ミッドナイト」(1986)を見ていたら、登場人物が「赤い靴」を20回見たと言っていた。200回でなく20回というところが本当っぽい。映画はしょうもなかったが、ここだけはおもしろかった。ただ、わたしにはその男性がなぜ20回見たのかはわからなかった。もう一度見る気がないので謎である。

そして、そうそうと思い出したのがロザンナ・アークエット監督の「デブラ・ウィンガーを探して」(2002)である。最初のシーンが「赤い靴」(1948)だったのでおどろいた。ロザンナ・アークエットは4歳のとき、このイギリスのバレエ映画を母に連れられて見た。主人公のバレリーナは仕事と愛のどちらかを選ぶか迷って列車に身を投げて死ぬ。それ以来ロザンナ・アークエットはこのテーマ「生活と自己表現は両立するか」を引きずって生きてきたという。40代になって子どももできたとき、その疑問をぶつけるべく、さまざまな女優へインタビューしたのがこの映画である。

わたしは若いときに「赤い靴」を見ている。バレエとバレリーナを天上のもののように憧れた。だけどモイラ・シアラーが演じたバレリーナは、踊りをつまり自己表現をとるべきだと思い、夫の身勝手をなじっていた。
でも、そんなストーリーよりもバレエの魅力に取り憑かれた。ロバート・ヘルプマン、レオニード・マシーンの踊りに。
わたしも多分20回以上見ているだろう。映画館で、テレビで、レーザーディスクで、いまはDVDで。

2007年06月11日

メロドラマ好き レオ・マッケリー監督「めぐり逢い」

めぐり逢い レオ・マッケリーいまふと思ったのだが、メロドラマは好きと言いながら何度も見ているというのはない。ラブコメディは何度も見ているのがけっこうある。メロドラマとラブコメディの差を考えてしまった。メロドラマには一回見たらしっかりとインプットする力があるのかもしれない。
今夜見た「めぐり逢い」(1957)は2度目の映画で、最初のシャルル・ボワイエとアイリーン・ダン主演(監督は同じレオ・マッケリーで1939年)のもテレビで見たことがあるがもうちょっと品が良かったような気がする。このストーリーはその後も引き継がれて、ノーラ・エフロン監督でメグ・ライアンとトム・ハンクス主演の「めぐり逢えたら」(1993)では、最後にエンパイアステート・ビルでの再会でにっこりさせてくれた。3度目(4度目?)の映画は、わたしは見ていないけど、ウォーレン・ビーティとアネット・ベニング夫妻共演の「めぐり逢い」(1994)である。キャサリン・ヘップバーンが叔母さんの役で出ているそうだ。

今夜の「めぐり逢い」は、プレイボーイでニューヨークに帰ったら大金持ちの女性と結婚することになっているケイリー・グラントと、ボストン生まれの歌手で、やはり金持ちの男性と結婚する予定のデボラ・カーが、ヨーロッパからアメリカへ行く豪華客船で恋に落ちる。だんだん真剣な恋になり、半年後にお互いに身辺整理をして結婚しようとなる。船が数時間停まった南仏で、叔母さんのところへ立ち寄ったときが転機となるのね。
グラントのほうは働いたことがないのに真剣に画家になる決意をし、カーのほうは婚約者(後援者)と別れて自立を決意し、それぞれ頑張って半年経つ。ところが待ち合わせのエンパイアステート・ビルへ行く途中でカーのほうが事故にあっていけなくなる。片方は夜中まで待ち続けた。再会できなかった二人がどうなるか。最後はもちろんハッピーエンドだ。
わかっていても心配してしまうのだから単純だけど、それがメロドラマ。

2007年06月12日

野球映画も好き サム・ウッド監督「打撃王」

野球映画でいちばん好きなのは「ナチュラル」だ。主人公の打ったボールがナイター用の照明に当って次々と消えて行くところが気持ちよい。ロバート・レッドフォード扮する中年の選手が哀愁あふれてよかった。多彩な女優たちもよかった。レーザーディスクで何度も見ているお気に入り。
ずっと前にテレビで「甦る熱球」を見た。「若草物語」でジョーをやったジューン・アリスンが健気な妻の役だった。主人公はホワイトソックスのモンティ・ストラトン投手(ジェームズ・スチュワート)で、片足を怪我して切断し義足で復活するという実話だった。失意の夫を励まし再起させるのだが、ジューン・アリスンがキャッチボールの相手をするところをよく覚えている。
今日見たのはゲーリー・クーパーがニューヨークヤンキースのルー・ゲーリックで、妻役がテレサ・ライトだった。なんとベーブ・ルース本人がベーブ・ルース役で出ている。ルー・ゲーリックは2130試合連続出場しているが、病気で倒れ37歳で亡くなった。野球映画であるが、夫婦愛物語でもある。母親が大学の賄い婦をして勉強させようとするが、野球の才能を見出され、ヤンキースと契約する。シカゴで妻となる女性と出会い、その女性と一生連れ添う。
「甦る熱球」「打撃王」両方ともサム・ウッド監督。
そういえば、この間、テレビで「オールドルーキー」というのも見たっけ。40歳くらいだったかな、高校の先生が一念発起してマイナーからメジャーの投手になる話。これも実話だったと思う。桑田投手を連想してしまった。

2007年06月14日

ルイ・マル監督「恋人たち」 映画の終わりは生活のはじまり

恋人たち ルイ・マル1958年のフランス映画。レーザーディスクはいつ買ったんだろうか。美しい夢のような映画だけど、一種あほくささを感じていたのか、買ったときに見たきりでそのまま置いてあった。
いま見たらいろんなことがよく見えて、フランスの地方都市に住む大金持ちの生活や、そこの奥様の息苦しい生活から抜け出す道は浮気しかないという苦しさがひしひしと迫ってきた。

