メイン

寄席・落語 アーカイブ

2004年04月18日

第362回田辺寄席(2004年4月18日)

今年になってはじめて行った田辺寄席。12時40分に着いて席をとり、本を読んでいるうちに、どんどん人が入って満席になり、1時20分に浴衣姿の桂文太さんの開口0番「いい加減」がはじまった。
林家市楼「青空散髪」は天王寺公園の散髪屋に行く話。今年撤去させられた青空カラオケを思い出したが、この噺は中川桂さんの解説によると、先代染語楼作で市楼さんまで三代続くお家芸だそうである。
桂米左「持参金」は借金をめぐって話がめぐる。借金返済のためにお腹が大きい女性を持参金目当てに嫁にすることにした男。下女に手をつけてしまいお金をつけて縁を切ろうとする男。
笑福亭遊喬「禁酒関所」はサムライがいたころの噺。酒が入ってのケンカで二人の家来を亡くした殿様が酒禁止令を出す。その裏で酒を飲みたいサムライは、関所をうまく通って酒を運ぶように命令する。酒をお菓子(水カステラ)に見せたり油に見せたりたんへん。
桂文太「代脈」は住み込みの医者の卵が先生の代診に行かされる。先生に言われたとおりに振る舞おうとする若い医者のアホさ加減がおもしろい。文太さんのブルーグレイの着物に紺の帯がよくあってステキだった。
桂米左「百年目」は先日の朝日新聞に大きく出ていたが、桂米朝に入門して20年記念の独演会で演じた大ネタ。米朝も「一番難しい落語」と言っているそうだ。春の落語である。マジメ一方で知られる番頭さんが、店を抜け出して花見で騒いでいるところを、旦那さんが知り合いと語りながら通りかかる。番頭さんは旦那さんと気がつかず、ちょっかいを出してしまった後で気がつく。これで終わりだと観念した番頭さんに、翌日、旦那さんが、お前が店にきたのは十二のときやったなと語りかける。花見の宴の華やかさ、一転ナイショの遊びがばれた間の悪さ、そして主従の愛が通い合うところもよく、よい噺だった。

2004年04月19日

もう一度田辺寄席

昨日は眠い目をこすりながら落語の一席一席を思い出して書きました。書こうと思っているから、聴くのも身が入っております。とは言え、いっしょけんめい思い出そうとしてもオチを忘れていることが多いんです。なんでやろ。それに恥ずかしながら、オチの意味がわからないときもあるんです。「百年目」は「ここで会ったが百年目」からの言葉なのでわかりやすかったです。
ええっと、田辺寄席は開口0番が終わると本席で、四人の演者が五つの噺をします。「たっぷりじっくり」ということで、一人だけ二席ということになっています。昨日は桂米左さんが二席やりました。
三席目が終わると仲入りで、ロビーでお茶とお菓子が振る舞われます。わたしはこれが大好きです(笑)。会場の裏側は木の植わった庭があって、その向こうは桃ヶ池です。湯飲みとお菓子を手にして池の端に出ると、池の中に白い動くものが見えました。「なんやろ」と言ったら、横の人が「あれは鯉」と答えてくれました。大きな鯉でしたよ。片方では男女二人が、誰それのなんやらはと、落語のうんちくを傾けあっています。落語オタクですかね。
噺が全部終わると、クイズの抽選があります。入ったときに渡された紙と鉛筆は、今日の落語の感想だけでなく、クイズの答えを書くためでもあります。私はさっぱりわからないので、あてずっぽで書くから当たったことがありません。それと文太さんは「イロハ順」で三・四題を出して、なにをやるか当てさせます。昨日は「た」で「代脈」でした。これにも賞品が出ます。
生のお囃子もいいものです。出囃子というらしいんですが、人によってでしょうか、噺によってでしょうか、違うのをやります。これも勉強しなくっちゃ。
田辺寄席はいつもびっしりとお客が入るので、落語家さんたちはうれしいと思います。田辺寄席に出してもらってうれしいとマクラで述べる人が多いです。昨日は先日亡くなられた桂喜丸さんについての追想を、「開口0番」の終わりに三人が出てきて述べられました。桂喜丸さんは去年3月の田辺寄席に出ていてました。

2004年06月03日

鶴瓶さんにご縁がなくて

5月23日の田辺寄席に笑福亭鶴瓶さんが出演された。わたしが田辺寄席に行くようになって3年目だが、鶴瓶さんが出演されたのも年に一度の割合で3回目なのである。その3回とも行けなかったのだから、縁がないと思うしかない。
わたしは別に鶴瓶さんのファンではないけれども、テレビなどであれだけ人気のある人が、古典落語を演じられるのを聴いてみたいと思う。それに人気者のオーラというものがどんなのか知りたい。田辺寄席だと舞台と客席が近いから、自分の目で見るのにこれほど良い場所は無い。
田辺寄席に出演されるとき、「今月の演目」に鶴瓶さんの名前はない。人気者が出演となるとたいへんなことになるので、黙って突然出演ということになる。そして真剣な落語ファンが集まる会で噺をしたいということで、出るなら田辺寄席しかないとなるんだろう。
去年は桂文太さんが「開口0番」で「今日は鶴瓶さんが出演されますよ」と告知したそうだが、今年はそれもなしの出演としたらしい。「めくり」だけは用意していたそうだ。鶴瓶さんが突然現れたのだから、客席はどよめくよね。そして噺がとてもよかったそうである。
うちは田辺寄席のホームページをつくっているので、寄席が終わるとすぐに写真がとどく。誰よりもさきに見せてもらった鶴瓶さんはとても豪華な着物を着ていて、どんなシーンを演じているのか真面目な表情である。来年はなんとかその日に当たるように行きたいものだ。毎月皆勤してたらいつか出会えるはずだが、皆勤するのはむずかしいわ。

2004年08月15日

366回田辺寄席(2004年8月15日)

