メイン

アート アーカイブ

2001年01月03日

斉藤環「戦闘美少女の精神分析」

タイトルが気に入って広告を見たときに買うつもりだったのをSさんが貸してくださった。わたしは“おたく”ではないかと自分で思ったことがあるけれど、この本を読み始めたときには本物の“おたく”という存在とは遠く離れていることがわかった。タイトルになっている“戦闘美少女”のアニメ(「リボンの騎士」「じゃりン子チエ」「風の谷のナウシカ」「セーラームーン」など)をひとつも見たことがないしね。本の「風の谷のナウシカ」でさえ、読み通せなかった。しかし、“戦闘美少女”を愛する人たちへの好奇心は人一倍あるので、好奇心を誘われて読みはじめた。
それだけではない、ものすごく嬉しいことがあった。ヘンリー・ダーガーを知ったことだ。Sさんによるとダーガーはこの本ではじめて日本で本格的に紹介されたそうだ。アウトサイダー・アートという言葉もわたしははじめて知った。
ダーガーは60年間にわたってだれにも知られず作品を創造していた。15000ページ以上のタイプ原稿と添えられた膨大な挿し絵があって、まだその物語の全貌は明らかにされていないそうだ。シカゴのノースサイドで掃除など単純重労働をしながら、貸間でひっそりと一人暮らしをしていて、80歳のとき老人施設に収容された。そのとき部屋にあるものをどうするかと聞かれて家主に全部あげると言ったのだが、その家主がダーガーの部屋の掃除をして、彼の膨大な作品を見つけたという。
10点ほど彼の絵が紹介されているのだが、中でも見開きのカラーの作品に惹かれた。「風が吹き荒れている」の部分なんだけど、少女たちがなにかに追われて走っている。淡い色使いが昔の絵本のようですごくきれいなのに全体が不気味なのだ。ヴィヴィアン・ガールズと名付けられたペニスをつけた6人の少女は「非現実の王国におけるヴィヴィアン・ガールズの物語」の中で闘っている。
ダーガー紹介をはさんでおたく論が展開されているのだが、なるほど、なるほど、の連続であった。わたしは“戦闘美少女”のアニメを見る欲求を持っていないけれど、「高慢と偏見」や「ジェイン・エア」など、違ったところで闘っている“戦闘的美少女”の“おたく”であるのかもしれないことに気がついた。(太田出版 2000円+税)

2003年12月28日

板東玉三郎の「お染の七役」

今日は夕方からテレビっ子だった。これ以上は見ていられないと、まだ30分あるのだが、さっき玉三郎の芝居を途中で切ってしまった。これを書いて、お茶碗洗わんとー。
7時からなんかやってないかとテレビをつけて、NHKニュースの後、京都テレビで西郷輝彦が富良野へ、五木ひろしが横浜へ行っているのをぼけーっと見た。その次は水前寺清子だったので教育テレビにまわしたら、活け花作家の中川幸夫だったので見続けた。ものすごい量のチューリップの花びらを空からまく美しいところを見られてよかった。中川さんの花はすごい。日常生活の花もすごいし、美術館での竹の造形もすごい。太い筆で書く文字がまたすごい。“すごい”が重なったが、すごいとしか言いようがないのでしょうがない。
そのあとはN響の時間だったのでつけておいて、パソコンに向かい、掲示板に書き込みして、あちこちいつも見るところを見てまわった。
それからがたいへん、洗いものをせなあかんと思いつつ劇場中継、玉三郎の「お染めの七役」を見はじめた。玉三郎が、お染、久松、芸者、御殿女中、お染の母、それからだれだっけ、もう一人“土手のお六”に早変わりする。わたしはずっと昔、前進座の河原崎長十郎にぞっこんだったので友の会にも入って、大阪に前進座がきたときはいつも行っていた。それでこの芝居は河原崎国太郎が七役をつとめたのを見た。国太郎のお六は凄艶でいまも覚えているくらいよかった。玉三郎はお六よりもまだお染のほうが似合うように思う。いまお六が似合うのは桂文太だわいと玉三郎を見ながら思った。しかし、なんやかや言っても、玉三郎はほんとに奇麗。
歌舞伎に凝ったのははるか昔、10代のころである。それからバレエ、新劇、文楽、能、芝居(日本維新派とか状況劇場とか)に凝った。音楽はクラシック、ジャズ、そしてロックという順番である。
芝居でも音楽でもライブが好きだったが、最近はとんとご無沙汰で、映画にさえ行っていない。インターネットがわたしのいまのライブであり、いままでは観客だったが、いまは自分がライブをやっている感覚だからこれでいいのだ。

2004年02月16日

ジジ・ジャンメール

昨日の夜のNHK芸術劇場で、ローラン・プティのピンク・フロイド・バレエを取り上げているのを見ていて、突然ジジ・ジャンメールを思い出した。ローラン・プティとおしどり夫婦だったけど、いまどうしてはるのかしら。彼のほうは80歳ということだが、振り付けだって自分で踊って見せるくらいに元気である。その体の動きの美しいことったらない。70歳のときの「コッペリア」の一部をやったけど、等身大のお人形のコッペリアを抱いて洒脱に踊っていた。映画かテレビでコッペリアを踊ったジジ・ジャンメールを見たことがあるけど、とてもコケティッシュだったのを覚えている。普通のバレエダンサーと違うところがあった。
それから記憶が甦って映画「ブラック・タイツ」を見たのを思い出した。ローラン・プティのバレエ劇の映画化で、しゃれたオムニバス映画だった。たしか「赤い靴」のモイラ・シャーラーも出ていたと思う。
それからずっと後のことを知らないので調べたら、50代になって「カルメン」を踊り、「こうもり」にも出演して評判がよかったみたいだ。いずれもローラン・プティの演出である。ずっと仲良くやってきはったんやと、なんか安心したような気持ちになった。

2004年04月03日

幻のロシア絵本1920-30年代展

芦屋市立美術博物館で2月の末からやっている展覧会なのに全然知らず、数日前の新聞で4月11日までと知って大慌てで行ってきた。この3年間で地下鉄と市バス以外に乗って出かけたのは、京都の伊藤若冲展、リスベート・ツベルガー展以来3回目である。阪神電車で芦屋へ行き、タクシーに乗ったらすぐであった。芦屋図書館と谷崎潤一郎記念館とが並んでいる静かなところだった。
日本の画家吉原治郎氏等3人の蒐集になる貴重なコレクションである。1920年-30年代、革命後のソヴィエト連邦(ロシア)の新しい国づくりの理想に燃えた若き芸術家たちが、未来をになう子どもたちのために絵本づくりにたずさわった。紙は粗末だし印刷も汚くぺらぺらだが、ロシアアバンギャルドの魂がひしひしと感じられる絵本の数々に出会えた。マヤコフスキーが文を書いたものもあった。
文字の扱いや色づかいやレイアウトにチャペック兄弟の本と通じているところもあるし、先日買ったハンガリーの絵本「ラチとライオン」に通じているところがある。
展示では表紙と見開きにした部分しか見られないのが残念だったが、主なものはコピーしてファイルしたものが、別の場所で見られるようになっている。そして復刻本が数冊あって売っている。カタログには展示しているページ以外のページもあって楽しめる。絵本好きにはこたえられない興味ある展示であった。カタログと復刻絵本を1冊と絵はがきをたくさん買った。
帰りは隣りにある谷崎潤一郎記念館に寄り、バスで芦屋駅前まで行き、西村珈琲店でおいしいチョコレートケーキとコーヒーでくつろいだ。こんな休日久しぶりだ。

