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女性 アーカイブ

2003年12月06日

夢のインテリア

「〈インテリア〉で読むイギリス小説」という本を図書館で見つけた。まだパラパラとしか見ていないのだが、ジェーン・オースティンのカントリーハウス、ジョージ・エリオット、チャールズ・ディケンズのヴィクトリア時代のインテリアからはじまって、現代にいたるイギリスの小説に書き表されたインテリアについて述べてあり興味津々である。
インテリアという言葉を知ったのはいつごろだろうか。言葉は知らなかったけれど、わたしは子どものときからインテリアに憧れていた。姉が持っていた紙でできたドールハウスは、折り畳んだ紙を広げると部屋の壁があり戸棚などが描かれていて、テーブルや椅子はうまいぐあいに床に糊で貼られていて立つのだった。その部屋の住人の名前はくるみちゃんで、友だちもいて、紙の着せ替え人形なのだった。姉が飽きてくれたときはどんなにうれしかったか。紙の部屋とくるみちゃんとで物語がどんどんできていくのだった。
それから中原淳一である。雑誌「ひまわり」には着るものだけでなく、インテリア記事がたくさん載っていた。貧乏で子だくさんの家だったから、狭い家の中の狭い自分のスペースをどうしておしゃれにするかが大問題だった。中学生のときに買った小さな本棚はいまも使っているが、花や人形を飾ったりしてどれだけ楽しんだことか。
独立してはじめて住んだ6畳の木賃アパートや、その次ぎの2間の文化住宅では、インテリアもクソもなく部屋中本だらけだった。その次は1LDKの公団住宅で、このときはずいぶんと凝ったものである。いま使っているテーブルもこのときに買った。同じ部屋なのになんでこんなに広いのかとウワサがたって、近所の人が見に来たことがある。なーに、人並みの結婚家具を持っていないだけなのである。

2003年12月25日

贅沢貧乏をやりぬく

今月の16日に森茉莉の「贅沢貧乏」について書いたら、掲示板で綾美さんから〈心の豊かさが全てを決めると思います。〉と言う意見が出た。わたしはちょっと気むずかしく〈贅沢貧乏は、清貧とは違うし、ただの心の豊かさと言ってしまうのも違う。むずかしい貧乏です(爆)〉と答えたのだが、そこに、るりこさんが〈それは「プライド」です。〉と明確な意見を出してくれた。わたしはそこまで言ってもらったからこそ、〈それにプラス自分だけが持つ「美意識」かな。〉と考えをまとめることができた。今日の掲示板では、るりこさんが〈自分だけが持つ美意識〉について明確に書いてくださっている。
掲示板のいいところは、こうして話し合いつつ考えがまとまっていくことで、このライブ感覚が好きでたまらない。2・3ヵ月前にやはりるりこさんが「コミュニケーション能力」について質問してくださり、考えて返事をしつつ、それは「誠意」だとまとまっていったときはうれしかった。そんなにたいそうなことでなくとも、生活のことや季節感のことなど、おやっと思ったり、感心したりすることがある。映画の新作がどんなのかもわかるし。
贅沢貧乏と言っても価値観が変わるから、こうしたらいいというものはない。20年前には野の花が好きだったけれど、こう世間が野の花ブームならもう言っちゃぁださい。手作りというのも、言葉にカビが生えているようでこだわれない。「杉谷さんは田辺寄席に行ってらっしゃるの。わたしは米朝独演会に毎年行ってますよ」とわざわざ言ってきた人がいる。この場合は米朝さんの値打ちは別の問題で、田辺寄席にかかわっているわたしのほうが贅沢でおしゃれだとわたしは言う。

2004年02月27日

長女・次女・便所(究極の三女論)