久しぶりに行った田辺寄席、朝寝はしたいわ、ご飯はゆっくりと食べたいわ、それなのに早く出かけたいのでひと騒ぎ。今日は相方は仕事をするので、代表して行ったにもかかわらず、前半は眠くてたまらなかった。首が寒いのでスカーフを巻いていたら、気持ちよくて眠気を誘われたみたいだ。ここんとこ、朝早く起きたり、それなのに夜遅いもんで、と言い訳。
演目は、「開口0番・廓噺」桂文太、「強情灸」笑福亭由瓶、「谷風の情け相撲」旭堂南湖、「雨乞い源兵衛」桂む雀、〈中入り〉「猫定」桂文太、「七段目」桂む雀。
む雀さんは30年前の中学生のときに田辺寄席の客席にいたそうである。「雨乞い源兵衛」は、雨が何日も降らないので、雨乞いの家系の源兵衛に頼みにいく。そんなもの知らないと言った源兵衛だが、翌日偶然雨が降って、えらい人気者になる。今度はその雨が降り止まないので、雨が上がるように頼まれる。「七段目」は芝居好きの息子と、芝居から引き離したい親のやり取りで、2階に息子を閉じ込めて丁稚を一人つけたら、丁稚も芝居好きで2人は娘の着物を出してきて芝居を始める。三味線と華やかな間の手が入り、歌舞伎の身振りが定まる。オチは階段から転げ落ちて「七段目から落ちた」だって。
「猫定」は性根が悪いから縄でしばってある黒猫を買い受けたバクチ打ちが、家に帰ってサイコロを出して見せると、猫は丁半を鳴き声で当てる。それからは猫を懐に入れて賭場に行き、稼ぎまくり親分と言われるようになる。飛田にいた女を女房にしたが、彼女にはオトコがおり、二人で親分を殺す計画を立てる。千日前あたりで待ち伏せし、首尾よく殺すのは成功するが、懐にいた猫にオトコは殺される。そして猫は家で待つ女房を天窓から飛びこんで噛み付いて殺す。町内の人たちがバクチ打ちの棺桶に猫の死体を入れてやる。サイコロがあったので転がすと、棺桶の中の猫がニャア。文太さんの猫の鳴き声が絶品だった。
眠い上にお腹も空いて、中入りのときには最後までお菓子をつまんでいた。お茶とお菓子を手に裏庭に行くと桃が池は蓮の花が盛りである。朝の雨のせいで蓮の葉には露がころころしているのが多かった。雨に洗われてきれいな緑色の葉とピンクの花がきれいだった。ヤブ蚊に腕を2カ所咬まれた。

2004年09月20日

田辺寄席30周年第2回公演(2004年9月17日)

さっき若い友人からとてもうれしいメールをもらった。わたしが田辺寄席のことを書いているのを読んで、地域の落語会に行ったんだって。二度行ったってことは、ちょっと行ってみようという気持ちではなく、ほんとに落語ファンになったんだと思う。演者・演目を書いてくれたのがわかるのは、わたしもけっこう落語通になったってことかな。
「開口0番・英華のいいたい放題」、グレーの濃淡の縞の着物に紺地の帯がとっても粋な英華さん。田辺寄席は客として聴いていたんだって。その時期が新聞では高校生だが、ほんとは幼稚園のときだったって笑わせてくれた。
「兵庫渡海鱶魅入」、銀杏色の着物姿が美しい桂文太さん。金比羅宮への参詣をすませ、清六と喜八が大阪へもどる船の中で、なぞかけをして楽しむ。人々の個性をそれぞれに演じて円熟の芸。田辺寄席に最初からかかわって30周年を迎えたいま、「私の人生そのものです」と記念誌に書かれた文太さんはほんとにうれしそうだった。
「茗荷宿」林家染弥さん、初々しさがあふれる若手。さびれたところにある旅籠に久しぶりに客が泊まり、大金を帳場に預ける。それを忘れさそうと茗荷を使った料理をいっぱい食べさせる。一度は忘れたものの取りに戻ってきたので、なーんやとなるが、結局は宿料をもらうのを忘れていた。わたしが忘れっぽいのも茗荷が好きなせい?
「黒雲のお辰」(講談)、旭堂南華さんは若くて明るい女性。正直者の百姓が大和から江戸にいる領主へ、百五十両という大金を届けるように命令される。江戸までは無事に着いたが、両国の花火の混雑の中で胴巻きを盗まれる。川へ飛び込もうとすると美しい女性(黒雲のお辰)がとめてお金をくれる。お辰は後に捕らえられて死罪のところを、大岡越前守に助けられ尼になって旅に出る。
「女道楽」は大阪には内海英華さん一人しかいないそうだ。はじめて知った言葉なので調べたら「女道楽」とは普通の人の芸事とはひと味違う芸であり、かといって玄人から見ると、粋やなぁというところがないと「道楽」ではないそうな。英華さんを見たらわかった。ほんとに粋。都々逸を聴いていたらお酒を飲みたくなった。
「皿屋敷」桂米八さん。寄席では独楽の芸で知られている人らしい。年に何度も落語はやらないそうだ。米朝師匠から十年前に出身地姫路にちなんで教えてもらった「皿屋敷」はお菊さんがお皿を数える怪談。歌舞伎なんかで知っている江戸の話かと思っていたが、各地に伝説が残っているそうだ。ここでは「播州皿屋敷」。最初は怖くてどうなるのかと思って聴いていたら、最後はどっと笑わせてくれた。

