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音楽 アーカイブ

2004年04月30日

いまのお気に入り、小島麻由美と浜田真理子

iMac を買っていちばん喜んでいるのが iTunes で、音楽を聴きながら仕事をしたりメールを書いたりできることだ。CDをかけるよりずっと簡単だし、ラジオで聴きたくないのに聞こえてくる曲もない。一昨年の暮れに買った iMac に相棒が家にあるCDをかなり入れているので、わたしはラクチンである。さぁ、なにを聴こうか、クラシックかジャズかと迷うところだが、実は小島麻由美と浜田真理子の2人の2枚ずつのCDを繰り返し聴いている。
小島麻由美は都会的なモダンな音楽。特に「愛のボルダーガイスト」に入っている「ロックステディ ガール」がお気に入り。気のはしっている少女という感じがたまらない。最初にラジオで聴いたときに名前を覚えておいたところ、アメリカ村の本屋ヴィレッジヴァンガードでCDを見かけたので買った。「さよならセシル」とともに大切なアルバムである。小島麻由美を想うと“はしけやし”という言葉が浮かんでくる。一度テレビで見たけど、とてもキュートな人であった。いま「セシルカットブルース」を聴いているけど、なるほどフランソワーズ・サガンの世界だわ。
浜田真理子は島根県松江市で日常生活を送りながら、東京に事務所を持ち、各地でライブを行っている人だそうだ。最初に相棒が堀江の貸本喫茶ちょうちょぼっこでバックに流れている、ピアノの弾き語りを聴いて、お店の人に聞いたら心斎橋のベルリンブックスで売っているとのこと。さっそく行って、最初は「MARIKO」を買ったのだが、女の情念が浮かび上がる歌い方がすごい。おととい買ったもう1枚の「Love song」に入っている「アカシアの雨がやむとき」は独特の歌い回しで、わたしとしては、いまは亡き阿部薫が天王寺のジャズ喫茶マントヒヒでソプラノサックスで聴かせた演奏と双璧だと思う

2004年05月24日

阿木譲さんの jazz cafe "nu things" が細野ビルジングでライブ

住まいの近くにあるクラシックな細野ビルジングには、前々から興味を持っていた。去年のいまごろ地下室で個展をやるというチラシをビルの前でもらったので、個展よりもビルの中に入れるのがうれしくて行った。そのときは持ち主の細野さんがビルの中を案内してくださったことをこのページに書いている。その次はビルができてから66年ということで、6月6日に「66展」という美術のイベントをやったときに行った。今年も6月に「66展」を開催するとのことである。
なにかにつけ気になるビルなのだけれど、先日ビルの前にこんなお知らせがあったと相方が持って帰った。「another side of nu things 5月のイベント案内」というもので、主催者のURLがあったので見たら、なんと nu things というのは20年ほど前に知っていた、「ロックマガジン」(超過激でおしゃれな音楽雑誌)の編集長、阿木譲さんが経営しているジャズカフェなのであった。5月いっぱい細野ビルジングでライブを展開するということで、おととい相方が行ったのだが、阿木さんとパートナーのユキさんが再会を喜んでくれたと言う。また「オクサンはお元気?と2人とも聞いてたで」ということで、今夜は私もジャズライブに行くことにした。
8時からなのでご飯を食べてゆっくりと行った。夜の細野ビルジングはとっても素敵。外観もいいし内部も古風な室内が淡い光に照らされていて素敵。
ユキさんも阿木さんもおしゃれで攻撃的なところが昔と少しも変わっていない。この2人が好きなことをやりながら生きている姿を見ると、もっとわたしも好きなことをすることにどん欲にならなきゃと思ってしまう。
ジャズのライブ(NEW4)は久しぶりだったので圧倒された。最近のジャズを聴いていないから、ジャズ一般について語れないけど、今夜聴いた限りではとても優しい音楽になっているように思えた。ちょっとU2の音を思い出させるところもあった。
帰りに阿木さんが、ホームページに今夜のことを書いてくださいよと言ったので、そう阿木さんが言ったと書きますねと笑って別れた。阿木さんがご自分の名を検索したときに、私が書いたものが出てきたそうで、わたしがVFCをやっているのもご存知だった。ふーっ、悪口を書いてなくてよかった(笑)。

2004年07月07日

カルカヤマコトは楽しい

先日のことだけど、堀江のガレージフラワーでビールを飲んでいたら、カウンターのクッキーの横にCDが置いてあった。これはどういうのと聞くと、大阪の子で高校生のときから歌っていて、この店でもライブをしたことがあるという。いいですよと言ってかけてくれたのだが、レゲエみないなやんちゃな声が楽しい。ええやんかと2枚あるうちの1枚を買って帰って毎日聴いている。
カルカヤマコトさんは、いま20歳、ジャマイカと大阪を拠点に活動しているそうだ。買ったCDは「Black and Browny」。部屋中に元気いっぱいの歌声が響きわたると、今年の夏はこれで乗り切るぞとなんだかこちらまで元気が出てくる。
英語と日本語がちゃんぽんになった歌詞なんだけど、歌詞カードを読むと「前進の精神で先制がスタイル」というのがあって、これが彼女のスタイルなんだ。
中に聴いたことのある歌が1曲あった。ジャズのスタンダードナンバーやんか、これ一時期よう聴いていたなぁと考えたら、「ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン」に入っている「 You'd be so nice to come home to 」なのであった。ヘレン・メリルよりもずっと図太く歌っていて、これも良し。

2004年08月07日

尾藤イサオが好き

NHKニュースの後にすぐ「思い出のメロデー」の時間になった。サッカーにはまだ時間がある。かけっぱなしにしていたら、すぐ「ウエスタン・カーニバル」がはじまった。11時までの番組だから大物は後で出るのだろう。わたしはこれだけ見たらいいんだからラッキー。平尾正晃、飯田久彦、佐々木功が出ていたが、懐かしいがまあいい。わたしは尾藤イサオくんがお目当てだ。
若いときの尾藤イサオくんて足が短くて顔も良くなかったけど元気で愛嬌があった。たしか軽業師出身とかで身のこなしが軽くて足がよく上がっていた。実際に軽業をしているのを見たことがあるが、うまいものだった。あの愛嬌があるから引き立つ。
昔も今もテレビでしか見たことがないが、出るとわかるとちゃんと待っていて見る。「おーんなのー、あついなみだにふるえたー、なみだのギター」という歌が好きだったけど、最近は聞かないなぁ。「悲しき願い」「ダイアナ」みたいな曲が多い。なにを歌ってもポーズが決まるのは日頃の節制の賜物だろうと尊敬してしまう。いつまでもロカビリーボーイのところがステキ。

2004年08月08日

年寄りの冷や水、クラブ jazz room"nu things"

いまもなにかと話題になる70〜80年代に輝いた雑誌「ロックマガジン」の編集・発行人である阿木譲さんが、本町に新しくミュージックスペース jazz room"nu things" をつくられた。昨日はそのオープニングパーティだった。
誘っていただいたので二人で行くことにしたが、夜の8時から翌朝5時までとである。このごろはそんなに長時間遊ぶ自信がない。しかし、さすが阿木さん、眠くなるまででいいからと優しいお言葉。それじゃ大丈夫だねと、早めに堀江のチャルカに行って、お祝いの小さな花束をつくってもらった。
これをはずしたらあかんと、サッカーアジアカップの試合を見たので、出かけるのが12時を過ぎてしまったが、タクシーで5分の距離である。
中央大通りに面したビルの地下で50坪ある広いスペースに、ステージがあり客席があり踊れるスペースがある。もちろん客は若い人たちである。阿木さんとパートナーのユキさんに挨拶して、ゆったりした椅子のセットがあるスペースに座った。真っ白な壁、天井はなくて配管等がむき出しで赤茶色に塗ってある。
ジャズの演奏が心地よい。のびやかなピアノの音、からだに響くドラムの音を聴いていると、家で小さい音を聴いているのがつまらなくなってきた。2時を過ぎたころDJが登場、めちゃくちゃ快適な音で、反復が心地よい。聞き慣れない音楽でもある。これはなにと阿木さんに聞いたら、これがクラブジャズという返事であった。なるほど、そうか、ここはクラブなのね、とわたしたちはうなづいたのでありました。これからは月に一度は来ようなんて言いながら聞いていた。
心地よく疲れてお店を出たら街は明るくなりだしていた。こういうのもたまにはいいねと歩いて帰ったら5時だった。

2004年10月10日

細野ビルヂングのジャズライブ

うちから歩いて5分で行ける細野ビルヂングは、最近レトロなビルとして脚光を浴びている。あの汚いビルと言っていた若者も雑誌に出てからは口調が変わってきた。
今日明日はジャズライブをするからおいでと、細野さんが誘ってくださったので晩ごはんを食べてから出かけた。場所が好きだから演奏が少々へたくそでも、という気持ちもあったのだが、始まったとたんに熱くなった。
メンバーはドラムが岩本ヒロユキ、ベースが中島教秀、ギターが箕作元総、ボーカルが山口修子。ものすごくよかった。わたしはいまのジャズをまだつかみきっていないのだが、先日の jazz room "nu things" での辰巳哲也といい、よい音楽を聴かせてもらってすっごくラッキーである。岩本氏のドラムはものすごくスピードと重量感があって、70年代の日野明を思い出した。ベースもギターもうまかったし、ボーカルはこれこそジャズボーカルじゃんとうなった。
場所がいいこともある。岩本氏はここで演奏したかったと言われたが、高い天井の広いホールで、思い切りドラムを叩けて幸せだったに違いない。
中島氏のと山口さんのとCDを買って帰っていま聴いているけど、とてもよくてうれしい。明日も行く予定。

2004年10月11日

音楽の悦び

細野ビルのジャズライブに今夜も行った。昨日のメンバーにソプラノサックスの平田葉子さんが加わり、ボーカルが東雲マリさんに変わり、また違う味わいがあってよかった。「朝日のようにさわやかに」ではじまったとき、幸福としか言いようのない気持ちがじわじわとわいてきた。昔ジャズを聴いていたころとは満ち足りかたが違う。昔はジャズに鼓舞されていたというか、先鋭的なもの、闘争的なものをジャズから嗅ぎ取っていたし期待していた。だからその先はもっと先鋭だと思ったパンクロックに行ってしまったのだと思う。心と体の官能や快楽よりもアタマの一部で聴いていたのだ。行き着いたところには音楽の快楽が失われていたのだ。その後はクラシックにもどり、オペラのCDをかけっぱなしで聴いていたりした。またその後はそのときどきで気に入ったものをジャンルなしで聴いてきた。
今年は jazz room "nu things"の阿木さんと再会して、いまはジャズなんだよと言われて聴きだしたという、たよりないことからはじまったのだが、そうなると神のお導きのごとく、新しいジャズを聴く機会に恵まれている。
「マイフェバレットシングス」「サマータイム」「You'd be so nice to come home to」・・・なんと、なんと、なつかしくて、美しくて、新しいんだろう。
最後の「オンザサニーサイドストリート」にいたっては涙が出そうになった。マリさんは英語で歌っていたのが突然、大阪弁になり「明日のことなんかどうでもええやん」って歌うんやもん。
帰りにベースの中島さんに挨拶して少しお話しした。「いまここで音楽を創っている喜び」を今夜味わったとおっしゃったのがうれしかった。演奏者にとっても聴き手にとっても素晴らしい夜だったのだ。興奮してまっすぐに帰れず、堀江へ出て8b ダイニングカフェでワインを飲んで帰った。

2004年10月31日

バルトーク音楽会

堀江のカフェ チャルカに行き始めてもう3年くらいになるだろうか。最初からお店でかかっている音楽が気になっていた。音の繰り返しが心地よい。スティーヴ・ライヒの感じと言ったらいちばん近いか。店の人に聞いたらCDがあるというので1枚買った。とても静かで気持ちがよい音楽。トウヤマタケオさんの2枚目のCD「hello 88」だった。
「バルトーク音楽祭」を「チャルカニュース」で知り、前売券発売日にちゃんと買いに行った。好きなバルトーク・ベラ(ハンガリーでは日本と同じく姓を先にする)の音楽を、これまた好きなトウヤマさんが解説し演奏するというのだから逃せない。お顔も拝見したいし。
堀江音楽祭参加イベントのひとつとしてのもので、チラシによると、
【解説・出演/トウヤマタケオ(電子ピアノ)、演奏/波多野敦子(バイオリン)
20世紀のハンガリーを代表する音楽家バルトークをリスペクトする音楽会です。ハンガリーの蚤の市で発見した偉人シリーズのディアフィルム(ハンガリー の紙芝居フィルム)を投影しながら、トウヤマタケオが解説。数曲の生演奏も交えながら、バルトーク・ベラの魅力にせまります。】というもの。
お店いっぱいに人が集まり、照明が消されディアフィルムがはじまった。白い壁に映されるバルトークの子ども時代や演奏中や山村に伝わる音楽を収集してまわったときの写真を、トウヤマさんの解説で見入った。そのあとに「バルトーク音楽の秘密」というテーマでお話があった。1、音楽って何? 2、時間の扱い方、3、音程の扱い方、4、バルトークの目指したもの、というテーマでレジュメも用意されていた。
わたしは音楽は好きだしよく聴くが、気持ちがよいとか鼓舞されるとか、自分の都合のよいように聴いている。それに譜面が読めないから耳で聴いて覚えてしか歌えない。あらゆる楽器にさわれない。音楽の本だけはたくさん読んでいるけど、雑多な知識があるに過ぎない。この日のトウヤマさんのお話はシンプルだったけれど、バルトークの本質について理解できたような気がする。
最後に演奏はバルトークの子どものための音楽をお二人が演奏した。フルートのパートをバイオリンにしたもので、すごくよく歌う感じがしてよかった。西洋音楽とすこし違った東洋的な旋律であることが、わたしをバルトークに誘うのかな。目の前で生の音を聴ける幸せで胸がいっぱいになった。
帰りにできたてのほやほやのCD「green」を買って帰った。

2004年11月04日

ピリスの授業

昨日のNHK教育テレビでやった「スーパーレッスン・巨匠に学ぶピアノ」という番組、講師はマリア・ジョアン・ピリスと番組表にあった。これはたいへん、絶対見るぞとご飯もそこそこに終えて、最初から最後までの1時間半をじっと見ていた。
わたしがクラシックを聴いていたのは、はたち過ぎの数年間だが、いわゆる音楽会というものに足しげく通った。外来音楽家の演奏会につぎこんだお金はたいしたものだった。
それからはジャズに好みが変わっていったが、40代のときに相方がクラシックを聴きだしてCDがいつも鳴っている状態だったので、今度は普通の生活をしているときに耳からクラシックが入ってきた。わたしのように行き当たりばったりではなく、ちゃんと本や雑誌で知識を得てCDを買っていた。それでわたしも残っていた知識をアタマから引っ張りだしたりした。
ピリスはそのころ素敵な人だなぁと感心したピアニストである。すごく繊細で透明で論理的なピアノの音に魅せられてよく聴いていた。
これは余談だが、そのころの終わりの時期に秋月こおの「富士見二丁目交響楽団」に出会ったんだよね。指揮者とバイオリニストを目指す男どうしの恋物語なんだけど、音楽についての二人の突っ込みかたが素晴らしくて何度も読んだものだ。
ええっと、昨日の授業風景はもうもう感心したの一言であった。若い日本人男性が教えを受けたのだが、まずピアノを弾かせてみる。こうして巨匠の教えを受けるのだがら、すでに一人前なんだろうけど、ピリスがちょっと弾いてみせるのと音が違うのよね。そしてピリスは何度も言う、「ファンタジーがない」と。「なんでピアノを弾くのか、なにを表現したいのか」と厳しく言う。その言葉に圧倒されてしまう若者ににっこりとしながら、ピアノのテクニック以上の「間」とか「止まる」ことを教えた。笑顔が素敵で淡い色のシンプルなブラウスとスカートの姿が美しかった。

2004年11月07日

音のシャワーを浴びた夜

【DJ AGI Yuzuruが楽しみながらラフに選曲する一晩だけの特別な夜】にお誘いを受けて、昨夜は阿木譲さんのDJを楽しむために「nu jazz」へ行った。このところ二人とも体調がよくないので、始まる時間の9時に行って12時頃で失礼しようと言っていたのだが、あまりの気持ちよさに結局3時過ぎまでいることになってしまった。体は疲れたけれど心はすごく元気になった。真夜中に大音響で音楽を聴くってなんと贅沢なことだろう。そしてその音楽が最新のヨーロッパのジャズであり、それをDJするのが、わたしがずっと敬愛してきた阿木さんなのだからうれしいわけである。音の大シャワーを浴びて幸せいっぱい。壁に映し出される映像もよかった。
ヨーロッパ最新のジャズのレコードを取り替えながらの、DJの演奏を長時間目の前で見聞きして、ようやくDJとはなにかということがわかったような気がする。DJ自身がどんなレコードを選ぶか、そのレコードをどう聴かせるかという編集力がものを言うこともわかった。わたしとては、なんかすごーく発展的な夜だった。
お客は若者、それも賢そうな若者たちでカップルも多かった。12時過ぎてから階段を下りて入ってくる客を見ていると、大阪も都会になったと思う。わたしたちは歩いて行って歩いて帰ったが、最近音楽を聴きにでかける細野ビルにせよチャルカにせよ歩いていける。ミナミまでも行かないで近場でこういう夜が送れるなんてなんて幸せなことだろう。

2004年11月18日

クリント・イーストウッドの「ピアノ・ブルース」

アメリカでブルースが誕生して100年目になる2003年に、マーティン・スコセッシが製作総指揮し「THE BLUES Movie Project」として7作品が、それぞれの監督によってつくられた。他の6作品は映画館で上映されたが、クリント・イーストウッド監督の「ピアノ・ブルース」だけはテレビのみということである。運良くビデオで見ることができた。
イーストウッドとレイ・チャールズがピアノの前に並んで座っているところからはじまる。イーストウッドは白のポロシャツにチノパンでスニーカー、何度も洗濯した服と履き古した靴を身につけた姿がすがすがしい。二人のブルースへの気持ちを語るところからはじまって、話題に出たミュージシャンが画面に出る。古い貴重なフィルムが現れる。
インタビューの相手、そしてイーストウッドのスタジオで演奏したのは、レイ・チャールズ、デイブ・ブルーベック、ドクター・ジョー・モートン、マーシャ・ポール、パイントップ・パーキンス、ジェイ・マクシャー、ピート・ジョリー。
フィルムで紹介されたミュージシャンは、デューク・エリントン、ビッグ・ジョー・ターナー、ジェイ・マクシャン、チャールス・ブラウン、アート・テイタム、オスカー・ピーターソン、ナット・キング・コール、ファッツ・ドミノ、オーティス・スパン、フェイマス・ニュートン・ジュニア、カウント・ベイシー、セロニアス・モンク、パイントップ・パーキンス、アンドレ・プレヴィン。
ブルースをはじめて聴いたときのこと、だれに最初の手ほどきをしてもらったか、ブルースとジャズのこと、誰の演奏が良いかなど、それぞれと愛をこめて語り合う。イーストウッドの眼差しの優しさ、はにかむような口もと。ほんとうにブルースを愛しているからこその柔らかい表情に感動した。
もちろん、ブルース! なんでこんなにこころも体も熱くなるのだろう。

2005年02月19日

"nu things" で山本のりこのボサノヴァを聴く

これを書きながら買って来たCD「Calor」(カロール)を繰り返し聴いている。だんだん慣れて来て良さがなじんできた。本人の歌を聴いてきたばかりだからね。
さっき"nu things" でボサノヴァの歌い手、山本のりこの歌をはじめて聴いた。ギターを持って静かに出てきて、さりげなく歌い出した歌はあくまでも静か。ボサノヴァって「イパネマの娘」とかジャズのうちだと思っているくらいの知識しかないものだから、歌がはじまったときはちょっと驚いた。この感じはファドみたいだと思ったのだが、これまたファドをよく知っているわけでもない。ギターがすごくうまくて、声が洗練されていて、じっと聴いていると味わいがあってインテリっぽい。
のりこさんは東京に住んでおられるが、宝塚出身で本町でOLの体験をしたことがあるそうだ。トークが大阪弁まじりになるのはそのせいだった。CDにサインもしてもらってしあわせ。

2005年03月07日

いつも映画館は混んでいた

ここ数年は映画館はおろかビデオを見ることも少なくなったけど、子どものころからずっと映画館へ通っていた。いつのころか、いつでも座って見られる時代になったけど、長いこと映画館で席を取るのがたいへんだった。映画館で素早く席を確保してくれる男の子がモテた時代だってあった、ほんまの話(笑)。痴漢も多かったなぁ。
今日こんなことを思い出したのは、土曜日のライブで50席くらいの椅子が出ていたのだが、全部うまることがなかったのね。立っている人が多く、ふらりと前にきてぺたんと床に座ったりする。椅子に座っていても、立つときに荷物を置いて確保しておく人はいない。ふらっと立っていき、だれかがその後に座るか空いたままである。わたしの隣の席が空いたので横に立っている女性に「座ったら」と言ったら、「立って聴きたいからいいです、ありがとう」という返事だった。ライブがはじまってから彼女をちらっと見たら、腕を組んで体を揺らして陶酔していた。その演奏がすんでから「疲れたー」と言って座った。そうなんかーと納得。
今日はそのことを思い出しておかしくなった。わたしなぞ、食べるのも早いし席取りも早い。いつも人より先に取っておこうと忙しい。生まれついての性格ではなく生きていた時代がそうさせたのである。ふふ。

2005年03月22日

歌が生まれる現場

昨日はお昼頃起きて、気になっていた田辺寄席サイトの溜まっていた原稿をアップしてほっとした。その後外付けハードデスクを買いにヨドバシカメラに行ったが思っていたのがなく、アップルストアに後日行くことにしてイカリスーパーで買い物し、シャーロックホームズで食事といういつもの梅田コースであった。
さあ、それからが長い夜。
話のはじまりは、1カ月ほど前にnu thingsの阿木譲さんからかかった電話だった。阿木さんはshuのアルバムをつくることを計画されているそうで、そのアルバムのshuのために、わたしに作詞してほしいと言うのだ。青天の霹靂というか、びっくりしてお断りしたが、君ならできる、ちょっとしたヒントでもいいからという阿木さんのおだてに、やってみると返事してしまった。shuの雰囲気にあてはめて“都会的な恋愛”をテーマに、三つのストーリーを渡したのだが、二つを採用したのでそれを含めたアルバムのための、最初の構成をさぐる集まりに来るようにとのこと。
それが昨夜で、コンピュータ上で曲の構造を作ることに相方も興味を持ちいっしょに行った。shuをはじめマックを駆使するジャズミュージシャンの辰巳さんや若いミュージシャンのかたがたも来られていた。
去年はじめてDJが演奏する音楽を聴いたのだが、先日は楽器はなにもなくただマックを操ってのライブと、新しい経験が重なっていっている。昨夜は音楽の演奏ではなくて、音楽が生まれるところを目の前にする、というすごい経験をさせてもらったわけだ。shuの歌にマックからの音が重なるのだが、それでもう完結しているように聞こえる。まだまだこれは糸口なのだが。
もうこうなったらしかたないと度胸を決めて待っていたら、shuと作曲の生島さんがわたしの書いた言葉を曲にのせる相談をはじめた。かたや辰巳さんは生島さんの曲をマックで構成しはじめている。曲ができあがってshuは今夜はじめて出会ったわたしの言葉を、曲にのせて歌い始めた。うーん、文字を目で読んだときと違い、恋の物語が立ち上がったような・・・。
歌が生まれるときに立ち会い、少しかかわっているのだと思うと、なんかうれしい。長い夜の間に、コーヒーのおかわりをもらいながら、若いミュージシャンたちがそれぞれ楽器を持って演奏しているのを聴いているのもよく、アンニュイな雰囲気のshuの歌がつくられていくのを聴いているのもよかった。
今日はここまでとなって朝6時過ぎに終わって外に出たら、もう街は明るくなっていた。帰ってお風呂に入り、一眠りしてマッサージに行き緊張をほぐした。

2005年05月07日

ジャズ的なるもの

去年の夏20数年ぶりに細野ビルで阿木譲さんに再会してから、なぜいま阿木さんがジャズなのかをずっと考えていた。わたし自身は長い間ジャズを聴いてきたのに、ある時期から遠のいていたままになっていた。その後に細野ビルでジャズライブが毎月あるようになって、20数年ぶりに生のジャズを聴くことになった。聴いていると体の中に眠っていたジャズ好きの部分が目を覚ましてしまった。でも、これって、わたしには新しいことではなくて、ノスタルジーであったわけだ。「朝日のようにさわやかに」なんて聴くと涙が出てきそうだった。その心地よさを、これではないぞと教えてくれたのが、いまから思えば、nu thingsで去年の秋に阿木さんがDJをした夜だったと思う。
今日はサックスの澤井誠さんから出演するとメールをいただいたのでnu thingsに行ったのだが、連休中のせいか客がいなくて、ずっと阿木さんと相方の間に座って聴いていた。澤井さんのサックスはリリカルで湿っていてわたしは好きなのだ。
ここからが阿木さんから講義を受けた肝腎の話なのだが、わたしにはむずかしい話で、眠気が襲って来た頭ではあんばい書くことができない。続きはまた明日。

2005年05月08日

ジャズ的なるもの 続き

阿木さんとの会話の中で気安く「なぜ阿木さんがいまジャズなのかわからない」と言って「まだわからんのか」って言われてしまった。いらん一言を言わんといたらよかったと一瞬思ったが、その後のけっこう懇切丁寧に言っていただいた会話を今日反芻して、かなり自分なりの整理ができたと思う。阿木さんがジャズは“文学”ではないと言われたとき、わたしはジャズは“文学”だと信じ込んでいたので混乱してしまったのだが。
それで今日は一日わたしにとってなぜジャズは“文学”なのかを考えていた。ジャズ体験の最初は家に古いジャズレコードがありルイ・アームストロングやグレン・ミラーを聴いて育ったわけだが、その後がいけない。これが正しい道とばかりに“文学”としてジャズを聴きはじめたのだった。最初に行ったコンサートがアート・ブレーキーとジャズメッセンジャーズだった。当時ファンキージャズという言葉が流行って、安保反対のデモに行くのに、ファンキージャズデモと言った人がいた。その後は「ジャズと自由は手をつないで行く」とナット・ヘントフが言った。まったく音楽を聴いているのやら“文学”を置き換えていたのやら。ニュージャズにいたってもっと純文学性が強調され、それが行き詰まったとしてジャズを離れ、パンク・ニューウェーブを聴きだしても、それは同じく“文学”を聴くことなのであった。と言っても聴いていたジャズが“文学”だったわけではない。ジャズは音としてあったのに、勝手に聴き手のわたしが“文学”をくっつけてしまっていたのだ。
阿木さんはジャズに文学性を認めるとしたらせいぜい“俳句”だと言う。そこのとこを理解できたような気がしてきた。だけど、わたしってこんなに長くジャズやロックを聴いてきたけど、なにをやってたんだろうと少々情けない。いまからでも遅くないと思いたい。