やしきたかじんが出ている深夜テレビ番組(毎日放送)を、月に一度くらい見ている。関西だけの番組で、たかじんの独断と本音のすさまじい大阪弁トークがおもしろい。今週も週刊誌の深読みをしたり、女性キャスターの品定めなんかしていたが、なんの話からだったろう。突然「長女・二女・便所」と言った。司会者があわてて「これは昔から言われている言葉を言ったまでです」とフォローした。そして、次に「長男・次男・○○男」と言ったのを笑って聞いたけど忘れてしまった。やっぱり悪い言葉だけれど、「便所」ほどではなかったよ。
しかし、「長女・二女・便所」とはよく言ったものだ。わたしは三女として生まれた者として、このページで何度も三女論を書いてきた。「シンデレラ」にしても「美女と野獣」にしても、三女の一発逆転の物語である。こういう物語があるくらいに、三女に生まれてきた者は差別されてきたのである。
考えてみれば、ひとつは「長女・二女・便所」は男の側からの言葉で、三女とつきあってもいいことはないという功利的なものであろう。長女と次女なら親の愛とともに財産が付いてくる。もひとつは、三女は性格が地味でひがみっぽく、便所みたいな存在ということかもしれない。わたしを見ればそうかも(笑)。わたしの場合は、親に厄介をかけないでいると、親はそういう手間のかからない子ということで、手間をかけてくれなかった。長女・次女・四女は手間がかかったので、可愛かったのだと思う。
それにしても、「長女・二女・便所」という言葉は究極の三女論だと感心してしまった。昔からの言葉には真理が宿っている。

2004年04月15日

椿油で美人になる

いつも野菜や健康食品を頼んでいる「ポランの宅配」のカタログに、久しぶりに椿油があったので頼んだ。顔はお日様に晒しっぱなしだし、髪は水をつけてブラシをかけているだけなので、いつもぼさぼさ。椿油でパックしたら、少しどうにかなるかしらと思った(笑)。
わたしは化粧とかメイクとか生まれてからしたことがなくて、つけているのはヘチマコロンだけである。シャンプーやリンスも使わないで、石鹸で顔も体も頭も洗っている。リンスは気が向いたら千鳥酢を使っている。眉毛だけは美容院でカットしてもらっているけど。
椿油(伊豆利島産の100%椿油)がきたので、さっそく顔のパックをした。お風呂にはいるとき、顔を洗ってから椿油を顔全体に伸ばして20分くらい湯につかってから洗い流す。お風呂からあがるとつやつやして気持ちよい。髪を洗ってから数滴たらしてリンスしたら髪もしっとりと気持ちよくなった。今度はヘアパックもしてみよう。

2004年04月20日

勝ち負けを超越する

先日新聞の雑誌広告を見ていたら「FRaU(フラウ)」という女性誌が目についた。「今、勝ち負けを超越する美人の条件とは?」というもので、ニコール・キッドマンをトップにいろいろとハリウッドやヨーロッパの人気女優の名前があがっている。最近は映画雑誌も買わないから、映画の記事も読みたいし、さっそく買いに行った。わたしの生活には関係ないけど、たまにファッションやメイクの記事を読むのも楽しい。
もちろん、「勝ち負けを超越する」という記事に一番の関心がある。最近「勝ち組」「負け組」という言葉は、世間の流行に疎いわたしの目や耳にもよく入ってくる。「負け組」の人たちの遠吠えのような言葉も、知り合いやネットから耳に入る。そんなに気にせんでも、と思うのは「負け組」にも入らないわたしの余裕であろう(笑)。だから勝ち負けに全然こだわらずに正々堂々生きていけるということを、「FRaU」の記事を読んで気がついた。
ということは、勝ち負けを超越した美女ニコール・キッドマンと通じるところがある! ということに気がついたってわけ。ルンルンしちゃうわね。