2004年10月17日

田辺寄席30周年記念落語会〜文枝師匠の「船弁慶」を聞く会〜

9月に30周年記念落語会を3回やったあと、まだまだ記念落語会は続いている。今日は上方落語の大御所桂文枝さんが出演されるというので早起きした。どうせなら近くで見たいミーハー魂である。その甲斐あって前から2番目(一番前は首が痛いだろうから)の中央に座れた。噺家さんが目の前にいるのである。ラッキー。
今日の演目は、「開口0番・後藤一山」桂文太、「動物園」桂かい枝、「阿弥陀池」桂文華、「服部嵐雪伝」桂文太、「小言幸兵衛」桂文也、「船弁慶」桂文枝。
「後藤一山」は「くっしゃみ講釈」に出てくる講釈師の名前である。そのモデルが堀江の「ギョクリュウテイ一山」で、その口調が「くっしゃみ講釈」に残っているんだとか。
「動物園」は怠け者が移動動物園で着ぐるみを着て虎になる仕事にありつく話。かい枝さんはさらりと達者に演じた。「阿弥陀池」はうちの近所にある阿弥陀池和光寺の噺だから特に好き。文華さんは顔と噺がよく合っていた。「服部嵐雪伝」絵描きの嵐雪が芝居絵を描いて京都から追放され、大阪へ移住するが、また頼まれて芝居絵を描く。新町で遊んでいるとき納屋にいる病気の玉菊を見つける。遊女から足を洗うお金を出すかわりにモデルになってもらうが、その夜家で寝ていると玉菊の幽霊が出る。新町の遊女の幽霊、文太さんの色気のある噺にめろめろ。中入りがあって、「小言幸兵衛」は、子供のときからよく聞いていたが、内容はいろいろなのだろうか。この噺を聞いていたのかしら? 借家札を見て家を借りにきた人に、小言というより妄想を延々と話す幸兵衛に驚いた。文也さんはつかみがたい魅力がある。
さて、待ってました「船弁慶」。わたしはこの噺についてなにも知らないので先入観なしである。清六と喜八が友だち連中と船遊びに行くことにするが、口うるさい女房が帰ってきたのでごまかして出かける。船で芸者たちと遊んでいると、女房が川端で涼んでいて男どもを見つけ、タクシーみたいな船で遊びの船に近づき、夫婦喧嘩がはじまる。古き良き時代の船遊び。大阪の男と女のしゃべくりの妙に感激した。ものすごい早口で古風な大阪弁があふれる。最後は能「船弁慶」の仕掛けになる。おしゃれ。

2004年10月18日

田辺寄席30周年記念落語会(2)

昨日の田辺寄席報告の続きです。
わたしは文枝師匠の噺を一度も聴いたことがなかった。桂あやめさんがまだ花枝さんだったとき、噺のマクラに、文枝師匠に弟子入りをしたとき車の運転手をやらされたそうで、そのときの失敗談をあれこれした。それで聴いたこともないのに、文枝さんに親近感を勝手に持っていた
文枝さんの出番がくると、見台と膝隠が立派なのにかえられた。後で聞いたのだが、屋久杉で作られたもので、桂三枝さんが貸してくださったとのこと。座布団も新しい薄紫色のが敷かれた。これも後に聞いたところでは、文太さんが田辺寄席用に用意されたもので初使用なのだそうだ。
文枝さんが現れると場内に緊張感が漂った。滑らかに噺がはじまった。こんななだらかな大阪弁ははじめて聞いた。どっちかというとこの噺は汚い言葉の応酬である。特に女房の言葉のえげつないことはこの上ない。しかし、喧嘩や言い合いの言葉がなだらかなのである。古き良き大阪弁と言ったらええのかな。感動した。
今回は入場希望者が多いことを予想して予約制であった。日にちを決めて、年間パスを持っている人を優先して予約、その次は『寄合酒』が毎月配布されている人の予約、その残りがあれば希望者に予約となっている。昨日は予約なしで来られた方が沢山おられのでお引き取り願ったとのこと。来月もそうなので、もし行きたい人がいらっしゃったら田辺寄席サイトを見てからにしてください。予約の日にちが書いてあります。
中入りのときお菓子を食べていたら世話人会の人から、「テレビのインタビューに出たって」と言われた。横にもうマイクとカメラがある。聞かれた質問に答えただけだが、はじめての経験。11月8日(月)夜の7時54分〜56分の2分間なので、ボツにされているかもしれないけど、まあ見たってください。

2004年11月21日

桂春団治さんの印象

今日は桂春団治を聴きにいくんだから寝過ごしたらあかんと、目覚ましをかけて起きたという気の入れようであった。朝ご飯をたっぷりと時間をかけて食べて出発。1時10分開演なのに12時過ぎには着いていた。ロビーで少々待っていたら受付となり、20人くらいの待ち人が席に着いた。わたしはもちろん、前から2番目の中央左寄り。あとは文庫本を読みながら待つだけだ。
田辺寄席全体については明日書くことにして、春団治さんの印象と考えさせられたことを書いておこう。
ほっそりとした春団治さんは、藤色の着物と羽織、羽織の紐と花菱の紋が鮮やかな赤という華やかな姿だった。羽織を脱いだとき、長い赤い紐がゆらめいてとっても優美。マクラがいつも同じ挨拶と聞いていたが、今日は田辺寄席30周年の祝いの言葉を述べられた。そして26年前に一度出たことがあって、今日は二度目になるそうである。
語り口や仕草になんとも言えない色気がただよう。これはもう若い者にも中年の者にも絶対ない絶妙な色気である。年を取るって素晴らしいなぁとしみじみ思わされた。単に年を取っているのではない、積極的に年を取っているから出てくる色気である。老年をこれから生きようとしている者にとって、希望の星であるが、そこへの登り道は険しい。

2004年11月22日

田辺寄席30周年記念落語会 〜三代目春団治師匠を聞く会〜

早めに行って本を読んでいたら、同じ思いの人ですぐに前のほうの椅子はいっぱいになった。そこへ舞台の入り口から顔を出した文太さんから「みなさん早いでんなぁ、もうちょっと待ってくんなはれ、まだ着替えもしえてぇへんがな」と一声あった。
今日の演目は、「開口0番・三題噺」桂文太、「チリトテチン」桂春菜、「八五郎坊主」桂春雨、「一文笛」桂春若、「無妙沢」桂文太、「高尾」桂春団治。
「三題噺」は三笑亭可楽からはじまったとされ、「弁慶、辻君、狐」が記録として残っているそうである。三題噺の落語は「芝浜の皮財布」(酔っぱらい、芝浜、財布)、「鰍沢」(夫婦、卵酒、膏薬)、「大仏餅」(大仏餅、新米の乞食、袴儀の祝い)などがあるとのこと、あわてて手帳に書きつけた。
「チリトテチン」は、豆腐の腐ったのにいろいろ混ぜて、町内のイヤミなやつに食べさすおなじみの噺。春菜さんはマクラのおふくろネタがおもしろかった。
「八五郎坊主」の春雨さんはひょうひょうとしていていい感じ。主人公の八五郎は「考えてみたらわたいほどつまらんもんおまへんで。親はなし、兄弟はなし、嫁はんはなし、子どもはなし、家はなし、仕事はなし、またそれをどうしょうという知恵はなし。もうこの上はいっそのこと坊主にでもなって・・・」ということで甚兵衛さんに紹介してもらって、下寺町のお寺の世話になる。自分の法名を忘れてしまって大騒ぎ。
「一文笛」はスリの名人の噺。駄菓子屋で仲間はずれにされた子がいたので、店から一文笛を盗んで子どもの懐に入れてやる。その子は笛を持っているのが見つかって叱られ、井戸に身を投げるが危うく命を取り留める。医者は助かる可能性はあるがお金がかかると言う。そのお金を調達するのにスリがしたことは・・・。実直な感じの春若さん。
「無妙沢」(元の噺は「鰍沢」、舞台を身延山から能勢の妙見山に)は、はじめて田辺寄席にきたときに聴いて、文太さんが演じる「おくま」にほれぼれした。今日は「三題噺」を伏線にしたこと、黒紋付で出てきはったことから、なみなみならぬ文太さんの意気込みを感じた。でもはじめて聴いたときのほうが良かった。ちょっと緊張してはったみたい。
「高尾」の春団治さんは自然体で優美。でも出だしはイロケのない長屋の独り者が、一人でおならをしてもつまらないって・・・大声で笑ったのはわたし一人だったが・・・。隣家の坊さんが夜中に読経しているのがうるさくてモンクを言う。坊さんは自分は元は武士で吉原の遊女高尾といい仲になったが、上役に知られて追放され、片や高尾は殿様の言いなりにならずに斬り殺された。僧になった男は高尾から贈られた香を焚くと高尾の姿が現れる。そのええ女ぶりを見た男は、自分も三年前に死んだ女房が出て来てほしいと・・・。
隣に座ったトルコ人(阪大で勉強中)のカップルがよく笑っていた。イルハンみたいなオトコマエと情熱的な美女のカップル、またここで会いましょうと言って別れた。