ディジョンの新聞社主アンリの妻であるジャンヌ(ジャンヌ・モロー)はまだ小さい娘がいるが、旧友マギーのいるパリへ月に一度出かけて遊んでいる。カッコいい遊び人ラウルが恋心を告白している。それが楽しいのかどうかわからないジャンヌ。
マギーとラウルをカップルとして招待した日に、ジャンヌの愛車が故障し通りかかったベルナールに送ってもらう。考古学者のベルナールは質素な服装と大衆車でジャンヌを送って行き、晩餐に招待される。ジャンヌはふだん笑わない女なのに、庭で待っていた三人におかまいなく高笑いし、部屋に入っても笑い続ける。
ちぐはぐな晩餐のあと、明日は早起きして釣りに行くことになり、一同寝室に引き取るが、眠れないジャンヌは白い透けた寝間着のまま外へ出る。庭にベルナールがおりいっしょに歩いて行くうちに、お互いに惹かれ合っているのを知る。暗い野原や小川や水車小屋、そして二人はボートに乗って水の上に横たわる。アンリ・ドカエのカメラが田舎の夜の風景を撮って素晴らしい。そしてジャンヌ・モローの美しさをこれでもかとばかりに見せてくれる。
恋人たちは屋敷にもどりジャンヌのベッドに横たわると朝になる。なにも持たずにそのまま行こうとベルナールは言い、ジャンヌは子どもも財産も置いて出て行く。手に手を取って出て行く二人を、釣り支度の3人はぽかんと見送るばかり。
さて、二人はゆるゆるとベルナールの車で行き、途中カフェに入って朝食をとる。昨夜は完璧な恋人どうしだったが、いまは不安がある。しかし後悔はしていないとジャンヌは思う。

ここで映画が終わるが、ここから生活がはじまる。サガンの小説で恋に落ちて同棲したものの、お金のない生活ができずに、元の鞘にもどるというのがあった。また、恋に落ちた相手と暮らすために元の生活を捨てたのもあった。

2007年06月19日

マーティン・スコセッシ監督「ニューヨーク・ニューヨーク」は長いけど飽きない

封切りで見たきりだったので、テレビであったのをありがたく見せてもらった。いま調べたら「タクシードライバー」(1976)「ニューヨーク・ニューヨーク」(1977)「ラストワルツ」(1978)と続いているのに驚く。マーティン・スコセッシ監督の作品ではこの3本が特に好きだ。

「ニューヨーク・ニューヨーク」は第二次世界大戦が終わったときからはじまる。ニューヨークの目抜き通り、戦勝国の喜びが爆発している人たちの中にジミー(ロバート・デ・ニーロ)がいる。夜になって大きなホールでまだ軍服姿のフランシーヌ(ライザ・ミネリ)に目をつけ、追い払われても食い下がりホテルへ送って行く。
ビッグバンドの全盛期である。ジミーはサックス奏者でオーディションを受けているが、その場でフランシーヌが歌う。なんだ、歌手だったのか。二人は楽団に雇われてツアーに出て、途中の町で結婚する。楽団主が引退してジミーが引き継ぐが、演奏の主導権をめぐって夫婦喧嘩が絶えない。
ジミーは才能があるが身勝手な男である。妊娠したフランシーヌはニューヨークへ帰り、コマーシャルソングを歌う仕事をはじめる。うまくいかない楽団を人に譲ってジミーはニューヨークにもどる。子どもが産まれるが、ジミーは病院へ行っても顔を見ずに帰ってしまう。
ビパップに入れこんだジミーは黒人ミュージシャンに認められる。黒人ミュージシャンにクラブへ出演するように誘われ、「一つ問題がある、おれは白人だから」と言うと、相手は「裏口から入ればいい」と答える。笑ったけど・・・。そしてただ一人の白人プレーヤーとして出演する。
映画の最後にはジャズプレーヤーとしての地位を確立しているし、クラブの持ち主になっている。
ポピュラーミュージックの女王としての地位を築いたフランシーヌはハリウッドでも成功する。
凱旋公演をするフランシーヌの舞台を予約席で眺めるジミーに、彼の曲「ニューヨーク・ニューヨーク」を歌うフランシーヌ。

当時のビッグバンドの姿も見られたし、ビバップはこうして生まれたのだとジャズの歴史の勉強になった。ライザ・ミネリはほんとにきれいで最後には貫禄もある。ロバート・デ・ニーロはしつこい男をよくやっている。
いろいろあったにせよ、いまも愛し合っている二人が、ハッピーエンドに終わるかと思わせる結末を、最後に女性が決断して拒否する。ここのところがよかった。ロバート・デ・ニーロのあきらめる表情もよかった。

2007年06月25日

SFかハードボイルドか ジャン・リュック・ゴダール監督「アルファビル」

いまから30年くらい前のこと、天王寺のジャズ喫茶で閉店後に深夜映画に行こうと話が決まった。数人で行った新世界の映画館では2本立ての1本が「アルファビル」だった。
ようわからんかったけどSFみたいであまりおもしろうなかった、というのが当時のわたしの感想だ。もっとも最後まで眠らずに見ていたのはわたし一人だったみたいで。だから相方が先日DVDを借りてきたのを、もう見たからいいと言ってしまった。相方は眠っていたからこの映画を見たことも覚えていない(笑)。