2004年04月26日

大岡昇平『ルイズ・ブルックスと「ルル」』

毎日パソコンを前にしていると、そしてパソコンという道具でメールとなって運ばれてくる、人間関係の糸にからまれていると、本を読みたいという欲求がふつふつとわき上がってくる。今夜は読みかけのミステリーや秋山小兵衛でなく、こころが安らぐ本を眺めていたい。となると絵本だけれど、今夜は写真と大岡昇平による丁寧な解説のついた『ルイズ・ブルックスと「ルル」』を出してきた。大きな四角のおしゃれな本で1984年に出版されたもの。
この本が出たときはうれしかった。ルイズ・ブルックスはそのころのわたしの女神みたいなもので、また好きな人もいたらしく、ちょっとしたおしゃれな雑貨店には彼女の絵はがきを売っていた。はがきホルダーにはいまも数枚のモノクロ写真の絵はがきが入っている。おかっぱあたまの神秘の美女である。「ルル」という映画を見た気持ちになっているが、実際見たのかどうかを覚えていない。この本や絵はがきや雑誌を見すぎて、見た気分になっているのかもしれない。
今夜も文字は読まずにひたすらめくっては写真を見ている。こんなに美しい人がいたんですね。性悪な女、宿命の女、わがあこがれの女性。眠る前のひとときの快楽である。(中央公論社 2800円)

2004年05月10日

元気な人たち

近くにできた大阪市立西屋内プールが今月の14日にオープンとなった。パンフレットによると、火曜日定休で午前9時から午後8時半(最終受付8時)まで利用できる。温水プールは25メートル×8コースで幼児用もある。いま行っている下福島プールといっしょだし、大阪市立プール共通の定期券がそのまま利用できる。ありがたい話である。
今日は下福島プールに行って、ここへくるのもあと何回かなんて思っていたら、「いつからあっちへいくの?」と聞かれてしまった。最初の人は野田阪神から赤バスで来ている。バスを待ってここへくるより、老人定期券があるから地下鉄千日前線でそっちへ行ってみようかなと言う。次の人は西区民だが北のほうなので、歩いて下福島まできている。やっぱり老人定期券で阿波座から地下鉄で行くことにするという。お二人ともかくしゃくたる80代である。「せっかく行くんやったらオープンの日からいかんとな」と元気なもの。「ジブンが行ってる時間をめがけて行くわ、だいたいこの時間くらいやな」と言われたら、私はその時間に行かざるを得ないじゃありませんか(笑)。
でも2年半通ってなじんだこのプールに来ている人たちや係員の人たちにまた会いたくなるだろうな。バスの回数券が残っているのでたまに来ておしゃべりしよう。
※ご存知でしょうが、大阪では相手のことを「自分」と言います。

2004年05月12日

元気な人たち(2)

一昨日ここに書いたのはプールで出会った80代の元気な人たちだが、今日は元気な有名人をテレビで見た話です。情報ステーションでオノヨーコさんは見るのを忘れたけど、秋吉敏子さんはちゃんと見た。両人とも年を重ねていよいよ華やかになっているのがうれしい。
ちょっと前だけど、NHKで大正時代の子どもの雑誌「赤い鳥」を特集していて、編集・発行者の鈴木三重吉についてくわしく知ることができた。夏目漱石の弟子であることや、「赤い鳥」には芥川龍之介、北原白秋、西条八十など、第一級の作家や詩人が執筆していることなどは知っていたが、芥川の書いた「蜘蛛の糸」の原稿を子どもたちが読んでよくわかるように、手を入れたという話は初耳でおもしろかった。あの芥川がそのまま受け入れたというのもすごい話だと思った。
その鈴木三重吉が抱いていた女の赤ちゃんが成長してアメリカに渡り、ファッションデザイナーとして活躍して、いまは横浜で一人暮らしで仕事を続けている。80歳を超えて華やかに仕事している姿に魅せられた。
オノヨーコさんも秋吉敏子さんも鈴木さんも、アメリカで自立して生活してきた人たちである。日本国内で生活してきても、あのように元気で自己主張できるのか、うーん、がんばらなくっちゃ。
今朝の新聞に田辺聖子さんの全集発売広告に大写し写真が出ていたが、顔の表情が童女のようにあどけなく、しかも知的で、お顔と髪型とお洋服の襟元がよく似合っていた。