2005年05月27日

"nu things"で辰巳哲也の音楽を聴く

今夜は"nu things"で「New Conception NU JAZZ」というライブがあった。他にも出演者はいたのだけれど、ひたすら辰巳哲也の演奏に引き込まれていた。以前にも聴いてすごいと思ったけれど、今日はまた格別によかった。
コンピュータに打ち込んだ音に、生のトランペットの音をのせる。その音が知的であると同時に非常に官能的なのだ。最後にやったコルトレーンの曲のときは感動の涙が出そうだった。
先日会ったばかりの仕事を辞めて充電中のYさんと、知り合いの若者Mくんといっしょに行ったのだが、この演奏をいっしょに味わえてよかった。

2005年05月28日

ジャズ的なるもの 3

昨日はお昼前に整骨院に行った。先日メールで問い合わせがあったヒザ痛は本人でなく知り合いで、その方がわたしのいる間に来られたので「お互いに早く治りたいですね」と言葉を交わした。不思議な縁である。メールをくださったかたにもいつかお会いしたいな。
ばたばたした午後を送ったあと、夕方Yさんと待ち合わせてnu thingsへ行く途中、ばたっとこけてしまった。手を前に伸ばしてすごい格好。この前こけたのは大阪ドームができたころで、ドームを見上げながら歩いていて、なにかにけつまづいてどさーっと倒れた。だからだいぶんに久しぶりである。そのときも昨日もケガをせずにすんでラッキーであった。わたしの幸せは不幸中の幸いばっかり(笑)。
nu thingsにいるときは元気だったのに、帰ったらどっと疲れてこのページも要点だけ書いて寝てしまった。相方はずいぶんと遅くまで起きて日記を書いていたようだ。昨夜の詳細はそちらをお読みください。

今月の7日と8日に「ジャズ的なるもの」と題して書いた。その続きみたいなことを今日考えていたので書いておく。去年の秋にはじめてshuの歌を聴いて惹き込まれた。それをshuの歌に惹き込まれたと思いこんでいたが、shuの歌うスタンダードナンバーに惹き込まれていたのに気がついた。長らくジャズの生演奏から離れていたためにスタンダードナンバーにノスタルジーがわき起こったのだ。それはそれで、わたしが「ジャズのいま」に目覚めていく過程として重要なことであったと思う。ノスタルジーと異質な阿木さんのDJ、辰巳さんのウチコミとトランペット、そして阿木さんから講義を受けて、ようやく目が開いたとき、昨夜の辰巳さんの演奏があったのだ。やっぱりわたしは幸せな人生を送っている。

今日はVFCの例会日で人数は少なかったけど、楽しく有意義な会だった。やっぱり継続は力なり。
Mさんが「太陽がぽかぽかと楽しいときと、焼けつくようでしんどいときがあるけど、それは太陽のせいとちゃうやろ。そのときの自分の状況で会報が重いときと励まされるときがあるねん。みんなもそうやと思うわ」と言ってくれた。VFC会報は太陽なのか? まだしばらくがんばろう。

2005年06月04日

久しぶりにタワーレコードへ

CDを買わなくなってから久しい。ちょっとカフェで聴いていいなと思ったのを買ったり、ライブでミュージシャンが個人売りしているのを買ったりはしていたが、さてCDを買いに行こうにはならなかった。数年間気持ちとお金の余裕がなかったもんな。
相方が一昨日スポーツタカハシへスニーカーを買いに行った帰り、久しぶりにタワーレコードへ寄ってきた。ジャズのCDが充実していてびっくりしたと言う。北欧ジャズもあったということで、今日は晩ご飯を食べてからアメリカ村のタワーレコードに行った。JUKKA ESKORAのを1枚買ったが、一昨日見て欲しかったというアルバート・アイラーの1枚が見つからない。よそも見るというので道頓堀に出てツタヤを見たがここはお門違いであった。混雑する戎橋付近を歩いたのは久しぶりで、観覧車を見たのははじめてだ。
帰りも歩きでアメリカ村のヴィレッジヴァンガードへ寄ったら、小島麻由美の「パブロの恋人」があったので買った。お茶も飲まず電車賃も使わなかったしと言い訳しつつ3500円払った。
無いと欲しくなるもので、アイラーを探しに明日は梅田のタワーレコードへ行こうとなったが、ネットを見たら在庫があった。さっそく注文しようとしたら送料無料に100円足りない。じゃぁもう1枚ということで小島麻由美の「マイネームイズブルー」も注文してしまった。今月も家計が苦しいのにねぇ。
トーストにチーズと蜂蜜をたっぷりのせて食べながら小島麻由美を聴いた。歌詞のうまさに舌を巻いてしまったわ。最近は歌詞が気になってしかたない(笑)。

2005年06月12日

エディ・ヘンダーソンを“サブ”で聴く

今夜は不思議な縁で谷町9丁目のジャズスポット“サブ”でエディヘンダーソンのトランペットを聴いた。"nu things"で知り合ったトランぺッターの辰巳さんが、東京赤坂の“ビーフラット”でのエディ・ヘンダーソンのライブの世話をされている。彼のサイトの案内を見ていたら、東京に先立ち大阪でライブがある。谷町の“サブ”と梅田の“ロイヤルホース”である。長らくジャズから離れていた身なので、両方とも行ったことがない。日曜の夜ということで“サブ”に予約して、今夜出かけたわけ。お店は思ったよりも狭くてぎっしりと若い人が入っていたが、予約してあったのでよい席に座れた。
気合いの入った素晴らしい演奏だった。メンバーは、エディ・ヘンダーソン(tp, flh)、竹田一彦(g)、西山満(b)、dsはファーストステージが竹田達彦、後は弦巻潔に替った。エディは60歳を超えているそうだが、デンゼル・ワシントンに似た端正な面立ちで知性がにじみ出ている。姿勢がよくて精悍な感じ。なぜか演奏中にエディが二度も微笑みかけてくれた。最初はお互いに微笑み、次はお互いにおおっぴらににっこり。ほんまだってば。終わってからCDを買ってサインしてもらった。もちろん握手もちゃんとしてもらった。
こういうライブは久しぶりである。なんせ、わたしらは70年代の後半にジャズから離れていたのだ。そしてそれから聴きだしたパンク・ニューウェーブも80年代後半には別れてしまい、Macにどっぷりとはまりこんで生活していたのだ。「すんません」とジャズに謝るしかない(笑)。
いまや北欧の新しいジャズを聴こうというようになったが、まだそこに行くためには順序を踏まなければならないと感じている。ニュージャズに没頭していたころいちばん好きだったアルバート・アイラーの死の直前のフランスでの演奏が、新譜として出ているのをしっかりと聴きたい。そして、今夜のライブをしっかりと聴いておきたかった。
エディの演奏はニューヨークの新しいジャズの動きをかいま見せてくれた。ベースとギターは年配の人なのだが、まるで名人の落語のように垢抜けしていた。ドラムは若々しく気持ちよかった。
知り合いはいないと思っていたら"nu things"で何度か歌を聴いたことのあるマナさんがいて、終わってからちょこっと話をした。ここのジャムセッションにもたびたび参加しているそうなので、そのうち聴きにこよう。

2005年07月01日

楽あれば苦あり

夕方になって仕事が急に発生。今夜中にできるかなと考えながら晩ご飯を食べていたら、nu thingsの阿木さんから電話があった。お勧めのジャズが今夜あるという。相方が最初は忙しいと断りかけたのだが、後は後のことと出かけることになった。雨の中タクシーでご苦労様なことである。お勧めの「Bring Station」の演奏に間に合ってたっぷりと聴けてよかった。若い4人(サックス、ギター、ベース、ドラム)の演奏がすごくうまいのでびっくりした。
去年の5月ごろに阿木さんと再会してからジャズを聴く生活になり、ここnu thingsと細野ビルその他でたくさんのライブを聴いた。最初はノスタルジーでスタンダードナンバーを聴いただけで涙が出そうになったりしたが、最近はかなり耳が肥えてきた。
今日の「Bring Station」はとても良かった。演奏する姿もとても個性的で好ましかった。見ていたら若者がジャズをやる気持ちがわかるような気がしてきた。
さあ、楽しいことをしたから、これから黙って仕事しよ。

2005年08月08日

アイルランドの歌

80年代のいつごろからかニューウェーブと言われていた音楽を聴かなくなった。聴いていた期間は短かったけれど強烈だったので、それから音楽を聴いていなかったような気がしていたが、実はそんなことはなかったのだ。クラシック(主にマリア・カラスのオペラ)とアイルランドの歌があった。そうそう、U2はたくさん聴いたっけ。
ケン・ブルーウンのジャック・テイラーもの「酔いどれに悪人なし」でメアリ・ブラックの名前を見たと思ったら、「酔いどれ故郷にかえる」ではメリー・コクランが語った言葉の引用があった。【「ブルースを歌うのには意味があります。鬱(ブルース)を感じていると死にたくなるんです」】。シンニード・オコーナーの名前も見た。
あー、そうだったとCDを探した。長いこと聴いていない。妖精っぽいメアリ・ブラック「ノ−・フロンティア」、成熟した大人の女性という感じのメリー・コクラン「うつろな予感」はものすごくよく聴いていた。
残念ながらジャックが愛聴してきたというヴァン・モリソンは全然知らない。アルバム「アストラル・ウィークス」の特にタイトル曲がいいんだって。

2005年08月13日

やっぱりライブはいいな maneaterの夜

Busman's holiday(ふだんの仕事と同じようなことをして過ごす休日)って言葉のことを昨日書いたけど、うちはお盆休み一日だけ姉の家に行くだけで他になんの予定もなく、Busman's holidayなのである。今日も一日中ばたばたしたが、晩ご飯の後でnu thingのライブ「A life」に行った。お目当てはmaneaterってバンド。わたしはまだ聴いたことがないのだが、元気がよくてわたし好みなんだそうだ。
その前の演奏やスライドショーにも期待していたのだけれど、もひとつでつい居眠りしてしまった。大音響の中でよく眠れるもんだ(笑)。
いよいよ演奏がはじまった。客の集中のしかたでmaneaterはとても人気があるのがわかる。わたしもノリました。期待を裏切らない演奏で満足。前回はもっとよかったそうだけど、今日しか聴いていないわたしはこれで満足だ。リーダーが白いだらっとした服を着て帽子をかぶったところはサンラみたいでおもしろかった。ユーモアがあり色気があり景気の良い、わたし好みの演奏やったなぁ。
ぶらぶら歩いて帰ると風が冷たくて蒸し暑さの中に秋を感じた。

2005年09月05日

「グレン・グールド・ロシアの旅」

土曜日の夜にNHKテレビでやるのを幸運にも気がついた。長いことグールドから遠ざかっていたのでありがたく見たが、いつロシアへ行ったのかも知らなくて、タイトルが不思議だった。
グールド24歳の1957年5月、ロシア(ソ連)へ演奏旅行したとても貴重な記録である。文化使節のようなものだったようだが、ロシアの人たちは彼のことを知らなかった。空港には美しい通訳&世話係が出迎えてモスクワのホテルに案内する。グールドはベッドがシングル2つをつなげておいてあるのが困ると言う。ダブルでないと眠れないのだ。困惑する通訳に気にするなと言い、大使館に電話してモスクワ滞在中は大使館で泊まったそうである。コンサート1日目はバッハの「フーガの技法」だった。客の入りは悪かったが、第1部が終わると聴衆は知り合いにすぐ来いと電話をする。そして第2部は超満員となった。次はチャイコフスキーホールで「ゴールドベルグ変奏曲」を弾いて絶賛を浴び、リヒテルにほめたたえられた。それからレニングラードに行くが、ここの聴衆は気位が高く、モスクワの評判など相手にしない。しかしここでもグールドは賞賛される。バッハだけでなく、ウェーベルン、シェーンベルグ、ベルグなど新ウィーン派や西欧の音楽を紹介する。
当時彼の演奏を聴いた人たちが登場して思い出を語るのだが、グールドの演奏がどんなに画期的だったかを心をこめて語っているのにおどろいた。それまではロシアの音楽はロマンチックなものばかりだったので、そこへ知的な音楽を聴くことができたのだから、おどろきだったろう。
彼が帰国してから手紙のやりとりがあり、サイン入りの写真を送ってもらったと見せている人もいた。グールドの手紙もまた誠実なものであった。ソ連時代の閉ざされた文化状況に風穴をを開けたんだと思う。
グールドは1964年にコンサートピアニストであることをやめ、1982年50歳という若さで亡くなった。この番組はカナダで2002年につくられたもの。
いま手元にあるCD「グレン・グールド・イン・ザルツブルグ」は数少ないライブ録音である。1959年8月のザルツグルグ音楽祭のもので、スェーリンク、シェーンベルグ、バッハ、モーツアルトが入っている。ロシアの旅の2年後だ。映像を思い出しながら聴こう。24歳のグールドは神経質そうでほっそりとしていてものすごくカッコよかった。

2005年09月06日

残りの夏

昨日の涼しさからまた暑さに逆戻りで蒸し暑い一日だった。台風14号情報のテレビを何度も見ているが、大阪は中心からはだいぶそれるようだ。大雨が降るらしいがいまのところまだ降っていない。昨夜は夏のかっこうで寝たら寒いくらいで、朝起きたときは体調がもうひとつぴしっとしなかった。
仕事しながらグレン・グールドのブラームス間奏曲集をかけていた。1960年に録音されたものである。ブラームスであると同時にグールドであるという感じで、他の演奏家ではありえないことだと思う。馬場健さんが解説で熱っぽく書いている。【ここでは、ブラームスという天才が高齢になって(実際には58歳にすぎないのだが)達しえた深い瞑想と精神の自由な飛翔と、グールドという青年の希有な天才との〈不思議な結びつきのあかし〉ともいえるかもしれない。】
若いときはブラームスを毛嫌いしていたが、最近は最高に好き。滅多にクラシックを聴くことがないのだが、仕事しながらでも聴くとやっぱりええなぁと思う。タオルで汗を拭いながら、アセモを掻きながら、パソコンの画面をにらみながら、聴くグールドのブラームス、こころにしみいる。

2005年10月08日

本町 nu things でのひととき

今夜は久しぶりに本町 nu things で阿木譲さんのDJによる新しいジャズを聴いて夜を過ごした。大音量で聴く音楽はそれだけでも値打ちがある。家ではこんなに集中して聴けないからありがたい。家でCDをかけても本を読まなければという強迫観念におそわれる上に、用事を思い出してあれこれと動いてしまう。ということは、わたしにとって音楽は文学の次ぎ。
去年の初夏に阿木さんと再会してから再びジャズを聴くようになった。最初はノスタルジーにかられて、けっこう平凡なライブまで感激して聴いたものだ。それから昔聴いていたものを聴き返したりしつつ、新しい音を聴けるようになった。いまは北欧のジャズが生活感に合っていると感じるようになった。
最後のほうはちょっと疲れたので、アタマの中で会報の編集会議をやった。今月も内容のある会報になることを確信。

2005年11月07日

五海ゆうじさんによる阿部薫の写真(「WIRE」11月号)

写真家の五海ゆうじさんとは、五海さんが阿部薫サイトにあるわたしが書いた「思い出」を読んでメールをくださって知り合った。何度かのメール交換のあと、五海さんの写真と文章にCDがついた「自由の意思〜アンダーグラウンド・ミュージシャンたち〜 五海裕治写真集」を頒けていただいたのを、感想を書こうと思いつつまだ書いていなかった。
先日、久しぶりのメールでイギリスの雑誌「WIRE」に「新宿」の写真が掲載されていることを知らせてくださった。「WIRED」なら知ってるけど「WIRE」は知らなかったが、なんか気になると相方が今日タワーレコードへ行って買って来てくれた。とてもすっきりとおしゃれな表紙と読みやすいレイアウトの上品な雑誌だ。五海さん自身も、いまイギリスの雑誌にこんな記事が載るとは・・・とおっしゃっているくらいだから、英語の本文が読めないわたしには全然わからないのだけれども、タイトルが「Once Upon A Time In Shinjuku」で、当時のミュージシャンの写真がある。阿部薫はわたしが聴いたころを思い出させる、精悍な感じさえする表情でアルトサックスを手にしている。この写真はいままで見た阿部薫の写真の中でいちばん良い。もう1枚は多摩川沿いの空き地のようなところで天を仰いでいる。
わたしは当時他のミュージシャンの演奏も聴いていたのだが、好きなのは阿部薫だけ。だから「新宿」というのはどうでもよくて、阿部薫の写真だけで満足なのである。

2005年11月11日

雨の中を歩いて帰った

歩いてライブから帰ってお風呂に入ったらもう明け方の4時である。晩ご飯を早めに食べ片付けして、雨がけっこう降っていたのでタクシーでnu thingsへ出かけた。8時から2時まで6時間、阿木譲さんのDJ、辰巳哲也さんと田中康一さんの演奏を聴き、終わってからは阿木さんと辰巳さんのトークがあって、そのあとK夫妻と雑談した。大音響で長時間音楽を聴いて、体はしんどかったけど気分は壮快。トークはたいへんおもしろく考えさせられた。帰りは小雨になっていたので歩いて帰った。あんまり寒くなく、多少の湿気が心地よい秋の夜だった。
眠いのでまた明日。

2005年11月12日

昨日のnu thingsのこと

昨夜nu thingsへ行ったときは阿木さんのDJがはじまっていた。ちょうど1カ月前に阿木さんのDJを聴いている。あのときは実はあまり集中できなかった。家で聴くよりは音がすごいし、聴くためだけに出かけているのだから聴いているわけだけど、でも最後のほうは集中していなかった。昨日は真ん前でなく横のベンチに座ったのだけれど、えーっという感じで途中から真ん前に座り直した。高揚感がある音がずーっと続いて息をつかせない。冷たいジンジャーエールを飲んだせいかトイレに行きたくなったんだけど、猛然と続く音から逃れたくなくて立てなかった。
その後に辰巳哲也さんの演奏がはじまった。彼の演奏はマックに打ち込んだ音とともにトランペットを吹く。今回はベースが一人加わった。わたしは彼のリリカルな流れるような音が好きだ。それでけっこう満足して聴いていたが、彼の音に震えるとかいうことではないのだ。そのことを今日考えていたのだけれど、彼が指向している北欧のジャズは、北欧のミュージシャンにとっては必然的にあの音になってしまったものなのだ。ふだんの生活がああいう音を生み出しているのだ。辰巳さんが奏でる音は必然的に出て来たものでなく、彼の聡明なアタマが考えて構築したものなのである。わたしにはそこを応援したいみたいな気持ちがあるので、身びいきで聴いているのだな。
演奏が終わってから辰巳さんと阿木さんが、みんなの前で対談したのだけれど、とても実りある話だった。昨夜の阿木さんは攻撃的でカッコよかった。わたしも少し攻撃された(バカにされた)けど(笑)。
だけど、こんなに実りある演奏と対談が、わずかな人間を相手に繰り広げられたのがもったいない。辰巳さんによれば、東京でこういう演奏をする人はいないという。彼自身も大阪でしかしていない。また阿木さんのようなDJができる人は他にいないそうで、わたしはほんとにトクしてる。
そうそう、阿木さんのDJの間に田中康一さんの演奏があった。やっぱりマックの打ち込みに生演奏が入る。以前に聴いたよりもずっと前進していた。これからが楽しみ。田中さんとフルートの若者と、ベースの若者がそれぞれのファッションで脚が長くて目に良かった。

2005年12月08日

マイルス・デイヴィス「Munich Concert」

Munich Concert Miles Davis用事のついでにアメリカ村のタワーレコードにちょっと寄ってみたら、マイルス・デイヴィス(1926〜1991)の3枚組CD「Munich Concert」(1988)が平積みしてあった。3枚組なのに1460円だったので、中身よりも安さで買ってしまった。いややわ、大阪のおばちゃんを地でいってしもた(笑)。
マイルス・デイヴィスを最初にええなぁと思ったのはフランス映画「死刑台のエレベーター」で、いま調べたら1958年公開である。ジャズは子どものころから身近にあったが、モダンジャズを意識して聴きだしたのは、もっと後のことだ。そして60年代後半にはフリージャズ一直線になってしまい、マイルス・デイヴィスは敬遠するようになった。「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は好きで持っていたが、表向きにしていなかった(笑)。
それから幾星霜、フリージャズは行き詰まったと感じ、その感性のままパンク・ニューウェーヴに入れ込んでいき、また行き詰まってからはクラシック、ワールドミュージックと放浪していた。
もう何度も書いたけど、去年の夏に阿木譲さんと再会して、彼がいまジャズと言っているのがわからないまま、わたしもジャズを聴きだしたのだった。なにしろ20年ぶりくらいのジャズだったので、最初はライブだったらなんでも感激していたが、いまやかなりの聴き手に成長したと思う。阿木さんが教えてくださったCDをぼつぼつ聴いていたが、最近は彼が言う北欧ジャズが快適に聴けるようになってきた。仕事中でも食事中でもしょっちゅう聴いている。
今日買ったマイルス・デイヴィス「Munich Concert」なんだけど、マイルスの他は知らないメンバーである。若い人たちなのだろうか。そしてディスコグラフィをちょこっと検索してみたのだが、いま調べたところで最後は1987年である。そんなに年を取ってからのマイルスなんだけど、すごくいいのだ。この音がいまの北欧の音につながっているのを感じだ。コルトレーンが死に、アイラーが死に、阿部薫が死んでも、マイルスは生きていて、こういう音楽をやっていたのだ。

2005年12月09日

桃谷エムズホールのライブ

最近は仕事が忙しいのと、10・11月の浪費(と言っても必需品だが)のあとの節約生活で、あんまり外へ出ていない。パソコンの相手ばかりしていると、夫婦間も煮詰まってきて火花が散る。今夜はお誘いメールをもらったので、晩ご飯のあと、この近辺よりちょっと離れてる桃谷まで空気抜きに出かけた。地下鉄で玉造まで行って、JRに乗り換えて2駅目なのだが、滅相行ったことがないところなので地図を調べた。桃谷と寺田町の間にあり、それもJRの高架下を歩いていけばいいという。
たどりついたエムズホールはジャズバーだった。天井が高く太い柱が店の真ん中にあるが、それはJRの高架を支えている柱なのである。古い木の調度品がいい雰囲気をかもしだしていて、まるで映画「ハスラー」の世界だ。パイパー・ローリーが座ってグラスを重ねていても不思議でないようなテーブルと椅子。昔みたいなスピーカーから聞こえるモダンジャズ。いい感じに年取ったマスターと若いバーテンがいて、演奏場所にはグランドピアノがある。
今夜は畑浩史(g)、西本貴至(p)、中島教秀(b)のトリオ演奏だった。3人とも達者な演奏で、店の雰囲気にうまく合っていた。ライブにピアノが入ると引き立つよね。仕事とパソコンから離れて、静かな時間を過ごせてよかった。

2005年12月16日

ケイト・ブッシュの「Aerial」

ケイト・ブッシュの12年ぶりの新作「Aerial」を聴きたいと思い、出かけたついでにアメリカ村のタワーレコードに行った。久しぶりに4階のロックの売り場へ上がったら、いかした(?)若者ばかりである。3階のジャズの売り場と雰囲気が違っている。「k」のコーナーを探していたら、なうい(?)かっこをした女の子がじっとわたしを見ている。場違いなヤツがいると思ったのかな。わたしは平気やけどね。
2枚組でたしか日本盤は3500円と輸入盤は2700円くらいの値段がついていたが、ちょうど冬の目玉セールとかで2290円で輸入盤があった。ラッキー。
さっそく聴いているが、昔のケイト・ブッシュの才気にますます磨きがかかり、大人の優雅さや考え深さが加わっており、とてもいい雰囲気になっている。さすが。12年ぶりということで、ずいぶん時間をかけ考えて作ったんだと思う。それだけのことはある出来映えだと思った。

2005年12月17日

ヘッドフォンがいる

わが家ではそれぞれなにかしながら、それぞれのマックからiTunesで音楽を聴いている。でも同じ部屋なので、同時にというわけにはいかない。どちらか先にかけたものが勝ち(笑)。たいていはわたしが譲っている、と言ったら異議ありだそうだ。
最近の相方は50〜60年代のジャズをかけることが多い。わたしはめちゃくちゃで、マリア・カラスのあとにユッカ・エスコラかけたり、小島麻由美だったりする。さっきもユッカが終わったら、あとはこっちやで言い、ジャック・デジョネットをかけられてしまった。仕事を別の部屋ですることはできないのだったら、対策はヘッドフォンしかないかな。

テレビでフィギアスケートを見た。1位になった浅田真央さんの滑りが素晴らしかった。技術はもちろん優れているけど、それ以上に情感あふれる動きに感動した。若々しい身振りだけど、とっても優雅なのだ。今回は出なかったけど、村主さんの大人の女の情感を持っからだの動きと、浅田さんの少女の情感を持ったからだの動きに惹かれる。

2005年12月19日

ハービー・ハンコック「ガーシュウィン・ワールド」

ハービー・ハンコックって意識して聴いたことがなくて、どういう演奏をする人なのか全然わかっていなかった。いつだったか「ガーシュウィン・ワールド」が聞こえているとき、突然「これええなぁ」と言ったら、「ハービー・ハンコックやで、全部ガーシュウィンの曲をやってるんや」との返事。「サマータイム」の歌声がとてもよくて、その1曲後の声がなんとも言えない。「これ誰やのん、両方ともええなぁ」「先のがジョニ・ミッチェル、後がキャスリーン・バトル」「やっぱりなぁ」と、それから何度も聴いている。
ジョニ.ミッチェルの「サマータイム」はジャズ歌手とは違う歌い方で、かすれた甘い声が素敵。「サマータイム」はとても好きな曲で、いろいろな人のを聴いているが、これはよい。キャスリーン・バトルの声はなんとも言えず絶品だ。曲は「プレリュード・イン C#マイナー」。聴いていると幸せになる声ってあるんだな。その後にラベルの「ピアノ協奏曲ト長調 弟2楽章」がある。
ガーシュウィン生誕100年を祝うために作られたCDで、ガーシュウィンの曲とともに、ガーシュウィンと親しかったミュージシャンの作品も取り上げられている。それはジェイムス・P・ジョンソン、W・C・ハンディ、デューク・エリントン、そしてモーリス・ラベル。“上品”と言ったらいちばん当たっているように思う。

2005年12月29日

ジャズはスピード 今夜のnu things

nu thingsの「"THE JAZZ" count down2006 3days」の第1日の今夜は3組のバンドが出演した。nativeは良いと聞いていたので楽しみしていたが、あとの2組は知らなかったので期待ということもなく行ったので、3組とも良くてほんとに行ってよかった。このところ“寒い”を理由に出不精になっていた。今夜は改めて思った。行ってよかった!
最初はJazzpresso(河野広明(Tb) 森本輝久(Pf) 荻野哲史(Bs) 林裕二(Ds) 松尾 正寛(Perc))。
行ったらはじまっていて、人がいっぱいだった。ステージの横のほうに座ったのだが、ああっ、ジャズだって感じで聞き惚れてしまった。気がついたのはすごくスピードがあること。これが“いま”のジャズなんだと思わせてくれた。
この後はステージの真ん前に座らせてもらった。これは年の功(笑)。
次は豪也(HIDEYA)のボーカルで、バックバンドが安達浩之(Ds) 久徳智美(P) 芝田奨(Bs)。
HIDEYAはハタチと聞いたが、ものすごく歌唱力があり顔は奇麗だし大人の雰囲気があるのでおどろいた。いやぁ、楽しませてもらっちゃった。
お目当てのnative(中村智由(As) 大久保健一(Wb) 山下佳孝(Ds) 杉丸太一(p))はものすごいの一言だ。
フルート、アルトサックス、ソプラノサックスを取り替えながら吹く中村智由はカリスマ性がある。じっと聴いていて感じたのだが、いま話題のThe Five Corners CuintedのCDをしょっちゅう聴いているのだけれど、それと同時代性もありつつ、もっと知的な感じがする。nativeを聴いてわかったのだけれど、The Five Corners Cuintedは俗っぽいところがあるんではなかろうか。来年はヨーロッパに行くと聞いたが、ヨーロッパの人たちはnativeの音楽をどう聴くだろうか。
3組のバンドを聴いて共通して思ったことは、スピード。せからしいと感じるほどのスピード感がたまらない。来年が楽しみだ。