いま見てやっぱり素晴らしい映画とは思えなかった。コンピューター社会とか内容は前よりずっとわかった。レミー・コーションやディック・トレーシーという人名が出てくるとおおいに笑った(笑)。レイモンド・チャンドラー「大いなる眠り」の表紙が出てきたときも笑った。
ゴダールはハードボイルドミステリーや探偵もののコミックやドラマが好きなもので、ちょっと遊んでみたかったのかなと思ったが、けっこう真面目に未来社会を描こうとしているのかなと思えるところもあり。
アンナ・カリーナは美しくて、美しい女の役をやってるのだが、演技のしようのない役でかわいそう。つまらない原因の一つがレミー・コーション役の役者に魅力がないことかも。

2007年06月27日

忘れていた映画 エリック・ロメール監督「冬物語」

冬物語 エリック・ロメールエリック・ロメールの名前を忘れてしまって久しい。一時はずいぶん見て好きな作品もあったのに。手許にあるビデオはこの「冬物語」(1991)だけなので、とりあえず見ることにした。
最初はラブシーンばかりだ。プルターニュの海岸で知り合ったフェリシーとシャルルは、ものすごく愛し合う。それなのにバカンスから帰るとき、フェリシーは自分の住所を間違って教えてしまう。シャルルはコックでアメリカへ行くと言っていたが、連絡しようにも住所が間違っているからどうしようもない。
それから5年、フェリシーは母に娘(シャルルの子)の面倒を見てもらいながら、美容院で働いている。店主とフェリシーはできてしまい、店主は妻と別れて郊外に店と住まいを見つける。娘を連れて行くが「マダム」と呼ばれてたじろぎ、この人とは暮らせないとパリに帰ってしまう。身勝手で相手がかわいそう。
もう一人図書館員のインテリ青年もフェリシーと結婚したいと思っていて、こっちは娘ともうまくあわすが、前の経験があるので断る。だったらそんなにつきあわなくてもいいのに。
そしていつかきっとシャルルに会えるという確信が強まっていく。
そんなとき、バスで前の座席に座ったのはシャルルだった。女性といっしょにいるため、フェリシーはバスが停まったとき娘を抱いてあわてて降りてしまう。追いかけて降りるシャルル。
クリスマスがやってきて幸せなフェリシーとシャルルと娘。シャルルはレストランを開くと言う。あなたとなら「マダム」になるわ。めでたし、めでたし。これがエリック・ロメールの世界。

ロメールの映画は好きなのと嫌いなのがある。いま困っているのは、好きでないのは見たくなく、好きなのを見たいがなにが好きかタイトルがわからないことだ(笑)。

2007年07月04日

ルイジアナつながりで フレッド・アステアの「バンド・ワゴン」

バンド・ワゴン ヴィンセント・ミネリ先日から読んでいるレベッカ・ウェルズ「ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密」のことを、昨日書いたのだけれど、読み進むほどじわっと重いものがのしかかってくる感じだ。梅雨の時期の日本にいて読んでいるわたしに、アメリカ南部のじとっとした暑さがしのびよる。昼のうち雨が降っていたのでよけいに暑苦しく感じたのかもしれない。表紙からの印象とずいぶん違う作品だ。

夜になって「アステアのレーザーディスクでも見ようや、ほらルイジアナと歌ってるやつ」と言うと、すぐに話は通じて「バンド・ワゴン」を見ることになった。ナネット・ファブレイが歌い踊る「ルイジアナ・ハイランド」は他の歌やダンスとちょっと雰囲気が違い好きでないが、今日はルイジアナという言葉つながりが大事なのである。楽しんでいっしょに歌っていた。

この映画のいちばんのお楽しみは「ガール・ハント・バレエ」にある。大都会の夜、トランペットの音が鳴り響き、ペーパーバックの表紙がデザインされた舞台に、アステア扮する探偵ロッド・ライリー(ちゃんと書き取った)登場、黄色いドレスのブロンド女が撃たれて倒れる。殺し屋たちが踊りながら登場、最後に黒髪の謎の女(シド・チャリッシ)登場。いまなお色あせない音楽とダンス。
アステアのとぼけた味が生きている。特別出演のエバー・ガードナーが列車から降りてきて記者が群がり、自分相手の記者と勘違いしてたアステアががっかりというシーンは何度見ても笑える。ジンジャー・ロジャースが相手役の作品の他ではいちばん好き。
さて、これで元気をとりもどして明日からまた時間さえあれば「ヤァヤァ・シスターズ」に溺れる。

2007年07月08日

アンドレ・テシネ監督「夜の子供たち」

アンドレ・テシネ監督の最新作「かげろう」を見たら、そういえば「海辺のホテルにて」と「ブロンテ姉妹」はよかったなと思い出した。「海辺のホテルにて」はずっと昔にサンケイホールで見ている。サンケイホールは映画館でやらない映画を1日だけやっていてロミー・シュナイダーの「女銀行家」もそのころ見たと思う。「ブロンテ姉妹」は朝日アリーナ(いまはなんというのかな)で、やっぱり一日だけか一度だけの上映だった。両方ともアンドレ・テシネという監督よりも、タイトルと女優に惹かれて見たので、「かげろう」を見るまで監督を思い出さなかった。ということで、いまはアンドレ・テシネ監督の映画を見られるだけ見たいと思っている。