2004年06月26日

「女たちの便利帳 5」

例会から帰ったら「女たちの便利帳 5」が届いていた。「情報はチカラ。女性の活動を紹介する情報誌[全国版]」とサブタイトルがついているこの本は、ジョジョ企画から隔年で発行されている。ヴィク・ファン・クラブは2回目(1998年)から載っているから、今年で6年目を過ぎることになる。当時の会員が絶対連絡すべきだと用紙を送ってくれたもので、わたしはこういうことには消極的なのだが、項目を記載して送ったら採用され、現在に至っている。その会員はとうに辞めてしまったけれども、こちらはずっと続いている。この本に存在をはっきりと示しているのだから、再来年に次の号が出るまではVFCをなくしたらあかんと、わたしは律儀に考えているのである。
大阪府のページを開いて見ていったら、なななんと、VFCは「性差別」の項にあった。そりゃ、性差別をする団体とだれも思わないだろうけど、ちょっとひっかかる。あいうえお順ということで一番前にあるんだけど、後は立派な団体名が並んでいて、なんか申し訳ないような(笑)。
日本全国の女性団体やお役所、弁護士や医師、書店や出版社、雑貨店や食べ物屋などなどがぎっしり詰まっていてなにかと便利な本である。(ジョジョ企画 2800円+税)

2004年10月04日

女性専用車に乗った

張り切って梅田まで行ったのに、お目当てのウィリアム・モリス展は昨日で終わっていた。昨日の夜大丸梅田店の前を通ったとき、「ウィリアム・モリス展」のポスターを見たので、頭から火曜日までと信じ込んで今日行ったんだけど、日曜日で終わっていたんだよね。あーアホくさ。
しょうがないので、英国展をゆっくりと眺めて、KAZUMIさんのサイトで教えてもらったスチルトンチーズを買い、ついでにアイリッシュブレッドとギネスケーキを買った。その後は行き慣れた阪神百貨店で、古びてしまったサイフの替りを買って、晩ご飯の魚その他を買った。
御堂筋線でちょうど女性専用車が前にきたので乗った。通勤時間だけなら関係ないが、土日を除く毎日の終日になったので、わたしも乗れる。乗ってみたら男性がけっこういる。男性はいままでどこであれ、自分が拒まれることがなかったんじゃないかしらね。だから電車が止まったら乗るだけなのね。わたしの前に座った女性(ハタチくらいのとてもおしゃれな子)が、隣に座った男性に「ここは女性専用車です」とドスの利いた声で言った。そしたら男性のほうは「えっ!」と驚き、外へ出るか隣の車両に行った。計4人、サラリーマン風。梅田から心斎橋までを観察していたが、その他の女性たちは他のことには無関心な感じ。男性たちもなにも気がつかずに乗っている。他の車両より少しだけ空いていた。
わたしとしては、女性専用というのはあまり好きではないが、長い年月の通勤電車でどれだけ痴漢にあったか数えきれない。思い出すだけでアタマにくるもん。専用車で女性が痴漢に出会うのが少しでも防げるならいい。