2006年01月12日

幻のCD

去年3月22日のこのページにに書いた、CD制作のために歌詞を頼まれた話ですけど、もう覚えていらっしゃる人はいないとは思うのですが、わたしとしては初体験のことだったし、一応結果を報告しておきます。あのときは掲示板などで、何人かの人に「すごいね、CDができたら買うから」なんて言われて得意になっておりました。
nu thingsの阿木譲さんから、ヴォーカルのshuさんのCDをつくるから歌詞を書いてほしいと頼まれたのがはじまりです。やったことがないとお断りしたんだけど、是非にということで引き受けました。阿木さんからの注文は都会的な女性をテーマにしたおしゃれな歌詞でした。「カフェとかバーにあなたはよく行ってるでしょ」。それでわたしなりに考えて、サガンとデュラスを下敷きに舞台は堀江のカフェにして、恋愛のシチュエーションを考えて物語をつくり、歌詞にしてみました。
そして3月22日の日記「歌が生まれる現場」になったのです。そのときはじめてその歌詞をshuさんが歌いました。生島さん作曲のその曲はコミカルで、わたしはとても気に入りました。わたしはいまもハナウタで歌っていてステキだと思っています。雪が舞う午後にカフェで年下の男の子を待っていて、彼が向こうからコートの裾をひるがえしてくるのを見つめている、という歌詞がわれながらかっこいい(笑)。
ところが残念なことにCDの制作は中止になってしまいました。
わたしとしては、歌詞を書くという経験をしたし、作曲者とアレンジャーとミュージシャンが目の前で曲をつくりあげていく現場に立ち会うという、いい経験をさせてもらいラッキーといったところでしょうか。そのとき録音されたものがここにあります。歌詞とともにずっと手元に置いておこうと思いますが、完成されなかったものなので歌詞の公開はしません。

2006年01月17日

突然マリオン・ブラウンを思い出して

最近よくジャズを聴いていたころのことを思い出す。家にあったレコードを別にすると、最初にしっかりとジャズを聴いたのはフェスティバルホールのアート・ブレーキーとジャズメッセンジャーズのコンサートだった。それ以来たくさんのコンサートやライブに行った。そしていろいろなジャズ喫茶で時間をつぶした。
先日、昔話をしているとき突然マリオン・ブラウンの名前が口から出た。天王寺のジャズ喫茶マントヒヒにはじめて行った日に、マリオン・ブラウンのレコードがかかっていたことを鮮明に思い出したのだ。ジャズ喫茶ではかけているレコードのジャケットが、見えるところに立てかけてある。そのジャケットをマントヒヒの壁とともに突然思い出したってわけ。
そしたらいてもたってもいられないって感じで聴きたくなって、今日仕事が一段落したのを幸いに、タワーレコードに行って、昔持っていたレコードがCD(MARION BROWN ESP4011)になっているのを見つけて買ってきた。いま聴いているのだけれど、全然古びていない。
それではとグーグル検索したら、当時すごく好きだった、そしてマントヒヒでかかっていた「AFTERNOON OF A GEORGIA FAUN」のレコードジャケットの写真があるブログにぶつかった。これやったとアマゾンにあったので注文した。待ち遠しい。30年も聴いていなかったし、名前も思い出してなかったのにね。
今日タワーレコードで買ったのは、ノルウエーとスウェーデンの新しいジャズのCD。それと製作総指揮クリント・イーストウッド「Thelonious Monk Straight No Chaser」のDVDが、なんと690円だったので買った。

2006年01月23日

セロニアス・モンクの生涯と音楽「ストレート・ノー・チェイサー」

セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー シャーロット・ズヴェリンクリント・イーストウッドが制作総指揮にあたった、セロニアス・モンク(1917〜1982)の生涯と音楽のドキュメンタリー「ストレート・ノー・チェイサー」のDVDを見終わって余韻の中にいる。これはすごい音楽映画だ。
たしか1963年だったと思うが、わたしは大阪のサンケイホールでモンクの演奏を聴いた。そのころはほんとに孤独で、いつも独りでコンサートや映画に行っていた。大学に行っていれば、ジャズや映画について語る友人ができたかもしれないけど、零細企業で事務員をして働いていたわたしにはそういう文化的(?)な友人がいなかった。兄貴分を自認している男の子たちはたくさんいたけど・・・。そういうつきあいでなくて、ほんまに心を動かすものを求めてさまよっていた。
「真夏の夜のジャズ」を見てセロニアス・モンクに圧倒されて、大阪公演があると知って、前のほうの席を手に入れた。そのときにわたしが聴いたモンクは、いま「ストレート・ノー・チェイサー」で見たヨーロッパ公演のモンクと同じような感じだった。ピアノを弾いているかと思えば踊り出す。ウィスキーのポケット瓶みたいなのを片手に持って。ピアノを弾いているときの足の動きもしっかりと見た。わたしが好きなのはやっぱり「ブルーモンク」、そして奥さんのネリーに捧げた曲だ。
植草甚一の本でパノニカ男爵夫人のことを知ったのを、さっき映像を見ていて思い出した。モンクにこの出会いがあってよかった。パノニカさんて自然体で、こんなお金持ちっていいなと思った。
そしてクリント・イーストウッド! 彼のお陰でジャズの素晴らしさが世に伝わる。「バード」をもう一度見たくなった。

2006年02月21日

ユッカ・エスコラと辰巳哲也の熱い夜

フィンランドからThe Five Corners Quintetが来日して、横浜、東京、名古屋とライブをすませ、明日22日は大阪ブルーノートに出演する。今日は本町のnuthingsで、メンバーの1人トランペットのユッカ・エスコラが辰巳哲也クインテットの演奏に客演するという。辰巳さんとユッカの間でメールが交わされ、共演の話がでてきたそうで、辰巳さんのミクシィ日記で経過を読むのを楽しみにしていたが、ついに今日実現するわけだ。
大慌てで7時前に到着すると数人が外で待っている。もう少し待てと言われたとのことで、待っていると期待がますます高まってきた。
最初のバンドはnative〈中村智由(As) 大久保健一(Wb) 山下佳孝(Ds) 杉丸太一(p)〉。はじめて聴いたときサックスの中村さんの演奏に魅せられた。いまいちばん好きなジャズミュージシャンはnativeの中村さんやとそれからは言っている。今日の演奏は1月にヨーロッパに演奏旅行に行った影響があるのか、前と少し違っていた。ヨーロッパ的で大人っぽくなったけど、純粋さが減ったという感じ。少し肩すかしっぽかったかなぁ。好きにはかわりないけれど。
辰巳哲也クインテット〈辰巳哲也(tp/fh) 佐藤真也(p) 玉木勝(Bs) 能村亮平(Ds) 三塚知貴(Tb)〉は最初からいい感じではじまった。辰巳さんだけでなくメンバーそれぞれがすばらしいのだ。トロンボーンの三塚さんは武芸者(秋山大治郎「剣客商売」)みたいな感じ、ピアノの佐藤さんの激しい演奏はすごかった。そしてユッカ・エスコラ登場。ほっそりとした二枚目で金髪碧眼、スーツの着こなしがすてき。トランペット2人とトロンボーンが並ぶと迫力がある。お義理にちょっと出演なんかでなく、ほんとに長時間の演奏で、それもすごく力が入っていた。迎える側の緊張感に満ちた演奏がユッカの気持ちを揺すぶったのだと思う。お客もノリにのってそれぞれの演奏に拍手と歓声があがった。いままで何度か辰巳さんの演奏を聴いてきたけど、ここまでの演奏とは思っていなかった。最後はnativeの中村さんも入って、管楽器が4人並んだ。圧巻だった。
The Five Corners Quintetの他のメンバーも遊びにきていてケータイで写真を撮ったり楽しそうだった。
終わってから辰巳さんたちと歓談。余韻をだいじに保って街を歩き、バーメジャーカップでバーボンを飲んで発酵させて帰った。

2006年02月22日

昨日の夜は

昨夜は日記を書いているうちにだんだん目が冴えてきたので、フィギュアスケートがあったっけとテレビをつけた。朝刊がきてもうしばらくすると安藤選手の出番で、そのあと数人見ているうちに眠くなり、村主選手を見たかったのに寝てしまった。
ライブに満足したせいか、ぐっすりとお昼まで寝てしまって、こんなことでよいのかしらという感じである。まあ、暮れと正月の労働を思い出したら、これもまた良しでしょう。
わたしって運がいい。金運が悪いのは別として、知り合いはどんどん広がって行くし、好きな小説、好きな音楽にちょうどタイミングよく出合っている。ジャズにしても一昨年の夏に、阿木さんに再会してから、こちらのジャズ熱も再開した。そのときはまず聴いたライブに感激したが、聴き込んでいくうちに、それでは満足できなくなった。いまはこれが・・・と教えてもらった北欧ジャズを日常的に聴くようになった。新着のCDを買いに行ってもおたおたしなくなった。
そして昨日は、いまをときめくThe Five Corners Quintetのメンバーを目の当たりにできた。ユッカ・エスコラが辰巳さんのバンドとともに演奏しているのを、ケータイで撮ろうとして、目の前をうろうろする彼らの陽気な姿を見るなんて、ちょっとないよな。
ふふふ・・・と思い出し笑い。

2006年03月17日

iTunes Music Storeでお買い物

このあいだアップルストアへ行ったとき、2500円のiTunes Music Card(いちばん安い)を買ってみた。そのとき欲しかった1曲を相方が買ったままだったが、今度はミュージックビデオを買ってみようということになった。ボブ・マーレーを1曲、U2を2曲買った。あれかこれかと駄菓子屋感覚でおもしろい。最初のときはカード番号を入力したり手間がかかったが、一度買うと次はラクだ。iTunesを立ち上げてMusic Storeを開くと、右上にカードの残額が表示される。あと100円残ったらどうなるのかしら、なんて疑問もそのときになったらうまく解決されるのであろう。
座ったまま買ってすぐさま聴けるというのは素晴らしい。U2はレーザーディスクとビデオでけっこう持っているけど、改まって見ることもなくなっている。これくらいでちょうど良い。ボノはやっぱりカッコいい。
音楽は聴いたり見たりできたらいいのだから、物を持たずにすむのがいいと思う。でもやっぱりCDやDVDを持っているという喜びもあるので、決め付けてしまうのもおかしいか。当分は1曲買いを楽しもう。ちょっとした贈り物にしてもいいかも。

2006年04月04日

RIP RIG+PANIC「I'M COLD +」を久しぶりに聴いた

散歩に出た相方から電話があり、アメリカ村のレコード店にリップ リグ パニックのCDがあるけど買っておこうかと言う。そういえば去年中にアルバム全てがCD化されるという話をどこかで読んだのを思い出した。そのときは懐かしいなと思い、見たら買うかなとは思っていたのだが、ころっと忘れていた。
買ってきたCD「I'M COLD +」のジャケットが懐かしい。ピカソのリトグラフでランボーの肖像(だと思う)である。さっそく聴いたんだけど、忘れていてはじめて聴くような気分だ。ドン・チェリーの出番が多い。
リップ リグ パニックのコンサートに行ったのは80年代半ばで、厚生年金会館中ホールだった。70年代後半からパンク・ニューウェーブを聴いていて、いろいろなバンドのライブに行ったけど、これほど知性があると思ったバンドは他になかった。そして第一級のユーモアも。
舞台にはクラシックの雰囲気でピアノが置かれ、正装した少年が出てきて静かにピアノを弾きはじめた。10分くらいするとネナ・チェリーがエプロン姿で箒とバケツを持って出てきて、エネルギッシュに踊り歌う。それから全員揃ってのにぎやかな演奏。途中からネナのお父さんのドン・チェリーが出てきて笛やポケットトランペットを吹きまくった。楽しい夜だったなぁ。
バンドの解散は早かったように思う。ドン.チェリーは1995年に亡くなった。レコードを持っていたけどCDの時代になって処分してしまっていた。いま聴いて懐かしむよりも新しい音と出会ったようである。

2006年05月29日

まるでジャズ喫茶のよう ジョニー・グリフィン「ザ・リトル・ジャイアント」

外から帰るとたいてい相方がかけているジャズの音がしている。わたしの留守の間は堂々と(?)大きな音で聴いているようだ。秩序だって聴いているようで、ここんとこずっとマイルス・デイヴィスだったが、最近はブルー・ノートのCDになっている。今日はなんかジャズ喫茶を思い出すなぁと言ったら、ジョニー・グリフィンやからかかっていたかもな、と言う。生意気盛りのころだったからモダンジャズがかかっていたら、フリージャズをリクエストして店の人に嫌がられたりしてたね。
ジョニー・グリフィンって名前は知ってるけど、意識して聴いたことがなかった。こうして聴いているとスィングしているという感じだ。これは「ザ・リトル・ジャイアント」というアルバムである。彼の曲「63丁目のテーマ」いいぞいいぞ。
こういうのもあるでと次にかけたのは「シカゴ・コーリング」。タイトルだけでクラッシュの「ロンドン・コーリング」を思い出してしまったわ。ジョニー・グリフィンはシカゴ生まれだ。それでちょっとニューヨークの人と音が違うのね。
他になにかあるかなとジャズ批評編集部編の「決定版ブルー・ノート」を出してきて探すと「ザ・コングリゲーション」というのがあった。これはよさそう。なにが良さそうかというと、ジャケットがいいのだ。アンディ・ウォーホルが「シカゴ・コーリング」のジャケット写真をカッコよくデザインしている。

2006年07月11日

New Orderのコンサートの話から

イギリス在住の知り合いが、マンチェスターへNew Orderのコンサートへ行ったそうだ。なつかしやニューオーダー、いまも活躍してるのね。とは言っても、わたしが好きだったのは彼らがジョイディヴィジョンを名乗っていたころだ。ボーカルのイアン・カーティスが好きだった。古い話だ。イアン・カーティスが自殺してから26年経つんだもの。
思い出しついでにビデオとレーザーディスクの在庫を探してみた。「JOY DIVISION」の“Here are the young men”というビデオ(5600円の値札シールが貼ったまま)と「New Order Story」というレーザーディスクが出てきた。あとレコードを処分してから1枚だけ買ったCDがあったはず。なつかしいなぁ。まだLPレコードの時代だった。時間ができたら見たり聴いたりするとしよう。
ついでに古いビデオを整理することにした。アントニオーニ、ルノワール、ゴダール、ワイダ、デレク・ジャーマン・・・ああ捨てられない。「ガルシアの首」「グロリア」・・・犯罪映画も捨てられない。アステアとロジャーズのダンス映画も捨てられない。「ジェイン・エア」「ブロンテ姉妹」など乙女ものも捨てられない。結局数本のビデオを捨てただけだった。

2006年07月14日

音の洪水の中に4時間 "nu things" の夜

ふーっ、疲れた。【jaz'room"nuthings"のプロデューサー/オーナーの 阿木譲氏がバップのみ(ブルーノート50s〜60s音源の み)でプレイするイベントが今月14の金曜日にnuthi ngsで行われます。】という誘いにのって行って帰ったところである。
9時に行ったらもうはじまっていて、それから4時間ぶっ続けのDJは演奏者もお疲れになったろうが、聴くこちらも疲れた。どんどん替えていくレコードはすべて50年代中ごろのブルーノート。かなり知っているのがあり、聴いたことはなくても知ってる名前ありなのだが、彼らってこんな演奏してたの?って不思議だった。早送り(笑)ではないかと思うくらいスピードがある。あとで聞いたらアップテンポのところを選んだそうだ。DJってレコードをかけながら作曲していることを目の前で納得した。ほんとにコルトレーンやロリンズがこんな演奏をしたのかと信じられないくらいにいまの音になっている。後半には若い男の子が踊りだし、これまた官能的なまでの身振りにおどろいた。
家では音楽をかけても大音響は無理だし、すぐに用事を思い出して落ち着かない。こうして今夜はここでと決めて座り込み、まったく音楽だけの世界にひたれた幸せな夜だった。

2006年09月05日

ルー・ドナルドソンのGrits And Gravy

わが家にはもうずっと毎日ジャズの音が流れていて、空気のように耳に入ってきているが、それでも好き嫌いがあって気分の良いときもありフンというときもある。今日台所にいて聞こえてきたのは、なつかしいような気がする音だった。
音を出している主に聞くと、ルー・ドナルドソンのグリッツ&グレービーだという。ブルースっぽくて、ちょっと安っぽいような感じがすごくいい。何度もかけてもらって聴いた。アルトサックスのドナルドソンはアート・ブレーキーの「バードランドの夜」に入っているんだよね。ビ・バップ〜ハード・バップをカバーする新鋭とみられていた。ところが、それから後にはソウル系ジャズのサックス奏者として知られている。
もう1枚あるのは「BLUES WALK」で、これもちょっとだるそうなところがよい。ドナルドソンが大きなトランクを提げて田舎道をのんびり歩いているジャケットもおもしろい。名前を知っているくらいでなんの知識もなかったので、今日はえらい勉強をした(笑)。
ついでにグリッツ&グレービーとはなにか食べ物っぽいなと検索したら、とてもおしゃれなブログが見つかった。トウモロコシ粉のことを別名グリッツというそうだ。5倍の水分を加えて煮たらグリッツという料理になるそうな。また別のサイトでグレービーがわかった。“練った小麦粉を湯で延ばして塩ふった"みたいなものだそうだ。南部の黒人の朝ご飯はトウモロコシ粉を煮たグリッツか小麦粉を練ったグレービーかどちらかだったのに違いない。

2006年10月15日

平岡正明「チャーリー・パーカーの芸術」でジャズを知る

チャーリー・パーカーの芸術 平岡 正明クリント・イーストウッドの「バード」を見たあとで、わたしはチャーリー・パーカーの音楽を聴こうとしたことがなかったのに気がついた。ジャズは子どものころから父親が愛好するのを聴き続けてきたが、ディキシーランドジャズで「聖者の行進」だったり、ルイ・アームストロングだったりグレン・ミラー・オーケストラだったりした。時が経つと弟が熱狂してモダンジャズやウエストコーストのレコードを買いだした。そういうとき「真夏の夜のジャズ」でセロニアス・モンクを知り、最初にジャズのコンサートに行ったのが「アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャース」だった。それからはフリージャズへ一直線。弟とはそこで袂を分けた。コルトレーンは「至上の愛」までだとぬかしたからだ(笑)。ニーナ・シモンやアニタ・オディのレコードをくれたりいい人だったけどね。弟は早く亡くなったけれど、ジェリー・マリガンを「カッコええぞ」と聴かせてくれたことに感謝している。
さあて、「チャーリー・パーカーの芸術」をこの1週間熱心に読んだ。おもしろかった。読まず嫌いだった平岡正明にごめんねと言わねばならぬ。平岡正明は“食えない男”という気がする。わたしも“食えない女”と言われたことがあるけど(笑)。
チャーリー・パーカーの芸術を語るのに、ものすごく膨大な知識を披瀝していて、追いかけるのがたいへんだった。わたしも雑学にはちょいと自信があるが、桁違いな雑学に恐れ入りました。浪花節(広沢虎造ほか)、歌謡曲(美空ひばり、山口百恵ほか)、現代音楽(バルトークほか)、革命家(トロツキーやフランツ・ファノン)が引用され考察される。同時代の音楽家(マイルス・デイヴィスやデューク・エリントン)との比較がある。そして第二次大戦におけるジャズミュージシャンの役割についての考察が圧巻だ。
チャーリー・パーカーの遺作はコール・ポーター集だそうで、わたしは聴いたことがない。これをだめと言う人がいるらしいが、平岡正明に言わせると【これをだめだという者はいったいなにを聴いているんだ!】そして、コール・ポーターが作曲した曲について【どれも美しく、エキゾチックで品がよくて、とてもアメリカの金持ちが書いたとは思えない。】パーカーが吹くポーターの曲について【どれも美しく、めまいがするほど速く、品位があり、とても貧乏人が吹いたとは思えない。】とある。これは聴かなくっちゃ。(毎日新聞社 3200円+税)

2006年10月27日

行きたかったなぁ、一昨日の nu things

25日は本町の jaz'room nu thingsで阿木譲さんによる「”Hard Swing Bop 2”, Groove setter by AGI yuzuru」があった。わたしはまだ足の怪我が治ってないので、日本シリーズのテレビを見ながら留守番していた。深夜に帰ってきた相方がよかったと興奮していたので、むむと思ってその夜はすぐに寝てしまった。
翌日つまり昨日になってから、アート・ブレーキーやリー・モーガンをやったと聞いて、あーあ、あのときこけへんかったらなぁと溜め息をついた。だって、アート・ブレーキーもリー・モーガンもわたしの青春の音楽(笑)なんだわぁ。はじめてジャズコンサートに行ったのが「アート・ブレーキーとジャズメッセンジャース」だったんだもん。演奏する姿が目に焼き付いている。若き日のリー・モーガンのカッコ良かったこと!
あそこの大音響で聴きたかった。もちろん阿木さんの意図は別にあるんだけど、わたしはただひたすら個人的に彼らの音を聴きたかった。それは感傷でしかないが。

2006年11月12日

今夜は細野ビルでジャズライブ

足の調子がまだ本調子でないので遠出はやめていて、お出かけはもっぱら近所にある細野ビルである。
今夜はGuest Vocal / 東雲マリ Unit Be-Bop 3 / Hiroyuki Iwamoto, Hiroshi Ikeda, Yasuyuki Tashiroのライブがあった。
ジャズボーカルを勉強中のMさんと一番前に座って聴いていたが、やっぱり目の前で生の音を聴くのはいい。東雲マリのボーカルは以前聴いたときはボーイッシュな感じだった。髪はボニーテール、着るものもシャツにジーンズそしてスニーカーで決まっていた。今夜は髪型もフェミニンに、着るものは黒でまとめて黒のおしゃれなブーツ。唄い方も大人の女っぽくなって魅力があった。
岩本さんの力いっぱいのドラムも今夜は気持ちよかった。ピアノとベースははじめての人だが聴き応えがあって楽しかった。
Mさんは以前、東雲さんにボーカルを習っていたことがあって、今夜は久しぶりの出会いだった。

2006年11月21日

ジョン・スウェッド「So what マイルス・デイヴィスの生涯」を読み出す

マイルス・デイヴィスの生涯 ジョン スウェッド4月に中山康樹の「超ジャズ入門」を読んだのがはじまりで、ジャズに関する本をぼちぼち読んでいる。平岡正明の「チャーリー・パーカーの芸術」の感想は10月15日に書いた。そのあと同じ著者による「ジャズ的」と「マイルス・デヴィスの芸術」を読んだ。
そしたらマイルス・デイヴィスという人の偉大さがわかってきたのだけれど、ものすごく平岡正明に引っ張っていかれるような気がして(笑)、ちょっと一休みにしていた。だから普通の伝記を読みたくなって本書を読み出したというわけ。しかし普通なんていうほうがおかしいよね。ものすごい時間と労力をはらって書いた本がただ客観的なんてありえない。
読み出したら最初からマイルスに惹かれてうなりながら読んでいる。生まれからはじまって両親のこと、子ども時代のこと、最初の恋人=妻アイリーンのことを背景に、マイルスの音楽修行が書かれている。裕福な歯科医の息子としてニューヨークのジュリアード音楽院に入学する。学費と家賃の他に小遣いを与えられた恵まれた環境が、他のミュージシャンと違うところ。マイルスの生涯を克明にたどりながら、社会背景やできことをえがいている。佳境に入るのはまだこれからだ。
1930年代にスゥイングジャズは全米をとりこにした。ところが新たに登場したビ・バップはニューヨークという地域に限定されたものだった。知識人たちはバップに向き合わざるを得ず、激しい討論が交わされたという。
おもしろかったので引用すると【たとえば1947年にニューヨークを訪れた、自称、戦前からのジャズファンのシモーヌ・ド・ボーヴォワールにとって、ビ・バップは意味も内容もない抽象的な表現主義にしか映らなかった。】
ボーヴォワールはハーレムのナイトクラブにリチャード・ライトと立ち寄ったとき、30分もいないで店を後にしたそうだ。これははじめて知った。わたしはボーヴォワールがネルソン・アルグレンと恋をしてアメリカへ行ったことは自伝「女ざかり」などで読んであこがれていたけど、こんなこともあったんだと、30年以上経って知ったわけだ。その反面、若い作家のジャック・ケルアックがその抽象性ゆえにビ・バップに爽快感を覚えたという。
すごい本だ。また挿入されている写真がみんな素敵で、マイルスの良きファンでなかったわたしだが、本書と写真で改めてファンになる。もちろん最近はCDもよく聴いている。

2006年11月26日

暗い日曜日

今日は起きたのがお昼過ぎで外は雨で暗くなにもしないうちに時間が経ち、夕食を食べたあとベッドにうつむけになって30分眠ってしまった。「雨の日の猫は眠い」。さっき台所で片付けをしつつ窓を打つ雨の音を聞いていたら、突然「暗い日曜日」の歌が口からついて出た。
家にあった「暗い日曜日」はダミアが1936年に唄ったもので、当時自殺者が続出したと一回り年上の姉たちが自慢そうに教えるのだった。もちろんなにを言ってるかわからないが、姉たちが流行歌の歌詞集をもっており、レコードをかけては「君は去りて暗い日曜日」云々と暗く、しかしうれしそうに唄うのだった。
この曲はいやなのにレコードの針をおとしてしまう魅力があった。聴くたびに大人になるとこういう状況が訪れるということへの恐怖でわたしは戦慄した。
1970年代になって阿部薫を知った。天王寺の駅から旭町通りをくねくねとくだっていくと、狭い道の角に女装の街娼が立ち、ピンクの明かりの飲み屋から流しのギターの音が聞こえる。そこにジャズ喫茶マントヒヒがあった。京大西部講堂ではじめて聴いてとりこになった阿部薫をマントヒヒが呼んだ。そこで彼が演奏したのが「アカシアの雨がやむとき」と「暗い日曜日」だった。
こんなことをぼそぼそと思い出させた今日は暗い日曜日だった。

2006年12月29日

雪の舞う午後に

今日は寒かった。すっかり出不精になった上に整骨院が休みに入ったので、一歩も外に出なかった。午後になって洗濯し、ベランダへ出ていたらお日様が出ているのに雪が舞っている。そしたら突然、頼まれて書いたのだけれど日の目を見なかった歌詞が浮かんできた。