2004年10月16日

仲田まりこ個展

まりこさんとは2年前に知り合ったんだけど会ったことはなかった。2年前の個展に相方が行って楽しい女の子だったということだったが、その日が個展終了日だったのでわたしは行けなかった。ポストカードを買ってきてくれたのが気に入ったので、仲田万里子公式ホームページを見たら、ユーモラスな各ページに爆笑。ポストカードやバッジの販売ページに「商売の部屋」とタイトルをつけるなんてすごくセンスが良い。ちょうど、当サイトのリンクページを考えていて元気なページがほしかったときだったので、お願いしてリンクさせてもらった。
去年はまりこさんに会えると個展に行ったのだが、一足違いで会えなかった。その間にまりこさんは着々と仕事をしていた。あるとき朝刊にはさまれた無農薬野菜宅配のチラシに、見覚えのある元気いっぱいの少女のイラストを見つけて、頑張ってるねとメールした。
今日は3回目の個展でようやく会えました。少女のまま成長したような、すらりとしたまりこさんと、ずんぐりのわたしは並んで絵を見ながらおしゃべり。
今回のメインは立体を写真に撮ってストーリーをつけ、絵本をページごとに見せるような感じに展示したもの。ブタのぶうとぶーこの楽しいラブストーリーである。ぶうはぶーことデートの約束をした日、早く目が覚める。家はドールハウスのように作ってある。ベッドにはパッチワークのふとん、窓があってカーテンがある。森を通ってぶーこの家に着いたがぶーこがいない。嫌われたかと落ち込むぶうを森の動物が慰める。象が家まで背中に乗せて連れて帰ってくれる。そしたらぶーこが家の前にいる。早かったから迎えにここまで来ちゃったのとぶーこが言い、ハッピーエンド。カップルのブタさんの後ろ姿が可愛い。
横に立体物が並べてある。家の中が2つ、外観が3つだったかな。それからブタが何体か。各動物。それらを万博公園に持って行って撮影したそうだ。最後のシーンにはクローバーがあった。また森のシーンではキノコが入っていたので聞いたら本物だそうだ。
絵本ができたらいちばんに買うからね。

2004年11月12日

ノスタルジックな夜「マルセル・デュシャン展」とギムレット

美術館で長期やっている催しはそのうちと思っているうちに終わってしまうことが多い。今回は前売り券を買ったし早めに行こうと思っていたが、突然これから行こうということになった。毎日10時から17時までだが、金曜日だけは19時までとわかったので。
ぱっと出たのが5時半、タクシーが中之島の通りに出たら地下鉄工事で道が狭くてなかなか進まない。6時に着いたが、これなら阿弥陀池筋の住友病院付近で降りて歩いたほうが早かった。新しい美術館は地上が線のオブジェになっていて、会場は地下である。写真で見た感じでは広場にオブジェがあると思ったのだが、なんて狭いところにあるのとびっくり。さすが大阪、ビンボくさい。エスカレーターで降りて行くと常設の会場があり、また降りて行って廊下を歩いていくとデュシャン展の会場である。
マルセル・デュシャン、懐かしい名前である。若いころ、滝口修造の本で読んで憧れていた人、写真や図版でしか見たことのない作品に出会えたわけだ。すでにこういうところで展示されることで、デュシャンは権威になっていることはわかっていたけど、ほんとに実際見たらこんなもんかいなという感じだった。
だいたいがポスター、チラシ、地下鉄の中吊り広告で「泉=便器」が氾濫しているのだからどうしようもない。デュシャンが展覧会に便器を出したときはセンセーショナルだったからといって、いまさらなににでも使うというセンスがいやらしい。芸がないよ。でも、箱入りの作品の数点は欲しいくらい好きだし、「階段を降りる裸体」もいいと思った。マン・レイが写した写真もすごくオトコマエでよかった。
マルセル・デュシャン以後という展示で荒川修作の文字を並べた作品がよかったのが収穫。そしてシルヴィ・ブロシェールの10枚ほどの小さい絵とオブジェの展示がよかった。絵はみな同じ大きさで、素材は茶色い包装紙で、その上に描いたり、ハンコを押したりしてあるやつ。
藤本由起夫作のデュシャンの声が音楽にかぶさって聞こえる装置もあり、ビデオもありだったが、いちばんよかったことは空いていたこと。会社帰りのような一人で来ている人が多くて静かだった。国際美術館は金曜日の5時以降が狙い目!とにかく広くてゆったりと展示されていた。座るところがビデオの前しかなかったので、ベンチが一つくらい欲しかったな。足が疲れた。
なんやかんや言いながらも楽しい1時間を過ごした。
ここまで懐かしさを味わったから、今日はとことん懐かしくと、帰りには久しぶりに京町堀のブルースバー「メジャーカップ」で飲むことにした。時間が早くてまだお客がいなかったので、帽子をかぶった粋なマスターとジャズの話に花を咲かせた。LPレコードでマイルスの曲を聴きながら、ブルースからモダンジャズまでたくさんのジャズプレーヤーの話が出た。アート・ブレーキーとジャズメッセンジャーズの中に若き日のリー・モーガンとウェイン・ショーターがいたとか、コルトレーンとマイルスのこととか、クリント・イーストウッドのジャズ映画のこととか・・・。わたしは今夜はこれと思ってギムレットを頼んだ。目の前でつくってくれたギムレットは、生のライムを切ってしぼってくれたが、ローズのライムジュースでなくて少し残念。

2005年03月03日

町内会—実は世界的現代アート

新町4丁目の古いビル「細野ビル」を知ってから3年近くになる。オーナーの細野さんが一人でこつこつと修復し、アーティストたちに場を提供している。地下室は個性のある展覧をするのに適しているし、1階ホールはコンサートやショーをするのにとってもいい場になった。相方が「細野ビルイベント情報サイト」をはじめてからつきあいが一段と深くなり、いまや町内会と呼んでいる、
今日は地下室でやっている、Evil Moisture、Rudolf Eb.er、EYヨの3人のアーティストによる「Handshake 2 Exhibition」に行った。なんせ近いのだから気軽であるであるが、気楽に行くわけではない、ある種の緊張感を持ってである。
ここの地下室は展示をする作品を選ぶような気がする。今日の3人の作品は、この地下室で展示することで生きていると感じた。いまのいま、生きている作品である。この作品を汚いとかえぐいと言う人は、デュシャンが便器を「泉」と名付けたとき、そう言ったに違いない。デュシャンの作品を飾ってあった国立国際美術館へ行ったのは、懐かしさの確認のようなもので気恥ずかしさが先立ったが、今日は楽しかった。部屋の横にちょっと気がつきにくいへんな空間があって、そこにカラス(プラスチックの模型=本物そっくり)が吊るしてあったが、下見に来たときにその場所の生かし方を考えたのに違いない。
見終わってからホールに寄ったら細野さんとミュージシャンの岩本さんがおられた。コーヒーをご馳走になって雑談したが、わたしってしゃべると元気になるみたい。うまいこと会話しようとするからアタマも活性化するんやな。