2004年11月16日

45歳で初産の友

東京在住の友人から電話がかかった。「久しぶりー」といつもの挨拶だったが、その後が「わたしねぇ、1週間前に子ども産んでんよ」である。この前に電話があったのが春ごろで、たしかワインと中国土産のクコを送ってくれたのだった。それの礼を言って以来である。
「ちょっと、××いくつやったっけ?」とめったにしない質問をしてしまった。「45歳で高年初産、そやけど軽かってんよ、母が病院へ駆けつけたときはもう産まれていて、受付で、お産がむちゃくちゃ軽かった人ですねと言われたんやて」
彼女と知り合ったのは25年前、ロックマガジン主催の催しが八幡筋のディスコであったときだ。ド派手な装いに度肝を抜かれて眺めていたら、なぜかいっしょに帰るとよりそってきたのがはじまりだった。まるで子猫がなつくみたいに、そのままわが家へ来てご飯を食べて、それ以来いっしょにあちこち遊びまわった。そのときはビニールなんかでオブジェをつくる前衛美術家だった。ときには破れたTシャツに安全ピンを留めていたり、ときにはどぎついピンクのフリフリだったり、いまならこんな服装はざらに街で見かけるけれど、当時は歩く人が振り返って見ていた。アパートに行くとオブジェや服が散乱していた。頭が良くてたくさんうちの本を読んでいたが、ミステリだけはダメだった。
そんな暮らしが2年くらい続いたのだが、ある日東京へ行ってしまった。たまに電話があり、たまに大阪へ帰ってきたりしていたが、新宿でバーをはじめたと聞いたときはびっくりした。そしたら次は結婚である。39歳で結婚して6年後に子どもを産んだわけだ。

2007年05月15日

ジーン・シノダ・ボーレン「女はみんな女神」で女性性について勉強

何年も前に買ってちらちら見ただけで置いてあった本。ちょっと必要があったので探し出し、読んでみたらおもしろいんでびっくりした。1981年にアメリカで出版されベストセラーとなったという。
著者は父方母方とも祖父母がアメリカに移住した日系アメリカ人で、カリフォルニア大学で医学を学び、精神科医となった。ユング研究所で訓練を受け、ユング派分析家の資格を獲得したという人である。そして従来のユング派における一面的な女性観を批判して、女性性の多様性を強調する新しい女性心理学を構想した、と訳者のあとがきにある。

わたしは本書のタイトルがヘンだと思っていたのだが、大間違い。この女神というのはギリシャ神話の女神たちのことで、読んでびっくりしたのだが、いまの女性たちのタイプはギリシャ神話の女神のありようと同じなのだ。なんて書いたけど、わたしはギリシャ神話は子ども向けのを子どものときに読んだだけだ。「アモールとプシケー」だけは大好きな話で絵本でも持っているけど。だからギリシャ神話の知識を得つつ、女神たちの性格や生き方の現代女性への応用を読んで、すごい勉強になった。

読んでいるうちに、わたしはどうやらアルテミス型だとわかって苦笑。一覧表によればアルテミス型は、〈ユング心理学的類型〉は「通常は外向性、直感優位、感情優位」、〈心理的困難〉は「うちとけなさ、無慈悲、憤怒」、〈強み〉は、「自分の目標を設定して、それを達成できる。自律性、独立心、女性との友情が築ける」とある。当ってるわー。
そして知り合いのあの人は「父の娘アテーナーや」とか、「あの人は妻の女神ヘーラーそのものやな」と思い当たった。うん、それがわかったら人とのつきあい方がわかって生きやすくなるような気がしてきた。(村本詔司・村本邦子訳、新水社 1991)

2007年05月16日

わたしはアルテミス 「女はみんな女神」を読んで

「女はみんな女神」がおもしろい。最初はなんでギリシャ神話で女性を説明するんだと、基本的なところで疑問をもった。そしたらこんな説明がはじめにあった。
【C・G・ユングは元型の概念を心理学に導入した。彼は元型を集団的無意識に含まれている本能的行動のパターンとして理解した。(中略)神話やおとぎ話も元型の表現である。世界中に多くのさまざまな文化が存在するにもかかわらず、そこで語られている神話がよく似ているのは、あらゆる人々の心の中に共通の元型的パターンが存在するということから説明される。(後略)】
そうなんだーとわかって読み出したら、トップバッターがアルテミス(狩りと月の女神ディアーナ)なのであった。ゼウスとレートーの娘でアポローンは双子の兄である。
あるときアポローンにそそのかされて、海にある暗いものを射ってしまう。それはアルテミスが気持ちを寄せているオリオーンだった。後にオリオーンを星座にし自分の猟犬を与えた。それがシリウスで、シリウスはオリオン星座に付き添って天をわたっているそうな。わたしはなぜかオリオンとシリウスが好きで、いつも見えた見えたと騒いでいる。内なるアルテミスのせいだったのかー。
自己充足型で「自分のことは自分でできる」タイプで、自分を「ミズ」と呼ばれることに固執する。「大姉貴」として「姉妹」たちを統率し、月光の中で自然と一体になる。また、母親のようになるまいと決心することで依存感情を押し殺し、自分の傷つきやすさを表現することを避けて自立を誓う、というのもなんだかわたしのことを言ってるみたい。
少女時代、セックス、結婚、兄妹のような男性関係、といろいろ章が進むのだが、それぞれが腑に落ちる。そして晩年となるとそのものずばりだ。若い頃からの活動性は決してやまない、若者のように考える能力が保持され、老年期になっても老人のように感じない。わーい、がんばろう。
このあと「無慈悲」「うちとけなさ」についての説明があるが、一読してその通りだと思った。ここはよく読んで乗り越えていかねば。