「夜の子供たち」(1996)は犯罪者と刑事とその家族を描いた映画で、フィルム・ノワールの雰囲気が濃厚だけれど、恋愛映画でもある複雑で不思議な作品だ。
刑事アレックス(ダニエル・オートゥイユ)の生まれた家は、父も長男も泥棒を仕事としている一家である。彼はそれに反発して刑事になった。
万引きしたジュリエット(ロランス・コート)を捕まえたことによって、二人は関係を持つが、ジュリエットが愛しているのは大学の哲学教師マリー(カトリーヌ・ドヌーブ)だった。ジュリエットの兄ジミー(ブノワ・マジメル)は泥棒の一味である。
大掛かりな自動車泥棒を企むが失敗し、アレックスの兄は銃で撃たれて死ぬ。自分から参加したジュリエットは顔を見られてしまう。ジミーは妹をこの世界に入れたくないと勉強させたので、誰にも言わずにマルセーユに隠す。
アレックスはマリーに接近する。孫がいるというのにジュリエットを愛しているマリー。二人でお風呂に入っているところがステキ。女どうしの美しいラブシーン。マリーはジュリエットの物語を小説にするために会話を録音している。書き上げたときにアレックスが訪れて二人はオペラを見に行き食事する。その翌日テープやノートをアレックスに送り、マリーは自殺。
アレックスはジュリエットを訪ねてマルセーユに行くが、書店で働く優雅な彼女の姿を見て言葉をかけるのを断念する。そしてマリーが遺したものは自分に宛てたのだと気がつく。

最初のシーンが山荘の夜で、長男の遺体が運ばれてくる。物音に気が付いて10歳くらいの息子が降りてくる。事故死だと説明するが息子は納得しない。異様に孤独な子供で、アレックスのことをデカは嫌いだと言い切る。ものすごく美男のジミーはこれからの仕事を仕切るようになり、未亡人を手に入れる。野原で黙々とカードを切るジミーの名人芸をうっとりと眺める息子。

2007年07月17日

アンドレ・テシネ監督「溺れゆく女」

溺れゆく女 このタイトルでジュリエット・ビノシュ主演だと見る気がなえるところだが、テシネ監督で探して見て良かった。原題は「Alice et Martin」で、ビノシュ演じるアリスと美男子アレックス・ロレの演じるマルタンの名前である。よくこんな邦画タイトルつけたなぁとおどろく。テシネ監督の映画をまとめてみようという気で探したから見た映画だ。「夜の子どもたち」(1996)と「かげろう」(2003)の間の作品である。

小さな美容院をやっている母親と暮らす孤独な少年マルタンは、金持ちの父親の家に引き取られる。上に3人の息子がいる家で四男として育てられ、大学へ行く年齢となり、強制的に勉強させられることに反抗している。
工場を継いだ長男が仕事がうまくいかずに自殺し、次男が政治家志望でうまくやれそうである。三男はゲイで家族と折り合わず俳優を志してパリにいる。
ある日父親と口論になり、階段から父は転げ落ちて死ぬ。マルタンはそのまま走って逃げてパリへ出て、三男の部屋に転がり込むと、そこに兄の同居人、バイオリニストのアリスがいる。兄は優越感から優しくしてくれるが、マルタンが街でスカウトされモデルの売れっ子になっていくと嫉妬するようになる。マルタンはアリスに恋して、アリスもほだされていく。
スペインロケにいっしょに行き、史跡見物中にアリスが妊娠したと言うと、マルタンは意識を失ってしまう。医者は体はどこも悪くないと言う。海のそばの一軒家を借りた二人は誰にも会わずに暮らす。マルタンは泳いで毎日を過ごす。
パリへ戻ってマルタンの秘密を知ったアリスはマルタンの手紙を持って家族と会いにいく。手紙の内容は、父親は間違って階段から落ちたのではなく、マルタンが階段へ押し倒したのだということを公表して裁きを受けたいというもの。義母に一家の恥をいまさら晒すことを反発されるが、結局マルタンの手紙は受け入れられる。
パリへもどったアリスはマルタンにそのことを告げ、子どもを産むことを決意する。マルタンは警察署に走っていき告白し逮捕される。アリスが結婚式でバイオリンを弾く仕事をしているところで終わり。

ジュリエット・ビノシュが役にぴったり。他の女優だったらこんな難しい役を見る人に納得させられないだろう。そして彼女が引き立てているのが若い恋人マルタンを演じるアレックス・ロレ。こんなに無垢な表情をする俳優ってちょっといないんじゃないかしら。なんか最近のフランス映画の若者はみんな奇麗な気がするけど、アレックス・ロレは特別いい男だ。

2007年07月31日

昨日はベルイマン、今日はアントニオーニの訃報でショック

スウェーデン映画の巨匠イングマール・ベルイマン監督が89歳で亡くなったと知ったのは昨日、今日はイタリアの巨匠ミケランジェロ・アントニオーニ監督が94歳で亡くなったのを知った。尊敬していた二人の映画監督がほとんど同時に逝ってしまうなんてショックだ。

ベルイマンの「夏の夜は三たび微笑む」(1955)「第七の封印」(1956)「野いちご」(1957)「処女の泉」(1959)「鏡の中にある如く」(1961)「沈黙」(1963)と50年代後半から60年代前半にかけての映画を夢中で見た時代があった。
アントニオーニの「女ともだち」(1956)「さすらい」(1957)「情事」(1960)「夜」(1961)「太陽はひとりぼっち」(1962)「欲望」(1966)「さすらいの二人」(1974)もほぼ同時代で、フェリーニを含めて三人の映画が、それまで見ていた映画からヌーベルバーグへの熱狂に至る過程の映画だった。

ベルイマンは「野いちご」がいちばん好き。主人公の教授の息子の嫁役のイングリット・チューリンが輝いていた。そのときはイングリット・チューリンさえ年長に思えて憧れの瞳で見ていたのだ。いまや老教授の年齢に近くなり新しい視点で「野いちご」を見ることになりそう。レーザーディスクをまだ持っているので近々見ることにする。「第七の封印」「処女の泉」は真面目に見た覚えがある。「沈黙」はかなりおどろいたけれど好きじゃない。