2005年03月05日

EYヨさんの迫力—Handshake 2 Event

一昨日は細野ビルでEvil Moisture、Rudolf Eb.er、EYヨの3人のアーティストによる「Handshake 2 Exhibition」を見て、感じるところがあったのだけれど、今日はその3人+大阪のそうそうたるDJたちのライブということである。たくさんの若いファンがつめかけて熱気あふれる気持ちのいいライブだった。中年の姿なく老人はわたしらだけ。そう言えば立っていたら椅子を持ってきてくれたっけ(笑)。
7時から11時までのうち、DJのプレイ時間が長かったけれど、考えれば家でこんなに長時間続けて音楽を聴くことはない。本も読まずパソコン画面も見ずに大音響の中にぼーっと座っているのもいいものだ。いくらでもぼーっとできるのはわたしの特技の一つ(笑)。
EYヨが登場、両手に電球を持って踊る、というか舞うというか迫力に圧倒された。Macから出る音と電球の明暗、スリムな体がのけぞり飛び上がり、陶酔の極致と思いきや、最後は関西弁で「ありがとう」で締めた。醒めているんだ。EYヨ(山塚アイ)っていままで知らなくて、つい昨日「はなたらし5」というCDを聴いて「いける」と思い、ネットで調べたというお粗末なことだが、よかったです。久しぶりに玉水町煙(たまみずちょうけむり)を思い出した。
Evil Moistureはイギリス出身、Rudolf Eb.erはスイス出身(大阪在住とのこと)ということで、前衛的だけれどもアメリカとも日本とも違うヨーロッパの香りがした。ルドルフのほうはパフォーマンスが場所の都合でできず、簡単な説明とCDを流すだけに終わって残念だった。この二人の音楽を聴いて思い出したのは、30年も前に聴いていて行き詰まりを感じたフリージャズのことだ。わたしは「観念の音楽」とフリージャズのことを言っていたのだが、ここまできて行き止まりみたいに感じて遠ざかってしまったのが、今日ここに出口があったのに気がついた。そして新しい道が見えてきたような気がした。
ヨーロッパ出身の二人に比べて、EYヨの音楽&パフォーマンスは湿っている。同じようにMacを使って音をつくっても違うんだなぁ。ああ、そうだ、阿部薫の湿りに似ているかも。
終わってから隣の席の女性と話したり、ルドルフに紹介してもらったり、モイスチャァのときに突然現れてパフォーマンスをした男の子に現在の大阪の音楽状況を聞いたりした。寒かったけれど驚きがあっていい夜だった。

2005年04月14日

atelier spontanementのアップルストアライブ

近所の花屋さん atelier spontanement で先月小さな花束をつくってもらった。くすんだピンクや紫色を主にしたそれはそれは美しい花束で、人にあげるのが惜しかった。それ以来、相方が仲良くしてもらっているが、今日はアップルストアで即興で花を生けるというので、それは見なくちゃと喜んで出かけた。
テーマは【『Soz』「つくる楽しみ」を満たしてくれるインテリアトイ、CARPENTER BLOCKを使った作品作りを目的とするクリエイターユニットSoz。以下略】というもの。
2階に上がるとイベントコーナーにはお花がいっぱい。白を主にした花はスイトピー、ライラック(だと思う)、カラー、薔薇、アネモネ、ガーベラ、クレマチスなど100本単位という感じ。机を二つ並べて、店主(男性)と弟子の女性がブロックで作った花入れに生けていく。ブロックの間に水を含んだスポンジが埋めてあり、そこに挿していくわけだ。きれいな色の花々を白・茶・黒のブロックに彩りよく挿していく。白いスイトピーを惜しげもなく短く切って塊になるように挿し、そこにクレマチスを1本長くあしらう。
Macの映像と音楽をバックに、花の香りにつつまれてじっと眺めているうちに、約1時間のパフォーマンスが終わった。帰りにその花をみんなにわけるというのでいちばんにもらい、マンゴーシャワーで夕食を食べて帰った。花の香りが部屋中にただよっていて幸せ。

2005年05月15日

うろこちゃん

去年の今ごろのことだけど、天気のよい日曜日にうつぼ公園を散歩した帰り、公園横にある画廊メゾンダールへ寄った。ちょうど松下絹代さんが個展をされていて、その感想を5月8日に書いた。相方のブログのほうは写真付きである。写真を載せたほうはメールして見てもらったが、わたしのほうは黙って書いたままだった。
1カ月ほど前にその松下さんからメールをいただいた。ご自分の名前を検索したら、わたしの書いたのが出てきたとのことで、わたしのことも覚えてくださっていた。また今年も個展をするとハガキもいただいたので、今日は一人で公園のバラ園の散歩かたがた行ってきた。「月はみんな知っている」というテーマの、カラフルな抽象画を楽しく見せていただいた。去年あったオブジェはあるかしらと思っていたが、画廊の仕切ったところの台にたくさんあった。人気があるみたい。今日はその「うろこちゃん」を買ったので、そのうち写真をトップに入れようと思っているが、とりあえず去年の写真にリンクしておく。
白い台の上に置かれた「うろこちゃん」たちは、同じようだがそれぞれ表情が違う。見ているとみんながあたしを連れてってと言っているような気がしてくる。たくさんの目に見つめられて数個買うのに迷ってしまった。
机の上に置くとちょうどよい目線でこちらに愛嬌を送ってくれている。足の裏に番号がついているのも楽しい。

2005年06月28日

ヴァン・ゴッホ「Sorrow」

最近70年代の本や資料を調べている同居人が、今日は本棚の奥からアルトナン・アルトーの本を探し出した。「VAN GOGH」と「アンドレ・ブルトンへの手紙」の2冊。ゴッホのほうが読みやすそうなので開いてみたら、扉の、「ヴァン・ゴッホ アルトナン・アルトー 粟津則雄訳」の文字の下に、見たことのあるデッサンがあった。横向きの裸体の女性が腕に顔を埋めている。右下に「Sorrow」の文字。たしかこの絵を持ってるはずだと、古いファイルを探したら出てきた。A5の大きさの印刷物。裏になにもないから雑誌の切り抜きではない。たしか額入りでもらったんだった。文学青年のあいつが壁に掛けていたものだ。「Sorrow」という絵を知っているかと聞かれて、生意気盛りのわたしは、その絵のことは花田清輝が書いてたよ、なんてこっちも知識のあるところを見せたのだが、絵そのものは見たことがなかった。そしたら最後に会ったときにくれたのだった。
本の「Sorrow」は背景が入っているが、こちらは女性のみで線がきっぱりしている。ゴッホと言われなければわからない絵である。あまりにも哀しそうで長く見ているとつらくなる。またファイルの中にしまっておこう。
いま中之島の国立国際美術館でゴッホ展をやっている。混んでいるだろうし行くつもりはなかったが、がぜん興味がわいてきた。アルトーは数人の作家や思想家と並んでゴッホの名前を挙げている。その中にはネルヴァルも入っている。ゴッホの絵を見てこよう。