2004年12月05日

高津の宮、高津の富亭で桂文太の会

桂文太さんが毎月やっている「Amazing Bunta Club」という落語会に一度行きたいと思っていたが、VFCの例会日と重なるので行ったことがなかった。今月は日にちと会場が変わって今日の午後である。その上、田辺寄席サイトで毎月「演題解説」を書かれている中川桂さんが、ゲストで一席やられるというので行くことにした。
谷町9丁目は20年前には「伽奈泥庵」という茶屋によく行ってたし、10数年前に児童文学研究会「ホビットの会」に行ってたのだが、最近はすっかりご無沙汰している。方向音痴としては、駅を降りてすぐに聞くのが一番と「高津神社」への行き方を聞いたのだが、10人くらいは知らないのであせりました(笑)。結局そこですよと教えてもらって辿り着いた。ほんまにそこやった。
はじめて行った高津さんは落語「高津の富」で有名な神社である。神社の横にある「高津の富亭」は立派な日本座敷で、縁側からは外の景色を眺められる風雅な場所であった。
文太さんの噺は「Y」「Z」のつく演目の順番で「よもぎ餅」「善哉公社」、お楽しみとして「ちはやぶる」。それぞれ達者な芸で楽しめた。「よもぎ餅」は死人を漬け物樽に入れて「福島の羅漢前のどろがめ長屋」から堂島→堺筋→長堀→難波→日本橋→・・・と焼き場への地名を一気に言うのがなんともおかしい。「善哉公社」はぜんさいを食べに入った店が官庁経営で、ハンコがいったり、順番にしないといけなかったりと官僚制度を皮肉っていて笑えた。お正月前だから百人一首から「ちはやぶる」だったのかな。
中川さんの「いらち長屋」は素人ばなれした噺に驚いた。マクラも堂々としていてたいしたもの。長屋のいらちな男が、天王寺さんで人に囲まれた行き倒れの男を見て隣の留五郎だと言う。そして家にいる留五郎を連れて行ってお前の死体だと言い張る。自他ともに許すイラチなわたしとしては、エエカゲンな大阪のイラチのやり取りがおもしろかった。
途中、空が暗くなり時雨が降っているのがわかる座敷で、ゆっくり過ごした優雅な午後、とてもよかったです。

2004年12月15日

「田辺寄席世話人会」事務局、放火火災にて焼失!!

このショッキングなお知らせを、今日「田辺寄席サイト」にアップしました。
13日の「毎日新聞」夕刊に「徹夜の善意“実る”」という記事が大きく載ったので、知っているかたもいらしゃるでしょう。記事の内容は、放火により大久保書店が半焼したことと、田辺大根フェスタのイベント用の品物を近所に住むスタッフたちが焼け跡から持ち出して乾かし、一夜明けた日曜日にはイベントが無事開催できたというものでした。
しかし、商品である本は1冊も助けられませんでした。
わたしは12日の夜、外出から帰ってすぐに電話でこのことを聞き、返事のしようもありませんでした。知り合いが経営している店が放火されたなんて、ほんとにもうなんと言ったらいいのでしょう。ただサイトに出している連絡先を変更しただけでした。
そして今日はトップページに「田辺寄席世話人会」事務局、放火火災にて焼失!!という文章をアップしました。
「田辺寄席世話人会」の事務局があった大久保書店は、創業70年の老舗古書店です。近鉄今川駅前にあって、わたしは二度行ったことがあります。古びた店に本がびっしりとありました。そして大久保さんが座っているまわりには、田辺寄席関連の資料が詰まっていました。古書店には子どものころから出入りしているわたしですが、あれだけぎっしりと本がある店はそんなにありません。あの本たちが焼けたり水をかぶって読めなくなったと思うと・・・なんと言ったらいいかわかりません。

2004年12月19日

今日も元気で田辺寄席

事務局が火事にあっても寄席はやるという姿勢がうれしいし、また高座ではその話はしなという配慮があって、いつも通りの楽しい寄席だった。
1時間ほど早く行って、自分で決めている椅子に座った。うしろに座った夫婦が前に大きな人がいたら見えへんから、小柄な人の後ろがよいと言っている。あまり前過ぎるのもいやなのだろう。わたしが後ろを向いて「わたしの後ろなら大丈夫ですやろ」と言ったら「そうですねん」と答えがあった。そこから話がほぐれて、「事務局が放火で大変でしたなぁ、メールで火事見舞いを出しましてん」と言うので、名前を聞いたら火事の後すぐにメールがきた人だった(田辺寄席宛のメールはわたしが受取人)。「えっ、おたくがすぎやさん?」ということで話がはずんだ。露の五郎師匠のことを「芝居噺の名人だっせ」と言い、今日の演題「中村仲蔵」の詳しい解説もしてくれた。
中入りには庭で田辺大根の汁が大鍋で振る舞われた。うまいし温まるし、気持も温まった。
帰りに大根汁の音頭をとっていたTさんに「ごちそうさま、おいしかったわ」と礼を言ったら、「よっぽどお腹が空いてはったんやなぁ」と返された。すぐに「いつも粗食やさかい・・・」と返したがちょっとはずれてるなぁ。この勝負、わたしの負けやな。「一食助かりましたわ」と言うたらよかったかな。
大阪で暮らす幸せを実感した一日でありました。肝腎の落語の話は明日書きます。