アントニオーニで好きなのは、チェーザレ・パヴェーゼ原作の「女ともだち」だ。出身地のトリノに洋装店を新しく出店するためにローマからやってきたクレリア(エレオノラ・ロッシ=ドラゴ)は、ホテルの隣室で自殺未遂の娘と知り合う。トリノ社交界のきらびやかさと愛の不毛を描いてステキ。ビデオがあるはずなので探そう。「夜」はジャンヌ・モローがアンニュイな雰囲気で好きだが、いちばん何度も見ているのはレーザーディスクを持っている「太陽はひとりぼっち」である。モニカ・ヴィッティとアラン・ドロンが役柄にぴったり。愛想のないモニカ・ヴィッティはアントニオーニ監督にとって大切な存在だった。アラン・ドロンの美貌が光ってる。これも久しぶりに見よう。

2007年08月14日

ミケランジェロ・アントニオーニ監督「太陽はひとりぼっち」

レーザーディスクを出したらジャケットの表側は、アラン・ドロンとモニカ・ヴィッティのラブシーン、裏側はアラン・ドロンの麗しいお顔、2枚組なので開くと、モニカ・ヴィッティの憂い顔を恨めしそうに見つめるドロン。そしてタイトルは「L' ECLIPSE」と大きい文字、日本語の「太陽はひとりぼっち」はちっちゃい文字。解説で荻昌広氏が書いているけど、原題は「蝕」なんだって。「情事」(1960)「夜」(1961)に続く1962年の作品である。

最初のシーンはがモニカ・ヴィッティが婚約者と別れて家を出るところ。彼は別れることを受け入れたくない。男を振り切り自分のアパートへ帰る。次に母親がいつも出入りしている証券取引所へ行く。株の売買によって儲けることしか考えていない母親である。株の仲買人がアラン・ドロン。
夜になって女ともだちの住まいを訪ねると、アフリカから帰ってきた女性に紹介されるが、いかにも植民地アフリカから持ってきたものに囲まれた住まいである。アフリカ人に扮装して踊るモニカ・ヴィッティ、この映画でそこだけ笑える。
株が暴落して母親を含む小金持ちたちはがっくり。アラン・ドロンとモニカ・ヴィッティはなんとなくくっつくというか、ドロンが物憂げなヴィッティに惹かれていくというか。ドロンは金持ち階級出身で生まれ育った美しい家に連れて行く。嫌いではないが愛ってなにかしら。モニカ・ヴィッティの物憂い態度は変わらない。

モニカ・ヴィッティのドレスがどれもボートネックでスリーブレスのツーピース。色や布地が違っても形が同じである。実はわたしも同じかたちの服を持っていた。サックドレスというのが流行ったときに。わたしの場合は別のものと組み合わせて着る、という実用面からツーピースにしてたんだけど(笑)。

2007年08月20日

ミケランジェロ・アントニオーニ監督「夜」

「情事」(1960)「夜」(1961)「太陽はひとりぼっち」(1962)と続くアントニオーニの代表作の中でいちばん好きな作品。ここではモニカ・ヴィッティが脇にまわり、ヒロインはジャンヌ・モローで相手役はマルチェロ・マストロヤンニ。

新作を出版した作家マストロヤンニと妻のジャンヌ・モローは入院している友人の見舞いに行く。友人は余命幾ばくもないのだが、いっしょにシャンパンを飲もうと言う。耐えられずに妻は出て行く。
その帰りにサイン会に行くが、夫がもてはやされているうちに妻は外へ出て街をあてどなく歩く。そのうちにタクシーに乗って荒廃した場所へ行き、タクシーを待たせておいて、若者たちのケンカに口を出しロケット遊びを眺める。夫は家に帰って妻はどこにいるか心配していると、電話があり迎えに来てくれと言われる。帰るとお風呂に入って、スポンジをとれ、タオルをとれと当たり前に言う妻。それからクラブに行き、そのあと資産家のパーティへ。金持ちはインテリが好きだとマストロヤンニは言う。
そこからはオールのパーティで、ジャンヌ・モローのほうは人々に馴染めず、マストロヤンニは女性たちにもてるし、当主に自分の会社で働かないかと誘われる。そこの娘がモニカ・ヴィッティで、マストロヤンニと床でゲームをする。雷雨になって停電すると蠟燭が灯され二人は惹かれ合う。妻は一人の男に誘われて車で出かけたものの、そのまま戻ってくる。びしょぬれのジャンヌ・モローをヴィッティは拭いてやる。奇妙な3人組になってしまうのがおかしい。結果、モニカ・ヴィッティは「あなたたち二人といると疲れるわ」と言う。(どこかでわたしらも言われてそう、と思うとおかしくって。)
二人が屋敷の外へ出るとそろそろ明るくなろうかという時間。広い庭を歩いて草の上に座ると、妻はもうあなたを愛していないから別れようと言う。そして一通のそれは美しい恋の手紙を読む。誰からきたんだと聞く夫に「あなたよ」と答える妻。夫は妻を抱いて草の上に倒す。

家にいるときは、あれとってこれとってと妻が言い、いないとどこへ行ったか気になってしかたない作家、いつ小説を書くのか気になる(笑)。ジャンヌ・モローがさすがの演技、マストロヤンニは顔も演技も若い。モニカ・ヴィッティはここでは娘さん役だが、次の「太陽はひとりぼっち」の憂い顔のヒントをジャンヌ・モローにもらったのかも。二人ともパーティでは黒(白黒映画だけど)の細い肩ひものあるドレスで背中を大胆に出していて美しい。