2005年07月08日

ゴッホ展に行ってきた

先月の28日に書いたんだけど、偶然アルトナン・アルトーの「ヴァン・ゴッホ」を読んで、こりゃ一度ほんまもんを見ておこうと思った。またずっと前に友人からもらった「Sorrow」のコピーを思い出した。今日は金曜日で国立国際美術館は7時までやっているので夕方から出かけた。
昼間はとても混んでいるのだろうが、夕方は混んでいるとはいえマシなのかな。係員がたくさん配備されている中を入ると、けっこうな人がいたが、さっさと前にまわって好きな絵はたっぷり見た。「Sorrow」の前は人がいなかった。その「Sorrow」はリトグラフで、他の作品と全然違っているところが興味深い。懐かしいような気持ちになって眺めていた。
同時代の他の画家の作品は見る気がせず、というかゴッホの絵を見たかったから行ったのだ。ゴッホの作品もアルル時代以外はそんなに惹かれなかった。アルル時代の「黄色い家」が素晴らしくて、あとは木立があって小道があるのがよかった。「黄色い家」の黄色をずっと忘れないと思う。やっぱりゴッホは天才だ。
有名な絵の具を持った自画像の前に立ったときは思わず笑ってしまった。うんと若いころ見た劇団民芸の芝居「炎の人ゴッホ」の滝沢修のポスターがそっくりだったんだもん。わたしはこの芝居を見たおかげでゴッホを文学的に見るくせがついてしまったのだ。
ようやく絵そのものを見ることができるようになったと思う。音楽も絵画もそのものとして受け入れるようになるまで、どれだけ暗い世界にいたことか。
1時間もいずに出てきて、まだ明るい道を歩いて帰る途中、小さいジュース屋があったのでマンゴージュースを飲み、古ーい中華屋で「ほろよいセット」を食べ、京町堀のバーメジャーカップにたどりついた。最近のお気に入りトムコリンズを頼んだら、シロップを控えたドライな飲み口でなかなかいけた。小さな窓からようやく暮れ行くさまが見え、とても素敵な週末を味わうことができた。

2005年09月17日

セキユリヲ アートディレクション「夢二デザイン」

新しく開店した心斎橋そごうの12階に丸善が入ったとのことで、さっそく行って文庫本のミステリーを1冊手にし、レジを探していたら、竹久夢二特集のコーナーに行き当たった。たくさんの刊行物の中に、ちょっと気分の変わった本が1冊あったのを見たらすぐに買う気になった。黄色い地に黒のイチョウの葉とブルーのギンナンが描かれている表紙がステキ。
夢二の本といえば、美人画ということになるが、この本は視点を変えて、夢二のグラフィックデザインをいろいろ集めてある。書籍の装釘(装釘、見返し)、楽譜のデザイン(パターン模様、レタリング)、木版千代紙、封筒、雑誌、広告デザイン(千疋屋の広告がおしゃれ)、装画(可愛いカットがたくさん)、それぞれが1920年代に夢二が創作したものなのである。色も線もとてもモダンで見ていて飽きない。書籍の表紙もステキだが見返しもステキ。椿模様の千代紙が欲しいし、百合やドクダミが描かれた封筒で手紙を出したい。(ピエ・ブックス 2800円+税)

2005年09月19日

ナナセシン×暗鬼丸コラボレーション展 ガールズアパートメント

今日は少し暑かったが快晴で気持ちのよい日だった。タイトルの展示が細野ビル地下のギャラリーであったので行った。全体の構成は暗鬼丸、写真はナナセシン。「ガールズアパートメント」というのがイミシンだと思った。
地下への階段を降りるときはいつもわくわくする。古いビルの地下室の雰囲気がとても好きで、そこに場所を考えて展示された絵や写真や書や立体を見るのは楽しい。奥にある2メートル×1.5メートルほどくぼんだ場所になにを置いてあるか、また、そこの天井からなにがぶらさがっているか、工夫の跡が見られるのがおもしろい。
今日の展示はピンクの服、下着、布、ゴム風船、ぺろぺろキャンディ、こんぺいとう、等々が床や壁に面したテーブルのあちこちに置かれている。広がった金髪のかつらが淫靡である。少女の内面が外観に現されている。
椅子に座って全体を見ていたら、25年ほど前の友人の部屋を思い出した。当時21歳のMちゃんのピンクの部屋は自作のプラスティック製の立体が飾られ、ベッドやテーブルクロス、壁にかけた服、どれもが考えて置かれていた。本人もいまなら珍しくないけれど当時は人のドギモを抜く服装で、自らが作品なのであった。それは数年も続かず、いまは共通の話題がなく郷愁が残るのみ。少女であり続けることは困難なことである。
今日の作家はしっかりとした女性だった。きっとこの線でこれからも作品を提示していくに違いない。自分が作品というような主観的なことでなく、作品として“少女”を提示していくふてぶてしい作家魂をみた。

2005年10月09日

山口ヒロミ「人と表現」展

山口ヒロミさんの『障害を持つ娘・天音(あまね)との日々 「人と表現」展』に行ってきた。山口ヒロミさんは南堀江「天音堂ギャラリー」のオーナーで銅版画家である。先月、山田真さんがパートナーの山口平明さんに紹介してくださり、そのとき今回の展示のことを聞いた。そしてヒロミさんの素晴らしい銅版画を知り、絵がちりばめられている本「天amane音」(自然食通信社)を買った。
天音さん(1981〜2000年)は出産時の医療ミスのため重い脳性マヒになり、ヒロミさんは小学校の教師を退職して介護の日々を送ることになった。片時も娘の側を離れることができない生活の中から、パートナーの平明さんと1988年にミニコミ誌「あまね通信」を発行した。そこに毎号天音さんを描き続けてきた。A4二つ折りの「あまね通信」が1号から壁に展示されているが、途中からは何ページにもおよぶ冊子になっているのが、筒に入って机の上にびっしりと並んでいる。内容はもちろんだが、そのレイアウトやイラストの美しさに感動する。そしてその圧倒的な量(85号!)にも。リアルタイムに読みたかった。
ペン画、パステル画、銅版画が展示されているが、すごい生命力がある。そしてそのセンスの良さがうらやましくなってしまう。
また唯一というニュースに取り上げられたテレビ映像が再生されている。天音さんの瞳と眉の初々しい美しさに見入ってしまった。(大阪ドーンセンター2階 情報ライブラリーにて 10月23日まで)