  雪が舞う午後 カフェの窓から外をみてた
  あなたがくるのを 早くから待ってたの
  コートの裾ひるがえして足早に歩いてくる
  視線をあたしだけに向けてまっすぐに近づいてくる
  あなたはわたしだけのもの

わーい、カッコいいな。こんな調子で4番まである。15歳くらい年下の男の子と恋愛中の女のつもり。いけてるやん。
ようやるなぁ あんたって自分で思っちゃいました(笑)。

2006年12月31日

歌のこころ

先日テレビでリヴァー・フェニックスが最後に出演した映画「愛と呼ばれるもの」(1993)を見た。監督がピーター・ボグダノヴィッチというのにも惹かれた。彼の1971年の映画「ラスト・ショー」がとても好きだった。それから後の映画はつまらないのばかりだったが、今回は「ラスト・ショー」みたいかもしれないと思えた。見たらそうでもなくて力がない感じだったが、考えさせられるところのある映画だった。
ミランダ(サマンサ・マシス)がニューヨークからカントリー歌手を目指してナッシュビルへやってくる。バスを降りてすぐに出会ったのがジェイムズ(リヴァー・フェニックス)だった。ジェイムズは歌手として一人前になるところである。ミランダは彼に惹かれて、彼が手を出してくると、親切なカイルを振り切る。ジェイムズがメンフィスへ14時間かけて連れていくと、プレスリー邸の開場待ち時間に、ひょんなことからコンビニの人たちの好意で結婚する。天才肌の彼との結婚生活はうまくいかず、家を出てニューヨークへ帰ろうとバスに乗るが、バスの停車時間に書いた詩を持ってナッシュビルに戻る。ライブハウスで歌うと一皮むけていて拍手を浴びる。最後は二人の男を両脇にしていっしょに音楽をやっていこうとなる。
リヴァー・フェニックスが歌も歌うし作曲もしている。そしてサマンサ・マシスは最後の恋人だったという。

単純すぎるような映画なのだが、わたしが感動したのは最後のサマンサの歌だ。結婚して離婚して、人生がいろいろ見えてきた彼女が歌う歌詞がとてもいいのだ。それまでは愛だの男だのと単に歌っていただけだったのに、自分の感情をきっちり歌詞にしている。「平安時代の和歌」だ、とわたしは思った。自分の感情を歌って普遍的な愛の歌にしている。
で、考えたのが、一昨日の「雪の舞う午後に」に書いたわたしの歌詞のこと。4番まであるのだが、巧い下手を別にして、自分の感情を書いたのだ。実は歌い手の人に嫌われて歌は実現しなかったのね。その人も歌詞を書かれるのだが童謡的なのだ。それで漫然とわたしの歌詞が嫌だというのはわかっていたが、この映画を見てはっきりとわかったのだ。自身の感情を普遍的な愛の感情として表現している歌を歌うのがいやだったのね。ま、始めて書いたへたくそな歌詞なんだけどね。

2007年03月18日

寒い夜、細野ビルでジャズライブ

今日も北風が吹いて寒かった。京都の友人からのメールに雪が舞っているとあった。お水取りがすんで彼岸の入りとなってもこの寒さ、なんなんだろう。
夕方から細野ビルへジャズを聴きに行った。細野ビルは寒くて足下が冷えるので、タイツの上にレッグウォーマー、ソックスを2枚はいて、腰にはカイロを貼るという重装備(笑)。
ドラムの岩本氏を中心にしたメンバーが年に何度かやっているライブで、今夜はギター&ヴォーカル、ベース、ピアノが加わった大人の演奏だった。演奏前にテーブルに準備してあるワインをもらったらおいしかったので、もういっぱい飲んだ。そしたら足先まで血液の循環が良くなったのはいいが、眠くなって演奏中四分の一くらいはジャズのリズムに合わせて眠っていた。気持ちの良い演奏だったんだなぁ。スタンダードナンバーが多くて知ってる旋律だったからなぁ。お客のノリがよく、自然に拍手が出るという感じで気持ちよい夜だった。
パソコンと本から3時間ほど離れていたので目の疲れがとれた。歩いてほんの5分で楽しい場があるのがいい。

2007年04月08日

久しぶりの nu things 、久しぶりの native

去年8月の終わりに転倒してから大事をとって夜の外出は細野ビルのライブくらいにしていた。ヒザの痛みもだが冷えるのがいちばん怖いので暖かくなるまでの辛抱だった。寒の戻りも一段落した今夜、半年ぶりに本町の nu things へぶらりと一人で native を聴きにいった。やっぱりナマの音はええわぁ。
いまなにが流行っているとか東京でウケているとかに全然関係なく、わたしが好きなのは native だ。演奏に疾走感があってぞくぞくする。そしてリーダーの中村さんのサックスが好き。そして他のメンバーが演奏しているときに、手でリズムをとっている立ち姿も好き。
じっと聴いているうちに阿部薫の姿がだぶってきた。ソプラノサックスを見ると阿部薫を思い出すのは悪いクセだが、中村さんはほんのすこし姿が似ているのね。そして演奏に叙情的なところがあるからだろう。
阿部薫を聴いていたのは、1970年代だから30数年前のことだ。二人はどう違うかなぁと聴きながら考えていた。阿部薫は知性+日本的湿り気、中村さんは知性+日本的叙情+論理的で説明がつくかなと思ったが、これでは説明にはならんか。1970年代に突出していた音と、2007年、これから世界に飛躍していく音、かな。
第1ステージの最後にやった「PRUSSIAN BLUE」がすごく美しい曲だった。これを聴いたから今夜は満足。第2部も楽しく満足してぶらぶら歩いて帰った。
阿木さんともユキさんともいろいろ話したし、これからまた nu things で楽しむ夜が増えそう。

2007年06月03日

jaz' room nu things にて、ユッカ・エスコラ、ニクラス・ウィンターと native の夜、そして薔薇色の朝帰り

今日はお昼過ぎに電話で起こされ、ご飯を食べたらまた爆睡してしまって夕方目が醒めた。昨夜は最高の夜で、今日はその余韻で幸せな日曜日だ。
ユッカ・エスコラ、ニクラス・ウィンターが来日して、5月30日31日に東京新宿ピットイン、6月1日に京都クラブメトロ(すべて開演7時)に次ぎ、6月2日 jaz' room nu things と知っていたが、絶対行こうとは思っていなかった。それが2・3日前に阿木さんのDJイングを聴きに行った相方が、native が出るんやてと言う。阿木さんは native は11時でユッカたちはその後だからゆっくり来たらいいと言うてはったそうで、native がやるんやったら行こうとすぐ決定。
というのは、ユッカが The Five Corners Quintet の一員として来日した去年の2月、ブルーノート出演の合間に辰巳哲也クインテットの演奏に一人だけ客演した。そのとき native は最初に出演したのだが、その演奏はおとなしくてちょっと肩すかしをくらったという感じだった。今回 native が出演したいと言ったのは、きっと前の演奏を挽回するぞという気持ちだぞとわたしらは判断したってわけ。

さて、11時前に nu things に着いたら、Quintet Worldwide featuring Jukka Eskola(辰巳哲也(tp)、ユッカ・エスコラ(tp and flh)、菱山翔太(p)、Jeff Curry(b)、能村亮平(ds))の演奏がはじまっていた。ちょっと慌てたが native は時間の都合で最後になるとのことでほっとした。場内は満員だったけど座れて良かった。
いつも家で iTunes から聴く The Five Corners Quintet の音が目の前で吹かれているのが刺激的だった。ユッカはものすご〜くカッコよかった。オトコマエで細っそりしていて。ミュージシャンはこうでなくっちゃね。
あまりたくさん聴けないうちに終わってしまい、若林氏のDJとなる。しなやかに若くて元気っていいな。

次はメインの NWQ specia session(ニクラス・ウインター(NWQ / g)、ユッカ・エスコラ(Five Corners Quintet / tp)、島秀行(NWQ, SIXNORTH / b)、三科武史(ds)、neative の杉丸太一(p))となった。ニクラス・ウインターのギターがすごく官能的なのでうなった。音だけでなくその弾き方や表情や動きも官能的なのだ。ユッカと二人が並んで演奏する姿にしびれた。熱烈な拍手を受けてアンコールがあり場内がどよめく。これがヨーロッパ最前線の音なのか。

ここで岡野さんのDJが入る。音楽がセクシーで、DJする人もセクシーで。
メインの演奏の終わり頃にちょうど空いた隣の席にきれいな女性が座った。「お一人ですか」と声をかけられて、違うと答えてから会話がはじまった。肩の出た黒のドレスがとっても素敵で、最近こんな奇麗な女性と話したことないなと漠然と思った(笑)。native のファンだと言ったら、中村さんにライトがあたったとき「ステキやねぇ、カッコいい」と相づちを打ってくれた。とってもいい子(笑)。

native(中村智由(ss, as, fl)、大久保健一(b)、山下佳孝(ds)、杉丸太一(p)に、1曲だけアメリカ人のトランぺッターが参加。アンコール曲では、ニクラス・ウインターとユッカ・エスコラも参加)の演奏がはじまった。思ったとおり最初からとばしていく。聴くほうものっている。native の音はアメリカやヨーロッパの音と違う。モダンだけど湿った日本的なものを内在した音である。だけど、その音は世界で通用する音楽である。しかも、生きていこうという気持ちの音だと感じる。中村さんの知的であるけれど陶酔している演奏中の姿が好きだ。
アンコールに応えて、それまでじっと聴いていたニクラス・ウインターとユッカ・エスコラが参加した。それぞれの音を持っている二人が、native の音をなぞって盛り上がっていくのがとてもエキサイティングだった。

ライブは3時に終了して岡野さんのDJがはじまった。隣席の女性は私鉄沿線なので地下鉄の始発までここにいると言うので、こちらももう少し余韻を楽しみながらDJを味わいつつおしゃべり。ミュージシャンたちが帰って行き、踊る人もいたり飲む人もいたり、いい雰囲気だ。5時ごろ外へ出ると街は明るくなり出していた。気分は薔薇色。

2007年06月24日

雨の中、native を聴きに

Prussian Blue Native最近は足の調子がいまいちなので2日連続の夜の外出はしないようにしているが、昨日のヴィク・ファン・クラブ例会日と、今日の native のライブには行こうと決めていた。午後5時からのライブはあいにくの雨で客は少なめだったけれど、演奏はとってもよくてご機嫌で帰ってきた。
今月2日のライブではユッカ・エスコラ、ニクラス・ウィンターとともに素晴らしい演奏だったが、今日は彼らだけでたっぷりと native の世界を聴かせてくれた。
どの曲もメロディが美しい。アルトサックス、ソプラノサックス、フルートを持った中村さんと、ベースの大久保さん、ドラムの山下さん、ピアノの杉丸さんの4人が醸し出す音はすべてオリジナルだが、ずっと聴いてきたからしっかりと耳に馴染んでいる。音にのって体と心が気持ちよくなっていくのがわかる。「prussion blue」のすがすがしい風のように吹き抜ける音は、Five Corners Quintet と同じ時代を感じる。

先日アマゾンで、ドイツで制作された native のCD「prussion blue」を買った。今日はこれを持って行ってサインをしてもらうつもり。ミーハー魂百まで(笑)。ハイ、みなさんのくつろいでいるところにお邪魔して全員にサインしてもらいました。写真がグレイっぽくてオシャレなので、ピンクのサインがよく似合う。ふふ。
引き止められるままに、ちょっと真面目におしゃべりをしたが、最後に「見た目も大切ですよね」とミーハーぽく言ったら、いまそのことを考えている最中とのこと。わたしはいまの姿がスタイリッシュでカッコいいと思って言ったのだが、もう少し柔らかくとも思ってもいるそうだ。目がキラキラして素敵な中村さんであった。

2007年06月30日

音の海 阿木譲さんのDJの夜

昨夜は nu things で阿木譲さんのDJがあった。8時から夜中までがDJで、あとは朝までバータイムになるというので、そこまではつきあえないなと言いながら行ったのだが、なんのなんの今朝の地下鉄始発までしゃべっていた。
先日の「ユッカ・エスコラ、ニクラス・ウィンターと native 」の夜に知り合ったAmyさんと、阿木さんのDJの日に会おうと約束していた。初対面からミクシィ友だちになりメールのやりとりもして、彼女がジャズを歌うというのは知っていたが、かなりのものであるらしいとわかった。聴きに行く約束もした。また楽しみが増えた。

阿木さんのDJは特別冴えていて、官能的で魅惑された。特にドラムの音が連続して鳴りわたったときはすごかった。人間技の音がDJによって人間技を超えてどんどんいってしまう。後半になっても阿木さんはとってものっていて、どんどん飛ばす。大丈夫かなと思うくらいだ。レコードがどんどん取り替えられ、音が切れ目なく続いていく。体が勝手にリズムを刻んでいる。とても幸福な時間だった。できたばかりの友だちが横に座って同じ音を聴いているのもよいものだ。

終わってからAmyさんやお店で知り合った方たちとおしゃべり。そのうち地下鉄最終電車の時間が過ぎてしまった。話はまだまだ終わらない。そのうち朝になってしまった。
5時過ぎ、外へ出るともう明るい。御堂筋線本町へ出て梅田方面へ帰るAmyさんを送り、こちらも地下鉄で帰った。

2007年07月16日

native prussion blue 外は雨

午後の大雨はすごかった。ずっと降ったら困ると思っていたらどうやら小降りになって、夕方から楽しみにしていたnative のライブに nu things へ行った。店のすぐ側の道でメンバーの方々が連れ立って歩いているのに出会った。ご飯を食べに行くのかな。店で待ってますねと挨拶して、ちょっと早かったかなとお店に入ったらAmyさんが来ていて、始まるまでおしゃべりタイムを楽しんだ。
最初は客が少ないかなと思っていたら、演奏がはじまってから女性客が続いて入ってきて、こちらもほっとする(笑)。
力の入った演奏(中村智由(ss, as, fl)、大久保健一(b)、山下佳孝(ds)、杉丸太一(p))で今日も満足だった。native のいいところの一つは4人の息がぴたっと合っていること。ほんとに不思議なほど息の合ったグループなのだ。
いま新しいCDのために録音中とのことで新曲も披露された。これを明日録音するという。聞き慣れた「prussion blue」はいつ聴いてもすんなりと心に入ってくる。最後に力のこもった演奏があって終わり。よかったわぁ。
少数だが熱烈なファンたちとメンバーが、途中休憩のときも終わってからもあちこちで話し合いがあって、とてもフレンドリーな夜だった。

2007年07月22日

とても楽しかった、jaz' room nu things 3周年パーティ

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昨日の夜は nu things 3周年パーティだった。2004年8月8日にオープニングパーティがあって、その直前に阿木さんと再会したばかりのわたしらはドキドキして nu things の階段を下りていったのだった。
そこではじめてDJというものを現場で見て、いたく感動したことをよく覚えている。それから3年、いまやDJは誰がいいとか nu things だけのことだが言っている。

相方がアップル・ストアであった勉強会から帰るのを待って出発したので、着いたのは10時半頃、メインエベント Torio Liric のクラシック演奏は1回目は終わっていた。DJの演奏を聴きながらパーティ料理をいただいて、Amyさんと Torio Liric のピアニストMさんと話していると、Amyさんはこれから即興で歌うと言う。「ピアノとベースの演奏で歌うんやけど、ピアノがフランス映画みたいに暗いんやて、うまくいくかな」とのことで、こちらは野次馬としておもしろいことになった。
ビールと料理を食べたあと、コーヒーとケーキをもらいにいこうとAmyさんとカウンターへ行った。食べ終わったらジャズの番になり、1曲目はピアノとベースで確かに暗いというかアートっぽい(?)。2曲目はボーカルが入るが、このスローさにうまく入っていけるのか心配になった。最初は戸惑いがあったものの途中からうまくのっていく。度胸があるんだ。3曲目は有名な「レフトアローン」で、これもスローな曲。映画「マンハッタンの哀愁」でずっと流れていたマル・ウォルドロンの名曲だ。うちでもよくレコードかけていたっけ。フルートが入って情感を盛り上げる。Amyさんの歌はジャズに向いた低い声で素敵だった。
そのまま2回目のクラシック演奏に入る。ピアノ、バイオリン、チェロにフルートが加わり、リリカルな演奏が続く。いつもの空間だが響く音楽が違うとすごく雰囲気が違ってくる。ピアソラなどアンニュイなやるせない演奏に酔ってしまった。それぞれが飲み物を手にしたり、恋人どうしがささやきあったりしながら室内で室内楽を聴いている、という幸せはそんなに味わえるものではない。阿木さんありがとうございます。

そのあとはDJが入れ替わって、それぞれの好みの曲を聴かせてもらえた。3時を過ぎてパーティは終わり、静かなピアノ曲がかかる中で、あちこちで話し合う声。
話しかけてきたイケメンの青年はロックのベースをやっていると言っていたが、彼が生まれる前にわたしらはパンクだのニューウェーブだのと言っていたのだなぁ(笑)。
阿木さんとスタッフの平野さんと明け方までいろんな話をした。残ったケーキをお土産にもらってまたもや朝帰り。

2007年07月26日

ぶっ続けで4時間 nuthings 阿木譲さんのDJ

阿木譲さんのDJによる「Somethin' Else, Somethin' Nu」に行ってきた。今夜はぶっ続けで4時間、音は絶えることなく鳴り響いていた。自分でも感心するけど、よく4時間も座っていられる。
わたしのジャズ歴は深くはないが長い。「アート・ブレーキーとジャズメッセンジャース」のコンサートに行って、颯爽たるリー・モーガンにいかれてから40年以上経つ。ライブが好きでジャズミュージシャンが来日すれば行き、日本のミュージシャンたちともけっこう親しくなっていた。威張るわけではないが(と言いつつ威張っている)年期が入っている。そんなことで長時間の熱中にも耐えられる(笑)。
今夜は客が少なめで、途中で帰った人もいて残念だった。阿木さんのDJは聴く人を選ぶところがあるんじゃないかな。「だから好き」と言う人たちはいるけど、ここに阿木さんがいることがまだその人たちに届いていないんだろうと思う。

1枚のレコードを最初から最後までかけるということしか知らなかったから、DJというものに行き当たったときはびっくりした。高揚した音がいつまでもいつまでも続くんだもんなぁ。この体験はすごい。
実は阿木さんのDJするカッコが好きで聴き続けているとも言える。今夜はAmyさんと並んで聴いていたけど、もっといろんな女の人たちとDJする阿木さんを鑑賞したい。

2007年07月28日

クラブ活動(笑)

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昨日はライブから帰って日記を書く予定だったが、ライブが終わってから深夜のお茶に誘われ、話がはずんで腰を上げたのは明るくなってからだ。いくら遊びとはいえわたしってタフだわ(笑)。
前日の阿木さんのDJのときに聞いたのは、明日「SOULMARINE PRODUCTION」の演奏があってAmyが即興で組むという話。3周年パーティではじめて組んだ即興演奏がとても大人の雰囲気で素晴らしかったので、これは行かなければとなったわけ。

ライブは7時半からで4つのバンドの演奏があった。
まず「小笠原淳」は詩の朗読にベースとギターがついた。若い・・・。
2番目は「坂口光央(from 灰皿)×前田芳憲(from KIRRORBALLZ 73)」で、ピアノ演奏にコンピュータでなんかやるのがついていた。うまい・・・。
4番目が今夜の呼び物「The mornig」で浅田真央のヴォーカルが主役。うーん、浅田さんの雰囲気に馴染めなくて・・・ベース、ギター、ドラム、みんな楽しそうだったが・・・。
と、この3バンドは若者向きだった。
3番目に「SOULMARINE PRODUCTION」。1人でピアノと打ち込みの演奏、映像も自作の耽美なもの。パーティのときにも感じたが、この人は自分の世界を持っていて、そこに没入した演奏をする。そこにAmyの声が入るのだが、異質さを感じさせず不思議にぴったりとはまっている。

演奏が終わってから、阿木さんにお茶に誘われ南船場の終夜営業のカフェで6時間近くおしゃべり。楽しくクラブ活動(?)した。参加人員8人。

※写真はSOULMARINEとAmy

2007年08月04日

大人のジャズを聴いて、女ともだちとおしゃべりの夜

夕方から細野ビルでジャズライブがあった。岩本ヒロユキ (Ds) 柴田達司 (G) 田代泰之 (B) 堂迫康雄(P)という大人のメンバーで、居心地の良い演奏だった。いつものようにお茶とお菓子が用意してあって家庭的雰囲気。終わった後は久しぶりにマネージメントをしているペンタさんと近況をしゃべりあった。
最近、急速に近づいているAmyさんと美人ヴォーカリスト(Amyさんの表現)のカオルさんもいっしょに聴く予定が、カオルさんが道に迷って終わった頃に来るという番狂わせがあった。終了後の歓談でもとがとれたことにしておこう(笑)。

帰り道はAmyさんカオルさんと相方と4人で歩いて堀江に出て、アブサンで飲むことにしたが、お店は満員。でも少しの隙き間にテーブルを整えてくれて、3人は緑色に光るアブサンにありつき、私はギネス。もうしゃべるしゃべるで時間を忘れていたが、突然あっ終電となってお二人は風のごとく帰った。我々はあともう一杯飲んでのんびり歩いて帰った。花火帰りかお店も道路も浴衣姿の女子が多かった。

2007年08月12日

ミュージシャンたちのパーティ

Amyさんにはじめて会ったのは6月3日の jaz' room nu things で、ユッカ・エスコラたちのライブのときだった。Amyさんはご自分のライブを終えてから来られて、たまたま空いていた私の隣席に座った。ライブを終えた高揚感と黒いドレスのせいでとても美しく、声をかけられたときは美人好きのわたしはほいほい喜んだ(笑)。
それから何度か nu things で会って、3周年パーティでは SOULMARINE PRODUCTION との即興演奏を聴いて、友人であると同時にファンにもなった。

今日はAmyさん宅でパーティということで、3時から参加して11時半までお邪魔した。JRの西宮から徒歩だと20分というので、暑かったけど早めに行って歩いた。郊外へ出るのは久しぶり、キョロキョロしながら歩いた。田んぼがあったのにはびっくり。

延々8時間を食べて飲んでしゃべって過ごし、30分は天井の高い広い防音室でヴォーカル、ピアノ、サックスのセッションを聴かせてもらった。
参加者はsoulmarinさん、kawoleさん、柴垣さん、藤山さんの5人のミュージシャンとわたしら2人。
みなさん、音楽は聴くだけで、おしゃべり専門のわたしらをよく盛り上げてくださるのがうれしく、いっぱいしゃべってしまった。わたしらの場合は、若いときからジャズ、ロック、クラシック、またジャズと休みなく聴き続けてきたこと、nu things の阿木さんと古い付き合いというのが効いていると思う。

ほとんど終電で帰ったのだが心斎橋からの電車は終わっていて、心斎橋から歩いて帰る途中、喉が渇いて開いていた近所の居酒屋へ入った。そこでまた側にいた若者たちと盛り上がり、しゃべっているうちにクミちゃんと呼ばれていい気になった(笑)。劇団キオのサクラさん、みゆきさん、ごいちさん、お騒がせしました。

2007年08月16日

暑さ最高、YouTube、五山の送り火

連日暑いけど今日はまた格別暑かった。いまヤフーの天気ページを見たら大阪西区は3時に37度だった。たしか7時のニュースの大阪の最高気温は38度を超えていた。5時ごろ図書館へ行ったが西日がきつかった。図書館とスーパーで涼んで外に出たらまたむちゃくちゃ暑い。7時のニュースをつけたら埼玉県熊谷市で40.9度だって。今日がピークだという予想があたってほしい。
さすが12時を過ぎたら涼しい風が吹いている。今日は相方が友人のミュージシャンのSoulmarineさんとAmyさんの音と映像を YouTube にアップした。YouTubeデビューを祝って、10時ごろにビールを飲んだらアルコールがまわって一眠りしてしまった。2時間ほど涼しい風をうけて熟睡したおかげで、いま(1時半)目はぱっちり。
今夜は送り火の日だ。NHKテレビでニュースの後、京都からの中継があった。いつもなら消すのだが黒崎めぐみさんが司会なので見ていた。とてもステキな着物で落ち着いた話し方は風格がでてきた。おかげで五山の火がつくところがどんなかわかった。「妙法」は「南無妙法蓮華経」からの文字とのことで、その地の日蓮宗が他の宗派の干渉にめげず、信仰を守り抜いて今日に至っていることもわかった。

2007年08月17日

二人の美人ヴォーカリスト

今日も38度を超える暑さだった。夜になってからの外出でも暑くて、よく冷えたお店に入るとほっとした。
今夜はSoulmarineさんとの即興演奏を3回も聴く機会があったAmyさんの、普通のジャズのライブが心斎橋の Bar Lime cay であった。澤井誠(As)、藤山龍一(Gt)、2ステージ目にはkawoleさんの歌が2曲入った。
スタンダードナンバーを歌うAmyさんにとても関心があったのだが、期待を裏切らない巧さだった。低い声がジャズ向きだとは共演したミュージシャンから聞いていたけれど、ほんとにジャズに向いている。情感があって大人の女だなと感じる。
kawoleさんの歌はちょっと説明できがたい魅力があった。2曲目の「センチメンタル・ジャーニィ」のこんな歌い方はじめてだ。kawoleさんは先日はじめて会ってお話したのだが、ものすごいインテリでなんでも知っているし、こちらのことを上手に聞きたがってくれる人である。
二人とも性格の良さが歌に現れているのに感心した。澤井さんも藤山さんも会ったことがある仲で、他のお客さんとも知り合いになったし、今日は家族的(?)なライブだったなぁ。
地下鉄の終電時間が過ぎたので心斎橋から歩いて帰った。風が吹き抜けてそんなに暑くない。途中の公園のベンチで休んでまたぼちぼちと歩いた。

2007年08月21日

マックス・ローチとアビー・リンカーン

8月15日にマックス・ローチが83歳で亡くなった。ちょっと感無量。
60年代、マックス・ローチとアビー・リンカーンのカップルに若いわたしは憧れていた。もちょっと前の時代のサルトルとヴォーボワールのように、理想のカップルとして。
「We Insist」というアルバムは、その気持ちにハッパをかける内容だったから憧れはいや増していた。マックス・ローチの強烈なドラミングをバックにアビーが叫ぶ。60年代後半の若者の気分にぴったり合っていた。

その二人が別れたと聞いたのは70年代に入ってから、天王寺のジャズ喫茶でだった。ある日「明日アビーが京都でライブやるで」と知らせが入り、午後だったから仕事のある者は行けなかったが、ぶらぶらしている者が10人くらい京都へ行った。名前は忘れたが三條のジャズ喫茶だった。一番前に座ってアビーの歌を聴いた。狭いのでアビーの膝が私の膝にぶつかる。病後ということでちょっと太っていて、オレンジ色の服がアフリカの民族衣装のようだった。しっかりと微笑んでもらって大満足した。
急きょ決まった夕方からの2ステージ目も聴いて夜遅く帰った。そのころから「We Insist」は聴かなくなったが、「Abbey is Blue」は大好きでしょっちゅう聴いている。声に品があるしうまいし。「朝日のようにさわやかに」は誰よりもアビーのが好き。いまも聴きながら書いている。