2004年12月20日

田辺寄席30周年記念落語会 〜五郎師匠の「中村仲蔵」を聞く会〜

露の五郎師匠の噺はテレビでさえ聴いたことがないので、どんなかと楽しみで早くから出かけた。今日は文太さんのお嬢さん(中2)がお茶子さんとなって、めくりをめくったり座布団を裏返したりの動きがういういしく可愛かった。
今日の演目は、「開口0番・笑福亭代々」桂文太、「商売根問」露の吉次、「へっつい盗人」露の団六、「厩火事」桂文太、「小噺と百面相」露の団四郎、「中村仲蔵」露の五郎。
「笑福亭」の由来の話などの後に、松鶴を継ぐのはだれか名前をあげるから、これと思う人に拍手をという趣向。わたしは他の人を知らんので鶴瓶さんにしておいたけど、少なかったような。
「商売根問」は怠け者が説教される会話がおもしろかった。若い吉次さんが元気な声で「今お前はどこに居てるんや」「あんたの前に座ってますやないか」というような調子で延々と続く。
「へっつい盗人」は、アホな二人の男が宿替えの祝いにへっついを贈ることになったが、当然のことながらお金がないので盗みに行く。
文太さんの「厩火事」はすごくよかった。あちこちの家を廻り髪を結う仕事のおさきさんが、知り合いの旦那の所に行って、家にいる年下の亭主のグチを言う。旦那はモロコシの国の孔子の例をひいて説教をする。厩が火事になり孔子が大事にしていた白馬が死んだというのが、タイトル「厩火事」の元になっている。なんだかだと言っても結局亭主に惚れているおさきさんは家に帰る。素直に笑っておしまいにならないこわい噺。
中入りがあって、「小噺と百面相」は「向こうから坊さんがきた」「そう」という単純な小噺をたくさんしたあと、ちょっとした小道具を出して、大黒さん、えべっさん、宇宙人、中国娘などになってみせる。笑いまくった。
最後はお目当ての露の五郎師匠「中村仲蔵」である。仲蔵は歌舞伎役者で努力の甲斐あり名題に出世するが、その一回目の役が「忠臣蔵」五段目の斧定九郎に決まる。それまでの定九郎は山賊のような風体に決まっていたのでがっかりする。ある日、雨宿りに入ったそば屋で浪人者を見かけて、これとばかりにそのスタイルを取り入れ定九郎を演じて成功するという噺。五郎師匠は前置きなしですぐに噺に入り、斧定九郎という役柄そのままに暗い感じで演じきった。夏だからというんで裏をはがした黒紋付、破れた傘をさしていたがために濡れた着物の裾や袂をしぼるかたち、酒の飲み方、金の払い方。そば屋に入ってきた浪人者の描写がすごかった。終わったときはいつまでも続く拍手がなりやまなかった。

2005年02月27日

怖い噺「もう半分」

毎月その月の田辺寄席が終わると、桂文太さんによる次の月の「演者・演題目録」の手書き原稿がファックスで届く。それを文字打ちして田辺寄席サイトにアップするのだが、先月の原稿を見てびっくりした。〈桂春之輔師匠の「もう半分」を聞く会〉となっていたのだ。桂春之輔師匠ははじめてだけれど「もう半分」ならガキの頃から知っている。そしてなんたることか、いまのいままで「もう半分」を思い出したこともなかったのに気がついた。
わたしが子どものころは一家そろって落語好きで、夜になるとラジオの落語を聴いていた。夏は怪談噺を蚊帳の中で聴いた。また怪談本をだれかが声を出して読むこともあった。ぞーっとして涼しくなる。暑い夏の古典的な過ごし方(笑)。そんな中で「もう半分」の最後のシーンは白眉だった。なんでそれを忘れてたんだろう。
先日、兄の家で父親の四十九日をやったのだけれど、そのとき「もう半分」と言ったら、兄に大受けしてみんなにあらすじを語ったりしていたが、やる場所が「田辺」と言っただけで、難波から南は天王寺まで、それより南は自分の地図にはないようなことをヌカシよった。わが兄がすっかりキタの人間になってしもて情けなくて涙も出ない(笑)。
そんないきさつがある「もう半分」だが、春之輔師匠の噺よかったです。そして、これは江戸落語かと思っていたら、その元は上方なんだって。四ツ橋近くの居酒屋が舞台で、いつも湯のみに半分だけ飲んでまたもう半分飲む、荷車引いて野菜を売るおじいさんがいた。その日は義理の娘が新町の苦界に身売りして作ったお金の五十両を、その店に置き忘れたことからはじまる。酒屋の夫婦はそのお金をネコババしてしまう。絶望したおじいさんが身投げする橋が西長堀川にかかる吉野屋橋、なんとわたしの生活圏の噺である。酒屋は繁盛して子宝にも恵まれるが、産まれた子どもがじいさんそっくり、夜中に行灯の油を飲んで「もう半分」。