2007年05月19日

「女はみんな女神」 3 アルテミスを超えられるか

「女はみんな女神」1回、2回に続いて感想第3弾。感想というより自分がいかに「アルテミス型」かを書いているだけだが。ほんとに本書に書いてあるアルテミスのすべてがわたしにあてはまる。
【アルテミス型の女性が追求する関心は、なんら商業的な価値がなく、出世につながりもしなければ、有名になったり、懐ぐあいがよくなったりもしない。反対に、ときには、その関心があまりに個人的であるか、既成のレールからはずれていて、あまりに時間をくうために世間での成功や人間関係のコネができないのは受け合いである】とあるが、まったくその通りである。アタリすぎて怖いほどだ(笑)。だから世間からビンボー人とかマイナーリーグの人と軽蔑されてるんだけど、あんまり気にしてないもんね。
「うちとけなさ」は書いている通りといわざるを得ない。自分のことに集中していて他人には無頓着で、まわりの人々の感情に気がつかないというのはほんとだ。【他の人々の言うことをよく聞き、注意を払う必要がある】そうだ、今後は気をつけなくっちゃ。
「無慈悲」のところでは、【間違ったことにたいして憤慨したり、他者に誠実であったり、表現する力をもっていたり、行動をおこすという】ここはいい性格だと思っていた。だからこそ【アルテミス型の女性は、自分が復讐したり罰したりする場合、自分は公正だと感じるのである】と言われると、いままで友人だった人と袂を分かったときの自分の態度を考えてしまった。いまだって自分は公正だったと考えているけど、相手のほうは傷ついていたのは確かだ。成熟して同情と共感を発展させるようにしたら情け深い人になれるとある。考えるところなり。

【アルテミスを越えて成長するためには、あまり意識されていない、受容的で、関係志向的な潜在力を発展させなければならない。傷つきやすくなり、他者を愛し深く気づかうことを学ぶ必要がある。それは人間関係の内部で生じるであろう】ということなのだが・・・。

2007年05月25日

アルテミス型の女 フランソワ・トリュフォー監督「黒衣の花嫁」

トリュフォーの映画の中ではよくないほうの映画で、わたしは封切りで見ているのだが、終わったときがっかりした記憶がある。最近ヌーベルヴァーグの見直しをしているが、好きだった映画がつまらなく、なーんだと思った映画がおもしろかったりする。「黒衣の花嫁」(1968)はいま見ておもしろい映画だ。テレビでやるとわかったとき思い出したんだけど、ジャンヌ・モローが画家のモデルとして、狩猟と月の女神アルテミス(ディアーナ)そのものになるのを思い出し興味しんしんだった。

「幻の女」(ウィリアム・アイリッシュ名義、カボチャ型の帽子をかぶった女が出てくるのを覚えている)を読んで、次くらいに「黒衣の花嫁」を読んでいる。両方とも「別冊宝石」という雑誌だった。挿絵がとてもよかった。ストラップレスのドレスという言葉をはじめて知った。