2007年08月26日

ボツワナ・ナイトが終わって今年の夏は終わり

昨日の夜は楽しかった。第4土曜日はヴィク・ファン・クラブの例会日で、最近は不振をきわめている。昨日はミクシィの「No.1 レディーズ探偵社」コミュに場を譲って、オフ会「ボツワナ・ナイト」を開いた。参加者7人というまとまりのよい人数で楽しい会合だった。
「No.1 レディーズ探偵社」のファンたちがネット上の場に集まり、ボツワナの女性探偵マ・ラモツエのことを話し合ってきて、じゅうぶん気心は知り合っている。とはいえ顔を見るのははじめてなので最初は緊張した人もいたようだ。だけど終わるころには昔からの知り合いのように笑いあっていた。気っぷのよい管理人がいることも大事な要素だし、長い付き合いのお店がお世話してくださったこともある。いろんな要素が良いほうに動いてオフ会の成功があったと思う。

福岡からの参加者で管理人のMさんが、大阪をめいっぱい楽しみたいということで、二次会つきである。わたしがよく行くnu things に native が出演する時間がちょうど合ったので、7人をお連れした。みんな楽しんで帰られたようでよかった。

nu things は人が多かったけど席をつくってくれてみんないっしょに座らせてもらった。DJの音が大きいので耳元でしかしゃべれないのが困ったが。
「native」はいつもの通りにカッコよくて、1ステージだけでなくもっと聴きたかった。でもその夜のメインは「Black Beans Quintet」とゲストヴォーカリスト Maki Mannami。
11時過ぎてからどんどん若い客が入ってくる。いよいよ期待が高まる。舞台前にはぎっしりと人、人。はじまるとみんな立ち上がる。わたしは前が見えないので、立って人の首と肩の間から見ていた(笑)。そこまで自分でも盛り上がったのだけど、演奏がはじまると、まぁいいかと座ってしまった。いわゆるクラブジャズってこういうのかしらね。若い人はこういうので踊ったりくねったりできるのね。

わたしの連れは終電に間に合うように4人帰られた。最初はメインが聴いてほしかたと思ったが、native を聴いてもらってよかった。
演奏が終わってからMさんが再会を約してホテルに引き上げた。そのあとAmyさん、soulmarinさん、kawoleさんと終夜営業の喫茶店へ行き、朝5時までおしゃべり。われながら遊ぶのはタフ。

2007年09月03日

「真夏の夜のジャズ」を見たのは1959年

さっきつれづれなるままに絵本や画集を取り出して眺めていた。仲世朝子の「のんちゃんジャーナル」はこんなときに見るのにふさわしい本だ。その(2)を開いたら真ん中よりすぐ後に〈「真夏の夜のジャズ」の帽子のお話〉があった。なつかしいなぁ。「真夏の夜のジャズ」の封切りは1959年で、この本は1990年発行だから、再上映かビデオを見ての文章であろう。カッコいいジェリー・マリガンの他は、さまざまな帽子をかぶった女性観客たちの姿のイラストだ。ほんと、みんなステキな帽子がとってもよく似合っている。仲世朝子のイラスト大好き。この本が出たころ姪や若い友人にプレゼントして喜ばれたっけ。

この映画は1958年の7月3日から6日までの4日間のニューポート・ジャズ・フェスティバルの記録である。日本では1959年に上映された。わたしは一人で行って、男友だちの一人と映画館で出会って帰りにお茶したことを覚えている。彼はクラシックファンで、評判がいいから見に来たけどよくわからなかったと言っていた。わたしときたら、もうなんというかジャズカッコいいでアタマがいっぱい。
たしかもう一回見に行って、セロニアス・モンクのブルーモンクのメロディを覚えて、熱病にかかったように口ずさんでいた。唇にのせてないと忘れてしまうと思って(笑)。アニタ・オディがステキ。ジェリー・マリガンがカッコいい。エリック・ドルフィーの名前をはじめて知った。チャック・ベリーにもしびれた。
わたしが騒ぐので父親が見に行き、映画音楽のソノシートみたいなのを買ってくれた。ひどい音でもうれしかった。

スイングジャズは生まれたときから家に流れていたが、このときモダンジャズを知った。はじめて行ったジャズコンサート「アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ」にいた若き日のリー・モーガンに思いはつながる。

2007年09月08日

ヒップホップ入門

先週の土曜日に相方が難波にある「歩」(alc)でヒップホップにのって踊り、しかもその踊りかたがいいと若い人に褒められたそうだ。そんなもんで今週中我が家にはそのときのバンド monologue, production の音が響いていた。体は自然にヒップホップ(笑)。
その彼らが1週間後の今夜、本町の nu things でやるという話を聞いて、仕事がつまった相方をおいてわたし一人で行ってきた。
スタンディングかと思ったらいつものように椅子が出ている。飲み物をとりにいくとsoulmarne さんがいて、kawole さんを呼んできた。今日は彼女(詩の朗読)を入れて3人でやるという。雑談しているうちにAmyさんがきてしゃべっているうちに演奏がはじまった。

お目当ての monologue, production がはじまった。一人がMPCで音を出し、一人が声である。これをラップっていうのね。自然に体がゆれる。だれか前に出ておどってくれへんかな、そしたらわたしも、ってことはないけどさ。膝痛をかかえているんだから。ただ座って聴くのと踊るのと、演奏しているほうも気分が違うんじゃないかと思ったまで。
次は second hand smoke、こちらはギターと声である。だいぶ慣れて余裕で聴けた。声の人が背が高くていい男で、それを強調したポーズがいけてた。
その次の mahaz は一人で機械で演奏。終わった後で、ブログに書くんだけど、どう書いたらいいのと聞いたら、ラップのないヒップホップです、という返事だった。ちょっと単調だったかな。人間の声が入らないぶん長時間は難しいかも。
最後にSOULMARINE PRODUCTIONは相変わらず暗く沈むピアノの音に、アフリカの楽器カリンバが入り、kawoleさんの声が入る。ちょっとうまくいかなかった感じだが、顔も姿もきりりとしたkawoleさんに存在感があった。

演奏の間に monologue, production のK‐AZさんが話にきてくれた。先週は相方と話して、ご自分の父上より年上なのに驚き、ああいう年の取り方をしたいと思ったとのこと。パソコンやネットで仕事することの困難などを話した。

今夜はAmyさん、kawoleさんとにぎやかに笑ってしゃべれたのもよかったかな。深夜の中央大通りを歩きながら体が自然にゆれていた。

2007年09月09日

1958年のパリが舞台のコミック

本棚に並べきれない本は小さめの段ボール箱に入れて押し入れに積んである。小さい箱だと背表紙を見られるから整理しやすい。読みたい本を探していたら、アートシアターとか映画や音楽関係の資料の箱があった。なぜおいてあるのかわからない雑誌もあった。
その1冊「WOMBAT」(1992夏号)を目を通してから捨てようと眺めていたら、興味深いコミックが載っていた。「バーニーとブルーノート」というタイトル、作者はルスタル-パランコ。注釈を読むとルスタルさんは本業は建築家だけど、コミックやイラストで活躍中、パランコさんは音楽ライターだそうで、ジャズ、ミュージシャン、フィルム・ノワールの雰囲気を楽しむようにとのこと。ほとんどのページが二つに区切られ、説明文は絵の下にある。

主人公バーニーは1958年の春にパリへやってきた日本人のミュージシャンである。彼はフランスでジャズマンとしての名声を極めた。アート・ブレーキーの横にバーニーがいる写真のシーン、マイルス・ディヴィスとおぼしきミュージシャンと並んだシーンが微笑みを誘う。彼は女たちにクールである。【また当時のパトロン女たちもこう言うだろう。「彼は一度も私たちの耳に『愛している』と囁きはしなかったわ」けれども彼が演奏すると、すべての人を泣かすことができたのだ。】なんて一節がある。
しかしバーニーは麻薬の快感を覚えどんどんはまっていく。最後の絵はポーリーヌという上流階級の女性がバーニーの死を聞き、化粧を直して動揺を隠しパーティの場に出ていくところ。

ちょうど同時代の「真夏の夜にジャズ」を思い出していたところなのでおもしろかった。当時のパリのジャズシーンを彷彿させる。だけど、それだけのことだし、さて、この雑誌捨てようか、おいておこうか。

2007年09月13日

ジャズオントップにて金澤江美のヴォーカルを聴く

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今夜ははじめて梅田のジャズクラブ「ジャズオントップ」へ行った。この夏知り合って急速に友人となったAmyこと金澤江美のライブがある。7時半からはじまって3ステージあり、終わったのは11時過ぎという長時間ライブだった。

メンバーは、Vo)金澤江美、Pf)祖田修、Bs)中島教秀、Dr)竹田達彦。ベテランぞろいのバックでAmy(金澤江美)がどれだけ頑張れるか、ちょっと心配もあったが、第1ステージでその心配は消えた。そしてだんだん調子が出て第3ステージはノリノリのええ歌が聴けた。
歌の前の3人の演奏は、これぞジャズって感じ。そして歌が入って音が揺れると体が自然に揺れる。Amy(金澤江美)の声はジャズに向いているし、ノリがよくてコケティッシュでもありユーモアもある。

わたしの女性ジャズヴォーカル体験は、ジャズ喫茶でアビー・リンカーンとカーメン・マクレーを2回、フェスティバルホールでニーナ・シモンを聴いたくらいだ。3年くらい前からまたジャズを聴きだして半年くらいshuの追っかけみたいなことをした。それが醒めた後は淡白なものだったが、偶然Amyと会ったのがきっかけになり今夜となった。Amyは知り合ってからすぐに nu things で、ピアノの soulmarin と即興演奏をやった。その声は思いがけない贈り物だった。きっとスタンダードナンバーを歌ってもいけると思っていたが、今日聴いてよくわかった。ほんとにいけるヴォーカリストだ。

終わってからベースの中島さんと少し話したが、今日は仕事でやる以上に楽しかったと言っておられた。そして今夜が金澤さんのほんまのデビューだとのこと。これで金澤江美はプロのミュージシャンが認めるジャズシンガーになったのだ。いい場面に出会えてよかった。

わたしの今年の誕生日は仕事が込んでいて、夜中にちょっと飲みに行っただけなので、今夜は10日遅れのパーティだと勝手に決めていたが、とてもよい誕生パーティとなった。

2007年09月17日

去りゆく夏を惜しむ飲み会

今日の大阪西区の午後の気温は34度だった。暑いはずだ。いまは28度だからまあまあだが、熱いお茶を飲んだせいか汗だくだ。
今日は少しは早く起きられるかと思ったが、お昼まで眠ってしまった。寝る子は育つことにしておこう。ちょっと用事をしているうちに4時。5時にAmyさんとおしゃべりの約束をしていた。あわてて相方をせきたて梅田に向かう。
13日にライブをしたAmyさんと飲み会&おしゃべり会をシャーロック・ホームズでしようというもの。お盆休みに集まったメンバーで、去りゆく夏を惜しむパーティというのをやろうという話だったが、どうやら無理なようで、3人の飲み会になった。
知り合ってまだ3か月ちょっとの知り合いだが、まるでずっとつきあってきたみたいに親しくなった。しかしお互いの深いところは知り合えていなかった。今回はじめて、自分や家族や仕事の話をゆっくりした。お互いにかなり親密度が深まったと思う。有意義な飲み会だった。あっと言う間に5時間半が経ち、またどこかのライブに一緒に行こうと約束して帰ってきた。

2007年10月23日

枯葉が舞う公園で「枯葉」を思い出した

天気は良かったけど強い風が吹く午後、公園を通ったら風に吹かれた枯れ葉が顔にぶつかってきた。ちょっと向こうに桜の木があって紅葉している。そこから飛んできたみたいだ。その他の木はまだ緑の葉が繁っている。

ふと、土曜日の夜に細野ビルで聴いた「枯葉」を思い出していた。
米坂晴夫(trombone)、岩本ヒロユキ(drums)、田代泰之 (bass)、堂迫康雄(piano)のメンバーでゆったりした演奏だった。さきにサイドワインダーをやったのがちょっと元気が足りなかったかな。だけど大好きな曲なので楽しんだ。その後にやった「枯葉」は、米坂さんのトロンボーンがしっとりとしていい感じだった。いまの季節にぴったり。休憩時間にはワインとおつまみが用意されて家族的な夜だった。それから食事に行き、その後はバーに行き、深夜まで楽しい土曜日だった。
「枯葉」をハミングしながら公園の中をうろうろしたら、また風が吹いて枯葉が舞っている。

2007年11月24日

今日はテクノを聴いてきました

堀江音楽祭の最後は細野ビルでのライブで、今日はエレクトロニカで明日はジャズである。最近ナマの音を聴いていないのでこれはチャンスだと両方行くことにした。アタリだったらすごくうれしいだろうし、でなくてもナマの音を目の前で聴くのは楽しい。
早めに行って座っていると、はじまる直前にヴィク・ファン・クラブ会員にしてマイミクのMさんがきた。彼女はジャズヴォーカルの勉強中なのだが、いつも聴いていない音楽だから聴いてみたくて来たそうだ。
最初のバンドが終わって休憩中に、地下の画廊で画家の藤岡さんや細野さんMさんと話していたら、このあとの「himawari」は映像があるしいいよとのこと。大きな白い板が演奏者の後ろ側に用意されているのはそのためだったのね。
左側のテーブルにマックブックが2台あって、右側にはエレクトロピアノがある。イチカワタケシが映し出す映像は「不思議の国のアリス」のポップアップ絵本。ページがめくられていくと、その都度絵本の立体が不思議な感じで浮かぶ。そこへLenaが登場。白いドレスに黒いショールで歌う。まぶたから額までを白塗りしている。最初は歌うというよりパフォーマンスという感じ。
画像が木々など自然から仏像のようなものへ抽象的なものと変化していく。歌にはあまり深入りできなかった。テクノ全盛のころはあまり聴いてなかったから郷愁もないしね。
歌の途中で、今日はクイーンのフレディ・マーキュリーの命日と言って祈りを捧げてから、彼の曲を歌った。合掌する姿を見て、昨日見た映画「ラブソングができるまで」で大スターのコーラが、なにかにつけ合掌するのを思い出した。

もらったパンフレットによると、himawariは1998年にニューヨークで結成されたバンドで、アメリカで活躍しヨーロッパ遠征もして、3年前に日本に活躍の場所を移した。長い活動歴があるバンドなんだ。

2007年11月25日

堀江音楽祭の最後はジャズライブ 5バンドの熱演にしびれる

昨日ははじまる前も途中の休憩もたっぷりあったが、今日は6時半から10時までの3時間半、演奏者が交代する以外はぶっ続けの演奏。それもみんな気合いの入った熱演で聴き応えがあった。これだけの時間をじっと座って神経を休めずに聴いていると、終了後はどっと疲れたけど楽しい疲れだった。

印象を書いていくと・・・
Drop By Drop (ドロップバイドロップ)は、元気なサックス奏者がカッコよくて、これだけで今日は来た値打ちがあった。
Tone Quartet (トネカルテット)は、ちょっとインテリっぽい雰囲気、そしてちょっと昔のフリージャズを思い出させた。
Cozy Orchestra (コージーオーケストラ)は、9人編成(女性の歌い手が2人)のクラブジャズ。トランペットも女性で3人ともピンヒールのハイヒールと視覚的にも考えている。
Higuchi Koudai Sextet (樋口広大セクステット)は、樋口さんのドラムが印象的なバンド。それに加えて美形のテナーサックスとアルトサックスががんばる。ピアノも良かった。
muz.quartet (川本睦子カルテット)は、川本さんのヴォーカルが光っていた。スタンダードを歌っても自分のものにしている。バックの3人もうまかった。

全体に演奏がうまくて、その上に姿が美しいのがよかった。
新しい風が吹いているのを感じた夜だった。わたしの知らない間にこんな若者たちが出てきて音楽をやっているのに感動した。若者にはジャズをやるのがカッコよいことで新しいことなんだとわかった。
これだけのバンドを一堂に集めた堀江音楽祭のスタッフに感謝です。
これからは出演情報を探してあちこち聴きに行こう。

2007年11月26日

ジャズってカッコいい

昨夜の細野ビルでのライブはジャズってカッコいいものだと再認識させてくれた。
わたしがはじめて行ったジャズコンサートは1961年のフェスティバルホールでの「アート・ブレーキー&ジャズメッセンジャース」で、リー・モーガンのカッコよさにしびれた。モーニンとブルース・マーチはそれ以来わたしがやる気を出すときの応援曲だ(笑)。
それからはジャズミュージシャンが来日するたびに、無理して聴きに行った。数えたらどれだけ行ってるやら。
映画「真夏の夜のジャズ」の影響も大きかった。セロニアス・モンクに目覚めた記念すべき映画だ。
70年代はじめに阿部薫と出会って、日本的湿り気が交わったジャズを聴いて熱狂した。また関西のジャズミュージシャンたちと知り合って、楽しかったが面倒もあった。
70年代後半からは、パンクとニューウェーブに好みが変わって、それこそカッコいいのオンパレードのような、来日ミュージシャンたちのライブやコンサートの日々。

80年代後半からは、マックに出合って、バブルの崩壊があって、仕事がコンピュータに奪われて、そのコンピュータで仕事するようになって、阪神大震災があった。音楽を聴きに出かけることが少なくなった。空白の20年と私らは言っている。レコードを処分してぼちぼちCDを買い始めた。なぜかオペラとかクラシックを聴きたくなっていた。

3年ちょっと前から音楽生活が復活した。と言っても、DJのなんたるかも知らずに本を読んでお勉強(笑)。クラブジャズの時代だと言われると聴きにいき、いまの音楽はこういうのかと感心し、安易にジャズヴォーカリストに入れ込んだり。いまのわたしになるのに、こういうことも無駄ではなかったと思う。
最近ようやく自分で好きなものがわかりだした。昨日のライブは若者がカッコいいので、思わずリー・モーガンをはじめて聴いたときを思い出した。彼らはこんなに音楽がたくさんあるいまの時代に、ジャズをやることを選んだのだ。そしていまのジャズを創っている。

2007年11月28日

ザ・シンフォニーホールでクラシック

兄の誘いで関西フィルハーモニー管弦楽団の第198回定期演奏会に行った。7時開演だから梅田でメシを食ってということで、シャーロック・ホームズでギネスとサンドイッチその他を食べ、大阪駅北口から歩いてザ・シンフォニーホールへ。
ここへ来るのは10年ぶりくらいだ。それに何回も来ていない。わたしがクラシックを聴いていたころはフェスティバルホールが多かった。ジャズを聴きだす前から聴きだし、ジャズと並行してクラシックを聴いて、そのうちジャズ一辺倒になった。クラシック会場の真面目な雰囲気が性に合わないのに気がついたのだ。レコード→CDはよく聴いている。

今日の演奏曲目はドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」。モーツアルト「オーボエ協奏曲」(オーボエ:チョー・ウン・ヨン)、大澤壽人「交響曲第3番」(関西初演)、指揮:飯守㤗次郎、演奏:関西フィルハーモニー管弦楽団。
お客はほぼ満員、中高年が多かったかな。クラシックは根強い人気があるんやなぁ。

「牧神の午後への前奏曲」はほんわかと眠気を誘って気持ちよくなった。「オーボエ協奏曲」はオーボエがなんだか地味な気がした。基準みたいなのがわからないのに地味と言っている。ええんかいな(笑)。
そして今日のメインエベント「交響曲第3番」について、パンフレットの解説からを交えて書いていくと・・・大澤壽人(1907〜1953)は神戸に生まれて外国人亡命音楽家にピアノを習い、1930年から足掛け7年ボストンとパリへ留学。パリで交響曲第2番を初演して成功をおさめた。1936年帰国。ラヴェル、フランス6人組、バルトーク、シェーンベルグの影響を受けたモダンな音楽は日本では受け入れられなかった。第3番はより平明に、日本の伝統を意識した作品で、完成した年の3年後にあたる〈皇紀2600年〉(1940)に捧げられた。
ということで、パリで前衛的な音楽を創った大澤が日本では受け入れられず、しかも時代は第二次大戦へまっすぐに向かおうとしている。生きていくためには〈皇紀2600年〉とつけざるを得なかったのか、心底そう思ったのか。
しかし、1937年に東京で初演されたこの曲に対して聴衆は冷たかった。大澤はこのあとピアノ協奏曲〈神風〉を発表したあとはシリアス路線に見切りをつけた。
「交響曲第3番」が戦後に通して公開演奏されるのは、今日がはじめてだそうだ。
今日の客は暖かい拍手で何度でも指揮者を呼び戻していた。熱演だったもんね。

コントラバスが7台という大掛かりなオーケストラで、終始低音が響いていたような気がする。その上に日本的な節回しが奏でられていた。西洋音楽に日本の伝統を融合するという趣旨は、かなり成功していたみたい。よくわからんが退屈しなかったし眠くならなかった。というのは、どう書こうと考えていたこともあるけど(笑)。

2007年11月30日

握手の夜、エディ・ヘンダーソン+竹田一彦、西山満、弦巻潔

楽しみにしていた谷町9丁目のジャズスポット“サブ”でのライブ。一番先に予約して、一番先に着いたので席順は1と2だった。
今夜の演奏者は、エディ・ヘンダーソン(tp)、竹田一彦(g)、西山満(b)、弦巻潔(ds)。

狭い店内にぎっしりと椅子が並んで、その合間をベースの西山さん、ギターの竹田さんが楽器を抱えて通っていく。開演前の緊張した雰囲気がたまらない。エディさんが夫人のNatsukoさんと到着した。Natsukoさんとは半年前くらいからマイミクになっている。お互い同時に認め合って挨拶した。とても華やかな美しい人である。

演奏がはじまる。なんせ狭いので一番前のわたしの顔から50センチにところに、エディさんのトランペットの先がきているのだ。もちらん下に向けたときね。もう、どきどき。これは阿部薫のおっかけをやっていたとき以来だわ。
とても繊細で美しい音が響く。それを受けて西山さんのベースが激しく奏でられる。落ち着いた竹田さんのギター、全体に気を使って緊張の面持ちの弦巻さんのドラム。「枯葉」「ブルーモンク」があったが、知っているメロディからはじまって、遊びがあり、また元にもどってくる、その洗練された音の美しさにしびれっぱなし。

休憩中に西山さんがそばに座られたので、前から話したかったことがあったので言ってみた。以前、ネットの西山さんの日記に、自分が最初に聴いたのが1961年の「アート・ブレーキー&ジャズメッセンジャース」だったと書いてあった。そのとき同じ場所に居たことを言うと、とても喜ばれてすぐに友人待遇に(笑)。

第2部がはじまる。聴き手はみんなのってくる。エディさんが立つたびに拍手が起こり、西山さん、竹田さんの熱演に拍手が起こる。体を揺すって手で拍子をとって至福のときだ。
音がね、PAを通さない音がとてもよいのだ。今夜はほとんどミュートをつけての演奏だったが、最後の曲はミュートをとって情熱的に吹き、こちらはうれしくなって拍手、拍手。
西山さんの語りがまたよかった。音楽をやっている幸福感があふれていた。

終わってから新しく出たCD(Precious Moment)を買ってサインしてもらった。わたしの名前を書いて、ご自分のサインのあとにトランペットの絵が入っている。Natsukoさんの曲が2曲入っているので聴くのが楽しみ。

終わってからはビールを飲みながらまたおしゃべり。西山さんのベースは275年経っているものだと教えてもらった。
エディさんと何度も握手、そして帰りしなにはみんなと握手。今夜は握手握手の夜だった。

2007年12月31日

こういう生き方  Freestyle と Maestro

FREESTYLE: THE ART OF RHYME MAESTRO マエストロ 昨日は「Freestyle」(2004 監督ケヴィン・フィッツジェラルド)、今日は「Maestro」(2003 監督・脚本ジョセル・ラモン)と続けて2本の音楽もの映画をDVDで見た。フリースタイルとクラブシーンはどうして生まれて、どういう具合に進んできたのかの勉強である。
もう4年近く前になるけどDJとはなにをするものかと本で勉強した(笑)。それからクラブに行くようになり、あのDJが好き、あのDJは好みでない、なんて言うくらいに進化したけど、ヒップホップはまだ遠かった。一度、本町の "nu things" でヒップホップの3バンドを聴いたことがあるだけだ。そのとき出演した「モノクローム・プロダクション」のメンバーが休憩時間に話をしにきてくれた。高齢者でしかも女だからね(笑)。

今年の夏ごろから相方がクラブ活動(?)に精を出すようになり、いろんなクラブへ出かけるようになった。わたしには踊ることも、しょっちゅう朝帰りも無理である。
でも、話を聞くとずいぶんとおもしろそう。相方が行き出したころに「Freestyle」と「Maestro」はつき合って見たのだけれど、ふーんという感じだった。でもこの何カ月に満たない間に、また〈門前の小僧さん〉をしてかなりわかってきた。で、なぜか年の終わりだから見ておこうと思ったわけ。

「Freestyle」では、フリースタイルは1973年にサウスブロンクスではじまったと歴史的な説明もあり、書かれたライムと書かれないライム(フリースタイル)があるなんてことも説明がある。
ライムというのはヒップホップのリズムにのせて歌うというか語りというか(歌と語りの中間か)。言葉使いが絶妙で、それを即興でやるというスリルが魅力なのだ。
この映画ではいろんな人がヒップホップについて語っているのだが、ジャズ(コルトレーンやモンクやマイルスの映像があった)の歴史の延長にあると話す人がいて納得できた。
男性だけの世界かと思ったら、女性がいてみんなイキがよくカッコいいのだ。中でもバハマディアが良かったので YouTube を探したらけっこうあった。次はCDを買うことにする。

「Maestro」のほうは、パラダイス・ガラージとロフトというクラブを中心に、そこで活躍したオーナーやDJについて語っている。そのころの関係者は、DJは誰がはじめたかという質問に、「火を発見したのは誰だと確定できるか?」と聞き返していた。そしてDJはストーリーを伝える人である、曲を認知すること、レコードの溝を読むこと、などなど・・・そしてエイズの流行がありオーナーが倒れて店が閉じられ、最高のDJは麻薬に犯されて死す。

この2本の作品で、わたしの知識はえらく増えたけど、すごーく共感した言葉に出合った。パラダイス・ガラージの常連だった人だけど、16歳のときガラージに行くなと父親に言われる。彼は「僕の人生に口出しするな。出て行くよ、と傷ついて家を出たよ。36年経ったいま、レールを踏み外してもこうして生きている」とニコニコして言う。まあいうたら、わたしもこの人とあまり変わらない。レールには乗らなかったけど、まあこうして生きているもんね。

2008年01月18日

SUBのライブでいい気分

今週は忙しかった。元気だとなぁと自分で感心してとばしてきたけど、今日になって疲れが出てきた。
今夜は遊ぼうと、晩ご飯を食べてから谷町9丁目のSUBへ行った。毎週金曜日は西山満さんのベースと竹田一彦さんのギター演奏がある。去年11月エディ・ヘンダーソンのライブのとき、ヘンダーソン夫人に竹田さんを紹介してもらって、すぐにマイミクにもなってもらった。そのとき毎週金曜日にやってるから来てねと言われたのを、今夜ようやく行けた。休憩時には西山さんから人類の先祖の話と戦争中の話を聞かせてもらった。受け答えが上手なせいか(?)、えらく気に入られて兄妹のようだと言ってくださいました(笑)。
マイクなしの演奏ってすごく気持ちよい。西山さんの275年前のものというベースの音がほんとによく響く。竹田さんのギターがきちっとしっかりと響く。西山さんが目立つタイプで、竹田さんは地味なタイプで、よく合っているのかしら。最後の2曲は若きギタリスト高山さんが入っていい演奏を聴かせた。
体が勝手に動く。頭の中の芯までが楽しさで溢れる。ナマの音楽はええわ。

SUBは西山さんがやっておられて今年で38年になるお店だ。ずっと名前だけは知っていたが行ったことがなかった。一昨年エディ・ヘンダーソンが来たときに行ったのが最初だ。そのときもまた来ると言いながら、行ったときは休みの日だったりした。
今日のお客はお店いっぱいで中年カップルが多かった。暖かい雰囲気だったなぁ。うちからは地下鉄で4つ目の駅で、しかも外に出なくてもいいところにある。また行くべし。

2008年02月03日

レーザー・ディスクで「ニュー・オーダー・ストーリー」

最近になって我が家では New Order 熱が盛り上がった。相方が言い出したからわたしは尻馬に乗ったわけだけど。でも、わたしはその前身の Joy Division のヴォーカル、イアン・カーティスのファンだったから異議なしだった。それで1993年に出たレーザー・ディスクを持っているのを思い出したわけ。内容は全部忘れていた。2・3回は見たかなって思うんだけど、90年代後半になると全然興味を失っていたのだ。
イアン・カーティスは1980年に自殺した。Joy Division のレコード「アンノウン・プレジャーズ」を持っていて、大好きだったからショックだった。当時はまだレコードだったんだ。いまはCDを持っているけどジャケットも大好き。

そんなことで昨日のお昼に見たLD、1面だけ見ようと言ってたのに、3面とも全部通して見てしまった。そしてそれから部屋には New Order のCDが鳴り響いている。
「ニュー・オーダー・ストーリー」の、最初のほうはイアン・カーティスの映像と歌声が響く。異常なまでに腕を振って歌う姿がいまも迫ってくる。目が凄い。彼が亡くなってから残ったメンバー3人で新しいバンドをやっていこうと決意する。キーボードのジリアンが加わったのがいい結果となったと思う。
このLDはイアンが亡くなってから10年以上経ち、新たな成功を収めた音楽と、余裕のあるインタビュ−とで構成した〈物語〉である。語り手にU2のボノがちょくちょく出てくる。最後のほうで「負けないぞ」と言っているのがおかしかった。わたしはどっちかというと、U2のほうが好きと思ったが、こちらのほうが飽きないで聴けるかな。
この映像ではみんな若くてほっそりしてカッコいい。その延長でいま検索したら現在に近い写真があり太った姿にはびっくり。こちらが浦島太郎だわね。

2008年02月11日

「人という生物は、年月と共に鋭く美しくなる」日野晃のドラムソロ・コンサート

いま武道家として知られる日野晃が25年ぶりにドラムソロをやるということを知ったのは3日前、3年くらい前に書いたブログにトラックバックがついたことからはじまる。それは細野ビルで行われたライブで、久しぶりにジャズライブに行ったわたしは、元気なドラムの音に、日野明(当時は明だった)を思い出すと書いたのだった。久しぶりのライブだったのでオーバーに思っちゃったのね。その一言が検索で出てきて、その方はトラックバックしてくださったのだが、その方のブログを読むと、あと3日で日野晃のドラムソロがあると期待がいっぱいの文章である。
えぇーっと、わたしと相方はうなって、これは聴きに行かずばなるめぇとすぐに予約を入れた。還暦で1時間のドラムソロ!!