2005年02月28日

田辺寄席30周年記念落語会 〜春之輔師匠の「もう半分」を聞く会〜

田辺寄席の30周年記念落語会も今回がすんであと1回となった。9月から7カ月9回の公演だからすごいことである。わたしはそのうち5回行って来月も行くつもりだ。
今月の演目は、「開口0番・船場」桂文太、「転失気」桂壱之輔、「にぎやか寿司」桂一蝶、「軒づけ」桂文太、「音曲漫才」姉様キングス(桂あやめ、林家染雀)、「もう半分」桂春之輔。
文太さんは来月の鶴瓶さんの日に行くから今日は休もうという人がいるかと思ったが、満員でありがたいと言って、大阪「船場」の語源や船場の旦那とはどういうものかなど笑わせながら教えてくれた。
若くて元気な壱之輔さん、医者に「転失気」(てんしき)はあるかと聞かれてあると答えてしまったお坊さんが、弟子に教えたことがあるはずのそのモノはなにか調べてこいと言う。みんな知ったかぶりの返事で、置物だったり食べ物だったりするが、実はオナラのことだった。
桂一蝶の個性ってちょっといままで知らないタイプ。ごつごつしたところのない豆腐のような人だ。桂三枝作の創作落語「にぎやか寿司」は、名前だけにぎやかな流行らない寿司屋でのできごと。寿司の食べ方がむちゃくちゃうまい。
文太さんの落語はものすごい精進を感じさせる。端正でありながらぐっと落として笑わせるところも大好き。「軒づけ」は素人義太夫の仲間が近所をまわって軒先でうなり、あわよくば、お上がりと言われてうなぎの茶漬けをご馳走になろうという計算なのだが、なかなか思うようにいかない。そこで考えたことは・・・。
中入のあとが姉様キングスの「音曲漫才」で、これがもうケッサク。あやめさんはともかく染雀さんも白塗りして島田のカツラをかぶって芸者姿で登場。染雀さん(美形)は三味線、あやめさん(もちろん美貌)はバラライカ(ロシアの楽器で三味線と同じく三本の弦)を持って、時事問題をトンコ節や都々逸にして歌う。お腹を抱えて笑った。
春之輔師匠(上方落語協会副会長)の「もう半分」については昨日書いた。噺が暗いのでとマクラでたっぷりと笑わせてくれた。噺のはじめの居酒屋(ちがう言い方を思い出せなくて)で出す「大根の炊いたん」「鯖の炊いたん」は、「大根を煮た」「鯖を煮た」では食う気がおこりまへんでに共感。
帰りの地下鉄でお相撲さんを3人も見た。もう春場所が近づいているんだ。

2005年05月23日

桂文枝「天神山」をテレビで

この前の日曜日の朝、桂文枝さんの「天神山」がテレビ(NHK 5月15日 かんさい想い出シアター 平成11年放送のもの)であった。だいたい日曜日の午前中は寝ている。起きていてもテレビを見るなら田原総一郎が出ているやつである。テレビの番組表を見るということはない。それがなぜかテレビ番組表を見たわけで、それも10時少し前で、あわてて録画したのを田辺寄席不参加の代わりに昨夜見た。
花見の季節に道ばたで立ち話をしている二人の前に現れた“ヘンチキの源助”という変わった男。髪は半分剃っていて半分は長い。着物は上が単衣で裾が綿入れ、足元は下駄と草履というヘンチキなやつ。溲瓶に酒を、おまるに弁当を入れて、墓場に花見に行こうと一心寺へ。墓場で拾ったしゃれこうべを持って帰ると、夜中に心中の片割れの小糸さんの幽霊がやってくる。しゃれこうべは小糸さんのもので、その夜から小糸さんは源助の女房になる。かたや、隣家の“どうらんの安兵衛”はその話を聞いて、自分も幽霊を嫁にしようと一心寺へ行く。骸骨がそんなに転がっているわけなく、向かいの天神さんに行ってお参りしていると、狐を捕らえて売りに行くという角右衛門と会う。お金を払って狐を助けると、今度は狐が安兵衛の女房になる。二人の間に子どもができて、その後の話は歌舞伎の「芦屋道満大内鑑」(葛の葉の子別れ)のパロディになる。
幽霊が訪ねて来て女房になってしまうというところまでやるところがすごい。また隣家の男が真似をしようとして結局は狐を女房にするが、子どもができるという長い時間を夫婦円満で過ごすという発想もすごい。話し言葉の最後に「コン」とつけてしまう狐女房が哀しい。
6年前の文枝さんの若々しく艶のある表情と声に惹きつけられてじっと見ていた。去年「船弁慶」を田辺寄席で聴いたときは枯淡の芸に魅せられたが、6年前の「天神山」は円熟の芸であった。

2005年07月17日

377回田辺寄席(2005年7月17日)

去年から続いた30周年記念の〈春之輔師匠の「もう半分」を聞く会〉に2月に行って、3月の〈鶴瓶師匠の「らくだ」を聞く会〉を休んでから、ずっと休みっぱなしだった。今日は文太さんが二席やるから行かなくちゃと、お昼ご飯を早めに食べて出かけた。はじまる15分前に着き5列目くらいに座れたんだけど、前にでかい人が座っていて見にくい。中入後に隅っこの一番前が空いているのに気づき席替えした。ほとんど横から見たという感じ。
演目は、「開口0番・出囃子」桂文太、「手水廻し」林家染太、「越の海勇蔵」旭堂南青、「寝床」桂文太、〈中入り〉「ちしゃ医者」笑福亭仁昇、「袈裟茶屋」桂文太。
「出囃子」では下座の太鼓に合わせて文太さんが笛を吹き、いろいろな師匠の出囃子を実演した。出囃子は上方で古くからあったが、大正時代の後半に東西交流があり、東京が取り入れたそうである。
「手水廻し」は大阪者が田舎の旅館に泊まって、手水を廻してくれ(洗面道具を持ってきて)と言ったのを、長い頭を廻すと誤解する噺。
「越の海勇蔵」は大横綱谷風時代、柏戸が地方巡業の折りに頼まれて相撲志望の勇蔵を預かる。越の海のしこ名も付けたが、あまりにも小さいので雑用係のまま。谷風が稽古をつける日に、偶然相手にしてもらい、力を認められる。越の海は小さいながら関脇まで出世したという。南青さんはまっ黄色の着物でとても男前。
「寝床」はご存知義太夫好きのダンナのためにみんなが迷惑する噺。「そこはわたしの寝床です」と小僧さんが言うオチの言葉を、大家族のわが家ではよく使って笑ったものだ。
「ちしゃ医者」はヤブ医者を呼びに行くと、カゴに乗って行くと言う。底が抜けたカゴに棒を渡して乗っていくと、途中でもう医者はいらなくなり、もどろうとすると、肥汲み屋がやったきた。肥といっしょにカゴに乗るはめになった医者がはちゃめちゃになる噺。
「袈裟茶屋」は松島の女郎屋に遊びに行くのに、よその町内の趣向を知って、負けじと考えたのが、錦のふんどしをして乗り込むこと。さてどうしたものかとキーやんが嫁さんに相談すると、おサキさんは坊さんの袈裟を借りたらよいと言う。袈裟をふんどしにして松島で大もてのキーやん。
今日は文太さんが3回も出てきはってまんぞく。