2007年10月06日

クロード・オータン=ララ監督「肉体の悪魔」

テレビでやったので見た。このへんの映画は子どものときに姉にひっついて見に行ったり、再上映で見ているのだが、それっきりだった。
レーザーディスクで買ったのは、ヌーベルバーグとそのころのヨーロッパ映画が多く、それ以前の映画はジャン・コクトーとかルイス・ブニュエルというようなアート系だった。懐かしくて買ったシモーヌ・シニヨレの「嘆きのテレーズ」にがっかりして(思い出がふくらみ過ぎていたのかも)、それ以来、マルセル・カルネ、クロード・オータン=ララ、ルネ・クレマンは買ってないし、レンタルビデオを借りる気もしなかった。
クロード・オータン=ララの作品のなにを見たか調べたら、「肉体の悪魔」(原作レイモン・ラディゲ 主演女優ミシュリーヌ・プレール 1947)「青い麦」(原作コレット 主演女優エドウィジュ・フィエール 1953)、「赤と黒」(原作スタンダール 主演女優ダニエル・ダリュー1954)を見ていた。しっかりした文芸映画で当時の人気女優3人がそれぞれ素晴らしいし、良かったんだけど、ヌーベルバーグの勢いに圧されてしまったのね。

「肉体の悪魔」は第一次大戦終結の少し前、高校の体育館みたいなところが軍の病院として使われている。フランソワ(ジェラール・フィリップ)は17歳。ある日、校庭で畑づくりをさせられているとき、マルト(ミシュリーヌ・プレール)が看護婦の母に呼び出されてやってくる。一目惚れしたフランソワはマルトにつきまとって、船でパリへ行くのについて行く。マルトは軍人と婚約している。
なんとかしたいと思っている父親はフランソワを夏休み中よそへ連れて行き、マルトは結婚する。学校がはじまると恋は再燃し、マルトのアパルトマンへ行く。雨に濡れて偲んで行ったフランソワを服を脱がして拭いてやり、ベッドへ行くシーンは二人の俳優の美しさと恋の美しさとで素晴らしい。
両方の親がやきもきしているうちにマルトは妊娠する。戦争が終結し夫がもどってくるため、田舎で子どもを産むことにして列車に乗ると、フランソワが追いかけてくる。最初と最後がマルトの葬式シーンだ。憔悴しててもジェラール・フィリップは美しい。

ジェラール・フィリップの若い美しさ、ミシュリーヌ・プレールのちょっと年上の女の美しさ、切ない恋のゆくえ。子どものときあんまりわからなかったなぁ。ませた小学生ではあったが。

2007年10月09日

昨日は昔の探偵小説、今日は古い映画

テレビでやっていたので「雨に唄えば」(1952)を見た。これは子どものときに見て以来だ。「ザッツ・エンターティメント」では見たけど、丸ごと見るのは何十年かぶり。
タイトルに「雨に唄えば」が流れる。おお知ってるわーと思ったがそれからはまるで知らない始めて見る映画だ。映画スターのジーン・ケリーと相手女優が登場するところなんか、まるで覚えがない。そしてデビー・レイノルズと出会ってからも全然だし、無声映画のスターでトーキーに変わるという時代設定も覚えていなかった。
覚えていたのは唄いながらソフアに乗ってソフアが倒れてもそのまま唄うところ、そしてもちろん雨に濡れながら唄う「雨に唄えば」のシーンなのだが、これって両方とも「ザッツ・エンターティメント」にあるシーンだよね。ということで、まるで覚えていなかった。
シド・チャリシーがハードボイルドな感じでジーン・ケリーとからむダンスシーンがあって、これって「バンド・ワゴン」と同じやんかと思ったが、アステアと踊る「バンド・ワゴン」のほうがずっと垢抜けている。それでどちらが先きかと調べたら「雨に唄えば」のほうが1年さきだった。「バンド・ワゴン」のミステリアスなフレッド・アステアとのからみは最高だけど、この映画でのシドを見て案を練ったのだろう。
ドナルド・オコナーのパンチの効いたダンスもよくて楽しい映画だけど、もう一度見ようとは思わなかった。それはフレッド・アステアとジーン・ケリーを比べてしまったから。アステア神様みたいに好きだったから。でも、今回見てジーン・ケリーもなかなかいいやんと思った。

2007年10月10日

「ミッシング」とアーロン・エッカート

異色西部劇「ミッシング」を見てたら、最初のほうに感じのいい男性が出て来た。「抱擁」でグウィネス・パルトロウの相手役をしていたアーロン・エッカートだ。すぐに殺されてしまうが、いい感じ。

「ミッシング」は2003年のロン・ハワード監督作品。
マギー(ケイト・ブランシェット)は治療師をしながら父親の違う2人の娘と暮らしている。恋人(アーロン・エッカート)が来てマギーはほっと一息ついたところ。そこへ、インディアン姿の白人の男がやってきた。父親(トミー・リー・ジョーンズ)である。彼は20年前に家族を捨てて出て行き、インディアンといっしょに生活してきた。マギーは冷たくあしらう。
翌日、恋人と長女のリリーは町へ出かけるが、恋人のほうは途中で殺され、リリーは攫われてしまう。取り返しに出かけようとするマギーに下の娘と父親がいっしょに行くことになる。それからは馬を駆っての追跡劇でスリル満点。ケイト・ブランシェットとトミー・リー・ジョーンズの名人芸演技も良し。
見ているときはまりこんでハラハラしていたが、家族愛をこれでもかこれでもかと見せつけらると、ちょっと引き気味になるわ。

話をアーロン・エッカートにもどして。彼をはじめて見たのが「エリン・ブロコビッチ」で、ジュリア・ロバーツの恋人をやっていた。いい感じと思っていたら「抱擁」があった。いま検索してたら「ブラック・ダリア」に主演してるじゃないの。人気があがっているんだ。今年の作品は「幸せのレシピ」ってこれはラブロマンスやね。そのうちレンタルビデオを借りて見よう。