自殺しようとするのを止められ、探さないようにと言いおいて家を出て行った女性(ジャンヌ・モロー)は、次々に男を殺していく。結婚式で教会から出てきたときに腕を組んでいた夫が銃で撃たれたのだ。向こう側のビルの一室で5人の遊び人の男たちが、誤って実弾のこもった銃を撃ってしまい、殺人に気がついてそれぞれ逃げおおせる。(こんな古い作品だから最後まで書いてもいいでしょう。ダメなら以下を読まないで。)
ベランダから突き落とし、毒薬を酒に入れて飲ませ、もの入れに閉じ込め、3人を殺す。4人目が画家で、モデルになるとディアーナになれと言われる。白いチュニックを着て矢入れを肩に弓をかまえるスタイル。そして弓で殺す。5人目は刑務所にいるので、ここでわざと捕まり、いままでのを告白するが、何故やったかは言わない。そして刑務所内で第5の殺人は叫び声で終わり。

ヒロインがこれだけまともにアルテミス型なんだからすごい。本人にとって5人を殺していくことは公正なことなのである。だって、私と彼の幸せな人生を潰したんだもの、そして犯人たちは逃げおおせて幸福な生活を送っているのは許せない。こうなったときアルテミスだから自分自身の目標に精神を集中して迷いがない。そして、無慈悲な犯行に及ぶ。

この映画はトリュフォーがジャンヌ・モローに捧げた作品だそうだ。そして衣装のピエール・カルダンは恋人だ。美しい衣装をとっかえひきかえ着替える。彼女はこのとき40歳くらいだそうで、ちょっと老けたところは感じられたが、走ったり早足のときの動きが速くて(これもアルテミスの特徴)若々しい。

2007年07月01日

仲が良いと家族?

昨夜 nu things のバータイムに、ピアニストのMさんと歌手のAmyさんと女3人おしゃべりに花を咲かせていた。お二人は若いし美人だし、それに話の内容が自由で楽しい。笑い声もあがる。そのときずっと視線を感じていたのだけれど、その視線を送っていた若者がやってきた。前にきたとき会ってさっき挨拶したけどなんの用かな。そしたら「今日はお嬢さんたちと来られたんですね」って、これには吹き出した。側にいた相方は苦笑い。そしたらMさんが「私は長女です」と言ったのでまた大笑い。

以前、若い女友だちとアメリカ村で服を買うのを手伝ったことがあった。店員は「お母様」とお金を払うのはわたしとばかりに話かけてくる。「友だちやねん」と避けたが、年齢が違うと親子とか家族としか思えへんのかな。

プルーストの「失われた時を求めて」で年取った「わたし」が、自分では年をとった実感がないのに、他人の視線で「年を取ったこと」を感じさせられる場面があった。わたしもしゃべっているときは年を取っている気持ちはない。【若い頃からの活動性は決してやまない、若者のように考える能力が保持され、老年期になっても老人のように感じない。】(ジーン・シノダ・ボーレン「女はみんな女神」)というアルテミス型なので、よけいにそうだ。でも他人の視線では大人の女性2人の母親(笑)。日本ではまだまだ年齢差のある女性たちの友情や親愛の情は理解されないものなのね。

2007年09月01日

素晴らしき休日

昨夜は涼し過ぎるくらいでタオルケットを巻くようにして寝て、今朝も気分よくお昼まで眠った。これだけでは夏の疲れはとれないだろうが、かなり調子がよくなった。いま読んでいる三島由紀夫「天人五衰」に、老人になった本多が毎朝起きたとき体調を気にするところがある。そうか、若いときは体調なんか気にしなかったっけ。いくら夜遅くても朝は起きて仕事に行ってたっけと遠い目つき(笑)。そんなことより、いまも元気で働けているのがありがたいと思わなくっちゃね。