2005年07月20日

大阪サンケイホールが閉館

田辺寄席の中入のとき、演題紹介を書いていらっしゃる中川さんが「今日はサンケイホールのほうに行って、こっちを休む人がいるかと思ったけど・・・」と言われた。サンケイホールでも落語会があったんやなということだけはわかったので、「そうですね」と無責任な返事をした。翌日の新聞にサンケイホール閉館で、最後の舞台に桂米朝師匠が出演されたという記事があったのでなるほどと思った。
1952年にできたサンケイホールには最近こそ行かないけれど、いろんな催しに行った覚えがある。吉行和子がアンネになった「アンネの日記」を見たのがいちばん古い思い出かな。新劇と言われていたものをたくさん見た。いやそれよりも前に若き日の園田高弘のピアノを聴いた覚えがある。「能を観る会」みたいなので金剛巌の土蜘蛛を見たのが能を見た最初だが、その後チケットを兄にもらって産経観世能はよく行った。梅若万三郎の「杜若」がものすごく印象に残っている。
60年代にはセロニアス・モンクのピアノとパフォーマンスにしびれた。70年代になってドン・チェリーが一家そろってやってきた。いま思い出せないけど、調べたらもっといろんなジャズコンサートに行ったと思う。
映画館ではやらなかった映画もよく見た。ジャン=ルイ・トランティニャンとロミー・シュナイダーの「華麗なる銀行家」、カトリーヌ・ドヌーヴの「海辺のホテルにて」をよく覚えている。
ほんとによくお世話になった。

2005年09月22日

田辺寄席公式サイトつくって3年

田辺寄席は去年30周年を迎えた。記念落語会には上方落語の重鎮の師匠達が、何カ月にもわたり出演された。わたしもかなりの舞台を見せていただき、落語の醍醐味をあじあわせてもらった。その内容及び感想は当ページに書いているので、バックナンバーから去年の目次を見てください。
田辺寄席を知ったのは阪神大震災の週末ボランティアでのことだ。その後に代表のO氏と知り合ってまだホームページがないのを知り、こちらからボランティアでつくりましょうと申し込んだ。こちらが案を出したのを検討してもらい、会報「寄合酒」から毎月、桂文太さんの「演者・演題目録」、中川桂さんの「演題紹介」、参加者の感想を集めた「参加者の声」を入れる。それに寄席の写真を入れることになった。その他、寄席の開催日、会場の地図がある。「田辺寄席世話人会」のページも設けることにしたが、ここは「お知らせ」以外は発展していない。
2002年の秋からはじめたので、そろそろ3年である。最近は忙しいせいもあって、なかなかアップがままならない。今日は溜まってしまったそれぞれ3カ月分をアップした。アップ前の原稿整理にも時間がかかってしまうので、さっさといかない。それでいつの間にか原稿が溜まるという悪循環なのだ。でも、今日ほとんど1日使ってやった。これで目下は原稿の在庫はゼロだ。

2006年01月15日

大阪日日新聞 編「まちかど寄席ファイル」

田辺寄席世話人会から会報「寄合酒」とともに本書が送られてきた。表紙を見てびっくり、田辺寄席の客席を舞台の後ろ横から撮った写真だ。舞台を見つめている田辺寄席常連の人たちの笑い顔が見える。「30周年記念落語会」のときと説明がある。えっ、だったらわたしも行ってたはずだけど、ちょっと横に座っていたからこの写真には入ってないんだよな。よかったと思う気持ちとがっかりした気持ちと両方(笑)。写っている人はすんごく喜んでいることだろう。
本書の「あとがき」によると、東京には鈴本演芸場や新宿末広亭など4軒の定席があるが、大阪は漫才の勢いに押されて減少し、戦災のせいもあるが戦後すぐになくなってしまったそうだ。落語家の活動はホールでの落語会、地域寄席になった。現在の上方落語家は約200人で、その活動を支えるのは個々の勉強会と地域寄席なんだって。なんと大阪府周辺府県の地域寄席は230席!
その大阪に今年の秋半世紀ぶりに天満で定席「天満天神繁昌亭」がオープンする。地域寄席とともに上方落語、そして大阪の文化を盛り上げる力になるだろう。
本書の内容は「大阪日日新聞」に連載された「まちかど寄席ファイル」に加筆しまとめたもので、大阪のあらゆる地域寄席が網羅されている貴重なものだ。
そして表紙の表と裏に使われている写真が田辺寄席であり、大阪市内の地域寄席紹介のいちばんはじめにあるのが田辺寄席である。地域寄席の最老舗で上方落語家の95%が高座にあがっているという。そんなすごい寄席のホームページをつくっているんやから、しっかりやらんとあかんな。(新風書房 1365円)

2006年02月14日

田辺寄席サイトのこれから

かなりの間お酒を飲まずに晩ご飯を食べているので、今日は久しぶりに魚処磯野家でいっぱいやってきました。カワハギの刺身、穴子の白焼き、ホタルイカの酢みそのおいしかったこと、寿命が延びる感じでしたよ。

今日は一つのことにけじめをつけたので、そのことを記録しておきます。
企画してからは3年半あまり、発足してから3年2カ月、すべてをボランティアでやってきた田辺寄席サイトから、身を引きくと主催者に告げました。今月の田辺寄席機関誌「寄合酒」に、田辺寄席サイトについて正論の意見が掲載されたからです。現在のサイトの遅滞等を指摘され、あるべき田辺寄席サイトの青写真を提示しています。まったくお説ごもっともで、その方はそういう生きたサイトを求めているんだなと納得しました。
2002年の夏に私から田辺寄席ホームページを提案したときは、「寄合酒」に載ったことをアップするという方針でした。今は状況が進化しました。多くの人たちのホームページに対する考え方も進化しています。次へのステップアップの時期にきたと実感し、次代の田辺寄席サイト実現を期待しています。
とはいえ、いますぐ現行の田辺寄席サイトを閉じるというわけにもいきませんから、次の準備ができるまでは細々と続けていこうと思っています。