わたしが1970年代を思い出すときはまずジャズである。昼間は仕事をして、夜はジャズ喫茶で過ごす日が多かった。読書、ジャズ、映画、そしてジャズ喫茶の友だちとのつきあいで日々は過ぎていった。
そういうときに出会ったのが日野明だった。彼のドラムの力強さとスピードに魅了されて聴き続けた。京大西部講堂での演奏は何度も聴いたが力強かったなぁ。
10年くらい聴き続けていたけれど、日野明は83年でそういう生活を終えたのだった。多分最後の演奏だったと思うが、島之内教会でのソロはすごかった。いっしょにいた空手の先生がもう止めさせなければ体を壊すと言ったのを覚えている。

それからの彼は武道に生きる道に進み、わたしたちとはだんだん疎遠になっていった。ウィリアム・フォーサイスの招きを受けたという話を知ったり、テレビに出たという話を知ると、彼の努力が実を結びつつあるなと思っていた。

その日野晃がドラムソロコンサートを開くという。彼との赤い糸が切れなかったのか、見知らぬ人のブログの縁で今日大阪ビジネスパーク円形ホールにいた。800人も入るというホールに果たして人は来るのだろうかとヘンな心配までしたが、信奉者が多いのかどんどん人が集まってきた。スタッフが気持ちよい青年男女で武道家日野晃の魅力が推し量れる。
真っ暗な場内、さくらさくらの大合唱の中で打ち込まれた第一音が日野晃の健在を告げていた。とてもダイナミックで力強い音。昔は力技で叩いていたが、いまは技で叩いている。スピードは変わらない。1時間を怒濤のドラムの中にいた。いろいろと思い出して思わず目が潤んできた。
その後のピアノ田中武久、ベース宮野友巴との共演がとても楽しそうで、こういう余裕ももてるようになったのね。

挨拶して帰ろうと思ったら打ち上げに誘われ、ビジネスパークのレストランで昔と変わらぬヤンチャな会話を交わした。
日野晃の言葉「人という生物は、年月と共に鋭く美しくなる」

2008年02月12日

昨日の続き「La Fiesta 134」

昨日のコンサートは「La Fiesta 134」と題されていた。「134」は日野さん60歳、共演されたピアニスト田中さん74歳を足した数字で、そのお祭りって意味なんだって。
昨日書き忘れてたのを書いておこうと思ったのは、衣装のこと。日野さんの着ていた赤いスーツは皆川明さんに作っていただいたそうだ。皆川さんのブランド名はminä perhonen(ミナ ペルホネン)である。血のような赤色のスーツは日野さんにすごく似合っていた。
また和子夫人は黒のパンツスーツだったが、下に着ていたタートルネックのセーターが深紅だった。二人で還暦を祝っているのだなと感心した。

今日は疲れが抜けきらなくて肩が凝ってかなわんのだけど、ヴィク・ファン・クラブの会報の原稿がたくさんあるので1/4くらい片付けた。今日はこれくらいでお風呂に入ろう。

2008年02月13日

ドラム好き

石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」の「おいらはドラマー(中略)おいらが叩けば嵐を呼ぶぜ」という歌に惹かれたわけではないけれど(映画は見たけどまさかね)、なぜかドラムの音が好きなのだ。幼少のころジーン・クルーパというドラマーが来日して、父親が本場のドラマーだと騒いでいた。新聞や雑誌で見ただけだけど、豪快にスティックを振り上げていた。カッコええと思った。
そういう素地があるところへ、アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズが来日した。これは絶対行かなきゃとお金を工面して、フェスティバルホールの前から10番目くらいのキップを手に入れた。ノリにのって興奮したのをいまもよく覚えている。
いま図書館で借りた平岡正明の「毒血と薔薇」(国書刊行会)を開いたら、しょっぱなに出ているのが、アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズを1961年に招いたのが、〈呼び屋〉の神彰だったことと、このコンサートが日本にモダンジャズ・ブームを起こしたと書いている。わたしはモダンジャズの洗礼を受けた第一期生みたいなもんなんだといまごろわかった。

その次はレコードで聴いたマックス・ローチだ。音もすごかったけど、彼とアビー・リンカーンのカップルが理想だったときがあった(笑)。それからたくさんの来日バンドのコンサートへ行った。

そして日野晃がいた。70年代のはじめ心斎橋のジャズ喫茶で聴いて以来のファンだった。彼のドラムは激しくてスピードがあって巧かった。
その後はパンクバンドでもなんでも、リズムを刻んでいれば体を揺するくらいのことで過ぎてきた。最近はまたジャズライブに行くことが多くなり、いくらかドラム好きもむくわれてけたけど、一昨日は格別だった。

2008年02月14日

80〜90年代は猫だった

猫の花子が2000年のバレンタインデーに死んでから8年になる。19年生きた子だから我が家に来たのは1981年ということか。
先日、ミクシィ日記のほうで、わたしの音楽の歴史をカンタンにわけると、60年代はモダンジャズ、70年代はフリージャズ、80年代はパンク・ニューウェーブだったと書いて、90年代はとなるとマックだとなってしまった。もっと厳密に考えると、パンク・ニューウェーブは80年代前半に熱中して後半は醒めていた。マックと出合いはしたけど、夢中になった音楽がなかったなんてと自分でも信じられなかったが、理由が今日わかった。猫だ。
うちの花子だけでなく、うつぼ公園のガーデンキャットの世話も3年間した。人間が奏でる音楽でなく猫の鳴き声が音楽だったのね。なっとく。

猫を亡くした哀しみはいつまでも心の奥にあって、相当にええかげんなわたしだが、悲哀が底にある人になっているような気がする。

2008年02月19日

平岡正明「昭和ジャズ喫茶伝説」

昭和ジャズ喫茶伝説最近ジャズを聴く機会が増えている。実は明日もライブに行く。それで少しジャズについて知っておこうと、平岡正明「毒血と薔薇」(国書刊行会)と「昭和ジャズ喫茶伝説」を読みかけている。
わたしは自分がいかに長いことジャズを聴いてきたかを自慢するとき、「アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズ」からはじまったと言うのだが、ほんまに彼らの来日が日本のモダンジャズブームのはじまりだったと知って鼻高々なのである。とはいえ、あっちへうろうろ、こっちへうろうろとジャズ一直線とはいかなかった。

平岡正明の文章は明快で強い芯が一本通っている。それを嫌う人も多いだろうが、100冊以上も本を出しているということだからファンも多いのだと思う。つい先頃まで読んだことがなかったが食わず嫌いだったのね。おもしろいです。
「昭和ジャズ喫茶伝説」は東京を中心に関東地方のジャズ喫茶について語りながら、ジャズと自分自身のことを語っている。最初の横浜中華街ミントンハウスについてのところで、生演奏はときどき演奏するやつが邪魔、部屋で聴くと自分が邪魔とあり、ジャズはジャズ喫茶で聴くものだと結論づけている。それに続いてクリフォード・ブラウンとマックス・ローチの「デリラ」について重く語っている。そして「サムソンとデリラ」の物語について丁寧な解説。この曲は「デライラ」といまは言うけど、俺は「デリラ」と言うのを変えない理由が書かれている。わたしは平岡さんに悪いけど、ジャズ喫茶ではなくわが家の iTunes から探して聴いた。懐かしい旋律が聞こえてきた。(平凡社 1800円+税)

2008年02月20日

日野皓正を迎えて西山満&G.S.Bのジャズコンサート

先月ジャズスポットSUBへ行ったとき西山さんに誘われた、日野皓正と西山満&G.S.Bのワールドジャズキャラバン公演に行った。わたしはいままで日野皓正の生演奏を聴いたことがなかった。あまりにも有名な人なので敬遠していたというか。
本町のホテルヴィアーレ大阪のホールでの2時間は熱っぽく楽しかった。
最初の日野皓正(Tp)西山満(B)竹田一彦(G)生田幸子(P)和丸(Ds)は、大人(日野さん、西山さん、竹田さん)のジャズに、生田さんのピアノがつき合い、ドラムの和丸さんは16歳とか。次は若者たちの演奏。その後の生田さんのピアノと日野さんのトランペットのデュオ。緊張感に溢れた二人のフリーな演奏にしびれた。日野さんってこういう音楽をする人だったのか。
最後は若者8人が登場。ドラムの樋口広大さんほか、若者たち(トランペット、アルトサックス2人、ベース2人、ピアノ、ギター)が日野さんを中心にして盛り上がった。とっても素敵な演奏で気持ちよかった。7年ほどかけて西山さんが指導してきた人たちとのこと。去年はよくなかったらしいが、今夜はすごくのった演奏で、最後に日野さんが「おれ負けた」と叫んだのだからたいしたもの。
70年代の若者と比べると大人しくて真面目で清潔。だけどイケメンばかりで目のほうも楽しめました(笑)。

西山さんにお礼を言って、アルトサックスの早川惟雅さんを励まして、余韻を楽しみながら歩いて帰った。帰り道の辛いもんやギロチンに寄り、飲んで食ってしゃべって帰宅。

2008年02月28日

「聖ヴァレンタインデーの大虐殺」と「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」

2月が明日で終わる。今年のヴァレンタインデーはどうだったんだろう。チョコレートはたくさん売れたのだろうか。わたしに関しては、その1週間前に飲み屋で「だんなさんにチョコレートあげはった?」と聞かれただけだ。「えっ、ヴァレンタインなんかしたことないよ」と答えたのだが、聞いた30歳前の男女は両親がやりとりしていると言う。「そんなー、ちゃんとせなあきませんよ」と言われたけれど、わたしには馬の耳に念仏やな(笑)。

幼いころからわたしにとってヴァレンタインデーは、1929年、シカゴでアル・カポネが対立する一味を一斉射撃で皆殺しにした事件の日であった。まだチョコレートをプレゼントする日になってないころから、わたしは「聖ヴァレンタインデーの大虐殺」の日として知っていた。父親が何度も話して聞かせたからである。いまは猫の花子の命日として覚えている日だ。

それだけの話なんだけど、先日からちょこちょこ読んでいる、平岡正明「昭和ジャズ喫茶伝説」にこんなことが書いてあった。〈新宿二幸裏「DIG」—新宿ジャズシーン〉の一節、「DIG」で、チェット・ベーカーの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を聴いたとき、チェットを聴いたのははじめてだったが、その場で「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」はカポネ一味の事件を歌ったものだと「解説」して、それ以来平岡さんのまわりでは定説になったそうだ。
チェットのは持ってないから、マイルス・デイヴィスの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を聴いてから寝るとしょう。

2008年03月08日

マイク・モラスキー「戦後日本のジャズ文化—映画・文学・アングラ」

戦後日本のジャズ文化―映画・文学・アングラこの本を読んでいる間にも、読み終わってからも、わたしは大阪で暮らしていてよかったとつくづく思った。東京という本流から外れた大阪で、幼年時代からスウィングジャズを聴いて育ち、モダンジャズに目覚めてアート・ブレーキーとジャズメッセンジャースにしびれ、フリー・ジャズにいってアルバート・アイラーに熱中し、大阪と京都で阿部薫のおっかけをし、強烈なドラマー日野明(晃)と知り合った。そして70年代の終わりにジャズから去っていったのが、その動きは本書に書かれている東京のジャズ史とものすごく重なっている。本書を読み終わるまで、わたしは自分がそんな普遍的な存在だと思いもしなかった。そしていま、大阪にいてよかったとつくづく思う。

【ところが、一九八〇年代に入ると、もはやジャズは〈同時代の音楽〉として認識されなくなり、ジャズを〈消費する〉ことはきわめて容易となった反面、ジャズは文化的想像力の源泉という役割をほとんどなくし、〈抵抗〉や〈破壊〉などの美学も日本のジャズ言説のなかの死語と化していった。】と第6章の終わりに書いてある。東京でジャズを聴いていた人たちはどこへ行ったのかしら。大阪のジャズ喫茶で知り会ってともにジャズを聴いていた人たちはほとんどが就職した。それから30年以上経ったが、いまは安穏な生活をされているようだと風の便りで聞いている。

その後はパンク・ニューウェーブに夢中になって、わたしの青春(?)は続いてきた。来日バンドのコンサートに行き、B-52で踊りEP-4のギグに夢中になった。その後は音楽から離れることはあったが、気持ちは変わってない。最近またいろんなところでジャズを聴くようになった。足の調子はイマイチだが、まだまだ続けるつもりでいる。相方は今夜もクラブで踊っているし(笑)。

本書の〈著者紹介〉によると、マイク・モラスキーは1956年にアメリカ セントルイスで生まれ、専攻は現代日本文学で70年代から10数年にわたって日本に滞在している。ジャズピアニストとして東京のジャズ・クラブなどに出演することもあり、CDも出しているという人だ。
〈はじめに〉で、本書はジャズから見た戦後文化史の試論であると書いている。そして映画、文学などに使われているジャズ、そしてジャズ喫茶について詳しく述べているのだが、終戦直後から現在に至るまでの日本におけるジャズのありようがすごくよくわかった。こういう客観的ジャズ史を考えたことがなかったから目からウロコが落ちた。

それともうひとつ大事なこと。本書では日本のジャズの世界における女性蔑視を大きな問題として取り上げている。めちゃくちゃうなづけることである。その世界をわたしは名誉男性になることで乗り切ってきた。その反省をサラ・パレツキーを読んで考えることで果たした。(青土社 2400円+税)

2008年03月10日

平岡正明「毒血と薔薇」

毒血と薔薇―コルトレーンに捧ぐ2007年7月に出た平岡正明「毒血と薔薇」を図書館で二度借りた。最初に読んだときにマイク・モラスキーについて知り、彼の著書「戦後日本のジャズ文化—映画・文学・アングラ」を図書館で探してきて読んだ。それからまた本書を借りてきた。
マイク・モラスキーが書いているジャズにおけるジェンダーの問題について、もう一度平岡さんの態度を読んでおきたいと思ったわけだ。
季刊誌「ジャズ批評」は1967年の創刊号から買っていた。5号ぐらいまで買っていたかな。平岡さんの有名な文章も読んだのだけれど、肌に合わなかったのでそれ以来読んだことがなかった。なんで肌が合わないかも考えたこともなかった。東京方面の左翼文化人って感じだった。
それが去年から何冊か読んで、平岡正明カッコええやんと思えるようになったのだが、でも違和感があった。マイク・モラスキーの本を読んで「毒血と薔薇」を読むと見えてきたのは、女性差別か女性嫌いか女性を問題にしてないなってこと。

最初にあるエッセイ「毒血と薔薇 コルトレーンに捧ぐ」は素晴らしいコルトレーン論で、「オーレ」について書いてあるところなど、すぐに「オーレ」をiTunesで探して聴いたほどである。ところが最後にのほうでコルトレーンが妻のアリスを舞台に上げるなと書いたあとに、【アルバート・アイラーもそうだ。死の四ヶ月前にアイラー・チームがフランスで行ったラスト・コンサートの舞台に、彼はマリー・マリアという自分の恋人を上げて、俺はシラけたことがある。】と書いている。アリス・コルトレーンについてはもっともだと思うわたしだが、マリー・マリアの声は好きだ。あのコンサートはマリー・マリアが出ているから好きなのだ。アイラーが死ぬ前に素敵な恋人を持ててよかったと思っている。
しかし、そんなことで怒ってはもったいないジャズ論が展開されているので読んでよかった。(国書刊行会 2000円+税)

2008年03月12日

菊池成孔+大谷能生「東京大学のアルバート・アイラー—東大ジャズ講義録・歴史編」

東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編2005年に出た本だが、書店の棚で見るたびに厭なタイトルだなぁと思って手に取ることもなかった。先日、平岡正明の「毒血と薔薇」を読んだら、その菊池成孔さんの「平岡先生、お言葉ですが、先生は寺島先生をぶっ壊す事は出来ません。何故ならば」という長いタイトルのエッセイが解説として最後にあり、タイトルに惹かれて読んでみたら、寺島靖国というジャズ評論家をおちょくっていてとてもおもしろかった。ちょうど図書館にあったので読んでみようと思ったわけ。
本書はほんとうに東大で2004年の4月から7月までジャズについて講義した記録である。講義といっしょにいろんなミュージシャンの音を聴かせている。アルバート・アイラーはその中の一人だが、手術台の上にミシンとコウモリ傘の代わりに東大とアイラーを乗せるような趣味はあまり好きではない。それなら読まずにすませばいいものを、図書館にあったら借りてくる(笑)。
内容は目次の第一章「十二音平均率→バークリー・メソッド→MIDIを経由する近・現代商業音楽史」で一目瞭然だが、西洋音楽とはどういうものかからはじまり、モダンジャズからフリー・ジャズへの歴史、最後の「MIDIとモダニズムの終焉」に至る。話言葉だからとてもわかりやすい。ジャズの歴史の勉強ができる。

フリー・ジャズについてちょっと長い引用
【「フリー・ジャズ」って一言で言っても、実はその中には今日聴いたようにさまざまなベクトルがあった。本当、一人一人違っていたと言っても過言ではないんですが、それがある歴史的な前進力の中で、何というか、一つの様式として、一緒くたにされてしまう。努力の果てに鈴に辿り着いたコルトレーンと、始めから鈴だったアイラーが同じ括りに入れられてしまうっていうのも(笑)いま思えばひどい話ですが、(中略)ソングからのフリー、定型リズムからのフリー、機能和声からのフリー、歴史からのフリー、正気からのフリー(笑)、みたいに、それぞれのミュージシャンが何から自由になりたかったのか。】
フリー・ジャズと同時代を生きてきた者としては、すでにこうして歴史になってしもたのかと感慨深いものがある。(メディア総合研究所 1600円+税)

2008年03月28日

身内で妹 SUBの Special Duo+1

去年の11月にエディ・ヘンダーソンを聴きに谷町9丁目のSUBへ行ったとき、ベースの西山さんに「わたしも1961年のアート・ブレーキー&ジャズメッセンジャースに行ってました」と言ったらとても喜ばれた。それ以来〈妹〉と言ってもらっている(笑)。
〈妹〉としてはときどき〈兄〉の演奏を聴きに行かねばならぬ。それから一度お店へ行って、二度目は「日野皓正と西山満&G.S.Bのジャズコンサート」に行った。今夜は三度目で、「Special Duo+1 竹田一彦(G)西山満(B)with 玉川健一郎(vo)」。いつも金曜日は西山さんと竹田さんのSpecial Duoだが、今夜は札幌から来られた玉川さんのボーカルが入る。
座っていると女性客が一人入ってきて後ろの方に座った。西山さんが「そんなとこに座らんとこっちへおいで、ここは身内ばかりや、この人は妹」と言って呼んだので、えへへと愛想笑い。女性客はあとでほんまに妹さんかと思ったとおっしゃった(笑)。

竹田さんの絶妙なギターと老練な西山さんのベースで演奏がはじまる。そこへ若い玉川さんのボーカルが入る。正統的なボーカルという感じで快く聴けた。男性ボーカルってなかなかいいものだ。ボーカルを生かす老練な二人の演奏がうまい。
休憩になってすぐ横のテーブルに来られた玉川さんに、前に座った女性が「えくぼが可愛いかった」と言って和んだ会話になった。玉川さんはここへ来られる前にニューヨークへ行ってらしたそうで、〈ニカの家〉へ行ってきた話をしてくれた。ニカ男爵夫人の家がそのまま残っているとは知らなかった。その家から見える川の向こうにビル群がそびえ立つ写真を見せてもらったけど、セロニアス・モンクが眺めていた景色なんだよね。猫も一匹いたそうだ。ニカの愛猫の子孫かもしれない。
2ステージ目の最後にスキャットをやろうと西山さんが言うと、ニューヨークで歌ったとき、アフリカ系の客にあんたのスキャットは・・・と言われたと前置きして歌ったけど、そのおおよそがわかった。米の飯をやめてソールフードにしたら解決するような気がする。

終わってからもいろいろと身になる話を聞かせてもらい充分楽しめて、わたしはほんまにジャズが好きやねんなと思った。今夜はジャズも聴いたし社交もしたし、釣りはいらんぜ(笑)。

2008年04月04日

突然、バルバラの「ナントに雨が降る」

しょっちゅうハナウタをうなっている。いま流行りの歌は知らないから昔の歌である。小学唱歌(園のさゆり なでしこ 垣根の千草 と歌うのがお気に入り)から美空ひばり、「黒く塗れ」や「ブラディ・サンデー」などいろいろ。行ったことはないがカラオケに行ったとしたら「アカシアの雨にうたれて」を歌うだろうと思うが、これはハナウタでなくちゃんと歌えるので。お風呂でいつも歌っている。
アビー・リンカーンの「朝日のようにさわやかに」、ブリジット・フォンティーヌ「ラジオのように」もよく唇にへばりついている。「サマータイム」「クルセ・ママ」なども定番。いつも陽気なもんです、ほんとはネクラなんだが。

さっき、なにげなく口から出たのは、なんとまぁ「ナントに雨が降る」であった。なんでやぁ。これシャンソンやなと言いつつ、バルバラの名前が浮かぶまで苦労した。バルバラの暗いインテリっぽさが好きでLPレコードを持っていたが、CDになってからは聴いていなかった。〈突然炎のごとく〉に浮かんだ歌、当分こればっかりの予感がする。

2008年04月05日

和やかに、SUBのライブ

今日はお花見に出かけた人が多かったんだろうな。わたしは相変わらずの一日だった。午後遅く図書館へ行き、長い休館を前に本を借りてきた。帰りに長堀通りを通ったら、野ばらの丘があったのでびっくりした(そんなものあるはずないじゃん-笑)。

早めの夕食をして谷町9丁目のSUBへ行った。
2月の日野皓正と西山満&G.S.Bのワールドジャズキャラバン公演に行ったとき、若者たちの演奏が楽しかった。いちばん目に留まったのがアルトサックス奏者、18歳の早川惟雅(ゆいが)くんだった。今夜は彼や若手のミュージシャンがSUBでやるというので聴きに行った。
メンバーは横尾昌二郎(Tp)早川惟雅(As)奥村美里(P)西山満(B)。中心はベースの西山さん(75歳)であるが、あとは若手で最後の曲はベースも若手が入って、西山さんはチェロを弾いた。
若い人もうまくて生の楽器の音が心地よく聴けた。早川くんは2月のときはフリーに吹きまくってびっくりさせてくれたが、今日はゆったりと和やかに吹いていた。これからが期待される。今月もう一度京都まで聴きにいく予定である。

ニューヨークで個展を開いたF氏も来られていたし、終わってから西山さんと年配の客二人と雑談したり和やかな夜だった。

2008年04月15日

ハナウタうなって今日も行く

4月4日に〈突然、バルバラの「ナントに雨が降る」〉というタイトルで、いつもうなっているハナウタをカッコつけて書いたんだけど異議が出た(笑)。小林旭と石原裕次郎と高倉健を忘れてはいませんかと言うのだ。
そう言えば「アキラのずんどこ節」「おいらはドラマー」「網走番外地」を忘れとった。「映画見ようかお茶飲もか・・・」「おいらはドラマーやくざなドラマー」「あーかい真っ赤なはまなすの・・・」大得意を書き忘れてた。あっ、まだあった、「義理と人情をはかりにかけりゃ、義理が重たい男の世界」鶴田浩二かな。

思い出していくと、「ひなげしの花の首飾り」もよく歌う。なぜか日活、東映、グループサウンズくらいまではよく知っているのだ。
ドンドンドンガラガッチャン「ハリスの旋風」は外歩きのときの景気づけ。なぜか「巨人の星」も歌える。
最後に追加、「ダニーボーイ」「グリーンスリーヴス」も得意です。

2008年04月20日

ジャズラボ 第4回は京都「Le club jazz」にて

ジャズラボに行くのははじめてで、実は知ったのもはじめてだ。ジャズラボをプロデュースしている藤岡さんと親しくなったのと、去年の秋に細野ビルでの堀江音楽祭のジャズ公演で若者たちの演奏に感じ入ったのが重なって、京都まで行こうとなった。