2007年10月15日

ブライアン・デ・パルマ監督「ブラック・ダリア」

「ミッシング」を見て以来、アーロン・エッカート熱が高まってきて、今日はDVDを借りてきて「ブラック・ダリア」を見ることになった。「抱擁」もいっしょに借りてきたので明日の楽しみ。

ジェイムズ・エルロイ原作に基づいたブライアン・デ・パルマの映画である。ジェイムズ・エルロイは最近は読んでないが12年くらい前には「ブラック・ダリア」「L.A.コンフィデンシャル」「ホワイト・ジャズ」「ハリウッド・ノクターン」「アメリカン・タブロイド」を読んでいる。好みではないが読み出したらのめりこむ。でもいまは積極的に読む気が起こらないでいる。

ブライアン・デ・パルマも好きなときがあったが、最近は見る気が起こらない。そのころ彼の奥さんだったナンシー・アレンとこれまた尊敬(?)するアンジー・ディキンソンが出ていた「殺しのドレス」(1980)が最高と思っている。そして「キャリー」(1976)も最高!! 「ファントム・オブ・パラダイス」(1974)が好きなときがあった。

「ブラック・ダリア」(2006)だけど、けっこう夢中になって見た。「L.A.コンフィデンシャル」よりずっとよかった。「L.A.コンフィデンシャル」は評判が良かったけど、わたしは作り過ぎに思えて好きになれなかった。どっちかというとロマン・ポランスキーの「チャイナ・タウン」(1974)に近い感じである。病んだロサンジェルスが舞台で、権力者の父親が娘に手を出すところも似ているというか。
アーロン・エッカートの刑事よかったわぁ。もう一人の刑事、はじめて見たジョシュ・ハートネットもよかった。こんなに手放しで褒めるのはわたしだけだったりして(笑)。二人の女優スカーレット・ヨハンソンとヒラリー・スワンクもよかった。あら、久しぶりに新しい映画を見たもんで「よかった」の連発してる(笑)。ブライアン・デ・パルマは映画の職人やね。

2007年10月24日

ダイ・シージエ原作・監督「小さな中国のお針子」

なにも知らずに見てびっくりした。「バルザックと小さな中国のお針子」という原作があるのも知らなかった。映画のサイトの丁寧な解説から知識を得つつ書いていく。
本のほうはバルザック生誕200周年が明けた2001年にガリマール書店で刊行され、フランス国内で40万部を越すベストセラーとなった。世界30カ国に翻訳され、知らなかったけど日本では早川書房から出ている。
本の著者で映画の監督であるダイ・シージエは、文化大革命時代に作品の主人公たちのように農村に下放された経験を持っているそうだ。そして実際に再教育を受けた四川省の山奥、映画のほうは素晴らしい景色の場所をロケ地にしている。

1971年の中国は文化大革命の嵐が吹き荒れていた。17歳のマーと18歳のルオは半革命分子の子どもとして山奥の村に送り込まれた。村長は共産党指導者でもあり、彼らを過酷な労働生活に追い込む。荷物を検査されてバイオリンが見つかってしまうが、モーツアルトを弾き、毛沢東賛歌と偽ったりしつつ、生き残るすべを得ようと必死である。
そのうちに年老いた仕立て屋とその孫娘のお針子に出会う。三人組で日曜日を過ごすようになりルオはお針子に恋をする。再教育で来ている模範青年が本を持っているとお針子がいうので、二人は留守に忍び込んで本を盗む。
バルザック、フローベール、デュマ等の本を、毎晩文盲のお針子に読み聞かせ文字も教える幸せな日。文句を言いにきた仕立て屋に「モンテ・クリスト伯」を毎夜読み聞かせると、仕立て屋が仕立てる服はフレンチ風になる。
やがて、お針子の妊娠がルオが親の病気で帰ったときにわかり、マーが必死で医者を見つけて中絶する。

下放された青年の農村での苦難と恋の物語から、最後は女性の自立の物語となる。生まれてはじめての読書で、バルザックの説く自由に目覚めた彼女は長い髪を切り、祖父と二人の恋人を捨てて村から出て行くのである。

それから27年、フランスでバイオリニストとして成功したマーは、テレビであの村がダムに沈むと知って中国へ向かう。しかし村には彼女はいない。上海で医者として成功したルオと会って思い出を語りあう。お針子はどこへ行ったかわからない。

文化大革命があっても良家の子どもは世界的アーティストや地位のある医者になっている。仕立て屋のお針子はどこへ行ってなにをやっているのだろう。なにをやっているにしても、自分の選んだ道を行ったのだからきちんと生きているだろう。青春の思い出など思い出しているヒマなんかありゃしません。