2005年10月10日

山口ヒロミ「天amane音」

昨日書いた『障害を持つ娘・天音(あまね)との日々 「人と表現」展』の山口ヒロミさんの、天音さんについての文章と絵の本である。表紙カバーの、三つ編みの髪が揺れ動く天音さんはなにを見ているのだろう。カバーをとると朱色で、ソファに横たわるヒロミさんの上に天音さんが乗って、二人とも眠っている。挟まれた銅版画も文章の中のイラストもすばらしい。天音さんとヒロミさんとパートナーの平明さんは無敵の三人組だ。絵がとってもおしゃれでステキ。
さっき、掲示板にのんこさんが書き込みしてくださった。天音さんをご存知で、展示を見にドーンセンターへぜったい行きたいと書いてある。一人でも反響があってうれしいな。
本書(自然食通信社 1600円+税)も他の本もドーンセンター1階の書店に置いてあります。また、天音堂ギャラリーにもあります。

2005年11月23日

天音堂ギャラリー栃折敏子展からアメリカ村・堀江散歩

お知らせをいただいたときから行こうと思っていた栃折敏子展、最終日の終了間際にようやく行った。美術展はそのうちと思っているうちに最終日がきてしまい、行かないことが多い。今回は気をつけていたが、もっと早く行って感想を書いておけばよかった。
栃折さんは神戸在住、震災のときは個展を開催中だったそうだ。すぐに避難所の子どもたちのところへ画用紙と絵具持参で行ったという。わたしは震災体験から生まれたという「助ける人」「助けを求める人」という傑作と言われている作品があるのも知らなかった。いつか見たいものだ。その後ニューヨークでも個展をされている。
今日見せてもらった絵は、大きいものは黒く塗った板に描かれている。その板は田舎のバス停の時刻表みたいな感じのもので、四方に枠があり中の板はいろんな幅である。今回その板に描こうと思いつかれたそうだが、天音堂の雰囲気にとても合っていた。抽象画なのだが、暖かくて澄んだ感じである。
天音堂はマンションの一室なので靴を脱いであがり、床は木である。相方が気に入った絵の前におっちゃんこして見ていたら、栃折さんが喜んで写真を撮られた。明日くらい栃折さんのブログにのるかも。
帰り際にオーナーの山口ヒロミさんが来られたので初対面の挨拶をした。わたしが来たのは2回目なのにもう旧知のように話していた。お互いの日記を読んでいるせいだ。

ギャラリーを出るとすぐおしゃれな街、南堀江のまっただ中である。アメリカ村へ出て「くいしんぼ」でお好み焼きをで食べて、帰りは北堀江を通ると新しい雑貨店があり、かっこいい帆布地のバッグがあった。ここで買えるなら京都まで行かんでもええな。いつかお金が入ったときに買おう。浪速筋へ出るとまたステキな雑貨店が見つかった。見ていたら帰りたくなくなる。わたし好みの品物ばかり。とりあえずオリジナルカレンダーを買った。相方のほうは帰ったら仕事が詰まっているので、忙中閑ありの数時間だった。

2005年12月21日

街の中の自然 細野ビル 田渕睦深写真展「ONE SILENCE」

細野ビル2階の展示室でやっている「ONE SILENCE MUTSUMI TABUCHI EXHIBITION」に行った。細野ビルの2階に入っていた事務所の空き部屋2室が展示室になったのだ。細野さんがこつこつと部屋を元の状態にもどしたもので、高い天井とカーブになった壁の面がすごくおしゃれな部屋なのである。
細野ビルで展示をする作家は、作品を持ってきて壁に展示するのではなく、細野ビルに合わせた作品を創って展示する。今回の田渕さんのは窓の大きさに合わせた写真である。カーブした壁に細長いガラス窓があり、その下の部分が展示場所なのだ。わたしが行ったときは午後で、木や草や花の写真が窓にあって、柔らかい冬の太陽の光が外からそそいでいた。写真は昼間の風景だった。オフェリアが身を投げたような川岸の向こうから日が射して、枝を広げた木から木漏れ日が美しい。また、若緑の葉っぱに露が光っているのに日がそそいで、幸せな午後という感じだ。
これは夜の風景も見なくてはと思って、日が暮れてからまた行った。予想していた以上に昼と夜の表情が違っていた。川岸は夜の風景になっていた。葉っぱの群れは黒く不吉な感じさえする。自然を撮った写真が、太陽の光や人口の光を受けて、町の中の自然になっていた。(12月25日まで)

2006年03月14日

3人のコラージュのようなアトリエ

10日から細野ビル2階でやっている催しがおもしろいらしい。3人の女性(ceramistのmasayoさん、floristのmiyaさん、photographerのizumiさん)の作品展というのでなくて、いろんなものを持ち寄っているのがおもしろいのだと、昨日行った相方が言う。
告知から引用させてもらうと
   ビルの一部屋に3人それぞれのアトリエのカケラを持ち寄りました。
   3人のコラージュのようなアトリエ。
   どんな空気が流れているのでしょうか。
ということである。
細野ビルのレトロな空間に花屋と雑貨屋と写真屋があってなぁと説明がややこしい。コンロでお茶を沸かしてハーブティを飲ませてくれて、人によっては3時間も4時間も座っているんやって。棚や台などすべて自分らで作ったりしたのを持ち込んだという。エレベーターがないからすごい労働だったろう。
それで行ってみると、まったく百聞は一見にしかず。
部屋に入るとすぐに花屋さんがある。花は花屋のような作り付けの棚にたくさんあり、コサージュも華やかにあり、リボンや包み紙やハサミや、ようするに花屋さんが一つの角にある。フラワーアレンジメントをmiyaさんが教えたり、お花を買っていく人もいる。
奥の角には陶器を置いた棚があって、その前の机では陶器創りを教えている。masayoさんの陶器は慎ましいのに華やかである。桜色の湯のみ、薄紅色の椀がとても気に入った。気に入った器を持った写真を撮ってくれるというので、薄紅色のを持ってポーズしたらmasayoさんとphotographerのizumiさんもカメラを向けてくれた。あんまりのアップでシミやシワが〜〜
こちら側にはizumiさんの写真が棚や机に置いてある。マックが置いてあって、昨日ここへ来た人たちの写真をスライドショーにして見られるようになっている。
昨日ズッケロの話をしたと聞いたので、ズッケロで買ったちっちゃな黒猫をバッグにしのばせて持って行ったら大人気だった。いろんなところに置いて写真を撮ってもらって、人形の身ながらすごい晴れがましかったんじゃないかな。ポラロイドで撮ったのを1枚もらった。プロの写真はひと味違う。(19日まで)
帰りにビル事務所に寄って細野さんと1時間ばかりおしゃべり。このビルを気に入って個展などやるからには、普通の画廊のように絵を並べて見てもらうというより、今日みたいなのがいいねと言い合った。
熱血漢の細野さんは、わたしが帰るときいっしょに出てきてビルを目で愛でた。外から眺めた展示のある部屋を、一つの作品のように思っているみたいだ。こうして今日の午後は優雅に暮れていった。