久しぶりの京都である。わたしは去年の夏以来、相方は数年前にリスベート・ツヴェルガー原画展に行って以来だ。出不精も極まれり。京阪特急でピクニック気分。
会場の Le club jazz は三条大橋を渡って真っすぐ行って、寺町通を越えてすぐのところにあるというので、先に鳩居堂へ寄ったら日曜日はお休みなのであった。にしん蕎麦を食べて行ったらちょうどよい時間だった。

18:45〜 トラベルジャーナル(山田友和Trio)
19:30〜 須藤雅彦Quintet
20:15〜 木原鮎子Quartet
21:00〜 早川惟雅Trio
21:45〜 muz.quartet(川本睦子Quartet)
22:30〜 内藤大輔Quartet
という内容だが、帰りの特急電車の時間を考えて最後の演奏は諦めた。生田幸子さんのピアノが入るのに残念だった。

トラベルジャーナル(山田友和Trio)は、ボーカルの川本睦子さんが入った。オリジナル曲が多くてジャズっぽくなく、とても内面的な音。沖縄民謡の安里屋ユンタはすごい歌い方で惹きつけられた。
須藤雅彦 Quintet の演奏は賑やかで楽しかった。須藤さんのギターの達者なのにおどろいた。弦牧さんのドラムはSUBでしばしば聴いているが、不思議なユーモアがある。松元さんのベースは先日のSUBでも良かったが今日も頑張っていた。
木原鮎子 Quartet は達者なボーカルで馴れた感じ。
早川惟雅 Trio は、アルトサックスの早川くんが今回一番のお目当てだったが、想いを裏切らず、いや、それ以上の迫力でせまってきた。最初から飛ばし過ぎて、最後は水泳のあと50メートルでばてたって感じだったが、それも初々しくていい感じ。ドラムの樋口さんのフリーな叩きっぷりが好き。
muz.quartet(川本睦子Quartet)は、去年細野ビルで聴いたときよりもずっと大人っぽくてよかった。オリジナル曲もよかったし、アビー・リンカーンの曲も黒っぽくてステキだった。油がのってきたって感じ。

わたしは数年前にジャズと20年ぶりに再会して、それからは機会があれば聴いてきたのだけど、一回聴くごとに成長してきたように思う。最初はなんでもうなづいていたのがこの日記を読み返すとわかる。いまはかなり辛口になってきたけど今日の演奏はよかった。しかも、ジャズの多様性や未来について考えさせられた。

2008年04月28日

難波・JAZZ SPOT 845 にて山田友和グループの演奏を聴く

ジャズを聴きに行くたびに新しい出会いがある。今回の出会いの最初は去年の11月に細野ビルで行われた堀江音楽祭だった。若者たちの熱演を聴いてものすごく刺激を受け、これからは彼らの演奏を聴いていこうと決めた。すぐ後にエディ・ヘンダーソンが来日したとき谷町のSUBへ行き、オーナーでベーシストの西山さんと親しくなった。次いで「日野皓正を迎えて西山満&G.S.B」のコンサートで、若手の熱演におどろいた。中でもすごいと思ったのがアルトサックスの早川惟雅さんである。そして先日、早川さんの音が聴きたくて京都で行われたジャズラボに行った。ここまでが前置き。

京都のジャズラボはそれぞれ熱演だったが、最初の山田友和Trioのインテリっぽい演奏が良かった。帰りにできたばかりのCD「あおの出会う場所」を買った。家でしょっちゅう聴いているが、内省的でとても素敵な音である。
今日はCD発売記念ライブが難波のJAZZ SPOT 845 であったので行ってきた。
メンバーは山田友和(Tp)、川本睦子(Vo)、馬場孝善(G)、瀬川真悟(P)、坂崎拓也(B)、松田’GORI'広士(Ds)。
CDを何度も聴いているのでとても懐かしいような音だった。川本さんの声がトランペットの音と調和して素晴らしい世界を創り出していた。なんか中世の宗教音楽のような感じがするときがあった。ベースとギターも絶妙な調和を見せていた。5人ともそれぞれ達者で、関西のジャズってすごいんだと認識を新たにした。
山田さんは紺のスーツに白いシャツの清潔なスタイルでトランペットを吹いていた。オトコマエだし姿がいいしセンスはいいし、見た目がいいっていいもんだ。
そしてボーカルの川本さん、ボーカルに必要なのは知性と誇りだとひしひしと感じた。昔アビー・リンカーンを聴いたときに感じたことをいま思い出した。

ここまでで終わる今日がまだまだ続く。演奏が終わって難波から歩いて帰ったのだが、途中で喉が渇きビールを飲みにギロチンへ寄った。店主と話していると、ここにもボーカリストがいますよと横の女性を紹介された。なんとこの日記の最初に書いた細野ビルの堀江音楽祭に出ていた人だった。Cozy Orchestra のボーカルをやっていて、あのとき一番前に座っていた私らを覚えていると言う。自分たちの演奏を楽しんでいる人がいると、他のメンバーと話していたそうな。

2008年05月01日

山田友和グループのCD「あおの出会う場所」—神崎川の思い出

4月20日に京都で行われたジャズラボで、山田友和トリオの演奏を聴いたのがとてもよかったので、できたばかりというCD「あおの出会う場所」を買った。それ以来何度も飽ききずに聴いている。
28日は難波のJAZZ SPOT 845 へ山田友和グループのCD発売記念ライブに行った。ボーカルの川本睦子さんとともにのった演奏で満足させてくれた。

その中の1曲のタイトルが「神崎川」なのである。そう、淀川のもうちょっと北にある川だ。落語の「池田のしし(猪)買い」で「十三の渡しを渡って三国の渡しを渡って」という三国の渡しの川である。
私の家族が大阪大空襲で西区の家を焼かれて落ち延びたのが、神崎川を渡ってずっと歩いていったところだった。阪急で神崎川は神戸線、三国は宝塚線だ。宝塚線は少し上流になる。最初はきれいな川だった神崎川が産業の発展とともに汚れていった。だからわたしの知っている神崎川はものすごく汚い川だった。

それから年月が経ち、あちこち引っ越したあとで西区に住むようになった。神崎川は姉の家に行くとき地下鉄で渡るくらいになった。
その後に神崎川を近くで見たのは阪神大震災の被災者の仮設住宅が、淀川区十八条に建てられたときである。週末ボランティアの一員としての訪問だった。川のほとりの荒涼とした工場跡に仮設住宅が並んでいた。
いまから3年くらい前に下新庄にある整骨院へ通うようになって神崎川に目覚めた。駅と反対側に歩いていくと堤防とぶつかる。きれいな橋が吹田市とつながっている。堤防を歩いたのは何十年ぶりかと感激した。雑草が風にそよいでまるで蕪村の心境だった。
いまは堀江の整骨院を見つけたので電車賃のかかる下新庄まで行ってないが、神崎川の堤防を歩いてみたい。「あおの出会う場所」の神崎川は下新庄の向こう岸あたりだと思う。

2008年05月03日

堂島 Mister kelly's にて 坂崎拓也リーダーライブ

4月28日に山田友和グループのライブがあった。その帰りにベースの坂崎さんに5月3日に Mister kelly's でやるからと誘われた。メンバーを見たら、もう少ししたらニューヨークへ行くことが決まっている早川さんが入っていて、もう一度聴けるのなら行こうかとなった。それにドラムの樋口さんは去年細野ビル以来何度か聴いて気に入っている。これは連休一番の楽しみだ。

夕ご飯を食べてから梅田へ出かけた。 Mister kelly's は堂島のホテルの中にあるジャズスポットである。
メンバーは、坂崎拓也(b)、早川惟雅(as)、馬場孝喜(gt)、杉山悟史(pf)、樋口広大(d)で、7時30分と9時15分からの2ステージ。
聴き慣れたサイドワインダーのメロディからはじまったのでびっくり。それぞれのプレーヤーが熱演で楽しいけれど、第1ステージが終わった時点では、渾然一体という感じがしなかった。それが第2ステージになってからとても調子良くなり楽しめるようになってよかった。

18歳のアルトサックス奏者、早川惟雅(ゆいが)さんは、このあとお別れライブがあって、それからニューヨークへ行く。帰りしなに、帰りを楽しみにしているからしっかり勉強してやと励ました。2月にあった「日野皓正を迎えて西山満&G.S.Bのジャズコンサート」に出ていた早川さんが気に入り、今日で4回聴いたわけだ。

会場が冷房で寒かった。これからは冷房対策をきちんとしないとやばい。帰りは地下鉄で冷えるよりも歩いて温まろうと、西梅田から朝日新聞社前にでて、川端の遊歩道を通って美術館、科学館の前を通ってナニワ筋へ出た。そのあたりから暑くなってきてやれやれ。歩いたらお腹が空いたけど、まっすぐ家に帰った。

2008年05月09日

不思議な世界へ誘う SUB

ひとりでぶらっとSUBへ行って、西山満さんのベースと竹田一彦さんのギターのデュオを聴いてきた。基本的に金曜日はお二人の出演日になっている。
SUBへは電車がうまくいくと20分で行ける。ちょっと早く着いて「ロリータ」を夢中で読んでいるうちに演奏がはじまった。
自分より年上の人の演奏を聴く機会は滅多にないから気分ええやろと言われているが(笑)、この二人の演奏は不思議な世界を見せてくれる。目の前でマイクを通さずに聴く音はほんとになめらかで美しい。
今夜2曲目の「ブルーモンク」を聴いていると、はじめてこの曲を知った「真夏の夜のジャズ」のセロニアス・モンクの姿が浮かび、口ずさみながら北八ヶ岳を歩いた記憶が甦ってきた。
1ステージを終えてそばにこられた竹田さんに、このレコードを買ってすり切れるほど聴いた話をした。まだLPレコードとちゃいましたよね、と言うと、あれはドーナツ盤やなかったかなという答え。そばにいた竹田さんのお弟子さんは唖然としていた。だってLPレコードに針をおとした経験がないっちゅうの(笑)。
演奏が終わってからはお二人を若者とともに囲んでジャズ談義を拝聴。そりゃもうユーモアたっぷり毒舌ばっちりで楽しかった。

2008年05月16日

竹田一彦ギターソロをSUBで

毎週金曜日のSUBは西山満さんのベースとのデュオなのだが、今日は西山さんがソニー・ロリンズのコンサートへ行かれたので竹田さんのソロになった。ギターソロってどういうものか興味がわいてふらりと行ってきたのだが、なかなかええもんやった。
ギターのお弟子さんがたくさん来られていて、若者の中に少しだけ年配者がいるという配置だったが和やかでいい気分。終わる前に西山さんや若者たちがもどってきて賑やかになった。最後にリクエストされたブルーモンクを西山さんと二人で演奏されたのがすごくよかった。これがジャズのノリというもんだわ。
今日は聴きたい曲があればと言われて何曲かリクエストで弾かれたが、最後の前に竹田さんが「おかあさん(なんじゃ?)なにかある?」とこっちを向かれた。リクエストを募ったときにこれっと頭に浮かんでいたので、すぐに「グリーン・スリーブスを聴きたい」と答えた。
熟練のギターによる「グリーン・スリーブス」よかった〜。ジョン・コルトレーンのと、映画「ラスト・ワルツ」の最後に流れていた演奏が気に入っているが、ギターソロもよかった。

2008年06月05日

川本睦子さんの歌を聴きにSUBへ 宮上啓仁Trio+1

去年の11月に細野ビルで催された堀江音楽祭で、川本睦子さんのヴォーカルを聴いたときに名前を覚えて、今年は今日で三回聴きに行った。
京都でのジャズラボのときは山田友和トリオに入っての歌がめっぽうよかった。次に難波845における山田グループのCD発売記念ライブが二度目。終わった後に声をかけ、良かったという感想をブログに書いて、いまやミクシィのマイミクになっている。
その二回で川本さんの歌について感じたのは、山田さんの曲がインテリっぽいということもあって、知性と誇りをもった歌い手だなってこと。似た感じの歌い手としてアビー・リンカーンを思い出していた。

今日は谷町9丁目のSUBで若者たちの演奏、宮上啓仁(B)Trio+1(奥村美里(P)、弦牧潔(D)、with 川本睦子(vo))があった。
わたしは数年前にジャズに復帰してからは、この日記の音楽アーカイブを読めばわかるとおり、行き当たりばったりに聴いていてまだ照準があっていなかった。そういうとき堀江音楽祭で若者たちの演奏を聴き、若者がこれだけ熱を入れてジャズをやるということに驚いた。
いまやこうして若者たちに混じりジャズを聴いている。かなり聴くべきものがわかってきたような気がする。

今夜の演奏はスタンダードばかりですごく気楽に楽しめた。ベースの宮上さん、ピアノの奥村さんのほんとにスタンダードな演奏とちょっとハメを外しそうになる弦牧さんのドラム。そして、川本さんの声には黒っぽさがあって、山田トリオのときと違うジャズのスタンダードの楽しさを聴かせてくれた。

今日の演奏の感想というより、わたしのジャズ聴きの遍歴になってしまったが、こういう順序を踏んで今夜の演奏を楽しめる自分になったということを書きたかったので。

2008年06月28日

中山康樹さんトークイベント「マイルスの夏、1969」 難波845にて

Bitches Brew「マイルスに聴け!」で知られるジャズ評論家、中山康樹さんのトークイベント「マイルスの夏、1969」が難波のジャズスポット845であったので行ってきた。マイルス・ディヴィスの「ビッチェズ・ブリュー」が誕生した1969年がいかに重要な年だったかを、関連の音楽を聴かせながら情熱的に語られた。
プロデューサーのテオ・マセロのこと、そして彼の音楽がかかる。アラン・ダグラスはこれから語られるべき人ということ、また彼の妻のステラのブティックがヒッピー・ファッションを扱っていて、マイルスはスーツを脱ぎ捨てここで服を買ったという話。ギル・エヴァンスのこと、ジミ・ヘンドリックス、ハービー・ブルックス、ジョー・ザヴィヌル。解説とともにそれぞれの曲を聴かせてもらい、わかったような気になった。

マイルスは我々よりもずっと先を行っていて、1969年から40年経ったいまようやく、「ビッチェズ・ブリュー」のことを聴き手がわかるようになったと中山さんはおっしゃる。また「ビッチェズ・ブリュー」は見晴らしのよい曲で、聴いているとマイルスが見えてくるとも言われた。

お話もおもしろかったし、それぞれの音楽もとても勉強になって楽しい午後だった。主催者の「ジャズやねん関西」さん、ありがとうございました。

1969年という年は社会が揺れ動いた年だった。その年にマイルスが素晴らしい音楽を残したのは、偶然ではないとわたしには思える。わたし自身も忘れられない揺れ動いた年だった。

2008年06月30日

今度の日曜日は昼も夜も

戦後日本のジャズ文化―映画・文学・アングラ先週の土曜日、中山康樹さんのトークイベントでもらった資料の中に「マイク・モラスキー氏トークイベント」のフライヤーがあった。テーマが「日本のジャズ喫茶文化について」となっている。会場のブックカフェ・ワイルドバンチにさっそく予約した。
わたしにとって60年代から70年代はジャズ喫茶の時代だった。特に70年代前半は毎夜ジャズ喫茶で過ごしたと言っても過言ではないくらい。
そのジャズ喫茶文化についてマイク・モラスキーさんが語るのだから、これはなにを置いても聞かねばならぬ。だって、「戦後日本のジャズ文化—映画・文学・アングラ」がすごくよかったから。この本を待っていたのだと読みながら思った。
ああ、楽しみ。

夜になったら梅田のロイヤルホースに行く。ミクシィで知り合ったNさんが誘ってくださった。ニューヨークからドラムのニューマン・テイラー・ベイカーさんを迎えてのライブは、前から聴きたいと思っていたトランペットの行本清喜さんとの共演。
ああ、楽しみ。

2008年07月02日

中山康樹「マイ フェイヴァリット ジャズ 30」にアルバート・アイラー「ラヴ・クライ」があった

昨日書いた中山康樹「ジャズメンとの約束」(集英社文庫)には、単行本にはない中山さんの「マイ フェイヴァリット ジャズ 30」の紹介が最後についている。もちろんマイルス・デイヴィスがいちばん多い。
アルファベット順だからだけど、最初にアルバート・アイラー「ラヴ・クライ」があったので驚いた。「ラヴ・クライ」はわたしがもっとも聴いたアルバート・アイラーである。LPレコードを処分してからCDを買ってないので、ジャケットの写真が懐かしい。
当時のフリージャズファンからはあまり評価されていなかったこのレコードの、どこが良かったかと言われると、あっけらかんとしたところ(笑)。70年代のわたしの気分だったのだろう。文化住宅の湿った部屋の貧しいステレオ装置で繰り返し聴いていた。
「マイ・ネーム・イズ・アルバート・アイラー」も好きで、これはいまもよく聴くのだけれど、「ラヴ・クライ」は聞き過ぎたせいかあまり聴く気にならない。

2008年07月06日

楽しさてんこもりの一日

11時過ぎに帰宅したのだけれど、シャワーの後なにかニュースがないかテレビをつけたらウィンブルトンの男子決勝フェデラーとナダルの試合をやっていた。何気なく見たらナダル優勢ななものでずっと見てしまった。さっき雨が降ってきて一時中断になったので、これ幸い(?)とテレビを切った。ナダル、カッコ良過ぎ。さぁ、ブログとミクシィ日記を書かなきゃ。

午後からマイク・モラスキーさんのトーク「日本のジャズ喫茶文化—反懐古趣味の視点」を聞きに天神橋6丁目のブックカフェ ワイルドバンチへ行った。モラスキーさんはユーモアをたたえた流暢な日本語で話された。詳しくは後日書くことにする。
一時間半のトークのあと休憩があり、そのときの雑談に阿部薫の話をしたら、その関連でジャズ喫茶マントヒヒの話を聞かせてほしいとのことで、質疑応答のあとにさらっと話した。終わった後に場所を変えることになり、わたしらはこれで失礼すると言ったら、モラスキーさんにあなたがkumikoさんかと聞かれた。検索したら「今度の日曜日は昼も夜も」が出てきたそうだ(笑)。

天六商店街の中華料理店でご飯を詰め込み、地下鉄で東梅田へ出て兎我野町にあるROYAL HORSEへ。Nさんとお友だち二人と初対面の挨拶を交わした。
ニューマン・テイラー・ベイカーさんを迎えてのライブは素晴らしかった。トランペットの行本清喜さんはニューヨークでドン・チェリーと交流が深かったということだが、演奏を聴いているとドン・チェリーの影響を感じた。これも詳しくは後日書く。

昼も夜も、楽しさてんこもりの一日だった。

2008年07月07日

マイク・モラスキーさんのトーク「日本のジャズ喫茶文化—反懐古趣味の視点」から思い出したこと

昨日の午後、天神橋6丁目のブックカフェ ワイルドバンチであったトークに行った。彼の本「戦後日本のジャズ文化—映画・文学・アングラ」に共感するところが多かったからお顔を拝見したい。そしてテーマの〈ジャズ喫茶〉にはこんなことを研究するのかと驚きつつ、ジャズ喫茶全盛期に生きた者として、なにをしゃべるか聞きたい(笑)。

マイク・モラスキーさんは流暢な日本語で語り、日本語の本を出してはるのやから当たり前やけど、メモをとるのも日本語で漢字もさっさと書かれてました。

レジュメをいただいたのだが、レコード盤のように、論点がSIDE 1、SIDE 2に分けてあるのがおしゃれ。SIDE 1は、ジャズ喫茶をどう定義するかから、ジャズ喫茶の多面性、モダンジャズ喫茶の変貌など。SIDE 2は、ジャズ喫茶の歴史と変貌、音源メディアの関連性、ジャズ喫茶研究の諸問題、仮設的結論、最後に「恥知らず自己宣伝」と題して、8月から筑摩書房のオンライン雑誌に研究の結果を発表するということ。(はじまったらお知らせします。)

話の入り口は若いときに新宿駅の群衆の中を歩いていたときの孤独感と、漏れてくるジャズの音に誘われて地下への階段を下りジャズ喫茶に入ったこと。そこからジャズ喫茶ってなんだろうとなっていく。
黙って大音量のジャズを孤独な姿勢で聴いている若者たち。そこは異空間だった。現実社会ではアウトな人がここではインだった。はっはっは、思い出します、そこにわたしもいたっけ。そこは男性社会だったから、わたしは名誉男性になってた(笑)。たった一人の女性だったこともしょっちゅう。

70年代になって相方とともに常連となったマントヒヒはちょっと違っていて、常連さんどうしでよく遊んだ。二回目に行ったときからマスターと懇ろになり、店が終わってからわが家で続きの酒盛りをやった。半数くらいの常連に彼女がいたのでけっこう女性客も多かった。
夜中に古い車で出かけ明け方に白浜に着いて海でごろごろしたこともある。京都でのライブにはしばしば行っていた。来日ミュージシャンのコンサートも連れ立ってよく行った。アート・アンサンブル・オブ・シカゴ、ガトー・バルビエリ、セシル・テーラー、アビー・リンカーン、カーメン・マクレエ、その他。
日本維新派の芝居を見たり役者たちといっしょに遊んだり、そして阿部薫と知り合った。
月日は流れ、16歳で社交界(ジャズ喫茶のことやけど)デビューした可愛い子がおっさんです。

2008年07月08日

梅田ロイヤルホースにて7月6日「NewmanTaylorBaker Singin' Drum Tour 2008」

ミクシィで知り合ったNさんのお誘いで行ったのだが、ほんとに行ってよかった。ジャズを再び聴きだしてからほぼ4年、わたしはどんどん前へ進んでいっていると感じる。

ロイヤルホースに行くのははじめてだ。わたしらにしたらちょっとメジャーな場所という感じ。
午後はずっとワイルドバンチで座って話を聞いていた。夕方、天六商店街を歩いて中華料理店で晩ご飯を食べてから、地下鉄で東梅田へ行き、回り道だが懐かしの阪急東通り商店街を通って兎我野町へ。

ロイヤルホースは天井や壁にジャズの音がしみ込んでいるような落ち着いた雰囲気。6時半に行くとNさんとお友だち2人が来ていて初対面の挨拶。ミクシィで毎日のように日記を読み合っているからずっと前からの知り合いでもあるような。

メンバーは
ニューマン・テイラー・ベイカー[Drums&Perc.]
 行本 清喜[Tp&etc.]
 古谷 光広[Sax]
 白山 貴史[G]
 谷中 秀治[B]

はじまったらすぐに惹き込まれていった。みんなそれぞれのプレーヤーがすごく達者なのだ。トランペットとアルトサックスが並んで吹くのは景気がよくて大好き(笑)。細い音がなかなか消えていかないベースがステキ、語りかけるようなドラムがステキ。ギターが頑張る。
2曲目の「マイ・フェバレット・シングス」は大好きな曲、おおいにのってのりまくり。
1ステージが終わると、ミュージシャンたちがお客のほうへ出てきてあちこちで歓談している。Nさんに行本さんを紹介していただいた。ベーカーさんにも握手をしていただいた。

第2ステージはもう一つ大きく楽しく演奏がはじまり、じゅうぶんにのせておいて、最後の曲はフリージャズだった。これには驚愕した。行本さん、古谷さんが吹きまくる。支えるドラムがあるから自由に吹いていけるし、ベースが語れる。ドラムの重要なことがよくわかった。迫力ある演奏をみんなじっと聴き込んでいて終わると大拍手。フリージャズをライブで聴いたのは30年ぶりくらいだ。昔はもっと荒削りだったが、この夜は洗練された音になっていて時代と歴史を感じた。

そしてアンコールの「聖者の行進」で、相方はベイカーさんのガールフレンドに誘われるように立ち上がり踊りだした。
吹きまくった後は歌いまくりの行本さんは、背が高くてがっちりしていて、波打つ長髪が背中にかかりカッコ良かった。ニューヨークでたくさんのアーティストやミュージシャンと過ごした過去が背中ににじんでました。

2008年07月18日

久しぶりにSUBで和んできました

今日も暑い日だった。昼過ぎに行った整骨院で治療中ににわか雨が降ったようで、帰りは道が濡れていた。降ったわりには涼しくなっていない。
晩ご飯を早めに食べて、一人で久しぶりにSUBへ行き、西山満さんのベースと竹田一彦さんのギターのデュオを聴いてきた。

地下鉄谷町九丁目で降りて駅から外へ出ないで行けるから、全然地理が覚えられないのが玉にキズだが便利である。10分前に着いてドアを開けると別世界が広がる。注文したビールがくると演奏がはじまった。
このお二人の演奏は、いつも思うんだけど、なんかとても清浄な感じがする。実際はものすごい苦労をしてきはったやろけど、二人で並んで楽器を奏でていると、実生活とかお金の心配とかを超越した音が聴こえてくる。なんかねぇ、とても幸せな気分になるのだ。

ステージの間と終わってからと西山さんの雑談の相手をした。指が変形しているのを見せて、自己流でベースを弾き出したからだという。ちゃんと教則本を読めばこうならなかったそうだ。たった一冊その本が楽器店にあるのを見たのだが、一カ月の収入の半分の値段だったから買えなかった。戦後の混乱の時代に進駐軍のジャズバンドで演奏したのがはじめで、独学で会得したベースがいまにつながっている。

顔を見るたびに、1961年アートブレーキーが来日したとき行ってはった人やからと言うてくれる。わしも行ってたで、竹田さんも行ってはったんやでと話が続く(笑)。

今日は帰りしなに店番の若い女性とはじめて話をした。ここで働いている人はみんなミュージシャンである。荘司幸恵さんはピアニストだとのこと。次にSUBで演奏をするのは8月13日だそう。

2008年07月27日

細野ビルジャズライブとその後のピクニック

午前中は風が通って涼しかったので、本を持って横になったらすぐに熟睡していた。午後は暑くなった。今日の最高気温は36度だったとのこと。

早めの夕食を食べて細野ビルへ行った。今夜はジャズライブの日だ。会場にはミクシィ友だちのAさんが夏の着物で彼氏と来ていた。アーティストや顔見知りがいて和やかな雰囲気である。演奏は岩本ヒロユキ (Ds)、柴田達司 (G)、堂迫康雄 (P)、田代泰之 (B)、和やかな演奏にゆったりした。柴田さんのボーカルとハーモニカが和やかさを増していた。

演奏が終わったら、裏庭でピクニックとなった。テーブルが出され、コンロが置かれ、ソーメンを茹でる準備とたこ焼きの準備。ワインとビールが供されておしゃべりに花が咲くうちに、ソーメンとたこ焼きができあがる。
食べてしゃべって夜が更けて、最後は細野さんと近所の青年と12時過ぎまでバカ話に花を咲かせた。