2007年11月05日

ニック・ウィリング監督「大人のための残酷童話 妖精写真」

押し入れのビデオ箱に入っていた映画だが、なんでうちにあるのかタイトルではなにもわからない。原題が「Photographing Fairies」と知って、もしかして好きなテーマじゃないかと思った。1997年のイギリス映画である。
スイスで結婚式をあげた二人が、翌日晴れた山に出かけるが、突然の吹雪でクレパスができ、妻は飲み込まれてしまう。写真家の夫チャールズは怪我をしたものの助かる。チャールズは第一次大戦にカメラマンとして従軍するが、怖いもの知らずで頑張る。(第一次大戦での塹壕はいろいろな映画に登場しているし、わがピーター卿もバンターとともに経験している。そして九死に一生を得たのだった。このへんのことをもっと知りたい。)
帰還後、ともに戦った同僚を助手にして写真館を営むが、当時の有名な話でコナン・ドイルが妖精写真を信じていたエピソードも出てくる。その写真を見たチャールズはペテンだと見抜くが、田舎からやってきた女性が出した娘二人の写真を見て動揺する。目だけを何枚も拡大してみて妖精を見た目だと信じるにいたるのだ。
それからその少女たちを訪ねて田舎に行く。女性は牧師の妻で、森の大きな木のあるところへ来るように誘い、チャールズが行くと彼女は木から落ちて死んでいた。
その後の展開があれよあれよと進んでいき、とんでもないことが起こり続けるが、みんなチャールズの自業自得というか、妄想の結果なのだ。そのもともとの原因は失った妻にあった。少女たちの付き添いの女性が想いを寄せ現実に生きようと言うのだが、彼には妖精しかない。そして小さい花を食べたときに起こる恍惚の気分と。
素晴らしい森と素晴らしい大きな木が妖しくて、ほんまに妖精がいるような気分にさせる画面だ。
その当時は妖精もコックリさんも信じている人が多かったようだ。ドロシー・L・セイヤーズ「毒をくらわば」にもテーブルを囲んでの場面が出てきたし、「抱擁」でもあった。

2007年11月10日

ステファヌ・ブリゼ監督・脚本「愛されるために、ここにいる」

愛されるために、ここにいる ステファヌ・ブリゼ51歳になるジャン・クロード(パトリック・シェネ)は、父親から引き継いだ司法執行官の仕事を続けている。オフィスには秘書の女性が犬を連れてきているのがご愛嬌。最初のシーンは別れた妻のもとにいた息子を事務所の跡継ぎにしようとしているところ。この仕事には向いていない植物好きな気の優しい息子を、なんとかやり続けさせたいと叱咤激励する。
オフィスの道を隔てた向こうはダンス教室で、ジャン・クロードは暇があるとカーテンをちょっと引いて、聞こえてくる音楽に合わせダンスの真似事をしている。その時の夢見るような表情がいい。
階段を上るのがしんどくて医者へ行くと軽い運動をするように言われ、ダンス教室へ行ってみる。そこで子どものときに彼を知っていたと声をかけたのが、フランソワーズ(アンヌ・コンシニ)。結婚式のダンスのために婚約者と習いにくるはずが、彼は書きかけの小説がうまく行かずダンスどころではない。
ダンスのレッスンで踊っているうちに惹かれあう二人。
ジャン・クロードは施設に預けた父親を毎週訪ねているが、父親は頑固で怒りっぽい。少年時代にテニスをやっていてたくさんトロフィーや写真や記事があったのをどうしたかと聞くと、全部捨てたと父親は言う。才能を伸ばすことを捨てさせ、自分の仕事や財産を息子に託したらしい。彼は些細なことから父親を罵倒して帰ってしまう。
独身生活にほとほと疲れているところへ現れたフランソワーズに心をときめかすが、フランソワーズの結婚式の準備は進んで行く。ダンス教室に来ている男の悪意で彼女が結婚することを知り、怒って話も聞かなかった彼に、秘書が私も同じ状況にあって、あなたと同じように行動したから、いまは犬とだけいっしょの生活なのだと言う。
父の死で鍵をかけてある戸棚を明けると、テニスのすべての記念品が入れてあった。息子を仕事から解放し、ダンス教室に行くとフランソワーズがおり、二人はタンゴを踊る。

監督2作目の映画(2005年)でフランスではロングラン・ヒットだったそうだ。。DVDで見たのだが、とてもじんわりと気持ちにしみ込んでくる映画だった。わざとらしさのないダンスシーン、タンゴを上品に踊りつつお互いの気持ちが高まる。ちょっとした手の動き、顔の寄せ方でそれがわかる。主演二人ともすきのない素晴らしい演技だ。
フランソワーズの婚約者が冴えないほとんど中年男というのがリアル。結婚式の席の割り振りで言い合いになる母親や姉たちもどこにもいそうな感じ。
そして最後はダンス教室でのダンスが二人だけのダンスになる。タンゴのリズムが素敵。さて、二人はこれからどうするのか。大人の映画だ。

2007年11月23日

ヒュー・グラントとドリュー・バリモアのラブコメディ マーク・ローレンス監督「ラブソングができるまで」

ラブソングができるまで 特別版 マーク・ローレンスラブコメディが好きでヒュー・グラントが好き。今夜は家で和みたいと借りてきたDVDを見て、きゃっきゃとはしゃいでしまった。
ヒュー・グラントとのつき合いは「モーリス」からだから古い。コリン・ファースの「アナザー・カントリー」とどっちかというところだけど、「高慢と偏見」でコリンのほうに傾いている。でもラブコメディのヒューはわたしの〈好いたらしいおとこ〉のナンバーワンである。

80年代に人気の高かったバンド「POP」のボーカルとして人気の高かったアレックスは、元スターとして遊園地や同窓会みたいなパーティで歌っている。中高年の女性たちの青春の思い出としての人気があるのだ。
そこへいま人気絶頂の歌手コーラから曲の依頼がある。子どものころに彼の歌で救われたことがあったという。曲はともかく歌詞はどうもと作詞家に頼むがもひとつである。そこへ植木の水やりにいつも頼んでいる女性の代わりにソフィーが来る。彼女の言葉が歌詞になると思ったアレックスは、強引に作詞を頼み共同作業で仕上げて行く。そして愛し合うようになるんだけど、コーラの歌い方に妥協できないソフィーは去って行く。
まあ、いろいろおもしろいエピソードがあって、マドンナみたいなコーラの撮影風景やパーティ場面があって、最後がニューヨークでの大舞台である。
コーラの舞台があって、次にアレックスとアナウンスされる。アレックスは自分のいまの気持ちをソフィーに向かって歌う。

80年代の音楽はあんまり知らない。70年代後半からのパンク・ニューウ