2006年03月28日

芸術新潮4月号 特集 藤田嗣治の真実

日曜日の新聞広告で「芸術新潮4月号 特集 藤田嗣治の真実」を見てすぐに欲しくなり、昨日心斎橋そごうの丸善まで買いに行った。子どものころに「ひまわり」か「婦人公論」かの挟み込みの口絵で、藤田の裸婦と猫または少女と猫の絵を見て以来のファンである。
手頃な画集があれば欲しいのだが、22000円のはわたしの懐からすると高価過ぎる。それで絵はがき数枚と2003年に出た画文集「猫の本」だけを大切に持っている。
本書に収録されている絵で気に入ったのは1926年頃に描かれたという〈アンナ・ド・ノアイユの肖像〉だ。ドレスのレースと花柄の繊細なことにおどろく。しかしノアイユ伯爵夫人はいろんなアーティストに肖像画を頼んだのに気に入らず、この絵もキャンセルされたそうだ。ああ、もったいない。
それと戦争画にも驚いた。〈アリューシャン列島での死闘図〉、〈アッツ島玉砕〉のリアリティに、画家である人間の熱狂を感じて怖くなった。わたしにとって藤田の新しい側面。
そして少女たち、猫たち、猫を抱く少女たちの絵がたくさんある。
今年は生誕120年だそうで、いま東京で展覧会をやっている。その後に5月末から7月23日まで京都国立近代美術館であるので行くつもりだ。

2006年05月20日

細野ビルヂングで、太宰治「新ハムレット」

新ハムレット上演実行委員会(劇団G:フォレスタ)の主催による〈西洋かぶれver11.5 太宰治「新ハムレット」〉を見に行った。芝居を見るのは久しぶりだ。最後に見たのは「維新派」が「日本維新派」といっていたころからだからずいぶん昔の話である。それまでは能、歌舞伎(前進座も)、文楽、バレエ、新劇、アヴァンギャルトと見まくっていた。あるときから映画とジャズになり、最近は映画も見なくなって、いまに至る。
今日も積極的に見ようとしたのでなく、実は細野さんにご招待を受けたのだ。細野ビルがすぐ近くだし、細野ビルの特殊性をどう芝居に活かすか見るのも興味があった。
さて、行ってみるとけっこうな人たちが集まっている。部屋の真ん中の空間が舞台になる。両脇に2列椅子席がぎっしりと並び、その前の1列は座布団が敷いてある。真ん前でまずシェイクスピアのオフィリアのような衣装の女性のダンスからはじまった。そして俳優たちが台本を手にして登場。最初ははてなと思ったが、その意図が見えてきて納得できた。ほんとに大上段からの大真面目な芝居なので、そのままやると新派大悲劇になってしまう。台本を見ながらセリフを言うことで客観的になって、批評性が加わり現在の演劇となる。
感心したのは衣装で、女物の着物をうまくアレンジしてある。紋付の羽織をぎゅっと着て太いベルトをしめたハムレット、黒の裾模様をガウンのように着た王(元叔父)のパンツは羽織の裏を使ったみたいだ。王妃の華やかで複雑なもすその布の流れ、オフィリアは白地の着物で腰からは何重にも白い布が花のようだ。
舞台は口上役が「・・・の間」と言うと、赤いカーペットの上が王宮の王座の前になったり廊下になったりする。対話するのに片や向こう向き、片やこちら向きで向き合わなかったり。扇子をだして切るカッコをすると短剣で切られている。うまい工夫である。2時間飽きずに見た。

2006年06月06日

細野ビルヂング「66展」オープニングパーティ

今年も細野ビルヂングで66展が開催される。今日は6時6分からオープニングパーティがあった。VFC会員でいろいろと親しくしているYさんに先日会ったとき、細野ビルが話題になり、見たいのならちょうどよい機会だといっしょに行った。
ビルいっぱいに人が詰めかけていい雰囲気。一番前の席が空いているからと座らせてもらえた。パーティは近田和久さんのドラムではじまったが、若い彼のドラムは新しい感覚で気持ちよい。20分ほどして小澄源太さんが登場、ドラムの音をバックに大きな白い板に絵を描いていく。みんなの視線を背中に浴びながら、ものすごく集中して描く。人間の顔が描かれていくさまを興奮して見守った。次に近田さんのドラムで川崎裕子さんのパフォーマンス、細身の体がしなりうねり踊る。
休憩のあとに古河暁さんによるファッションショーがあった。10人のモデルが紺と白をテーマにした服を着て登場、その中で川崎さんがやはり紺のドレスを着てハダシで舞った。最後が近田さんのウチコミとドラムに合わせてNIKAさんの声が響く。延々と続く音のうねりを堪能した。今日はファアッションショー以外はみんな近田さんのドラムが響いていた。いまも頭の中に響いているような感じだ。
休憩中になつかしい顔を見つけた。30数年前にジャズ喫茶マントヒヒで知り合ったM氏とパートナー、彼らと娘さんは絵を描いていて3人の絵が地下の画廊に並んでいるという。
終わってからYさんと二人で堀江に出てアブサンでお酒を飲みながらおしゃべり。11時半という時間に驚き地下鉄四ツ橋駅まで見送る。最終電車には間に合いそう。地下鉄で行ける範囲で暮らしていると便利だ。

2006年06月09日

細野ビル「66展」を見に行っておしゃべり

細野ビルヂングで今年も「66展」がはじまった。6日のオープニングイベントは行かなかったので、今日は展示物を見に行ってきた。
地下の画廊と2階の展示室が大部屋小部屋と3室あって、それぞれに適した展示のしかたで作品が置かれている。去年はオープニングイベントの小澄源太さんが絵を描いていく姿がスリリングで最高だったが、展示物のほうはもうひとつだと思った。今年の作品はみんな気合いが入っていると聞いたので楽しみにして行ったが、ほんとに現代美術の力が示されているように思える作品があった。ここはただ壁面に展示するというのではなく、壁や窓や部屋の凹凸を利用した置き方で個性を発揮できる楽しい場でもある。
地下室に入って行ったら細野さんと若い女性が話しており、すぐに3人でのおしゃべりとなった。見終わって事務所に行くと先客の若い女性が2人いて、みんなでお茶ということになり、座り込んでまた長いおしゃべり。2人の女性はフリーペーパーを発行するので取材である。なんやかやしゃべってミクシィに入っているのがわかり、帰ってからミクシィのマイミク(友だち)になることになった。(66展は細野ビルにて6月12日まで)