晩ご飯を食べてから相方がライブに出かけるというので、ゆっくり本を読もうと思っていたら、ギネスを飲んでおしゃべりしましょうとメールがあった。そういえば、彼女とは連れといっしょのときが多くて、二人ではしゃべってなかった。
ほいほいと出かけて閉店までしゃべっていた。かなり深く人生のお話になって深刻になっても笑い飛ばせてよかった。ほんとにおしゃべりは体にいい。お互いにすっきりとして帰った。

2007年11月02日

女性ライフサイクル研究所 年報17号「ワークライフバランス社会をめざして」

女性ライフサイクル研究所(FLC)から今年も年報が送られてきた。毎年11月に発行される年報を知ったのは阪神大震災の翌年、朝日新聞家庭欄に紹介されていた震災特集号を見たときだ。
さっそく送ってもらったら、マスコミとは違った視点で地震被害が取り上げられていた。すぐに入会してからもう10年以上経つ。
その後はフリートークにお邪魔したり、講演会などに参加したりして、それまで自分が知らなかったことをいろいろと勉強させてもらった。心理学の本はフロイトやユングやレインなど好きで読んでいたが、ただそれだけだった。FLCを知ってからは、臨床心理士さんと直接話はできるわ、オフィスを移転されたときにはカウンセリング室も見学させてもらうわで、すいぶんいい経験になっている。

年報17号「ワークライフバランス社会をめざして」の内容は、仕事観の形成とワークライフバランスについての論文をトップに、若者のキャリア教育、シングル女性、子育て、男性の育児休業、病児保育、夫の単身赴任、40代からの再就職、離婚、とさまざまなシーンの問題が取り上げられている。それぞれ力いっぱいの真面目論文だ。
「ワークライフバランスとは、仕事、家庭生活、地域生活、個人の自己啓発など、さまざまな活動について、自ら希望するバランスで展開できる状態である。」なんだって。
紹介の最後に付け加えると、わたしの文章も載っている。いえ論文ではなくて600字のコラムですが。このすごいテーマにそって600字書けと言われても・・・ということですごく考えて書いた。読みたい人はFLCに注文してください。FLCメンバーによる論文はきっと勉強になると思う。(女性ライフサイクル研究所 1000円+税)

2008年03月27日

レジナルド・ヒル「ダルジールの死」の女たち

レジナルド・ヒルの作品はいつもパスコーの妻で作家のエリーほか、いろんな女性が出てきて楽しませてくれる。今回はダルジールの同伴者キャップがいい。ダルジールが爆発でやられて意識不明の日々が続く。貴族階級出身のキャップは自費で立派な病室を確保し、強引に病室に住み込んでいる。パソコンを駆使して動物保護運動の連絡をとりながら、常に病室に音楽を流し、瓶に入れたモルトウィスキーを嗅がせるという独特な方法でダルジールの看病をする。常識人のパスコーはキャップに、アングロサクソンの大晦日をスコットランドのホグマネイパーティーに変えるのに最適な音楽がつまっていると書かれたテープの箱を見せられて、【世界は深刻におかしな人間だらけだ。おれにはわかる。そのうち二人と同居しているんだから。】キャップやエリーにおとらず、娘のロージーも強烈な個性の持ち主なのだ。

ダルジールに言わせると【「わたしといっしょになったとき、こいつは外科手術で口から銀のスプーンを取り外さなきゃならなかった。もちろん私費健康保険を使ってな」】なのである。最後に彼女の昔の学校の先生からのメールで、エリーにもわたしたち読者にも事件の歴史的背景が見えてくる。
エリーは今回はパスコーの心配をしすぎるが、そのエリーにキャップは言う。【「あの二人をつないでいるロープは、わたしたちのロープよりある意味でずっと短く、ずっときつい」】
その他、ダルジールが昔話に語ったダンス相手トティが最後のほうに出てきて、見事な活躍を見せるし、CAT主任警視のサンディ・グレニスターも人間味があってよかった。エリーの広報係フィオンもいかにもマスコミ人間らしいおもしろさである。

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