2006年12月23日

師走の日曜日午後、細野ビルで桂吉坊の落語会

午後、細野ビルで「スイーツ寄席」というタイトルで催された落語会に行ってきた。出演は、桂吉坊(「池田のしし買い」「七段目」)、桂吉の丞(「ときうどん」)、スペシャルゲストが観世流能役者の味方玄(みかた しずか)。
桂吉坊が落語会の立派な舞台装置一式を運び込んでの舞台は華やかで、古いビルとアンバランスなのにぴったりとあっている。細野ビルの包容力はすごいなと改めて感心した。舞台と客席の間がなくて、握手ができると本人も言ってくらい。ぎっしりと詰まった客は110の椅子に収まらず立ち見の人もいた。着物の女性が多いので聞いたら関係者に着付け教室の人がいるそうだ。いろんな着物の人がいて見ていても楽しかった。黒のタートルセーターの上に花柄の着物でブーツとか、ストールを巻いている人とか、大正時代みたいな柄の着物とか。全体に渋めの色調でいい感じの人が多かった。

第一部、桂吉の丞の「ときうどん」は元気いっぱいで楽しくやっていた。うどんの食べ方も上手で若々しかった。桂吉坊の「池田のしし買い」もおなじみの噺だから笑って聞いた。わたしが上方落語に目覚めたのはジャズ喫茶「タイム」で米朝さんの「池田のしし買い」のレコードを聴いたときからはじまっている。今日は若い元気な「しし買い」だったがそれなりに楽しめた。で第一部が終わった。
第二部は能役者の味方玄を招いてのトークではじまった。これはいただけなかった。味方さんは能を世に広めたい志を持っている方だと思う。それで、謡の稽古に来ている(トークによるともっと深い関係があるようだ)吉坊の誘いに乗りはったのだと思うが、もっと打ち合わせをちゃんとしてほしかった。照れもあっただろうが話がだれていた。お客に「高砂」を教えてくれてトークは終わり。次に「松風」を謡ったがトークの後だけについていけなかった。いつか味方玄の能舞台を見てみたい。
最後の噺を聴いているうちに「七段目」とわかった。あらあら、えらいもんやるなと思って聴いていたら、器用にこなしていたけど若さが出てしまっていた。若さから巧さへ変わっていくのは大変だと思う。これはもうちょっと年をとってからやりはったほうがいいと思ったのはわたしだけかも。お囃子も入って賑やかに終わって拍手もいっぱいだった。

午後の日差しが白いカーテン越しに入ってくるビルはとても魅力がある。ふと、ここ新町で桂文太の新町の遊女が出てくる噺を聴きたいと思った。そこの新町橋のほとりでっせとか言って「幾代餅」やったらよかろうなぁ。

2007年03月30日

活字OCRソフト「読んde!!ココ」をバージョンアップ

大量に資料を読み取る必要があってOCRソフトが必要になった。いままではスキャナにバンドルされていた「読んde!!ココ」の低機能ソフト版を使っていたが、今回はそれではラチがあかない。いろいろと調べた結果、ウィンドウズ版のビスタにも対応している最新バージョンを非常に安くバージョンアップすることができた(うちにはビスタはまだないけれど)。
実はOCRしてみたいものが数日前に出てきた。わたしの日記のバックナンバーはヴィク・ファン・クラブのサイトにあるのだけれど、なぜか2001年8月の20日間分が欠落している。それがわかったときいつか入れようとテキストを保存しておいたのだけれど、入れるのも忘れ、テキストもマックを替えるときに捨ててしまったらしい。そこで慌てることはない。ちゃんとプリントアウトしたものがある。保存の三段構えの最後ね。これを文字打ちしたらいいんだけど、10,000文字くらいあるので面倒と思っていたところだ。ウィンドウズ機2台は相方専用(わたしはよう使わん)なので、仕事にかかる前の試しにやってもらうことになった。

そんなことで思い出したのは、パソコン初期のOCRだ。ヴィク・ファン・クラブが発足して間もないころだから15年くらい前、落語家の桂あやめさんがまだ桂花枝さんのとき、小倉知加子さん、島崎今日子さんらが花枝さんファンクラブをつくられた。わたしもそのときの落語会に行っていて会員になった。彼女らがファンクラブの会報をつくるというので協力を申し出て1号目をつくった。善意+マックでDTPをやる機会を逃さなかったってことね。会員証もつくったが花枝さんが気に入ってくださったと聞いている。
会報の原稿はほとんどワープロで打ったものをプリントアウトしてあったので、打ち直すのもいやだしOCRしてみようとなった。ソフトはいまのように精度がよくないから校正が大変だった。いわゆる校正ではなく、字をひとつひとつ確かめるのだから、これなら打ち直すほうがマシと思った。

桂花枝さんは桂あやめさんになりどんどん大きくなっていきはった。わたしはあやめさんの噺を二回田辺寄席で聴いたことがある。いまNHKテレビ「芋たこなんきん」で、酒屋のおかみさん役で出てはるので毎日のようにお顔を拝見している。次はもっとお色気のある役柄で出てほしいなぁ。

2008年01月21日

亜麻仁油を飲んで思い出した 落語「もう半分」

亜麻仁油がアトピーにいいということで、毎晩大スプーンに一杯を飲んでいる。見た目はちょっと濃いめのオリーブオイルだが、わずかにせよ油をそのまま飲むのははじめてだ。唇も歯茎もべとつくのが困ったところ。すぐに熱い白湯を飲むことにしている。それから夜の歯磨きにかかる。

さっき亜麻仁油を飲んでいたら、油を飲む落語があったよなと思い出した。もしかして「もう半分」じゃないかと、このブログを検索したら、2005年5月に桂春之輔師匠の「もう半分」の感想があった。
大阪、四ツ橋の近くにある居酒屋にじいさんが入ってきて酒を飲む。もう帰らなきゃと「もう半分だけ」と頼むのだが、飲んでしまうと、また「もう半分」と飲み続ける。夫婦はじいさんが置き忘れたお金をネコババする。それは娘が身売りしたお金だった。絶望したじいさんは西長堀川に身投げする。酒屋は繁昌して子どもが産まれて万々歳だが、生まれた子どもはじいさんそっくり。夜中にその赤ん坊が行灯の油を飲み、夫婦のほうをじろりと見て「もう半分」。桂春之輔師匠の噺は絶品だった。陰惨な噺に息をのんだ。

About 寄席・落語

ブログ「kumiko 日記」のカテゴリ「寄席・落語」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のカテゴリは女性です。

次のカテゴリは散歩です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。