2006年06月10日

色彩と音楽の洪水 京劇「楊門女将」

生まれてはじめてナマで京劇を見た。映画「覇王別妃/さらば、わが愛」は京劇の俳優の人生を描いていて、舞台のシーンもたくさんあり興味を持ったが、わざわざ本物を見に行くところまでいかなかった。今日は兄から誘われて二つ返事で谷町4丁目のNHK大阪ホールへ出かけた。谷4ってほんとに縁がなくて、地下鉄で3つ目の駅なのに降りたことは何度もない。
3時半開場とともにどんどん人が集まってくる。兄は中国旅行で「水滸伝」を見て京劇ファンになったという。北京でもセリフが字幕に出たそうで、歌うような言葉がいまの人には聞き取れないらしい。
「楊門女将」(ようもんじょしょう)は楊家の女将軍たちということである。北宗の時代、周辺国の侵犯に悩む朝廷は、楊一族に辺境警備をまかせている。楊家の男たちは戦場で命を落としたため、屋敷は100歳の余太君を頭にして女たちが守っている。ABのプログラムがあって、わたしが見たのはBの女将合戦編だった。女子どもと見くびった西夏王を苦難の果てにやっつける女性軍。その戦いぶりの派手なこと! 衣装は色の洪水である。身にまとう着物、背中にクジャクの羽が2本そびえ立ち、それぞれ衣装の色と合った三角の旗が4本鳥の羽根のように背中についている。兵士役の若者たちがどんどんやるトンボ返りもめちゃくちゃ派手。まっこと豪華絢爛であった。
席は前のほうの真ん中だったので細かい目の動きまでよく見えた。京劇ファンという人たちがいるらしく、いいところでは絶大な拍手が送られていた。老若男女の客がいたが熟年層がいちばん多かったかな。おしゃれして出てきたという感じ。

2006年06月15日

「芸術新潮」6月号 特集 芭蕉から蕪村へ 俳画は遊ぶ

辻原登さんの「花はさくら木」を読んだら、京都へ来た田沼意次のまわりに、蕪村や画家たちが集まってにぎやかである。京から大坂へ船で行くのもいっしょだ。うちの近所の中央図書館横に石碑がある堀江の木村蒹葭堂も、蕪村と同時代の人だったと知った。楽しい読書だった。
蕪村の句は素晴らしいと思うけれどきちんと読んでいない。折々にカッコいいなモダンだなと思うくらいである。本書をさっさと買ってきたのは、いくらかでも蕪村の勉強になるかなと思ったから。読み出したらいくらかどころかたいへん勉強になった。とってもおしゃれだわ、蕪村。
俳画というものは、わたし的に解釈すると、お金をかけないおしゃれということになるかな。
其角の「乞食哉(こじきかな)天地を着たる夏衣(なつごろも)」の句がホームレスのおっちゃんが川端でなにかしている絵にある。俳画は風流だけではないし、現実への抗議をするものでもない。人間がありのまま生きているのを肯定している態度がよい。其角というと、わたしとしては忠臣蔵である。大高源吾と橋の上で会い「年の瀬や水の流れと人の身は」と其角が詠むと「明日待たるるその宝船」と大高源吾が返す。翌日は討ち入りの日でなのである。

2006年07月31日

細野ビルにて「a base....」展

今日は暑さの中にも風があって少し過ごしやすかった。いまも部屋の中を風が吹き抜けて気持ちよい。
午後遅くなってから一昨日からはじまった女性7人の作品展「a base....」を見に細野ビルへ行った。Fujii Ikuko(ソープ)、Horiyama Michi(油絵)、Miyata Mariko(フラワー)、Murayama Ayumi(染)、Nishitani Yumiko(陶芸)、Yagi Satoe(織)、yamahara Kaori(織)
の7人の作品がビルの2階と地下室に展示されている。彼女らは同じ学校で学んで10年経ってこのグループ展をすることになったそうだ。
2階では日常に使いたいようなシンプルできれいなカップやお皿。渋い色に染められたパラソルや布。深い色合いに編まれたバッグ、和菓子やケーキのような色とりどりの石けんがあった。地下室へ降りると、まず花が目についた。白い80センチ角くらいのテーブルの真ん中を20センチ角くらい切ってブラックベリーやヨウシュヤマゴボウやとりどりのバラがサラダのようにアレンジしてある。その他の花束や葉っぱの束もステキだった。棚には棚の長さに織られた布が置いてある。沖縄風に染めた布地があり、奥にはぱっと目に入る展示がしてある。
ここを場所に選んだときに展示方法を考えたそうで、細野ビルの2室を最大限に生かしていると感じた。〈8月7日まで、am 11:00 - pm 7:00(最終日は pm 5:00 まで)〉
見終わって事務所に寄ったら細野さんがいらっしゃたので、久しぶりの挨拶をして雑談。これからの展開など明るい話で楽しかった。

2006年08月12日

プラド美術館展 7月〜9月は土曜日7時まで

060812prado.jpg
会期は10月15日までと長いのだけれど、そのうちと思っている間に終わってしまうことが多いので、思い立ったときにと今日の夕方天王寺の大阪市立美術館へ行ってきた。ふだんは5時までだが、土曜日だけ7時までやっている。6時過ぎに入ったので1時間弱しかいられなかったけれど、素晴らしい絵に出合えてよかった。
スペインというより全ヨーロッパの思想と芸術が重くのしかかってくるような美術展だった。絵を見ていて誰の絵と思わなかったのが不思議だ。ゴヤの作品は一室にあって、それは特に個性を放っていたが、他の作家のはそれぞれというよりは、ヨーロッパの思想が絵になったような感じでせまってきた。ヤン・ブリューゲルなど違う絵もあったが。
そういう見方とは別に好きなのは厨房画(ボデ ゴン)と分類された台所や食べ物の絵と花の絵だ。それは見事な花の絵があって絵はがきを買ってしまったが、ベルヴェデーレの作品で解説によると、その後の花の絵の手本となったそうだ。赤を中心にした花の集合体の一番下に「天上の青」色の朝顔がある。
やっぱりゴヤはすごかった。肖像画の素晴らしさは言うまでもないが、「魔女の飛翔」におどろいた。おそろしい絵である。
混んでいると聞いていたが、この時間は空いていて、6時半を過ぎるともうすぐ閉館というアナウンスがあってざわつきはしたが、展示室一部屋を一人で見ているときもあり、すごく贅沢な時間を持ててよかった。

外へ出て階段を下りて行くと新世界である。数年ぶりの新世界は明るく変わっていた。パチンコ屋が減って食べ物屋が増えている。並んで待つ人がいる満員の店と空いている店があるのが対照的。じゃんじゃん横町へ出て、そこそこ混んでいる店で焼き鳥と串カツを食べてビールを飲んだ。最後にお餅を揚げてもらったのがおいしかった。