2008年08月13日

スイングしてる SUBの荘司幸恵トリオ

先日SUBへ行ったとき、店番をしている荘司さんとはじめて話をした。きっとミュージシャンだと思っていたが、ピアニストだった。今度やるときは聴きにくるわねと言ったので、ちゃんと日にちを忘れずに今夜行った。
荘司幸恵(P)、鈴木一郎(G)、財 盛紘(B)の3人で、西山満さんがチェロで加わった。彼らは西山さんが指導していて、年代的にいうと孫世代になる。
頭の中には、よくなければなんて言おうなんて考えている部分もあったが、どうしてどうして、とてもよかった。スイングしてるって感じた。2ステージとも終わりの曲を、客で来ていたボーカリストの太田“AHAHA”雅文さんが加わってのスキャットがとてもよかった。
1ステージが終わったときに太田さんに曲名を聞いたら「Puttin' On A Pot(GEORGE DUVIVIER's Blues)」(ジョージ・デュヴィヴィエと読む)。

荘司さんのピアノはとてもノリがよくてスイングしてる。鈴木さんはちょっと年上らしく達者なギター、弱冠18歳の財さんの懸命なベースに老練な西山さんのチェロが導いていく。
お客さんたちもよくノッていて、ステージの合間や前後の会話も楽しかった。iPhoneも見せびらかしたし(笑)。

2008年08月31日

梅田JAZZ ON TOPにて、ムツカルテットCD発売記念ライブ

muz.quartet夕方からヴィク・ファン・クラブ会員で友人のUさんと梅田JAZZ ON TOPのムツカルテットCD発売記念ライブに行った。
ムツカルテットのメンバーは川本睦子(vo)大友孝彰(p)宮上啓仁(b)吉川元(d)。若くて知的でメンバーの気の合い方が半端でない。

川本睦子さんの歌は、去年の11月に細野ビルであった堀江音楽祭のムツカルテットの演奏ではじめて聴いていいなと思った。それから今年の春に京都のジャズラボで聴いて、次に難波のジャズスポット845の山田友和グループのCD発売記念、その次に宮上啓仁Trio+1をSUBで聴いた。今夜は5回目である。その前にCDの中の一曲「Throw It Away」をFM放送で聴いた。

「新月の夜」からはじまったライブは、CDの曲のほかにスタンダードナンバーも入って、最後に「蘇州夜曲」で第一部が終わり。楽しいMCで休憩中にCDを売る根性は見上げたもの(笑)。わたしも1枚買いました。
第二部はお客さんも盛り上がっていい感じになっていった。最後の曲はアビー・リンカーンのなんだっけ?まじめな曲だったがぴったり。わたしは川本さんは先を行くジャズ歌手に例えるならアビー・リンカーンだと思っているのだがあたりだった。
「Throw It Away」はラジオで聴いたときはシャンソン風と思ったが、ライブではそうでもなく、しかし帰ってからCDを聴いたらやっぱりシャンソン風に感じた。ブリジット・フォンテーヌっぽいかな。

2008年09月01日

いまがいい

ラジオのように昨日のムツカルテットの演奏はとても清潔感があって気持ちよかった。川本さんの歌はカジュアルできりっとしている。ジャズボーカルという言葉から連想する重さがないところがいい。

昨日の最後にブリジット・フォンテーヌっぽいと書いた。ブリジットとアレスキのカップルのレコードでいまあるのはCDで買い直した「ラジオのように」だけだけど、ジャケットもステキで手放せない。彼らの暮らし方についても推測で、こちらも推測なんだけど、川本さんの暮らしを連想させるところがある・・・。

そんなことを考えているうちにいろいろと昔のことを思い出した。70年代のジャズ喫茶で知り合い関わったジャズミュージシャンたちのこと。奔放な人が多かったし、ちゃんと家に奥さんがいるのに奔放な振りをしている人もいた。外で飲むだけではなくて、彼らの家に行くこともありわが家で飲むこともよくあった。うちはカップルで行動しているので来やすかったのだと思う。
70年代後半には彼らとの中は途切れてしまいいまに至る。

数年前からまたジャズを聴き出して、ジャズミュージシャンとの交流もあるようになったが、年齢差もあるけれども、昔のようなヘンな親密さでつき合うこともない。さらっとしてる。これが〈いま〉なんだろう。世の移り変わりを感じるが、いまがいい。

2008年09月04日

誕生日で、ヴィク・ファン・クラブサイト10周年

年ごとに華やかになる誕生日。ひとさまと比べたらなんということではないだろうが、わたしとしては年ごとに華やかになっている感じ。
今年はヴィク・ファン・クラブサイトを作ってから10年というおまけまであり、誕生日祝いの言葉とともにサイトの持続へのお祝いもいただけた。
サイトのトップページにいってくださいね。相方が誕生祝いにつくってくれた。
これからは少しは手入れし新しい原稿も載せていこうと思っている。

ミクシィに入ってからネットで知り合った人とマイミクになり、リアルで知り合った人もミクシィに入っていると聞いたらマイミクになり、どんどん交友が広がり深まっている。毎日このブログを書いたらミクシィ日記を書くことにしている。しんどいときもあるが、楽しみにしてくれている人もいるので欠かさず書いている。

今日は外でご飯を食べようかと言っていたが、マイミクの歌い手川本睦子さんがSUBに出演と日記に書いてはったので、食事は家で食べてそちらへ行くことにした。
メンバーは、川本睦子(vo)、奥村美里(pf)、宮上啓仁(b)、弦牧潔(ds)。スタンダードナンバーが多いゆったりとしたライブで楽しかった。休憩時に誕生日祝いにリクエスト曲を歌ってくれるというので「いつか王子さまが」をお願いしたら、その前に「ハッピーバースディ くみこさん」と歌ってくれ、それから「いつか王子様に」になった。みなさんに祝ってもらって嬉し恥ずかし(笑)。

2008年09月17日

Session in sunsui という体験・・・踊らなソン

細野ビルのイベントで知り合いミクシィ仲間になっている西村さんやmegumiさんらのアートイベントが鰻谷のクラブサンスイであった。深夜から明け方までではなく夕方5時から10時という時間で、ライブアート、ベリーダンス、DJ、ライブと盛りだくさんなイベントである。
わたしは膝痛を抱えているので立ったままがしんどく、クラブには行ったことがなかったが、7時過ぎに行って10時なら大丈夫かなと相方と出かけた。
入ったら西村さん一家4人が踊っている。家族的雰囲気に安心して飲み物をもらい展示物を見て、ソファのところへいくと、DJのkawaseさんがシャンペンを開けたところでお相伴させてもらった。kawaseさんのDJを聴くというのが今夜の目的の一つである。

すぐにDJがはじまった。すごくエキサイティングで体が自然に動く感じ。西村さんの息子さんの拓人くんが車椅子で踊っているので、その側でいっしょに体を動かしていた。わたしも彼もノリノリ。拓人くんをお父さんが連れにきてからはホールの真ん中あたりへ出て手足を動かしていたが、気持ちはジンジャー・ロジャースなので、いつの間にか手を胸の前にあげていた(笑)。横の若い女性が「カッコいいですね」と言うのでわたしのことかと思ったら「だんなさん」と言うのであった(爆)。

そのあとはmegumiさんとお連れのベリーダンス。megumiさんの上品な色気に感心して見入っていた。お連れのほうはとても上手なのだが色気が不足のような気がした。
それで立っているのは精一杯、ライブのときは外のソファで聴いていた。クラブ遊びをするには減量して体操せねばと痛切に感じた(笑)。

満足感いっぱいで帰る途中で辛いもんやギロチンに寄って、いっぱいやって11時に帰宅した。

2008年10月03日

妙なる調べ SUBのデュオ+1

久しぶりに谷町9丁目のSUBへ一人でぶらりと行き、西山満さんのベースと竹田一彦さんのギターのデュオを聴いてきた。二人の絶妙に息のあった演奏を気軽に聴ききにいけるのは幸せなことだ。妙なる調べが延々と続くのを体を揺すって聴いているとほんとにいい気分。後半は若い横尾昌二郎さんのトランペットが入って楽しい演奏だった。

今夜の客は熟年の人が多く、一人のかたは20年ぶりに来たとおっしゃる。「西山さん少しも変わってませんね。あのころと店内も全然変わってないし」。西山さんの答えは「白髪が増えてなぁ。店は38年間そのままやで。掃除はしてるけどな」。
和気あいあいとしたお客とミュージシャンの会話を楽しめていい夜だった。iPhoneも見せびらかしてきた(笑)。

家でCDを聴いているとすぐに用事を思い出して落ち着かない。いまはiPhoneでマリア・カラスを聴いていていい感じなんだけど、他のことををしつつだし。ライブはその点集中して聴けるからよい。昔からライブが好きだったし、ジャズ喫茶も好きだった。

2008年10月12日

堀江音楽祭のジャズイベント「細野サウンドトラック」は「女性ジャズアーティスト新時代!」

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hosono_bldg.jpg去年の堀江音楽祭はわたしには衝撃だった。若いジャズミュージシャンの元気のよい演奏におどろき、これから聴くべき音楽がわかった。この1年はかなりの若者の演奏を聴いて、そのまじめな勉強ぶりに感心した。まじめすぎるのが欠点だと感じたりもした(笑)。

「女性ジャズアーティスト新時代!」というタイトルにも惹かれた今回、女友だちのUさんとSさんを誘って早くから行って一番前に座った。Sさんはピアノの大友さんのファンなので、ピアノの真っ正面に座れて感激、そして熱演を見て涙ぐむというドラマティックな夜になったのであった。

今夜の演奏は女性ジャズアーティストの5バンド、演奏順に書くと、
妹尾美里トリオ(妹尾美里(p) 浦田和史(b) 斉藤洋平(d))、ピアノの妹尾さんのオリジナルばかりの演奏。花や月など自然をテーマにした曲が多かった。
遠藤真理子デュオ(遠藤真理子(as) 名倉学(p))、遠藤さんのアルトサックスがよかったし、名倉さんのピアノもグッド。
木原鮎子カルテット(木原鮎子(vo) 須藤雅彦(g) 松元敬志(b) 弦牧潔(d))、この春京都で聴いた木原さんの達者なスタンダードナンバーが楽しかった。弦巻さん、松元さんはSUBで顔なじみ。
古山晶子カルテット(古山晶子(ts) 永田有吾(p) 光岡尚紀(b) 吉川元(ds)、テナーサックスの古山さんを中心にした演奏。女性がサックスを手にするだけでカッコいい。
ムツカルテット(川本睦子(vo) 大友孝彰(p) 宮上啓仁(b) 吉川元(d))、CD発売記念のライブに行ったし、川本さんと宮上さんをSUBで聴くなど親しみがあるし、CDもよく聴いている。今日はとてもテンションが高く、真ん前の大友さんのピアノはのっているし、ベースとドラムも好きだ。川本さんは歌がうまい。1年前に聴いたときよりもずっと上手になったという言い方はおかしいかな。

座っていた時間は4時間半、終電に間に合うようにUさんが帰って、あとは3人でギロチンへ行った。ネットニュースに流れたせいで満員かと思ったが、どうやら座れて顔見知りもいて、たのしく夜食を食べた。


※主催者のTakao Fujiokaさんから写真をいただきました。
上の写真は木原鮎子カルテット演奏中。みんなのりのりで聴いてます。
一番前の左に座っているのがわたしです。
下は開場前の細野ビルヂング。
ビルの前で横向きなのがわたしです。始めて細野ビルへ来られた方に説明しているところです。しゃがんでいるのが相方です。秋の夕方の雰囲気がステキでしょ。

2008年10月14日

ムツカルテットそして川本睦子さん

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mutsu-qur2.jpg何度も書いているが、去年細野ビルヂングで行われた堀江音楽祭ではじめてムツカルテットを聴いた。このときの演奏で若手の中で確固たる地位を占めているのがわかった。終わってから川本さんに紹介してもらったときは歌のうまい元気な女の子だなという印象だった。
彼らのライブに行きたいねと言いながら機会がなかったが、4月に京都で行われたジャズラボにはムツカルテットのほかに、2月に聴いてファンになった早川惟雅Trioも出るしと、重い腰を上げて京都へ行った。はじめて聴いた山田友和トリオで歌う川本さんは日本語が明晰で素晴らしかった。そしてムツカルテットでは知的に歌った。5カ月の間に一皮むけはったと感じた。
それから1週間ほど後に山田友和トリオのCD「あおの出会う場所」発売記念のライブがあり、また聴くことができた。そのときの感想を彼女のブログにコメントしたのがはじまりで、顔を覚えてもらいミクシィでも友だちになった。その感想は川本さんの歌に〈知性と誇り〉を感じたというもの。例えるならアビー・リンカーンの感じなのだが、彼女自身アビーの歌をよく歌っているので当っていると思う。

その後6月のSUB、奥村美里さんのピアノ、宮上啓仁さんのベース、弦牧潔さんのドラムのときはスタンダードナンバーが黒っぽい感じでよかった。やっぱりアビーだ。
そして8月、梅田JAZZ ON TOPのムツカルテットCD発売記念ライブ。4人の気の合いかたがすばらしい。川本さんのカジュアルな歌い方がステキだった。
帰ってからCDを聴いたら、「Throw It Away」って曲はシャンソン風で、ブリジット・フォンテーヌを思い出した。アビーとブリジットはわたしの最高に好きな歌手なのだ。

先月のわたしの誕生日にはSUBで誕生祝いに「ハッピーバースディ」と「いつか王子様に」をリクエストして歌ってもらった。
そして、おととい12日は2008年の堀江音楽祭だった。素晴らしい成長ぶりを目の前にしてうれしかった。
お互い「高慢と偏見」のコリン・ファースに〈とろける〉ことがわかったのもうれしいことだ。


※主催者のTakao Fujiokaさんから写真をいただきました。
上の写真はムツカルテット。
下の写真は川本睦子さん。

2008年10月18日

土取利行「縄文・旧石器時代への音の旅」古代音楽レクチャー トーク&サウンドデモンストレーション(細野ビルヂング)その1

○70年代の二人のドラマー
今年の3月に日野晃のドラムソロを聴きに行った。今日は土取利行のトーク&サウンドが細野ビルヂングであった。二人とも70年代前半に京大西部講堂で熱中して聴いたドラム奏者である。二人の音楽はまるで違っていて、わたしは日野のダイナミックな音が好きで個人的にもつきあい、大阪のジャズ喫茶やホールで何十回となく聴いた。土取のほうは東京からきたバンドのドラマーがいなくて土取になったような気がするが、それが第一回だった。間の取り方が独特ですごいと思った。二回目はミルフォード・グレイブスとの共演で、二人とも間合いをとった演奏だった。ミルフォードは玄米食だと聞いたけど、ほんまに玄米やなと思ったものだ。
そのときのわたしの好みはフリージャズからパンクにいったくらいだから、叩きまくるドラムが好きだった。だから二人のうちどちらかと言えば日野晃なのだった。
日野が武道家となってから疎遠になったし、土取とは違う方向に向いたままだったので、二人の音楽と接することもなく年月が経った。
それから30数年、日野は熊野、土取は郡上八幡、二人とも同志ともいうべきパートナーと暮らして、それぞれ独特の分野で名を成している。日野はフレデリック・フォーサイス、土取はピーター・ブルックと二人ともヨーロッパの演劇人に認められて名を挙げたところも似ている。
こちらは全然状況が変わらず、いまだに街の剣客商売屋さんをしている(笑)。

○古代音楽レクチャー トーク&サウンドデモンストレーション
フライヤーよりずっと若々しく登場、聞き手はほとんど若い人であるのに驚いた。女性のほうが少しだけ多かったかな。7時半から始まって2時間以上は話し続け、テレビで放映されたものを映し最後は縄文土器の材料で作られた太鼓(土器)を演奏したのだから、すごく体を鍛えてはるのだと思う。
携帯電話のぶるぶるもダメで電源を切るようにときつく言ってたけど、ときどきカメラのシャッター音が聞こえていた。カメラもダメと言ってほしかったなぁ。

話の内容はしっかりとメモを取ってきたが、今夜はまだ家事も残っている状態なので、続きは明日。

2008年10月19日

土取利行「縄文・旧石器時代への音の旅」古代音楽レクチャー トーク&サウンドデモンストレーション(細野ビルヂング)その2

壁画洞窟の音 旧石器時代・音楽の源流をゆく○古代音楽レクチャー トーク&サウンドデモンストレーション 続き
開演前30分に会場に入って椅子席のいちばん前に座った。前半分は床に座るようになっている。正面にはスクリーンがあって化石の写真が示され、アマゾンの笛が低く聴こえている。左側にリンゴマークのノートパソコンが広げてあり、写真と映像を入れ替えるのに使われた。

「音の根源的ひびきの探求」について話すということで、東京、京都に続いて大阪と三都市での開催の三回目は人類の誕生からはじまった。
目の前にある写真の化石はなにかという質問をみんなにして、その答えを引き出しながら聞き手を見ていたような。
旧石器時代の人間は動物を怖れながら暮らしていた。いまはその動物はこのビルの外を走る自動車のようなものだと例えられた。生きた霊が消えたいまは機械が崇拝されている。それが自動車で、また半人半機械のガンダムであると。

ヨーロッパ人はまず動物を家畜化し、つぎにアフリカ人を奴隷にすることで人間を家畜化していった。
ミルフォード・グレイヴスとアフリカに行き、ジャズのルーツであるトーキング・ドラムを知った。太鼓の音が言葉である。
日本では明治になって西洋音楽を子どものときから教えるようになったが、それまでは歌舞(うたまい)であった。新しい教育は日本語と音を切り離してしまった。文楽の義太夫を聴くと日本の歌はこういうものだったとわかる。
そういうことからの言葉だが、ジャズを学ぶのならニューヨークへ行くよりもアフリカに行けとおっしゃる。学校で学べない、消えつつあるブッシュマンの音楽を学べと。

ヨーロッパには化石がたくさん残っている。それは土がアルカリ性だからで、日本は酸性なので残っていないそうだ。
フランスのシャトル劇場で縄文楽器演奏をしたときのレセプションで話しかけられた人からの縁で、洞窟に行くチャンスができた。
フランスで子ども3人が壁画のある洞窟を発見したというニュースがあったが、そのレ・トロア・フレール洞窟に行った話がすごい。真っ暗闇の洞窟で鼻笛を吹いたというのだ。鼻笛ってはじめて知った。
※以上のことは、土取利行「壁画洞窟の音」(青土社)に詳しく書いてあります。

○映像と演奏
畝傍山山頂で深夜から明け方にかけて吊り下げられた銅鐸を叩く。若い土取さんのなにかが乗り移ったような表情が美しい。それから現在までの演奏の記録が数本。

最後に縄文鼓を叩かれた。出土した瓶と同じ土を使って復元されたものに、郡上八幡の猟師によって殺されたばかりの鹿の皮を張ってある。
10分くらいだったけど、すごい演奏だった。演奏中にアイヌ語らしき声を出されたのだが、縄文の声だったのか。

○感じたこと
すごい人だと思うのだが、ちょっと違和感のあったところを書くと、パソコンを使っているにも関わらず、コンピュータを評価されてないこと。
わたしは都会で暮らしているけど、クルマには乗らないしクーラーもめったにつけないし、旅行しないから飛行機にも乗らない。
そして都会には都会の伝説も生まれている。ジャズはニューヨークだと思っている。いま現在の音は都会から生まれるから。

2008年11月06日

YOSHITAKE EXPE SPACE GUITAR EXHIBITION 2008 ゲストは山本精一

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細野ビルヂングで11月3日からはじまったYoshitake Expeさんのサウンド展覧会の4日目に行った。一昨日も行きたかったのだが混むだろうからと遠慮してしまったのが残念だ。
今日は名前だけを知っているギタリストの山本精一さんがゲスト。早めに行って椅子席を確保した。ほとんどは床にじかに座るようにクッションが用意されている。左側と前面には機材がいっぱい並んでいる。右端には真空管アンプがたくさん神秘的な光を放って鎮座している。

最初は小松音響研究所の小松氏の真空管アンプによる試聴である。オペラのアリアのようなクラシック、次はジャズでドン・チェリー、その他いずれも柔らかい音で気持ちよい30分。その後は山本精一さんとYoshitake ExpeさんそれぞれがDJをやったが、山本さんの最後に深沢七郎さんの歌と声が響いたのが良かった。ドスが効いていた。
真空管の音は気持ちよく、2時間をゆったりとした気分で過ごしていい気分。

9時からYoshitake Expeさんと山本精一さんが並んでの演奏になった。目の前2メートルくらいのところに二人がいて、ギターをかき鳴らす指がよく見える。かきむしるような音の連続が、こちらの体には官能的に響いてくるのを気持ちよく聴いた。うわっ、たまりません、もうっ。

ビルの玄関は開け放たれて、外は雨。気持ちの落ち着くライブだった。受付では玄米のおにぎりなどを売っている。最新鋭の音楽に玄米がよく似合う。玄米おはぎを買って帰った。

【SPACE GUITARと名付けられた、エレクトリックギターの電気信号を、多量のコンパクトエフェクターで音響加工し、ライブ演奏で独創的な音響を奏でるサウンドアーティストYOSHITAKE EXPE による、はじめてのサウンドインスタレーション展・音の体験・実験室の9日間。
今回の展覧会にあわせて、世界の真空管オーディオマニアが大注目する小松音響研究所が、全面協力のもと、特別にEXPEのために手作りで制作する『オール真空管サウンドシステム』を発表。これに加え、数台のギターアンプ、70個程のコンパクトエフェクターを配線し、毎日、毎時間、常に変化し続けるギターサウンドが、9日間散りばめられる。】(フライヤーより)

写真:山本精一さんとYoshitake Expeさん、とにかく機材がたくさんあるのにびっくりしました。窓の外は長堀通りです。

2008年11月07日

YOSHITAKE EXPE SPACE GUITAR EXHIBITION 2008 ゲストは沼澤 尚

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昨日の山本精一さんがよかったから今日もきっと良いはずだと思った。今日のゲストはドラム奏者の沼澤 尚さん。恥ずかしながら沼澤さんの名前をはじめて知った。
早めに行って椅子席を確保。赤ワインを飲みながら待っていたら、細野さんが見えたのでそばへ行ったら感じの良い男性と話している。同意を求められて話に加わった。その人が用事で呼ばれて離れて行ったとき、あの人が沼澤さんやでと言うのでええっとびっくり。

今日も小松さんの真空管アンプの試聴からはじまった。なにかわからんけど今日の合言葉は500ヘルツだって(笑)。日ごとになじんでよくなっていってるそうだ。
そしてYoshitakeさんのDJ、そして沼澤さんの選んだレコードをかけて、もう一人の青年の選んだレコードをかけて9時過ぎになった。

それから演奏。1時間半を休みなく続く音。わたしがいままで聴いてきたジャズのドラムと全然違う。起承転結がないみたいな、うねりながらいつまでも続く終わりのない音が、ふんわりと優しいのだが弱くはない。うまく言えないけど、わたしには新しい音で、この音がいまのわたしにぴったり。じっとしていられなくて体を揺らす。椅子から乗り出す。いろんな座り方をしていたが疲れを感じなかった。
ドラムの叩き方もいろいろあるのやなぁ。ジャズを聴けばまたそれも好きなのだけれど(笑)。

沼澤さんは明日もあるんだけど、これ以上の連夜のお出かけは疲れるから明日はお休み。明後日はジャズを聴きに行くことになっている。

写真:沼澤 尚さんとYoshitake Expeさん、イケメンの沼澤さんのお顔が隠れていて残念です。右側に光っているのが真空管アンプ。

2008年11月09日

ニューヨークの風に吹かれて—広瀬未来クインテット

ニューヨーク在住のトランペット奏者 広瀬未来の演奏を聴きに大国町のジャズスポットTake-5へ行った。新しいビルの2階にあり広々とした贅沢な空間である。早めに予約したせいか真ん中の一番前に席をとってくれていた。
メンバーは広瀬未来(tp)、吉本章紘(ts)、奥村美里(p)、坂崎拓也(b)、樋口広大(d)。トランペットの広瀬さん、テナーサックスの吉本さん以外の3人はこの1年間に何度か聴いている。

一昨日と昨日の細野ビルの床にじかに座っての(わたしは椅子席を確保したけど)雑然とした雰囲気とあまりに違っている。お客さんも違う。どちらがいいとは言えないけれど、あっちのほうが身に合う。

なんて書きつつ、トランペットとテナーサックス奏者が並ぶとうれしくなってしまうのだけれど(笑)。そしてアンコールの拍手をして、最後の「朝日のようにさわやかに」まで楽しんだ。広瀬さんのオリジナル曲(バーモント州を旅したときにできた)の、全然和風ではない叙情的なところもよかった。

広瀬さんの演奏は飛び抜けていた。ニューヨークの風を感じた。かの国の状況を感じさせる緊張した演奏だった。異国で生きている緊張も伝わってきた。元気というより力強い演奏。あとの4人は元気なんだけど、単純に元気という気がした。これはどうしようもない差だ。

いまやフリージャズだって一つの流派みたいなもんだと最近気がついた。今夜の広瀬未来の演奏はフリーとかの流派を越えて自由に吹いていた。幼いときにスイングジャズを聴いたのがはじめで、いまこうして自由な音を聴いている。長生きはするもんだ。

2008年11月11日

YOSHITAKE EXPE SPACE GUITAR EXHIBITION 2008 ゲストは灰野敬二

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細野ビルヂングで11月3日からはじまったYoshitake Expeさんのサウンド展覧会の最終日になった。ゲストは長い間一度聴きたいと思っていた灰野敬二さん。五海裕治さんの写真集「自由の意志」にあった灰野さんの写真とインタビューが唯一わたしの資料で、想像をふくらませていた。早めに行ったら楽器の調整中の灰野さんがいた。黒ずくめの服装で髪には白髪が混じっている。すごく繊細な感じ。

客が期待いっぱいの様子で入っくる。今日は特にインテリっぽい人が多いような気がする。いつものように小松音響研究所の小松氏の真空管アンプによる試聴からはじまった。オペラのアリアや現代音楽が快く響く。ついでYoshitakeさんの選曲による曲がかけられ、8時半になった。

灰野さんはまずハーディ・ガーディという楽器を手にされ、Yoshitakeさんのギターと共演。最初からテンションの高い演奏で途切れ目なく1時間が経った。全然ほっとするところのない隙のない演奏に緊張して聴き入っていた。次はギターを手にとってYoshitakeさんとの共演はさらに緊張が高まった。ものすごい集中力で行き着くところまで行ったという感じの1時間。
Yoshitakeさんはドレッドヘア、灰野さんは前髪を切った真っすぐな長髪と、対照的な二人のギタリストが精魂傾けて演奏する姿に見惚れた。

帰りぎわに現れた相方のガールフレンドSさんとお友だちとちょっとだけとギロチンへ行ったら、延々と酒盛りになり明日は仕事が休みという彼女らはタクシーで帰り、わたしらはそのあとお茶をよばれてさっき帰ってきた。

写真:灰野敬二さんとYoshitake Expeさん、灰野さんが弾いているのがハーディ・ガーディ。ヴォーカルというかボイスというか、声も素晴らしかったです。

2008年11月13日

まだ余韻にひたってます

細野ビルでの3日間のイベントの余韻にまだひたってます。
4人のミュージシャンの演奏の特徴は、それぞれの演奏日に書いてますが、途切れない演奏で1時間も1時間半もいってしまうことです。DJというものを知らなくて本で勉強したわたしが何回か何十回か聴くことで理解したのは、DJの演奏はクライマックスが終わらないということでした。今回の演奏はDJを聴くのと同じようにクライマックスの持続があって、それが人間の手なので感激もひとしおでした。こういうことってよく知っている人が読ん