2006年08月13日

ムリーリョ「聖パウロの改宗」におどろく

数日前のこと、相方が食事中に突然「パウロって知ってるか」と聞くので、「キリスト教のパウロかいな」と答えたものの、わたしはそれ以上のことは知らなかったのである。なぜその質問が出たかというと、いま彼が読書中のアルバート・ラズロ・バラバシ「新ネットワーク思考」の序文にパウロの例が引かれていたからだ。さっそく横取りして読ませてもらった。
「新ネットワーク思考」の序文には「伝道者パウロ」と小見出しがあって、初期のキリスト教徒はユダヤ教の背教者にすぎなかったと書いてある。最初パウロはキリスト教を迫害する側にいた。その彼が0034年にキリスト教に改宗してから、ネットワークをうまく利用してキリスト教を広げていった。パウロが12年間に歩いた距離は2万キロに及んだそうだ。それも、キリスト教がもっとも効率よく広がるような戦略を立てての普及活動だった。
ということで、なぜパウロが成功したかというと、われわれがみな連結されているからだとバラバシは説明している。
これだけなら、へえ、うまいこと言うやんと思っただけで終わっているのだが、昨日プラド美術館で一枚の絵に出くわした。ムリーリョ「聖パウロの改宗」である。パウロが倒れるような姿で上方を見つめていて、連れの者たちがよりそっている。上の方にはイエス・キリストが光につつまれてパウロを見つめている。「主よあなたはどなたですか?」「私はあなたが迫害しているイエスである」という会話がなされたらしい。
パウロの話を知らずにこの絵を見たらそのままで終わるところを、これがネットワークのパウロが誕生した瞬間の図かと感慨深く眺めた。

2006年08月20日

テレビと本の日曜日

お昼から高校野球をテレビ観戦した。高校野球を始めから終わりまで見るのははじめてである。それも15回の延長戦まで見た。相方が北海道出身なので、一昨年出身校が出場したときは生まれてはじめて高校野球を見に行った。そのとき同じ北海道ということで、前日の試合に勝った駒澤苫小牧の選手たちが応援にきていた。わたしらが座っている横をずらっと通り過ぎていったときは、逞しさに圧倒された。そんなもんで決勝戦だからと忘れずにテレビをつけたってわけ。いい試合だった。こりゃ明日も見てしまいそう。
その後は読書、マイクル・コナリー「天使と罪の街」をストーリーを追って読んでしまった。これはもう一度読み直しをする。
11時半からNHK教育テレビでバレエがあるのを発見してつけた。ちょうど「ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップス」がはじまるところだった。クレジットにルー・リードの名前があってびっくり。振付:エドゥアール・ロック、音楽:デヴィッド・ラング、詩:ルー・リードということである。日本でも舞台で上演されたことがあるらしいが、今日放映されたのは、映像として創られたもの。大きい空間だから井戸という例えはおかしいが、感じから言えば井戸の底のようなところで男女8人が次々に踊る。バレエの基礎をものすごく持っているダンサーたちである。ダンスは新しい感覚であるが、テクニックは古典バレエをきっちりと身につけた人が踊っている。最後のほうの女性ダンサーが、いつまでもつま先で立っているのが心配になってしまった。最初は男性が操るようなピルエットが続き、なんでやねんと思ったが、後半では女性が主体となって展開していった。そういうストーリーだったんだ。40分ほどだったが夢中で見ていた。
その後消したテレビをまたつけてボクシングだ。亀田大毅とウィド・パエス(インドネシア)戦である。1回戦でKO勝ちだった。

2006年08月27日

長編漫才芝居「お笑いロミオとジュリエット」

佐野キリコと平林之英の二人ユニットによる長編漫才芝居「お笑いロミオとジュリエット」を細野ビルヂングで見た。私の演劇鑑賞歴は切れたままで20年くらい経っていたが、細野ビルと知り合ったおかげで、新しい芝居と出合えている。
フライヤーには「ロミオとジュリエットの魂がうっかり生き延びてしまい、自分たちの原作ドラマを振り返り、追体験しながら、夫婦や家族の愛を発見していくというお話です。2幕構成の100分間(10分間の休憩込み)。」とある。
ホールの正面に30センチくらいの高さに半円形の舞台が組まれていて、音楽はギターの生演奏でその横、小道具類が両側のテーブルに置いてある。演者は二人で、2幕には子ども(キューピー人形)と三人舞台なのであった。
二人が登場、ジュリエットはピンク系の振り袖でだらりの帯に島田のかつらをかぶって、靴下はいてタップシューズ。ロメオはラメ入りのグレーのタキシードでタップシューズ。大阪弁で歌い踊るのがすごく達者。途中でおてもやんと田子作に変身したり。出会いから結婚しようと話は進み、結婚式には神父さんがいると、客の中へいって中年の男性を舞台に引っ張り上げ結婚式を執り行った。1幕目はこちらもどんなのかと好奇心にあふれているし、スピードがあって笑えた。ロメオが自分のことを“ワシ”と言うのがおかしい。
2幕目は出会ったばかりなのに子どもができたとタップダンス入りの出産。子どもにおしめをあてたりミルクを飲ませたりと芸は細かいが、わたしは少々違和感をもった。そして大芝居の悲劇から人間賛歌みたいになっていくところもちょっとかなわんかった。
でも大熱演の2人は歌もタップダンスもたっぷりと、すごく達者な役者さんだった。行くとき、ビルの裏にしつらえたテーブルに二人が向かいあっていたが、こういうのが劇場にない細野ビルの楽しさである。

2006年10月03日

細野ビルヂングで「能」公演がある

ご近所の細野ビルヂングで「TTRライブ能」という能の公演がある。ここで能をやりたいという話があると聞いたときはびっくりした。普通の能公演がまず頭に思い浮かび、どこから演者が出てくるのかしらと思った。細野さんのお話では、ビルを見に来た方が手を叩いてみたりして音響が良いと言われたそうだ。決まればいいなと待っていたら、話が決まったと案内ハガキをいただいた。なるほど、お囃子と舞囃子なら大丈夫だ。プログラムには「高砂八段」「砧」等とあるのでとっても楽しみ。
わたしが能に凝っていたのはえらい昔のことである。最初は「能を見る会」みたいのに入って見に行った。金剛巌さんの「土蜘蛛」を見たのが最初で何度か行った。そのあとは兄と姉が謡を習っていたせいで、ときどき券をもらって産経観世能に行った。また大阪能楽会館で毎月一度ある若手の会にもよく行った。フェスティバル能にもときどき行った。いまになってはみんな「先代」とついてしまう。「土蜘蛛」の金剛巌さんも、「杜若」の梅若万三郎さんも、「楊貴妃」の梅若六郎さんもみんな先代である。この三人のお姿はいまでも目にこびりついている。
「日本維新派」の芝居を見るようになったころから能とは遠ざかった。そしてフリージャズ、ロック(パンク&ニューウェーブ)といき、クラシックにも傾いた。いつも“いっちょかみ”というのか、かっこよさそうなものに首を突っ込みたかったみたい。いまや老獪さんと呼ばれてもおかしくない(笑)。
久しぶりにお囃子の音を聴いて舞囃子を見る。とっても楽しみ。しかもそれが歩いて5分のレトロビルでのことである。

2006年10月13日